Op.クリムゾン・ランディシー   作:ゆきなんとか

30 / 31
小樽へ。

 小樽駅の改札外コンコースで、桜町由子は肩から提げたカメラの位置を直した。駅に立っていること自体に不自然さはない。改札を出てくる人間へ視線を固定し続けなければ、観光客にも、誰かを待っている人間にも見える。由子は時折壁側へ身体を寄せ、構内の案内へ目を向け、また人の流れへ視線を戻した。小樽へ来る。それ以外は何も分かっていない。

 出発時刻も、交通手段も、到着時刻も、行先も不明だった。札幌側から高校生二人が日帰りで小樽へ来るなら、鉄道が最も単純な選択になる。駅なら到着客を一点で確認できる。だから最初にここを選んだ。推定にすぎない。バスで来るかもしれないし、誰かの車に乗せてもらう可能性もある。その場合、ここで待っている間に二人を取り逃がす。それでも、現時点で最も確率の高い場所はここだった。

 由子は改札から流れ出した人々を一人ずつ追わず、全体を見るように視線を動かした。家族連れ、買い物袋を持った女、旅行鞄を引く男。何人かの若者がまとまって通り過ぎる。該当する顔はない。次の人波が途切れかけたところで、由子の視線が止まった。少女が一人、改札を出てきた。二年前に確認した識別資料の顔貌と一致していた。春野琴梨。

 由子はすぐに隣の少年へ視線を移した。年齢は近い。だが、それだけでは足りない。二人は改札を出ても離れなかった。琴梨が進むと少年も同じ方向へ歩き、少年が一度足を緩めると琴梨も歩調を合わせた。互いに別の相手を探す様子もなく、そのまま並んで駅の外へ向かう。同行関係は明確だった。春野家に滞在している東京の高校生と判断してよい。

 由子は二人が駅を出てから少し間を置いた。すぐ後ろへ続かず、別の旅客を一人挟んで外へ出る。二人は駅前から遠くへは向かわず、ほどなく三角市場へ入った。由子も遅れて市場へ入った。店先に並ぶ商品へ目を向け、立ち止まる場所を二人と重ねない。琴梨と少年がある店の前で足を止めれば、由子は別の店先へ移る。二人が動けば、少し遅れて人の流れに乗った。

 話の内容を聞く必要はない。二人が一緒に行動し続けていることと、見失わないことだけで足りた。市場を出た二人は市街へ歩き始めた。由子は一定の間隔を保とうとはしなかった。前を歩く観光客の集団が二人を隠せば、そのまま数秒見えなくなる。横断歩道で間に人が入れば、無理に詰めない。姿が戻れば位置だけを取り直す。次の目的地は知らない。二人の歩く方向を見て、その後ろを疎らにつないだ。

 やがて視界の先が開け、倉庫の並ぶ水辺へ出た。

 小樽運河だった。

 午後の日差しが水面の細かな揺れに砕け、石造りの建物の壁へ淡く反射していた。観光客の流れは市場より広がり、立ち止まって写真を撮る者も多い。由子はカメラを一度持ち上げ、運河側へ向けた。シャッターを切る必要はなかった。観光客として立ち止まる理由があれば、それでいい。琴梨と少年は少し先にいた。そこへ、外国人観光客が近づいた。

「Do you speak English?」

 距離が近かったため、問いかけは由子にも聞こえた。琴梨が困ったように言葉を返し、少年が質問の内容を日本語で確かめている。小樽オルゴールホールへの道を尋ねていることは、由子にも分かった。二人とも答えられない。由子は問いの内容を理解している。場所も分かる。その三つが揃った時、身体はほとんど迷わず二人の近くへ向いていた。

「May I help you?」

 外国人観光客が由子を見る。由子は笑顔を作る必要もなく、そのまま英語で道順を示した。確認できている範囲の案内だけを短く伝え、進む方向を手で示す。観光客は何度か頷き、最後に日本語で礼を言った。由子が応じると、琴梨と少年もこちらを見ていた。二人の顔が、正面から由子へ向いている。

 二人に、顔を見られた。

 それまでとは条件が変わった。ここで立ち止まる時間を延ばせば、さらに顔を覚えられる。かといって急に背を向けても不自然になる。二人から短く礼を言われ、由子はいつもの調子で返した。

「ううん。気にしないで。」

 由子はそのまま、もともと歩いていた方向へ進んだ。振り返らない。道案内を終えた直後に反転すれば、今まで後方にいた自分が二人を追っていた形になる。由子は歩調を変えず、人の流れに混じって進んだ。ただ、顔を見られた。

 親切にしたこと自体に問題があるわけではない。だが、監視対象へ働きかけず自然な行動だけを観察するという条件の中で、自分から存在を明確に見せた。以後、近い距離で後方へつけば気付かれる可能性が上がる。

 失敗だった。

 由子はそれ以上、理由を並べなかった。必要なのは、次の方法を変えることだった。十分に距離を作ってから、由子は別の観光客が立ち止まったのに合わせて足を緩めた。カメラを持ち替え、周囲を見渡すように身体の向きを変える。そのまま自然な速度で来た道を戻った。二人の姿はすぐには見えなかった。

 最後に見た進行方向を辿る。走れば視野は狭くなり、目立つ。由子は歩調を保ったまま、通行人の間から髪型と服の色を拾っていった。何人かの集団が過ぎたあと、遠くに琴梨の横顔が見えた。少年も一緒だった。

 由子は二人を再び捕捉した。

 由子はそこで距離を詰めるのをやめた。二人は由子に気付いた様子を見せず、そのまま歩いている。由子は正面から近づかず、通りの反対側や店先の人影を使い、視界の端に置く程度へ監視方法を変えた。やがて二人は、一つの建物へ向かった。入口の表示を見て、由子は初めて行先を知った。

 運河工藝館だった。

 二人は入口で一度足を止めたあと、そのまま中へ入った。由子は入口の正面を一度通り過ぎ、少し離れた場所へ移る。カメラは肩に掛けたままにした。対象を写す必要はない。二人が入ったという事実だけで、現時点では十分だった。館内で何を見るか。誰と話すか。ターニャを目にするか。目にしたとして、何を感じるか。どれも由子には確認できない。時間が過ぎた。

 通りを行き交う観光客が何度か入れ替わった。由子も同じ場所に立ち続けず、周辺を一般の観光客と同じ程度に動きながら入口を視界へ戻した。約一時間後、琴梨と少年が出てきた。二人だけだった。由子は滞在時間を記憶した。

 

* * *

 

 工藝館を出た二人は市街を歩き、やがて色内川下の方へ向かった。由子は離れて追い、二人が路線バスへ乗るのを確認した。乗車したバスの行先から、そこで初めて祝津、水族館方面へ向かうと判断した。由子は同じバスに乗らなかった。運河で顔を見られている。車内のように逃げ場の少ない場所へ同乗する必要はない。小樽駅付近へ戻り、朝から置いていたバイクを出した。

 祝津へ向かう間、二人の乗ったバスを追い続けることはしなかった。経路は限られていても、並走すれば監視の方が目立つ。由子は通常の速度で走り、水族館付近の駐車場所へバイクを入れた。二人より先に着いたかどうかは問題ではなかった。入館していなければ入館前の姿を捉えることができるし、既に入館していれば出てくる姿を捉えることができる。

 由子が入口周辺を確認していると、ほどなくして、琴梨と少年の姿を再び捉えた。二人はそのまま入館した。由子は中へ入らなかった。

 一時間ほどで二人が出てきた。市街方面のバスへ向かう。由子は乗車を確認すると、再びバイクへ戻った。

 二人を乗せたバスが市街地へ向かう。バスのすぐ後ろには付かなかった。市街へ先に戻ると、由子は中央通から離れた駐車場へバイクを置いて、尾行を徒歩に切り替えた。二人が中央通で降りたのを確認した時には、建物の影が路面へ長く伸びていた。

 琴梨と少年は海側へ歩いた。由子はその進行方向を見てから、二度目の運河へ向かうと判断した。実際に二人は運河へ戻った。

 観光の一地点として見れば不自然なことはない。二人はしばらく水辺を歩き、その後、今度は山側へ進み始めた。由子は少し離れて徒歩で追った。駅の裏側へ回り、坂を上っていく。まだ目的地は分からない。高台へ向かっていることだけが確認できた。さらに進み、二人が旧小樽商業高校付近から市道松山線方向へ入った。旭展望台方面。可能性は高くなったが、まだ確定ではない。

 由子は二人を先へ行かせた。距離が十分に開いてから、途中で置いていたバイクへ戻る。エンジンをかけ、通常の走行速度で坂を上った。前方に二人の背中が見えた。由子は減速しなかった。そのまま一度だけ追い越す。横へ顔を向けず、ミラーでも長く追わない。二人が歩いていたという事実だけを確認し、そのまま上へ進んだ。旭展望台近くの通常の駐車場へバイクを停めた。

 由子はバイクを離れ、展望台へ続く道へと歩いた。二人より先に着いた以上、近づきすぎる必要はなかった。どこからなら進入してくる人間と展望台の周囲を無理なく見られるかを確かめながら歩いていると、風に揺れる明るい髪が目に入った。

 由子は足を止めた。西から差す光の中に、一人の女が立っている。肩にかかる金色の髪が風に持ち上がり、その横顔が一瞬だけ見えた。ターニャ・リピンスキーだった。

 近くに連れはいない。琴梨と少年の姿もまだなかった。ターニャは街の方へ身体を向けたまま、展望場所に一人で立っている。由子はしばらくその姿を見たあと、同じ場所には留まらず、来た道を少し戻った。

 運河ではすでに顔を見られている。人通りの多い市街なら紛れられても、ここで二度目に姿を拾われれば目立つ。由子は展望台から十分に距離を取り、車道からこちらへ入ってくる人間と、その先のターニャをともに視界へ収められる場所を選んだ。そこからなら、誰かがこちらを見ても、由子まで注意を向ける理由はない。

 夕方の光は低くなり、眼下の街では建物の屋根が西側だけ明るく残っていた。その向こうに海が広がり、水面には細かな光が途切れながら続いている。ターニャはその景色に向いたまま動かなかった。距離があるため、由子に見えるのは身体の向きと輪郭までで、表情までは分からない。

 しばらくして、人影が二つ現れた。琴梨と少年だった。由子は位置を変えず、展望台へ続く道を進んでくる二人を追った。

 展望台までまだ距離を残したところで、琴梨の歩みがわずかに鈍った。少年も一歩ほど遅れて速度を落とし、二人の顔と肩が同じ方向へ向く。その先にはターニャがいた。

 二人はそれ以上近づかず、しばらく同じ場所に留まった。ターニャは街の方へ身体を向けたまま、姿勢を変えない。風が高台を抜けるたび、金色の髪だけが肩のあたりで揺れた。やがて琴梨と少年は夕景の方へ身体を向けたが、ターニャから二人への反応は見えなかった。

 工藝館で何があったのか、少年がターニャを覚えていたのかは分からない。陽はさらに低くなり、海の色も昼の青さを失っていった。三人は同じ高台にいながら、最後まで互いの距離を詰めなかった。

 そのまま時間だけが進んだ。やがて琴梨が身体を坂の方へ向けた。少年も続き、二人は来た道へと戻り始めた。ターニャへ近づく動きはない。由子はすぐには監視を打ち切らなかった。二人が坂を下り、しばらくそのまま市街側へ進むのを確認する。途中で立ち止まらない。振り返って展望台へ戻る様子もない。

 時間的にも二人が帰路についたと判断できる。

 由子はようやくそこで追跡を終えた。小樽駅まで追う必要はない。春野家まで追えば、今日の予備監視の範囲を越える。そして、今の由子にはターニャの帰路を確認する必要もなかった。

 

* * *

 

 バイクへ戻ったころには、辺りは暗くなっていた。由子はすぐには電話をかけなかった。展望台から離れ、少年と琴梨が下った方向とも、ターニャがいた場所とも距離を取る。周囲を確認してから、久住へ連絡した。

 いつも通り、所定の認証を済ませると、由子は監視を終えたことに続いて運河で自分の顔を見られたことから報告した。

「一点、報告があります。私の失敗です。最初の運河で外国人観光客から英語で道を聞かれ、対象が対応に困っていたため、私が案内しました。二人に顔を見られています」

 受話器の向こうで久住はすぐに口を挟まなかった。

「案内後はそのまま離れ、距離を作ってから再捕捉しました。以後は監視距離を広げています」

「継続はできたんだな」

「はい」

 由子はその後の二人の様子を短くまとめた。

「運河工藝館への入館を確認しました。私は館内へ入っていません。内部の行動、会話は未確認です」

「分かった」

「その後、旭展望台まで追跡しました。私が先着した時点で、ターニャが一人でいました。なぜそこにいたのかは確認できていません」

 由子は高台で見た動作を順に報告した。

「後から二人が到着しました。二人は途中で歩みを緩め、ターニャの方へ顔を向けています。ターニャは街の方を向いたままで、二人への反応は確認できませんでした。三人の距離は縮まらず、呼びかけや手振りも確認できませんでした」

「二人はターニャに気付いたのか」

「その可能性は高いと判断します。二人とも同じ方向へ注意を向け、歩みを緩めています。ただし、ターニャが二人に気付いたとは判断できません」

 久住は短く「続けろ」と言った。

「二人が市街側へ下り続け、展望台へ戻らないことを確認して監視を終了しました。工藝館への自然な立寄りは成立しています。ただし、対象がターニャに関心を持ったか、継続して接触する意思があるかは、今日の私の確認事実からは確定できません」

 少しの沈黙があった。

「分かった」

 久住はそれ以上の結論を付け加えず、由子に指示を与えた。

「監視を継続する。四日の勤務はこちらで調整する」

「了解」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。