Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
翌朝。
教室へ入って席につき、本を開いてから数分。
「清隆」
嫌な予感のする声がした。
顔を上げる。
黒瀬が俺の机の前に立っている。
いつもなら、もう少し無意味な前置きがある。
しかし今日は違った。
表情が妙に真剣だ。
「緊急事態」
「何をした」
「なんで俺がやった前提なん?」
「過去の実績だ」
「失礼すぎるだろ」
「違うなら何だ」
黒瀬は周囲を確認する。
誰もこちらを見ていないことを確かめてから、スマートフォンを机の上へ置いた。
「これ見て」
画面には一枚の写真が表示されていた。
けやきモールにある映像ショップらしい。
その奥。
ガラスケースの中に、一本の古いビデオが置かれている。
商品名はよく見えない。
ただ、その下に貼られた値札だけははっきりと読めた。
『114,514pt』
「……」
「どう?」
「十一万四千五百十四ポイントだな」
「そこじゃない」
「それ以外に何がある」
「清隆」
黒瀬が声を落とす。
「4章だ」
「……」
「4章が見つかった」
俺は本へ視線を戻した。
「帰れ」
「待って待って待って!」
「朝から俺に報告する必要がない」
「あるって! 事件だぞ!」
「どこがだ」
「けやきモールの奥にあるビデオショップに、4章のビデオが入荷したらしい」
「そうか」
「反応薄くない?」
「どう反応すれば正解なんだ」
「『マジか!』とか」
「マジか」
「心がない!」
面倒な要求だった。
黒瀬は諦めず、画面をさらに俺へ近づける。
「しかも見て。この価格」
「さっき見た」
「114514だぞ?」
「ああ」
「分かってる?」
「十一万四千五百十四だろ」
「分かってないなぁ」
「数字以上の何を理解すればいいんだ」
黒瀬が深いため息をついた。
なぜ俺が失望されているのか分からない。
「とにかく」
黒瀬はスマートフォンを操作する。
「迫真勉強部、緊急招集します」
「まだ存在していたのか」
「あるよ!」
「あれ以来、一度でも活動したか?」
「……」
「してないだろ」
「今からするんだよ!」
以前、黒瀬が勢いだけで作った『Dクラス迫真勉強部』というグループがある。
名前に反して、勉強をした実績はない。
俺は最初から参加を拒否した。
櫛田も参加していない。
なぜか堀北だけは、一度追加されてから抜けることなく放置している。
黒瀬がグループへ文字を打ち込む。
すぐに俺へ画面を見せた。
『【緊急招集】』
『迫真勉強部 第一回特別活動』
『作戦名:4章奪還作戦』
『本日放課後、けやきモールに集合されたし』
「何で軍隊みたいになってるんだ」
「緊急事態だから」
「お前しか緊急だと思ってない」
送信。
三秒ほどで既読が一つついた。
返信。
『行かないわよ』
堀北だった。
「はや」
「当然だろ」
「まだ何やるか説明してないんだけど」
黒瀬がそう入力する。
少しして返信が来た。
『4章奪還作戦と書いてあるでしょう』
「……」
黒瀬の指が止まった。
「清隆」
「何だ」
「鈴音ちゃん、なんで4章で何するか分かるの?」
「作戦名に書いてある」
「いやそうだけど」
「なら問題ないだろ」
「そういうことじゃなくね?」
黒瀬は少し考えた後、別の画面を開く。
「桔梗にも送っとこ」
「櫛田は部員じゃないだろ」
「緊急時だから」
「便利な言葉だな」
先ほどと同じ画像と文章を櫛田へ個別に送る。
こちらも返信は早かった。
『莉愛ちゃん、ごめんね。私は行かないよ?』
「……」
「断られたな」
「なんで疑問形なん?」
「知らない」
「てか桔梗も4章だけで全部察してない?」
「これまでのお前を見ていれば分かるんじゃないか」
「俺そんな分かりやすい?」
「ああ」
「マジかぁ」
少しは反省するかと思った。
「じゃ清隆行こ」
何も反省していなかった。
「行かない」
「なんで!?」
「堀北と櫛田が断った理由と同じだ」
「清隆は二人と違うじゃん」
「何が違う」
「昨日デートした仲」
「してない」
「友達デート」
「その名称を定着させるな」
「プリクラも撮ったじゃん」
「関係ない」
「きよぬいもいる」
「さらに関係ない」
「昨日一日遊んだのに、今日は急に冷たくない?」
「昨日一日付き合ったからこそ、今日は断っている」
「逆だろ!」
「何がだ」
「昨日楽しかったんだから今日も楽しいかもしんないじゃん」
黒瀬の理屈は単純だった。
そして恐らく、本人にとってはそれで十分なのだろう。
「放課後になってから考える」
「それ来るやつじゃん」
「まだ決めてない」
「はいはいw」
勝手に参加扱いされた気がした。
◇
昼休み。
「マジで!?」
池の声が教室に響いた。
「声でかいって」
「4章あんの!?」
「あるらしい」
「どこ!?」
「けやきモール」
黒瀬がスマートフォンを見せる。
池は画面へ顔を近づけた。
「うわ、マジじゃん!」
「だろ?」
「114514!」
「分かってるよな池くん!」
「分かる!」
二人が妙な握手を交わす。
「何が分かるんだよ」
近くにいた須藤が呆れた。
「俺にも全然分かんねえんだけど」
「須藤くんも来る?」
「行かねえよ」
「なんで?」
「知らねえもん見に行ってどうすんだよ」
「勉強になるじゃん」
「何の勉強だよ!」
「社会」
「広げすぎだろ!」
そこへ山内も寄ってくる。
「何の話?」
池が振り返る。
「けやきモールに4章あるって」
「は!?」
反応は池とほぼ同じだった。
「マジ!?」
「マジ」
「行く!」
「よし」
黒瀬が頷く。
「二人とも今日から迫真勉強部の正規部員ね」
「おう!」
「入部費一万ポイント」
「たけえよ!」
池が即座に撤回した。
「何に使うんだよ!」
「4章奪還費用」
「それ俺らに買わせる気じゃねえか!」
「部費ってそういうもんじゃない?」
「絶対違う!」
黒瀬は笑いながらスマートフォンを取り出す。
「いやでも、マジで資金どうしよ」
「買うつもりなのか?」
俺が聞く。
「だって114514だよ?」
「だから何だ」
「欲しくない?」
「全く」
「清隆って物欲ないよね」
「お前の物欲がおかしいだけだ」
黒瀬は自分のポイント残高を確認する。
「俺、今四千ちょい」
「足りないな」
「全然足りない」
「諦めろ」
「まだ早い」
黒瀬が指を折り始める。
「相談部の今後の売上を前借りして」
「存在しない金を計算に入れるな」
「池くん一万」
「出さねえよ!」
「山内くん一万」
「俺も無理!」
「清隆五万」
「なぜ増えた」
「清隆あんま金使わないじゃん」
「だからといってお前に渡す理由はない」
「じゃクラス全員から三千ポイントずつ」
「やめろ」
「四十人いれば十二万いくじゃん!」
「4章のためにクラス全体から徴収するな」
「文化事業だぞ?」
「違う」
「Dクラスの文化振興」
「もっと違う」
「お前ら何の話してんだ」
幸村が近づいてきた。
嫌な顔をしている。
「幸村くん、ちょうどいいところに」
「嫌な予感しかしない」
「迫真勉強部の部費なんだけど」
「一円も出さない」
「まだ金額言ってないじゃん!」
「そもそも今すぐ『勉強部』という名前を外せ」
「なんで?」
「一度でも勉強したのか?」
「……」
黒瀬が黙る。
幸村は呆れたように眼鏡を押し上げた。
「名前に対する冒涜だ」
「そんな怒る?w」
「怒ってない。軽蔑してる」
「もっと悪いじゃん!」
幸村はそのまま戻っていった。
黒瀬が俺を見る。
「清隆」
「何だ」
「迫真勉強部、評判悪くね?」
「今気づいたのか」
「名称がよくない?」
「そこだけではない」
「じゃ何?」
「全部だ」
「ひど」
それでも買うこと自体は諦めていないらしい。
午後の授業中まで、黒瀬は時折ノートの端で何かを計算していた。
一度、茶柱に注意されている。
何を計算していたのかは、考えるまでもなかった。
◇
放課後。
結局、俺はけやきモールへ向かっていた。
「ほら来たじゃん」
「うるさい」
「朝から知ってたけどね」
「俺は知らなかった」
「清隆、俺に弱くない?w」
「お前がしつこいだけだ」
「それに根負けするなら弱いんじゃね?」
「帰るぞ」
「ごめんってw」
黒瀬が笑う。
隣には池と山内。
須藤は本当に来なかった。
当然、幸村もいない。
「てか店どこ?」
池が聞く。
「モールの奥らしい」
「そんな店あった?」
「俺も知らなかった」
黒瀬は例の写真を確認する。
「こっちだって」
普段あまり行かない通路へ入る。
けやきモールは広い。
日用品や飲食店だけでなく、娯楽施設も揃っている。
それでも、生徒が日常的に使う範囲は自然と限られる。
しばらく歩くと、目的の店が見えた。
「あ」
黒瀬が足を止める。
「清隆」
「何だ」
「あれ」
店の奥。
ガラスケース。
朝見せられた写真と同じものが置いてある。
黒瀬の歩く速度が一気に上がった。
「あった!」
「声でかいって!」
池まで走る。
「マジだ!」
山内も続く。
三人が並んでガラスケースへ張り付いた。
俺は少し離れた場所から確認する。
『限定映像作品』
その下に。
『販売価格 114,514pt』
確かにそう書いてある。
「本当に114514じゃん……」
黒瀬が感動したように呟く。
「店長分かってるわ」
「何をだ」
「清隆には分かんないよ」
「分かりたくもない」
「これ買ったら伝説じゃね?」
池が言う。
「買おうぜ!」
「じゃ池くん十一万出して」
「無理!」
「山内くん」
「もっと無理!」
「じゃ俺四千」
「残り十万以上あるぞ!」
黒瀬がこちらを見る。
「清隆」
「見るな」
「まだ何も言ってない」
「出さない」
「五万だけ」
「金額まで決めてただろ」
黒瀬は再びガラスケースを見る。
「……でもさ」
「何だ」
「こういう店なら、借りられたりしない?」
「店員に聞け」
「それだ!」
最初から確認すれば済む話だった。
「すみませーん」
黒瀬が店員を呼ぶ。
店員がこちらへやってきた。
「はい」
「あの、これなんですけど」
黒瀬がガラスケースを指差す。
「レンタルとかできます?」
店員が商品を確認する。
「ああ、こちらですね」
「はい!」
「申し訳ありませんが、こちらは貸し出しを行っていない商品なんです」
「……」
黒瀬の期待が一段下がった。
「じゃあ買うしかない感じ?」
「そうですね。ただ――」
店員が俺たちを見る。
「こちらは年齢制限のある商品ですので、皆さんには販売できません」
「……」
黒瀬が止まった。
池も止まった。
山内も止まった。
「…………え?」
「未成年の方への販売はできない商品になっています」
「俺ら高校生だから?」
「そうですね」
「十一万ポイントあっても?」
「申し訳ありません」
「……」
黒瀬はガラスケースを見る。
次に店員を見る。
もう一度、ガラスケースを見る。
「じゃあ」
眉間に皺を寄せる。
「じゃあこの学園で売る意味なくない!?」
黒瀬にしては、もっともな意見だった。
「だってここ、ほぼ生徒しか来ないじゃん!」
「教職員の方も利用されますので……」
「先生向けだったん!?」
「黒瀬、声が大きい」
「いや清隆これ俺悪くなくない!?」
「珍しくな」
「珍しく言うな!」
店員が困ったように笑っている。
黒瀬はなおもガラスケースを見つめる。
「目の前にあるのに……」
「諦めろ」
「十一万貯めても買えない……」
「諦めろ」
「高校生に自由ってないんだな……」
「その結論はおかしい」
池もガラスへ顔を寄せる。
「あと何年待てばいいんだよ……」
「お前らそこまで見たいのか」
「綾小路には分かんねえよ!」
「今日二回目だな、その台詞」
山内まで肩を落としている。
俺には理解できない。
その時。
「……何をしているの、あなたたち」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
店の入口付近に堀北と櫛田が立っていた。
「……」
黒瀬がゆっくり二人を見る。
「鈴音ちゃん」
「何かしら」
「来てんじゃんw」
「買い物よ」
「映像ショップに?」
「店の前を通ったら、あなたたちの声が聞こえただけよ」
「へえー」
「何よ」
「いや別に?」
「その顔をやめなさい」
「俺何も言ってないじゃんw」
「言いたいことが顔に出ているわ」
櫛田が困ったように笑う。
「莉愛ちゃん、見つかったんだね」
「見つかった」
「よかったね」
「でも買えなかった」
「そうなの?」
「未成年だからダメだって」
「あ……そっかぁ」
櫛田の反応は自然だった。
黒瀬はじっと櫛田を見る。
「桔梗」
「なに?」
「なんで全然驚かないの?」
「何に?」
「4章が年齢制限あること」
「……」
櫛田の笑顔が僅かに固まったように見えた。
気のせいかもしれない。
「莉愛ちゃんが前に散々話してたからだよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ?」
「ふーん」
今度は堀北を見る。
「鈴音ちゃん」
「何」
「鈴音ちゃんも知ってた?」
「何を」
「4章」
「あなたが教室で何度も騒いでいたでしょう」
「内容も?」
「……」
「鈴音ちゃん?」
「くだらないわね」
堀北が踵を返す。
「あ、逃げた」
「逃げてないわよ」
「じゃ今日うちで鑑賞会――」
「そもそも買えてないでしょう」
「……」
「……」
「鈴音ちゃん」
「何?」
「今ちょっと勝った顔した?」
「してないわ」
「絶対したって」
「用が済んだなら帰るわよ、櫛田さん」
「う、うん」
「あ、桔梗」
「なに?」
「もし誰か買ったら教えて」
「なんで私が知ってる前提なの?」
「なんとなく」
「知らないよ!」
櫛田にしては少し強い否定だった。
二人はそのまま店を出ていった。
黒瀬はしばらくその背中を見る。
「清隆」
「何だ」
「鈴音ちゃんと桔梗、怪しくない?」
「何がだ」
「4章知ってるのに知らないふりしてる」
「お前が教室で広めた結果だろ」
「俺そんな布教した?」
「ああ」
「マジかぁ」
自覚がないらしい。
「とりあえず」
黒瀬がガラスケースをもう一度見る。
「今日は撤退します」
「最初からそうしろ」
「4章奪還作戦、失敗」
「奪われたことは一度もない」
「細けえなぁ」
店を出る。
池と山内はまだ未練があるらしく、何度も後ろを振り返っていた。
「じゃあ帰るか」
池が言う。
「そうだね」
黒瀬も珍しく素直に頷く。
そして数歩歩いたところで。
「あ」
俺は思い出した。
「黒瀬」
「何?」
「明日、小テストだぞ」
「……」
黒瀬が止まった。
「何の?」
「数学」
「……」
「忘れてたな」
「いや」
「忘れてた顔だ」
「覚えてたよ?」
「範囲は?」
「……数学」
「教科名を聞いているんじゃない」
「清隆」
「何だ」
「今日俺さ」
「ああ」
「4章も手に入らなかったじゃん」
「ああ」
「この上、明日赤点まで取るの?」
「勉強すれば回避できる」
「……」
黒瀬が俺を見る。
「付き合って」
「嫌だ」
「即答!?」
「俺に利益がない」
「友達が赤点回避」
「俺の利益ではない」
「清隆、俺の成績気にするじゃん」
「お前が赤点を取れば周囲が面倒になる」
「はいはいw」
何か納得された。
「じゃ一時間」
「何が」
「勉強付き合って」
「……」
「今日何も得てないんだから、それくらいいいじゃん」
「俺も何も得てない」
「俺と遊べた」
「それを利益として計算するな」
「昨日は楽しかったって言ったじゃん」
「昨日の話だ」
「今日も楽しいじゃん?」
「今のところ疲れている」
「ひど」
その横で池が口を挟む。
「黒瀬んちで勉強すんの?」
「あー」
黒瀬が少し考える。
「清隆はうちでいいけど」
「待て」
池の顔が変わる。
「綾小路だけ?」
「うん」
「なんで!?」
「前も来たじゃん」
「……」
池と山内が俺を見る。
嫌な方向に話が進んだ。
「綾小路」
「何だ」
「黒瀬の部屋行ったことあんの?」
「ある」
「マジ!?」
「何した!?」
「飯を食った」
「二人で!?」
「そうだ」
「何でそんなイベント発生してんの!?」
池が騒ぐ。
黒瀬が呆れたように見る。
「何もないってw」
「何もなくてもおかしいだろ!」
「清隆に飯奢ってもらってたから、お礼で俺が作っただけ」
「綾小路!」
「何だ」
「なんで黙ってた!」
「報告する必要がない」
「あるだろ!」
「ない」
山内まで頭を抱えた。
「俺らの知らないところで人生進めやがって……」
「何の話だ」
本当に分からない。
「じゃ俺らも勉強会――」
「今日は無理」
黒瀬が即座に断る。
「なんで!?」
「部屋片付けてないし」
「綾小路はいいのかよ!」
「清隆は前も見てるし」
「基準おかしくね!?」
「一回見られたら二回目も同じじゃん」
「違うだろ!」
俺も違うと思う。
「今度ちゃんと迫真勉強部で勉強会やろ」
「今日が迫真勉強部じゃないのかよ!」
「今日は緊急活動だから」
「便利すぎるだろその言葉!」
結局、池と山内は納得しないまま帰っていった。
残ったのは俺と黒瀬。
「よし行こ」
「まだ了承してない」
「えー」
「……一時間だけだ」
「マジ?」
「小テストの範囲だけだぞ」
「よっしゃ!」
「喜ぶところじゃない」
「清隆先生お願いします!」
「その呼び方はやめろ」
「清隆せんせー」
「帰るぞ」
「ごめんってw」
◇
黒瀬の部屋へ入るのは二度目だった。
前回と大きく変わってはいない。
ただ。
以前はなかったものが一つ増えている。
ベッドの横。
昨日ゲームセンターで取ったぬいぐるみが置かれていた。
その隣にはプリクラ。
「……」
「何?」
「いや」
「きよぬい見てた?」
「その名前は変えろと言ったはずだ」
「正式名称だから」
「誰が認可した」
「俺」
「無効だ」
「厳しw」
黒瀬は楽しそうに笑い、机の上へ数学の教科書とノートを置いた。
「……」
「どうした」
「4章がない」
「当然だ」
「本当なら今ここに置いてあったはずなのに」
「買えなかっただろ」
「幻が見える」
「病院へ行け」
「冷た」
黒瀬が椅子に座る。
俺も隣へ座った。
教科書を開く。
「ここからここまで」
「広くない?」
「明日の範囲だ」
「先生鬼じゃん」
「普通だ」
「高校生って大変だなぁ……」
「今さら言うな」
黒瀬がシャープペンシルを持つ。
最初の問題。
五分。
「清隆」
「何だ」
「分かんない」
「どこが」
「全部」
「まだ一行目だぞ」
「だから全部」
そこから説明する。
黒瀬は勉強が得意ではない。
だが、以前より投げ出すことは減った。
一度説明して理解できなければ、もう一度聞く。
それでも分からなければ、自分で途中までやり直す。
効率は良くない。
それでも、最初から諦めることは少なくなった。
「ここ?」
「ああ」
「じゃこれこう?」
「違う」
「なんで!?」
「その式をもう一度見ろ」
「……」
三十秒。
「あ」
「分かったか」
「符号逆じゃん」
「そうだ」
「誰だよマイナスつけたの」
「お前だ」
「俺かぁ」
黒瀬は笑いながら消しゴムを使う。
「清隆」
「何だ」
「今日さ」
「ああ」
「迫真勉強部なのに、めっちゃ普通に勉強してない?」
「ようやく名前通りになったな」
「なんか負けた気がする」
「誰にだ」
「幸村くん」
「知らない」
それから十数分。
「清隆」
「何だ」
「あと何分?」
時計を見る。
「三十九分」
「長っ!」
「まだ二十一分しか経ってない」
「体感一時間なんだけど」
「気のせいだ」
「4章もないのに何をモチベにすればいいの?」
「明日の点数」
「弱い」
「十分だろ」
「清隆には分かんないよ」
「今日三回目だぞ」
「覚えてるんだw」
「問題を解け」
「はいはい」
黒瀬は再びノートへ向かった。
四章は手に入らなかった。
奪還作戦も失敗した。
それでも。
こうして迫真勉強部は、設立以来初めて、本当に勉強を始めた。
◇
翌日の放課後。
「清隆」
「嫌だ」
「まだ何も言ってない!」
「昨日と同じ声だった」
「今日は何だ」
「確認」
「何の」
「4章」
「昨日買えないと分かっただろ」
「見るだけ」
「昨日見ただろ」
「一日一回は生存確認したいじゃん」
「何の生存だ」
「いいから行こ」
「なぜ俺まで」
「昨日一緒に見届けた仲じゃん」
「妙な仲間意識を作るな」
「清隆ぁ〜」
「……」
「十分だけ」
十分で済むとは思えなかった。
だが。
昨日ほど長引くこともないだろう。
「見るだけだぞ」
「やったw」
結局。
二日連続で同じ映像ショップへ向かうことになった。
店へ入り。
昨日と同じ場所へ行く。
黒瀬の足が止まった。
「……」
「どうした」
「清隆」
「何だ」
「ない」
「何が」
「4章」
昨日まで商品が置かれていた場所。
ガラスケースの中は空になっていた。
「……」
黒瀬が近づく。
「ない」
「二回言う必要はない」
「売れた?」
「可能性はある」
「十一万四千五百十四だぞ?」
「ああ」
「誰が買うんだよ」
「知らない」
黒瀬がすぐに店員のところへ向かう。
「すみません」
「はい」
「あの、昨日ここにあったビデオって」
「ああ」
店員はすぐに思い出したらしい。
「売れましたよ」
「……」
黒瀬が固まる。
「売れた?」
「はい」
「十一万四千五百十四ポイントで?」
「そうですね」
「……今日?」
「今日です」
「……」
黒瀬がゆっくり俺を見る。
「清隆」
「何だ」
「この学校にいる」
「何が」
「十一万四千五百十四ポイント払って4章買う奴が」
「そうらしいな」
「怖くない?」
「別に」
「俺よりヤバい奴いるじゃん」
「それは否定しない」
「誰だ……?」
黒瀬が周囲を見回す。
「犯人はまだ近くにいるかもしれない」
「犯罪者扱いするな。正規に購入した客だ」
「でも未成年は買えない」
「ああ」
「ってことは――」
黒瀬の表情が変わった。
「先生?」
「可能性はあるな」
「この学校の教師に4章買った奴がいる……?」
「そうなる」
「教育現場終わってない?」
「購入しただけでそこまで言うな」
「いや十一万だぞ!?」
店員がこちらを見ている。
「黒瀬。出るぞ」
「待って、容疑者リスト作るから」
「作るな」
黒瀬を連れて店を出る。
「清隆、誰だと思う?」
「知らない」
「若い先生かな」
「知らない」
「意外と――」
黒瀬の声が止まった。
「……」
「どうした」
黒瀬の視線の先を見る。
少し先。
見覚えのある長い髪。
見覚えのあるスーツ。
一人の女が、今しがた俺たちが出てきた映像ショップから歩いてくる。
「……」
茶柱だった。
「……」
黒瀬が止まる。
茶柱は俺たちに気づいているのか、いないのか。
特にこちらを見ることもなく、そのまま歩いていく。
「……え?」
黒瀬の口から、間の抜けた声が漏れた。
「……」
「え?」
「何だ」
「ちょ」
黒瀬が俺を見る。
すぐに茶柱を見る。
また俺を見る。
「え!?」
「落ち着け」
「いやいやいやいや」
黒瀬が声を落としたまま、明らかに混乱し始める。
「清隆、今の見た?」
「ああ」
「茶柱先生だよね?」
「ああ」
「今、店から出てきたよね?」
「ああ」
「4章売れたんだよね?」
「ああ」
「未成年買えないんだよね?」
「ああ」
「え!?」
「さっきからそれしか言ってないぞ」
「いやだって!」
黒瀬が慌てて茶柱の方を見る。
「先生……」
既にかなり離れている。
「ちょ、マジ?」
「何がだ」
「待って待って」
黒瀬の頭の中で、今までの情報がようやく一本に繋がり始めたらしい。
「昨日、店員さん何て言った?」
「教職員も利用すると言っていたな」
「だよね!?」
「ああ」
「今日4章売れたんだよね!?」
「ああ」
「で、今茶柱先生が店から出てきたよね!?」
「ああ」
「え!? マジ!?」
確認するたびに動揺が増している。
「清隆」
「何だ」
「これ……」
「……」
「これ先生じゃね?」
「何がだ」
「4章買ったの!」
「証拠はない」
「いやいやいや!」
黒瀬が再び前を見る。
「だってタイミング――」
言葉が止まる。
「……あれ?」
「どうした」
「先生は?」
「もういないな」
「え!?」
茶柱の姿は消えていた。
恐らく通路を曲がっただけだろう。
黒瀬は左右を見る。
「ちょ、待って」
「何をだ」
「消えたんだけど」
「普通に歩いていっただけだ」
「いや今追えば――」
「やめろ」
「でも!」
「追いかけて何を聞くつもりだ」
「……」
黒瀬が口を開く。
「『先生、4章買いました?』」
「やめろ」
「だよね」
珍しく判断が早かった。
その場で立ち尽くす。
「……」
「帰るぞ」
「ちょっと待って」
「今度は何だ」
「整理させて」
黒瀬が指を一本立てる。
「昨日、俺らは未成年だから買えなかった」
「ああ」
二本目。
「店員さんは、教職員もこの店使うって言った」
「ああ」
三本目。
「今日、4章が十一万四千五百十四ポイントで売れた」
「ああ」
四本目。
「その直後、茶柱先生が店から出てきた」
「ああ」
「……」
黒瀬は四本の指を見つめた。
「清隆」
「何だ」
「役満じゃね?」
「違う」
「何が足りないの!?」
「購入したという証拠だ」
「そこだけ!?」
「一番重要だろ」
「でも絶対先生じゃん……」
「だから証拠はない」
「何買ってたんだよ……」
「知らない」
「そもそも何であの店いたんだよ……」
「知らない」
「十一万も払う?」
「知らない」
「教師ってそんなポイント持ってんの?」
「知らない」
「清隆なんも知らないじゃん!」
「俺に聞くな」
黒瀬はしばらく、茶柱が消えていった方向を見つめていた。
「……追わない?」
「追わない」
「ちょっとだけ」
「追わない」
「聞くだけ」
「やめろ」
「『先生、昨日の放課後何してました?』から入れば自然じゃね?」
「取り調べを始めるな」
「じゃあ鈴音ちゃん経由で――」
「巻き込むな」
「桔梗なら聞いてくれるかな」
「もっと巻き込むな」
「じゃあどうすんの?」
「何もしない」
「えぇ……」
心底不満そうだった。
「気にならないの?」
「多少は」
「ほら!」
「だからといって調べる必要はない」
「なんで?」
「誰が買っていても俺には関係ない」
「俺にはある!」
「何があるんだ」
「……」
黒瀬が考える。
「気になる」
「それだけだろ」
「それが大事なんじゃん」
黒瀬にとってはそうなのだろう。
再び茶柱が消えた方向を見る。
「……先生なのかなぁ」
「知らない」
「でもさ」
「何だ」
「もし茶柱先生だったら」
「ああ」
「俺らが十一万集める方法考えてた横で、普通に買って帰ったってこと?」
「そうなるな」
「……」
黒瀬が遠い目をした。
「大人って汚いな」
「そういう話じゃない」
「財力の暴力じゃん」
「正規の購入だ」
「教師が4章に十一万突っ込む方が怖いって」
「仮に茶柱先生だった場合はな」
「絶対そうじゃん……」
「決めつけるな」
俺たちは寮へ向かって歩き始めた。
黒瀬はしばらく静かだった。
十秒ほど。
「清隆」
「何だ」
「やっぱ先生じゃね?」
「知らない」
さらに十秒。
「清隆」
「何だ」
「紙袋とか持ってなかった?」
「見てない」
「俺も見てない」
「なら聞くな」
「隠してたとか?」
「知らない」
「懐に4章入れて――」
「もう忘れろ」
「無理だって!」
昨日までは、十一万四千五百十四ポイントという値札そのものが最大の謎だった。
今日は商品が消えた。
購入者は成人。
そして、その直後に茶柱が店から出てきた。
分かったことは増えたはずなのに。
なぜか昨日より分からないことが増えている。
「清隆」
「今度は何だ」
「明日もう一回店行かない?」
「行かない」
「店員さんに購入者の特徴だけ――」
「教えるわけないだろ」
「だよねぇ」
黒瀬は諦めきれない様子で振り返った。
当然、茶柱の姿はもうない。
……結局。
十一万四千五百十四ポイントの映像を誰が購入したのか。
茶柱があの店で何をしていたのか。
偶然だったのか。
そうではなかったのか。
何一つ分からなかった。
そして恐らく。
今後、わざわざ確かめることもない。