Dクラス「ドッ!ワハハ」 綾小路「wwww」 オリ主「あ、綾小路くんも笑ってるよw」 綾小路「」   作:ホモガキ

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第22話 助けてって言われたから

 

 

 

 

 昼を過ぎた頃には、朝より身体が重くなっていた。

 

 それでも、動けないほどではない。

 

 莉愛は水の入った容器を地面へ下ろし、腰を伸ばした。

 

「……っ」

 

 腹の奥が鈍く痛む。

 

 数秒待つ。

 

 治まった。

 

「よし」

 

 誰に言うでもなく呟いて、もう一度容器を持ち上げる。

 

 昨日から始まった生理。

 

 連日の寝不足。

 

 一週間近い慣れない野外生活。

 

 原因なんていくらでも思いつく。

 

 逆に言えば、それだけだ。

 

 寝込むほどじゃない。

 

 歩ける。

 

 荷物だって持てる。

 

 なら、まだ大丈夫だった。

 

「黒瀬」

 

「ん?」

 

 振り返る。

 

 清隆が立っていた。

 

「それ、どこへ運ぶんだ」

 

「向こう。水足りないって」

 

「貸せ」

 

「いや平気だよ」

 

「貸せ」

 

「……なんで今日みんな俺に休めって言うの?」

 

「みんなに言われてるなら、少しは自分を疑え」

 

「多数決?」

 

「そう思ってもいい」

 

 清隆が容器を取る。

 

 莉愛は抵抗しなかった。

 

 正直、少し助かった。

 

「清隆、優しいじゃん」

 

「今さらか」

 

「自分で言うんだw」

 

 並んで歩く。

 

 数歩進んだところで、清隆がこちらを見る。

 

「朝からほとんど食べてないな」

 

「食べたよ?」

 

「普段の半分以下だ」

 

「……何で知ってんの?」

 

「見れば分かる」

 

「俺の飯の量まで見てんの怖くない?」

 

「お前が分かりやすいだけだ」

 

「絶対違うって」

 

 莉愛は笑った。

 

 清隆は笑わない。

 

「熱は?」

 

「ないない」

 

「測ったのか?」

 

「測ってない」

 

「なら分からないだろ」

 

「でも熱ある感じしないし」

 

「そうか」

 

 そこで会話が切れた。

 

 普段なら、それで終わる。

 

 今日は清隆がまだこちらを見ている。

 

「何?」

 

「今日は休め」

 

「鈴音ちゃんの次は俺?」

 

「堀北はもう昨日より回復してる」

 

「よかったじゃん」

 

「今はお前の方が顔色が悪い」

 

「マジ?」

 

「ああ」

 

 少し迷った。

 

 莉愛は自分の頬を触る。

 

 当然、顔色なんて分からない。

 

「じゃあ……午前中は休む」

 

「もう昼だ」

 

「……」

 

「……」

 

「昼休み延長ってことで」

 

「最初から休む気がないだろ」

 

「バレた?」

 

「バレる」

 

 清隆が小さく息を吐いた。

 

 怒っているわけではない。

 

 呆れているだけだろう。

 

「ほんと大丈夫だって」

 

「昨日からその言葉を何回聞いたと思う」

 

「数えてんの?」

 

「数えるほどでもない」

 

「どっちだよw」

 

 清隆は答えず、水を運んでいった。

 

 莉愛はその背中を見送る。

 

 少しだけ、胸の奥が温かくなった。

 

 心配されるのは嫌いではない。

 

 ただ、心配させたいわけでもなかった。

 

     ◇

 

 無人島試験も終盤に入っていた。

 

 そのせいか、拠点の空気は初日とは違っている。

 

 疲労はある。

 

 不満もある。

 

 昨日の下着泥棒の件も完全には解決していない。

 

 それでも、クラス全体としては最初よりずっとまとまっていた。

 

 平田が全体を見ている。

 

 池は相変わらず野外生活では頼りになる。

 

 須藤は文句を言いながらも力仕事をこなしている。

 

 堀北の顔色も、今日は明らかに良かった。

 

「鈴音ちゃん」

 

「何かしら」

 

「元気そうじゃん」

 

「昨日休まされたからでしょうね」

 

「休ませた、ね」

 

「ほとんど同じよ」

 

「俺のおかげじゃんw」

 

「あなた一人の功績ではないわ」

 

「そこはありがとうでよくない?」

 

「必要なら言うわ」

 

「今必要じゃない?」

 

「必要ないわね」

 

「冷た」

 

 堀北はいつも通りだった。

 

 少なくとも、その方が安心する。

 

 昨日までの少し青い顔で無理を続けているより、ずっといい。

 

 その堀北が、ふと視線を向けた。

 

「それより黒瀬さん」

 

「何?」

 

「あなた、本当に休んでいるの?」

 

「今休んでるじゃん」

 

「立っているでしょう」

 

「立つのも休憩に入らない?」

 

「入らないわ」

 

「厳しいなぁ」

 

「綾小路くんからも言われたのではなくて?」

 

「……なんで知ってんの?」

 

「今朝、あなたたちが話しているのが見えたからよ」

 

「鈴音ちゃんも俺のこと見すぎじゃね?」

 

「見えるところで騒いでいるだけでしょう」

 

 それは否定できない。

 

 莉愛は近くの木に背中を預けた。

 

「じゃ、これで休憩」

 

「座りなさい」

 

「注文多いってw」

 

 言いながら、その場へ腰を下ろす。

 

 すると少し楽になった。

 

 認めるのは癪だが、堀北の言う通りなのかもしれない。

 

「……」

 

「何?」

 

「素直なのね」

 

「俺だって休む時は休むよ」

 

「そう」

 

 堀北が少しだけ目を細める。

 

 その時だった。

 

 拠点の一角が慌ただしくなった。

 

 何人かが声を上げている。

 

「どうしたの?」

 

 莉愛が立ち上がる。

 

「黒瀬さん」

 

「見るだけ見るだけ」

 

 堀北の制止を軽く流し、人の集まっている方へ向かう。

 

 伊吹がいない。

 

 少し前までいたはずだった。

 

 そして。

 

「堀北さん!」

 

 誰かが呼ぶ。

 

 堀北の表情が変わった。

 

 詳しい事情は莉愛にもすぐには分からなかった。

 

 ただ、伊吹が何かを持ち出した可能性があるらしい。

 

 試験に関わるもの。

 

 堀北がすぐに動く。

 

「鈴音ちゃん」

 

「大丈夫よ」

 

「でも――」

 

「昨日あなたに散々休まされたもの」

 

 そこで一度、莉愛を見る。

 

「今度はあなたが休みなさい」

 

「……」

 

 言い返す前に、堀北は走っていった。

 

「言い逃げじゃん」

 

 莉愛は小さく呟いた。

 

     ◇

 

 しばらくして戻ってきた堀北は、服に土がついていた。

 

「鈴音ちゃん!?」

 

「大きな声を出さないで」

 

「何してきたの?」

 

「少し話し合っただけよ」

 

「絶対話し合いじゃないじゃん」

 

 頬に浅い擦り傷まである。

 

 しかし、足取りはしっかりしていた。

 

「伊吹さんは?」

 

「戻らないでしょうね」

 

「……そっか」

 

 堀北の手元を見る。

 

 少なくとも、試験に必要なものは失っていないようだった。

 

「勝った?」

 

「何の話かしら」

 

「いや、その感じ」

 

「答える必要はないわ」

 

「勝った顔してるw」

 

「黒瀬さん」

 

「はいはい」

 

 その言い方なら、大丈夫なのだろう。

 

 もし昨日までの状態だったら。

 

 莉愛は少しだけ考えた。

 

 堀北が無理を続けていたら、今のようには戻ってこなかったかもしれない。

 

 まあ。

 

 休めと言っておいてよかった。

 

「……何よ」

 

「いや」

 

「?」

 

「鈴音ちゃん無事でよかったなって」

 

「そう」

 

 堀北が一瞬だけ黙る。

 

「あなたも、自分に同じことを言えるようになりなさい」

 

「ん?」

 

「何でもないわ」

 

「何それ」

 

 意味が分からなかった。

 

     ◇

 

 午後。

 

 清隆は何度か拠点を離れていた。

 

 戻ってきたかと思えば堀北と話し、また何かを確認している。

 

 普段と同じ無表情。

 

 なのに、こういう時の清隆は明らかに何か考えている。

 

 莉愛にはもう分かるようになっていた。

 

「清隆」

 

「何だ」

 

「なんかやってる?」

 

「何かとは?」

 

「そういう返しする時はやってんだよなぁ」

 

「気のせいだ」

 

「今回勝てそう?」

 

「どうだろうな」

 

「ほら」

 

「何がだ」

 

「絶対なんか分かってるじゃん」

 

「そう思うならそう思ってればいい」

 

「つまんないの」

 

 清隆はそれ以上答えない。

 

 莉愛も無理に聞かなかった。

 

 清隆には清隆のやり方がある。

 

 必要になれば、きっと動く。

 

 今までだってそうだった。

 

「黒瀬」

 

「ん?」

 

「お前は何してる」

 

「今?」

 

「ああ」

 

「休憩」

 

 清隆が莉愛の手元を見る。

 

 水の入った容器。

 

「それを持って?」

 

「これ運んだら休憩しようと思ってた」

 

「さっきも同じことを言ってなかったか」

 

「……」

 

「黒瀬」

 

「午前は休んだよ?」

 

「三十分程度な」

 

「午前ではあるじゃん」

 

「そういう問題じゃない」

 

「細かいってw」

 

 清隆が黙る。

 

 少し怖い。

 

「何?」

 

「貸せ」

 

「これくらい持てるって」

 

「知ってる」

 

「じゃ――」

 

「持てるかどうかを聞いてない」

 

「……」

 

 水を取られた。

 

「清隆、今日マジで保護者じゃん」

 

「お前が言うことを聞かないからだ」

 

「別に子どもじゃないんだけど」

 

「なら自分で体調管理しろ」

 

「正論やめてよ」

 

「休め」

 

 短い。

 

 いつもより少し強い。

 

 莉愛は両手を上げた。

 

「分かったって」

 

「本当か?」

 

「今度は本当」

 

「そうか」

 

 清隆はそのまま歩いていった。

 

 莉愛はその場に残る。

 

「……」

 

 ちょっとくらい休むか。

 

 本当に。

 

 そう思った。

 

     ◇

 

 結局、一時間もしないうちに動いていた。

 

 誰かに頼まれたわけではない。

 

 少し離れたところで女子二人が重そうな荷物を運んでいるのが見えたからだ。

 

「それ持つよ」

 

「え、莉愛休んでたんじゃないの?」

 

「もう休んだ休んだ」

 

「大丈夫?」

 

「余裕w」

 

 一つ持つ。

 

 思ったより重い。

 

 それでも持てる。

 

 なら問題ない。

 

 運び終えたところで。

 

「黒瀬さん」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

「ん?」

 

 振り返る。

 

 Cクラスの女子が立っている。

 

 真鍋。

 

 名字は覚えていた。

 

「真鍋さんだっけ?」

 

「……覚えてるんだ」

 

「うん。Cクラスでしょ」

 

「そう」

 

 少し息が上がっているように見える。

 

 莉愛が首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと、助けてほしくて」

 

 その言葉で、莉愛の表情が変わった。

 

「何?」

 

「藪が林道の方で足を痛めちゃって」

 

「マジ?」

 

「うん。歩くのちょっと厳しそうで」

 

「先生は?」

 

「まだ。そんな遠くないから、一回こっちまで連れてこようと思ったんだけど」

 

「分かった。どこ?」

 

 考える必要はなかった。

 

「え?」

 

「場所。歩けないなら俺も肩貸すよ。無理なら背負えばいいし」

 

「……」

 

「真鍋さん?」

 

「あ、うん。こっち」

 

 莉愛は真鍋の後についていった。

 

 清隆に休めと言われたばかりだったことは、少しだけ頭をよぎった。

 

 でも。

 

 怪我人がいるなら話は別だ。

 

 連れて戻ってから休めばいい。

 

     ◇

 

 最初のうちは、特に何も思わなかった。

 

 林道を歩く。

 

 木々が日差しを遮ってくれる分、拠点より涼しい。

 

 むしろ少し楽だった。

 

「結構奥だね」

 

「もう少し」

 

「藪さん、この辺一人で来たの?」

 

「山下と一緒」

 

「あー」

 

 少し進む。

 

 真鍋の歩く速度は一定だった。

 

 急いでいるようには見えない。

 

 怪我をした友達を迎えに行く人間にしては、妙に落ち着いている。

 

「真鍋さん」

 

「何?」

 

「藪さんどの辺?」

 

「もう少し」

 

「……さっきもそれ言わなかった?」

 

「言った?」

 

「言ったってw」

 

 真鍋は返事をしない。

 

 莉愛の足が少し遅くなる。

 

 また数十メートル。

 

 人の声は聞こえない。

 

「ねえ」

 

「何?」

 

「本当に怪我してる?」

 

 真鍋が止まった。

 

 莉愛も止まる。

 

「……」

 

「俺さすがにそこまでアホじゃないよ?」

 

 軽く笑う。

 

 返事はない。

 

 木陰から二人の女子が姿を見せた。

 

 藪。

 

 山下。

 

 二人とも普通に立っている。

 

 怪我をしている様子はない。

 

「あー」

 

 ようやく全部繋がった。

 

「俺、ハメられた?」

 

「気づくの遅くない?」

 

「いや、途中では怪しいと思ってたよ」

 

「じゃあなんで来たの?」

 

「だって本当に怪我してたら嫌じゃん」

 

「……」

 

 莉愛は藪の足を見る。

 

「でも怪我してないならよかった」

 

 そう言った瞬間。

 

 真鍋の顔が歪んだ。

 

「……そういうところ」

 

「え?」

 

「そういうところがムカつくの」

 

「何が?」

 

 本気で分からない。

 

 莉愛は三人を見る。

 

「なんか俺した?」

 

「石崎たちと仲いいんだって?」

 

「石崎くん?」

 

 予想外の名前だった。

 

「うん。普通に喋るけど」

 

「小宮とか近藤とも?」

 

「喋るよ」

 

「なんで?」

 

「……なんで?」

 

 質問の意味が分からず、そのまま返してしまう。

 

「同じ学校じゃん」

 

「Dクラスのくせに」

 

「クラス関係なくない?」

 

 真鍋の眉が動いた。

 

 あ。

 

 莉愛はそこで少し理解した。

 

 これ。

 

 多分、クラスの話じゃない。

 

「もしかして、男子と喋ってるのが嫌なの?」

 

「は?」

 

「いや、さっきから石崎くんたちの話ばっかだから」

 

「調子乗ってんじゃないわよ」

 

「乗ってないって」

 

「男子にいい顔して、Cクラスの奴にまで媚びて」

 

「いやいや」

 

 莉愛は思わず苦笑する。

 

「俺、別に媚びてないよ?」

 

「そういう顔するのがムカつくんだよ!」

 

 肩を押された。

 

「……」

 

 一歩下がる。

 

 思ったより強かった。

 

「ちょ、何?」

 

「何されても余裕みたいな顔して」

 

「余裕とかじゃなくて」

 

 もう一度、肩を押される。

 

「やめてって」

 

「怒らないの?」

 

「怒ってるよ?」

 

「全然見えないけど」

 

「いや普通にムカついてるって」

 

 莉愛は肩をさする。

 

「でも押し返したらまた押し返すでしょ?」

 

「……」

 

「お互い嫌な気持ちになるだけじゃん」

 

 それで終わりだった。

 

 莉愛は三人に背を向ける。

 

「話それだけなら俺帰るね」

 

「待ちなよ」

 

 腕を掴まれた。

 

「……」

 

 真鍋だった。

 

「離して」

 

「逃げるの?」

 

「逃げるっていうか……終わったじゃん」

 

「勝手に終わらせないでよ」

 

「じゃ何話すの?」

 

 真鍋が答えない。

 

 握る力だけが少し強くなる。

 

「痛いって」

 

「……」

 

「真鍋さん」

 

 莉愛は真鍋の手を外そうとした。

 

「離してよ」

 

 そこで、別の手が肩に触れた。

 

 押された。

 

「だから――」

 

 一歩。

 

 足を引いた。

 

 その先に地面があると思っていた。

 

「え」

 

 なかった。

 

 正確には。

 

 あったはずの土が、足を乗せた瞬間に崩れた。

 

「黒瀬――!」

 

 身体が傾く。

 

 反射的に枝へ手を伸ばす。

 

 届かない。

 

「っ……!」

 

 背中を打つ。

 

 肩。

 

 腰。

 

 土と葉が視界を流れていく。

 

 止まらない。

 

 何かを掴もうとしても指が滑る。

 

 次の瞬間。

 

 右足が何かに引っかかった。

 

「――っ!」

 

 声にならない。

 

 足首に、今まで感じたことのない痛みが走る。

 

 それでも身体は止まらなかった。

 

 もう一度転がり。

 

 最後に地面へ叩きつけられて。

 

 ようやく止まった。

 

「……っ、ぅ……」

 

 息ができない。

 

 肺の中の空気が全部押し出されたようだった。

 

 しばらく、何も考えられなかった。

 

     ◇

 

「黒瀬!」

 

 遠くから声がした。

 

 上。

 

 莉愛はゆっくり顔を上げる。

 

 木々の隙間。

 

 かなり高い。

 

「黒瀬! 大丈夫!?」

 

「……」

 

 大丈夫。

 

 そう返そうとして。

 

「……ぅ」

 

 右足が脈打った。

 

 痛い。

 

 とにかく痛い。

 

「黒瀬!」

 

「……だい、じょうぶ!」

 

 どうにか声を出す。

 

「生きてるから!」

 

「どうしよう……」

 

「こんな落ちるなんて……」

 

「先生呼んだ方が――」

 

 声が重なる。

 

 莉愛は目を閉じた。

 

 頭は打っていない。

 

 多分。

 

 手も動く。

 

 左足も動く。

 

 右足だけが、どうしようもなく痛い。

 

「俺……ちょっと、休んだら戻るから!」

 

 自分でも無理があると思った。

 

 それでも言った。

 

 上の三人は何か話している。

 

 全部は聞こえない。

 

 龍園。

 

 指示。

 

 バレる。

 

 先生。

 

 そんな単語だけが落ちてくる。

 

「……」

 

 少しして。

 

 声がなくなった。

 

「真鍋さん?」

 

 返事はない。

 

「……藪さん?」

 

 何も聞こえない。

 

「山下さん?」

 

 森の音だけ。

 

「……行った?」

 

 莉愛はしばらく上を見ていた。

 

 誰も戻ってこなかった。

 

「マジかぁ……」

 

 口から漏れた。

 

 困った。

 

 本当に困った。

 

     ◇

 

 立たないと。

 

 そう思って、地面に手をつく。

 

 左足へ力を入れる。

 

 右足も、少しだけ。

 

「――っ!」

 

 身体が崩れた。

 

「っ……ぅ、ぁ……」

 

 声が漏れる。

 

 反射的に右足を抱えそうになって、触れるだけでも痛くてやめた。

 

 呼吸が早くなる。

 

「……待って」

 

 落ち着け。

 

 清隆なら多分そう言う。

 

 まず確認。

 

 足。

 

 動かす。

 

 ――無理。

 

 少し角度を変えるだけでも痛い。

 

「……これ」

 

 嫌な汗が出る。

 

「普通に折れてるかも……」

 

 そこで、ふと思い出した。

 

「……時計」

 

 左手首を見る。

 

 試験開始時に全員へ渡された腕時計。

 

 位置情報の把握。

 

 体調管理。

 

 そして、緊急時に学校へ知らせるためのもの。

 

「そうじゃん……!」

 

 これがある。

 

 先生を呼べる。

 

 莉愛は急いで手首を持ち上げた。

 

「……」

 

 画面に大きく亀裂が入っていた。

 

「え」

 

 落下した時に岩へぶつけたのか。

 

 側面にも傷がついている。

 

「いやいや……」

 

 緊急用のボタンを押す。

 

「……」

 

 反応しない。

 

 もう一度。

 

「……」

 

 長く押す。

 

 何も起きない。

 

「嘘でしょ」

 

 莉愛は何度も押した。

 

「ちょ、待って」

 

 反応しない。

 

「こういう時のためのやつじゃん……」

 

 割れた時計は沈黙したままだった。

 

 緊急信号が送られた様子もない。

 

 位置情報が生きているのかすら分からない。

 

「……マジ?」

 

 さっきまで、どこかで思っていた。

 

 最悪でも学校が気づく。

 

 何かあれば先生が来る。

 

 試験の説明でも、そういう仕組みがあると言っていた。

 

 その前提が、今消えた。

 

「……」

 

 莉愛はしばらく壊れた腕時計を見つめた。

 

「マジで最悪じゃん」

 

 空を見る。

 

 さっきまで明るかったはずなのに。

 

 雲が増えていた。

 

     ◇

 

 最初は、一滴だった。

 

 頬に当たる。

 

「……え」

 

 もう一滴。

 

 葉を叩く音。

 

 嫌な予感。

 

「いやいやいや」

 

 数十秒後。

 

 雨脚が一気に強くなった。

 

「マジ!?」

 

 木の下へ寄ろうとする。

 

 右足が使えない。

 

 早く動けない。

 

 服が濡れていく。

 

 髪が顔に張り付く。

 

 地面まで泥になっていく。

 

「ちょ、待ってって……」

 

 誰に言っているのか分からない。

 

 雨は待ってくれない。

 

 莉愛は周囲を探す。

 

 少し離れた場所。

 

 斜面の下に、岩が張り出している。

 

 その奥に暗い窪みが見えた。

 

「……あそこ」

 

 ここにいるよりはいい。

 

 少なくとも雨は凌げる。

 

 莉愛は手をついた。

 

 一歩。

 

 もう一歩。

 

 右足を庇いながら、身体を引きずる。

 

「……っ」

 

 泥で手が滑る。

 

 膝も痛い。

 

 腹も重い。

 

 右足はもう、何もしなくてもずきずきと痛み続けている。

 

「……清隆に見られたら」

 

 息を整える。

 

「怒られそうだな……」

 

 少しだけ笑った。

 

 想像できる。

 

『その足で動いたのか』

 

 きっと無表情で言う。

 

「……いや」

 

 莉愛はまた身体を進める。

 

「先に心配するか」

 

 最近の清隆なら。

 

 多分。

 

 そう思ったら、ほんの少しだけ動きやすくなった。

 

     ◇

 

 岩陰まで、思っていたよりずっと遠かった。

 

 ようやく中へ入った頃には、全身濡れていた。

 

「……はぁ……」

 

 壁に背中を預ける。

 

 雨音が響く。

 

 外よりはましだ。

 

 直接雨は当たらない。

 

 それだけでも随分違う。

 

「……疲れた」

 

 初めて口に出した。

 

 身体が震えている。

 

 寒い。

 

 なのに、額は妙に熱い。

 

「……?」

 

 手を当てる。

 

 手も冷えていてよく分からない。

 

 身体の内側だけ熱いような感覚。

 

「熱……出てる?」

 

 今日ずっと調子が悪かった。

 

 今さら驚くことでもない。

 

 ただ。

 

 雨に濡れて。

 

 まともに食べてもいなくて。

 

 足まで折れて。

 

 腹の痛みも朝より強い。

 

「……」

 

 莉愛は自分の服を見る。

 

 泥。

 

 雨。

 

 汗。

 

 それに、生理まで重なっている。

 

「うわ……」

 

 顔を覆いたくなった。

 

「最悪……」

 

 清隆が来たら。

 

 そこまで考える。

 

「……いや」

 

 こんな状態で会いたくない。

 

 絶対汚い。

 

 臭いかもしれない。

 

「これ清隆来ても、ちょっと近寄ってほしくないな……」

 

 冗談っぽく言ってみる。

 

 誰も返さない。

 

 当たり前だった。

 

「……」

 

 雨音だけが続く。

 

     ◇

 

 時間の感覚がなくなった。

 

 どれくらい経ったのか分からない。

 

 外はもう暗い。

 

 雨は弱くならない。

 

 身体の震えも止まらない。

 

 足の痛みは、慣れるどころかどんどん強くなっているように感じる。

 

「……っ」

 

 姿勢を変えようとして、右足が少し動いた。

 

「ぅ……!」

 

 口元を押さえる。

 

 涙が滲んだ。

 

「……痛」

 

 小さく呟く。

 

 今までも痛いことはあった。

 

 転んだことも。

 

 殴られたことも。

 

 怪我だってした。

 

 でもこれは違った。

 

 逃げ場がない。

 

 誰もいない。

 

 いつ終わるかも分からない。

 

 痛いまま。

 

 寒いまま。

 

 一人。

 

「……」

 

 莉愛は膝を抱えようとして、右足が動かせないことを思い出す。

 

 仕方なく身体を丸める。

 

「大丈――」

 

 口が止まった。

 

 誰に言うんだろう。

 

 ここには誰もいない。

 

 平田も。

 

 恵も。

 

 堀北も。

 

 清隆も。

 

「……」

 

 急に鼻の奥がつんとした。

 

「……うぅ」

 

 目元が熱くなる。

 

 莉愛は袖で拭う。

 

「何泣いてんだ俺……」

 

 自分で笑おうとした。

 

 できなかった。

 

 一粒。

 

 涙が頬を伝う。

 

 それを拭う。

 

 また一粒。

 

「……うぅ……」

 

 止まらない。

 

 呼吸が震える。

 

「痛いよぉ……」

 

 口から出た瞬間。

 

 もう駄目だった。

 

「……痛い……」

 

 ぽろぽろと涙が落ちる。

 

 誰も見ていない。

 

 だから、隠す必要もない。

 

「怖い……」

 

 声が子どもみたいになった。

 

「帰りたい……」

 

 足が痛い。

 

 腹も痛い。

 

 寒い。

 

 身体は熱い。

 

 泣くと鼻まで詰まって、余計に息苦しい。

 

「……もうやだ」

 

 莉愛は手の甲で目元を擦った。

 

 擦っても擦っても涙が出る。

 

「清隆……」

 

 名前が漏れた。

 

「……」

 

 なんで清隆なんだろう。

 

 そう思ってから、少しだけ笑った。

 

「なんでって……」

 

 分かっている。

 

 困った時。

 

 分からない時。

 

 くだらないことを思いついた時。

 

 ラーメンを食べたい時。

 

 何度も呼んできた。

 

『清隆ぁ〜、助けてよ』

 

 いつもなら笑いながら言える。

 

 今日は違った。

 

「……清隆」

 

 声が震える。

 

「助けて……」

 

 返事はない。

 

 分かっている。

 

 聞こえるはずがない。

 

 清隆は、莉愛がここにいることすら知らない。

 

「……」

 

 また涙が落ちた。

 

「来てくれたら……嬉しいけど」

 

 少し待った。

 

 何も起きない。

 

「……なんてね」

 

 いつものように笑おうとした。

 

 声にならなかった。

 

     ◇

 

 真鍋たちの顔が浮かんだ。

 

「……」

 

 怒っている。

 

 当然だ。

 

 騙された。

 

 押された。

 

 落ちた。

 

 置いていかれた。

 

 普通に考えれば、最低だった。

 

 それでも。

 

「……でも」

 

 莉愛は壁に頭を預ける。

 

「こんな落ちるとは思ってなかったよな……」

 

 押されたこと自体は悪い。

 

 そこは普通に怒っている。

 

 でも、足を折らせようとしたわけじゃない。

 

 多分。

 

 先生に言えばどうなるんだろう。

 

 退学。

 

 そんな言葉が頭をよぎる。

 

「……それは」

 

 重い。

 

 莉愛の胸が少し苦しくなる。

 

「別にそこまで……」

 

 自分の足を見る。

 

 笑えないくらい痛い。

 

 それでも。

 

「……まあ、俺も勝手に足滑らせたって言えばいいか」

 

 言ってから、自分でも少し変な気はした。

 

 でも。

 

 三人が退学になるよりはいい。

 

 自分の足は治る。

 

 多分。

 

 なら、それでいい。

 

「……」

 

 また身体が震えた。

 

 今度は寒さなのか熱なのか分からない。

 

「清隆に言ったら怒るだろうなぁ……」

 

 目を閉じる。

 

 顔が浮かぶ。

 

 無表情。

 

 でも最近は、莉愛が無理をすると少しだけ目が怖くなる。

 

「……言わないでおこ」

 

 そう呟いた。

 

 その直後。

 

「……清隆」

 

 もう一度だけ呼んだ。

 

 今度は、助けてとは言わなかった。

 

 言ったところで届かない。

 

 分かっているから。

 

 ただ。

 

 名前を口にすると、少しだけ一人じゃないような気がした。

 

 外では、まだ雨が降り続いている。

 

 莉愛は濡れた身体を小さく丸め、壁に寄りかかった。

 

 その夜。

 

 黒瀬莉愛は。

 

 誰にも聞かれない場所で泣きながら。

 

 初めて一度も、

 

「大丈夫」

 

 とは言わなかった。

 

 

 

 

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