ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢(短編版)   作:自動車好き/飛行機も好き

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勝利

1602-3の記録は、驚くほど退屈だった。

少なくとも、物語として読むなら。

ルーカスは祖父の日記を机の上に広げながら、何度目か分からない苦笑を浮かべた。

V-0はピストンを壊した。

ミニはエンジンと変速機を壊した。

イセッタは横転し、ボンネビルまで行き、最後にはエンジンを壊した。

700も試行錯誤の連続だった。

だが1602-3には、それがない。

1971年5月。

走行1,000km。異常なし。

6月。

走行3,000km。異常なし。

8月。

長距離巡航。異常なし。

10月。

通勤使用。異常なし。

同じ言葉が延々と続く。

壊れない。

何も起きない。

そして、それこそがアドルフの求めていたものだった。

 

 

走行距離が一万キロを超えた頃、日記に一行だけ感想が増えた。

ようやく実験車ではなくなった。

ルーカスはその文章を二度読んだ。

意味が分からなかったわけではない。

むしろ、よく分かったからだった。

1602-3は実験のために生まれた。

だがアドルフが求めた完成とは、実験を必要としなくなることだった。

朝、キーを捻れば始動する。

会社まで走る。

高速道路へ入る。

家族を乗せる。

買い物へ行く。

翌朝も動く。

当たり前のことを、当たり前に繰り返す。

アドルフは十五年近くかけて、その「当たり前」を作ろうとしていたのだ。

 

 

1972年になると、記録の中心は燃費に変わった。

14.6km/L。

16.2km/L。

17.8km/L。

数字の横に変更点が書き込まれている。

点火時期。

キャブレター。

過給圧。

ギア比。

アドルフは100馬力という出力をほとんど変えず、その100馬力をどこまで無駄なく使えるかに執着していた。

そして秋。

一つの数字が赤鉛筆で囲まれていた。

20.1km/L

その下には、

Autobahn

とだけ書かれている。

アウトバーン巡航でリッター二十キロ。

ルーカスはそこに指を置いた。

祖父にとっては、ボンネビルの最高速度より重要な数字だったに違いない。

その証拠に次の行には珍しく感嘆符があった。

これだ!

さらに、

速さを捨てず、燃料も捨てない。ようやく両方を得た。

若いアドルフは100馬力を出せば喜んだ。

イセッタでは速度を求めた。

700では出力を落として効率を学んだ。

そして1602で、ようやく両方を手に入れた。

 

 

だが不思議だった。

目標を達成したのに、日記は終わらない。

1973年。

1974年。

1975年。

走行距離だけが増えていく。

三万。

五万。

八万。

いつの間にか試験記録には、生活の記録が混ざり始めていた。

エリーザベトを駅へ。往復42km。

別の日には、

ハンスの学校へ。帰路渋滞。

また別の日には、

休暇。山岳路。過給器良好。

ルーカスはアルバムを開いた。

確かに、その頃の家族写真には1602が頻繁に写っている。

湖。

山。

ホテルの駐車場。

自宅前。

一枚には少年時代のハンスがボンネットへ腰掛けている。

伝説の試験車には見えない。

ただの古いBMWだ。

おそらく、それこそアドルフが最も望んだ姿だった。

 

 

そして1973年。

日記の途中で、記録が突然途切れた。

そのページだけ、整備記録ではなかった。

日付。

新聞の切り抜き。

BMWの新型車についての記事が貼られている。

アドルフ自身の会社が送り出した、ターボ付きの02シリーズ。

ルーカスはページを開いたまま動けなくなった。

そこには祖父の字で長い文章があった。

今日、BMWはターボチャージャーを備えた乗用車を世に出した。

その下。

私の車ではない。私の設計でもない。私の仕事でもない。

数行空いている。

それでよい。

また空白。

若い頃、私は過給された小型エンジンが乗用車の未来だと考えた。笑われた。私自身も何度も間違えた。車を壊した。数えれば嫌になるほど壊した。

その横には、小さく、

数えないことにする。

と追記されている。

ルーカスは思わず笑った。

だが、その次の文章を読んだ時、笑みは消えた。

1943年、私は写真の裏に書いた。「実験は成功した。私は敗北した」

ルーカスの視線が止まった。

あの写真。

若い祖父。

遠心式過給機を取り付けたトラック用エンジン。

二十二歳の青年が残した言葉。

アドルフ自身も覚えていたのだ。

三十年もの間。

 

 

文章は続いていた。

あれから三十年経った。今度は乗用車が工場からターボを付けて出てくる。私が作らなくてもよい。私が説明しなくてもよい。私が証明しなくてもよい。それが最も重要だ。

そして最後。

二重線。

その下に、大きな文字で書かれていた。

Das Experiment ist gelungen.Ich habe gewonnen.

ルーカスは声に出さなかった。

必要がなかった。

意味は痛いほど分かった。

実験は成功した。

私は勝利した。

 

 

ガレージの1602-3。

ダッシュボードに白いペンキで書かれた、まったく同じ言葉。

ルーカスはずっと、あれを2004年の老人が思いついた言葉だと思っていた。

違った。

あれは三十一年前から存在した。

アドルフは1973年の時点で、既に勝利を宣言していたのだ。

では、なぜ2004年になってそれを車へ書いたのか。

その答えはまだ分からなかった。

 

 

日記の残りをめくる。

1974年。

1602-3、走行六万キロ。

1978年。

九万キロ。

1980年代。

十万キロを突破。

記録の間隔は徐々に広くなる。

試験する必要がなくなったのだ。

1990年代になると、一年に一度程度しか記載されていない。

それでも車は走っている。

十五万。

十七万。

十九万。

そして2001年。

一ページを丸ごと使って書かれていた。

200,000km。

その下には一言。

まだ走る。

ルーカスは静かに笑った。

華やかな勝利宣言よりも、なぜかその四文字の方が胸に響いた。

 

 

数日後。

ルーカスは祖父の家へ向かった。

ガレージを開ける。

灰色のカバーはもう掛けていない。

1602-3がそこにいる。

もう謎の車には見えなかった。

彼は運転席へ座った。

オドメーター。

203,487km。

そしてダッシュボード。

白い文字。

Das Experiment ist gelungen.Ich habe gewonnen.

ルーカスは指で文字の縁をなぞった。

1973年、祖父は日記にこの言葉を書いた。

2004年、同じ言葉を自分の車へ刻んだ。

最初の敗北から六十一年。

勝利宣言から三十一年。

おそらく老人になったアドルフは、もう一度自分の人生を確かめたかったのだろう。

ルーカスはキーを捻った。

スターターが回る。

一度。

二度。

古い四気筒が目を覚ました。

低く、穏やかなアイドリング。

二十万キロを越えた実験車とは思えないほど静かだった。

彼はアクセルを軽く踏んだ。

回転が上がる。

どこか遠くでタービンが小さく鳴いた。

あれほど巨大だった祖父の実験は、最後にはこんなにも普通の音になっていた。

ルーカスはそこで、ようやく気付いた。

ボンネビルのイセッタを探すことから始まった取材だった。

だが祖父の最高傑作は、世界最速を狙った車ではない。

爆発もせず。

横転もせず。

記録にも残らず。

ただ二十万キロを走った、この1602だった。

そしてアドルフ・ミュラーの本当の伝説とは、一台の車ではなかった。

二十二歳の青年が敗北を認めてから、五十二歳の技師が勝利を宣言するまで。

さらにその車を老人になるまで走らせ続けた。

その人生そのものだった。

ルーカスはエンジンを止めた。

ガレージに静寂が戻る。

次に調べるべきことは、もう分かっていた。

祖父はなぜ2004年、三十一年前の言葉を改めてダッシュボードへ書いたのか。

そして、死ぬ二年前のアドルフは何を見て、自分の勝利をもう一度確かめたのか。

物語には、まだ最後の一ページが残っていた。

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