魔法先生ギルガメッシュ   作:長LAVA

11 / 24
第10話

 

 

 

 

 6月に入ると、授業の終わりに教卓へ集まってくる生徒が増えた。

 

 普段から質問に来る者もいるが、ここ数日は顔触れが少し違う。休み時間には真っ先に廊下へ飛び出していた者まで、教科書を抱えてこちらが片付け終わるのを待っていた。

 

「ギル先生、ここって出ます?」

 

 差し出された教科書へ目を落とす。

 

 指で押さえているのは、つい先ほど説明していた箇所だった。

 

「範囲には入っておるな」

 

「じゃあ出る?」

 

「出るかもしれん」

 

「こっちは?」

 

「そちらも範囲だ」

 

「……全部覚えろってこと?」

 

「ようやく話が通じたな」

 

 周囲から笑い声が上がる。質問した生徒は不満そうに口を尖らせたが、教科書を引っ込める気はないらしい。

 

「もうちょっとヒントくださいよ」

 

「今まで散々教えたものを何だと思っておる」

 

「過去?」

 

「試験前だけ記憶を失うでない」

 

 今度は本人まで笑ってしまい、隣の生徒へ肩を叩かれていた。

 

 初めての定期考査が近い。

 

 掲示された試験範囲を見てから慌てた者も多いらしく、同じ質問を別の教室でも繰り返された。こちらとしては、出る問題を探すために教科書を捲るくらいなら、その手で覚えた方が早いと思うのだが、少しでも勉強する量を減らしたい気持ちも分からなくはない。

 

「どこが分からぬのかを聞くなら答えるぞ。出るかどうかを聞くためだけに、昼休みまで使うつもりか?」

 

「……じゃあ、ここ」

 

 ようやく指されたのは、前の頁にあった例文だった。

 

 その隣へ似た形の文を書いてやると、何人かが揃って身を寄せてくる。最初からこうすればよいものを、と思いながらも、説明を始めれば皆きちんと聞いていた。

 

 試験前だけでも、聞く気になったのなら悪くない。

 

 問題そのものは、既に英語科で作り終えている。

 

 各学年の担当者が案を持ち寄り、範囲と配点、採点基準を揃えたものだ。俺も英文の確認や担当範囲の出題案には加わったが、初めての定期考査を丸ごと任されているわけではない。

 

 出来上がった3学年分の問題を見れば、どこで点を落とす者が多いかは、大体予想がついた。

 

 女子中等部の生徒たちが、今どこまで理解しているかは頭に入っている。クラスごとの差もあるが、共通の試験である以上、見るべきなのは学年全体だった。

 

 1年生は基礎を拾えば十分に点が取れる。2年生は既習の内容を混ぜたところで少し迷う者が出そうで、3年生は最後の読解で出来が分かれるだろう。

 

 分からぬ問題を並べて困らせるための試験ではない。

 

 ここまで教えてきたものが、どれほど身に付いたか。その確認になる内容には、きちんと仕上がっていた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 考査当日の教室は、妙に広く感じられた。

 

 机の配置が変わったからだけではない。普段なら誰かの声が重なっている空間に、紙を捲る音と筆記具を走らせる音しかないせいだろう。

 

 開始を告げてからしばらく、前に立ったまま生徒たちを眺める。

 

 最初から順に解いていく者もいれば、書けそうなところを先に埋める者もいる。問題用紙へ印を付け、後で戻るつもりの箇所を残している生徒もいた。

 

 同じ授業を受け、同じ紙を渡されても、進め方までは揃わない。

 

 通路へ足を進めると、ある生徒が選択肢の間で迷っていた。

 

 片方へ丸を付けかけ、手を止める。

 

 少し考えた後、最初に選んだ方を消した。

 

 そちらで合っていたのだが。

 

 こちらが近くにいることを意識したのか、生徒は問題用紙へ顔を寄せ直し、今度は誤った方へ答えを書き込んだ。

 

 声を掛けかけたわけではない。それでも、いつもの授業なら何故そちらを選んだのか聞くところなので、黙って通り過ぎるのが少しもどかしい。

 

 今は教える時間ではなかった。

 

 後ろまで歩いてから振り返ると、普段はよく手を挙げる生徒が、前半の問題へ戻っていた。内容を知らないのではなく、先を急ぐあまり指示を読み落としたらしい。

 

 一方、教室ではあまり声を出さない生徒が、落ち着いて解答欄を埋めている。口で答えるより、こちらの方が性に合うのだろう。宿題でも、よく整理された文章を書いてくる生徒だった。

 

 残り時間を知らせると、あちこちで紙を捲る速度が上がった。

 

 先ほど答えを書き替えた生徒も、その問題へ戻っている。しばらく見比べた末、今度は最初の答えへ戻した。

 

 こちらを見たわけではない。

 

 自分で気付いたらしい。

 

 そのまま前へ視線を戻し、終了の時刻を待った。

 

「そこまでだ。筆記具を置け」

 

「待って、あと1文字!」

 

「皆が待てば、1文字では済まんだろう。置け」

 

 名残惜しそうに鉛筆を離す者が何人かいた。

 

 答案を集め終える頃には、静かだった教室へ一斉に声が戻ってくる。

 

「先生、難しかった!」

 

「分かったところまで忘れそうになったんだけど!」

 

「それは試験より先に、自分の記憶へ文句を言え」

 

「でも先生たちが作ったんでしょ?」

 

「そうだ。英語科で作ったぞ」

 

「じゃあギル先生にも言っていいじゃん」

 

「全部を我のせいにするな。恨みも分担しておけ」

 

 笑い声の中から、何割ずつかと聞かれた。

 

 そんなものまで教員で相談して決めていたら、問題を作る時間がなくなる。適当に手を振って教室を出ると、背後ではもう互いの答えを確かめ合う声が始まっていた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 考査期間の午後は、職員室にも答案を捲る音が絶えなかった。

 

 机へ積まれた自分の担当分を学年ごとに分け、その横へ採点基準を置く。問題が学年ごとに違えば、記述の扱いや配点も当然変わる。

 

 意味は通じるが文法に誤りがある場合。必要な語が抜けている場合。指定された語数や形式から外れている場合。

 

 どこまで点を与えるかは、事前に英語科で揃えてある。

 

 個人的に努力を認めたくなったところで、その分を勝手に点へ加えるわけにはいかない。同じ答案が別の教師の手元へ回っただけで点数まで変われば、生徒に説明がつかなくなる。

 

 最初の答案を手前へ引き、赤ペンを取った。

 

 氏名を見れば、顔も声もすぐに浮かぶ。

 

 問題用紙を開いた時の表情まで覚えている生徒もいたが、まずは書かれている答えだけを追った。正誤を付け、基準に沿って部分点を記し、合計を出す。

 

 終えたものを脇へ移すと、次の答案が現れる。

 

 読むこと自体には時間が掛からない。

 

 どちらかといえば、丸や数字を書き込んでいく方に手間が要った。赤ペンを動かしながら次の解答へ目をやり、頁を返したところで前半の点数と合わせる。

 

 しばらく続けていたところで、隣から声がした。

 

「あら。もう2年生の方へ?」

 

 しずながこちらの机を覗いている。

 

「1年の割り当ては終わった」

 

「……見直しまで?」

 

「そこはまだだ。全部見てから、もう一度だ」

 

「そうですよね。よかった」

 

「何がよかったのだ」

 

「何もかも終わったと言われたら、私の時計だけ止まっているのかと思って」

 

 しずなは自分の手元へ目を落とす。そちらにはまだ、1年生の答案が何束か残っていた。

 

 こちらも残っている分へペンを戻したが、隣からの視線はまだ続いている。

 

「本当に早いですね。どこをどう見ているのかしら」

 

「答えを見て、点を付けておる」

 

「そこは私も同じなんですけどねえ」

 

「では、後は手を動かすだけだな」

 

「その手、少しだけ借りられません?」

 

「腕ごとでよければ、仕事を寄越せ」

 

「そこまで分けていただかなくても大丈夫です」

 

 小さく笑って、しずなが自分の答案へ戻る。

 

 こちらも次の1枚を捲り、そこで少しだけペンを止めた。

 

 英文を書く問題だった。

 

 途中までの形は合っているが、後ろに付けた語の扱いが違っている。基準に従って部分点を与え、誤りのある箇所へ短く線を入れた。

 

 総点だけ見れば、高い方ではない。

 

 ただ、前半に並んだ問題は以前よりずっと出来ていた。少し前の小テストでは同じ語順を何度も間違えていた生徒が、今回はそこを全て拾っている。

 

「……ここは覚えたか」

 

 答案へ独り言を落とし、該当する箇所をもう一度眺めた。

 

 新しく習ったものに追いつかず、点数にはまだ表れきっていない。それでも、前に出来なかった部分がそのまま残っているわけではなかった。

 

 返す時には、ここを見せてやろう。

 

 その次は、ほとんど赤を入れる必要のない答案だった。

 

 よく出来ている。

 

 ただ、ある単語へ来たところで、いつもの綴りが目に入った。先日の宿題でも、同じ1文字を抜かしていたものだ。

 

 正しい綴りを短く添え、点を引く。

 

 高い点を取ることと、間違えるところがないことは、やはり別らしい。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 机を挟んだ向こうで、別の教師が赤ペンを置いた。

 

「この答え、どうしましょう。言いたいことは合っているんですけど」

 

 差し出された答案へ、しずなが顔を寄せる。こちらにも向けられたので、書かれた文を一度読んだ。

 

 模範解答とは違う言い回しだが、問いに対しては正しく答えている。指定された条件も満たしていた。

 

「問題はなかろう、言い方を変えただけだ」

 

「ええ、私もそう思います。基準表にある例とは違うから、他の先生にも伝えておきますね」

 

 しずなが問題番号と答えを書き留める。

 

 難しい判断というより、同じ答えが他のクラスにもあった時、扱いが揃うよう残しておくためのものだった。こちらも該当する設問の脇へ短く印を付け、自分の答案へ戻る。

 

 慣れた者同士でも、こうして時々やり取りが入る。

 

 それを逐一説明会にするわけではない。問題を指し、答えを見せ、短く話してから、それぞれの作業へ戻っていく。

 

 しばらくして、しずなが小さく笑った。

 

「今度は何だ」

 

「好きな教科を書くところ、英語が多いんですよ」

 

 差し出された答案には、簡単な英文で英語が好きだと書かれていた。

 

 そういえば、こちらの担当分にも何人かいた。

 

「この設問だけ、妙に我々を褒めてくるな」

 

「本当に好きな子もいるでしょう?」

 

「いるだろう。だが、試験中まで気を遣われる覚えはない」

 

「ここだけでも気に入ってもらおうとしたのかしら」

 

 しずなは楽しそうに答案を戻し、正答の印を付ける。

 

「気持ちの分は、残念ながら配点に入ってないのよね」

 

「入れれば、次から全員が英語好きになるぞ」

 

「体育って書いた子もいたから、まだ正直ですね」

 

「そちらにも同じ点を付けてやれ」

 

「もちろん。二ノ宮先生が聞いたら喜びそうですけど」

 

 こちらも似た設問を見つけ、正しく書けていることを確かめて丸を付けた。

 

 好かれているなら悪い気はしないが、何が好きかまで採点するつもりはない。音楽でも体育でも、自分の言いたいことを英文に出来ていれば、それで十分だった。

 

 2年生の担当分を終え、次に3年生の束を手前へ寄せる。

 

 文章が長くなる分、答えへ至るまでに何を読み落としたかも表れやすい。単語の意味を取り違えた者と、意味は分かっていながら別の問いへ答えてしまった者とでは、同じ不正解でも直すべきところが違っていた。

 

 途中式のようなものが残る試験ではないが、前後の解答と普段の様子を重ねれば、理由は大体分かる。

 

 その中へ、見慣れた名前が混じっていた。

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

 予想通り、前半は全て正しい。

 

 文法も読解も、途中で迷った形跡すらほとんどない。余白まできれいなままで、本人がどれほど退屈そうに書いたかまで目に浮かぶようだった。

 

 そのまま最後まで追い、1問だけ手を止める。

 

「……惜しいことをしたな」

 

 該当箇所を読み直す。

 

 問いには、本文から4語で抜き出せと書かれている。

 

 エヴァが書いたのは、意味を変えずに言い換えた別の文章だった。英語としては何も間違っていないが、聞かれていることには従っていない。

 

 これなら意味は同じだ、と文句を言う顔まで想像出来た。

 

 もちろん、同じ間違いをした他の生徒だけ点を引くわけにもいかない。

 

 その設問の2点を引き、合計を記す。

 

 98点。

 

 答案の端へ「問題文を読め」と添えてから、次へ移した。

 

 年齢も能力も、この一言を省いてよい理由にはならない。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 担当分を一通り終え、今度は採点済みの山へ手を伸ばす。

 

 合計の確認と、部分点を付けた解答の見直し。最初に見た答案と最後に見た答案で、同じ間違いへの扱いが変わっていないかも揃えていった。

 

 そこまで済ませて赤ペンを置くと、しずながこちらを見た。

 

「……今度こそ?」

 

「ああ」

 

 時計へ目を向けた後、しずなは小さく息を吐く。

 

「羨ましいですねえ。その速さ」

 

「何か回せるものはあるか」

 

「答案は、こちらで大丈夫です。私も見ておきたいので」

 

「そうか」

 

 それなら取る理由もない。

 

 早く片付けるだけが採点ではないことは、今こちらが答案を見ていた時間からも分かる。自分の授業を受けていた生徒が何を書いたかは、本人の手で確かめたいのだろう。

 

 しずなは机の脇に置いていた紙を取り、こちらへ差し出した。

 

「こちらならお願いしてもいいですか。終わった分の点数入力と集計なんですけど」

 

「それならやっておこう」

 

「助かります。入力用の表は、もう作ってありますから」

 

 指定されたパソコンへ移り、学年とクラスを確かめてから点を入れていく。

 

 採点を終えた教師から順に記録が回ってくるので、その都度加えていけばよかった。誰の答案なのか分からない数字を眺めるのと違い、名前に対して顔も普段の出来も浮かぶ。

 

 見慣れた組み合わせが、表の中へ揃っていった。

 

 他の教師が採点を進めている間には、自分の答案へ戻って返却用に並べ直す。順番を整え、よく間違えられていた設問を書き出していると、隣からカップが置かれた。

 

「お茶、どうぞ」

 

「すまんな」

 

「私の分を淹れたついでです。皆さん、少し休みません?」

 

 しずなの声に、向こうの机からも返事が来る。

 

 紙を捲る音がしばらく途切れ、誰かが肩を回していた。こちらも茶を飲みながら、手元へ残した誤答の傾向を見直してみる。

 

 点数だけなら、概ね考えていた範囲だった。

 

 1年は70点を少し超え、2年はそれより幾分低い。3年は70点台の半ばに収まり、中央値を見ても、学年全体の出来について受ける印象は変わらなかった。

 

 すべての採点が終わって結果を見た時、しずながこちらを振り返った。

 

「試験前に言っていた通りになりましたね」

 

「大きく外れる問題ではなかったからな」

 

「3学年とも、ちゃんとその辺りに収まってますけど」

 

「普段の出来と問題を見れば、見当くらいはつく。もっとも、最後に答えを書き替える者までは止められんが」

 

「ああ……いますよね。消した方が合っている子」

 

「今日は、そこからまた戻した者もいたぞ」

 

「それならよかった」

 

 しずなは笑いながら集計結果へ目を戻す。

 

 こちらも数字を眺め、少しだけ口元を緩めた。

 

「先に賭けておけば、茶請けくらい手に入ったかもしれんな」

 

「私は遠慮しておきます」

 

「当てた後で逃げるのか」

 

「当てる方だと分かったからですよ。危ない勝負はしないの」

 

 そう言ってカップを持ち上げる。

 

 なかなか隙がなかった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 考査が全て終わり、答案を返す日の教室には、また別の緊張があった。

 

 机へ答案を置くだけで、近くの生徒が身を乗り出してくる。

 

「先生、平均は?」

 

「後で言う」

 

「私、何点?」

 

「今から返す」

 

「赤点、多かった?」

 

「一度に聞くな。返す前に授業が終わるぞ」

 

 先に自分の答案を渡された者から、歓声と呻き声が上がり始めた。

 

 胸を張って席へ戻る者もいれば、紙を折って点数を隠す者もいる。友人と見せ合っている者には、中身も見ろと声を掛けておいた。

 

 点数だけ眺めて終わっては、何を返したのか分からない。

 

「先生、あと2点で80だったんですけど!」

 

「惜しかったな」

 

「ください」

 

「取れとは教えたが、貰えとは教えておらん」

 

「先生なら持ってそうじゃん」

 

「持っていたとしても、配れば採点し直しだろう」

 

「私だけでいいから!」

 

「なお悪い」

 

 周囲の生徒が笑う。

 

 こちらも答案を指で示すと、その生徒は渋々ながら間違えた箇所へ目を落とした。

 

「ここかあ……」

 

「惜しいと思うなら、そこを覚えておけ。次は我に交渉せずとも済む」

 

「次もあと2点だったら?」

 

「その時は、また別のところを覚えるのだな」

 

「終わりがない!」

 

「勉強とはそういうものだ」

 

 全員へ返し終えたところで、黒板へ誤りの多かった文を書いた。

 

 答えだけではなく、よく書かれていた間違った形も横へ並べる。生徒の中には、自分の答案と見比べて気まずそうに笑う者もいた。

 

「こちらを選んだ者は、何を見てそうした?」

 

「なんか、こっちっぽかった」

 

「どの辺りがだ」

 

「前に見たやつに似てたから」

 

「では、その見た文を思い出せ。今の文と、どこが違う」

 

 しばらく考えていた生徒が、主語のところを指す。

 

 そこからもう一度形を選ばせると、今度は正しい答えになった。

 

「そうだ。似ていると思ったところまでは悪くない。最後の違いまで見れば取れたな」

 

「あー……」

 

「試験中にその顔をしてくれれば、丸を増やせたのだが」

 

「今からじゃ駄目?」

 

「自分のノートへ付けておけ」

 

 笑いが起き、赤ペンを取る音が続いた。

 

 皆が同じところで止まっているわけではない。既に解き直しを済ませた者も、まだ教科書を探している者もいる。

 

 今までも分かっていた差だが、こうして同じ問題への反応として並ぶと、次に渡すものも考えやすかった。

 

 全員へ必要な説明を終えた後、残りの時間はそれぞれの解き直しへ回す。

 

 教室を歩いていると、採点中に目を留めた生徒が、答案を見たまま手を止めていた。点数を隠すように、左手が紙の上へ乗っている。

 

 机の横へ立ち、前半の設問を指した。

 

「ここは全部取れたな」

 

「……でも、後ろが」

 

「後ろはこれから直せばよい。前は、ここも間違えておっただろう」

 

 生徒が自分の答案へ目を戻す。

 

 語順を揃える問題には、赤い丸が続いていた。

 

「そこは、覚えました」

 

「なら、ちゃんと覚えた分が残っておる。次はこの辺りだな」

 

 誤りのある箇所へ指を移すと、今度はノートを開いた。

 

 落ち込むな、と言うより、その手が動く方がよい。

 

 すぐに解けるようになったわけではなかったが、教科書の該当箇所を見つけたところで顔を上げたので、頷いて次の机へ向かった。

 

 授業の終わりには、別の生徒が恐る恐る答案を見せに来た。

 

「先生、怒ってる?」

 

「何をだ」

 

「点数……」

 

「点については怒らん。出来なかったところを直せばよい」

 

 あからさまにほっとした顔をしたので、そのまま続ける。

 

「ただし、試験前の復習問題はまだ出しておらんな」

 

 顔が止まった。

 

「明日、持ってこい」

 

「先生、覚えてたの……?」

 

「自分で出した宿題だぞ」

 

 忘れている方を期待するなと付け加えると、今度こそ観念したように頷いた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 3年生へ答案を返した時も、教室に起こる声の種類は大体同じだった。

 

 ただ、窓際から来た生徒だけは少し違う。

 

「マクダウェル」

 

 渡した答案へ目を落としたエヴァは、点数より先に、端へ添えた赤字を見つけたらしい。

 

 眉が僅かに動いた。

 

「……ご親切なことだな」

 

「読んでおれば、書かずに済んだぞ」

 

「意味は合っているだろう」

 

「英文としてはな。本文から抜き出せと書いてあろう」

 

「分かっている」

 

 それなら言い争う必要もない。

 

 エヴァはもう一度問題文を見てから、答案を持ち直した。納得出来ないというより、間違えた箇所をこちらに見つけられたことの方が気に入らない顔だ。

 

「ずいぶん嬉しそうに書いたんだろうな、これ」

 

「他にも同じことを書いた答案はあるぞ」

 

「まとめて扱われるのも、それはそれで腹が立つな」

 

「文句の多い生徒だ」

 

 低く笑ってやると、エヴァは答案を折らずに教科書の間へ挟んだ。

 

「いいだろう。次は貴様の間違いを、同じ色で直してやる」

 

「先に問題文を読む暇は残しておけ」

 

 睨まれたが、それ以上の返事はなかった。

 

 席へ戻った後は教科書を開いていたので、今日もひとまず起きていてくれるらしい。

 

 こちらは次の答案を取り、名前を呼ぶ。

 

 誰であっても同じ基準で点を付け、必要な箇所へ同じように赤を入れる。普段どれほど教科書を退屈そうに眺めていても、この紙の上でやることは他の生徒と変わらなかった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 返却を終えた日の放課後、しずなへ復習用の問題案を見せた。

 

 すぐに全員別々のものを作るつもりはない。学年ごとの共通の解き直しを用意した上で、その先だけを幾つかに分ける。

 

 同じ形をもう一度練習した方がよい者と、語を変えて自分で組ませた方がよい者。そこまで済んでいるなら、もう少し長い文章へ進んでもよい。

 

 点数順に固定するのではなく、その時に手を入れたい箇所で変えればよさそうだった。

 

「これ、全部を全員に配るんじゃないですよね」

 

 しずなが重ねた紙を見ながら聞く。

 

「それでは分けた意味がないだろう」

 

「そうよね。安心しました」

 

「我は何枚宿題を出すと思われておるのだ」

 

「先生、片付くのが早いでしょう。生徒も同じくらい早いと思われたら、ちょっと大変そうで」

 

「だから見ているのだ。出来るものも、掛かる時間も同じではないからな」

 

 しずなは頷き、最初の用紙へ戻った。

 

「この形なら、復習に使いやすそうですね。学年の担当の先生たちにも見せましょうか」

 

「頼む。まだ案なのでな。何かあれば聞いておく」

 

「では、その『まだ案』を完成品の速さで増やさないでくださいね」

 

「増やす前に見せたであろう」

 

「ええ。今のうちに言っておこうと思って」

 

 笑いながら紙を揃えたしずなへ、こちらも小さく笑って返した。

 

 初めから全員に違う課題を渡す必要はなかったが、同じ内容を続けるうちに、先へ進ませたいところも、戻っておきたいところも増えてくる。

 

 その差へ合わせて、次の数問を替える。

 

 やりたいのは、その程度のことだった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 宿舎へ戻ってから、昼間に見せた案へもう少し手を入れた。

 

 テレビでは出演者が声を上げて笑っている。そちらへ視線を向けながら、共通で解かせる問題と、その後に使う問題を分けていく。

 

 1年、2年、3年。

 

 学年が違えば扱う内容も違うが、基礎へ戻る問題ほど説明を短く、見やすくしておいた。分からなくなっている者へ、読むだけで疲れる紙を渡しても仕方がない。

 

 逆に、既に出来る者へ同じ形だけ繰り返させる必要もない。少し考えなければ書けない箇所を残し、知っているものを使って答えへ辿り着けるよう組み直す。

 

 採点をしていた時に目にした顔が、紙の向こうへ次々浮かんだ。

 

 以前の誤りを直してきた者も、最後に答えを書き替えた者もいる。同じ98点でも、落とした2点の理由までは同じにならない。

 

 次に何をさせるか考える材料には、不自由しなかった。

 

 一区切りついたところで、机の端へ置いていた短杖が目に入る。

 

 英語の教材に押され、魔法の教本と一緒に少し奥へ追いやられていた。こちらにも試したいことは残っているが、今夜まで全部済ませる必要はない。

 

 まずは紙を揃え、明日持っていく分だけ鞄へ入れる。

 

 最後に残った3年生用の用紙へ目を落とし、少し考えた末、冒頭へ一文を書き足した。

 

 問題文の指示をよく読むこと。

 

 誰か1人に向けたものではない。

 

 実際、同じところを落とした生徒は他にもいたし、復習の紙に書いておくこととして何も間違っていなかった。

 

 ただ、窓際でこれを見た顔が少しだけ想像出来たので、書き終えた後に笑ってしまった。

 

 その紙も他のものへ重ね、鞄を閉じる。

 

 今夜の仕事は、ここまでにしておこう。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。