その日の夜。自室のベッドの上で大の字になり、俺は天井を見上げながらぐるぐると考えを巡らせていた。
夕方、駅前で確信した自分の気持ち。
この特別な感情を、ここねちゃんに伝えるべきなんだろうか。
(……冷静に考えろ、俺)
自分に言い聞かせるように天井へ手を伸ばしてみる。
俺は隠れオタクで、SNSでは『デカパイスキスキ太郎』なんて凄まじいペンネームで胸の大きな女の子のイラストばかり描いている奴だ。
そんな奴が、あんなに上品で、綺麗で、優しくて、超絶美少女なここねちゃんに恋をして、告白するなんて……。
普通に考えたら高望みにもほどがあるし、ありえないことなのかもしれない。
前の学校での苦いトラウマが、頭の片隅で「やめておけ」と囁く。
けれど——今日、俺のディープな趣味を隠さず見せた時、彼女は少しも引かずにまっすぐ俺を見てくれた。
『大丈夫……私は、ミコトくんの好きを否定しないよ』
あの温かい言葉と、夕日に照らされて顔を赤らめていた可愛らしい笑顔が、胸の奥で何度も鮮烈に蘇る。
(高望みだって、オタクだって……この気持ちにだけは嘘をつけない)
起き上がり、静かな部屋でぽつりと呟いた。
「俺は……ここねちゃんが好きだ」
実際に自分の口から言葉にしてみると、一気に顔が熱くなって、急激な恥ずかしさが押し寄せてきた。
両手で顔を覆ってベッドに倒れ込む。
でも、一度口にしてしまったら、もう迷いなんて微塵も残っていなかった。
自分の自己否定に逃げるのはもうやめだ。
俺の『好き』をまるごと受け止めてくれた彼女に、今度は俺の最大の『好き』を、ちゃんと言葉にして届けたい。
「……よし」
顔を上げた俺の目には、確かな覚悟が宿っていた。
次の機会に、ちゃんとここねちゃんに告白しよう。
静かな夜の部屋で、俺は力強くそう決意するのだった。
次の日、朝の教室。登校した俺はいつも通り「ここねちゃん、ゆいちゃん、らんちゃん、おはよう」と挨拶を交わしていた。
すると、一人の男子生徒がニヤニヤとニシシ笑いを浮かべながら近寄ってきた。以前、教室で『俺の彼女は吸血鬼でFカップらしい~本当はHカップです~』のアニメを大音量で流していた奴だ。
「なあ風祭、お前もライトノベルとか読むんだな」
唐突な言葉に心臓が大きく跳ね上がる。
「昨日、お前がアニゲイトで『俺の幼馴染が爆乳すぎる~Kカップで正直すまん~』を買ってるのを見たんだ」
その一言で、教室の空気がピキッと固まった。
すかさず近くにいた女子生徒が割って入ってくる。
「は? 風祭くんがそんなキモい本読むわけないでしょ!!」
「いやいや本当だって」
「風祭くんを、あんたみたいなキモオタと一緒にしないでよ!!」
「本当だもん!! 本当に風祭はアニゲイトで『俺の幼馴染が爆乳すぎる~Kカップで正直すまん~』買ってたもん!! 嘘じゃないもん!!」
男子生徒が大声でタイトルを叫ぶ。
「キモい」「キモオタ」——鋭い単語が飛び交うたび、前の学校で吐き捨てられた言葉がフラッシュバックし、めまいと激しい吐き気が俺を襲った。
トラウマで視界がぐらりと揺れる。
その時、ふと視線を感じて顔を上げると、ここねちゃんが胸元で手をギュッと握り締め、心底心配そうな表情で俺を見つめていた。
(……そうだ。俺、これからここねちゃんに告白しようとしてるんだぞ)
自分の「好き」を肯定してくれた彼女の前で、嘘をついて逃げ出すような情けない男でいいのか?
ここで誤魔化したら、俺は一生自分を嫌いなままだ。
俺は一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。震える脚に力を込めて、前を見据える。
「……彼の言ってることは本当だよ」
静かな、けれどはっきりとした声で告げた俺に、女子生徒たちが息を呑み、驚いた顔を向けた。
「今まで黙ってたけど、本当はアニメも見るし、漫画とかラノベも読むし、ゲームもするんだ……なんだか、みんなの前で言うのが恥ずかしくてさ、黙っててごめん……あ、でも料理をするっていうのは本当だよ」
一瞬、教室が静まり返る。
またあの悪夢のような拒絶が来るのだと、俺は身を固めて覚悟した。
しかし——。
「そうだったんだ。まあ、私も『ニャンピース』とか漫画は読むし、別にいいんじゃない?」
女子生徒から返ってきたのは、予想もしなかったあっけらかんとした言葉だった。
「は!? 俺のときはキモいって言ってたじゃんか!」
納得がいかない男子生徒が声を荒げると、別の女子生徒が冷ややかな視線を浴びせる。
「別に風祭くんは誰にも迷惑かけてないし、あんたとは全然違うから」
「そうそう、風祭くんはTPO守ってるじゃん。何を好きでもいいけど時と場所は選んで欲しいよね」
「な、なにぃー!?」
なぜか男子生徒が女子たちから総攻撃を受ける展開になり、俺はぽかんと立ち尽くしてしまった。
最悪のトラウマを乗り越えた安堵感の中、ふとここねちゃんを見つめると、彼女は誇らしげに、そして世界で一番優しい笑みを俺に向けてくれていたのだった。
昼休み、いつもの中庭のベンチで、ゆいちゃん、ここねちゃん、らんちゃん、そして今日は菓彩先輩も一緒に弁当を広げていた。
「えーと……今日の朝は、なんだか大変だったね」
お弁当の玉子焼きを口に運びながら、らんちゃんが苦笑いを浮かべる。
「あたし、よくわからなかったんだけど……あの騒ぎって、つまりどういうことだったの?」
首を傾げるゆいちゃんはどうやら状況を噛み砕けていない様子だ。
隣でお茶を飲んでいた菓彩先輩が低く静かな声で尋ねる。
「ん? 何かあったのか?」
俺は今朝、クラスで起きた出来事をかいつまんで菓彩先輩に説明した。
「なるほどな……特に君に落ち度はないと思うぞ。男子ならそう言った本も読むだろうし、家で読んでいるのなら何の問題もない。その男子生徒の本心はわからないが、誰にだって他人に知られたくない事の一つくらいあるものだ。それをわざわざ大勢の前で言いふらすのは感心せんな」
厳格な生徒会長というイメージがあったが、菓彩先輩は思った以上に公平で寛容だった。
その温かさに背中を押され、俺は素直な気持ちをみんなに明かすことにした。
「ごめん……みんなにもうバレちゃったけど、俺、美少女が出てくる萌えアニメとかラノベが好きなんだ。以前の学校でちょっと嫌なことがあって、それでずっと隠してて……」
「男の子だもんね、そういうの好きでも、らんらんは全然気にしないよ!! むしろ面白い作品があるなら教えてほしいかも!!」
「萌えアニメっていうのは、よくわからないけど……ミコトくんが好きなものなら、あたしも見てみたいよ!!」
二人の気持ちのいい返答に胸が熱くなる。
菓彩先輩もフッと目元を緩めた。
「謝る必要はない。君が何を好きでも私はいいと思う。だが、爆乳とかKとか……その……そういうタイトルを私に『読んでくれ』と言われても困るが」
「言いませんよ!?」
俺の即答に、らんちゃんが「あはは!!」と爆笑した。
すると、らんちゃんがニタリと意地悪そうな笑みを浮かべて、静かに聞いていたここねちゃんを覗き込む。
「ねえねえ、さっきから黙ってるけど、ここぴーはこのこと知ってたでしょ〜?」
「えっ!? それはっ」
「ふふ〜ん……最近二人とも、すっごい仲良しだもんね〜♪」
らんちゃんにからかわれた瞬間、ここねちゃんは一気に耳まで真っ赤にしてあわあわと手を振った。
そのあまりにも分かりやすく可愛らしい反応に、俺の心臓も跳ね上がり、中庭にはどこまでも温かい笑顔が溢れていた。
放課後。
俺は少し緊張しながらここねちゃんを誘い、オレンジ色に染まり始めた校門を抜けて二人で歩いていた。
心臓がうるさいほど鳴っている。
それでも、逃げたくなかった。
穏やかな風が流れる中、俺は意を決して口を開く。
「ここねちゃん、ありがとう」
「えっ?」
ここねちゃんが立ち止まり、夕風が二人の間をそっと通り抜けた。
俺も足を止め、彼女の方へと向き直る。
「今朝は、ここねちゃんのおかげで乗り切ることができたよ」
「そんな……私、何もしてないよ? 自分の口でみんなに話したのは、ミコトくん自身じゃない」
謙遜するように首を振るここねちゃんに、俺は首を横に振った。
「ううん。あの時、ここねちゃんがいてくれたから俺は勇気を出すことができたんだ。だから、ありがとう」
「ミコトくん……」
まっすぐに見つめると、ここねちゃんの瞳が揺れた。もう、迷いはなかった。
昨日の夜、自室で固く誓った決意を、俺は今ここで言葉にする。
「俺さ……ここねちゃんに会えて、本当に良かった。昨日も言ったけど、もっとここねちゃんと仲良くなりたい」
深く息を吸い込み、鼓動が早まる胸に手を当てる。
「俺はここねちゃんが好きだ。付き合ってください」
夕空の下、はっきりと放たれた告白に、ここねちゃんは呼吸を止めたようにピタリと固まった。
みるみるうちに彼女の頬が紅潮し、大きな瞳が潤んでいく。
「わ、私で……本当にいいの?」
消え入りそうな声で、どこか不安そうに尋ねてくる彼女。
オタクな自分を受け入れてくれた彼女が、そんな風に自信なさそうに問いかけてくることが、たまらなく愛おしかった。
俺は一歩踏み出し、彼女の目をまっすぐ見つめて強く答える。
「ここねちゃんじゃないとダメだよ。他の女の子でも、二次元の女の子でもない。俺は、ここねちゃんが好きなんだ!!」
二次元のヒロインでも、創作の中の完璧な存在でもない。
俺の『好き』をまるごと肯定してくれた、目の前にいる一人の女の子——芙羽ここねという存在が、たまらなく愛おしくて好きだった。
胸がぎゅっと締め付けられるような沈黙が流れた。
数秒なのに、永遠みたいに長く感じた。
ここねちゃんの瞳から一筋の涙が溢れ落ちた。
その涙は、悲しさじゃなくて——嬉しさの色をしていた。
「ミコトくんっ……」
彼女は両手で口元を覆い、感極まったようにぽろぽろと涙をこぼしながら、世界で一番美しく、眩しい笑顔を咲かせた。
「私……私も、ミコトくんのことが大好き!! 私でよかったら……喜んで、お願いしますっ!!」
溢れる想いを隠すこともなく、小さな声を震わせて答えてくれたここねちゃん。
夕闇が迫る帰り道、俺たちの手は自然と重なり合い、温かい体温が指先から全身へと優しく伝わっていった。
指先に触れた温もりが、夢じゃないと教えてくれた。
◇
(ここね視点)
その日の夜、自室のベッドの上で、私は大切に抱えていたタブレットの画面を開いていた。
画面に映し出されているのは、私が密かに書き進めていた夢小説——『あなたとわたしの物語』。
(……読み返してみると、なんだか不思議な気持ち)
画面をスライドさせながら、自分で紡いだ文章を目で追っていく。
物語の中の「私」と「ミコトくん」は、何度も一緒に放課後を過ごしたり、出かけたりしているけれど……まだ恋人同士にはなれていなくて、お互いに想いを秘めたまま、甘酸っぱい距離感を保っていた。
(まさか、自分の書いた小説より先に関係が進んじゃうなんて……)
放課後の夕空の下で交わした言葉。
私の目をまっすぐ見つめて告げてくれた「好き」という熱い言葉。
重なり合った手の温もり。
思い出せば思い出すほど、両頬が熱くなり、顔が熟したトマトのように赤くなっていくのが自分でも分かった。
胸の奥がじんわりと温かさで満たされていく。
(……そうだ!!)
私はぽんと手を打つと、決意を込めてタブレットのキーボードを打ち始めた。
今日、ミコトくんから告白された時のことを、忘れてしまわないように……そのままの言葉と情景で、物語の続きとして丁寧に綴っていく。
夕暮れ時の色、緊張した彼の表情、そして彼がくれたまっすぐな言葉。
私が「大好き」と答えて、二人で手を繋いだことまで。
すべてを打ち込み終えると、私は少しの間画面を見つめ、最後にひとすじの文章を付け加えた。
『「あなたとわたしの物語」はここで終わります。
そして、これからは現実で続いていく……がんばってね、現実の私』
ファイルを保存し、タブレットの画面をそっと閉じる。
物語の結末は、これからミコトくんと一緒に、現実の毎日の中で紡いでいくのだから。
胸の真ん中に宿った温かい恋しさを抱きしめながら、私はベッドの中で、明日ミコトくんに会える時間を静かに心待ちにするのだった。
本作はこれにて完結となります。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでもらえたなら、とても嬉しいです。