「間に合って!」
両手いっぱいの荷物を下げたまま、俺と静久は灯台の中に駆け込んだ。
空いたままの扉の後ろで、灯台の中でも聞こえるような勢いで雨が本降りになる。
「ギリギリセーフ、だったかな」
「ええ、助かったわパイリ君」
静久は手早くヘルメットを脱いで、ついた雨粒を拭き始めていた。
「原付って便利なのね。私もパイリ君を見習って免許、取ろうかしら」
「あっ、やばい」
その呟きに俺は叫んで、助かったばかりの大雨の中に飛び出す。
「えっ、ちょっとパイリ君!?」
頭はヘルメットで守られるけど、他はそうはいかない。あっという間に服や靴が濡れていく。
それでも我慢してカブを引き連れ、中に戻る。
「今日だけは外に出しっぱなしってわけにはいかないからさ」
「そうね。これから台風が来るんだもんね」
静久の言葉で俺たちは顔を見合わせ、吹き出すように笑いあう。
そう、これから夜にかけ、今年最大級の台風が来ると言われているのに、町中から離れたこの灯台で過ごそうというんだから。
「のみきから言われたよ。『お前がいたのは知らなかったことにする。だから、万一の時も助けが来ると思うな』って」
「大げさねぇ」
「そうでもないよ。みんな公民館に避難って言われているのに」
カブを端に寄せて、ようやくヘルメットを脱ぎながら俺は答える。
のみきの性格上、見逃すなんて苦渋の決断だっただろう。
でも、たとえ止められたとしても、今日だけは、絶対ここにいなきゃいけなかったから、感謝しかない。
「昨日からいろいろ準備してくれてて、ありがとうね」
静久が灯台の中を見渡しながら言う。その視線の先には、俺たちが譲り受けたたくさんのぬいぐるみたちが並んでいる。
皆が来れなくても寂しくないように、今日のゲストとして連れてきた連中だ。
「こちらこそ。静久にボールとか泡立て器とか、準備してもらえて助かった」
俺もお礼でそれに応える。
響子さんだけになった加藤家に、そんな上等な調理道具たちがあるはずもなく、静久がいなかったら、この瞬間から立ち往生してしまったかもしれない。
改めて俺は、持ってきた荷物を確認する。
スポンジ台、イチゴ、生クリーム。みかんや桃の缶詰。チョコレートのプレート。
ボール、泡立て器、果物ナイフ。絞り袋、その他もろもろ。
「じゃ、さっそく作るか」
「ええ、紬のバースデーケーキ。とっておきのを作りましょ!」
外にいたときはかなり蒸し暑く感じたけれど、灯台の中は分厚い壁のせいか、涼しく感じるほどだった。
ビニール袋から取り出した材料を、作業しやすいように並べていく。
「灯台って中でも水使えたっけ?」
「だいじょうぶ」
静久はエプロンに三角巾の姿で水道の前に立っていて、もうまな板まで持ち出していた。
「手早いな」
「慌てないで。失敗はできないんだから、焦らず行きましょ」
「そうだな、時間はたっぷりあるんだし」
そうして俺たちはケーキの材料に向き合った。
まずはボールに生クリームを全部出しかき混ぜる。
俺が疲れたところで、静久が機械のような高速回転を見せ、お店のようなふわふわのホイップに仕上げていく。
紙皿に置いたスポンジケーキの台座の上に、ヘラでホイップクリーム塗っていくのも静久だ。
その間に俺は缶詰を開けて汁を切り、イチゴを果物ナイフで割っていく。
「「~~♪」」
どちらからともなく、俺たちは鼻歌を歌っていた。
本当は「小鳥の結婚式」という、紬の歌っていた夏休みの歌を。
ところどころハモった俺たちの歌に、音が挟まる。
降り続ける雨、強くなった風の音。
そして――むぎゅむぎゅという、懐かしいあの声も、ときおり混ざっていたような、そんな気がした。
塗り残しもなく雪原のようになったケーキの下段に、缶詰の中身と切ったイチゴを存分に並べていく。
重ねきったところで残るスポンジを被せ、またクリームを塗る番。
今度は俺がやったが、静久のようにはうまくいかない。
波打った表面ができたところで素直に静久にバトンタッチし、絞り袋のデコレーションをお願いする。
「こればっかりはパリングルスとワタアメじゃ作れないからな」
「そう? それはそれで面白そうだと思うけど」
「やってみる気か?」
俺はまだ袋に入ったままのパリングルスの筒を指さす。
他の荷物もあるからひとり一本ずつ、3本きりの貴重品だ。
「ふふ、切り分けたらやってみましょ。紬、どんな反応するかしらね」
「おいおい」
最後に、ハッピーバースデーの文字と、クマが描かれたチョコレートを乗せたケーキは、店で売っているのよりもずっとずっと高級品に見えた。
「風が強くなってきたわね……」
格子のはまった窓を見上げて静久がつぶやく。
テレビの代わりにつけているラジオからは、繰り返し、台風の位置情報が流れている。
とはいえ、画面で見てないから、この島との距離感が全然わからない。
「なぁ静久、『しおのみさき』ってどこなんだ?」
「パイリ君、潮岬はね、和歌山県の最南端にあるの。地図だと、この辺かな」
『お〜、さすが、シズクは物知りです!』
俺の耳の中だけで、声がした。
幻聴、と言ってしまえばそれまでかもしれない。
けれど、向かい合った静久も。俺と同じように……何か言いたげな顔をしていた。
「……物知りだな、静久は」
「ふふ、どういたしまして♪」
妙に明るい声を返した静久に、俺は続ける。
「しかし、何回聞いてもこのヘクトパスカルっての慣れないな。台風といえばミリバールだろ」
「あら、パイリ君、意外と頑固やさん?」
「だって雨の降る量はミリだろ。それにバーっと風が吹いてくる感じがするバールがついたミリバールのほうが、台風っぽくないか?」
『おー、ハイリさんのこだわりですか』
ラジオが気圧に続けて台風の進路を繰り返す中、俺は、静久の顔だけを見ていた。
その表情で、静久も、俺と同じものを聞いているんだろう悟る。
「……あのね、パイリ君。私、紬の」
静久がそう言うと同時に、俺たちの間の空気がふっと焦点を結んで、灯台の中はまた俺たちふたりだけになった。
「……ごめんね、パイリ君」
「謝るなよ。静久が言わなきゃ、俺が先に言ってたよ」
落ち込む静久の前で、俺は胸の中に温かいものを感じていた。
――いるんだな、やっぱり。俺たちの近くに。
そうなんだだろ、紬。
「……もうすぐね、紬の誕生日」
「そうだな」
雨の叩きつける音、海風がうなる音に、遠くサイレンの音が混ざって聞こえる。
俺たちの目の前には、3本のろうそくが灯った、白くて丸いケーキ。
雑音交じりのラジオが、ポ、ポ、と時報のカウントダウンを始めたあ。
ポーン!
その音と同時に、俺たちはふたりで手にしたクラッカーを引く。
「「誕生日おめでとう、紬!」」
煙臭さが残る中で、すぐに電気を消し、誕生日の歌を歌ってろうそくを吹き消すと、目の前は真っ暗になる。
電気も、外の光も失っている灯台の中。なのに、なぜか静久の影と、ゲストのぬいぐるみたちの気配ははっきり感じられた。
「パイリ君」
「ん?」
「……淋しくない?」
「ないよ」
言いながら俺は、照明用の太いロウソクに火をつける。
俺のすぐそばで、気づかわしげな静久の顔が浮き上がる。
「寂しくない。静久だって、何度も感じてただろ?」
俺が問いかけると、静久もためらいがちに頷く。
「紬はさ、いるんだよ。俺たちの近くに。だから寂しくない。戻ってくるさ」
「いつなのかしらね」
「さぁな」
「さすがに今日は戻ってこれないかしらね」
「そうかもな。というわけで悪いけど、ケーキ、食べないか」
「ええ。私もお腹ぺこぺこ。美味しいうちにいただきましょ」
「じゃ、そういうわけで紬。先にもらうな」
「早く来ないと、なくなっちゃうわよ?」
一つきりの灯りの上で、俺たちはもう一度、満面の笑みに戻って笑いあう。
ツムギさんは戻れなくなってだいぶ経つみたいだけれど、俺たちは。
嵐の中の灯台のように、ここで帰りを待っているから。
早く戻って来いよ、そして遊ぼう。抱きあおう。キスをしよう。
なあ、大好きだよ。
ーー紬。
※pixivで公開済みの自作の転載です。