Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
黒瀬から指定された時刻より、十分ほど早くショッピングモールの貸しスペースへ向かった。
別に急ぐ必要はなかった。
黒瀬が何を企んでいるのか、事前に確認しておいた方がいい。ただそれだけだ。
昨日の時点で聞かされている内容は、「須藤と石崎たちを一緒に食事させる」というものだった。
目的は仲直り。
方法は食事。
少なくとも、俺なら採用しない。
双方の主張が対立し、一方は相手を退学へ追い込もうとしている。その両者を同じテーブルにつかせ、食事を与えれば関係が改善する。
黒瀬は本気でそう考えているらしい。
成功する可能性がゼロだとは言わない。ただし効率が悪く、再現性も低い。何より、相手に話し合う意思がなければ成立しない。
昨日そのことを説明したが、
「やってみないと分かんなくない?」
の一言で終わった。
いつものことだ。
貸しスペースの前まで来て扉を開けると、まず料理の匂いがした。
「あ、清隆」
室内にいた黒瀬が振り返る。
「早くない?」
「お前こそ」
「俺は準備あるから」
部屋の中央には長机が二つ並べられていた。
その上には、既にかなりの量の料理が並んでいる。
中央に置かれたハンバーグ。
その隣には、唐揚げが山のように盛られている。
形が少しずつ不揃いな餃子。
深めの皿へ並べられたロールキャベツ。
他にもサラダや簡単な副菜、買ってきた惣菜、飲み物まで用意されていた。
昨日、黒瀬がスマートフォンで材料を選んでいたのは見ていた。
だが、実際に目の前へ並んでいる量は、俺の想像を上回っていた。
「これを全部買ったのか?」
「ん? ああ、違う違う」
黒瀬は何でもないことのように答えた。
「作ったのもあるよ」
「どれだ」
「結構」
近づいて見る。
市販品と区別がつかないほど完璧、というわけではない。
むしろ逆だった。
ハンバーグは比較的綺麗に形が揃っている。唐揚げも悪くない。一方で餃子は包み方にかなり差があり、ロールキャベツにも少し不格好なものが混じっている。
慣れているものと、初めて作ったもの。
見れば大体分かる。
その時、黒瀬が空いていた皿を持ち上げた。
右手の指に、絆創膏が二枚貼られていた。
左手にも一枚。
「黒瀬」
「ん?」
「その手は?」
「あー、これ?」
自分の指を見てから、軽く持ち上げる。
「ちょっと切ったw」
「ちょっと、が三か所あるな」
「作ったことないやつあってさ。包丁ミスった」
笑っている。
よく見ると、目元にも薄く影があった。
「寝てないのか」
「寝たよ?」
「何時間だ」
「……」
「黒瀬」
「三時間くらい?」
「それを寝たとは言わない」
「三時間は寝てるじゃん」
「何時まで作ってた」
「途中から時計見てないw」
黒瀬はそう言いながら、餃子の皿を少し右へずらした。
本人にとっては大した問題ではないらしい。
「買えばよかっただろ」
「全部?」
「ああ」
「それだと高いじゃん」
「貸しスペースまで借りてる時点で、今さらだろ」
「それはそうなんだけど」
黒瀬は少しだけ考えてから、ハンバーグを指した。
「これ須藤くん用」
「前に好きそうだったからか」
「そうそう。学食でめっちゃ美味そうに食ってたし」
次に唐揚げ。
「こっちは石崎くん」
それから餃子。
「小宮くんはこれ。野菜多めの餃子好きって言ってたから、キャベツめっちゃ刻んだ」
最後にロールキャベツ。
「で、これ近藤くん」
「……全部、昨日聞いたやつか?」
「うん」
「そんな話をしていたか?」
「してたじゃん。飯何好きって」
記憶を辿る。
確かにしていた。
事件の供述とは何の関係もない雑談だったため、俺は重要度の低い情報として意識から外していた。
黒瀬にとっては、そうではなかったらしい。
「全員の好物を作ったのか」
「好きなもん食った方がテンション上がるっしょ?」
「仲直りとの因果関係は?」
「知らんw でも嫌いなもん出すよりよくない?」
「それはそうだが」
「じゃいいじゃん」
黒瀬は満足そうに笑った。
昨日、こいつは石崎たちの前で、自分にはほとんどポイントが残っていないと話していた。
もちろん本当に一ポイントも持っていないわけではない。相談部を始めてから、少しずつ残高は戻っている。
だが、この部屋を借り、これだけの食材を揃えれば、その大半はまた消えたはずだ。
場所を借りた。
食材を買った。
昨日の何気ない雑談を覚えていた。
作ったことのない料理を調べた。
睡眠時間を削った。
手も切った。
そこまでして、黒瀬が得るものは何か。
須藤が退学を免れる。
それだけなら、他に方法はいくつもある。
まして、石崎たちとの関係改善に使ったポイントが黒瀬自身へ返ってくる保証など、どこにもない。
「清隆、これそっち置いて」
「どれだ」
「その皿」
言われた通り、サラダの皿を移動させる。
「ありがと」
「俺まで準備要員になってないか」
「来るの早い清隆が悪いw」
「帰るぞ」
「待って待って」
黒瀬が笑いながら俺の制服の袖を掴んだ。
「せっかく来たんだから手伝ってよ」
「お前が勝手に始めたんだろ」
「そうだけど、一人より二人の方が早いじゃん?」
またそれだ。
黒瀬にとっては、それで十分な理由になる。
結局、残りの準備を手伝うことになった。
紙皿を並べ、飲み物を冷やし、壁際に置かれていた椅子を運ぶ。
その間にも、黒瀬は何度か欠伸を噛み殺していた。
「眠いなら座ってろ」
「まだ平気」
「目の下にクマがあるぞ」
「マジ?」
黒瀬はスマートフォンのカメラを開き、自分の顔を確認した。
「うわ、ちょっとあるじゃん」
「気づいてなかったのか」
「化粧で誤魔化せると思ったんだけどなぁ」
「今日はもう遅いだろ」
「まあいっか」
そう言って、また動き始める。
本人は平気でも、身体は平気ではない。
そういう部分まで、黒瀬は自分のことになると雑だった。
「黒瀬」
「ん?」
「次からは寝ろ」
「次?」
「同じことをするならだ」
黒瀬が少し意外そうな顔をした。
それから、にやりと笑う。
「清隆、次も手伝う気じゃんw」
「そういう意味じゃない」
「はいはい」
訂正しても聞いていない。
やがて指定時刻が近づいた。
最初に来たのは須藤だった。
「黒瀬、何の――」
扉を開けた須藤が、途中で言葉を止める。
「お、来た来た」
「……なんだこれ」
「飯」
「見りゃ分かる」
須藤はテーブルを見回した。
「俺だけ?」
「もう来るよ」
「誰が?」
「もうちょい待って」
「なんで言わねえんだよ」
「サプライズ」
「嫌な予感しかしねえんだけど」
その予感は正しい。
数分後、再び扉が開いた。
「黒瀬、来たぞ。何の――」
石崎が止まった。
その後ろに小宮と近藤がいる。
須藤も止まる。
互いの顔を見る。
部屋の空気が、一瞬で変わった。
「……は?」
須藤。
「……あ?」
石崎。
黒瀬だけが笑顔だった。
「はい、仲直り会でーす」
数秒の沈黙。
「帰る」
「帰るぞ」
須藤と石崎が、ほぼ同時に踵を返した。
「待って待って待って!」
黒瀬が慌てて二人の間へ割って入る。
「なんで帰んの!?」
「聞いてねえぞ!」
須藤が怒鳴る。
「俺もだ!」
石崎も負けずに声を上げた。
「言ったら来なかったじゃん!」
「当たり前だろ!」
「だから言わなかった!」
「お前それ騙したって言うんだよ!」
「仲直りの騙し討ちだからセーフ!」
「アウトだ!」
昨日と同じ結論だった。
しかも今度は須藤からも否定されている。
黒瀬はそれでも引かなかった。
「とりあえず飯だけ食って!」
「いらねえ!」
「いや待って、こんだけあんの! 一人じゃ食えないって!」
「知るか!」
「持って帰るのも無理だし! 食ってから帰ればいいじゃん!」
「お前が勝手に用意したんだろ!」
「そうだけどさぁ!」
須藤が何か言い返そうとして、不意に黒瀬の手を見た。
「……お前、その手どうした」
「ん?」
黒瀬も自分の指を見る。
左右合わせて三枚の絆創膏。
「ああ、これ? 料理してる時ちょっと切ったw」
「ちょっとって数じゃねえだろ」
「慣れてないやつ作ったから」
須藤の視線がテーブルへ向いた。
同じように、小宮たちも料理を見る。
「……これ、作ったのか?」
小宮が聞いた。
「うん。全部じゃないけど」
「どれ」
「ハンバーグと唐揚げと餃子とロールキャベツ。あと何個か」
「……」
「デザートとか飲み物は買ったよ。そこまで作ってたら間に合わんw」
三人が黙った。
黒瀬には、その沈黙の意味が分かっていないようだった。
小宮がテーブルの一角で足を止める。
「……餃子」
「うん」
黒瀬が頷く。
「小宮くん、野菜多め好きって言ってたじゃん」
「……覚えてたのか?」
「昨日聞いたばっかじゃんw」
「いや、そうだけど……」
小宮はそれ以上何も言わなかった。
近藤も、その隣の皿を見ている。
「これ……ロールキャベツ?」
「そう」
「作ったのか?」
「作った。あれクソめんどいねw」
「……」
「近藤くん、よくこんなの好きだな」
「俺は食う方だから知らねえよ」
「それ昨日も言ってたw」
近藤が僅かに視線を逸らす。
最後に、石崎が唐揚げを見る。
「石崎くんはそれね」
「……」
「唐揚げ」
「見りゃ分かる」
「好きなんでしょ?」
「……まあ」
「じゃ食ってってよ」
黒瀬はそれだけ言った。
昨日、自分がほとんどポイントを持っていないことまで話した相手に向ける態度としては、あまりにも軽い。
帰ると言い出す方が、徐々に難しくなっていた。
それを狙っていたわけではない。
少なくとも黒瀬は。
しかし結果として、石崎たちの足を止めている。
須藤も同じだった。
不満そうではあるが、テーブルのハンバーグへ何度か視線を向けている。
「須藤くんも好きなやつあるよ」
「……」
「食べない?」
「……飯だけだぞ」
「よし!」
「仲直りはしてねえからな」
「飯食ったら考えよw」
「考えねえ!」
石崎も舌打ちした。
「俺らも飯だけだからな」
「うんうん」
「勝手に納得すんな」
結局。
全員が席についた。
◇
気まずい。
その言葉以外に適切な表現が見つからなかった。
長机を挟んで、須藤と石崎が向かい合う。
小宮と近藤は石崎側。
俺と黒瀬はその中間。
黒瀬は何を考えたのか、わざわざ敵対している二組が向かい合う席順にしていた。
話しやすいと思ったらしい。
実際には、睨み合いやすいだけだった。
「……」
「……」
誰も喋らない。
箸と皿が触れる音だけが続く。
その中で、黒瀬だけが普通に食べている。
「これ美味くない?」
誰にともなく言った。
返事はない。
「須藤くん、それ肉取って」
「自分で取れ」
「届かない」
「俺の方が遠いだろ!」
「じゃ石崎くん取って」
「なんで俺が!」
「近いじゃん」
石崎が心底嫌そうな顔をする。
しかし数秒後、結局皿を取って黒瀬の前へ置いた。
「ありがと」
「……」
「石崎くん優しいじゃん」
「うるせえ」
須藤が鼻で笑う。
「何笑ってんだよ」
「別に」
「言いたいことあんなら言え」
「やんのか?」
「やめてってw」
黒瀬が即座に割って入った。
「飯食いながら喧嘩すんなって」
「お前が会わせたんだろ!」
「仲直りさせるために!」
「無理に決まってんだろ!」
「まだ始まって十分くらいじゃん!」
それから再び沈黙が戻る。
俺は特に会話へ参加せず、様子を見ることにした。
石崎たちは昨日より明らかに黒瀬への警戒を弱めている。
完全に消えたわけではない。
だが、黒瀬が自分たちを追い詰めるためにここへ呼んだわけではないことくらいは、理解し始めている。
用意された料理を見れば、それも当然だった。
小宮が餃子を一つ口に運ぶ。
数回噛んでから、僅かに眉を上げた。
「……これ、黒瀬が作ったんだよな」
「うん。どう?」
「普通に美味い」
「マジ?」
黒瀬の顔が明るくなる。
「よかったー。餃子初めてだったんよ」
「初めて?」
「包むの地味にムズくない? 途中から形どうでもよくなったw」
確かに、よく見れば一つ一つの形は少しずつ違う。
「……野菜、多めにしたのか?」
「したよ。小宮くんそういうの好きって言ってたじゃん」
「……」
「キャベツ刻むの途中から飽きたわw」
小宮の視線が黒瀬の指へ落ちる。
「その手……」
「ん?」
「それ作ってる時に切ったのか?」
「どれで切ったか覚えてないw 餃子かロールキャベツのどっちかじゃね?」
「……」
「何?」
「いや」
小宮は俯き、もう一つ餃子を取った。
先ほどより、口数が減った。
近藤はロールキャベツを半分ほど食べてから、黒瀬を見る。
「これも初めて?」
「うん」
「……大変だったろ」
「めっちゃ。キャベツ破れるし、巻いても開くし。途中でこれ考えた奴にキレそうだったw」
「じゃあ買えばよかったじゃん」
「清隆にも言われた」
「なら買えよ」
「でも近藤くんこれ好きって言ってたじゃん」
「……買ったやつでも同じだろ」
「まあそうなんだけど」
黒瀬は笑った。
「せっかくなら作った方がよくね?」
「……」
「何?」
「いや、別に」
近藤もそれ以上何も言わず、残りを食べた。
黒瀬自身は何も気づいていない。
しかし、俺には分かる。
昨日までは黒瀬のことを警戒していた三人が、今は別の理由で居心地を悪くしている。
「石崎くん」
「あ?」
「唐揚げどう?」
「……普通」
「普通かぁ」
「いや」
石崎が一つ摘まむ。
「まあ、美味いけど」
「マジ?」
黒瀬が露骨に嬉しそうな顔をする。
「よかった。揚げ物って油めっちゃ使うね」
「……」
「何?」
「お前」
「ん?」
「昨日、ポイントほとんどねえって言ってなかったか?」
「言ったよ」
「じゃあこれ、どうしたんだよ」
「買ったけど」
「そうじゃねえよ。金ねえんだろ」
「昨日よりさらにないねw」
「……は?」
「部屋代と材料で結構飛んだ」
「じゃあなんで――」
石崎がそこで言葉を切った。
「なんで?」
「……いや」
「?」
「もういい」
石崎は視線を逸らし、唐揚げをもう一つ取った。
黒瀬は不思議そうにしていた。
おそらく、本当に分かっていない。
自分では外食するポイントすら惜しんでいた人間が、翌日には敵対クラスの人間の好物へ、その残りを使っている。
受け取る側がどう感じるか。
黒瀬だけが理解していない。
そうしている間にも、最初の刺々しい空気は少しずつ崩れていった。
須藤も先ほどから石崎たちを睨む回数が減っている。
料理を挟んだから、というだけではない。
黒瀬が間にいる。
それも大きいのだろう。
「……なあ」
最初に口を開いたのは、小宮だった。
「ん?」
黒瀬が顔を上げる。
「お前、なんでここまでやんの?」
「何が?」
「何がって……」
小宮がテーブルを見る。
「部屋まで借りて、俺らが好きだって言ったもん作って。昨日、ポイントもほとんどないって言ってただろ」
「うん」
「手まで切って、寝てねえんだろ?」
「三時間は寝たってw」
「そういう話じゃねえよ」
小宮の声には、苛立ちに近いものが混じっていた。
ただし、それが黒瀬へ向けられたものではないことくらいは分かる。
「俺らCクラスだぞ」
「知ってる」
「須藤と揉めてる」
「それも知ってる」
「……もしかしたら、俺らが嘘ついてるかもしれないんだぞ」
「おい、小宮」
石崎が低く止める。
それでも小宮は、黒瀬から目を逸らさなかった。
「それでもなんで、こんなことすんだよ」
黒瀬は箸を置いた。
少しだけ考える。
本当に少しだけ。
「でも、ずっと喧嘩してんのダルくない?」
「……は?」
「卒業まであと何年もあるじゃん」
「だから?」
「仲良い方が楽しいじゃん」
小宮が呆けたような顔をする。
石崎も、近藤も。
黒瀬は続けた。
「別に親友になれって言ってないよ? でも顔見るたび喧嘩すんのしんどくない?」
「クラスが違うだろ」
石崎が言う。
「だから?」
「敵だ」
「昨日も言われたけどさ」
黒瀬が笑う。
「敵っていうか、同じ学校じゃん?」
「……」
「須藤くんも石崎くんたちも、別に一生ここにいるわけじゃないし。高校くらい普通に楽しくやった方がよくない?」
「お前……」
小宮の表情が変わる。
少なくとも、俺にはそう見えた。
何かに耐えている。
黒瀬は気づかず、飲み物へ手を伸ばした。
「あとさ」
「まだあんのかよ」
「石崎くんたちも怪我してんじゃん。須藤くんも今回退学とか言われてるし。もうみんな損してるじゃん?」
「……」
「これ以上損すんの、もったいなくない?」
経済的な意味で言っているわけではない。
ただ、黒瀬らしい表現だった。
小宮が俯く。
箸を置いた。
「……黒瀬」
「ん?」
「俺らも」
「うん?」
「俺らも悪かった」
空気が止まった。
須藤が顔を上げる。
石崎が勢いよく小宮を見る。
「おい、小宮」
「でもそうだろ」
「黙れ」
「無理だって」
「小宮!」
「だって……」
小宮は黒瀬を見る。
薄く残った目の下のクマ。
何枚も貼られた絆創膏。
ほとんどポイントがないと言っていた翌日に用意された、自分たちの好物。
昨日まで、まともに話したことすらなかった相手のために用意されたものだ。
「こいつ、何も知らねえのに」
「何が?」
黒瀬は本当に分かっていなかった。
「俺らが何してるかも知らねえのに、なんで……」
小宮は最後まで言えなかった。
言葉にしてしまえば、自分たちが何をしているのかまで認めることになる。
数秒。
小宮は俯いたまま黙った。
そして。
「……もう無理だ」
石崎の顔が強張る。
「小宮」
「最初に煽ったの、俺らだ」
須藤の表情が変わった。
黒瀬は黙って聞いている。
「小宮!」
「もういいだろ、石崎!」
今度は小宮が声を荒らげた。
「俺、もう無理だわ」
「龍園さんに何て言うんだよ!」
「知らねえよ!」
一瞬だけ。
その名前が部屋に残った。
龍園。
やはり関わっている。
俺は口を挟まなかった。
今は続きを聞く方がいい。
小宮は呼吸を整える。
「須藤が来るって分かってた。俺らが呼び出した」
「……」
「挑発したのも俺らだ」
「小宮」
石崎の声が弱くなる。
「最初に手ぇ出したのも……俺ら」
近藤も顔を伏せる。
「……俺も」
小さな声だった。
「近藤、お前まで」
「だって本当じゃん」
「……っ」
石崎が拳を握る。
須藤は何も言わず三人を見ている。
黒瀬も驚いている。
「じゃ、須藤くん嘘ついてなかったんだ」
「当たり前だろ!」
須藤が思わず叫んだ。
「疑ってたのかよ!」
「信じてたってw」
「今の言い方完全に疑ってただろ!」
「確認できたって意味!」
「ったく……」
須藤は一度、鼻から息を吐く。
そして小宮たちを見る。
「……でも」
言葉が続かない。
須藤にとっても予想していなかったのだろう。
敵側が、自分たちから非を認めた。
ここで責めればいい。
嘘をついたことを責める。
退学させようとしたことを責める。
当然の権利だ。
だが。
「俺も悪かった」
須藤はそう言った。
黒瀬の目が少し大きくなる。
「須藤くん?」
「先にやられたのは本当だ。でも……俺もやりすぎた」
須藤は石崎を見る。
「腹立って、止まんなかった」
「……」
「怪我させたのは悪かった」
石崎は答えない。
それでも須藤は続けた。
「悪かった」
沈黙。
小宮が、
「俺らも……悪かった」
ともう一度言う。
近藤も頷いた。
最後に。
石崎が大きく舌打ちした。
「……俺らもだよ」
黒瀬の顔が一気に明るくなった。
「え、仲直りした!?」
「してねえ!」
須藤と石崎が同時に叫んだ。
「えー!」
「なんでそうなるんだよ!」
「今謝り合ったじゃん!」
「謝るのと仲良くすんのは別だ!」
石崎も声を上げる。
「そうだ! 須藤と仲良くする気なんかねえ!」
「俺だってお断りだ!」
「じゃなんで息合ってんの?w」
「「合ってねえ!」」
少なくとも。
息は合っていた。
黒瀬が声を上げて笑う。
小宮もつられたように笑った。
近藤も僅かに口元を緩める。
石崎と須藤はまだ不機嫌そうだったが、先ほどまでの険悪さとは違う。
事件は。
ほぼ終わった。
そう判断してもいい。
彼らが学校へ事実を話せば、須藤が一方的に暴行したという構図は崩れる。
こちらが集めていた周辺証言も、佐倉の証言も必要なくなる可能性が高い。
俺なら、石崎たちが撤回せざるを得ない材料を揃えただろう。
供述の矛盾。
周囲の証言。
事件前後の動き。
必要なら、さらに別の材料も探す。
相手に選択肢を残さない。
その方が確実だ。
だが。
黒瀬は何もしていない。
少なくとも、本人はそう思っているはずだ。
怪我を心配した。
話を聞いた。
何気なくした雑談を覚えていた。
食事を作った。
仲直りしてほしいと言った。
それだけ。
結果。
三人は、自分たちから口を開いた。
人間の行動には理由がある。
利益。
恐怖。
欲望。
義務。
あるいは、それらを複合したもの。
黒瀬の行動にも、当然理由はある。
ただ。
その理由が、俺には未だに理解しづらい。
自分のポイントを使い。
睡眠を削り。
手を傷つけてまで。
昨日までまともに話したこともなかった、敵対するクラスの人間へ食事を作る。
その先に、自分の利益はほとんどない。
だからこそ。
石崎たちには効いたのかもしれない。
「じゃさ!」
黒瀬が嬉しそうに言った。
「このまま先生に言えば全部終わるじゃん!」
小宮と近藤が顔を見合わせる。
石崎はまだ複雑そうな表情だった。
「……龍園さんが」
小宮が呟く。
その瞬間。
扉が開いた。
「俺がどうした?」
空気が凍った。
黒瀬も振り返る。
入口に、一人の男子生徒が立っていた。
長い髪。
こちらを見下ろすような視線。
初対面でも、誰なのかはすぐに分かった。
龍園翔。
Cクラスの実質的な支配者。
龍園は室内を見回す。
須藤。
俺。
石崎たち。
最後に。
黒瀬。
「随分楽しそうじゃねえか」
「龍園くん?」
黒瀬が言う。
「初めましてだな、黒瀬莉愛」
「俺のこと知ってんの?」
「最近名前を聞くんでな」
「マジ? 相談部?」
「クク。まあ、似たようなもんだ」
黒瀬は少し考えた。
そして。
「龍園くんも飯食う?」
俺は黒瀬を見る。
この状況で最初に出てくる言葉がそれなのか。
龍園も一瞬だけ黙った。
それから低く笑う。
「面白え女だな」
「まだ結構あるよ。何好き?」
「いらねえ」
「そっか」
黒瀬はあっさり引いた。
龍園はテーブルを見る。
食べかけの料理。
先ほどまで緩んでいた空気。
石崎たちの表情。
全てを理解するのに、時間は必要なかっただろう。
「石崎」
「……はい」
「何してる」
「いや……」
「小宮」
「……」
「近藤」
三人とも答えられない。
龍園の笑みが少し深くなった。
「まさか」
ゆっくりと部屋へ入ってくる。
「須藤と仲直りでもしてたのか?」
「いや、まだしてないよ」
黒瀬が答えた。
「でももうちょいだった」
「黒瀬」
俺は小さく呼んだ。
「ん?」
今は黙った方がいい。
そう伝えたつもりだったが、黒瀬には十分伝わらなかったらしい。
「龍園くんも仲直りしない?」
「誰とだ?」
「みんな?」
「クク」
龍園が笑う。
「お前、本当に何も分かってねえみたいだな」
「何が?」
「この学校がどういう場所かだよ」
「クラスで競争する学校でしょ?」
「分かってんじゃねえか」
「でも飯くらい一緒に食ってよくない?」
龍園は笑っていた。
だが、その目は笑っていない。
「くだらねえ」
次の瞬間だった。
龍園がテーブルの端を強く蹴った。
大きな音が響く。
「……!」
テーブルが大きく傾いた。
料理が滑る。
皿が床へ落ちる。
飲み物が倒れ、容器が転がり、並べられていた料理が床へ散っていく。
唐揚げ。
餃子。
ロールキャベツ。
ハンバーグ。
つい数分前まで、それぞれが食べていたもの。
一枚。
二枚。
皿の割れる音が続いた。
「……飯」
黒瀬が呟いた。
声が小さかった。
「てめえ!」
須藤が勢いよく立ち上がる。
「須藤くん!」
黒瀬が反射的にその腕を掴んだ。
「離せ黒瀬!」
「ダメ!」
「こいつ今!」
「分かってるって!」
「だったら――」
「また喧嘩したら意味ないじゃん!」
黒瀬の声が大きくなる。
須藤が止まった。
龍園は、その様子を面白そうに眺めていた。
「へえ」
「何」
黒瀬が龍園を見る。
怒っている。
少なくとも、俺にはそう見えた。
普段の笑顔はない。
だが。
「なんで飯ぶちまけんの」
出てきたのは、それだった。
「そこかよ」
「作ったんだけど」
「だから?」
「……食べ物粗末にすんのよくなくない?」
「クク。説教か?」
「いや普通に」
黒瀬は床に散らばった料理を見る。
少しだけ。
本当に少しだけ。
悲しそうな顔をした。
「せっかく作ったのに」
小宮が目を伏せた。
近藤も同じだった。
石崎は龍園と黒瀬を交互に見ている。
さっきまで自分たちが食べていた料理。
昨日、自分たちが何気なく口にした好物。
黒瀬の残り少ないポイントと、睡眠時間と、何枚もの絆創膏の代わりに並んでいたもの。
それが今、足元に散らばっている。
龍園は三人へ視線を向けた。
「帰るぞ」
「……」
「聞こえなかったか?」
「はい」
石崎が答える。
小宮と近藤も席を立つ。
黒瀬は止めなかった。
「石崎くん」
ただ、名前を呼んだ。
石崎が振り返る。
「……何だよ」
「今日は来てくれてありがとね」
「……」
「小宮くんも近藤くんも」
二人も黒瀬を見る。
「飯、途中になっちゃってごめんね」
なぜお前が謝る。
そう言いかけて、やめた。
石崎も同じことを思ったのかもしれない。
口を開いた。
だが、何も言わなかった。
小宮はもっと分かりやすかった。
床へ視線を落とし、唇を噛んでいる。
近藤も、黒瀬から目を逸らした。
「行くぞ」
龍園がもう一度言う。
三人は部屋を出ていく。
石崎は最後まで、一度だけこちらを振り返った。
正確には。
黒瀬を見ていた。
扉が閉まる。
残ったのは。
須藤。
黒瀬。
俺。
そして、床一面に散らばった食事だった。
「……クソ」
須藤が拳を握る。
「黒瀬、悪かった」
「なんで須藤くんが謝んの?」
「俺のせいだろ」
「違うって」
「でも」
「須藤くん帰っていいよ」
「は?」
「明日朝練あるんでしょ?」
「お前これ一人で片づけんのか?」
「清隆いるし」
なぜ俺が確定している。
だが、否定する気にもならなかった。
「俺もやる」
「いいって」
「よくねえ」
「須藤くん悪くないじゃん」
「それは関係ねえだろ」
黒瀬が少し目を丸くした。
俺も、同じことを思った。
「……清隆みたいなこと言うじゃん」
「は?」
「なんでもないw」
結局、須藤も片づけを手伝った。
ある程度終わったところで、俺が帰らせる。
須藤は最後まで不満そうだったが、明日の練習を理由に押し切った。
部屋に残ったのは、俺と黒瀬だけになった。
床にこぼれた飲み物を拭く。
割れた皿を一枚ずつ拾う。
「黒瀬」
「ん?」
「それは触るな」
「大丈夫大丈夫」
「割れてる」
「端っこ持てば――いたっ」
言った直後だった。
黒瀬が手を引く。
「見せろ」
「いや、平気」
「見せろ」
今度は少し強く言う。
黒瀬は素直に手を出した。
指先に小さな切り傷ができている。
血が滲んでいた。
「いたた……手、きっちったw」
「笑うところじゃない」
「今日めっちゃ手切るじゃん、俺」
「だから触るなと言った」
「清隆怒ってる?」
「怒ってない」
「ちょっと怒ってるじゃんw」
備え付けの救急箱を探す。
消毒し、絆創膏を貼る。
既に三枚。
そこへもう一枚増えた。
「絆創膏だらけじゃん」
「自業自得だ」
「かわいくない?」
「知らない」
「冷た」
黒瀬は笑った。
だが。
笑い方が少し弱かった。
再び床を見る。
料理はほとんど駄目になっていた。
何時間もかけて作ったもの。
睡眠時間を削って用意したもの。
ほとんど残っていなかったポイントを使ったもの。
昨日まで敵だった三人のために、覚えたことのない料理まで作った。
その大半が。
今はゴミ袋の中に入っている。
「……仲直りできそうだったのにな」
黒瀬が呟いた。
「そうだな」
「あとちょっとだったじゃん」
「ああ」
「須藤くんも謝ったし。石崎くんたちも謝ってたし」
「ああ」
「……なんで壊すかなぁ」
怒りより。
残念そうだった。
そこが。
俺には理解しづらい。
「お前は龍園に腹が立たないのか?」
「立つよ?」
「そうは見えない」
「飯ぶちまけたの普通にムカつく」
「それだけか?」
「それだけじゃないけど」
黒瀬はゴミ袋の口を結んだ。
「でも龍園くんにキレたら、また喧嘩じゃん」
「……」
「せっかく須藤くんたち、いい感じだったのに」
自分がされたことより。
そこを気にしている。
黒瀬は本当に。
自分の損失を勘定に入れない。
「失敗したなぁ」
黒瀬が少し笑った。
「結構いい案だと思ったんだけど」
「そうか?」
「清隆ひどくない?w」
「最初から成功率は低いと言った」
「結果論じゃん」
「事前に言っただろ」
「そうでした」
黒瀬は肩を落とす。
その時。
俺は先ほどの石崎たちの表情を思い出していた。
小宮は、自分たちの非を認めた。
近藤も同意した。
石崎も最後には謝った。
龍園が現れたからといって。
その事実まで消えたわけではない。
そして、彼らが帰る直前。
三人とも床に散った料理を見ていた。
黒瀬を見ていた。
特に小宮は。
自分のために作られた餃子が床へ落ちるところを見ていた。
近藤も。
石崎も。
黒瀬は、それに気づいていない。
「黒瀬」
「ん?」
「まだ失敗したとは限らない」
黒瀬が瞬きをする。
「え?」
俺は答えなかった。
今の段階では。
俺にも確信はない。
……ただ。
黒瀬が石崎たちの中に残したものまで。
龍園が蹴り飛ばせたとは、思えなかった。