激しい吹雪の雪山を抜け、ヘイザー戦の過酷な死闘を乗り越えたノウゼンとマチエール。二人が辿り着いたのは、カロス地方の山あいにひっそりと佇む、湯治場として有名な古い温泉街だった。
からん、ころん……と、遠くで響く下駄の音。 石畳の路地のあちこちから、もくもくと温かな白い湯気が立ち上り、街全体がかすかな硫黄の香りとノスタルジックな熱気に包まれている。
「ふぁぁ……あったかい……! 雪山とは大違いだね、ノウゼン!」
マチエールは首元に巻いたマフラーを少しゆるめ、ほっと胸をなでおろした。隣を歩くもこおも、珍しそうに温泉街の湯気を見上げて「ニャ〜パ!」と嬉しそうに目を細めている。
「ああ。ここは、古くから傷ついたポケモンやトレーナーが身体を休める湯治場として知られている。……あの過酷な雪山を抜けた甲斐があったな」
ノウゼンもまた、いつもの張り詰めた表情を少し緩め、街並みを優しく見渡していた。温泉街のあちこちでは、湯上がりのトレーナーたちが手持ちのポケモンと一緒に温泉饅頭を食べたり、足湯に浸かって談笑したりしている。
「あ! ノウゼン、見て見て! あそこで湯気がでてるお店、お饅頭売ってるよ!」
「ふっ……目ざといな。せっかくだ、名物の湯蒸し饅頭でも買っていこう。旅籠に着いたら、お茶と一緒に食べよう」
「やったぁ! あたし、こしあんが良いな!」
温泉街ならではののどかで温かな雰囲気に、激闘と緊張の連続で強張っていた二人の身体と心が、じわじわと解きほぐされていく。最後のジム戦へ向けて、まずはここでじっくりと身体を休めることにしたのだった。
古風な旅籠に荷物を置いた後、長旅の汗と連戦の疲労を流すため、二人はさっそく温泉へ向かった。
最初は「じゃあ、あとでね!」と男女別の内湯へと分かれて入っていた二人。けれど、内湯の奥にある重厚な木扉の先には『当館名物・大自然の混浴大露天風呂』と書かれた暖簾が揺れていた。
湯あみ着をしっかりと身に纏い、室内の温泉でゆっくりと温まり、次に湯気が立ち込める大露天風呂へと足を踏み入れたマチエール。
「わぁ……すごい! 大きな露天風呂……!」
雪景色が残る澄んだ山々を臨む絶景に感嘆の声を上げた瞬間、湯煙の向こうから、先に入っていた人物が静かに立ち上がった。
「……マチエールか。内湯の方は狭くなかったか?」
そこにいたのは、お湯から上がったばかりのノウゼンだった。 普段はフィールドワークに向いたアウトドアパーカーとジョガーパンツに身を包んでいるノウゼン。だが今、目の前に広がっていたのは
——鍛え上げられた強靭な筋肉と、激しいバトルを潜り抜けてきた男らしい肉体美だった。
「っ……!?!?!?」
普段の「頼れる助手」とは違う、大人の男性としての圧倒的な姿に一瞬顔を赤らめたマチエールだったが——次の瞬間、彼女の視線はある一点で固まった。
ノウゼンの胸元から肩にかけて、薄っすらと残る灰色の亀裂のような痕。
それは、ヘイザーの銃によって一度「石」へと変えられ、アマルルガの奇跡によって解けたばかりの、痛々しい石化の痕跡だった。
「ノウゼン……それ……」
マチエールの声から照れが一瞬で消え去り、切ない不安の色が混じる。湯船をかき分け、思わずノウゼンの間近まで駆け寄っていた。
「……本当に、大丈夫なの……? 石になって……痛んだり、冷たかったりしない……?」
声が震えていた。かつてハンサムいなくなり、クセロシキまで目の前から去った悲しき記憶、そして今回、ノウゼンまで消えて失われてしまうのではないかという恐怖が、マチエールの胸をぎゅっと締め付ける。目の前のノウゼンがまた冷たい石に戻ってしまうのを恐れるように、マチエールは湯船の中でギュッと自分の胸元を握りしめた。
「……マチエール」
自分の身体を本気で心配し、泣きそうな目で見つめてくるマチエールに、ノウゼンは瞳を優しく細めた。
「心配ない。見てくれは少し悪くなったが、痛みもない。アマルルガと、この温かい温泉のおかげだ。もう石でも冷たくもない……ただの人間の体だよ」
そう言って、ノウゼンは湯船の中から自分の温かな大きな手を差し出し、マチエールの小さく冷えた手にそっと重ね合わせた。
「ほら……ちゃんと温かいだろう?」
「っ……うん……っ」
手のひらから伝わる、トク、トク、という力強い脈動と、確かな人間の温もり。 マチエールは安心感からほっと大きな息を吐き出すと、ぽろりと目尻に浮かんだ涙を拭った。
「……よかった。本当に……よかった……」
「ああ。俺はもう、どこにも行かない」
ふっと柔らかく微笑むノウゼン。 ……と、そこでようやく、マチエールは自分が「至近距離で、湯あみ着姿のノウゼンと手を重ね合わせている」という現状にハッと気づいた。
「っ……!?!?! あ、あたし、何やって……っ!?」
ノウゼンの鍛え上げられた胸筋がすぐ目の前にあり、男性特有の熱い体温がダイレクトに伝わってくる。一気に現実へと引き戻されたマチエールの顔は、瞬時に熟したトマトのように真っ赤に跳ね上がった。
一方のノウゼンも、照れ倒しているマチエールの様子と自分たちの距離感に遅れてハッと気づき、耳まで一気に朱に染まった。
「……っ! すまん……俺も、配慮が足りなかった……」
気まずそうに片手で口元を覆ったノウゼンは、すっと視線を泳がせると、慌てたように湯船から立ち上がった。
「あ、あまり長湯をして湯あたりしてもいけない。俺は先に上がっているから、ゆっくり浸かってこい」
「あ……うん……っ」
どこか落ち着かない足取りで脱衣所へと消えていくノウゼンの背中を、マチエールは赤くなった顔で見送った。
一人大露天風呂に残されたマチエール。静かな湯煙の中、心臓のバックバクという高鳴りだけが激しく響いている。
「〜〜〜〜っっっ! バカバカ、あたしのバカっ!!」
マチエールは顔から火が出そうな恥ずかしさに耐えかね、両手で顔を覆うと、そのままドブン……と湯船に顔の下半分まで潜り込んだ。
ブクブクブクブク……ッ。
お湯の底から気泡が小さく立ち上る。
(ノウゼンってば、なんであんなに体格良いのさ……! 胸筋すごすぎるし……手、すっごく大きくて温かかったし……っ!!)
頭に浮かんでくるのは、さっき見たノウゼンの男らしい肉体と、自分の手を包み込んでくれた優しい微笑み。 湯気のせいだけではない熱さが全身を駆け巡り、マチエールはしばらくの間、湯船の中でブクブクと泡を吐き出しながら真っ赤な顔をうずめていたのだった。
しばらくして、しっかりとお湯を満喫したマチエールが火照った顔で脱衣所を出ると、ロビーのベンチでノウゼンが待っていた。すでにいつもの服に着替え、髪をタオルで少し乾かしている。
「あ……ノウゼン」
「来たか。‥‥‥ほら‥‥‥」
ノウゼンが差し出したのは、ガラス瓶に入った冷えたコーヒー牛乳だった。
「わぁ……! コーヒー牛乳だ!」
マチエールはパッと目を輝かせると、隣にちょこんと腰掛け、受け取った瓶のフタを開けた。 ノウゼンも自分の分を手にして、二人並んで腰かける。
「じゃあ……お疲れ様!」
「ああ、お疲れ様」
コトッと瓶を軽く合わせ、腰に手を当てて一気に飲む。 冷たくて甘いコーヒー牛乳が、湯上がりの火照った身体にじんと染み渡っていく。
「ふはぁ〜っ!! 美味しい……! 温泉のあとのコレ、最高だね!」
「ああ。確かに……癖になりそうな美味さだな」
口元にうっすらと白い泡をつけたマチエールを見て、ノウゼンはくすりと優しく微笑んだ。さっきまでの気まずさはすっかり消え去り、心地よい温もりと甘い余韻が二人を包み込む。
その後、旅籠の和室へと戻った二人は、座卓で名物の湯蒸し饅頭を広げた。
「……んっ! おいしい……! こしあんが甘くて、すごく美味しいよノウゼン!」
口いっぱいにあんこを詰め込み、満面の笑みを咲かせるマチエール。もこおも隣で満足そうに「ニャ〜」と鳴き、ノウゼンから分け与えられたおやつを美味しそうに食べている。
「焦らず、ここでしっかり体力を回復させよう。シャラシティはもうすぐだ」
「うんっ! 明日からの洞窟越えも楽勝だね!」
ふたりの間に流れる、心地よく温かな日常の空気。雪山での誓いと温泉での温もりを経て、二人の絆はより一層深く結ばれたのだった。
◇
温泉街を後にしたノウゼンとマチエールは、最後のジムバッジを手に入れるため、12番道路に存在するシャラシティへと通じる天然の洞窟『地底の迷宮』を進んでいた。
薄暗い洞窟内を照らすのは、ノウゼンのアブソルが放つ『フラッシュ』の眩い光。その温もりある白い光を頼りに、二人は湿った岩肌の続く道を進んでいた。
「気をつけて進もう。ここはかなり奥が深い」
「うん! アブソルの光のおかげで、足元もバッチリ見えるね!」
マチエールが笑顔で頷いたその時
——洞窟の奥深くから、ゴゴゴゴゴゴッ……!! と腹に響く不気味な地鳴りが吹き荒れた。
地鳴りの正体は、何者かに激しく追われパニックを起こした野生のゴローニャとドリュウズの大群だった。彼らは狂乱状態で壁や天井の岩盤を粉砕しながら突進してくる。
「マチエール、危ない!」
ノウゼンは咄嗟にマチエールを庇って突き飛ばしたが、直後、砕けた巨岩がバリバリバリッ、ドォォン! と二人を隔てるように大量に崩れ落ちた。
「くっ……! マチエール、無事か!?」
「ゲホッ……うん! あたしは平気! ノウゼンは!?」
「ああ、問題ない。だが……完全に道が塞がれたな」
無理に岩盤を破壊すれば、更なる大崩落を招きかねない。
「無理に崩すのは危険だ。……マチエール、そっちにアブソルともこおはいるか?」 「うん! 二匹ともあたしの側にいるよ!」
「よし。安全な場所まで引き返し、別のルートから出口を目指そう。シャラシティ側の出口で合流するぞ」
「わかった! ノウゼンも気をつけてね!」
こうして二人は二手に分かれ、それぞれ出口を目指すこととなった。
アブソルの『フラッシュ』の光を頼りに、暗い洞窟を進むマチエールともこお。
ノウゼンの手持ちの中でもひときわ誇り高くストイックなアブソルは、主人の不在中、自分がこのマチエールを護り抜かなければならないという強い責任感を抱いていた。だがその心根には、彼女を「ノウゼンの大切な保護対象」として見る、どこか庇護者目線の過保護さが混ざっていた。
突如、暗闇からバサバサバサッ! と群れをなして襲いかかってくるゴルバットやガントルたち。
「あ、野生の——」
「ソルッ!」
マチエールたちが構える暇すら与えず、アブソルは洞窟の壁を蹴り上げて飛翔。目にも留まらぬ速さで駆け抜け、『つじぎり』の漆黒の刃と『サイコカッター』の鋭利な光波を繰り出す。ドカァン! と音を立てて敵を粉砕し、「自分一人で十分だ、下がっていろ」と言わんばかりに、振り返りもせず先を急ぐアブソル。
「すごい……! でも、アブソル! 無理しないで、あたしたちのことも頼ってよ!」
「ふにゃあ!」
もこおも同意するように鳴くが、アブソルはフッと息を吐き、静かに首を振るだけだった。自分が完璧な盾であり剣であればいい——不器用なまでの忠義と高いプライドが窺えた。
◇
そんな道中、一行は一匹の傷ついた『クチート』と出くわす。その胸元には、加工前の原石の『クチートナイト』が大切な宝物のように固く抱きしめられていた。
人間に対する激しい警戒心と恐怖で体を震わせるクチート。アブソルが牽制の構えをとる中、マチエールともこおは即座に前へ出て、ポンと手を開いて屈託のない笑顔を向けた。
「大丈夫だよ、怖がらないで。あたしたち、怪しいものじゃないよ!」
「ニャ〜パ♪」
「驚かせてごめんね。あたしは『マチエール』! こっちはパートナーの『もこお』だよ。……あ、足を痛めてるんだね。じっとしてて、今手当てするからね」
「ニャ〜パ!」
マチエールはリュックから迅速にキズぐすりや清潔な包帯を取り出すと、優しく慎重な手つきでクチートの足の傷を包み込んでいった。人間に恐怖心を抱いていたクチートだったが、痛みを気遣う温かい手つきと真っ直ぐな瞳に毒気を抜かれ、次第にその緊張をほぐしていく。
手当てを終えたマチエールは、クチートが片時も離さず大事そうに抱えている石に目を留めた。
「よし、これで大丈夫! ……ねえ、その石、とっても綺麗な色。君の大切な宝物なの?」
優しく語りかけられたクチートは、抱えていたストーンをぎゅっと胸に引き寄せると、一瞬だけ照れくさそうに目を泳がせた。そして、大きな瞳を少し潤ませながら、こっくりと可愛らしく「うん」とうなずいて見せたのだ。
「ふふっ、やっぱり! 君にすごく似合ってるよ!」
マチエールが無邪気に笑いかけると、クチートは照れくさそうに頭をかき、頭の後ろにある大きなアゴをゆらゆらと嬉しそうに揺らした。マチエールたちへの警戒心は、いつの間にか温かな信頼へと変わっていた。
「よしっ、手当て完了! それじゃあ、あたしたちも先を急ごう! シャラシティは……こっちだね!」
マチエールが「行くよ〜!」と元気に一歩を踏み出した……その瞬間。
「ソルッ!?」
「ニャ、ニャ〜〜!?」
アブソルともこおが慌ててマチエールの服の裾をくわえて引っ張った。マチエールが指さした先は、先ほど自分たちが通った方向だったからだ。
「えっ……? ち、違うの? こっちじゃなかった……?」
「ふにゃあ……(全然違うよ……)」
困り果てた表情で頭をかくマチエールと、呆れ顔でため息をつくもこお。その微笑ましいやり取りをまじまじと見つめていたクチートは、後ろの大アゴをぽりぽりと掻きながら、不思議そうに問いかけるように「クチ?(道に迷ってるの?)」と首をかしげた。
「ニャ〜パ! ニャン、ニャ〜!(うん。ボクたち、シャラシティのほうに行きたいんだ)」
もこおが困り顔で身振り手振りを交えて答えると、クチートはポンと自分の胸を叩いた。そして、「あたしが案内してあげる!」と言わんばかりに、ちょこちょこと先頭に立って歩き出したのだ。
「あ、案内してくれるの? ありがとう、クチート!」
頼もしい小さなガイドさんの登場に、マチエールともこおは顔を見合わせてニッコリ。一方で、自分が完璧にエスコートするつもりだったアブソルは、先頭を誇らしげに歩くクチートの背中を「むぅ……」と少し悔しそうな目で見つめていた。
だがその時——ドカァァンッ!! と爆音とともに岩壁が激しくぶち破られた。
「ハハハ! 見つけたぞ、メガストーン持ちのクチートだ!」
「なんなのよ、あなたたち! 突然現れて、何をするのよ!!」
突如として岩壁を破って現れた謎の男女に対し、マチエールはすさまず前に躍り出て怒りを露わに叫んだ。
だが、洗脳装置『あやつりのコテ』を不気味に光らせた二人組は、鼻で笑いながら下卑た笑みを浮かべる。
「へっ、なんだこのガキは? 見て分からねえか? 俺たちはポケモンを狩って金にするプロ……『ポケモンナッパーズ』様だよ!」
「フフッ、運が良いわ! あいつ『クチートナイト』まで抱え込んでるじゃない! メガストーンとセットのポケモンなんて、裏市場の好事家に売れば言い値で跳ね上がるわ!」
自分の金儲けの道具としか思っていない身勝手な言葉を垂れ流すナッパーズ。その横では、不気味な洗脳光線によって正気を奪われ、瞳を血のように赤く染めたカイリキーとハリテヤマが、苦しみと怒りの交じった凶暴な咆哮を上げていた。
「このクチートはメガストーンごといただく! 邪魔するガキは痛い目を見せるぞ!」
「‥‥‥!! ふざけないで!ポケモンは道具じゃない……! 人間の金儲けのために傷つけるなんて、絶対に許さない!」
大切なものを奪われそうになり怯えていたクチートの瞳に、自分たちのために激怒し、立ちふさがるマチエールと手持ちたちの背中が映る。
アブソルが前へ出ようとするのを、マチエールはすっと手で制した。
「アブソルは下がってて。あたしを……ハンサムハウスの『所長』をナメないで!」
マチエールが掲げたモンスターボールから、クロバットとカラマネロが飛び出す。
「カイリキー、『クロスチョップ』だ! ハリテヤマ、『つっぱり』!!」
操られた巨漢二匹がドスン! ドスン! と地鳴りを立てて迫り来る。
「クロバット、超高速で攪乱!『あやしいひかり』!」
キィィィン……ッ!
洞窟の狭い空間を翼音もなく音速で跳び回るクロバット。残像を残しながら放たれた妖しく揺らめく光の輪が、突進する二匹の視界を正確に眩ませる。
狂乱したカイリキーとハリテヤマの放った強烈な拳が虚しく空を切り、互いの巨体を誤って突き飛ばし合って大きく体勢を崩した。その一瞬の隙を、マチエールは見逃さない。
「今だ、カラマネロ!『ひっくり返す』!!」
指示と同時に、カラマネロが触手を不気味に蠢かせ、眩い異彩の波動を放射する。洗脳装置によって強制的に引き上げられ、異常なまでに高まっていたカイリキーたちの凶暴化ステータスが一瞬にして反転。
底上げされていた力が根こそぎ奪われ、反動と急速な疲弊によって正気を取り戻した二匹は、白目をむいて崩れ落ちるように地煙を上げて倒れ込んだ。
「ひぃぃっ!? な、なんだあのガキの手慣れた連携は!? あたしたちの洗脳ポケモンが……一瞬で崩された!?」
「くそっ、覚えてろよ! 逃げろ〜〜っ!」
自分たちの戦力が一瞬で無力化されたことに恐怖したナッパーズの二人組は、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように洞窟の出口へと一目散に逃げ出していった。
ナッパーズの二人組は悲鳴を上げて洞窟の出口へと一目散に逃げ出していった。
一部始終を見ていたアブソルは、驚きに目を見開いていた。「守られるだけの存在」だと思っていた少女が見せた、隙のない指揮と圧巻の戦術。アブソルの中で、マチエールは「保護対象」から、背中を預けられる「一人の立派なトレーナー」へと変わった瞬間だった。
アブソルは静かに歩み寄ると、マチエールの頬を……ちろりと温かく一舐めした。
「ふふ……認めてくれたの? ありがとう、アブソル!」
マチエールは笑うと、すぐ側で恐怖で固まっているクチートの元へ駆け寄り、その場に優しく膝をついた。
「もう大丈夫だよ。悪い奴らは、あたしたちがやっつけたからね!」
マチエールは傷ついたクチートの体を包み込むようにそっと撫で、目線を合わせて優しく語りかけた。
「大丈夫だった? 君のその大切な宝物、絶対に誰にも奪わせないよ」
自分を最後まで守り抜いてくれた温かい手のひらと、まっすぐな瞳。クチートの目からポロポロと涙がこぼれ落ち、怯えは完全な信頼へと変わっていた。
◇
一方、操っていたポケモンを破られ、命からがら洞窟の出口へと逃げ延びてきたナッパーズの二人組。
「ハァ……ハァ……クソッ、あのガキ、覚えてやがれ……!」
捨てゼリフを吐きながら光の差す出口へと飛び出した二人だったが——その足をピタリと止めた。出口の眩い光を背に、ノウゼンが冷徹な瞳で見下ろしていたからだ。
「……へぇ。『ガキ』、か。どうやら俺の連れが、世話になったようだな」
二人の口ぶりから、マチエールたちが襲われたことを理解したノウゼンの怒りは、静かに、だが致命的なまでに高まっていた。
「ゾロアーク。たっぷりとお礼をしてやろう」
「クゥガァァァッ!!」
ギラリ! と紅く輝くゾロアークの瞳。 次の瞬間、ノウゼンの影がドロリ……と黒く蠢き、ナッパーズの視界は血のような赤と底なしの暗闇へと塗り替えられた。幻影が織りなす絶望の景色。耳を裂く悲鳴、己の身体が崩れていく錯覚——正気を狂わせるほどの「悪夢に等しい恐ろしい幻影」が二人を直撃した。
「「ひぃぁぁぁぁっ!? ごめなさぁぁぁい!!」」
二人は白目をむいて泡を吹き、バタンッ! と倒れ込んで完全に気絶、御用となった。
それから間もなく、洞窟の出口からマチエールたちが姿を現した。
「ノウゼーン!」
「マチエール!」
駆け寄ってくるマチエール。足元にはクチート、そして隣には誇らしげに胸を張るアブソルの姿がある。倒れているナッパーズを一瞥したノウゼンは、いつもの優しい表情に戻ると、彼女を見つめた。
「大丈夫だったか? 怪我はないか、マチエール」
「うん! なんとも!!」
太陽の光が降り注ぐ中、とびきりの笑顔で答えるマチエール。ノウゼンはホッと胸を撫で下ろし、アブソルがマチエールに深い信頼を寄せている様子に温かな目を向けた。
「無事で何よりだ。アブソル、マチエールを守ってくれてありがとう」
「ソル!」と誇らしげに鳴くアブソル。
◇
警察に連絡し、ナッパーズの二人組を連行してもらった後。
「さて、それじゃあシャラシティの街へ向かお——」
マチエールが歩き出そうとしたその時、ちょこん、ちょこん……と後ろから小さな足音がついてきた。振り返った先には、胸元に『クチートナイト』を大切に抱えたクチートの姿。
「クチート……? もしかして、あたしたちについてきてくれたの?」
洞窟でマチエールが見せてくれた強さと、温かい眼差し。自分をひとりの大切な存在として守り抜いてくれたマチエールと一緒にいたい、一緒に強くなりたい——クチートの瞳には強い決意が宿っていた。
「ねえ、クチート。……あたしたちと一緒に来る?」
その問いかけに、クチートは抱きしめていたメガストーンをキュッと握り直すと——照れくさそうに、けれど誇らしげに、深くうなずいた。
「クチッ!」
マチエールが差し出したボールに自ら頭を触れさせ、カチリと心地よい捕獲音が響く。
ボールから再び飛び出したクチートは、大切そうに『クチートナイト』を抱え直した。マチエールはその隣にしゃがみ込み、綺麗なストーンを優しく撫でる。
「この綺麗な石も、大切に持っていようね」
その様子を見守っていたノウゼンが、深く頷きながら言葉を添えた
「……良かったな、マチエール」
「ふふっ、ありがとうノウゼン! えへへ、仲間が増えちゃった!」
新しい仲間・クチートを連れて、マチエールは嬉しそうに胸を張る。
洞窟の出口を抜けた二人の視界が一気にひらけた。目の前に広がるのは、太陽の光を反射してキラキラと輝く群青色の広大な海。そして心地よい潮風の向こうには、伝統的な街並みと、海上に聳え立つ巨大な『マスタータワー』のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。
地底洞窟の試練は二人の絆をより強くし、かけがえのない新たな出会いをもたらしてくれたのだった。
心地よい潮風が吹くシャラシティの街並みが、二人を優しく迎え入れようとしていた。