魔法先生ギルガメッシュ   作:長LAVA

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第11話

 

 

 答案を返してから数日が経つと、教科書を抱えてこちらを追いかけてくる生徒は随分と減った。

 

 代わりに増えたのは、色の付いた紙や、何やら絵を描き込んだノートを持つ姿だった。休み時間の教室でも、試験の点数より、何を売るか、誰が何を着るかという話の方が大きくなっている。

 

 ひとまず、今はその相談を止めてもらうことにした。

 

「前から回せ。名前のあるものは、その者へ渡しておけ」

 

 用意してきた復習課題を配ると、受け取った生徒たちが早速隣の紙を覗き始める。

 

 最初の部分は共通だが、その先は幾つかに分けてあった。英語科でも確認を済ませ、まずは今回の試験範囲の復習に使ってみることになっている。

 

「あ、先生。私に配られたやつ、後ろの問題が違うんですけど」

 

「ああ。今回はそちらを解け」

 

「えー、こっちちょっと難しくないですか?」

 

「貴様なら解けると思ったから渡したのだ。最初の問題はもう出来ておるだろう?」

 

「……まあ、はい。でも、出来るようになったらまた次が難しくなるじゃないですか」

 

「ふっ、いつまでも同じ場所で足踏みしていたいのか?」

 

「それは……嫌ですけど」

 

 周囲から笑いが漏れる。

 

 文句を言っていた本人も、渡されたものを返そうとはしなかった。隣の生徒が持つ紙ともう一度見比べてから、鉛筆を取っている。

 

 反対に、基礎をもう少し繰り返す方へ回した生徒は、前の答案を取り出していた。同じような形があることへ気付いたらしく、こちらを見る。

 

「あ、先生、これテストの問題に似てる!」

 

「間違えた箇所を復習するためのものだからな。当然だ」

 

「これなら今でも解けそうかも」

 

「ならば、今すぐやってしまえ」

 

 頷いて紙へ戻っていく。

 

 少し間を置いて、教室に筆記具の音が戻る。通路を歩きながら様子を見ていたが、机の端には、英語とは関係のないものが幾つも堂々と置かれている。

 

 飲み物の絵に値段を書き添えた紙や、色の候補を丸で囲んだ看板の下絵。衣装の相談なのか、服の形をいくつも描いたノートまであった。

 

 試験前にも、これくらい真剣に相談し合えばよかったものを。

 

 教壇へ戻り、予定していた範囲を黒板へ書き始めると、前の席から手が挙がった。

 

「ギル先生って、麻帆良祭はどこか行くんですか?」

 

「……今は授業中だぞ」

 

「じゃあ、終わったら教えてくださいよ!」

 

「その前に今日の課題を終わらせろ。手が止まっておるぞ。話を聞かなければ、見物する時間もなくなるからな」

 

 小さく続いていた私語が、急に止んだ。

 

 皆が正面を向き、既に教科書を開き直している者までいる。

 

「……普段から、その速さで切り替えればよかろう」

 

「毎日がお祭りなら切り替えられます!」

 

「それでは準備だけで1年が終わるな」

 

 笑い声を聞きながら、続きを書く。

 

 どうやら今年の祭りは、教室へ持ち込める話題としても、なかなか優秀らしかった。

 

     ◆

 

 授業が終わった途端、数人が教卓の前へ集まってきた。

 

 こちらが出席簿を閉じるより早く、手描きの案内が差し出される。

 

「ギル先生、絶対うちのクラス来てくださいね!」

 

「こっちのステージも! 部活で出るんです」

 

「あと、これもお願いします!」

 

「ええい待て、紙は逃げん! 順番に渡せ」

 

 1枚ずつ受け取ってみれば、教室での出し物だけでなく、部活動の発表まで混じっていた。しかも、同じ時刻のものが既に2つある。

 

「我の予定を決める前に、せめて互いの時刻を見比べておけ」

 

「先生、クラスの担任持ってないからヒマでしょ?」

 

「担任を持っていなければ、仕事まで消えると思っておったのか?」

 

「えっ、お祭りなのに仕事あるんですか?」

 

「貴様らが祭りで騒いでいる間、教師まで全員遊んでいるわけがなかろう。巡回や来場者の案内がある」

 

「うわぁ、先生も大変ですね……」

 

「同情した直後に、またしれっとチラシを1枚増やすな」

 

「これは休憩時間に来てほしいやつなんで!」

 

「我の休憩時間まで、貴様らの担当になった覚えはないぞ」

 

 それでも、紙は受け取っておく。

 

 顔を出せるかどうかは別として、これだけ目を輝かせて差し出されたものを、読まずに返す気にはならなかった。

 

 教室を出る頃には、教材の上へ小さな紙束が出来ている。

 

 廊下の掲示板にも、同じ祭りの名が並んでいた。以前から貼られていた募集の案内に加え、今は使用場所の決定や、準備についてのお知らせが増えている。

 

 考査範囲の紙は、まだ机の端へ残っていた。

 

 ただ、それを見て立ち止まる者はもうほとんどいない。少し前まであれほど真剣に覗き込んでいた連中が、今はすぐ隣に貼られた出し物の案を指さして騒いでいる。見事なまでの切り替えの早さだ。

 

 そう思いながら、こちらも祭りの案内へ少し目を留めた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 職員室の机には、教師向けの資料が置かれていた。

 

 麻帆良祭の会場図と、当日の勤務についての書類。それから各所で行われる催しの一覧まであり、開いてみると、女子中等部の敷地だけではとても収まらない。

 

 学校ごとの企画に、部活動や大学の団体。屋台の並ぶ通りがあり、展示や舞台もあちこちへ散っている。

 

 日頃通り過ぎている場所にも、それぞれ別の使い道が用意されていた。

 

「学校の祭りと呼ぶには、随分と広いな」

 

 会場図を広げ直すと、近くにいたしずなが顔を向けた。

 

「最初は、地図を見ているだけでも迷いそうでしょう」

 

「全部を見ようとすれば、3日あっても足りんな」

 

「毎年、去年と同じところだけ行って終わる先生もいますよ。混んでいるところへ入ったら、それだけでお昼休みがなくなったりするから」

 

 そう言って、図の一角を指す。

 

「この通り、お店が多いんですけど、当日はもっと増えるの。歩くつもりなら、少し時間を見ておいた方がいいですよ」

 

 指された道には覚えがある。

 

 普段でも食事時には人の集まる場所だった。あそこへ屋台や客が増えれば、道を歩く時間だけで予定を組むわけにはいかないだろう。

 

 他の催しにも目を通してみる。

 

 名前だけでは何をするのか分からないものもあったが、添えられた説明を読めば、少し覗いてみたいと思わせるものがいくつか見つかった。

 

 祭り自体は、ウルクにも幾度となくあった。

 

 神殿で行う祭儀や、都市の人々が集まる祝いの日。楽しくなかったわけではないが、王としてそこへ立つ以上、決められた役目もあれば、済ませるべきことも多かった。

 

 気になった店へ入り、気が変われば別の通りへ行く。そんな過ごし方をしたくても、まずはこちらを待つ者への用を済ませなければならない。

 

 催しの時刻を見ながら、何を見ようかだけ考えるとなると、最初の人生以来かもしれなかった。

 

 そこで、会場図の下にあった勤務表を引き出す。

 

 自分の名前は、きっちりと載っていた。

 

「……そういえば、こちらもあったな」

 

「忘れないでくださいね」

 

 しずなが笑う。

 

「巡回と、こちらの案内ですね。ずっと同じ場所にいるわけではないから、移動の途中にも少しは見られると思いますよ」

 

「客になるには、名札が邪魔をするな」

 

「外したって、生徒には分かっちゃいますけどね」

 

 それはそうだ。

 

 この顔を少し隠した程度で、普段教えている者たちから分からなくなるとは思わない。そもそも、仕事を抜け出して見物するつもりもなかった。

 

 割り当てを追うと、途中には十分な空き時間がある。

 

 今年は担任を持っていないので、特定のクラスへ付ききりになる必要もない。他の教師たちが自分のクラスの企画と勤務表を見比べている横で、こちらは空いた場所へ何を入れるか考えればよかった。

 

「これなら、いくつかは回れそうだな」

 

「もう誘われてます?」

 

 受け取った紙束を示すと、しずなは声を立てて笑った。

 

「人気者は、そちらの予定も大変ね」

 

「今朝まで空いておったはずなのだがな」

 

 

 

     ◆

 

 

 

 その後の授業でも、誘いは続いた。

 

 2年生から渡された案内には、会場図の一部まで写してある。

 

「ここなら、先生が巡回する校舎からすぐですよ!」

 

「よく調べてきたな」

 

「さっき先生たちが話してるの、聞こえちゃったんで」

 

「その耳を、英語の聞き取りにも使え」

 

「聞きたいことなら聞こえるんですー」

 

「随分と都合よく出来ておる」

 

 今度の紙は、喫茶店の案内だった。

 

 飲み物と焼き菓子を用意するらしく、端にはカップの絵がある。まだ下書きのような部分も残っていたが、教室の場所は分かりやすかった。

 

「近いという理由は認めよう。空いておれば寄る」

 

「あ、言いましたね!」

 

「空いておれば、だぞ」

 

 肝心な部分を聞かない耳も標準装備しているらしい。

 

 3年生は、さらに違う手で来た。

 

「私たち、今年で最後なんです」

 

 案内を差し出す生徒が、まっすぐこちらを見ている。横にいた友人まで、少し寂しそうな顔で頷いていた。

 

「来年は高等部から、同じ祭りへ呼びに来るのであろう」

 

 揃って動きが止まった。

 

 ここは中等部を卒業したら、学園からも去らなければならない学校ではない。校舎を移した先で、また案内を持ってくる姿くらいは容易に想像出来た。

 

「……中学生としては、最後です!」

 

「肝心なところを省いたな」

 

「先生、そこは空気読んで察してくださいよ」

 

「察したから言っておるのだ」

 

 横にいた友人が堪え切れずに笑い、寂しそうにしていた顔がすっかり崩れた。

 

「じゃあ、来年は高校最初の麻帆良祭ってことで来てくださいね」

 

「最後でも最初でも、結局呼ぶつもりか」

 

「毎年来てくれれば全部解決です」

 

「解決したのは貴様らの都合だけであろう」

 

 今度は2人とも笑っている。

 

 卒業を持ち出した割に、来年の予定を立てるのが早い。こちらが案内へ目を落とすと、最初に差し出してきた生徒が、少し身を乗り出した。

 

「でも、このクラスでやるのは本当に最後なんですよ」

 

 紙には展示の題名と、いくつもの小さな絵が描き込まれていた。友人同士で書き足したのか、文字の形も使っている色も少しずつ違う。

 

 それを見てほしいという話まで、揶揄うつもりはない。

 

 来年も同じ学園にいるからといって、今年作ったものを来年見れば済むわけでもなかった。

 

「予定と合わせて見ておく。行けもしない時刻に、約束だけ欲しいわけではあるまい」

 

「はい! じゃあ、待ってますね」

 

「来年の予約までは受け付けんぞ」

 

「そっちは来年また来ます!」

 

「ほれ。最後ではないだろうが」

 

 笑いながら去っていく生徒たちの後ろで、エヴァが小さく鼻を鳴らした。

 

「結局、受け取ってやってるんじゃないか」

 

「案内を持っているだけで、出席の約束をしたことにはなるまい」

 

「そのうち、そういうことにされるぞ」

 

「既になりかけておるな。……で、貴様も何か持ってきたのか?」

 

「あるように見えるか?」

 

 両手には教科書しかない。

 

 こちらもそれ以上は言わず、増えた案内を教材の上へ重ねる。エヴァはその厚みを眺め、少しだけ口元を上げた。

 

「随分と忙しい祭りになりそうじゃないか」

 

「貴様は暇そうだな」

 

「毎年、似たような店を見て回るのも飽きるんでね」

 

「エヴァちゃん、またそういうこと言うー」

 

 まだ近くにいた生徒が、エヴァの方へ振り返った。

 

「3年目だからってそんなに飽きないでしょ。うちのも見てよー」

 

「はいはい。通りかかったらな」

 

「絶対だよ!」

 

「……おい、この教師と同じ返事をした覚えはないぞ」

 

 今度はこちらが笑う番だった。

 

 生徒は満足したのか、そのまま友人を追って廊下へ出ていく。取り残されたエヴァは、少し不服そうに扉を見ていた。

 

「貴様も誘われておるではないか」

 

「笑うな。面倒なのが増えただけだ」

 

 教材を抱えて教室を出ると、エヴァも廊下までついてきた。

 

 他の生徒たちが階段へ向かい、周りの声が遠ざかったところで、こちらへ顔を向ける。

 

「本当に楽しみにしているんだな、お前」

 

「ああ。この時代の祭りは初めて見るものだからな」

 

「昔にも、祭りくらいあっただろうに」

 

「幾らでもあったぞ。ただ、好きに見て回る立場を満喫するのは久しいのでな」

 

 エヴァは少しだけ考える顔になった。

 

 こちらの昔の立場を思い出したらしい。

 

「……なるほど。今度は、誰かが頭を下げに来るのを待たなくていいわけか」

 

「代わりに、生徒が紙を持って押し寄せてきておるがな」

 

「似たようなものじゃないか」

 

「どこがだ。こちらは菓子を買えと要求してくる」

 

 エヴァが小さく笑った。

 

「ふっ、せいぜい楽しめよ。言っておくが、初めてだからと全部見ようとすると、歩くだけで終わるぞ」

 

「貴様は、その失敗を経験したような顔だな」

 

「……さあね」

 

 それ以上は付き合わず、教室の方へ戻っていく。

 

 飽きたという割には、何をして時間を使ったかは、まだよく覚えているらしかった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 午後の授業を終える頃には、職員室にも祭りの準備で戻ってくる教師が増えていた。

 

 借りる備品の数を確かめる者もいれば、机へ広げた紙を前に、生徒へ何か説明している者もいる。普段の教材に加えて会場図や企画書が置かれ、机の上はいつもより色が多かった。

 

 自分の担当時間を確かめ直していると、通りかかった二ノ宮が背広へ目を向けた。

 

「ギル先生、当日もその格好なんですよね」

 

「客が増えた程度で、わざわざ着替える理由もあるまい」

 

「ですよねえ。じゃあ、もし受付で何かトラブルがあったら呼んでもいいですか?」

 

「何か、とは何だ」

 

「ちょっと話の通じないお客さんとか来た時に。先生が横に立って睨んでくれたら、一発で静かになりそうですし」

 

 向こうの机にいたしずなが笑う。

 

「ふふっ、それだと単に質問したかっただけの方まで黙っちゃいそうね」

 

「それもそうですね」

 

「客を呼びたいのか追い払いたいのか、どちらかにしろ」

 

 二ノ宮はこちらの顔を見て、少しだけ笑いを堪えた。

 

 言う前から、何を考えているかは分かる。

 

「またマフィアか」

 

「あ、自分から言いましたね」

 

「貴様らが何度も言うので、もう聞く前に分かるようになった」

 

「あはは! じゃあ、当日は職員証をよく見えるところに付けておいてくださいね」

 

 しずなが胸元を指してみせる。

 

「ちゃんと英語の先生だって分かりますから」

 

「今も付いておるぞ」

 

「……あっ、ホントだ。付いてましたね」

 

 二ノ宮がそこを見て、しずなへ顔を向けた。

 

「名札の存在感、完全に負けてますよ」

 

「では、もっと名札を大きくするか?」

 

「いやいや、そこまでしなくていいですよ!」

 

 2人とも、とうとう隠さず笑い始める。

 

 こちらまで付き合って職員証を大きくすることはない。肩へ掛けた背広を整え、確認の済んだ勤務表を鞄へ仕舞った。

 

 その後、魔法先生としての当番も別に確認した。

 

 来場者が増える期間には、普段と同じ場所を見ていても、注意を向ける相手が増える。表の担当との兼ね合いや、何かあった際に連絡を回す先を確かめておけば、今のところ追加で話し込むこともなかった。

 

 これで今日の用事は終わりのはずだった。

 

 少なくとも、校舎を出るまではそう思っていた。

 

     ◆

 

「あっ、ギル先生! ちょっとだけお願いしていいですか!?」

 

 声のした方へ目を向ける。

 

 空き教室の前に、生徒が3人。その横には、まだ文字の入っていない大きな看板が立て掛けられていた。

 

 下地を塗った板を、別の場所へ移そうとしていたらしい。両端を持ってみたものの、持ち上げる高さが合わず、途中で置き直したところのようだった。

 

「その板か」

 

「ほんとに5分だけですから!」

 

「先に時間から申告するな。どこまで運ぶ」

 

「隣の準備室です。すぐそこなんで!」

 

 近いのは見れば分かる。

 

 ただ、近い場所へ置けば終わる顔をしているかどうかは、別の話だった。

 

 生徒の持っていた片側を代わりに取り、残る2人へ向きを合わせるよう言う。板は重さより大きさが厄介で、狭い出入口では少し傾けた方が通しやすかった。

 

「そちらを先に入れろ。手は枠へ寄せるなよ」

 

「はーい。……先生、こっち、もうちょっと上」

 

「ああ」

 

 中へ運び込み、指定された壁際へ立てる。

 

 板から手を離したところで、待っていた生徒が奥を指した。

 

「それで、先生。ついでにこっちの机も――」

 

「まだ5分も経っておらんぞ」

 

「ほら、早く終わったから時間が余ってますし!」

 

「余った時間へ勝手に仕事を足す仕組みだったか、強かだな」

 

 次は作業用の机だった。

 

 大きな紙を広げるために2台並べたいらしい。上に置かれた道具を片付けさせてから片側を持ち、邪魔にならない位置へ寄せる。

 

「ここでいいのか」

 

「もうちょっと、こっち」

 

「それなら最初から、置く場所を指しておけ」

 

「すみません。あ、そこ!」

 

 ようやく手が空いたところで、廊下を通った別の生徒と目が合う。

 

 午前に喫茶店の案内を渡ってきた顔だった。

 

「先生、ここにいた!」

 

「捜しておったのか」

 

「これ、ちょっと見てもらいたくて」

 

 差し出されたのは、看板の下書きだった。

 

 どうやら運送の次は、本業の番らしい。

 

 大きな店名の下に、幾つか英文が並んでいる。まず目に入ったのは、こちらを強く呼びつける一文だった。

 

「ここは何を書きたかったのだ」

 

「えっと、『絶対に来てね!』って感じを出したくて」

 

「なるほど。それで『You must come.』か」

 

「あれ、これじゃ駄目ですか?」

 

「誘い文句としては通じるが、看板にするには随分と押しが強いな」

 

 周りにいた生徒たちが、揃って紙を覗き込んだ。

 

「え、命令みたいになっちゃってます?」

 

「我が客を呼ぶなら、そんなところか」

 

「あー、なんか先生っぽいと思ったらそれだ!」

 

「我の口調で客を呼ぶつもりだったのか?」

 

 笑い声が上がる。

 

 本人も笑いながら、書き直すための鉛筆を出した。

 

「『All drinks are free.』……全部無料にするのか?」

 

「えっ、違う違う! 好きなのを選べるって意味です!」

 

「それなら、選べと書け。これでは飲み物代を取れんぞ」

 

「うわ、危なっ」

 

 隣の生徒が胸を撫で下ろす。

 

 こちらも、上からもう一度読んでみた。

 

「絶対に来いと呼び付けておいて、飲み物は全部無料。随分と気前のよい店だな」

 

「それだとただのボランティアになっちゃう……先生、なんて書けばいいですか?」

 

「『Come and visit us!』くらいでよい。少し気軽に、遊びに来てくれと誘え。下はセットの飲み物が1杯なら『Choose one drink.』だ」

 

「よし、それにします! ……あ、こっちのメニューも見てくれませんか?」

 

 別の紙が横から出てきた。

 

 顔を上げると、いつの間にか人数が増えている。

 

「我は、板を運びに来ただけなのだがな」

 

「英語の先生じゃないですかー」

 

「都合のよい時だけ、本業へ戻すな」

 

 それでも、紙は受け取った。

 

     ◆

 

 全部を直す必要があるわけではなかった。

 

 簡単な店名や料理名なら、ちゃんと調べて書いてある。文字の飾り方までこちらが口を出すものでもないので、通じるところはそのままにして、意味のずれた箇所だけ確かめていった。

 

 中には、英文ではなく日本語の案内を見せてくる者までいた。

 

「これは貴様らで読めるだろう」

 

「でも、先生に見てもらった方が安心なんで!」

 

「教師を判子の代わりに使うな。何を確かめてほしいのか、先に言え」

 

「……場所と時間、分かりやすいですかね?」

 

 それなら、見る意味もあった。

 

 聞かれたところを確認している間に、最初に運んだ看板にも文字が入り始めていた。床へ新聞紙を敷き、下書きを見ながら色を置いている。

 

 遠くから見えるようにと大きくした文字が、最後の一文字だけ少し窮屈になっていた。

 

「これ、入る?」

 

「入る入る。ちょっと細くすれば」

 

「最後だけ痩せるじゃん」

 

 そんな相談を聞きながら、こちらは頼まれた飾りを押さえていた。

 

 取付位置を決めるためらしく、少し下がって眺めていた生徒が首を傾げる。

 

「先生、もうちょっと右」

 

「こちらか」

 

「行きすぎ。ちょっと左」

 

「……さっきの位置へ戻るぞ」

 

「あ、じゃあそこ!」

 

 指示通りに留まると、納得したように頷かれた。

 

「やっぱり最初で合ってましたね」

 

「我を動かして確かめるな」

 

 笑われた。

 

 こちらも飾りを渡して手を下ろすと、袖口へ僅かに白い粉が付いていた。軽く払っている間に、時計へ目が行く。

 

 5分は、とっくに過ぎていた。

 

「貴様ら、最初に言った時間を覚えておるか」

 

「……5分?」

 

「時計の読み方から教える必要はなさそうだな」

 

「でも先生、なんだかんだ楽しんでません?」

 

 言った生徒が、こちらの顔を見ている。

 

 周りまで同じように見てきたので、少しだけ返事が遅れた。

 

「人に仕事を頼んでおいて、よく言う」

 

「だって、帰らないし」

 

「帰る隙を与えぬのは誰だ」

 

「じゃあ、あと1個だけ!」

 

「今の話から増やすな」

 

 結局、最後に棚の上へ材料を載せるところまでは手伝わされた。

 

 残っていた箱を置き、今度こそ荷物から手を離す。看板の前では、文字を書き終えた生徒たちが、少し離れて出来を眺めていた。

 

「結構よくない?」

 

「最後の文字、ちょっと細いけど」

 

「そこは見ないで」

 

 白い下地に、まだ乾いていない色が乗っている。

 

 線の太さも揃ってはいないが、教室の中で近寄って見るより、入口から眺めた方がずっとそれらしく見えた。こちらが立っていた位置まで下がってきた生徒が、嬉しそうに友人を呼んでいる。

 

 出来上がったものは、彼女たちの看板だった。

 

 持ち運びと英文には少し口を出したが、どんな店にしたいか、何色を使いたいかは、初めから本人たちが決めている。

 

「先生、どう?」

 

「これなら、通り過ぎる前に何の店か分かるな」

 

「よしっ!」

 

 それだけで満足したらしく、もう一度看板へ向かっていく。

 

 足りない道具を探して騒ぎ、誰が片付けるかで少し揉め、最後には同じものを眺めて喜んでいる。完成した店だけ見に来たのでは、分からなかった顔も多かった。

 

 教材を持ち直し、廊下へ出ようとすると、後ろから声が飛んできた。

 

「ギル先生、ありがとうございましたー!」

 

「床の新聞紙もちゃんと片付けて帰れよ。今のままでは、店へ入る前に足を取られるぞ」

 

「はーい。あ、当日、絶対来てくださいね!」

 

「空いておればな」

 

 そう返したところで、午前に案内を渡してきた生徒が、先ほどの下書きを掲げた。

 

「You must come!」

 

「直せと言った方だけ、よく覚えるでない」

 

 教室中が笑い声に包まれる。

 

 本人も笑いながら、今度は直した方の文を指した。

 

「あはは! Come and visit us!」

 

「……そちらなら、考えておこう」

 

「あ、来るって言った!」

 

「返事まで都合よく翻訳し直すな」

 

 最後までこちらの話を聞いたかどうかは怪しかったが、少なくとも案内の英文は、もう間違えずに書けそうだった。

 

     ◆

 

 宿舎へ戻って鞄を開けると、教材の間から祭りの案内が何枚も出てきた。

 

 1年生の教室、2年生の喫茶店、3年生の展示。

 

 部活動の発表は場所も時刻も違い、全部を同じ日に回れるようには出来ていない。中には、明日返すべき英文の下書きまで混じっていた。

 

「これは返しておかねば、また捜しに来るな」

 

 そちらを翌日の教材へ挟み直し、残りを机へ並べる。

 

 勤務表と会場図も広げてみた。

 

 移動だけなら、大して困る場所ではない。だが、店へ入って何か食べ、展示を眺め、発表を見るとなれば、早く歩けば済むものでもなかった。

 

 催しの時間が重なるところは、どちらかを別の日へ回す。

 

 巡回の終わる場所から近い教室を先にして、その後で通りの向こうへ出れば、戻る途中にもう1か所寄れる。3年生の案内をそこへ置き、別の紙を隣へずらす。

 

 来年の招待まで済ませかけた顔を思い出し、少し笑った。

 

 まずは今年の分だ。

 

 気になる屋台にも印を付けたところで、机の上を見直す。

 

 いつの間にか、遊ぶための予定表が出来始めていた。

 

「……生徒のことを言えんな」

 

 こちらの空き時間を勝手に埋めるなと言っておいて、自分でも同じところへ予定を足している。

 

 もっとも、紙を捨てる気にはならない。

 

 空けておいた時間を1つ残し、他はそのまま畳んで会場図へ挟んだ。目に留まったものへ立ち寄る余地まで消してしまっては、歩きながら時計ばかり見ることになる。

 

 それでは、せっかくの祭りが仕事に近付きすぎるだろう。

 

 机の端へ紙を寄せたところで、魔法の教本と短杖が見えた。

 

 あの後も、暇を見つけて練習は続けている。

 

 まだ初歩を扱っていることには変わりないが、同じ術へ流す魔力量を毎回確かめる必要はなくなってきた。気も、立ったまま拳へ集めるだけでなく、身体を動かしながら保つ練習へ進んでいる。

 

 始動キーについても、先日、自分用のものを決めた。

 

 最初の人生で記憶に残っていた詠唱から、響きの気に入った言葉を3つ拾っただけだ。どうせ口にするなら、少し面白そうな方がいい。

 

「コスモス・アニムス・アントルム、光よ(ルークス)

 

 指先へ灯った光を、机の端へ留める。

 

 共通の始動キーを使った時と、術の働きは変わらない。読み物を照らす程度に抑えれば、先ほど畳んだ会場図の文字が淡く浮かび上がった。

 

 口にしてみても、やはり悪くない。

 

 少し眺めてから光を消し、今夜は杖へ手を伸ばさずにおいた。これから練習へ出るより、夕食を取ってのんびりしたい気分だった。

 

 窓の向こうには、まだいくつか校舎の明かりが残っている。

 

 帰り際に見た教室では、もう看板を片付けただろうか。下書きの方をこちらが持ってきてしまったが、少なくとも無料で飲み物を配る文だけは直してあったはずだ。

 

 思い出して、少し口元が緩んでしまう。

 

 机へ戻り、2年生の喫茶店の案内をもう一度取った。

 

 今日手伝った看板と同じ店名が、丸い字で書いてある。その下へ、自分の空き時間を小さく書き添えた。

 

 当日は客として入ってやろう。

 

 席へ座る前に、机を運ばされなければいいのだが。

 

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幽州を変えようか(作者:雑草弁士)(原作:恋姫†無双)

三国時代初頭、幽州の地にて。出立する劉備(桃香)に多大な物資と兵馬を与え、客将であった趙子龍(星)までもを持っていかれた公孫瓚(白蓮)。しかしこの時間軸、この外史では、星と引き換えの様な形で白蓮の元に居残った人材が居た。もともと劉備陣営では目立った働きをしていなかったらしい、ただ古参なだけのその男。彼の正体は。


総合評価:6228/評価:8.75/短編:3話/更新日時:2026年08月08日(土) 17:10 小説情報

血しぶきハンター(作者:みこみこみー)(原作:HUNTER×HUNTER)

幾万もの悪夢の夜を繰り返したその果てに、月の魔物を屠り上位者と成った狩人は、流星街で目覚める。


総合評価:5046/評価:8.01/連載:11話/更新日時:2026年04月23日(木) 15:00 小説情報


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