Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」 作:ホモガキ
数日前に受けた数学の小テストが返ってきた。
「黒瀬」
「はい」
茶柱先生が答案用紙を一枚持ち上げる。
「六十八点」
「……」
黒瀬が止まった。
「どうした。受け取らないのか?」
「先生」
「何だ」
「俺、天才かもしれません」
「違う」
「即答!?」
教室の何人かが笑った。
黒瀬は不満そうな顔をしながら答案用紙を受け取ると、そのまま自分の席へ戻ろうとして――途中で方向を変えた。
俺の机まで来る。
「清隆」
「何だ」
答案用紙が目の前に突き出された。
「見て」
「見えてる」
「六十八」
「ああ」
「赤点じゃない!」
「そうだな」
「もっと喜べよ!」
「お前が取った点だろ」
「半分くらい清隆のおかげじゃん」
「いらない」
「じゃ全部俺の点ね」
「最初からそうだ」
「おっしゃ」
黒瀬は満足そうに笑った。
数日前。
黒瀬の部屋で、数学を一時間半ほど教えた。
話の流れで例の映像を見ることになったが、俺には最後まで何がそこまで面白いのか分からなかった。
黒瀬は何度も笑っていた。
翌日の小テストでは、それなりに成果が出たらしい。
「幸村くん何点?」
黒瀬が近くにいた幸村へ聞く。
「九十六」
「……」
「何だ」
「帰って」
「俺の席なんだが」
「四点くらい俺にくれてもよくない?」
「点数は譲渡できない」
「この学校なんでもポイントで買えるじゃん」
「ポイントで点数が買えることと譲渡できることは別問題だ」
黒瀬が茶柱先生を見る。
「先生、点数って買えます?」
「買ってどうする」
「2点買って黒瀬莉愛、初の70点と言う快挙を成し遂げます」
「虚しくならんのか」
「虚しいので次は自力で七十狙います」
「最初からそうしろ」
「はい」
返事だけは素直だった。
席へ戻りながら、黒瀬は答案用紙を何度か眺めている。
六十八点。
本人にとっては、それなりに嬉しい数字らしい。
◇
期末試験も終わり、夏休みが目前に迫っていた。
教室全体が、普段より明らかに浮ついている。
「夏休み何する?」
池が朝からそんな話をしていた。
「海だろ!」
山内が答える。
「プールもいいな!」
「いや、まず女子の――」
「そこしか考えてないだろ、お前ら」
幸村が呆れた声を出す。
「高校生の夏だぞ!?」
「だから何だ」
「何でそんな冷静なんだよ!」
須藤は少し離れた席で、
「俺は部活あるからな」
と、あまり興味がなさそうだった。
「須藤、お前夏休みほとんどバスケ?」
「まあな」
「人生損してね?」
「してねえよ」
「黒瀬は?」
池が聞く。
「ん?」
黒瀬は机に頬杖をついたまま顔を上げた。
「夏休み何する?」
「分かんない」
「予定ないの?」
「ないね」
「じゃ遊ぼうぜ!」
「いいよ」
「軽っ!」
「暇ならよくない?」
「じゃ海!」
「いいね」
「プール!」
「それもいい」
「花火!」
「やろ」
「全部乗るじゃん」
「夏休みだぞ?」
黒瀬は当然のように言った。
「清隆は?」
こちらにも話が飛んでくる。
「特にない」
「じゃ暇じゃん」
「またその理屈か」
「遊ぼ」
「予定が決まってから言え」
「まだ何も決めてない」
「なら今決める必要もないだろ」
「清隆ってほんと遊びに行く才能ないよね」
「そんな才能は必要ない」
「ほらそういうとこw」
黒瀬が笑う。
そこで教室の扉が開いた。
茶柱先生だった。
「席につけ」
騒いでいた生徒たちがそれぞれの場所へ戻る。
茶柱先生は教卓へ立つと、いつものように出席を取る前に一枚の資料を持ち上げた。
「夏季休暇について連絡がある」
池たちが分かりやすく反応する。
「今年度の夏季休暇中、一年生には学校行事が予定されている」
「学校行事?」
誰かが呟いた。
「詳細については後日改めて説明する。まず日程だけ伝えておく。指定日に集合した後、学校が用意した客船へ乗船してもらう」
一瞬。
教室が静かになった。
「……客船?」
池が聞き返す。
「ああ」
「船!?」
「そうだ」
「豪華客船!?」
「豪華かどうかは、自分で見て判断しろ」
「マジかよ!」
そこから一気に騒がしくなる。
「旅行じゃん!」
「海!」
「夏休み神!」
そして。
「え、船!?」
近くから一際大きな声が飛んできた。
黒瀬だった。
「先生、タダですか!?」
「学校行事だ。当然、必要な費用は学校側が負担する」
「マジ!?」
「黒瀬」
「はい!」
「まだ説明中だ」
「すみません」
一度は黙った。
三秒ほどで、こちらへ顔を向ける。
「清隆」
「何だ」
「船だって」
「聞いてた」
「豪華客船かもしんない」
「先生はそう言ってない」
「客船なら十分じゃん」
「そうか」
「テンション低くない?」
「この学校が、何の目的もなく旅行を用意するとは思えない」
「夏休みだよ?」
「だから何だ」
「普通に旅行かもしんないじゃん」
「そうだといいな」
「何その言い方w」
前の席から堀北が振り返った。
「綾小路くんの警戒は妥当でしょうね」
「鈴音ちゃんまで?」
「この学校が、生徒を遊ばせるためだけに多額の費用を使うとは考えにくいわ」
「でも船だよ?」
「船だから何なの」
「テンション上がるじゃん」
「会話にならないわね」
「冷たw」
茶柱先生が教卓を軽く叩いた。
「そこ。私語をするなら廊下で続けろ」
「すみません」
今度こそ黒瀬は前を向いた。
少しして。
「清隆」
「今度は何だ」
小声だった。
「豪華客船乗ったことある?」
「ない」
「マジ?」
「ああ」
「俺もない」
「そうか」
「じゃ甲板行こうぜ」
「まだ乗ってない」
「乗ったら」
「なぜ俺と行くことが決まってる」
「一緒に見た方がおもろいじゃん」
「誰と見ても海は同じだろ」
「そういうことじゃないって」
「じゃどういうことだ」
「知らんw」
本人も分かっていなかった。
◇
数日後。
港に停泊している客船を目にした黒瀬の第一声は、
「でっか!」
だった。
「語彙力」
「いや、でかいもんはでかいでしょ!」
周囲でも一年生たちが次々と声を上げていた。
大型の客船は、学校行事のために用意されたものとは思えないほど立派だった。
「すげえ!」
「ホテルじゃん!」
「これ全部学校持ち!?」
池たちも完全に旅行気分だ。
「清隆!」
袖を引かれる。
「何だ」
「写真撮って」
「自分で撮れ」
「船と俺一緒に入んないじゃん」
「誰かに頼め」
「清隆がいい」
「……」
「ほら」
スマートフォンを渡される。
断るほどのことでもない。
「そこに立て」
「おっけ」
黒瀬が船を背にする。
いつもより少し髪を整えているように見えた。
「撮るぞ」
「待って」
「何だ」
「もうちょい船入れて」
「分かった」
「でも俺ちっちゃくしないでね」
「どっちだ」
「俺メインで船もでかく」
「無理を言うな」
「できるって」
「撮るぞ」
「はい」
一枚。
「見せて」
撮影を終えると、すぐ隣へ来る。
「ほら」
「……」
「何だ」
「俺ちっちゃくない?」
「船を入れろと言っただろ」
「俺をメインに船を入れてよ」
「注文が多いな」
「彼氏なら彼女くらい可愛く撮ってよw」
「いつからそうなった」
「今」
「そうか」
「否定しろよw」
「もう一枚撮るのか?」
「撮る!」
今度は少し構図を変える。
「はい」
「どう?」
写真を見せる。
「お」
黒瀬の顔が明るくなった。
「いいじゃん」
「そうか」
「最初からこれやってよ」
「二枚目だから調整できた」
「清隆、写真の才能あるよ」
「いらない」
「なんで全部いらないの?」
「あれ?」
後ろから声がした。
振り返る。
軽井沢と平田だった。
「莉愛じゃん」
「恵!」
「何してんの?」
「清隆に写真撮ってもらってる」
「へえー」
軽井沢が俺を見る。
次に黒瀬。
また俺。
「何その顔」
「別に?」
「絶対なんかあるじゃん」
「デート楽しんでるなーって」
「違うってw」
「二人で船見て、写真撮ってもらって?」
「うん」
「それ、普通にデートじゃない?」
「マジ?」
黒瀬が俺を見る。
「清隆、俺らデートしてたらしいよ」
「俺に聞くな」
平田が穏やかに笑う。
「二人とも楽しそうだね」
「平田くんまで!」
「いい意味でだよ」
「平田くんたちは?」
「僕たちも少し船を見て回ってたところだよ」
「デートじゃん!」
「僕たちはそうだね」
「じゃ一緒じゃん清隆!」
「向こうは付き合ってるだろ」
「細けえなぁ」
「そこは重要じゃない?」
軽井沢が笑った。
「莉愛って、綾小路のこと困らせるの楽しんでるよね」
「楽しいよ?」
「即答なんだ」
「反応薄いから崩したくなるんよw」
「大変だね、綾小路」
「分かってくれるか」
「清隆、被害者みたいな顔してんじゃんw」
「実際そうだろ」
「でも結局付き合ってくれてるじゃん」
「お前がしつこいからだ」
「はいはいw」
軽井沢の顔が明らかに楽しそうだった。
◇
客船の中は、学校行事の会場というより高級ホテルに近かった。
広いロビー。
飲食店。
売店。
娯楽施設。
どこを見ても、生徒の姿がある。
「この学校マジで金あるな」
黒瀬が周囲を見回す。
「清隆、ここ住める?」
「住む必要がない」
「俺ちょっと住みたい」
「一週間で飽きるだろ」
「一週間住めたら十分じゃん」
軽井沢が隣で笑う。
「莉愛、テンション高すぎ」
「恵低くない?」
「私も楽しんでるけど、莉愛ほどじゃない」
「平田くんは?」
「僕も結構楽しいよ」
「ほら」
「何がほらなの?」
四人で船内を見て回る。
途中、ゲームコーナーがあった。
「やる?」
黒瀬が聞く。
「また?」
軽井沢が言う。
「この前もゲームしたじゃん」
「この前はこの前じゃん」
「便利な理屈だね」
「使っていいよ」
「遠慮しとく」
黒瀬が四人で遊べそうな対戦ゲームを見つける。
「これにしよ」
前回と同じように、自然と組み合わせが分かれた。
平田と軽井沢。
俺と黒瀬。
「清隆、俺ら今日もチームね」
「なぜだ」
「相性いいから」
「またそれか」
「この前証明されたじゃん」
「お前が失敗して俺が補っただけだろ」
「それがチームプレイでしょ」
「もう少し自分で働け」
「頑張ります」
結果として、口ほどには働かなかった。
「清隆!」
「何だ」
「そこ! そこ取って!」
「分かってる」
「恵強くない!?」
「莉愛が弱いの!」
「平田くんも普通にうまいし!」
「ありがとう」
「清隆なんとかして!」
「お前もなんとかしろ」
「やってるって!」
やっているつもりではあるらしい。
ゲームが終わる。
俺たちの負けだった。
「惜しかったー」
「結構差があったけど?」
軽井沢が笑う。
「体感では惜しかった」
「便利だねその体感」
「清隆」
「何だ」
「腹減った」
「さっき売店で何か食べてただろ」
「あれはおやつ」
「そうか」
「なんか食べよ」
「好きにしろ」
「清隆も来るよ」
「なぜ確定してる」
「ここまで一緒に来たから」
「理由になってない」
「恵たちも行こ!」
「行く行く」
軽井沢はすぐ乗った。
平田も特に断らない。
結局、四人で食事を取ることになった。
◇
「莉愛」
「ん?」
食事中。
軽井沢が不意に黒瀬へ話を振った。
「そういえば柴田くんとはどうなったの?」
「あー」
黒瀬は少し考える。
「普通に友達」
「また?」
「またって何w」
「ご飯行ったんでしょ?」
「行った」
「また誘われてる?」
「うん」
「行くの?」
「まだ分かんない」
「なんで?」
「予定あるし」
「例えば?」
「今日」
「今日?」
「清隆と遊ぶ予定入ってたじゃん」
軽井沢が一瞬黙る。
「私と洋介もいるけど?」
「いるね」
「そこ忘れてない?」
「忘れてないってw」
「でも最初は二人で回ってたんでしょ?」
「うん」
「ふーん」
「何?」
「別に?」
「またそれw」
黒瀬は笑う。
俺はそのまま食事を続けた。
今日の予定が先に入っていた。
柴田との食事は後からでも構わない。
それだけの話だ。
「ていうかさ」
軽井沢が少し身を乗り出す。
「前から気になってたんだけど」
「何?」
「莉愛、綾小路だけ呼び方違うよね」
「え?」
「男子で下の名前呼び、綾小路だけじゃない?」
「……」
黒瀬が俺を見る。
「そうだっけ?」
「俺に聞くな」
「平田くん」
「僕は平田くんだね」
「柴田くん」
「柴田くん」
「須藤くん」
「須藤くん」
「池くん」
「池くん」
「幸村くん」
「幸村くん」
黒瀬の指が止まる。
「……マジじゃん」
「今気づいたの?」
「気にしたことなかった」
「なんで綾小路だけ清隆なの?」
「なんでって……」
黒瀬が考える。
「清隆だから?」
「答えになってない」
「でも清隆は清隆じゃん」
「ほら」
軽井沢が俺を見る。
「何だ」
「別に?」
「それをやめろ」
平田が少し笑う。
「呼び方って、自然に決まることもあるからね」
「平田くん優しい」
「洋介はいつも優しいから」
軽井沢が当然のように答える。
「じゃ清隆も清隆って呼ばれてるから優しい?」
「それは関係ないでしょ」
「なんでだよw」
軽井沢が俺を見る。
「でも綾小路、莉愛には結構甘いよね」
「どこがだ」
「反応早っ」
「事実と違うからだ」
「この前も一日一緒に遊んで、今日もずっと一緒にいるじゃん」
「黒瀬が勝手に予定へ入れてくるだけだ」
「俺を予定荒らしみたいに言うなってw」
「違うのか」
「違うよ!」
そこで。
「あれ?」
聞き覚えのある声がした。
振り向く。
「莉愛ちゃん!」
「帆波じゃん!」
一之瀬だった。
「軽井沢さんと平田くんも。綾小路くんも」
「ああ」
「みんなでご飯?」
「そう」
黒瀬が答える。
「途中から四人になった」
「途中から?」
「最初は俺と清隆で船見てた」
「へえ」
一之瀬の視線が俺へ向く。
少しだけ笑う。
「じゃあ、ダブルデートみたいだね」
「違う」
「違うってw」
声が重なった。
「……」
「……」
軽井沢が先に吹き出した。
「息合いすぎでしょ!」
「恵うるさい!」
「俺まで巻き込むな」
一之瀬まで笑う。
「でも莉愛ちゃん、楽しそう」
「そりゃ楽しいよ。船だよ?」
「綾小路くんと一緒だから?」
「それもある」
「……」
一之瀬が少し止まった。
黒瀬は何も気にしていない。
「何?」
「ううん」
一之瀬が笑う。
「そっか」
「何その反応」
「何でもないよ?」
「帆波までそれやるん?」
「軽井沢さんに教えてもらった」
「嘘でしょw」
軽井沢が笑う。
一之瀬が空いている席を見る。
「私も少し混ざっていい?」
「いいよ」
黒瀬がすぐ答える。
「帆波、ご飯まだ?」
「まだだよ」
「じゃ食べよ」
「ありがとう」
一之瀬が加わり、五人になる。
食事をしながら、再び会話が続いた。
「そういえば」
一之瀬が黒瀬を見る。
「莉愛ちゃん、綾小路くんだけ下の名前で呼ぶんだね」
「帆波もそこ!?」
「さっき聞こえちゃって」
「そうらしい」
「柴田くんは柴田くん?」
「うん」
「平田くんも平田くん」
「うん」
「でも綾小路くんは清隆」
「うん」
一之瀬が少し笑う。
「綾小路くんだけなんだね」
「まあ……そうみたい」
「へえ」
「何?」
「何でもないよ」
「絶対なんかあるじゃんw」
一之瀬はそれ以上追及しなかった。
代わりに軽井沢が、
「莉愛、それ結構分かりやすいと思うけど」
と言った。
「何が?」
「分かってないならいい」
「恵までそれ!」
黒瀬が不満そうにする。
俺にも、何がそこまで面白いのか分からなかった。
少なくとも黒瀬本人は、呼び方に特別な理由を持っていないらしい。
ただ自然に、そうなった。
本人の説明を信じるなら、それだけだ。
「これうま」
黒瀬が売店で買った小さな菓子を開けた。
「何それ?」
軽井沢が聞く。
「船限定っぽいやつ」
「一個ちょうだい」
「いいよ」
軽井沢へ渡す。
「平田くんも食べる?」
「じゃあ一つだけ」
「帆波も」
「ありがとう」
最後に。
「清隆も食べてみ」
「いらない」
「一口だけ」
「お前が食べろ」
「ほら、早くw」
黒瀬が一つ摘んだまま俺の前へ出す。
「……」
「あーん」
「やめろ」
「じゃ口開けてよw」
「自分で食べろ」
「清隆ぁ〜」
面倒になった。
一口だけ食べる。
「どう?」
「普通」
「うまいでしょ?」
「普通にうまい」
「ほら!」
黒瀬は満足したように自分の分を口へ放り込んだ。
「……」
「……」
軽井沢と一之瀬がこちらを見ている。
「何?」
黒瀬が気づく。
「別に?」
軽井沢。
一之瀬は少し笑った。
「お熱いね〜」
「何が!?」
「なんでもないよ」
「一口あげただけじゃん!」
「うん」
「そうだよ!」
「綾小路くんも普通に食べるんだなと思って」
「……」
「清隆?」
「何だ」
「なんで黙った?」
「面倒だからだ」
「絶対なんか隠してんじゃんw」
「何もない」
「怪しい」
一之瀬が笑う。
軽井沢も同じだった。
平田まで少しだけ笑っている。
「平田くんまで!?」
「ごめん。楽しそうだなと思って」
「みんな今日俺で遊んでない?」
「莉愛が面白いからでしょ」
「恵が一番ひどい!」
◇
食事を終えた後、一之瀬はBクラスの友人たちのところへ戻ることになった。
「じゃあ、またね」
「おー」
「軽井沢さんも平田くんも」
「またね」
「うん。また後で」
一之瀬が俺にも視線を向ける。
「綾小路くんも」
「ああ」
少し歩いてから。
一之瀬が黒瀬に聞こえない程度の距離で、一度だけこちらを振り返った。
笑っていた。
理由は分からない。
「帆波、なんだったん?」
「さあな」
「清隆分かってない?」
「何を」
「俺も分かんない」
「なら聞くな」
「冷たw」
しばらく船内を歩く。
途中で軽井沢が黒瀬の腕を引いた。
「莉愛、ちょっと飲み物買いに行こ」
「いいよ」
二人が離れる。
俺と平田が残った。
「綾小路くん」
「何だ」
「今日は楽しそうだね」
「そう見えるか?」
「うん」
「黒瀬がずっと騒いでるだけだ」
「それもあるかもしれないね」
平田は穏やかに笑った。
「でも、黒瀬さんといる時は普段よりよく話してる気がする」
「そうか?」
「うん」
言われてみれば、返答する回数は多いかもしれない。
黒瀬がこちらへ話しかける回数自体が多いからだろう。
「それに、黒瀬さんのこともよく見てる気がする」
「気のせいじゃないか」
「そうかもしれないね」
平田はそれ以上追及しなかった。
少し離れた場所。
黒瀬と軽井沢が自動販売機の前で話している。
黒瀬が笑う。
軽井沢が何か言う。
黒瀬が反論する。
確かに視界には入っていた。
それ以上の意味があるとは思わない。
◇
「ねえ莉愛」
「ん?」
二人が戻ってくる途中でも、軽井沢は話を続けていた。
「結局、綾小路のことどう思ってんの?」
「清隆?」
「うん」
「友達」
「それだけ?」
「めっちゃ仲いい友達?」
「……」
「何?」
「いや、本当にそう思ってるんだなって」
「他になんかある?」
「別に」
「またそれw」
軽井沢が笑う。
「じゃ、友達として綾小路のどこが好きなの?」
「好き?」
「そう」
「あー」
黒瀬は少し考えた。
「楽」
「楽?」
「うん。なんか気使わなくていいんよね」
「へえ」
「嫌なら嫌って言うし、変に合わせてこないし。俺がアホなこと言っても大体返してくれるし」
「……」
「あと困った時、なんだかんだ助けてくれる」
「それ、かなり好きじゃない?」
「だから友達としてでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「あと何でも知ってて便利」
「最後ひど」
「でもマジで便利だよ?」
「人を物みたいに言わないで」
「本人に言ったら怒るから言わないw」
「黒瀬」
「え?」
黒瀬がこちらを見る。
「全部聞こえてるぞ」
「……どこから?」
「最初から」
「え、マジ?」
「お前の声が大きい」
「恵、聞こえてんじゃん!w」
「私のせい!?」
「場所選んでよ!」
「莉愛が勝手に喋ったんでしょ!」
「清隆、今のなし!」
「無理だ」
「便利って褒めてるんだってw」
「そうか」
「怒ってない?」
「別に」
「セーフだったわ」
「知らないよ」
軽井沢が呆れた。
黒瀬は少しだけ安心したように笑った。
何を心配していたのかは分からない。
◇
夕方。
「私たち、ちょっと二人で行ってくるね」
軽井沢が言った。
「どこ?」
「どこでもいいでしょ」
「秘密?」
「デートだから」
「あー」
黒瀬が納得する。
「じゃまた後で」
「うん」
「綾小路」
「何だ」
「莉愛のことよろしく」
「なぜ俺に言う」
「なんとなく」
「説明になってない」
「じゃあね」
軽井沢はそれだけ言って、平田と歩き出す。
「また後で」
平田も軽く手を上げた。
残ったのは俺と黒瀬だけだった。
「どうする?」
「お前が決めろ」
「甲板行こ」
「やっぱり行くのか」
「最初から言ってたじゃん」
確かにそうだった。
◇
夕方の甲板は、昼間より人が少なかった。
風が少し強い。
夕日に照らされた海が、遠くまで続いている。
黒瀬が手すりの近くまで歩いていく。
「……」
珍しく静かだった。
「綺麗だな」
「そうだな」
しばらく海を見る。
黒瀬がふと思い出したようにこちらを向いた。
「清隆」
「何だ」
「写真撮ろ」
「またか」
「今度は二人で」
「……」
「何?」
「いや」
「ほら来て」
袖を掴まれる。
黒瀬は近くにいた女子生徒へ声をかけた。
「すみません、写真お願いしていいですか?」
「いいよ」
スマートフォンを渡す。
俺と黒瀬が並ぶ。
「もう少し寄ってくださーい」
撮影を頼まれた女子が言う。
黒瀬がこちらを見る。
「だって」
「十分だろ」
「清隆遠いってw」
黒瀬が一歩寄った。
肩が触れる。
「撮りますねー」
一枚。
「もう一枚いいですか?」
「お願いします!」
二枚目。
「ありがとうございます!」
黒瀬がスマートフォンを受け取る。
「見よ」
すぐ隣に寄って画面を開く。
「お」
夕焼けの海を背にした二人が写っている。
「いいじゃん」
「そうか」
「送るね」
「いらない」
「送る」
「なら聞くな」
「待ち受けにしていいよ?」
「しない」
「照れんなってw」
「照れてない」
「清隆ぁ〜?」
「何だ」
黒瀬が笑う。
「今日楽しかった?」
「まあな」
「お」
「何だ」
「素直じゃん」
「聞かれたから答えただけだ」
「またそれw」
黒瀬は海へ視線を戻した。
「俺は清隆と一緒だったから楽しかったよ」
「……」
こちらを見てはいない。
告白するような言い方でもない。
思ったことを、そのまま口にしただけ。
そんな言葉だった。
「そうか」
「また『そうか』じゃんw」
「事実を聞いたからな」
「もうちょいなんかないの?」
「何を言えばいい」
「俺も、とか」
「……」
「ほら言えない」
「俺も楽しかった」
「……」
今度は黒瀬が黙った。
「何だ」
「いや」
「お前が言わせたんだろ」
「そうだけど」
「なら何だ」
「清隆が素直だとちょっと気持ち悪いなって」
「お前が言わせたんだろ」
「二回言ったw」
「なら文句を言うな」
「はいはい」
黒瀬が笑う。
少し間を置いて。
「でも、ちょっと嬉しいw」
「そうか」
「そこはまたそうかなんだ」
「他に何を言えと」
「知らんw」
また海を見る。
さっきまでの騒がしさが嘘のように静かだった。
「こういうのいいね」
「何がだ」
「何も考えず遊ぶの」
「……」
「学校入ってから、なんか色々あったじゃん」
「ああ」
「ポイントなくなったり」
「お前の使い方にも問題はある」
「須藤くん退学しそうになったり」
「ああ」
「石崎くんたちと色々あったり」
「お前は途中から飯を作ってただけだろ」
「あれ大変だったんだからね?」
「知ってる」
「でも今日みたいなの普通じゃん」
「普通?」
「うん」
黒瀬は夕焼けの海を見る。
「友達と船乗って、飯食って、ゲームして、写真撮って」
「そうだな」
「こういうの高校生っぽくない?」
「そうかもしれないな」
「清隆もこういうのいっぱいやった方がいいよ」
「なぜ」
「楽しいから」
「単純だな」
「楽しいことに複雑な理由いる?」
「……」
黒瀬らしい答えだった。
「卒業するまでにいっぱい遊ぼうぜ」
「気が早いな」
「三年なんてすぐじゃね?」
「まだ一年目だ」
「じゃ三年分遊べるじゃん」
「そういう考え方もあるか」
「あるある」
黒瀬は満足そうに笑った。
その時。
船内放送が流れた。
『一年生の皆さんに連絡します』
「ん?」
黒瀬が顔を上げる。
『明朝、指定時刻までに各クラス所定の場所へ集合してください。詳細については担任より説明があります』
放送が終わる。
「……」
「清隆」
「何だ」
「これ何?」
「知らない」
「遊びの説明?」
「そうだといいな」
「またその言い方w」
「嫌な予感はする」
「鈴音ちゃんみたいなこと言うじゃん」
「堀北も同じことを考えているだろうな」
「普通に旅行であれ」
「祈っておけ」
「祈る」
黒瀬は本当に両手を合わせた。
意味があるとは思えなかった。
◇
翌朝。
祈りは通じなかった。
指定場所へ集められた一年生たちの前で、教師陣が説明を始める。
茶柱先生の表情を見た時点で、昨日までとは空気が違うことは分かった。
そして。
「これより、夏季特別試験を開始する」
「……」
横を見る。
黒瀬が止まっていた。
「……は?」
数秒。
「清隆」
「何だ」
「この学校、またなんか始めた?」
「そうらしいな」
「昨日めっちゃ楽しかったじゃん!」
「それとこれは別だろ」
「普通に旅行じゃなかったの!?」
「旅行だけではなかったらしい」
「マジかぁ……」
黒瀬は本気で落胆した。
前方から茶柱先生の声が飛ぶ。
「黒瀬。話を聞け」
「はい」
少し間を置いて。
「先生」
「何だ」
「これ、ただの旅行じゃなかったんですか?」
「私は一度も旅行だとは言っていない」
「……言ってないんかい」
「分かったなら黙って聞け」
「はい……」
黒瀬は心底裏切られたような顔で前を向いた。
昨日、夕焼けの海を見ながら、
『じゃ三年分遊べるじゃん』
そう言っていた。
この学校が、その三年間をただ遊ばせてくれる場所ではないことだけは確かだった。
それでも昨日の時間まで無駄になるわけではない。
黒瀬から送られてきた、夕焼けを背にした二人の写真は、まだ端末に残っている。
消す必要も、特にないだろう。