Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
黒瀬相談部には。
時々どうしようもない相談が持ち込まれる。
恋愛相談。忘れ物。人間関係。勉強。失くし物。昼飯。
莉愛としても、最初から相談内容を選り好みするつもりはなかった。困っているなら話くらいは聞けばいいし、自分で分からなければ清隆に投げればいい。
だから、その男子生徒が深刻そうな顔で相談部の前に座った時も、最初はそれなりに真面目な話だと思っていた。
「黒瀬」
「うん」
「俺、最近マジでヤバい」
「どうしたん?」
「勉強できない」
「それ俺に相談する?」
「お前も勉強できないから気持ち分かるだろ」
「百ポイント追加ね」
「なんでだよ!」
放課後の教室。相談者はDクラスの男子だった。
机を一つ挟んだ向こうで、見るからに思い詰めた顔をしている。少し離れた席では清隆が本を読んでいた。
相談部員ではない。
本人は何度もそう主張している。
ただし、莉愛が難しい相談を受けた時には大体いる。それを相談部員と呼ばずに何と呼ぶのかは、莉愛には分からない。
「で、なんで勉強できないの?」
「動画」
「YouTube?」
「まあ……動画」
「消せば?」
「消せない」
「スマホ投げれば?」
「無茶言うな」
莉愛は頬杖をついた。
「何見てんの?」
男子は一度周囲を確認した。なぜか声を落とす。
「……淫夢」
「は?」
「淫夢動画」
莉愛は数秒止まった。
名前くらいは知っている。
昔からネット上で擦られ続けている、やたらと寿命の長いミームだ。
「お前さぁ」
莉愛は呆れた。
「淫夢だあ? くだらねえもの見てる暇があったら勉強しろ!」
「正論やめろよ!」
「いや正論しかなくない!? 相談終了じゃん!」
「でも一回見ると止まらねえんだって!」
「知らんってw」
「関連動画から関連動画に飛んで、気づいたら二時間経ってんだぞ!」
「それ淫夢関係なくネット依存じゃん!」
莉愛は紙に大きく『スマホを見るな』と書いた。
「はい解決」
「雑すぎるだろ!」
「じゃタイマーかけろ」
「見てみろって」
「何を?」
「淫夢」
「見ねえよw」
「一本だけ」
「絶対一本で終わらないやつじゃんw」
「一本だけ。特に四章が熱い」
「なんで妙に詳しいんだよ!w」
男子はスマートフォンを取り出した。
「いやマジで、この辺から語録が一気に増えるから」
「知らん知らん!」
「見れば分かる」
「俺までハマったらどうすんの?」
「仲間」
「相談を増やすな!」
男子はなおも勧めてくる。
莉愛は断っていた。
本当に。
最初の三分くらいは。
「……一本だけな?」
「来た!」
「来たじゃねえよ。相談内容の確認だから」
「はいはい」
「ハマらないからね?」
「分かってる」
「俺こういうの冷静に見れるタイプだから」
少し離れた席から清隆が顔を上げた。
「黒瀬」
「何?」
「やめておけ」
「なんで?」
「お前はそういう時、大体失敗する」
「失礼じゃね?」
「過去の実績から判断している」
「一本くらい平気だってw」
清隆はそれ以上言わなかった。
代わりに、僅かに本を持ち上げる。どうやら関わらないことにしたらしい。
十分後。
莉愛は男子のスマートフォンを見ていた。
「……」
「な?」
「いや……まあ」
「だろ?」
「くだらねえ」
「だろ?」
「なんでお前ちょっと嬉しそうなんだよw」
さらに十分後。
「今の何?」
「そこから派生したやつ」
「もう一回見せて」
「ハマってんじゃん」
「ハマってないって。意味分かんなかっただけ」
二十分後。
「ひでって淫夢のキャラ?」
「別枠。正確にいうと――」
「マジ?」
「あとで解説送るね」
「難易度高くない?」
三十分後。
清隆が本を閉じた。
「黒瀬」
「ん?」
「相談は終わったのか」
「今かなり重要なとこ」
「何の?」
「淫夢」
「相談者と立場が逆転してないか」
「してないしてない」
男子が笑う。
「黒瀬、次これ見ろ」
「どれ?」
「こっち」
「おい、もう一本だけだからね?」
「それさっきも言ってたぞ」
清隆の指摘は聞かなかったことにした。
◇
翌朝。
莉愛は眠かった。
理由は分かっている。
昨日の夜、少しだけ続きを見た。本当に少しだけのつもりだった。
ただ、ネットというものは恐ろしい。
一つ分からない語録が出てくる。意味を調べる。別の動画が出てくる。そこから派生ネタが出てくる。さらに元ネタが気になる。
気がつけば日付が変わっていた。
「……眠」
莉愛は机に突っ伏した。
「黒瀬さん」
隣から声がする。
顔を上げる。
鈴音だった。
「何?」
「昨日また夜更かししたの?」
「ちょっとね」
「あなた、この前も料理で睡眠時間を削っていたでしょう」
「今回は娯楽だからセーフ」
「余計に駄目でしょう」
正論だった。
「何してたの?」
「淫夢見てた」
「……」
鈴音の動きが止まった。
ほんの一瞬。
莉愛は顔を上げた。
「今止まった?」
「止まってないわ」
「いや止まったじゃん」
「気のせいよ」
「鈴音ちゃん知ってる?」
「知らないわ」
返答が早い。
少し離れたところで桔梗がこちらを見ていた。口元が僅かに緩んでいる。
「桔梗」
「なに?」
「知ってる?」
「何を?」
「淫夢」
「まあ、名前くらいは?」
「なんで二人とも反応怪しいの?」
「莉愛ちゃんが朝から変な話してるからじゃない?」
桔梗は笑った。
自然な笑顔だ。
ただし、完全に知らない人間の反応ではない気がする。
「清隆は?」
莉愛は後ろを向いた。
清隆は既に本を開いていた。
「詳しくは知らない」
「詳しくは?」
「ネット上にそういうミームがあることは知っている」
「なんでお前だけ模範解答なんだよw」
「何を求めてるんだ」
「もっとさ、『あー知ってる知ってるw』みたいなのないの?」
「ない」
「つまんな」
「なら聞くな」
そこでチャイムが鳴った。
茶柱先生が教室へ入ってくる。
莉愛も前を向いた。
授業が始まる。
最初の二十分ほどは普通だった。
本当に普通だった。
問題が起きたのは、茶柱先生が黒板に図を書いている時だった。
莉愛はノートを取ろうとした。
その時、前の席の男子が机に突っ伏したまま、教卓を見て小さく何か言った。
「枕高くね?」
ただそれだけだった。
たぶん、本来なら何の意味もない。
昨日までなら聞き流していた。
しかし、今の莉愛には駄目だった。
頭の中で勝手に別の言葉へ変換された。
「……」
我慢する。
肩が震える。
前の男子が振り返った。
「黒瀬?」
「いや、なんでも」
「何笑ってんの?」
「笑ってないって」
茶柱先生がこちらを見る。
「黒瀬」
「はい」
「授業中だ」
「すみません」
前を向く。
駄目だ。
考えるな。
昨日の動画を思い出すな。
ノートを見る。文字を書く。
数分後、茶柱先生が教材を机の上へ置いた。その横にあったクッションが少しずれた。
莉愛の視界に入る。
まずい。
「……」
耐える。
「莉愛ちゃん?」
桔梗が小声で呼ぶ。
「無理」
「何が?」
「いや、なんでも」
そして。
莉愛の口から出た。
「枕がデカすぎます!」
教室が止まった。
一秒。
二秒。
そして、反応は綺麗に二つに分かれた。
「っ……!」
最初に耐えられなくなったのは池だった。
机に顔を伏せ、肩を震わせている。その斜め後ろでは山内も口元を押さえていた。
「お前、それ授業中に言うなよ……っ」
「何? 何が面白いんだ?」
須藤が怪訝そうに二人を見る。
「俺にも分からない」
幸村も眉をひそめていた。
「何かのネタ?」
軽井沢も知らないらしく、隣の女子へ小声で尋ねている。
平田も意味を理解していないようで、笑っている池たちと莉愛を交互に見ていた。
一方、桔梗は明らかに違った。
口元を手で覆っている。
目が笑っている。
莉愛と目が合うと、何事もなかったように視線を逸らした。
――桔梗、お前知ってるな?
そして鈴音。
笑ってはいない。
笑ってはいないのだが。
莉愛が叫んだ瞬間、それまで動いていたシャープペンシルがぴたりと止まっていた。
数秒後、何事もなかったようにノートを取り始める。
――鈴音ちゃんも知ってるね?
最後に清隆を見る。
こちらは本当に分かっていないらしい。
周囲の反応から「何らかのネットミームを口走った」程度には察しているのだろうが、池たちのように元ネタで笑っている様子はない。
茶柱先生がゆっくり振り返った。
「黒瀬」
「はい」
「廊下に出ろ」
「なんで!?」
「授業中だからだ」
「理由が普通!」
「早く出ろ」
「はい……」
教室の何人かが再び笑う。
莉愛は肩を落として立ち上がり、廊下へ向かう。
その途中、清隆の横を通った。
清隆は笑っていない。
ただ。
莉愛が横を通った瞬間、小さく目を逸らした。
「清隆」
「なんだ」
「今笑った?」
「笑ってない」
「お前元ネタ知らないくせに、俺が怒られてんので笑っただろ!」
「否定はしない」
「そっちは認めるんかい!」
「黒瀬」
茶柱先生の声が飛ぶ。
「早く出ろ」
「はい!」
廊下へ出た。
◇
「高校生にもなって淫夢ごっこは恥ずかしいのよ」
休み時間。
席へ戻って早々、鈴音からそう言われた。
莉愛は固まった。
「……鈴音ちゃん」
「何よ」
「なんで知ってんの?」
「……」
「今『淫夢ごっこ』って言ったよね?」
「あなたがさっきから言っているでしょう」
「いやそういう問題じゃなくて」
「何よ」
「解像度高くない?」
「意味が分からないわ」
鈴音は教科書を開く。
莉愛は机に手をついた。
「鈴音ちゃん」
「何度も呼ばないで」
「四章って知ってる?」
「知らないわ」
一瞬も迷わなかった。
「じゃこれは?」
莉愛がスマートフォンを取り出そうとする。
「やめなさい」
「まだ何も見せてないじゃん!」
「見せようとしている時点で分かるわ」
「ほら! なんで対応分かるの!?」
「普通に考えれば分かるでしょう」
「淫夢の対応を普通に考えるなって!」
「うるさいわね」
桔梗が笑っている。
莉愛はそちらを見る。
「桔梗もさ」
「ん?」
「さっき笑ってたよね?」
「莉愛ちゃんが急に変なこと言うから」
「元ネタ知らない人の笑いじゃなかったけど」
「気のせいじゃない?」
「お前ら怪しいぞ」
「私は関係ないよ?」
「一番怪しい言い方じゃん」
莉愛はスマートフォンを操作した。
「よし」
「何がよしなの」
鈴音が警戒する。
「グループ作るわ」
「何の?」
「Dクラス迫真勉強部」
「やめなさい」
「もう作った」
「黒瀬さん」
「はい」
「今すぐ消しなさい」
「まだ鈴音ちゃん入れてないよ?」
「ならそのままにしなさい」
「でも淫夢知ってそうだから入れとくね」
「やめなさい」
莉愛が操作する。
数秒後、鈴音のスマートフォンが震えた。
画面を見る。
表情が変わる。
『黒瀬莉愛が堀北鈴音を「Dクラス迫真勉強部」に追加しました』
「黒瀬さん」
「はい」
「消しなさい」
「嫌です」
「ブロックするわよ」
莉愛が止まった。
「……鈴音ちゃん」
「何よ」
「なんでグループから抜けるじゃなくて、いきなりブロックまで行くの?」
「あなたが面倒だからよ」
「なんか妙に手慣れてない?」
「気のせいよ」
桔梗がまた笑った。
「櫛田さん」
「え?」
「あなたも笑ってないで止めなさい」
「ごめんごめん。でもちょっと面白くて」
莉愛が桔梗を見る。
「桔梗も入る?」
「遠慮しとくね」
「即答じゃん」
「通知多そうだから」
「通知の心配するってことは内容は否定しないんだ?」
「莉愛ちゃん、今日めんどくさいね」
「ひどくない!?」
そのやり取りを少し離れた席から清隆が見ていた。
「清隆も入れるね」
「やめろ」
「即答!?」
「俺は知らないと言っただろ」
「勉強部だよ?」
「名前だけだろ」
「勉強するかもしれないじゃん」
「しないだろ」
「分かんないじゃん」
「少なくともお前はしない」
「なんでそんな俺のこと分かってんの?」
「昨日相談を受けた結果が今だからだ」
「……」
そうだった。
莉愛は思い出す。
本来の相談内容。
『淫夢を見すぎて勉強できない』
相談者はどうなったのか。
昼休みに本人を捕まえた。
「おい」
「何?」
「勉強してる?」
「してるよ」
「淫夢は?」
「昨日黒瀬に勧めたらなんか満足した」
「は?」
「人に布教すると落ち着くんだな」
「お前だけ治ってんじゃねえよ!」
「黒瀬は?」
「昨日二時まで見てた」
「ハマってんじゃん」
「ハマってないって!」
「四章どうだった?」
「……」
「どうだった?」
「……四章は純愛。はっきりわかんだね」
「だろ?」
「うるせえ!」
相談者は笑いながら去っていった。
莉愛はその背中を見送る。
完全に治っている。
相談は成功した。
それ自体はいい。
ただし。
「清隆」
「なんだ」
「俺、相談部向いてないかもしれん」
「今さら気づいたのか」
「相談者治ったのに俺がハマった」
「問題が移動しただけだな」
「じゃ解決扱い?」
「相談部全体で見ればプラスマイナスゼロだろ」
「なるほど」
「納得するな」
そこへ鈴音が冷たく言う。
「それより黒瀬さん」
「何?」
「次の小テストは?」
「……」
「あなた、昨日勉強したの?」
「……淫夢が」
「言い訳に使わないでちょうだい」
「清隆ぁ〜!」
「俺を見るな」
「助けてよ!」
「知らない」
「副部長!」
「違う」
「参謀!」
「違う」
「顧問!」
「全部違う」
「じゃ清隆!」
「それは合ってる」
「勉強教えて!」
清隆は数秒黙った。
それから、短く息を吐く。
「放課後ならな」
「マジ!?」
「ただし」
「何?」
「今日は動画を見るな」
「……」
「黒瀬」
「努力します」
「見るな」
「はい」
鈴音が呆れたようにため息をつく。
桔梗はまだ笑っていた。
黒瀬相談部は、その日も一件の相談を解決した。
ただし、代わりに相談員が同じ問題を抱えた。
相談部としての収支がどうなっているのか。
莉愛には、よく分からなかった。