魔法先生ギルガメッシュ   作:長LAVA

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第16話

 

 

 

 

 2001年も終わりが見え始めると、日が落ちてからの麻帆良は随分と冷え込むようになった。

 

 仕事帰りに寄ったログハウスでは、暖房の利いた室内に紅茶の香りが漂っている。窓の向こうで枝を揺らす風もここまでは届かず、向かいのソファに座る家主に至っては、すっかり寛いだ様子でクッションを抱えていた。

 

 ただし、機嫌までよいわけではない。

 

「……貴様、そっちを動かすのか」

 

「何か不都合でもあったか?」

 

「白々しい。さっきから、私が動かしたいところばかり塞ぎおって」

 

 エヴァの視線が盤上を行き来する。その指がビショップへ伸びかけ、触れる前に引っ込んだ。

 

 こちらの手を見て予定を変える程度には慎重らしい。夏に散々やり合った甲斐もあってか、何かを仕掛けた時の反応は以前よりよくなっている。

 

 もっとも、盤の上では反応の速さだけでどうにかなるものでもない。

 

 次の手を待つ間にカップへ口をつけると、ちょうど扉が開き、茶々丸が新しいポットを載せた盆を運んできた。

 

「おかわりはいかがでしょうか」

 

「うむ、頼む」

 

 差し出したカップを受け取る手つきに危なげはない。袖を食器に触れさせることもなく紅茶を注ぎ、取っ手をこちらへ向けて置くまでが、ごく自然な動作で繋がっている。

 

 以前に訪れた時も不自由そうには見えなかったが、こうして改めて眺めると、随分と細かいところまで気が回るようになったものだ。

 

「よく馴染んだな」

 

「何がだ」

 

「茶々丸だ。貴様の好みも、大分覚えたようではないか」

 

「そりゃあ、毎日ここで暮らしているんだからな。いちいち言わなくても動いてくれるのは助かる」

 

 そう言うエヴァの前には、既に新しい紅茶が置かれていた。こちらよりも少し濃く淹れてあるらしく、カップを持ち上げた本人も何も言わずに飲んでいる。

 

 気に入らなければ遠慮なく文句をつける奴だ。そのまま飲んでいる時点で、出来については十分だろう。

 

「マスターの嗜好については、日々の記録を基に調整しております」

 

「だそうだ。お前より余程気が利く」

 

「客に世話を焼いてもらうつもりだったのか。ならば、訪ねる家を間違えたようだな」

 

「ほう。散々飲み食いしておいて、今更そんなことを言うか」

 

「出しているのは我の方だろうに」

 

 ようやくエヴァが駒を動かす。

 

 ひとまずこちらの攻めを受けることにしたらしい。悪くはないが、後に残る窮屈さまでは解消できていなかった。

 

 その応手を考えながら、盆を抱えて控える茶々丸へ目を向ける。

 

 エヴァならば、魔力で人形を動かすことなど造作もない。実際、この家にはその手で作り上げた人形が幾つもある。

 

 だが、茶々丸はそれらとは造りが違う。

 

 身体を動かし、周囲を認識し、与えられた情報を処理する仕組みは、あくまで科学技術によって組み上げられたものだ。魔法は動力やシステムの補助として組み込まれているが、何もかもを魔法で済ませているわけではない。

 

 その境目を曖昧にせず、両方を使って1人の少女として成立させている。超と葉加瀬が費やした労力は、傍目に見える以上に大きい。

 

「完成してから動き出すまでにも、随分と手を入れたのであったな」

 

「1月3日に完成してから、4月1日の起動までずっと弄っていたぞ。その後も何かあるたびに研究室へ呼ばれている」

 

「機能の更新と、各部の調整を行っております」

 

「作った当人からすれば、まだ手を入れたい箇所が尽きぬか」

 

「完成した翌日には次の改良案を持ってくる連中だからな。終わりなどないだろう」

 

 呆れたように言いつつも、エヴァの口調に不満はない。

 

 茶々丸を動く道具として受け取って、それで済ませているわけではないのだろう。研究室へ送り出す時も、帰ってきた時も、何が変わったのかをそれなりに気にしているらしい。

 

 こちらも、造った本人から話を聞いてみたくなってきた。

 

 上着から携帯電話を取り出すと、エヴァが目を細める。

 

「今度は何だ」

 

「超を呼ぶ。今日はまだ研究室にいるはずだ」

 

「人の家に勝手に呼ぶな」

 

「ではエヴァ、貴様が呼ぶか?」

 

「……呼ぶなら、ついでに何か食べるものを持ってこさせろ」

 

 了承は得られたらしい。

 

 連絡を入れると、超はひと仕事片づけてから顔を出すと答えた。茶々丸のことを聞きたいと言った時点で声が明るくなったあたり、話す材料には困らなさそうだ。

 

 電話をしまい、盤へ手を伸ばす。

 

「チェックだ」

 

「通話しながら指すな。腹が立つ」

 

「待っていてやったのだがな」

 

「そこが腹立たしいと言っているんだ!」

 

 文句を言いながらも、エヴァは盤から目を離さなかった。

 

 逃げ道を確保し、こちらの駒を追い払おうとする。その手に応じてルークを動かすと、今度はしばらく指が止まった。

 

 何度か盤上を見直した末に、クッションが脇へ放り出される。

 

「……負けだ。次は私が勝つ」

 

「その台詞は、勝ってから聞くとしよう」

 

 睨まれたので、紅茶を飲んで受け流す。

 

 次の1局に入る前に、玄関の方から呼び鈴の音が聞こえてきた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 超が来訪する。すると片手には温かい包みがあった。恐らく肉まんだろう。

 

 広げられた中身を確かめたエヴァが、早速1つ手に取る。その隣へ腰を下ろした超は、片づけかけのチェス盤と、盤の脇に並べられた駒を見比べた。

 

「勝負はもうついたのカ?」

 

「今のはな」

 

「お前も食べるなら食べろ。余計なことを聞くな」

 

「その様子なら、聞かなくても分かるネ」

 

 エヴァに睨まれても、超は楽しげな顔を崩さない。

 

 ここへ現れた頃と比べれば、こういう顔をすることも増えた。研究のことになると食事まで後回しにする癖は相変わらずだが、今日は自分の分にも手を伸ばしている。

 

 ひと口食べたところを見届けてから、話を切り出した。

 

「茶々丸のことを聞いていた。起動後も、かなり手を入れているそうだな」

 

「もちろん。動くようになったら、それで終わりというものではないヨ。実際に生活してもらって初めて分かることも多いからネ」

 

 茶々丸の置いたカップを受け取りながら、超が続ける。

 

「たとえば、今みたいにお茶を運ぶだけでも、必要な処理は色々ある。歩く、盆を支える、人や家具を避ける、相手の動きを見る。それをいちいち分けて順番にやっていたら、いつまで経ってもお茶が出せないネ」

 

「それらを並行して処理しながら、相手の好みにまで合わせているわけか」

 

「そういうこと。決まった場所で同じ作業を繰り返すだけなら、もっと簡単なんだけど」

 

 超の視線がエヴァへ向く。

 

「ここのマスターは、その日の気分でも要求が変わるからナ」

 

「悪かったな、気まぐれで」

 

「貴重な経験を積ませてもらっているヨ」

 

 言い返したエヴァをさらりと受け流し、超は茶々丸へ手招きした。

 

「茶々丸、今の話について、何か付け加えることはあるカ?」

 

「マスターのご要望には、可能な限り対応できるよう努めております。ただし、ご要望を言葉にされない場合の判断には、まだ改善の余地があると考えています」

 

「……私が無茶を言っているみたいじゃないか」

 

「違うのか?」

 

「貴様まで乗るな」

 

 どうやら、思い当たる節はあるらしい。

 

 超は笑いながらも、茶々丸の返答そのものにはよく耳を傾けていた。自分が組み上げたものだからこそ、その働き方を当たり前で済ませずに見ているのだろう。

 

 話が各部の制御から演算能力へ移ると、口調はますます熱を帯びていった。

 

 身体を動かし続けるための処理。得た情報を照合するための処理。過去の記録から行動を選び、その結果をまた次へ反映していく仕組み。

 

 こちらから問いを挟むたびに、超は身振りを交えて答えていく。途中でエヴァが空になった皿を茶々丸へ差し出し、それを見た超が「ああ、今の動きも」と話を付け足した。

 

 実物が目の前で暮らしているのだから、説明にも困らないわけだ。

 

「それだけの処理ができるなら、こうした遊戯も得意そうだな」

 

 盤へ目を落とすと、超もつられてそちらを見る。

 

「チェスか。茶々丸、指せるネ?」

 

「はい。対局は可能です」

 

「ならば、ちょうどよい。そなたたちも相手をせよ」

 

 エヴァが顔を上げた。

 

「待て。次も私と指すんだろうが」

 

「無論貴様の相手もする。盤を増やせばよかろう」

 

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から、チェス盤を2つ取り出す。

 

 使っていた盤をエヴァの方へ寄せ、その隣へもう1つ。残る1つは、背後にあった小卓へ置いた。

 

 超が机の上と背後の盤を見比べる。

 

「同時に3局やるつもりか」

 

「そう言っておるが?」

 

「……その配置だと、茶々丸の盤が見えないヨ」

 

「見る必要はない。指し手を告げてもらえば事足りよう」

 

 茶々丸が小卓の前へ移動し、駒を並べ始めた。

 

 その様子を横目に見ながら、エヴァがこちらを指さす。

 

「妙な手を使うなよ。後ろを覗いたり、先(未来)を見たりしたら、その時点で負けだからな」

 

「分かっておる。盤上遊戯くらい、記憶と思考だけで付き合ってやる」

 

 今回ばかりは、千里眼に用はない。

 

 目の前の2盤は普通に見て、背後の1盤だけを頭の中へ置いておく。それぞれの駒がどこへ動いたかを覚えていれば、あとはいつもと変わらない。

 

 超はしばらくこちらを見ていたが、やがて自分の前へ黒い駒を並べ始めた。

 

「そこまで言うなら、遠慮はしないヨ」

 

「こちらこそ、手加減を期待されても困る」

 

「誰が期待するか。さっさと始めろ」

 

 エヴァに急かされ、正面の2盤で白いポーンを進める。

 

 続けて、背後へ声をかけた。

 

「茶々丸、e2からe4だ」

 

「承知しました。こちらはe7からe5へ動かします」

 

 指し手を頭の中の盤へ反映したところで、エヴァのナイトが動いた。

 

 その隣では、超がまだ最初の応手を考えている。

 

 さて、どれから面白くなってくれるか。

 

 

     ◆

 

 

 駒を動かす音に、茶々丸の声が重なる。

 

 エヴァの盤へ手を伸ばし、その応手を待つ間に超の盤へ目を移す。背後から指し手が告げられれば、そちらには声で返す。

 

 始めたばかりの頃は、2人とも茶々丸とのやり取りを気にしていた。だが、自分の盤が忙しくなってくると、後ろを覗いている余裕はなくなったらしい。

 

 先に不満を漏らしたのはエヴァだった。

 

「またそこか……」

 

 彼女のナイトを盤から取り除き、取った駒の列へ加える。

 

 取り返そうとすれば、そのために動かす駒の後ろが空く。かといって放っておけば、次はこちらのルークが働き始める。

 

 どちらを選んでも、エヴァの持ち駒は少しずつ減っていった。

 

 これまでの対局で癖は大体分かっている。強気に出るところも、不利になってから無理をしてでも攻め返したくなるところも、実にこいつらしい。

 

 勝ちを急ぐだけなら、もっと別の手がある。

 

 今回はそれを選ばず、逃げ遅れた駒から丁寧に拾っていくことにした。

 

「先生、こちらも動かしたヨ」

 

 超に呼ばれ、隣の盤へ視線を移す。

 

 こちらはエヴァほど分かりやすくない。駒を取れるからと飛びつかず、その後に何が残るかを確かめてから動かしてくる。盤の端へ追いやられたように見えた駒も、いつの間にか働ける場所を与えられていた。

 

 ただ、目につくところばかり整えていると、別の場所が手薄になる。

 

 こちらのビショップを動かすと、超がわずかに眉を寄せた。

 

「そこへ引くカ……」

 

「不満か?」

 

「いや。少し、考えていた形と違っただけだヨ」

 

 独り言に近い返答だった。

 

 既に視線は盤へ戻っている。そのまま考え込むのを横目に、茶々丸の告げた指し手へ応じた。

 

 こちらの対局には、奇をてらう必要がなかった。

 

 中央を押さえ、駒を無理なく展開し、キングを安全な場所へ収める。茶々丸も危うい攻めには乗らず、こちらの狙いを一つずつ受け止めてきた。

 

 ならば、受けるために生まれた小さな不自由を残しておく。

 

 動きにくくなった駒。守り続けなければならないポーン。1手で届くこちらと、2手を要する向こう。

 

 そうした差を崩さず積み重ねていけば、派手な仕掛けなどなくても、盤面は少しずつ傾いていく。

 

 茶々丸の返答は相変わらず淀みない。それでも、選べる応手は確実に狭くなっていた。

 

「……おい」

 

 エヴァに呼ばれ、正面へ戻る。

 

「何だ」

 

「貴様、さっきから私の駒ばかり取って何をしている」

 

「貴様の盤なのだから、取るのはそちらの駒に決まっておろう」

 

「そういう意味ではない! さっき、もっと直接攻められただろうが!」

 

 気づいたか。

 

 ただ、気づいたからといって、取られた駒が戻ってくるわけではないが。

 

 残ったビショップを逃がそうとする手に合わせ、こちらのルークを横へ動かす。逃げ先を塞がれたエヴァが、嫌そうな顔で盤の脇を見た。

 

 そこには、既に随分と黒い駒が並んでいる。

 

「まだ戦えるではないか。そう睨むな」

 

「その顔をやめろ……!」

 

 どんな顔をしているかまでは分からないが、気に入ってもらえなかったことだけは確かだった。

 

 超が小さく笑ったので、そちらの盤でも駒を動かす。

 

 笑い声が止まった。

 

「……先生」

 

「今度はお前か」

「これ、取らせるつもりで置いているネ?」

 

「取れると思うなら、取ればよかろう」

 

「そう言われて素直に取れるほど、付き合いは浅くないヨ」

 

 超は差し出された駒へ手を伸ばさず、自分のキングの周辺を確かめ始めた。

 

 その警戒は正しい。

 

 ただし、そこにある駒を取らなければ安全だというわけでもなかった。取った時と残した時では、通る道が少し変わるだけだ。

 

 今は離れている駒同士が、数手の後には同じ場所へ利いてくる。その繋がりが見えるまでは、こちらの攻めは随分と頼りなく映るだろう。

 

 超が守りの駒を動かしたところで、背後から声がかかった。

 

「ギルガメッシュ先生。こちらの手は――」

 

 告げられた指し手を聞き、頭の中で黒い駒を動かす。

 

 そちらも、そろそろ終わりが近い。

 

 茶々丸は不利な交換を避けようとしたが、そのために守りへ残した駒が、他の場所を助けられなくなっていた。手順を急がず、逃げ道を潰す前にこちらの駒を揃えていく。

 

 返す指し手を告げると、駒の触れ合う音が聞こえた。

 

 その間に、エヴァが残ったポーンを進める。

 

「ほう。まだ攻めるか」

 

「黙れ。動かさなければ、それはそれで取るくせに」

 

「よく分かっておるではないか」

 

 もっとも、動かしても取るのだが。

 

 そのポーンを拾ってから、超の盤でナイトを進める。

 

 超が口を開きかけ、何も言わずに閉じた。ビショップの利く斜線を目で辿り、次にルークを見る。

 

 ようやく、先ほど引いた駒の意味が繋がったらしい。

 

「 厄介ネ」

 

 姿勢を変え、盤へ近づく。

 

 応手を考える時間が長くなったが、急かすつもりはない。その間にも茶々丸との指し手は進み、エヴァの盤からは、最後まで残っていた大駒が消えた。

 

「本気で全部取るつもりか、貴様」

 

「手駒はまだ残っているだろう?」

 

 盤の端のポーンを示すと、エヴァの眉間に深い皺が寄った。

 

 その隣で、超がようやくキングを動かす。

 

 王手を受けるための手だった。こちらも駒を進めて王手を続けると、今度の返答は早い。選択肢が少なくなった分、最後まで見通せるようになったのだろう。

 

 茶々丸の声を聞きながら、そのキングがもう一度逃げるのを待つ。

 

「茶々丸、ルークをe8へ。チェックメイトだ」

 

 背後で駒が動く。

 

 ほとんど同時に、正面の盤からエヴァの最後のポーンを取り除いた。

 

 黒いキングだけが盤上に残る。まだ逃げる場所はあるが、助けに来られる駒はもう1つもない。

 

 エヴァは盤とこちらを交互に見た末、深く息を吐いた。

 

「……もういい。私の負けだ」

 

「チェックメイトを確認しました。私も、敗北です」

 

 茶々丸の報告を聞き、最後に超の盤へ手を伸ばす。

 

 先ほどまで離れた場所にいた駒が、今は逃げ道を分け合って塞いでいる。その中へ最後の1枚を加えると、超はしばらく盤を見つめ、それから椅子の背へ身体を預けた。

 

「参った。これは、途中まで分からなかったヨ」

 

 ようやく3盤とも静かになった。

 

 カップを持ち上げると、紅茶はすっかり冷めている。対局中に飲むつもりだったのだが、思っていたより楽しんでいたらしい。

 

 

     ◆

 

 

「私の時だけ、やけに性格の悪い勝ち方をしていなかったか」

 

 盤の脇に並んだ自分の駒を見ながら、エヴァが言う。

 

 超はまだ自分の盤を崩さず、最後の数手を見直していた。茶々丸も席を離れず、そちらの様子を眺めている。

 

「気のせいではないな」

 

「少しは取り繕え!」

 

「いつも同じ勝ち方では飽きるだろうと思ってな」

 

「頼んでいない!」

 

 クッションが飛んできたので受け止める。

 

 横で超が肩を揺らしていたが、自分の盤へ目を戻すと、また難しい顔になった。

 

「私の方も大概だヨ。これ、途中で1手順でも違えていたら、攻めが続かなくなるネ」

 

「だから、その順に指した」

 

「簡単に言ってくれるナ……」

 

 超は駒をいくつか戻し、別の応手を試す。

 

 それでも逃げ切れないことを確かめると、小さく息を漏らした。

 

「駒を取るかどうかを考えていた時には、もうここまで見ていたのカ」

 

「その前からだ。お前がどちらを選ぶかは、指してみるまで分からぬがな」

 

 今回は、その先を覗いたわけではない。

 

 相手に選べる手を洗い出し、こちらがどう応じるかを考えておけばいい。超の選んだ道がどれであれ、最後に辿り着く場所が変わらないように。

 

 もっとも、こうして盤を見直している時点で、同じ仕掛けが次も通るとは限らない。そこも含めて遊戯の面白いところだろう。

 

 茶々丸が、自分の盤と超の盤を見比べている。

 

「私との対局では、同様の手順は用いられていませんでした」

 

「正面から指してみたかったのでな」

 

「正面を向いてはいなかったけどネ」

 

 超の口出しに、エヴァが吹き出した。

 

 余計なことを言うものだ。

 

「盤を見ていないのに、よくあんなふうに指せるものだヨ。話をしながら、他の2局まで進めていたのに」

 

「見失わなければよいだけだ。茶々丸の読み上げも正確であったしな」

 

 目を向けると、茶々丸が静かに頭を下げた。

 

 勝負の後も、表情が大きく変わったわけではない。それでも、その視線が自分の盤へ戻るまでに、わずかな間があった。

 

 超がそれに気づき、何か言いかける。

 

 だが、その前に茶々丸自身が口を開いた。

 

「ギルガメッシュ先生。もう1局、お願いしてもよろしいでしょうか」

 

「構わぬぞ」

 

 返答を聞いた茶々丸は、すぐには駒を並べ直さなかった。一度エヴァへ顔を向ける。

 

 エヴァはカップを持ったまま、その視線を受け止めた。

 

「私の許可が要ることでもないだろう。やりたければやれ」

 

「ありがとうございます、マスター」

 

 今度こそ、茶々丸の手が駒へ伸びた。

 

 超はそれを横から眺め、先ほどよりも少し柔らかい顔をしている。口を挟む代わりに、自分の前の盤を片づけ始めた。

 

 茶々丸がこれから自我を育て、魂を得ていくことを、俺は知っている。

 

 ただ、先を知っているからといって、本人より先に何もかも言葉にしてやる必要はない。この家で暮らし、研究室へ通い、時にはこうして遊んでみる。その中で彼女自身が見つけていくものまで、横から取り上げるつもりはなかった。

 

 手が必要になれば、その時に貸せばいい。

 

 今は、もう一度指したいと言っているのだから、相手をすればそれで十分だ。

 

「今度は盤をこちらへ持ってこい。そこでは話しにくかろう」

 

「はい」

 

 茶々丸が立ち上がると、エヴァがソファの上で少し場所を空けた。

 

 その隣へ盤が移され、白と黒の駒が並ぶ。向かいに座った茶々丸は、配置を確かめてからこちらを見た。

 

「次は、私が白を持ってもよろしいでしょうか」

 

「よかろう。好きに指せ」

 

 

 

 茶々丸の指が、白いポーンをつまむ。

 

 最初の1手が置かれるのを待ちながら、冷めた紅茶を飲み干した。

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