魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
麻帆良祭の残り2日間は、特に大きな事件もなく過ぎ去っていった。
さよの案内で、さらに頓珍漢な出し物をいくつか見て回った。生徒から熱烈に誘われていた場所にもひと通り顔を出し、合間には教師としての巡回業務もつつがなくこなした。
最終日の片付けまで見届け、巨大な学園祭は終わりを迎えた。
それから数週間。
季節は完全に夏へと移り変わっていた。
開け放たれた窓からは熱風が入り込み、天井の扇風機が首を振りながら生ぬるい空気をかき回している。半袖のブラウスを着た生徒たちは、授業中にもかかわらず机へ突っ伏したがる者が増えていた。
あれほどの熱狂を生んでいた麻帆良祭の余韻も、すっかり日常の暑さの中へ溶けてしまっている。
4月に赴任してから、約3か月が経つ。
右も左も分からなかった時期はとうに抜け、教師としての生活はごく当たり前のものとして定着し始めていた。
授業の進め方も、すっかり板についている。
最初は全員共通だった課題も、今では基礎、標準、発展と難易度を分けて使いこなすようになっていた。
生徒の方もそれを当たり前と受け入れており、教室を回ってプリントを配る頃には、ごく自然な会話が飛び交うようになっている。
「先生、今日の私どれ?」
「それを聞く前に、昨日の分を見せろ」
「えー」
「何故そこで嫌そうな顔をするのだ」
そんなやり取りを交わしながら、手渡す紙を選ぶ。
最近では、さらに少しずつ個別化が進み始めていた。
同じ基礎のプリントを渡すにしても、ある生徒には語順の問題を、別の生徒には単語の綴りを、また別の生徒には読解の基礎をといった具合に、数問だけ差し替えたものを渡すことが増えている。
まだ完全な1人1種類というわけではないが、基礎・標準・発展の3段階を土台にして、その中へ個人の弱点に合わせた問題を混ぜ込む段階に入っていた。
それに合わせて、問題を作成する環境も進化している。
宿舎の自室では、テレビで適当な番組を流し、片手に冷えたビールを持ちながら、キーを叩いている。
生徒たちの顔と前日の間違い箇所を思い浮かべながら、ほぼ画面を見ずに問題を組み替えていく。慣れてしまえば、大した労力ではなかった。
ただ、その結果として出来上がった束を職員室へ持ち込むと、隣の席から呆れたような声が降ってくる。
「ギル先生、またプリントの種類増えましたね」
「それぞれに必要なところだけ差し替えた結果だ」
「それ、全部で何人分あるんですか?」
「いちいち数えてなどおらん」
「……数えましょうよ」
「必要だから作っただけだ。気にするな」
しずなも、プリントの内容自体が極めて理にかなっていることは理解しているため、それ以上は止めようとしない。
ただ、「どう見ても新人教師が1人でこなせる仕事量じゃない」という顔で、時折こちらの机の上の紙束を眺めている。
◆
祭りの後から、日常にもう一つ明確な変化があった。
夜の校舎や帰宅途中で、相坂さよと普通に話すようになったことだ。
放課後、人気のなくなった教室で教材を片付けていると、ふいに背後から声が掛かる。
「先生、まだ帰らないんですか?」
振り返りもせず、鞄に教科書を押し込みながら答える。
「もう少しだ」
他の生徒には見えない幽霊が、ごく自然に話しかけてくる。それがすでに日常の一部として機能していた。
祭りで一緒に回ったことがきっかけなのか、さよは以前よりも少しだけ活動的になっている。
物には触れられないし、自分以外の誰かに姿が見えないことは変わらない。だが、「話しかけられる相手がいる」という選択肢ができただけで、随分と違うらしい。
最近では、校内で面白いことを見つけると、後でわざわざ報告しに来るようになっていた。
「今日、廊下で○○ちゃんが、好きな人の話してたんですよ!」
「貴様、本人に聞かれたら怒られるぞ」
「大丈夫ですって。先生にしか聞こえないじゃないですか」
「随分と便利に使い始めたな、幽霊の特権を」
そんな軽口を叩き合う程度には、関係が馴染んでいた。
こちらも、彼女を特別な腫れ物としては扱わない。
例えば、授業中のことだ。さよは相変わらず、空いている席に座って授業を聞いている。
「――相坂」
「……はい?」
「さっき黒板に書いた問題、答えてみろ」
「えっ、私も当たるんですか!?」
「毎回偉そうに授業を受けておるだろう」
慌てた様子で、さよが反論してくる。
「でも私、テストないですよ?」
「だからといって、覚えなくてよい理由にはならんな」
放課後の教室でそんなやり取りをしていると、たまに本気で頭を抱え始めるから面白い。
さらにある日などは、つい他の生徒と同じように接してしまったこともあった。
「なら、貴様もこれをやってこい」
「……先生、私ペン持てません!」
言われて、一瞬だけ動きが止まる。
「……そうだったな」
「忘れてたんですか!?」
「毎日真面目に授業を受けておるのでな。普通に生徒の1人として数えておった」
それを聞くと、さよは呆れたような顔をしつつも、どこか少しだけ嬉しそうに笑った。
結局、ペンを持てないのなら口頭で答えさせればよいという結論に至り、放課後に数問だけ口で答えさせることにした。
「本当にやるんですか?」
「出した宿題を、何故撤回せねばならんのだ」
「幽霊に宿題出す先生なんて、初めて見ましたよ」
「我も幽霊に宿題を出すのは初めてだ」
こうして、さよもまた、紛れもなく「生徒」の1人として扱われ始めていた。
◆
7月に入り、期末考査の時期がやってきた。
試験問題を作り、採点し、結果を返す。
前回のように生徒たちが騒ぎ立てることもなく、大きなズレもなく業務は進んでいった。
ただ、前回の考査に比べて、生徒たちの弱点が少しずつ改善していることだけは確かに見て取れた。
基礎的な文法でつまずく者が減り、長文に挑む余裕が出てきた者もいる。
採点結果を見ながら、夏休みに向けてさらに教材の調整を行う。
もう試験そのものは特別なイベントではなく、教師としての日常業務になりつつあった。その事実が、確かに時間が経過したことを感じさせる。
そして、一学期最後の授業の日。
生徒たちは完全に浮き足立ち、夏休み気分を満喫していた。
「先生、もちろん夏休みの宿題なしですよね?」
「誰がそんなことを言った」
教室中から悲鳴が上がる。
「えーっ! 明日から夏休みですよ!?」
「知っておる」
「休ませてくださいよー!」
「休め。宿題をきっちり終わらせた後でな」
「順番逆じゃないですか!」
そんな抗議の声を聞き流しながら、用意してきたプリントを配る。
ただ、自身としても、せっかくの休みに毎日勉強漬けにさせる気はなかった。
学年と個人の理解度に合わせて、これまでの弱点を忘れない程度の分量に抑えてある。
配られたプリントを見た生徒が、拍子抜けしたように声を上げた。
「あれ、意外と少ない……」
「もっと多い方がよかったか?」
「少ないです! これで完璧です!」
「なら文句を言うな」
笑い声とともに、一学期最後の授業が締めくくられた。
「先生、夏休みは何するんですか?」
片付けをしていると、前の席の生徒からそう聞かれた。
少しだけ考える。
教師になってから初めての長期休暇だ。
完全に休めるわけではない。当番で学校へ来る日もあるし、魔法先生としての巡回業務も組まれている。
ただ、それでも今までよりはるかに自由な時間が増えるのは確かだった。
「……まだ、特に決めておらんな」
そう答えると、生徒たちは「大人はつまんないですねー」と笑いながら教室を出ていった。
◆
終業式は、暑い体育館で行われた。
壇上で校長が長い話をしている間、生徒たちは早く終われと言わんばかりの顔でじっと耐えている。
教師の列に並んで立ちながら、その光景をぼんやりと眺めていた。
最初の入学式から約3か月。
あの頃は、自分がこの時代で教師という職業をどこまで続けられるかも未知数だった。
それが今では、ごく自然に次の学期の授業の進め方を考えている。
式が終わり、生徒たちが各教室へ戻っていく。
最後のホームルームが終わり、やがて校舎中に元気な声が響き渡った。
「先生、また2学期にね!」
「宿題を忘れるなよ」
「最後にそれ言うー!?」
笑いながら去っていく背中を見送り、やがて校舎は静寂に包まれた。
誰もいなくなった教室に、1人だけ残っている姿があった。
当然だ。さよには、夏休みだからといって帰る家があるわけではない。
「貴様は、休みになっても何も変わらんな」
「そうなんですよねえ」
窓枠に腰掛けたさよが、少しだけ苦笑する。
「明日から、随分と静かになりますよ」
「嫌か?」
「昔はちょっと寂しかったですけど。でも、もう慣れました」
いつもの、諦観の混じった声だった。
毎年毎年、生徒たちが帰り、誰もいなくなった校舎で夏を過ごしてきたのだろう。
ただ、今年は少しだけ事情が違う。
「暇なら、来ればよい」
「……え?」
「我は学園内の寮におるし、毎日ではないが学校にも来る。話し相手くらいにはなるだろう」
大仰な誘いではない。ただの事実として告げる。
さよは、目を瞬かせた。
これまでは、生徒が帰ってしまえば完全に1人だった。
しかし今年は、少なくとも自分を認識し、言葉を交わせる相手が学園内に残っている。
「……じゃあ、たまに行ってもいいですか?」
「毎日来ても構わんぞ」
「先生、後になって邪魔とか言いませんか?」
「邪魔だと思ったら素直に言う」
「そこは否定してくださいよ!」
さよが吹き出し、ごく普通の会話のやり取りが教室に響いた。
鞄を持ち、校舎を出る。
夏の麻帆良学園には、騒がしいほどの蝉の声が降り注いでいた。
生徒たちの姿が消え、どこか広々とした空間が広がっている。
4月から始まった、初めての教師生活。
3か月が経ち、こうして最初の学期が無事に終わった。
明日からは、この時代で過ごす初めての夏休みが始まる。
出来れば展開を早くしたいんすけどねぇ……