Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」   作:ホモガキ

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第12話 相談料はジュース一本

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 教室へ入って最初に確認したのは、黒瀬の席だった。

 

 既に登校している。

 

 机に頬杖をつき、眠そうに欠伸をしていた。

 

 昨日より幾分ましには見えるが、目元にはまだわずかに疲労が残っている。

 

 手には四枚の絆創膏が残っていた。

 

 そのうち一枚は、昨日俺が貼ったものだ。

 

「おはよ、清隆」

 

「ああ」

 

「昨日ありがとね」

 

「何がだ」

 

「片づけ」

 

「お前一人にやらせる方が面倒だっただけだ」

 

「はいはい」

 

 いつものように笑う。

 

 昨日、床に散らばった料理を前に見せた落胆は、もうほとんど残っていないように見えた。

 

 切り替えが早い。

 

 あるいは、そう見せているだけなのかもしれない。

 

「須藤くん、どうなるかな」

 

「分からない」

 

「そっか」

 

「ただ、昨日の時点で状況は変わった」

 

「石崎くんたち?」

 

「ああ」

 

 小宮と近藤は、自分たちに非があることを認めた。

 

 石崎も最後には否定しなかった。

 

 龍園が現れたことで場そのものは壊されたが、そこで交わされた言葉まで消えたわけではない。

 

 問題は、彼らが学校側の前でも同じことを言えるかどうかだ。

 

「言ってくれるといいな」

 

 黒瀬はそう言った。

 

 俺なら、願望を前提に次の行動は決めない。

 

 彼らが前言を撤回した場合を考え、その時に使える材料を準備する。それが普通だ。

 

 黒瀬は違う。

 

 少なくとも昨日まで、石崎たちが自分で態度を変える余地を奪おうとはしなかった。

 

 追い込まない。

 

 脅さない。

 

 それでも、最後には自分たちで決めると考えている。

 

 俺には少し理解しづらい考え方だった。

 

 昨日の帰り際を思い出す。

 

 龍園に食事を台無しにされ、石崎たちがその龍園について帰ろうとした時でさえ、黒瀬が三人に向けたのは非難ではなかった。

 

『今日は来てくれてありがとね』

 

 あの場で、その言葉を選ぶ理由は俺にはない。

 

 だからこそ、あの三人にとっては重かったのかもしれない。

 

「綾小路くん」

 

 横から声をかけられた。

 

 堀北だった。

 

「昨日はどうだったの?」

 

 黒瀬がこちらを見る。

 

「仲直り会?」

 

「その呼び方を正式名称にしないでくれ」

 

「仲直り会だよ?」

 

「そこを否定しているんじゃない」

 

 堀北が怪訝そうに眉を寄せた。

 

「何があったの?」

 

 簡単に説明する。

 

 黒瀬が石崎たちを呼び出したこと。

 

 須藤と同席させたこと。

 

 小宮たちが自分たちの非を認めたこと。

 

 龍園が現れたこと。

 

 そして、食事会が途中で終わったこと。

 

 堀北は最後まで無言で聞いていた。

 

「……随分と」

 

「何?」

 

「あなたらしい解決方法ね」

 

 黒瀬に向けて言う。

 

「褒めてる?」

 

「褒めてはいないわ」

 

「またそれじゃん」

 

「ただ、石崎くんたちが本当に学校側へ事実を話すなら、結果としては悪くないでしょうね」

 

「でしょ?」

 

「まだ話したと決まったわけではないでしょう」

 

「清隆も同じこと言う」

 

「当然よ」

 

 黒瀬が不満そうに頬を膨らませる。

 

 しかし数秒後には、机の上にあった菓子へ手を伸ばしていた。

 

 このあたりはいつも通りだった。

 

 間もなく始業のチャイムが鳴り、茶柱先生が教室へ入ってくる。

 

 いつもと変わらない足取りで教卓の前に立った。

 

 ただ、出席を取る前に教室全体を見回す。

 

「須藤」

 

「……はい」

 

 呼ばれた須藤の表情が強張った。

 

 今回の件に関する話だと考えるのが自然だ。

 

「少し話がある」

 

「ここで?」

 

「ああ」

 

 茶柱先生は手元の資料へ目を落とした。

 

「Cクラス側から、今回の訴えを取り下げると申し出があった」

 

 一瞬。

 

 誰も反応できなかった。

 

「……は?」

 

 最初に声を出したのは須藤だった。

 

「取り下げ?」

 

「ああ」

 

「なんで?」

 

「本人たちが、自分たちにも非があったと認めた」

 

 教室がざわつく。

 

 池が大きく身を乗り出した。

 

「じゃ須藤、退学なし!?」

 

「話を最後まで聞け」

 

「あ、はい」

 

 茶柱先生が続ける。

 

「Cクラスの三名は、自分たちから挑発し、先に手を出したことを認めた。ただし、須藤が必要以上に反撃して相手に怪我を負わせたことも事実だ」

 

 須藤が黙る。

 

「したがって、双方に一定の責任があるものとして処理される予定だ。正式な処分内容は後日伝える。少なくとも、今回の件のみを理由にお前を退学処分とすることはない」

 

「……マジか」

 

「ただし」

 

 茶柱先生の声が少し低くなる。

 

「次があると思うな。短気は理由にならない。自制することを覚えろ」

 

「……はい」

 

 珍しく素直な返事だった。

 

 教室内に安堵が広がる。

 

 須藤に不満を持っていた人間も、退学という最悪の結果が回避されたこと自体にはほっとしているようだった。

 

「やったじゃん!」

 

 その中で、黒瀬が一番嬉しそうだった。

 

「須藤くん!」

 

「ああ」

 

「よかったー!」

 

 自分のことのように喜んでいる。

 

 いや。

 

 本人の中では、本当に自分のことと大差ないのかもしれない。

 

「黒瀬」

 

「ん?」

 

 須藤が席を離れ、黒瀬の前へ来た。

 

「……ありがとな」

 

「何が?」

 

「何がって」

 

「俺何もしてなくない?」

 

「してただろ」

 

「飯食っただけじゃん」

 

「お前が作ったんだろ!」

 

「あー」

 

 黒瀬が少し考える。

 

「でも結局、石崎くんたちが言ってくれたからじゃん?」

 

「その石崎たちが言ったのも、お前が――」

 

 須藤は途中で言葉を止めた。

 

 説明しづらいのだろう。

 

 俺も同じだった。

 

 黒瀬が何をしたのか、行動だけを並べれば簡単だ。

 

 話を聞いた。

 

 怪我を心配した。

 

 謝った。

 

 昨日の雑談を覚えていて、相手の好物を作った。

 

 仲直りしてほしいと言った。

 

 それだけだ。

 

 どこにも、石崎たちへ訴えを取り下げさせる強制力はない。

 

 だが結果として、彼らは自分たちから学校へ事実を伝えた。

 

「まあいい」

 

 須藤が頭を掻く。

 

「約束だったろ」

 

「何が?」

 

「成功したらジュース一本」

 

「……」

 

 黒瀬の目が輝いた。

 

「あ!」

 

「忘れてたのかよ!」

 

「覚えてた覚えてた!」

 

「嘘つけ」

 

「何買ってくれる?」

 

「一本っつっただろ」

 

「でかいやつ?」

 

「普通のだ!」

 

「じゃメロンソーダ」

 

「購買行ってこい」

 

「須藤くんが買ってきてよ」

 

「自分で行け!」

 

 周囲から笑いが起きる。

 

 今回の事件について。

 

 少なくともDクラス側では、これで一つの区切りがついた。

 

 ◇

 

 昼休み。

 

 黒瀬の机の上には、約束通り須藤から買ってもらったメロンソーダが置かれていた。

 

「うめー」

 

「一本で満足なのか」

 

「無料だからね」

 

「お前の食事会に使ったポイントを考えれば大赤字だぞ」

 

「その話まだする?」

 

「事実だ」

 

「でも須藤くん退学しなかったじゃん」

 

「それはそうだが」

 

「じゃいいじゃんw」

 

 簡単に言う。

 

 昨日の時点で、黒瀬のポイントはほとんど残っていなかった。

 

 相談部を始めてから少しずつ稼いではいたが、貸しスペースを借りて食材を買い、四人分の料理と飲み物まで用意した。

 

 残高はまたかなり減ったはずだ。

 

 それでも黒瀬は、須藤が退学しなかったという一点だけで満足している。

 

 費用対効果という考え自体がないわけではない。

 

 自分の損失だけ、勘定から抜け落ちやすい。

 

 それは美点とも言える。

 

 同時に、危険でもある。

 

「黒瀬さん」

 

 小さな声がした。

 

 佐倉だった。

 

 黒瀬が振り返る。

 

「あ、佐倉さん」

 

「今いい?」

 

「もちろん。相談?」

 

「……うん」

 

「マジ? 相談部?」

 

 黒瀬が嬉しそうに椅子を引く。

 

「どうぞどうぞ」

 

 佐倉は周囲を気にしながら、黒瀬の近くへ来た。

 

 俺と堀北もいることに気づき、少し緊張する。

 

「俺ら外した方がいいか?」

 

「あ……」

 

 佐倉が迷う。

 

 黒瀬がこちらを見る。

 

「清隆、一回どっか行く?」

 

「俺は別に構わない」

 

 立とうとした時だった。

 

「大丈夫」

 

 佐倉が小さく言った。

 

「いても、大丈夫」

 

「そう?」

 

 黒瀬はそれ以上確認しなかった。

 

「じゃ、何?」

 

 佐倉は手を握る。

 

 しばらく迷ってから口を開いた。

 

「昨日まで……言えなかったんだけど」

 

「うん」

 

「須藤くんのこと」

 

 黒瀬の表情が少し変わった。

 

 真面目になる。

 

「私……見たの」

 

 やはり。

 

 堀北もわずかに反応した。

 

「特別棟で?」

 

「うん」

 

「石崎くんたちと須藤くんが喧嘩したとこ?」

 

 佐倉が頷く。

 

「最初に手を出したのは……Cクラスの人たちだった」

 

「そっか」

 

「昨日、先生に話そうと思ってた」

 

「マジ?」

 

「うん」

 

「怖くなかった?」

 

「怖かった」

 

 佐倉は正直に答える。

 

「今も怖い。でも……須藤くんが退学になるのは違うと思ったから」

 

 黒瀬は少し黙った。

 

 それから笑う。

 

「そっか」

 

「でも、もう必要ないみたいだね」

 

「うん。石崎くんたちが自分で言ってくれた」

 

「……よかった」

 

 佐倉の表情が少し緩む。

 

「黒瀬さん」

 

「ん?」

 

「ありがとう」

 

「俺?」

 

「うん」

 

「なんで?」

 

 本当に分かっていない顔だった。

 

「待ってくれたから」

 

「……」

 

「昨日、無理に聞かなかったでしょ?」

 

「だって嫌そうだったじゃん」

 

「でも、須藤くんが困ってたのに」

 

「それと佐倉さんが怖いの別じゃない?」

 

 昨日と同じだ。

 

 誰が悪いかと、石崎たちが痛かったことは別。

 

 須藤を助けたいことと、佐倉が怖がっていることも別。

 

 黒瀬は物事を単純に考える。

 

 だが、単純だからといって雑なわけではない。

 

「話したくないなら、無理に話さなくていいと思っただけだよ」

 

「……ありがとう」

 

「じゃ相談終了?」

 

「うん」

 

「百ポイント」

 

「え?」

 

「嘘嘘w」

 

 佐倉が驚いた後、小さく笑った。

 

 黒瀬も笑う。

 

 これまで他人との接触を避けがちだった佐倉が、黒瀬の前では少しだけ自然な表情を見せている。

 

 本人は気づいていないだろう。

 

 また一つ、黒瀬の周囲に人との繋がりが増えた。

 

 ◇

 

 放課後。

 

 黒瀬と廊下を歩いていると、前方から見覚えのある三人が来た。

 

 石崎、小宮、近藤。

 

 三人ともこちらに気づく。

 

 黒瀬も気づいた。

 

「お」

 

 迷わず手を振る。

 

「石崎くーん!」

 

「声でけえよ!」

 

 石崎が露骨に嫌そうな顔をした。

 

 ただ、昨日までとは違う。

 

 本気で拒絶しているわけではないことくらいは分かる。

 

「聞いたよ」

 

「何を」

 

「取り下げたって」

 

「……ああ」

 

「ありがとね」

 

「お前が礼言うことじゃねえだろ」

 

「でも須藤くん助かったし」

 

「……」

 

 石崎が視線を逸らす。

 

 小宮と近藤も、少し居心地悪そうだった。

 

「昨日さ」

 

 小宮が口を開いた。

 

「飯……悪かったな」

 

「小宮くんたち悪くなくない?」

 

「いや」

 

「龍園くんがやったじゃん」

 

「でも、俺ら……」

 

 そこで止まる。

 

 黒瀬は首を傾げた。

 

「また作ればいいし」

 

「……また?」

 

「今度普通に飯食おうよ」

 

「は?」

 

「昨日途中だったじゃん」

 

「行くか!」

 

 石崎が即座に叫んだ。

 

「えー」

 

「なんで俺らが須藤と飯食わなきゃなんねえんだよ!」

 

「じゃ須藤くん抜きでもいいよ?」

 

「そういう問題じゃねえ!」

 

「俺とは飯食いたくないってこと?」

 

「めんどくせえ女だな!」

 

 石崎が頭を抱える。

 

 小宮が笑った。

 

 近藤も少しだけ笑っている。

 

 黒瀬も楽しそうだった。

 

「じゃ今度ね」

 

「決定すんな!」

 

「小宮くんは来る?」

 

「俺?」

 

「うん」

 

「……まあ、別に」

 

「おい小宮!」

 

「飯くらいいいだろ」

 

「近藤くんは?」

 

「俺も……まあ」

 

「お前ら!」

 

「石崎くんだけ来ない感じ?」

 

「誰が行かねえっつった!」

 

 一瞬。

 

 全員が止まった。

 

 石崎本人も気づいたらしい。

 

「……いや違う!」

 

 黒瀬が吹き出す。

 

「来るじゃんw」

 

「うるせえ!」

 

 三人はそのまま去っていった。

 

 少し離れてからも、石崎の声が聞こえている。

 

 黒瀬は笑ったまま見送った。

 

「仲直りしたじゃん」

 

「してないだろ」

 

「したって」

 

「少なくとも石崎本人は認めないだろうな」

 

「ツンデレ?」

 

「本人に言うなよ」

 

「言お」

 

「やめろ」

 

 黒瀬なら本当に言いかねない。

 

 その時、背後から低い声が飛んできた。

 

「黒瀬莉愛」

 

 黒瀬が振り返り、俺も足を止める。

 

 龍園だった。

 

 一人でいる。

 

 昨日の一件を考えれば、偶然ここを通りかかったわけではないだろう。

 

「龍園くん」

 

「昨日ぶりだな」

 

「昨日は飯ひっくり返してくれてどうも」

 

「根に持ってんのか?」

 

「食べ物粗末にすんの嫌いなんよ」

 

「クク」

 

 龍園は悪びれる様子もなく笑った。

 

 黒瀬も怒鳴るわけではない。昨日のことを忘れたわけではないらしいが、龍園本人を嫌悪しているようにも見えなかった。

 

 龍園は先ほど石崎たちが去っていった方向を一度だけ見る。

 

「石崎たちに何をした?」

 

「何って?」

 

「俺に黙って、あいつらが訴えを取り下げた」

 

「うん。聞いた」

 

「何を吹き込んだ?」

 

「何も?」

 

「とぼけるな」

 

「いやマジで」

 

 黒瀬が困った顔で俺を見る。

 

「俺なんか吹き込んだ?」

 

「少なくとも俺は聞いていない」

 

「だよね」

 

 龍園の目がわずかに細くなった。

 

「じゃあ、何をした」

 

「飯食った」

 

「……それだけか?」

 

「うん」

 

「そのためにわざわざ部屋を借りて、料理まで用意して、須藤と俺のクラスの連中を一か所に集めたのか?」

 

「そう」

 

「何のために?」

 

 黒瀬は少し考えた後、当然のことを答えるように言った。

 

「仲直り?」

 

 龍園はすぐには返さなかった。

 

「それだけか?」

 

「それだけっていうか、それ以外なくない?」

 

 昨日と同じ答えだった。

 

 龍園はしばらく黒瀬を見ている。

 

 疑っているというより、観察しているように見えた。何か裏の意図があるのか確かめているのだろう。

 

「石崎たちが須藤を嵌めようとしていたことは、途中で気づいてたんだろ?」

 

「まあね」

 

「だったら普通は追い込む。証拠を集めて、逃げ道を塞いで、二度と逆らえねえ形で叩き潰す」

 

「なんで?」

 

「敵だからだ」

 

 黒瀬が小さく笑った。

 

「またそれ?」

 

「何がだ」

 

「敵って言うけど、別に戦争してるわけじゃないじゃん」

 

「クク……黒瀬。お前はこの学園がどういう場所なのか、まだ分かっちゃいねえ」

 

「分かってるよ。クラスで競争する学校でしょ?」

 

「そんな生温い話じゃねえ」

 

 龍園は笑みを残したまま、黒瀬を見据えた。

 

「ここじゃ相手を蹴落とせば、自分たちが上に行く。弱みを見せれば食われるし、潰せる相手を見逃せば、次はそいつがお前を潰しに来る。食うか食われるかだ」

 

「物騒だねえ」

 

「事実だ」

 

 龍園は壁に背を預けるでもなく、ただそこに立ったまま続ける。

 

「今日お前が助けた石崎たちだって、明日にはお前を退学させる側に回るかもしれねえ。それでも笑って飯を食わせるのか?」

 

「んー」

 

 黒瀬は少しだけ考えるような顔をした。

 

 もっとも、悩んでいるようには見えない。質問の意味を確認している程度だった。

 

「え、でもさ」

 

「あ?」

 

「仮に龍園くんが、他の誰かにハメられて退学させられそうになったら、俺助けるよ?」

 

 龍園の目がわずかに細くなった。

 

「……俺をか?」

 

「うん」

 

「俺がお前のクラスを潰そうとしてても?」

 

「それはそれじゃん」

 

 黒瀬は不思議そうに首を傾げる。

 

「クラスで競争するのと、龍園くんがやってないことで退学させられるのって別じゃない?」

 

「クク」

 

 龍園は笑みを崩さなかった。

 

 むしろ、少し楽しそうに見える。

 

「面白えな。理由を聞かせろ」

 

「理由?」

 

「俺はお前の敵だ。その俺を助ける理由だよ」

 

「えー?」

 

 黒瀬は本気で困った顔をした。

 

 難しい質問をされたからではない。

 

 そんなことに理由を求められると思っていなかったのだろう。

 

「だって、みんなで卒業したいじゃんw」

 

 龍園は黙って黒瀬を見る。

 

 驚いて言葉を失ったわけではない。

 

 目の前の人間がどこまで本気でそれを言っているのか、改めて確かめているようだった。

 

 当然、本気だ。

 

 少なくとも俺には分かる。

 

 黒瀬は龍園を懐柔しようとしているわけでもなければ、綺麗事を言っているつもりもない。

 

 須藤を助けることと、石崎たちの怪我を心配することは別。

 

 佐倉の証言が必要なことと、佐倉自身が怖がっていることも別。

 

 そして今度は、クラス同士が競争することと、龍園が理不尽に退学させられることも別らしい。

 

 敵だから助けない。

 

 味方だから助ける。

 

 黒瀬の中では、そもそもその線引きが薄い。

 

「クク……なるほどな」

 

 やがて龍園が口を開いた。

 

「お前が面倒な理由が分かった」

 

「またそれ?w」

 

「挑発しても敵にならねえ。餌をぶら下げても味方にならねえ。相手が誰だろうと、自分の中の基準で勝手に動く」

 

「なんか悪口言われてる?」

 

「褒めてやってんだよ」

 

「絶対嘘じゃんw」

 

「どう取ろうが好きにしろ」

 

 龍園は楽しげに笑う。

 

「その考えがいつまで通用するか、興味が出てきた」

 

「普通に卒業まで通用すんじゃない?」

 

「なら証明してみろ」

 

「何を?」

 

「お前の言う『みんな』ってやつをだよ」

 

「?」

 

 黒瀬は意味が分からないらしく、首を傾げた。

 

 龍園はそれ以上説明しなかった。

 

 黒瀬の横を通り過ぎる。

 

「また遊ぼうぜ、黒瀬」

 

「普通に飯ならいいよ」

 

「次はひっくり返さねえでやるよ」

 

「当たり前だろw」

 

「クク」

 

 龍園は笑ったまま去っていった。

 

 黒瀬はしばらくその背中を見送った後、俺を見る。

 

「なんだったん?」

 

「さあな」

 

「清隆分かってるでしょ」

 

「多少は」

 

「教えてよ」

 

「百ポイント」

 

「俺の真似すんなw」

 

 黒瀬が笑う。

 

 俺も再び歩き始めた。

 

 龍園の言っていることは間違っていない。

 

 この学校では他クラスの損失が自分たちの利益に繋がる。場合によっては、他人を脱落させることすら戦略になる。

 

 黒瀬も、その仕組み自体を理解していないわけではない。

 

 ただ、それを人間関係そのものにまで適用する気がないらしい。

 

 競争はする。

 

 勝ちたいとも思う。

 

 それでも、理不尽に誰かが消えるなら助ける。

 

 それが昨日までまともに話したこともなかった石崎たちでも、自分の料理を蹴り飛ばした龍園でも変わらない。

 

 合理的とは言い難い。

 

 利用される可能性もある。

 

 いつか、その考え方が黒瀬自身を傷つけることもあるだろう。

 

 それでも今回は、石崎たちは黒瀬を裏切り続けることができなかった。

 

 龍園も、それを単なる甘さとして切り捨てずに興味を持った。

 

 俺にはできないやり方だった。

 

 俺なら、石崎たちの逃げ道を塞いだだろう。

 

 証拠を揃え、供述の矛盾を突き、否定できない状況を作る。相手が認める以外の選択肢を失うところまで追い込む。

 

 黒瀬は逆だった。

 

 最後まで石崎たちに選択肢を残した。

 

 事実を認めてもいい。

 

 認めなくてもいい。

 

 食事を作ったからといって、その対価を要求することもなかった。

 

 それでも石崎たちは、自分たちから認めた。

 

 強制されなかったからこそ、自分たちで選んだ。

 

 そう考えれば、理屈として理解できないわけではない。

 

 ただ、同じことを俺がやったところで、同じ結果になるとは思えなかった。

 

 人間は利益だけで動かない。

 

 感情や罪悪感、好意、信頼が判断に影響することくらい、知識としては知っている。

 

 だが、知っていることと、そういうものを相手の中に自然に生み出せることは別だった。

 

「清隆」

 

「なんだ」

 

「今日飯どうする?」

 

「なぜ俺に聞く」

 

「腹減ったから」

 

「一人で食え」

 

「えー。一緒に行こうよ」

 

「昨日の余りはないのか」

 

「全部龍園くんが殺した」

 

「料理に殺したという表現を使うな」

 

「じゃ弔いでラーメン」

 

「意味が分からない」

 

「行く?」

 

 断る理由を探す。

 

 特にない。

 

「……好きにしろ」

 

「うぇーいw」

 

 黒瀬が隣を歩く。

 

 特別なことではない。

 

 これまでにも何度かあった。

 

 昼食。

 

 買い物。

 

 相談。

 

 黒瀬が勝手に俺を巻き込み、俺が仕方なく付き合う。

 

 それだけだ。

 

 最近、この女が次に何をするのか、以前よりも気になるようになっていた。

 

 理由は単純だ。

 

 黒瀬は予測が難しい。

 

 だから観察する価値がある。

 

 少なくとも今は、そういうことにしておいた。

 

 

 

 

 

 

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