『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』   作:幸田市

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評価と感想くれくれ魔人(強欲)


第十話「写真」

 

 

 皇神(スメラギ)のデータバンクを襲撃してから、数日が経った。

 

 あの施設には、能力者たちの臨床データが大量に保管されていた。

 

 第七波動(セブンス)の性質、発現条件、身体への影響、研究結果。中には本人が望んで残したとは思えない記録もあり、その中にはシアンのものと思われるファイルも存在していた。

 

 けれど、シアンは中身を見なかった。

 

 自分が水色を好きなことも、買い物が楽しいことも、映画を見たり、ミニ四駆を作ったりするようになったことも、皇神の研究記録にはきっと書かれていない。

 

 ならば、その記録を読まなければ自分が分からないわけではない。

 

 そう考えて、シアンはGV(ガンヴォルト)にデータを消してほしいと頼んだ。

 

 GVもまた、自分の記録を開くことはなかった。

 

 皇神が測定した「蒼き雷霆(アームドブルー)」ではなく、今ここにいる自分の方が、自分については詳しい。

 

 そんな結論を出して終わったのが、あの夜だった。

 

 そして休日。

 

 その時には深く考えていなかった問いが、思いがけない形でシアンの前へ転がってきた。

 

     ◇

 

「GV、これなに?」

 

 午前中。

 

 シアンの声に呼ばれ、GVは押し入れから顔を出した。

 

 今日は久しぶりに大きな予定がない。

 

 そこで衣替えを兼ねて部屋を片付けていたのだが、シアンが棚の奥から小さな透明ケースを見つけたらしい。

 

「それ?」

 

 中には、数枚の写真が入っていた。

 

「ああ……ジーノのだ」

 

「ジーノの?」

 

「前に持ってきて、そのまま忘れてったんだと思う」

 

『それを今まで押し入れに入れっぱなしだったの?』

 

 モルフォの声が飛んでくる。

 

「僕も忘れてたんだよ」

 

『似た者同士ね』

 

「それはちょっと嫌だなあ」

 

 GVがケースを受け取ろうとすると、シアンは一枚だけ取り出した。

 

 写っていたのは、夕方の街角だった。

 

 古い自動販売機。

 

 細い路地。

 

 壁際に停められた自転車。

 

 夕陽に照らされた電柱。

 

 特別に美しい景色でも、有名な場所でもない。

 

 けれどシアンは、その写真をしばらく眺めていた。

 

「これ、どうして撮ったんだろう」

 

「さあ」

 

「すごいものじゃないよね」

 

「すごいものしか撮っちゃいけないわけでもないんじゃない?」

 

「そうなの?」

 

 シアンが顔を上げる。

 

「写真って、何を撮るものなの?」

 

「僕に聞く?」

 

「GV、こういうの詳しくない?」

 

「ヒーロー映画なら詳しいけど、写真は普通」

 

『何でもスパイディへ繋げようとするのやめなさい』

 

「今回は繋げてないよ」

 

 GVは写真を受け取り、もう一度眺めた。

 

「でもまあ、撮った人が残したかったものじゃない?」

 

「残したかったもの……」

 

 シアンがその言葉を繰り返す。

 

 視線が部屋の中を巡った。

 

 テーブルの上には、昨夜遊んだままのミニ四駆。

 

 冷蔵庫にはスーパーのチラシ。

 

 棚には自分で選んだ水色の小物。

 

 窓際には干したばかりのタオル。

 

 どれも皇神の研究室にはなかったものばかりだ。

 

「こういうのも、残していいの?」

 

「撮りたいなら」

 

「ミニ四駆とか?」

 

「いいんじゃない?」

 

「冷蔵庫も?」

 

「将来見返して楽しいと思うなら」

 

「洗濯物は?」

 

「僕は別に見返したくないかな」

 

「わたしも」

 

『そこは意見合うのね』

 

 シアンはもう一度写真へ目を落とした。

 

「わたし、自分で写真撮ったこと、ほとんどない」

 

 その言葉に、GVは少しだけ黙った。

 

 考えてみれば当然だった。

 

 皇神にいた頃のシアンは、記録される側だった。

 

 体調。

 

 能力。

 

 数値。

 

 研究結果。

 

 誰かが必要だから残す記録。

 

 本人が何を残したいかを尋ねられるような生活ではなかった。

 

「撮ってみる?」

 

 GVが聞いた。

 

「いいの?」

 

「いいも何も、撮りたいなら撮ればいいじゃん」

 

「カメラないよ」

 

「ある人知ってる」

 

 GVは透明ケースを持ち上げた。

 

「忘れ物の持ち主」

 

     ◇

 

『去年から探してた写真がお前ん家にあったのかよ!』

 

「見つかってよかったね」

 

『お前が言うな!』

 

「で、カメラ借りていい?」

 

『話の切り替え早すぎるだろ!』

 

 端末の向こうでジーノが騒いでいる。

 

 GVは少しだけ耳から離した。

 

「シアンが写真撮ってみたいって」

 

『シアンちゃんが?』

 

「うん」

 

『……ならまあ、古いデジカメあるけど』

 

「貸して」

 

『壊すなよ』

 

「僕が使うんじゃないよ」

 

『じゃあ大丈夫だな』

 

「信用低くない?」

 

『ミニ四駆の説明書読まずに組み始める奴より、シアンちゃんの方が信用できる』

 

「まだ言われるの、それ」

 

 昼前。

 

 ジーノが小型のデジタルカメラを持ってやって来た。

 

 シアンは説明を一つずつ聞きながら、両手で慎重にカメラを持っている。

 

「ここで電源」

 

「うん」

 

「こっちでズーム。これがシャッター」

 

「これ押せば撮れる?」

 

「そう」

 

「何を撮ればいい?」

 

「何でもいいよ」

 

 ジーノが答える。

 

「撮りたいもの撮ればいい」

 

 シアンは少し考えた。

 

 そして最初にカメラを向けた先は――GVだった。

 

「え、僕?」

 

「うん」

 

「なんで?」

 

「そこにいたから」

 

 シャッター音。

 

「ちょっと待って。撮るなら言ってよ」

 

「言ったら顔作るでしょ?」

 

「作るよ。写真なんだから」

 

「じゃあ今のでいい」

 

「なんで?」

 

 ジーノが画面を覗き込み、吹き出した。

 

 写真のGVは、何をしているのか分からない顔でカメラを見ている。

 

「いいじゃん。普段のお前そのまま」

 

「消していい?」

 

「だめ」

 

「撮った人強いなあ」

 

 シアンは画面を見ながら笑っていた。

 

「写真、面白いね」

 

「まだ僕の変な顔一枚だけだよ?」

 

「だから面白いの」

 

     ◇

 

 せっかくだから外でも撮ってくればいい。

 

 ジーノにそう言われ、その日の午後は散歩することになった。

 

 目的地は決めない。

 

 シアンが撮りたいと思った場所で足を止める。

 

 最初に向かったのは、いつもの商店街だった。

 

「あら、GVじゃない」

 

 八百屋の前を通ったところで、店番をしていた女性が声をかけてきた。

 

「こんにちは」

 

「今日はシアンちゃんも一緒?」

 

「はい」

 

「あんたがシアンちゃんね。たまにこの子から話聞いてるよ」

 

「GVから?」

 

「最近料理手伝ってくれるとか」

 

 シアンがGVを見る。

 

「話してるんだ」

 

「買い物してたら聞かれただけだよ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「ふーん?」

 

 八百屋の女性は面白そうに二人を見比べた。

 

「今日はデート?」

 

「違います」

 

 GVが即答する。

 

「否定早いねえ」

 

「そういうんじゃないですから」

 

「はいはい」

 

「全然聞いてない」

 

 女性は笑いながら、店先の籠から少し形の悪いみかんを二つ取り出した。

 

「これ持ってきな」

 

「いいんですか?」

 

「形悪いから売りづらいんだよ」

 

「この前も同じこと言ってましたよね」

 

「じゃあいらない?」

 

「いただきます」

 

「素直でよろしい」

 

 シアンがそのやり取りを見ていた。

 

 少し迷ってから、カメラを持ち上げる。

 

「あの」

 

「ん?」

 

「写真、撮ってもいいですか?」

 

「私を?」

 

「はい」

 

「こんなおばちゃん撮ってどうするの」

 

「残したいから」

 

 シアンは何の気なしに答えた。

 

 女性は一瞬驚いた後、少し照れたように笑った。

 

「じゃあ野菜も入れてよ。店やってる人間なんだから」

 

「はい」

 

 シアンは少し後ろへ下がってカメラを構える。

 

 GVが横から覗いた。

 

「もうちょっと右の方が――」

 

「GV」

 

「はい」

 

「わたしが撮る」

 

「はい……」

 

 シャッター音。

 

 店先に並ぶ色とりどりの野菜。

 

 その前で笑う女性。

 

 シアンが最初に自分の意思で撮った「誰か」の写真だった。

 

 店を離れた後、シアンは何度もそれを見返していた。

 

「気に入った?」

 

「うん」

 

「あのおばちゃん好き?」

 

「好き」

 

「僕も」

 

「やっぱり?」

 

「よくおまけしてくれるし」

 

「理由そこ?」

 

「それだけじゃないって」

 

     ◇

 

 次に立ち寄った公園では、以前ミニ四駆を教えてくれた子供たちに捕まった。

 

「あ、GV兄ちゃん!」

 

「シアン姉ちゃんもいる!」

 

「カメラだ!」

 

「撮って!」

 

「俺も!」

 

 一気に囲まれ、シアンが困ったように笑う。

 

「みんなで?」

 

「みんなで!」

 

「GV兄ちゃんも入れ!」

 

「僕も?」

 

「早く!」

 

 GVが子供たちの中へ押し込まれる。

 

 一人が腕へぶら下がり、別の子供が後ろで指を立てる。

 

「絶対後ろで何かしてるよね?」

 

「してない!」

 

「その声は信用できないなあ」

 

「GV、そのまま」

 

「シアンまで?」

 

「撮るよ」

 

「ちょっと待って、せめて心の準備――」

 

 シャッター音。

 

「またそれ!?」

 

 写真の中には、満面の笑顔を浮かべる子供たちと、何かを警戒して振り返ろうとしているGVが写っていた。

 

「僕だけ変じゃない?」

 

「GV兄ちゃんいつもこんな感じじゃん」

 

「君たち僕のことどう見てるの?」

 

「GV兄ちゃん!」

 

「答えになってないよ」

 

 今度はシアンも入ることになり、GVがカメラを預かった。

 

 子供たちの真ん中に立ったシアンは、少しだけ身体を固くする。

 

 唇を結び、どんな顔をすればいいのか迷っているのが分かった。

 

「シアン」

 

「なに?」

 

「そんな頑張らなくていいよ」

 

「でも、写真だから」

 

「写真だから何?」

 

「ちゃんと笑わないと」

 

「誰が決めたの?」

 

 シアンが少し困る。

 

「……分からない」

 

「なら、好きな顔でいいんじゃない?」

 

「好きな顔って?」

 

「今したい顔」

 

「それも分からない」

 

「じゃあそのままで――」

 

「シアン姉ちゃん!」

 

 子供の一人が突然声を上げた。

 

「GV兄ちゃん、この前またミニ四駆飛ばしたよ!」

 

「え?」

 

「ちょっと、それ今言う!?」

 

「また?」

 

「またって何!?」

 

 シアンが吹き出す。

 

「もう飛ばさないって言ってたのに」

 

「違うって。あれは調整中で――」

 

 その瞬間、GVはシャッターを切った。

 

 笑うシアン。

 

 周りで笑っている子供たち。

 

 完璧に整った写真ではない。

 

 でも、先ほどよりずっとシアンらしく見えた。

 

「今撮った?」

 

「うん」

 

「まだ準備してなかったよ」

 

「でも笑ってたから」

 

 シアンは写真を確認する。

 

「……こっちの方が好き」

 

「ならよかった」

 

     ◇

 

 公園を出てしばらくした頃だった。

 

 前を歩いていた年配の男性が、持っていた紙袋を落とした。

 

 缶や瓶が歩道へ散らばり、そのうち一つが車道の方へ転がっていく。

 

「あ」

 

 GVはすぐに走った。

 

 手前の缶を足で止める。

 

 遠くへ転がった一つだけ、指先から弱い電流を流し、道路脇の金属柵へ引き寄せた。

 

 シアンも一緒にしゃがみ、散らばったものを拾い始める。

 

「これも?」

 

「お願い」

 

「助かる」

 

 男性は最初こそ驚いていたが、GVの指先に残った青い電光へ気づくと、少し表情を変えた。

 

「……能力者か」

 

「はい」

 

「そうか」

 

 受け取った袋の中身を確認しながら、男性が何気なく言う。

 

「最近は能力者でも、こういうことするんだな」

 

 GVの手が止まった。

 

 シアンも顔を上げる。

 

「最近って」

 

「何だ?」

 

「僕ら、昔は何してたことになってるんです?」

 

「別に悪い意味じゃない」

 

「そうですか」

 

「能力者にも色々いるんだと思っただけだ」

 

「それ、無能力者にも同じこと言えますけどね」

 

 男性の眉が少し動いた。

 

「説教か?」

 

「別に」

 

 GVは最後の瓶を袋へ戻した。

 

「僕は今の言い方好きじゃないなってだけです」

 

 男性は謝らなかった。

 

 袋を持って歩き出す。

 

 数歩進んでから、

 

「まあ、助かったよ」

 

 とだけ言い残した。

 

 シアンはその背中を見送った。

 

 GVも見ていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「礼は言うんだ」

 

 二人は再び歩き出す。

 

 しばらくしてシアンが聞いた。

 

「GV、嫌じゃなかった?」

 

「嫌だったよ」

 

 返事は早かった。

 

「普通に感じ悪かったし」

 

「でも手伝った」

 

「途中でやめる方が嫌じゃない?」

 

「どうして?」

 

「荷物落として困ってたことと、感じ悪いこと言ったのは別だから」

 

 GVは少し笑う。

 

「腹立ったからって、拾った缶をまた地面に置いたら僕の方が嫌な奴でしょ」

 

 シアンも少し笑った。

 

「それは嫌かも」

 

「でしょ?」

 

「またあの人が困ってたら?」

 

「多分助ける」

 

「また嫌なこと言われても?」

 

「文句は言う」

 

「言うんだ」

 

「そこは言わせてよ」

 

 GVは苦笑した。

 

「助けるのと、何言われても平気なのは別だから」

 

     ◇

 

 それから少し歩いたところで、今度は若い男に呼び止められた。

 

「お前、GVだろ」

 

「そうだけど」

 

 年齢はGVより少し上だろう。

 

 見た目は普通だが、右手の周囲だけ空気が僅かに揺らいでいる。

 

 能力者だった。

 

「さっき見てたぜ」

 

「何を?」

 

「あの無能力者のジジイ助けてたろ」

 

「見てたなら手伝ってくれてもよかったのに」

 

「何でオレが」

 

「ですよね」

 

 GVはそのまま通り過ぎようとした。

 

「お前、あいつらに何言われてるか分かってんのか?」

 

 足を止める。

 

「どういう意味?」

 

「無能力者なんか、オレたちのこと化け物くらいにしか思ってないだろ」

 

「そう思ってる人もいるね」

 

「だったら放っときゃいい」

 

「なんで?」

 

「敵みたいなもんだろ」

 

 GVが振り返る。

 

「それ、誰の話?」

 

「あ?」

 

「無能力者全員?」

 

「似たようなもんだろ」

 

「さっき八百屋のおばちゃんにみかん貰ったよ」

 

「知らねえよ」

 

「近所の子供たちとも普通に遊んでる」

 

「だから?」

 

「だから、同じじゃないでしょ」

 

 男は露骨に不機嫌そうな顔をした。

 

「説教かよ」

 

「今日それ言われるの二回目だ」

 

「何?」

 

「別に説教してないよ」

 

 GVは肩をすくめる。

 

「僕はそういう括り方、好きじゃないって言ってるだけ」

 

「甘いな」

 

「そう?」

 

「そのうち痛い目見るぞ」

 

「もう結構見てるけど」

 

「なら学習しろよ」

 

 GVは少し黙った。

 

「一人に嫌なことされたからって、次に会う人までその人と同じって決めるのは、学習っていうより決めつけじゃない?」

 

 男はGVを睨んだ。

 

「好きにしろ」

 

「うん。そうする」

 

「……ムカつく奴だな」

 

「それはごめん」

 

「謝る気ねえだろ」

 

「ちょっとはある」

 

 男は最後まで考えを変えなかった。

 

 そのまま去っていく。

 

 GVも追わない。

 

 シアンはその様子を黙って見ていた。

 

「今の人も撮らなかった」

 

「うん」

 

「どうして?」

 

 シアンはカメラを見る。

 

「撮りたいと思わなかった」

 

「なら、それでいいんじゃない?」

 

     ◇

 

 夕方。

 

 二人は公園のベンチへ座り、今日撮った写真を一枚ずつ見返していた。

 

 八百屋。

 

 子供たち。

 

 店先で眠っていた猫。

 

 パン屋。

 

 公園。

 

 夕焼け。

 

 水色の看板。

 

 そしてGV。

 

「……僕、多くない?」

 

「そう?」

 

「そうだよ。これ僕。次も僕。その次も僕と子供」

 

「うん」

 

「なんで?」

 

 シアンは少し考えた。

 

「よくいるから」

 

「よくいる?」

 

「だって、いつもいるでしょ」

 

 GVが少しだけ黙った。

 

 シアンは気づいていないのか、そのまま次の写真へ進む。

 

 スーパーの特売チラシを真剣に見ているGV。

 

「これ好き」

 

「なんでこんなの撮ったの?」

 

「GVっぽい」

 

「僕のイメージ、だいぶ生活費に寄ってない?」

 

「生活にはお金が必要なんでしょ?」

 

「その通りだけど」

 

『自分で教えた結果ね』

 

 モルフォが笑う。

 

 やがてシアンの指が止まった。

 

「ねえ、GV」

 

「なに?」

 

「今日、いい人もいたよね」

 

「いたね」

 

「嫌な人もいた」

 

「いた」

 

「でも、写真にはいい人しかいない」

 

 GVも画面を見る。

 

 確かにそうだった。

 

 八百屋の女性。

 

 子供たち。

 

 楽しかった場所。

 

 好きになったもの。

 

 一方で、能力者を一括りにした男性も、無能力者を一括りにした能力者の若者も写っていない。

 

「それって」

 

 シアンは少し迷った。

 

「嘘になるのかな」

 

「嘘?」

 

「今日、本当は嫌なこともあったのに」

 

 GVはすぐには答えなかった。

 

「シアンは、今日あったこと全部残すために写真撮ってた?」

 

「違うと思う」

 

「じゃあ、いいんじゃない?」

 

「でも、嫌な人がいなかったみたいにならない?」

 

「僕らは覚えてるでしょ」

 

「うん」

 

「だったら、いなかったことになるわけじゃないよ」

 

 GVはカメラを指差した。

 

「そこに何を残すかはシアンが決めればいい」

 

「嫌だったことを残さなくても?」

 

「残したいなら残してもいい。残したくないなら残さなくてもいい」

 

「それって、都合のいいものだけ見てることにならない?」

 

 GVは少し考えた。

 

「嫌な人なんて存在しないって言い始めたら、そうかもね」

 

「うん」

 

「でもシアン、今日嫌な人がいたこと忘れた?」

 

「忘れてない」

 

「じゃあ違うと思う」

 

 GVは笑った。

 

「世界に嫌な人がいるって知った上で、それでも自分が残したいものを選ぶのは、別に悪くないんじゃない?」

 

 シアンは写真を見る。

 

 子供たちと笑っている自分。

 

 八百屋の女性。

 

 夕焼け。

 

 GV。

 

「……じゃあ、わたしはこっちがいい」

 

「こっち?」

 

「今日の好きだったもの」

 

「うん」

 

「嫌だった人のことも忘れないけど、残しておきたいのはこっち」

 

 GVは頷いた。

 

「いいと思う」

 

     ◇

 

 家へ戻り、撮った写真の中から気に入ったものを印刷した。

 

 一枚。

 

 また一枚。

 

 シアンが自分で選んでいく。

 

 八百屋。

 

 子供たち。

 

 猫。

 

 夕焼け。

 

 ミニ四駆。

 

 水色。

 

 GV。

 

「これも?」

 

「うん」

 

「僕、目閉じてるよ?」

 

「面白いから」

 

「基準が分からない」

 

「わたしが好きかどうか」

 

「強いな、その基準」

 

 最後に、三人でも写真を撮った。

 

 棚の上へカメラを置き、セルフタイマーを設定する。

 

「十秒」

 

『GV、もう少し右』

 

「こっち?」

 

『行きすぎ』

 

「難しいな」

 

「あと三秒」

 

「え、待って」

 

 二秒。

 

「もうちょっと――」

 

 一秒。

 

 シャッター。

 

 出来上がった写真では、シアンは普通に笑っていた。

 

 モルフォも綺麗に写っている。

 

 GVだけが、位置を直そうとして中途半端に身体を傾けていた。

 

「撮り直そうよ」

 

「これがいい」

 

「なんで?」

 

「GVっぽい」

 

「またそれ?」

 

『あたしもこれがいいわ』

 

「二対一はずるいなあ」

 

 結局、その写真も残すことになった。

 

     ◇

 

 翌日。

 

 買ってきた小さなアルバムの表紙を前に、シアンは鉛筆を持って悩んでいた。

 

「何て書こう」

 

「好きなのでいいんじゃない?」

 

「『写真』」

 

「そのままだね」

 

「『シアンの写真』」

 

「それもそのまま」

 

「『わたしの記録』」

 

 言った後。

 

 シアン自身が少し黙った。

 

「……皇神みたい」

 

「ちょっとね」

 

「やめる」

 

「早いな」

 

 シアンはテーブルへ並べた写真を見る。

 

 誰かに測るために残されたものではない。

 

 研究するためでもない。

 

 危険性を評価するためでもない。

 

 自分が足を止めたもの。

 

 自分が好きだと思ったもの。

 

 自分が残しておきたいと思った人。

 

「じゃあ……」

 

 少し考える。

 

「『わたしの好きなもの』」

 

 GVが写真を見る。

 

「いいんじゃない?」

 

『いいわね』

 

「じゃあ、これ」

 

 シアンはゆっくり文字を書いた。

 

 ――わたしの好きなもの。

 

 一ページ目。

 

 八百屋。

 

 次は子供たち。

 

 猫。

 

 夕焼け。

 

 ミニ四駆。

 

 水色。

 

 そして何枚も出てくるGV。

 

「やっぱり僕多くない?」

 

「まだ言ってる」

 

「いや、嫌じゃないけど」

 

「ならいいでしょ」

 

「そういうもの?」

 

「そういうもの」

 

 シアンは最後のページへ三人の写真を入れた。

 

 少し失敗している。

 

 完璧ではない。

 

 でも、それでよかった。

 

 皇神が残したシアンの記録には、能力者としての価値が書かれていたのかもしれない。

 

 危険性。

 

 研究価値。

 

 身体データ。

 

 第七波動。

 

 けれど、今シアンが自分で残した記録には、そんなものは一つもない。

 

 優しい人もいた。

 

 感じの悪い人もいた。

 

 能力者をまとめて嫌う人もいた。

 

 無能力者をまとめて嫌う能力者もいた。

 

 それでも一人の人間を見ただけで、その人が属する側全部を決めつける必要はない。

 

 八百屋のおばちゃんは八百屋のおばちゃん。

 

 嫌味を言った男性は、その男性。

 

 不機嫌な能力者は、その能力者。

 

 そしてGVはGV。

 

 それぞれ別の人間だ。

 

 シアンはアルバムを閉じた。

 

「ねえ、GV」

 

「なに?」

 

「また撮りに行ってもいい?」

 

「もちろん」

 

「今度はもっと知らないところ」

 

「じゃあ少し遠出する?」

 

「うん」

 

『今度はあたしの写真も増やしてよね』

 

「モルフォも?」

 

『当然でしょ』

 

 シアンはアルバムを胸元へ抱えた。

 

「もっと好きなもの、増えるかな」

 

「増えると思うよ」

 

「嫌いなものも?」

 

「それも増えるかも」

 

「そっか」

 

 GVは少し笑った。

 

「でも、何を好きになるかまで嫌な人に決めてもらわなくていいでしょ」

 

「……うん」

 

 シアンも笑った。

 

 そして、突然カメラを持ち上げる。

 

「GV」

 

「ん?」

 

 シャッター音。

 

「また撮った?」

 

「うん」

 

「今度こそ言ってから――」

 

「言ったら顔作るでしょ?」

 

「それ、ずっと使う気?」

 

「自然なGVの方が好きだから」

 

 GVが一瞬黙った。

 

「……そういうの急に言うのずるくない?」

 

「何が?」

 

「いや、なんでもない」

 

『あら?』

 

「モルフォは黙ってて」

 

 シアンは何のことか分からないまま、撮ったばかりの写真を確認した。

 

 少し困ったように笑うGV。

 

 それもまた、後からアルバムへ追加されることになる。

 

 誰かに決められた記録ではなく。

 

 シアン自身が、残したいと選んだ一枚として。

 




次回予告

 皇神(スメラギ)の能力者狩り部隊に所属する、欲深き磁界拳――カレラ。

 強者との戦いを求め、さらなる力を求め、己を鍛え続ける男に下された次なる任務は――。

「本日は非番です。休んでください」

「…………」

 ――休日だった。

「軽度の鍛錬ならば?」

「駄目です」

「走り込みは?」

「駄目です」

「素振り」

「休んでください」

「休日とは、何をすればよいので候……?」

 強敵はいない。

 倒すべき相手もいない。

 あるのは行列、売り切れ、待ち時間。

 力ではどうにもならない、日常という名の難敵。

「この列を突破する手段は!?」

「並んで待ってください」

「ぬぅ……!」

 木に引っかかったボールを取ろうとすれば、力を使いすぎて余計に取りづらくなり。

 クレーンゲームへ挑めば、真正面から力押しして何度も失敗。

「何故で候!?」

「おじさん下手だね」

「おじさんではない!」

 そんな全く上手くいかない一日の中で、カレラの脳裏に浮かんだのは――あの青い雷を纏う少年だった。

 自分の磁界拳に雷を吸われれば、戦い方を変える。

 力が逆効果ならば、自ら止める。

 不利な状況でも相手を見て、状況を見て、最後まで目的を見失わない。

「……あやつほどの力がありながら、何故すぐに使わぬ?」

 カレラが初めて気づく、GVのもう一つの強さ。

 それは雷でも、拳でもない。

「穏やかで、冷静な心……」

 己の力を御することもまた――力。

 そう理解した欲深き磁界拳が辿り着く結論は、もちろん。

「ならば小生にも必要で候!」

 やっぱり、さらなる強さだった。

次回、第十一話「カレラの休日」

「まずは穏やかに待つ……」


 次回も、グッドラック。
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