「ここは……?」
水音の響く岩場に、ひとりの大柄な男が立ち尽くしていた。
「確か俺は、何度も死を繰り返しながら、それでも死ねなかったはずだが……」
足元を流れる水には、確かな流れがある。
どうやら川らしい。霧が深く、向こう岸は見えない。
「まさかここは、冥府へ通じる川……アケローン川か?」
ならば、向こう岸へ辿り着けば、あの地獄から解放されるのか。
そう考えた男は、川へ歩み寄ろうとした。
「っ!?
これ以上、進めん……?」
ある程度近づいたところで、目に見えない何かに阻まれたかのように、それ以上先へ進めない。
「キング・クリムゾン!」
壁でもあるのかと考え、自らのスタンドで破壊を試みる。
だが──
「手ごたえが無い……?
どういうことだ?」
「無駄だ。
死人じゃなきゃ、ここから先へは入れねぇよ」
唐突に聞こえた声に、男は鋭く振り向いた。
川岸の岩に、ひとりの老人が腰かけている。
ストライプのスーツに虎柄のシャツを合わせた、チンピラ然とした白髪の老人だ。
老人は煙草をふかしながら、男を揶揄するような目で見ていた。
「……誰だ、貴様は」
「通りすがりの死人さ」
「その死人が、何の用だ?」
「好奇心さ。
王様気取りの哀れな囚人が、どんな奴か見に来たのさ」
「囚人だと!?
ふざけるな、老いぼれ!」
「ふざけちゃいねぇよ。
お前は、自分が王のつもりだったんだろうが……そうじゃねぇ。
実態は、自ら自由を捨てた囚人さ」
老人は薄く笑いながら、男を揶揄する。
「お前は最初、がむしゃらに成功を積み重ねたんだろうが……
途中から、手段と目的が入れ変わった」
「どういうことだ?」
「成功を重ね過ぎて、それ自体が目的になったのさ。
そのせいで、今のお前はまるで生きちゃいねぇ」
そう言って、老人は紫煙を吐いた。
「戯言を……!」
「事実だよ。
お前は、そのことから目を逸らしてるだけさ」
そう言った老人の手には、いつの間にか酒の入ったグラスがあった。
傍らには、ウイスキーのボトルとアイスペールを載せたキャンプテーブル。
さらには灰皿まで置かれている。
先ほどまで吹かしていた煙草は半ば以上吸われ、そこで揉み消されていた。
それらは、まるで最初からそこにあったかのように、老人の座る岩の傍らに鎮座している。
男が驚愕する一方で、老人はそんなことなど気にも留めず、当たり前のように話を続けた。
「その時には、お前は失うことが怖くなり、そこから動けなくなった。
あえて失敗することもできねぇ。
積み重ねた成功が、それを許さないからな」
「黙れッ!」
「昔、お前のように成功を積み過ぎた男がいた。
そいつも、お前同様、自由に振る舞えないヤクザ者さ。
自由に泣くことも、笑うこともできねぇ。
感情のままに拳を振り上げれば、命がいくつあっても足りない稼業。
感情を押し殺して、粛々と役目をこなすだけの哀れな男だ。
お前と同類のな」
「俺をそんな男と、同列に語るな!」
老人の言い草に耐えきれず、男は叫び返した。
「俺に言わせりゃ、お前もその男も同類だよ。
いるのは棺の中さ」
「……何だと?」
「棺さ。
お前たちは、成功という名の棺の中にいる」
老人はそう言って、グラスの酒を一口流し込む。
「動けない。
お前はもう満足に動けない……いや、違うか」
それだけ言って、老人は新たな煙草に火を点ける。
「お前は外に怯えて、そのぬるま湯から出るのが怖くなった。
そのまま棺に入り、自ら蓋を閉めて閉じこもった。
些細な外の物音に、常に怯えながらな」
「……貴様ごときに、俺の何がわかる!」
「少なくとも、今のお前が外のわずかな出来事にも怯える腰抜けだってことはわかるぜ?」
「貴様……」
ぬけぬけと答える老人に、男は額に青筋を立てる。
「それに比べりゃ、あいつらの方がよほど見どころがある」
そう言って老人は煙草を吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐いた。
「向こうで、かつてお前の部下だった若造たちと会った。
何度か、一緒に飲んだこともある」
「?」
「そいつらはお前と違って、最後まで熱を手放さなかった。
その結果、自分がどうなるかをわかった上でだ」
「ッ!!」
「お前は未来を見て怯えた。
あいつらは見えてなお進んだ。
お前とあいつらの違いは、その差だ」
「いい加減にしろッ!!」
とうとう男は耐えきれず、老人へ吠えた。
「黙って聞いていれば、言いたい放題言ってくれる!
俺は怯えて動けなかったんじゃない!
動くまでもないから、動かなかったのだ!
王とはみだりに動くものではない!
玉座を守るためには、当然の判断だ!」
男は一息に言い放つ。
それこそが真理だと信じて疑わぬように。
「そう思いたければ、そう思えばいいさ。
だがな、棺であれ玉座であれ、
自分から動こうとせずその場に留まり続けるなら、そんなものは牢屋と変わらねぇ。
どう言い繕おうが、結局お前は囚人なんだよ」
「違う……!
俺は──」
「王として生きてきたつもりが、
その実、切り捨てた部下にすら劣っていたとは……惨めなもんだな」
「くっ……!」
図星だったのか、それとも反論する言葉を失ったのか、男は言葉に詰まる。
「……時間だ。
束の間の休息は楽しめたか……王様よ」
「はっ?
ま……待て……うわぁぁぁあ〜……」
男は、見えない何かに引きずられるようにして、その場から姿を消した。
「ククク……」
老人が新たな煙草に火を点ける。
その直後、ジッパーを模した飾りの付いたスーツの男が、川岸へ歩み寄ってきた。
「会ってみてどうだった?」
「話以上につまらん男だ。
まあ、いじり甲斐はあったがな」
「あいつを前に、そんな感想が出るのはあんたぐらいだ」
男は、呆れ半分、感心半分といった面持ちで言った。
「あいつを生き地獄へ落とした男……確か、ジョルノ・ジョバァーナと言ったか?」
「ああ。
まだ若いが、ネアポリス……いや、イタリアを越えて、
やがてヨーロッパ全土に新たな風を吹き込むだろう男だ」
老人の問いに、男は誇らしげに言い切った。
「そうか……会ってみたいものだ。
ククク、まさか死んだ後に、そんな面白そうな熱を持った男のことを知るとはな」
老人は機嫌よさげにそう言うと、自らのグラスと新たなグラスに氷と酒を注いだ。
男にグラスを勧める。
二人はしばし、気分よく酒を煽るのだった。