翌日、由子は札幌駅前で少年の動きを追っていた。
少年が立ち止まった先に、里中梢が二人の男と一緒に歩いていた。風祭と青木だった。由子は人の流れを挟んだ位置から、その動きを見続けた。
少年が歩調を速め、三人へ近づいた。梢の前で足を止め、声をかけた。何を話しているのかまでは聞こえなかった。やがて四人は一緒に歩き始めた。
由子が少年と風祭が同じ一行として動くのを見るのは初めてだった。梢と風祭がパソコン通信や同人活動を通じた知人であることは知っている。青木の顔も識別できる。だが、少年がこの三人と合流することは知らなかった。
一行は札幌駅南口の冷し中華屋台へ入った。由子は少し間を置いて後を追い、空いていた席に腰を下ろした。
隣には青木がいた。
「この平和な時代に、自衛隊はないだろ? やっぱ。」
青木は続けて、笑いを含んだ声で言った。
「毎日毎日、ほふく前進とかしてるんだろ? ライフルとか持ってさ……頭に草とか付けて……」
由子は四人のあとに出された冷し中華を受け取ると、そのまま青木のすぐ横へ身を寄せた。次の瞬間、手首を返す。皿が傾き、麺と汁気を含んだ具がまとめて青木へ浴びせかけられた。細い麺が肩から胸へ滑り落ち、ハムやきゅうりがジャケットに張りつく。かまぼこが額に貼りつき、散った具のいくつかは髪にも引っかかった。
「ほんとごめんね。手が滑っちゃって。」
青木が勢いよく由子の方を振り向いた。顔をしかめ、濡れた服を一度見下ろしてから怒鳴る。
「わざとだろ? チキショー! 外へ出ろ!」
青木は立ち上がって屋台の外へ出た。由子もそのあとに続く。
外へ出ると、青木は由子へ向き直った。片手を固く握り、汚れたジャケットを示す。
「弁償しろ! このジャケット高かったんだぞ!」
「冷やし中華だって安くないわよ。」
青木が由子との距離を詰めたところへ、風祭が入った。
「ままままま……青木さん……喧嘩はまずいですわ。」
梢は動かず、何も言わなかった。少年も少し離れたところから三人を見ているだけだった。
青木は風祭の制止にも構わず、由子へ顔を向けた。
「俺は平和主義者なんだ。自衛隊なんて嫌いだね」
由子はすぐに言い返した。
「何よ! 私だって平和主義者よ!」
青木が眉を寄せた。
「じゃあ何で自衛隊に入ったんだよ?」
由子の声が一段上がった。
「平和を守るのが自衛隊の仕事なの! 『自衛』って言葉の意味も分んないの?」
青木は吐き捨てるように返した。
「考え方の違いってヤツかね……話してらしょうがねぇや……行くぞ!」
そう言うと、青木は風祭と梢を促し、三人で屋台から離れていった。
梢は最後まで口を挟まなかった。風祭は口論の途中で間に入り、青木を止めようとした。騒ぎになったことで、何もしなければ見えなかった二人の反応を見ることはできた。梢を含めた三人の関係も、その一端は見えた。今回はこれで十分だった。由子には別の目的がある。
遠ざかる三人から目を離して、そこに残っていた少年へ視線を戻した。
「あーあっ! ひさしぶりに暴れちゃった……あれ? あなた……確か小樽で会ったわよね。あいつらの連れじゃないの?」
* * *
「……それで、少年の回答は?」
由子は自室で携帯電話を耳に当てていた。久住の声が、その向こうから聞こえる。
「『まあ……そうだけど……』です。そこで『それじゃ、何で追いかけないのよ』と問いかけました」
「それで?」
「『キミに興味があるから』です」
携帯電話の向こうで久住は黙った。由子は、昼に得た言葉をそのまま続けた。
「もし『あの男……あんまり好きじゃないし……』なら、残った理由は青木への反感だけでも説明できます。実際の回答では、対象自身がその場に残った理由を、私への興味に置いています」
「興味の中身までは分かるか」
「まだ分かりません。少なくとも、三人について行かなかった理由として、対象自身が私を選んだ。それだけです」
「それで風祭はどうなった?」
「口論の途中で間に入り、青木を制止しました。梢は最後まで見ているだけでした。青木は自衛隊への発言から私と口論になり、最後は風祭と梢を連れて離れています」
由子はそこで一度言葉を切った。
「対象と風祭は直接話していません。合流してから別れるまで、以前から二人に関係があると判断できるやり取りも確認できませんでした」
由子は続けた。
「そのあと、自分の冷し中華の代金を払うため屋台へ戻りました。そこで、風祭が全員分を支払っていたことが分かりました。私の分もです」
「風祭が?」
「はい。騒ぎに割って入り、青木を止め、そのあと代金も全員分払っています。この一件では、後始末と金銭的な負担を風祭が引き受けています。それ以上は判断できません」
久住は短く応じた。
「その後は?」
「対象を食事に誘いました。宝来です」
由子は、そこで交わした会話を順に戻した。
「私からは氏名と、千歳の航空自衛隊第2航空団司令部広報室勤務であること、階級が空士長であること、それから女性自衛官をWAFと呼ぶことを伝えました」
「少年は何を聞いた?」
「最初に『WAFって何?』です」
「それだけか」
「いいえ。次に『好きな男性のタイプは?』と聞かれました」
前の質問だけなら、初めて聞いた言葉への関心とも取れる。だが二つ目は、言葉ではなく由子自身へ向けられた質問だった。
「何と答えた?」
「『そうだなぁ……部隊の中は年上ばっかりだから、今の好みは年下!……ってことにしとこうかな?』と答えました」
「その質問はどう見る」
「私個人への関心はあります。ただ、それだけで恋愛感情とは判断できません」
「続けろ」
「それから、私が自衛官だと知ってどう思ったか聞きました。回答は『ちょっと意外だった。』です」
由子の中には、同じ問いに対する三つの返答が並んでいた。
「もし『別に。』なら一点。『そんな感じかなと思った。』ならマイナス一点。実際の『ちょっと意外だった。』は二点です」
「何の点数だ」
「好感度です」
「好感度?」
「はい」
「二点にした理由は」
「『意外だった』ということは、私が自衛官ではないと思うだけの印象を、それ以前に私へ持っていたということです。少なくとも、私について何も見ていなかったわけではない。なので二点にしました」
久住はそれ以上、点数について聞かなかった。
「宝来を出てからは?」
「平岸の春野家まで送りました。別れ際、電話番号を交換する流れになったときの回答は『OK!』でした。それで連絡先の交換が成立しています」
「違う返事なら?」
「『このまま別れようよ』なら、その場で別れることになっていました。実際には電話番号を交換できたので、こちらからまた連絡できます」
「それを使うのか」
「はい。昼に対象自身が『WAFって何?』と聞いています。次の電話で、その語を覚えているか確認できます」
「覚えていれば?」
「自分から聞いた私に関する情報を保持していたことは確認できます。WACやJAFなどと取り違えるかもしれません。こちらから答えを先に言わず、対象が何と言うかを聞きます」
久住は少し間を置いた。
「分かった。この調子で少年の興味を惹け。それから、風祭にはもう近づくな。お前は顔を見られた」
「了解」
由子は通話を切ると、間を置かず、その日交換した番号へ電話をかけた。
数回の呼び出し音のあと、回線がつながった。
「ああ。WAFの……」
「そうそう、覚えててくれたのね。ところでさ。いきなりなんだけど明日会えない? 私、支笏湖に行きたいんだ」
「うん、いいよ。」
由子は好感度を上げた。