札幌駅の待ち合わせ場所に、少年は来ていた。
昨日までと違うのは、由子が自衛官の制服でいることだった。支笏湖まで走ったバイクも、首から提げたカメラもない。昨日までと同じ桜町由子が、今日は千歳基地で働く姿でそこにいた。
由子は少年と列車で千歳へ向かい、基地の正門前まで来た。由子は、千歳基地では約二千五百人の隊員が働いていること、面積は約一千万平方メートルで、東京ドームなら約二百八十八個分になることを少年に説明した。
由子が警衛所の前で警備の隊員に敬礼すると、隊員は答礼した。少年の入門を済ませて、そのまま基地の中へ案内した。
最初に向かったのは広報館だった。今日は一般的な見学ルートを回ること、ここで基地の概要を説明することを告げると、少年は迷わず説明を聞きたいと応じた。
基地の始まりは大正十五年、千歳村の村民が作った滑走路だった。現在はF-15J要撃戦闘機、T-4ジェット練習機、U-125A救難捜索機、UH-60J救難ヘリコプター、B747-400特別輸送機などが配備されている。
それらを説明するのが由子のここでの仕事だった。
「この後格納庫に行ってF-15Jを見るんだけど、格納庫ってちょっとうるさいから、いつもここで説明をやって置くんだ。」
そう言って由子はF-15Jについて説明した。札幌から東京までなら約十七分、出力は約二十万馬力。鉄腕アトム二人分だと言うと少年は笑ってくれた。
一通り説明を終えると、由子は少年を格納庫へ案内した。そこにあるF-15Jは、見学用に置かれた模型でも展示物でもない。実際に飛行し、そのために整備されている機体だった。戦闘機は精密機器の集合で熱に弱く、空調で冷却しながら整備する。由子はそうした説明をしながら、整備作業が行われている範囲を邪魔しないよう少年を案内した。
F-15Jは一機約百三十億円で、その一機を飛ばすために、地上では三十人以上が必要になる。
昨日は、自分のことを自分の言葉で話した。旅のことも、写真のことも、自衛官としてのやりがいも、由子が少年に語ったものだった。
今日は違う。F-15Jの周囲では何人もの隊員が整備にあたり、その一機を飛ばすために、それぞれの仕事をしている。由子もまた、そこで働き、外から来た少年を案内する一人だった。
昨日、由子が「私たち」と呼んだものを、今日は少年が自分の目で見ていた。
由子は少年を滑走路に案内した。滑走路からは、普段は千歳基地に置かれている政府専用機の格納庫が見えた。B747-400。操縦士だけでなく客室乗務員も自衛官が務める。要人輸送のためだけではなく、国際緊急援助にも使われる機体だった。少年は熱心に聞いていた。
U-125Aは赤外線とレーダーで捜索を行い、事故機の捜索や救難、緊急物資の空輸を担う救難機だ。由子はその役割を、空の救急車に例えた。戦闘機を飛ばす場所だけが基地ではない。人を探し、救い、物を運ぶ仕事も同じ場所にある。
そこから厚生センターへ移ると、見えるものが変わった。身体を鍛えるための設備があり、AVルームやリラクゼーションルームもある。日常の買物も、おおむね基地の中で済ませることができる。任務と航空機を説明していた場所から、そこで働く人間が日々を送る場所へ、由子の案内の内容が移っていった。
食堂は、その中でも由子が最もよく使う場所だった。
「ここ、私が一番よく利用する施設なんだ。献立は日替わりで選べないけど、自衛官は無料」
全部食べれば約三千キロカロリーになる。それでも自衛隊員は身体を動かすから問題ないと、由子は説明した。
「それと、月に一回、その月に誕生日の隊員をまとめて祝う誕生献立があるの。今月はステーキなんだ」
施設について説明しているはずなのに、由子自身の話が混じった。食堂は知識として知っている場所ではなく、由子が実際に食事をする場所だった。基地で働く桜町由子は、今月のステーキを楽しみにしていた。任務とは関係なく、基地で過ごす桜町由子の日々の中にある感情だった。
食堂を出たあと、由子は少年を女子寮まで案内した。
「ここが女子寮。男子禁制だから、キミはここまで」
由子は少し残念そうに、自分の部屋にはラッセンの絵を飾っているのだと話した。
「見せてあげたかったんだけどね」
冗談めかした言葉だった。それでも桜町由子は、少年に自分がここで暮らしていることを伝えたかった。
次に、由子は少年を隊員クラブへ案内した。
「ここが隊員クラブ。基地の中でお酒を飲めるのはここだけなんだ」
由子はそう説明してから、私生活まで同じ職場の人間と過ごすのは少しつらいのだと続けた。
「だから私は、千歳の街に出ることが多いかな」
実際の生活を思い返して出た言葉ではない。基地で働く桜町由子なら、勤務を終えれば職場の人間とは少し距離を置き、街へ出る。そういう暮らし方をし、そう感じるのが自然だった。少年に語ったのは、「桜町由子」にとっての自分の生活だった。
「……とまぁ、とりあえず、こんな感じかな? これでなんとなく、自衛隊のことはわかったでしょ?」
一通りの見学を終えて、由子はそう少年に聞いてみた。
「もっと見たいな」
少年はそう答えた。
由子が少年に見せようとしたのは、少年だけのために準備した別の世界ではない。基地で働き、食事をし、課業後を過ごす桜町由子の生活だった。その一通りに触れたあとでも、少年はまだ、その先を見たいと言った。
「基地の奥にはね、宇宙怪獣を倒すための超電磁粒子砲があるんだけど、部外者には見せられないんだ」
由子はそう冗談を返して、一般見学を終えた。
帰りは少年をそのまま札幌まで送った。
「仕事が忙しくなってきたから、これからしばらく会えなくなるかもしれない」
それでも、時間が空けば今度は自分から電話すると告げた。
「それじゃ。ばいばい」
次にいつ会うかは決めないまま、二人は札幌駅で別れた。