魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
2001年12月。
麻帆良学園にも、本格的な冬が訪れていた。
朝晩の冷え込みは日に日に厳しくなり、外へ出れば吐いた息が白く染まる。山間部に広大な敷地を持つこの学園では、建物と建物の間を移動するだけでもそれなりの距離を歩くことになるため、この時期になると生徒たちはマフラーや手袋を手放さなくなっていた。
そんな寒さとは対照的に、女子中等部の校舎はどこも暖房がよく利いている。
そして今日の放課後は、普段以上に騒がしかった。
第2学期の期末考査が終わり、答案の返却も一通り済んだためだ。
廊下から聞こえてくるのは、点数を比べる声や冬休みの予定を相談する声。部活動へ急ぐ足音もあれば、もう勉強のことなど忘れたとばかりに寮へ帰っていく生徒もいる。
だが、その賑わいから取り残された教室が1つだけあった。
女子中等部1年A組。
他の生徒がすっかり帰った教室には、5人の少女だけが残されている。
俺は教卓の前に立ち、改めて5枚の答案へ目を落とした。
15点。
19点。
22点。
24点。
28点。
見事なものだ。
ここまで揃えば、ある種の才能と呼んでもいいかもしれない。
「我が担当する英語で、よくもまあ揃って赤点を取れたものだな」
そう言って答案を軽く持ち上げる。
「示し合わせでもしたのか、お前たちは」
「してないです!」
真っ先に反応したのは神楽坂明日菜だった。
机に両手をつき、勢いよく身を乗り出す。
「今回はちょっとバイトが重なっただけなんです! 新聞配達もあったし、ファミレスも人が足りなくて、帰ったらもう眠くて……」
「つまり勉強していない、と」
「……要約しないでくださいよ!」
がくりと肩を落とす。
その隣で、佐々木まき絵が答案を両手で持ったまま首を傾げた。
「でも私、ちゃんと授業は聞いてたんだけどなー。単語も見たら『あ、これ知ってる!』って思うのに、テストになると急に出てこなくなるんだよね」
「それは覚えたとは言わん」
「えーっ」
「見覚えがあるだけよ」
容赦なく切ると、今度は反対側から明るい笑い声が上がった。
「アハハ! ワタシも同じアル! 過去形とか過去分詞とか、見れば分かる気がするのに自分で書けと言われると全部消えるアル!」
古菲は己の答案を眺めながら、なぜか楽しそうだった。
赤点を取った人間の態度として正しいかはともかく、引きずる性格ではないらしい。
その横では、長瀬楓が自分の点数を見ながら腕を組んでいる。
「いやはや。拙者もまだまだ修行不足でござるな」
「何の修行だ、それは」
「英語の修行でござるよ」
「ならば、せめて試験前に教科書くらい開け」
「ごもっとも」
あっさり頷いた。
最後の1人へ目を向ける。
綾瀬夕映は机に突っ伏し、答案の端を指先で弄っていた。
「夕映」
「帰ってはいけないでしょうか」
「駄目だ」
「ですよね」
確認しただけだったらしい。
そのまま再び机へ頬をつける。
同じ赤点とはいえ、原因はまるで違う。
明日菜は日頃の生活そのものが忙しく、単純に机へ向かう時間が足りていない。
まき絵は、理解できないというより、授業で聞いた内容を定着させる前に次へ進んでしまう。興味のあることへの集中力を見れば、記憶力自体が悪いわけではない。
古菲は分かりやすい。身体を動かすことには異様なほど頭が回る一方、机上の規則となると途端に注意が散る。
楓も似たようなものだ。本人の持つ能力と学校の成績が、ほとんど噛み合っていない。
そして夕映。
これだけは他の4人とは根本的に違った。
できないのではない。
やっていないだけだ。
「まあよい」
答案を机へ置く。
「赤点を取ったことそのものを、いつまでも責める気はない。間違えたなら覚え直せば済む話だ」
5人の顔が少しだけ明るくなる。
「というわけで、補習を始めるぞ」
一瞬で沈んだ。
「やっぱりあるんですかー!」
「当然だ、神楽坂明日菜」
教卓の下から、あらかじめまとめておいたプリントを取り出す。
5人分。
ただし、どれも中身は違う。
「安心しろ。全員に同じ問題を延々と解かせるほど、我も暇ではない」
まず明日菜の机へ数枚の紙を置いた。
「明日菜。お前は勉強に使える時間が少ない。ならば、長時間机に座ることを前提にしても仕方あるまい」
「え?」
「今回の範囲で最低限押さえるべき単語と構文だけ抜き出してある。1問に時間は掛からん。新聞配達の後でも、バイトの休憩中でも、少しずつ進められるようにしておいた」
明日菜が恐る恐るプリントを手に取る。
他の4人の束に比べれば、かなり薄い。
「……あ、本当に少ない」
「少ないからと油断するな。そこに載せたものくらいは確実に覚えろ。それだけでも今回のような点にはならん」
「はい!」
返事だけはいい。
次にまき絵。
「お前は、見て覚えた気になる癖をどうにかしろ」
「うっ」
「声に出せ。身体も使え。単語だけ眺めていて眠くなるなら、動作と結びつければよい」
プリントには、動詞を中心に短い例文を並べてある。
stand、turn、throw、catch、bend。
まき絵が普段から使う動きと近い単語を多めにしていた。
「おおー……」
「まず、自分で動いて意味を確認する。その後で文にしろ。お前なら、その方が覚えるのは早い」
「先生、私の扱い分かってきたね!」
「今更か?」
「えへへ」
褒めたつもりはないのだが、満足したらしい。
「古菲」
「ハイ!」
「お前はこれだ」
渡したのは、短文を組み替えて文章を完成させる形式の問題だった。
文法用語を延々と並べても、こいつの場合は途中で意識が別の場所へ飛ぶ。
「文型を技の型だと思え。語順を崩せば技が繋がらん。まずは順番を身体で覚えろ」
「なるほど!」
目に見えて食いつきが変わる。
「つまりワンツーから蹴りにつなぐのと同じアルな!」
「概ねそれでいい」
「よーし!」
拳を握るな。
「楓」
「拙者もあるのでござるか」
「赤点を取っておいて、ないと思ったか?」
「少々期待したでござる」
「諦めろ」
楓には、日常会話を中心にした短い文章を渡す。
道を尋ねる、場所を説明する、時間を伝える。
教科書の例文よりも、多少実用寄りにしてある。
「お前は文章を細かく分析するより、場面ごと覚えた方が早い。使う状況を想像しながら読め」
「ふむ……これは確かに分かりやすいでござるな」
「ただし、妙な方向へ応用するなよ」
「なんのことでござるかな」
しれっと笑っている。
こいつもこいつで厄介だ。
4人がそれぞれプリントを広げたところで、最後の席へ向かう。
夕映は既に、俺が持っている紙の束を嫌そうな目で見ていた。
「……先生」
「何だ」
「私のだけ厚くないですか」
「気のせいだ」
「明らかに物理的な厚みが違うのですが」
「よく気づいたな」
「気のせいではなかったです」
小さくため息をついた夕映の前へ、プリントを置く。
他の4人とは構成が違う。
最初の数枚は今回の試験範囲。
その後ろには、それより少し難しい長文を付けていた。
夕映がぱらぱらと捲り、眉を寄せる。
「基礎の解説がほとんどありません」
「要らんだろう」
「随分と雑ですね」
「では聞くが、ここは分かるか?」
最初のページの一文を指差す。
夕映は一瞥した。
「分かります」
「ここは」
「分かるです」
「これも?」
「……分かります」
「ならば解説など要らん」
夕映の口が閉じた。
案の定だ。
「夕映」
「はい」
「お前、試験前に教科書をどれだけ読んだ」
「…………」
「読んだか?」
「ほとんど読んでいないです」
正直なのは結構。
俺はその場に椅子を引き、夕映の机の横へ腰を下ろした。
「勉強が好きでないことを責める気はない」
夕映が少し意外そうにこちらを見る。
「学校で教わること全てに興味を持てなどとも言わん。興味のないものは誰にでもある」
「では――」
「だが、それとやるべきことを何もやらんのは別だ」
途中で切ると、夕映が黙った。
「お前なら、試験前に30分でも見直せば赤点程度は避けられた。違うか?」
「……おそらくは」
「その30分を惜しんだ結果、どうなった?」
夕映が周囲を見る。
明日菜は単語と格闘し、まき絵は口の中で例文を繰り返し、古菲は指で語順を数え、楓は静かに文章を読んでいる。
そして自分も、こうして放課後の教室に残されていた。
「補習で、もっと時間を使うことになりました」
「そういうことだ」
机の上のプリントを軽く指で叩く。
「我は、手を抜くなと言っているのではない」
「……はい?」
「手を抜くなら、もっと上手く抜けと言っている」
夕映が瞬きをした。
「必要最低限を済ませれば終わることまで放置して、その結果さらに面倒なことを抱える。そんなものは手抜きですらない。ただの二度手間だ」
「…………」
「やりたくないことほど、必要な分だけさっさと終わらせろ。そうすれば残った時間を好きに使える」
しばらく返事はなかった。
やがて夕映が、深く息を吐く。
「……耳が痛いです」
「結構」
「正論というのは、言われる側からすると大変腹立たしいものですね」
「それも結構」
「少しくらい慰めてくれてもいいと思うですが」
「赤点を取った本人が言うべきではないな」
夕映が不満そうに頬を膨らませる。
だが、先ほどまでのように机へ突っ伏すことはなかった。
シャープペンシルを持ち、最初の問題へ目を落とす。
「これを終わらせれば帰っていいですか」
「今回の範囲を全問正解したらな。その後ろは好きにしろ」
「……この長文は?」
「お前が退屈しないように入れておいた」
「余計なお世話です」
「なら解かなければよい」
一瞬。
夕映が黙った。
それから後ろの長文へちらりと目を向ける。
「……内容だけ見てから決めるです」
そういうところだ。
口元が僅かに緩むのを隠しながら、席を立った。
補習を始めて20分ほどすると、教室には妙な活気が戻ってきた。
「先生、これ違うの?」
「違うな」
「なんで!?」
「主語を見ろ」
「あ」
「先生先生! これ、過去形にしたらedでいいんだよね?」
「その動詞は違う」
「また不規則ー!?」
「英語に文句を言え」
「ギル先生! ワタシ全部並べたアル!」
「最後が逆だ」
「アイヤー!」
騒がしい。
だが、黙って何も分からないまま時間だけを潰しているよりは遥かにいい。
人間は間違える。
何度でも間違える。
問題は、そこで何も得ないことだ。
一度失敗したなら、次は少しだけ上手くやればいい。
それで十分だった。
しばらくして、まき絵が勢いよく立ち上がった。
「できたー!」
「座れ」
「はい」
即座に座る。
答案を確認すると、先ほど間違えた形式はきちんと直っていた。
「よし。今日はこれでいい」
「やった!」
「ただし家で1度は見直せ」
「はーい!」
その後も古菲、楓、明日菜と順番に終わっていく。
最後まで残ったのは夕映だった。
もっとも、試験範囲の問題はとっくに終わっている。
今解いているのは、やらなくてもいいと言ったはずの長文だった。
「夕映」
「……あと少しです」
「それは補習ではないぞ」
「分かっています」
「なら好きにせよ」
数分後。
夕映は最後の1文まで読み終え、満足したようにペンを置いた。
「終わりました」
「なら帰れ」
「はい。図書館に寄ってから帰るです」
鞄を持ち上げたところで、一度こちらを振り返る。
「先生」
「何だ」
「次は、補習になる前に済ませるよう努力はします」
「努力ではなく、やれ」
「……善処します」
「そこを変えろと言っている」
夕映は僅かに笑い、そのまま教室を出ていった。
最後の生徒がいなくなる。
途端に教室が静かになった。
窓の外を見る。
もう日は完全に落ちていた。
◆
補習が終わったからといって、教師の仕事まで終わるわけではない。
採点したプリントを整理し、今回の試験結果を記録し、次の授業で扱う内容を確認する。
諸々を片付けて職員室を出た頃には、時計は19時を回っていた。
冬の麻帆良は暗くなるのが早い。
昼間は生徒で溢れている石畳の道も、この時間になると人影はほとんどない。
街灯の光が一定間隔で足元を照らし、その外側には冬枯れした木々が黒い影を伸ばしている。
吐いた息が白く流れる。
寒い。
耐えられないほどではないが、わざわざ外に長居したくなる気温でもなかった。
コートのポケットへ手を入れ、教師寮へ向かう。
その途中。
前方の木立から、人影が1つ出てきた。
気配を消していたわけではない。
だが、足音が妙に小さい。
体重の置き方に無駄がなく、夜道を歩いているというより、周囲を確認しながら移動している歩き方だった。
「こんばんは、先生」
街灯の下へ出た顔を見て、足を止める。
「龍宮か」
龍宮真名。
1年A組の生徒。
背が高く、年齢以上に落ち着いて見える少女だった。
今も制服姿ではあるが、肩には長物を収められる大きなケースを背負っている。
「随分と遅いですね。仕事帰りですか?」
「その台詞は我が言う側だと思うがな」
「私はこれが仕事ですから」
「それもそうか」
真名が小さく笑う。
何の仕事をしていたのか聞く必要はない。
ケースを見れば、大体の想像はつく。
「先生は?」
「赤点を取った生徒5人に付き合わされていた」
「それはまた、お疲れ様です」
「誰の同級生だと思っている」
「私は赤点ではないので」
「胸を張るところではないぞ」
真名が肩を竦めた。
そのまま、自然と同じ方向へ歩き始める。
しばらくは他愛のない話だった。
試験。
授業。
冬休み。
真名は普段から必要以上に自分のことを語る生徒ではない。
こちらも無理に聞き出すつもりはなかった。
しばらく歩いたところで、真名がふと口を開く。
「先生」
「何だ」
「1つ、営業してもいいですか?」
横目を向ける。
「営業?」
「ええ」
真名は足を止めなかった。
昼間の生徒らしい口調から、ほんの僅かに仕事の顔へ変わる。
「先生が、ただの英語教師ではないことは分かっています」
「ほう」
「魔法先生として動くこともある。戦う必要があれば、自分で戦えることも」
「随分と調べたものだ」
「商売ですから」
悪びれもしない。
「それで?」
「人手が必要な時は、私を雇いませんか?」
簡潔だった。
「護衛、警備、追跡、討伐。別の場所を任せたい時でも構わない。条件と報酬さえ合えば、大抵の仕事は請けます」
「我の護衛でもするつもりか?」
「必要ですか?」
即座に返される。
「要らんな」
「私もそう思います」
互いに僅かに笑う。
「先生本人が強いかどうかと、人手が必要になるかどうかは別の話でしょう」
真名が続ける。
「1人で2ヶ所にはいられない。自分で戦っている間、別の誰かを守る必要が出ることもある。そういう時に使える人間が1人増えると思ってもらえればいい」
なるほど。
自分を大きく見せようとしているわけでも、こちらを過小評価しているわけでもない。
ただ、自分が何に使えるのかを説明しているだけだ。
商売人としては正しい。
「腕については疑っておらん」
真名がこちらを見る。
「知っているんですか?」
「お前が何者か程度はな」
それ以上は言わない。
真名も尋ねてこなかった。
「なら話は早いですね」
「だが、今すぐ頼む仕事はないぞ」
「構いません」
返事は即答だった。
「今すぐ雇ってくれと言っているわけではありませんから。何かあった時に、龍宮真名という選択肢を思い出してくれれば十分です」
「随分と控えめな売り込みだな」
「無理に押しても、必要がなければ仕事にはならないでしょう?」
「道理だ」
金で動く。
それを隠そうともしない。
だが同時に、請けた以上は仕事として完遂する自負もあるのだろう。
嫌いではない。
「分かった。覚えておこう」
「ありがとうございます」
「ただし、我が金を払う以上、値段相応の仕事はしてもらうぞ」
「もちろん」
真名が笑った。
「安くはないですよ、私」
「構わん。安物を買う趣味はない」
「それなら相性は良さそうですね」
そこで商談は終わった。
妙に引き延ばすこともなく、条件表を押し付けてくるわけでもない。
必要になった時に声を掛ける。
今はそれだけで十分ということらしい。
道の分岐へ着く。
真名が足を止めた。
「私はこっちなので」
「そうか」
「では、また明日」
軽く手を上げる。
数歩進んだところで、真名が振り返った。
「そういえば先生」
「何だ」
「明日の授業、今日の試験の解説ですか?」
「その予定だ」
「私には補習用の特製プリントはないんですか?」
「赤点を取れば作ってやろう」
「それなら遠慮しておきます」
今度こそ真名は背を向けた。
闇の中へ消えていく後ろ姿を見送り、俺も教師寮への道へ戻る。
昼間は教室で試験の点数に一喜一憂している中学生。
夜になれば、金で仕事を請け負う傭兵。
それでも明日になれば、また同じ教室の席に座って英語の授業を受ける。
麻帆良に来てから、こういう奇妙な二面性にも随分と慣れた。
「……まったく、退屈だけはせんな」
白い息を吐きながら、再び歩き出す。
明日の授業では、まず今回の試験で間違いの多かった箇所から説明するとしよう。
そして夕映がまた居眠りでもしていたなら。
その時は今日の説教を、もう1度思い出させてやればいい。