ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢(短編版) 作:自動車好き/飛行機も好き
ルーカスは新しいノートを机の中央へ置いた。
これまでのものより新しい。
紙の変色も少ない。
表紙の損傷もほとんどない。
20年以上続いた実験の記録としては、むしろ不自然なほど綺麗だった。
表紙には整った字で書かれている。
Effizienzversuch 1602
その下に小さく、
Teil I
とあった。
第一段階。
アドルフはこれを最終実験の始まりとして位置付けていたのだろう。
1967年。
BMW 1600-2が発売されて間もない頃だった。
日記の最初のページには珍しく感想が書かれている。
ようやく適切な車を見つけた。
さらに。
700は良い教師だった。1602は良い生徒になりそうだ。
ルーカスは少し笑った。
祖父は昔から機械を人間のように扱う癖があったらしい。
1602-1の開発は、それまでとは少し違った。
BBC製試作タービンは消えている。
10基あった試作品は、ビートルから700まで続いた長い実験で使い果たされていた。
日記には短く書かれている。
最後のBBCユニットを分解。良い教師だった。
その下には小さく。
オットーへ報告。
そして。
彼は笑った。
ルーカスはそのページを見ながら、会ったことのないオットーという男を想像した。
国鉄技術者。
変わり者の友人。
そして何より、アドルフの研究を最初から見続けた唯一の証人。
1602-1からは新しい時代が始まっていた。
アメリカ製ターボチャージャー。
市販部品。
専用品。
アドルフはもはや「過給機の研究」をしていない。
過給機を使った自動車の研究をしている。
そこが大きな違いだった。
日記には初期試験の結果が並ぶ。
出力。
燃費。
油温。
排気温度。
どれも細かい。
しかしルーカスが驚いたのは一つだけだった。
出力目標である。
そこにははっきりこう書かれていた。
目標出力100馬力
それはイセッタ時代と同じ数字だった。
ルーカスは首を傾げた。
700では70馬力まで落ち着いたはずだ。
なぜまた100馬力へ戻るのか。
その答えは数ページ先にあった。
100馬力は目的ではない。条件である。
さらに。
私は速い車を作りたいのではない。100馬力の車を効率良く走らせたい。
そこでルーカスは理解した。
祖父は出力を否定していたわけではない。
出力だけを追いかけることを否定していたのだ。
1602-1は順調だった。
少なくとも今までの車両に比べれば。
壊れない。
変速機も飛ばない。
車体も暴れない。
通勤に使える。
買い物にも使える。
家族旅行にも使える。
それだけでも革命的だった。
しかし祖父は満足しない。
日記には何度も同じ言葉が出てくる。
燃費。
そして。
不十分。
また次のページ。
燃費。
その下。
まだ不十分。
ルーカスは思わず笑ってしまった。
100馬力のターボ車に乗っておいて、文句を言っている。
普通の人間なら十分だと考える。
だがアドルフは違う。
1969年。
Effizienzversuch 1602-2。
ここで日記の記述量が増える。
初めて祖父が「理想形」という言葉を使う。
ほぼ完成した。理想形が見える。
そのページには珍しく感情があった。
長い実験。
長い失敗。
そしてようやく見えてきた答え。
アドルフは確実に手応えを感じていた。
その一ヶ月後。
日記は突然途切れる。
数ページ分の空白。
そして次のページ。
たった二行。
信号待ち。左折車衝突。
ルーカスは思わずページを戻した。
何か見落としたかと思った。
だが違う。
本当にそれだけだった。
さらに次のページ。
1602-2喪失。
その下。
腹立たしい。
さらに。
車に罪はない。
終わりだった。
ルーカスは大笑いした。
ボンネビルですらもっと長く書いていた。
あれほど大切にしていた試験車。
十年以上続いた研究の集大成。
それが交通事故で終わった。
しかも祖父は、その話を書きたがらない。
あまりにつまらないからだ。
事故記録も残っていた。
赤信号で停止中。
対向車が左折に失敗。
正面衝突。
相手側過失。
車両全損。
それだけ。
英雄的な要素は何一つない。
だが翌ページから様子が変わる。
アドルフは立ち止まらなかった。
タイトル。
Effizienzversuch 1602-3
ルーカスは自然と姿勢を正した。
ガレージに眠る車だ。
全ての終着点。
祖父が生涯で最後に完成させた試験車。
最初のページ。
日付は1971年。
そこには簡単な目標が書かれていた。
最高速度ではない。馬力でもない。
次の行。
長く走ること。
さらに。
効率良く走ること。
そして。
毎日使えること。
ルーカスはページをゆっくり閉じた。
ボンネビルのアドルフなら書かなかった言葉だ。
ミニの頃も。
イセッタの頃も。
絶対に書かなかった。
だが今のアドルフは違う。
50歳を過ぎた彼はようやく、自分が作りたかったものを言葉にできるようになっていた。
次のページの冒頭にはこうあった。
速度は証明だった。効率こそ目的である。
そしてその下。
これが最後の実験になるだろう。
ルーカスはしばらく動けなかった。
なぜなら彼は知っている。
ガレージに眠る1602-3が、その後30年以上走り続けることを。
オドメーターが20万キロを超えることを。
そして1973年、BMWが2002ターボを発表した日に、祖父が何を書くのかを。
それはまだ先のページに待っていた。