『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
「GV、まだ?」
玄関からシアンの声が飛んできた。
「待って。財布がない」
「テーブル」
「……あ」
振り返ると、ついさっきまで座っていたテーブルの上に財布があった。
「あるね」
「あるよ。さっき自分で置いてたじゃん」
「見てたなら教えてくれてもよかったのに」
「今教えたよ。探し始めて三秒くらいで」
それを言われると返す言葉がない。
GVは財布をポケットに押し込み、冷蔵庫の横に置いてあった買い物袋を取った。
中身がずいぶん寂しくなってきたので、今日はシアンと二人で買い出しへ行くつもりだった。目的地は以前ジーノから教えてもらった店で、少し遠い代わりに値段も品揃えも悪くないらしい。
モルフォもシアンの傍に姿を現している。
『出発する前からそれじゃ、帰る頃には荷物が一個くらい増えてそうね』
「買い物に行くんだから増えるでしょ」
『そういう意味じゃないわよ』
モルフォが呆れた顔をする。
シアンが笑いながら横から補足した。
「途中でまた誰か助けて、何かもらって帰ってきたりして」
「そんな頻繁にはないよ」
「この前あったじゃん」
「あれは向こうがくれたんだよ」
「だから断ればよかったでしょ」
「せっかくくれたのに?」
シアンとモルフォが同時にこちらを見る。
「……何?」
『そういうところよ』
「何が?」
『分かってないならいいわ』
「気になるなあ」
部屋の奥から控えめな笑い声が聞こえた。
エリーゼだった。
今表に出ているのは、一番大人しい人格だ。
GVは買い物袋を持ったまま彼女へ振り返る。
「エリーゼは何かいる?」
「え?」
「欲しい物。食べる物でも何でも」
「わ、わたしは大丈夫です。まだ家にある物で十分ですし……」
「そういう話じゃなくてさ。お菓子とか、飲み物とか」
「お菓子……」
一瞬だけ目が泳いだ。
シアンがすかさず笑う。
「今ちょっと考えたよね」
「ち、違います」
「じゃあ何がいい?」
「だから、本当に大丈夫ですって……」
困ったように目を伏せた直後、エリーゼの雰囲気が変わった。
顔を上げた時には、先ほどまでの遠慮がちな表情は消えている。
「しつこいのよ、アンタ」
「あ、3」
「何よその反応」
「いや。じゃあ3は?」
「いらない」
「即答だ」
「欲しくもない物を買ってこられても邪魔でしょ」
『でも甘い物なら食べるでしょ?』
「食べるけど?」
『食べるんじゃない』
「出された物を食べるのと、アタシが買ってこいって頼むのは別でしょうが」
GVは数秒考えたあと、シアンを見る。
「何か適当に買ってこっか」
「うん」
「勝手に結論出すな!」
エリーゼ3が声を上げる。
「さっさと行ってきなさいよ。夕飯まで遅くなったら承知しないわよ」
「何もいらないんじゃなかった?」
「夕飯の話をしてるの!」
またモルフォが笑った。
ようやく出発できそうだ。
GVが靴へ足を入れかけた、その時だった。
端末が鳴った。
見慣れた表示を見て、GVの手が止まる。
「アシモフだ」
シアンも何となく察したのだろう。先ほどまでの笑顔を引っ込めた。
GVが通信を開く。
「どうしたの?」
『急ですまない、GV。皇神の施設で動きがあった』
アシモフの声はいつも通り落ち着いていた。
それでも、用件が軽いものでないことはすぐ分かった。
『山間部にある搬送管制施設だ。今夜、能力者の移送先に関する情報が更新される。更新後は複数の施設へ振り分けられるらしい』
「そうなると追えなくなる?」
『かなり難しくなる。時間もない。一時間を切っている』
GVはほとんど迷わなかった。
「僕が行くよ」
『頼めるか』
「うん」
短いやり取りのあと、通信が切れる。
さっきまで出掛けるために持っていた買い物袋が、妙に場違いに感じられた。
GVはそれを玄関へ置く。
「ごめん」
「いいよ」
シアンはすぐに答えた。
「買い物はまた行けるから」
「でも今日は――」
「謝らなくていいって」
シアンは少しだけ笑った。
それから、当たり前のことを言うように続けた。
「でも、ちゃんと帰ってきてね」
何かを予感していたわけではない。
任務へ出るGVに対して、いつもと同じように言っただけだった。
「うん」
GVも、それ以上の意味を持たせずに頷いた。
エリーゼ1が表へ戻り、少し不安そうにこちらを見る。
「GVさん、お気をつけて」
そして、すぐにまた表情が変わった。
「さっさと終わらせてきなさい。遅くなったら本当に怒るわよ」
GVは軽く手を上げる。
「了解」
そのまま玄関を出た。
閉じた扉の向こうに、買い物袋だけが残った。
◇
『今日あの店行くって言ってなかったか?』
山間部へ向かう途中、回線へ入ってきたジーノが言った。
「行く直前だったよ」
『最悪のタイミングじゃん』
「皇神にも生活サイクルってものを考えてほしいね」
『予約制にでもするか? 襲撃は三日前までにお願いしますって』
「それなら助かる」
『本気で答えんなよ』
少し遅れてモニカが回線へ入った。
『二人とも、遊びに行くんじゃないんだから』
「僕はまだそんなに喋ってないよ」
『じゃあ今から黙ってて』
「厳しいなあ」
笑いながらも、GVの視線は前方にある施設から外れなかった。
山の斜面に埋め込まれるように建てられた皇神の施設は、既に周囲を封鎖している。
モニカの声が切り替わった。
『一般市民はもう避難してる。施設に残ってるのは警備兵と技術要員だけみたい』
「避難が早いね」
『かなり前から指示が出てたみたい。施設側も戦闘になることは予想してたのかも』
アシモフが続ける。
『責任者はイオタだ』
その名前と同時に、簡単な情報が送られてきた。
「元軍人……残光……」
視界の端に表示された文字を読み、GVが途中で止まった。
「光速?」
『記録上はね』
モニカが答える。
ジーノが少し間を置いてから言った。
『いや、それもう反則じゃね?』
「僕に言われても困るよ」
『お前でも無理だろ』
「普通に嫌だよ」
『だよな』
「そこは励ましてほしかったな」
『じゃあ頑張れ』
「急に雑になった」
アシモフが二人の会話を切る。
『イオタを倒すこと自体が目的ではない。搬送先の情報を確保できればいい。可能なら搬送設備にも遅れを出してほしいが、そちらは無理をする必要はない』
『あと危ないと思ったらちゃんと退いて』
モニカが続ける。
「それ、作戦の一部?」
『私から』
「そっちの方が怖いな」
『聞こえてるよ』
「聞こえるように言ったからね」
施設の外壁が近づく。
GVは呼吸を整えた。
「じゃ、入るよ」
◇
施設内の抵抗は予想より軽かった。
もちろん警備が甘いわけではない。
侵入を確認した兵士たちは迷わず武器を向けてきたし、自動砲台もすぐに起動した。
ただ、GVは人間そのものを狙わない。
ダートを撃ち込むのは銃器や装備。
雷撃を流すのも戦う力を奪うためだけだ。
一人が倒れれば、通路の真ん中へ放置せず壁際へ引っ張った。
『そこまでやる必要ある?』
ジーノが尋ねる。
「このまま置いといたら、次に誰か走ってきた時に踏むでしょ」
『踏まねえよ普通』
「何か壊れて落ちてくるかもしれないし」
『ホントお節介だな、お前』
「それもよく言われる」
そんな会話をしながら進んでいたが、途中から妙なことに気付いた。
増援が来ない。
奥へ進めば進むほど、むしろ静かになっていく。
「待たれてるね」
『たぶんな』
アシモフの返事も早かった。
「だよね」
大きな扉が開く。
その先には広い制御区画があった。
高い天井。
壁沿いに並ぶ搬送制御用の端末。
その中央に、一人の男が立っている。
「ガンヴォルト」
硬い声だった。
姿勢だけで、元軍人だという話に納得できる。
「君がイオタ?」
「そうだ」
「初めまして」
「私は貴様を以前から知っている」
「有名人だなあ、僕」
「報告書を読んだだけだ」
「ですよね」
イオタの目がわずかに細くなる。
「兵士を極力殺さず、装備を優先して破壊する。戦闘後、倒れた兵まで危険の少ない場所へ移動させることがあるそうだな」
「……見られてた?」
「先ほどもやっていただろう」
「そこまで報告されるんだ」
「一部の兵から妙な呼ばれ方もしているらしい」
「君まで言うのかと思った」
「興味はない」
即答だった。
「そっか」
GVは少し肩の力を抜く。
だが、目の前にいる相手が道を譲る気などないことは分かっていた。
「じゃあ単刀直入に言うね。能力者の搬送先が入ってるデータが欲しい」
「渡せん」
「だよね」
「分かっているなら退け」
「それもできないんだ」
イオタはすぐには構えなかった。
GVも銃へ手を掛けたまま、まだ抜かない。
「移される人たちは、行き先のこと知ってるの?」
「知る必要がある者には伝えられる」
「それ、本人も入ってる?」
「状況による」
GVの眉が少し動く。
「本人が嫌だって言ってても?」
「嫌だと言えば危険がなくなるのか」
「そこまでは言ってないよ。でも、だから最初から本人の考えを無視していいってことにもならないでしょ」
「無視しろとは言っていない」
イオタは声を荒らげなかった。
「本人が何を望んでいるかを聞くことと、望み通りにさせることは同じではない。自分の力を抑えられない者を、そのまま市街地へ戻すわけにはいかん」
「だったら、抑えられるようになる方法を探せばいい」
「見つからなかったら?」
「探し続けるよ」
「その間に暴走したらどうする」
GVの口が止まった。
イオタはそれを待ってから続ける。
「本人に悪意がなくても関係ない。能力は意思通りに働くものばかりではない。家族が傍にいたらどうする。通学途中の子供がいたら。たまたま通り掛かった人間が巻き込まれたら」
「そうならないように――」
「そうならなかった時の話をしている」
GVは少し目を伏せる。
「……ずいぶん嫌な聞き方するね」
「答えにくいだけだろう」
「それは、そうかもしれない」
否定はしなかった。
イオタもまた、それ以上そこで追い込もうとはしない。
「貴様は、能力者を自由にすべきだと考えているのか」
「そんな大きなことは考えてないよ」
「何?」
「僕が知ってるのは、自分が嫌がってるのにどこかへ連れていかれるのは嫌だろうなって、それくらい」
「それだけで皇神へ逆らうのか」
「今はね」
「軽いな」
「そう聞こえる?」
「聞こえる」
GVは少し困ったように笑った。
「でも、君みたいに全部先まで考えられるわけじゃないからさ」
「考えようとはしないのか」
「してるよ。だから今、君の話も聞いてる」
その返しに、イオタは一瞬黙った。
最初から自分の話など聞く気がない侵入者を想定していたのかもしれない。
「……貴様は妙な男だな」
「よく言われる」
「褒めてはいない」
「それもよくある」
GVは少し視線を逸らし、周囲を見る。
こちらから強引に突破しようとしない限り、イオタもすぐには攻撃してこない。
なら、もう少し聞いてもいい気がした。
「君はさ」
「何だ」
「元軍人なんだよね」
イオタの目が少しだけ鋭くなる。
「聞いたのか」
「さっきね。それで皇神に来たってことは、何かあったんでしょ」
「貴様に話す必要はない」
「まあ、そうなんだけど」
GVは素直に引いた。
「でも、僕を止めたいなら聞かせてもいいんじゃない? 少なくとも君が何でそこまで皇神を信じてるのか分からないままじゃ、僕も納得しにくいし」
「私は皇神の全てを信じているわけではない」
思ったより早く返ってきた。
「そうなの?」
「当然だ。組織の判断が常に正しいなどと思ってはいない」
GVは少し驚いた。
イオタの言葉には迷いがない。
「なら、何でここにいるの?」
イオタはしばらく黙っていた。
答える義務などない。
それでも結局、口を開いた。
「昔、能力者が関わる事件へ私の部隊が出たことがある」
声の調子は変わらない。
「事前に情報を集め、周囲を封鎖し、逃げ道を絞った。こちらには人数も装備もあった。当時の我々が考え得る限りでは、十分な準備だった」
「でも、駄目だった?」
「ああ」
一言だけだったが、その後の沈黙が続きを語っていた。
「能力者一人を相手に、それまで通用していたやり方が何一つ通じなかった。こちらが時間を掛けて作った包囲も、用意した装備も、まともな意味を持たなかった」
「……」
「最後に事態を収めたのは皇神の能力者部隊だ」
GVは黙って聞く。
「その時に分かった。能力者がいる以上、今までのやり方だけで国を守ることはできない」
「だから皇神へ?」
「私はそう決めた」
「紫電に言われたからじゃなくて?」
「違う」
イオタの返答は強かった。
「紫電の考え全てに従ってここへ来たわけではない。能力者を抑えられる力を持つ組織が必要だと、私自身が考えた。何もしなければ守れないものが増える。それだけだ」
GVは少しだけ頷いた。
「……そっか」
「反論しないのか」
「何に?」
「皇神へ加わったことにだ」
「君が自分で考えて決めたって言ってるのに、僕がそこを嘘だって決める理由ないでしょ」
それはイオタにとって意外だったらしい。
わずかに表情が動く。
「ただ、だからって今やってることまで全部いいとは思わないよ」
「結局そこへ戻るか」
「戻るよ。僕、それで来たんだし」
少し空気が緩んだように見えた。
だが次に口を開いたイオタの声は、先ほどまでより静かだった。
「では聞く。一人の自由を守れば、そのために十人が危険へ晒される。それでも貴様は一人を選ぶのか」
「また難しいの来たなあ」
「答えろ」
「状況によるよ。十人がどれくらい危ないのか、その一人がどういう状態なのかで全然違うでしょ」
「百人なら?」
GVが少し嫌そうな顔をした。
「人数を増やしていけば答えが変わると思ってる?」
「変わらないのか」
「そういう話じゃなくて」
GVは一度言葉を切る。
「僕は、何人以上なら一人を諦めます、なんて決められないって言ってる」
「ならいつ決める」
「その時になったら考えるよ」
「遅い」
イオタの返事は早かった。
「決める瞬間が来てから初めて迷えば、その迷っている時間にも誰かが危険に晒される」
「じゃあ君は、最初から決めてるの?」
「全てを決めているわけではない。しかし、選ばなければならない時があることだけは分かっている」
イオタの声が少し低くなる。
「一人を助けたい。そんな気持ち自体を否定するつもりはない」
GVが少し顔を上げた。
「そうなんだ」
「意外か」
「ちょっと」
「私も人間だ。誰かが死んでも構わんと思っているわけではない」
言葉に怒りはなかった。
むしろ、だからこそ重かった。
「助けられるなら助けたい。それでも、助けに動けばもっと多くを危険にする時がある。その時に、誰かが決めなければならん」
GVは何も言わない。
「貴様はそれをしない」
「……」
「目の前にいる者を助ける。敵でも倒れていれば手を貸す。報告書に書かれていた通りだ」
「悪い?」
「その行動だけを悪いとは言っていない」
「じゃあ何?」
イオタはGVを真正面から見た。
「その先は誰が引き受ける」
「……先?」
「貴様が一人を助けたことで、別の場所へ行けなくなった。そこで別の誰かが傷ついた。あるいは一つの作戦が遅れ、その間に被害が広がった」
GVの表情から軽さが消えていく。
「貴様は目の前の一人を助ける。その判断をした自分を責めずに済む」
「そんなつもりじゃ――」
「分かっている。だから聞いている」
イオタは声を荒げない。
「自分が誰かを見捨てる決断をしたくないから、全てを救おうとしているだけではないのか」
GVの口が止まる。
「それは……違う」
「何が違う」
反射的に否定した。
だが、その先が出てこない。
「僕は、ただ――」
助けたい。
その言葉なら簡単に出る。
でも、それは今問われたことへの答えにはならない。
自分が誰かを見捨てたくない。
だから助ける。
その選択で別の誰かに何かが起きたら。
そこまで本当に考えてきただろうか。
沈黙が長くなった。
通信の向こうにいる三人も口を挟まない。
イオタは急かさなかった。
「……そうかもしれない」
ようやくGVが言った。
声は小さかった。
「僕が、嫌な方を選びたくないだけなのかもしれない」
イオタは何も言わない。
「誰かを置いていくのが嫌だから助ける。それで、その後のことは別の誰かに任せてるって言われたら……たぶん、全部違うとは言えない」
「ならば退け」
「でも、それも違うんだ」
「何がだ」
「分かったからって、目の前にいる人を置いていけるようになるわけじゃない」
GVは自分でも言葉を探しながら話していた。
「君が言ってること、全部間違ってるとは思わないよ。僕の方が正しいとも言えない。でも、だからって『じゃあ仕方ないね』って今ここから帰れるかって言われたら、それも無理なんだ」
「矛盾している」
「うん」
「自覚しているのか」
GVは苦笑する。
「今、嫌ってくらいしてる」
イオタの表情は変わらなかった。
「それでも進むと?」
「うん」
「何故だ」
GVは一度口を開きかけ、止めた。
上手い言葉を探してみる。
見つからない。
「……分からない」
「分からない?」
「僕が逃げてるだけなのかもしれないし、これからやることが正しいかも分からない。それでも今は、あの人たちを放っておきたくない」
銃を抜く。
「だから行く」
「理由になっていない」
「そうかもね」
GVは構えた。
「でも、今はそれ以上うまく言えないよ」
イオタの周囲へ光が集まり始める。
「ならば、これ以上言葉を重ねる必要もない」
「うん」
「私は貴様を通さん」
「僕も止まれない」
次の瞬間。
イオタの姿が消えた。
◇
「――っ!」
考えるより先に、体が跳ねた。
カゲロウ。
GV本人が攻撃を認識した時には、既に別の場所へ移動している。
そして遅れて風圧が来た。
耳を叩く轟音。
先ほどまで立っていた場所を、光が通り過ぎている。
「いや、ちょっと待って。これ本当に光速?」
『数字上は!』
モニカの声が返る。
『それよりEP! 今の一回だけで減ってる!』
「見えなかったんだけど!」
『こっちでも追えてねえぞ!』
ジーノの声から冗談が消えた。
「じゃあどうしよう」
『どうしようじゃねえよ!』
右側。
光。
またカゲロウ。
GVの足元へ白い筋が走り、床が削れる。
その向こうからイオタの声がした。
「音速い」
「……え?」
少し離れた場所にイオタが現れる。
「音速いぞ、ガンヴォルト」
GVは一瞬だけ戦闘を忘れた顔をした。
「今、掛けた?」
「何の話だ」
「いや、音速と――」
『今そこ気にするとこじゃねえだろ!』
ジーノに怒鳴られた。
「僕だって気になっただけだよ!」
イオタは本気らしい。
ふざけた様子は微塵もない。
再び構える。
「私の動きを見てからでは遅い」
「それはもう分かった!」
光が走る。
GVの位置が変わる。
またEPが削られる。
フォトンビットが左右へ開き、角度を変えた。
光弾。
カゲロウ。
その直後、横からイオタ自身の斬撃。
カゲロウ。
『GV、減り方が速すぎる!』
モニカが警告する。
「僕もそう思う!」
『雷撃鱗を無駄に維持しないで!』
「じゃあいつ使えばいいの?」
『そこは自分で考えて!』
「急に厳しい!」
イオタが一瞬姿を見せる。
GVはすぐに雷撃鱗を展開した。
周囲へ蒼い雷が弾ける。
だが、その瞬間。
「そこか」
声が背後からした。
「っ!」
GVは自分の脚で跳ぶ。
光の斬撃が紙一重で通り過ぎる。
『雷撃鱗中はカゲロウが使えない!』
「知ってる!」
「なるほど」
イオタが距離を取った。
「自動回避には消耗がある。さらに放電中は使えない」
「見なくていいところまで見てるなあ」
「敵の弱点を見ない理由がない」
「正論だ」
「ならば、その力を先に削る」
「それわざわざ言う?」
「言ったところで防げるのか」
「……それも正論だな」
GVは小さく息を吐く。
次の瞬間にはまた光が来る。
見えない。
避けられない。
カゲロウだけが勝手に体を逃がしていく。
『GV!』
モニカが叫ぶ。
『このままだと先にEPが尽きる!』
「分かってるけど、これどう見ろっていうの!」
『見るな』
アシモフだった。
「え?」
『速度を見ようとするな』
GVが一瞬だけ目を細める。
『光になった後を追っても間に合わない。その前を見ろ』
「その前……」
再びイオタが姿を見せる。
GVは撃たなかった。
ただ見る。
イオタの足。
肩。
腰の向き。
目線。
周囲に浮かぶフォトンビット。
「何をしている」
「ちょっと待って」
「待つと思うか」
「思ってない!」
光。
カゲロウ。
だが今度は、攻撃された場所よりも、その直前のイオタを思い出す。
視線が右へ流れた。
右足に力が入った。
フォトンビットの一つが少し角度を変えた。
「……」
イオタがまた姿を見せる。
同じように観察する。
視線。
肩。
重心。
そして消える。
GVは、その瞬間より少し早く左へ跳んだ。
直後。
右から光が通り過ぎる。
「……!」
イオタの表情が初めて大きく動いた。
GV自身も驚いている。
「今の、いけた?」
『避けた! カゲロウじゃない!』
モニカの声が弾む。
『もう一回やれ!』
「簡単に言うね!」
イオタが構える。
今度はGVも銃を持ち直した。
光速を追うのは無理だ。
ならば光になる前を見る。
イオタがどこへ行くと決めるのか。
何を狙うのか。
その判断までは、光速ではない。
視線が動く。
フォトンビットがわずかに開く。
「そこ!」
GVが引き金を引いた。
イオタが消える直前。
ダートが肩へ刺さる。
「何――!」
もう光になっている。
だがタグは残った。
GVの口元が少し上がる。
「見つけた」
雷撃鱗。
蒼い雷がタグを通してイオタへ食らいつく。
「ぐっ……!」
白い光が乱れる。
イオタは高速移動で距離を離した。
『当たった!』
モニカが言う。
『たまたまじゃねえよな!?』
「今のでだいぶ分かった」
『なら最初からそう言え!』
「僕も今分かったんだよ」
GVはイオタを見る。
「光になってからは無理。でも、その前なら君も考えてる」
「……」
「どこから来るか決める時は、まだイオタなんだね」
「一度当てただけで分かったつもりか」
「じゃあもう一回」
イオタが消える。
その直前。
GVの銃声が響く。
二発目のダート。
また刺さる。
雷。
イオタが舌打ちして軌道を変えた。
「貴様……!」
「今度は偶然じゃないよ」
そこから戦いの形が変わった。
イオタの速度そのものは変わっていない。
依然としてGVより圧倒的に速い。
それでも一方的ではなくなった。
GVは残光を追わない。
光になる前だけを見る。
肩が沈めば踏み込み。
視線が流れれば狙い。
フォトンビットの向きが変われば、次の射線。
読み違えればカゲロウに助けられる。
だが、少しずつ自分で避けられる回数が増えた。
「音速い!」
イオタが一気に距離を詰める。
その直前。
GVはもう撃っていた。
光になる前の身体がわずかに崩れる。
「今のは少し光速かった?」
「戯言を!」
「怒った?」
「戦闘中にふざけるな!」
「そっちが言い始めたんだけど!」
『お前ら結構会話できてんな!』
ジーノが割り込む。
『ジーノ、黙ってて!』
モニカに即座に叱られた。
GVは笑いながらも、視線だけはイオタから外さない。
最初はどうしようもないと思った速度が、少しずつ形を持ち始めている。
イオタもそれを感じていた。
「貴様を軽く見ていたようだ」
「もう少し早く気付いてほしかったな」
「だが、まだ私が上だ」
「それは認めるよ」
「随分素直だな」
「見栄張って速くなるなら張るけどね」
再び蒼雷と白光が交差する。
その時。
施設全体へ警告音が響いた。
◇
『緊急処理が走った!』
モニカの声が一段高くなる。
「何?」
『侵入を検知して、搬送先データが消去され始めてる!』
「どれくらい?」
『三分ない!』
「短いな!」
GVが中央管制室の方へ視線を向ける。
イオタがその間へ入った。
「行かせん」
「だよね」
『中央まで行けば止められる可能性はある!』
「じゃあ行く!」
「私を越えてから言え」
また光が走る。
GVはぎりぎりで避けた。
だが、その直後。
施設の別方向から大きな破裂音が響いた。
床が揺れる。
『電源系統に異常!』
モニカが叫ぶ。
遠くから皇神兵の声が聞こえた。
「第三補助電源、応答しません!」
イオタがそちらへ顔を向ける。
「手動で切り替えろ」
「接続区画の隔壁が不安定です!」
「処理が終わったらすぐに戻れ。無理ならそこで待て」
「了解!」
一人の兵士が走っていく。
GVはその背中を一瞬見た。
「行かせるんだ」
「必要だからだ」
「危なくない?」
「危険のない任務などない」
淡々とした返事だった。
それでも、さっきより少し声が低い。
GVは何も言わず、再びイオタと向き合う。
数十秒後。
『手動切り替え完了!』
モニカが告げた。
その直後。
重い金属音が施設中へ響いた。
どこかで何かが落ちた。
『待って! 隔壁が閉じた!』
「さっきの人は?」
『中に取り残されてる!』
GVが反射的に動こうとする。
イオタが前へ出た。
「止まれ」
「助けないの?」
言った瞬間、自分でも少し強い言い方になったと思った。
だがイオタは怒らなかった。
「助けたい」
即答だった。
GVが止まる。
「だったら――」
「私がここを離れれば貴様は管制室へ向かう」
「……」
「そうなれば搬送設備まで止められるかもしれん。それで別の場所にまで影響が出れば、私があの兵一人を助けたせいだ」
イオタの目が僅かに揺れた。
「それでも助けたい。だが、私はここを離れられん」
通信が割り込む。
『イオタ司令』
閉じ込められた兵士の声だった。
「状況は」
『区画内はまだ保っています。自分は構いません』
「救助班を向かわせる。それまで待て」
『了解』
そして、その兵士が続けた。
『侵入者にも聞こえているなら伝えます。自分は助けを求めていない。貴様は貴様のやるべきことをやれ』
GVは言葉を失った。
さっきまでのイオタとの会話が、そのまま形になって目の前へ置かれたようだった。
一人の兵士。
消えようとしている多数の能力者の情報。
時間は二分を切っている。
「選べ、ガンヴォルト」
イオタの声は静かだった。
挑発ではない。
今まで話してきたことを、そのまま突きつけている。
「今度は数字の話ではない」
GVは中央管制室を見る。
次に、閉じ込められた兵士がいる方向を見る。
どちらへ行くべきか。
頭では、もう分かりかけている。
兵士本人が残れと言っている。
データを失えば、この先また誰かを探せなくなる。
イオタが言った通りだ。
助けたいという気持ちだけで選べば、その先の結果を別の誰かへ押しつけるかもしれない。
「……アシモフ」
『聞いている』
「どうすればいい?」
口にした瞬間、自分でも少し情けなく感じた。
それでも聞かずにはいられなかった。
しばらくして、アシモフが答える。
『私が決めることではない』
「でも」
『君がそこにいる。君が見ている。最後に決めるのは君だ』
逃げ道を与えてくれなかった。
GVは息を吐いた。
「……イオタ」
「何だ」
「君の言ってること、間違ってないのかもしれない」
「ならば進め」
「あの人も自分で残るって決めてる」
「そうだ」
「それを無視して助けに行くのは、僕のわがままかもしれない」
イオタは返さなかった。
GVも答えを求めなかった。
「でも」
銃を下ろす。
「やっぱり置いていけない」
そして走った。
『GV!』
モニカが叫ぶ。
『時間ないよ!』
「分かってる!」
『おい、本気かよ!』
ジーノの声も重なる。
「本気!」
隔壁へ向かう。
後ろから攻撃は来ない。
振り返らなくても分かった。
イオタは追ってこなかった。
後方にいた皇神兵がGVへ銃を向ける。
「撃て!」
別の兵が叫びかけた。
「撃つな」
イオタが止める。
「ですが――」
「これは戦闘ではない」
それ以上、誰も引き金を引かなかった。
GVは崩れた区画へ着く。
隔壁は完全に歪み、その一部へ瓦礫まで食い込んでいた。
隙間の向こうに兵士がいる。
「来るなと言ったはずだ!」
「聞いたよ!」
「なら戻れ!」
「それも考えた!」
「なら何故来た!」
「僕にも分かんないよ!」
GVは隔壁へ手を掛ける。
雷撃鱗。
高い出力で蒼い雷を流し込む。
『GV、駄目!』
モニカの声が飛ぶ。
『さっきの戦闘でEP減ってる! そんな出力を続けたら――』
「これ持ち上げないと出られない!」
『救助班が来る!』
「いつ?」
『それは――』
「間に合うか分からないんでしょ!」
雷が強くなる。
金属が軋む。
『中止しろ!』
アシモフが命令する。
『GV、聞こえているな。戻れ』
「聞こえてる!」
『ならば従え!』
「もう少しだから!」
『お前まで閉じ込められたらどうすんだよ!』
ジーノも叫ぶ。
「その時はその時!」
『適当言ってんじゃねえ!』
隔壁が少し持ち上がる。
隙間が広がる。
「ほら! 今!」
「自分は――」
「早く!」
兵士はなお迷っていた。
助けを求めていない。
自分の任務を終えた。
自分一人のために侵入者が目的を捨てる理由が分からない。
それでも、差し出されたGVの手を取った。
「掴まって!」
GVが引く。
雷撃鱗の出力をさらに上げる。
モニカの警告が止まらない。
『GV! EPがもう――!』
「あとちょっと……!」
兵士の肩が隙間を抜ける。
腰。
脚。
最後にGVが強く引く。
二人まとめて床へ倒れ込んだ。
その瞬間。
蒼い雷が消えた。
「っ……!」
GVが息を詰まらせる。
『オーバーヒート!』
モニカが言う。
『もう何も使わないで!』
呼吸を整えようとした、その時。
無機質な音声が施設へ流れた。
『搬送先データの消去が完了しました』
GVは天井を見上げた。
「……間に合わなかったか」
誰も返さない。
助け出された兵士がゆっくり起き上がる。
そして、GVを見た。
「何故だ」
「何が?」
「自分は助けを求めていない」
「うん」
「貴様の目的はあのデータだったはずだ」
「うん」
「それを失った」
「そうだね」
兵士の声が少し強くなる。
「なら何故、自分を助けた」
GVはしばらく黙った。
ここで何か立派なことを言えばいいのかもしれない。
命は何より大切だとか。
誰も見捨てないとか。
けれど、今の自分にはどれも嘘っぽく思えた。
「……放っとけなかった」
「それだけか」
「今はそれ以上うまく言えない」
GVは疲れたように笑う。
「僕も考えてる途中だから」
足音が近づく。
イオタだった。
少し離れた場所で止まる。
「それが貴様の選択か」
「そうみたい」
「一人を救った。その代わり、能力者たちを追う情報を失った」
「うん」
「それでも、今の判断が正しかったと言えるか」
GVは黙る。
そして、ゆっくり首を振った。
「……言えない」
「なら間違いだったか」
「それも分からない」
「分からないまま選んだのか」
「うん」
イオタは理解できないと言いたげに眉を寄せた。
「それでは、さっき私が言ったことと何も変わっていない」
「そうだね」
「結果を背負う覚悟もないまま、目の前の者を助けた」
「それも、そうかもしれない」
GVは否定しなかった。
「でも僕は、あのまま行けなかった」
イオタはしばらく何も言わなかった。
助けられた兵士も、GVを見たまま口を閉ざしている。
誰にも、今の行動が正しかったとは言えない。
◇
「ならば退け」
少ししてイオタが言った。
GVは顔を上げる。
「いいの?」
「貴様の目的は失敗した。こちらもこれ以上戦う必要はない」
イオタはGVの様子を見ている。
「それに、その状態では満足に戦えんだろう」
『イオタの言う通りだ』
アシモフがすぐに続けた。
『GV、撤退しろ』
「でも――」
『失敗しただけだ。それで全てが終わるわけではない』
アシモフの声は冷静だった。
だが、いつもより少し強い。
『他の方法を探す。今日は帰れ』
モニカも言う。
『EPの戻りが遅い。カゲロウもまともに使えないと思って』
『一回しくじったくらいで終わりじゃねえって』
ジーノも珍しく真面目だった。
『帰ってまた考えようぜ』
GVは出口を見る。
ここで帰れる。
イオタも追わないと言っている。
任務も失敗した。
戦う理由はもうない。
頭の中に家が浮かぶ。
シアン。
エリーゼ。
モルフォ。
玄関に置いた買い物袋。
今から帰れば、買い物は無理でも夕飯には間に合うかもしれない。
GVは少しだけ笑った。
「……帰ろうかな」
『そうしろ』
ジーノがすぐ言った。
しかしGVは、ふと施設の奥を見る。
「ねえ、モニカ」
『何?』
「データは消えたけど、能力者の搬送そのものは?」
モニカが少し黙る。
操作音が続く。
『……止まってない』
GVの顔から笑みが消えた。
『緊急系統へ切り替わってる。今夜の搬送自体は続けられる』
「中央管制を止めたら?」
『少なくとも今夜はかなり遅れる。でもGV――』
「……そっか」
『GV』
アシモフの声が低くなる。
『撤退しろ』
「でも、まだ止められる」
『今度は命令だ』
GVが黙る。
『目的の情報はもう失った。君は消耗している。これ以上戦う理由はない』
「でもまだできるよ」
『できることと、やるべきことは違う』
その言葉にGVは少し俯いた。
ジーノが割り込む。
『お前、シアンと買い物行くんだろ!』
その一言だけは、他より深く刺さった。
「……うん」
『今日行くって言ってたじゃねえか。だったら帰れよ。こんなの明日また考えりゃいいだろ』
GVは目を閉じた。
ちゃんと帰ってきてね。
シアンは重い意味など込めずに言った。
自分も普通に頷いた。
帰りたい。
普通に。
今すぐ。
「……帰りたいな」
『なら帰れって!』
「うん」
それでも、足は出口へ向かなかった。
「でも、ここで帰ったら」
少し間を置く。
「たぶんずっと気になる」
『そんな理由で――』
「分かってる」
GVはジーノの言葉を遮らず、静かに続ける。
「正義だからとか、僕の方が正しいからとか、そういうんじゃないよ」
イオタを見る。
「まだできることがある。それで、僕はやりたい」
「それだけで再び立つのか」
「うん」
「自分の選択が正しいかも分からんのだろう」
「分からないよ」
「先ほど一人を助けたことさえ、正しいと言えなかった」
「今も言えない」
「ならば何故だ」
GVは少し考えた。
やはり、立派な答えは出なかった。
「分からないから何もしないのも、僕は嫌なんだ」
銃を構える。
「まだ止められるなら、止めたい」
イオタの顔に理解はない。
それでも、今度はすぐ否定しなかった。
「……貴様の考えは、やはり私には分からん」
「僕も全部説明できないよ」
「だが、退く気がないことだけは分かった」
「うん」
イオタの周囲に光が戻る。
「ならば私も、これ以上手加減はしない」
「最初から速すぎたけどね」
「今度は速度だけでは済まん」
「それ、あんまり聞きたくないな」
再び二人が構えた。
◇
戦いは先ほどとは違っていた。
GVのEPは戻り切っていない。
体も重い。
それでも、イオタの動きそのものは前より見えていた。
正確には、光になった後ではない。
光になる前。
踏み込む足。
向けられた視線。
フォトンビットの向き。
その全部を繋げて、次を読む。
イオタが右から来る。
そう思った瞬間にはもう避けている。
白い光が空を切る。
GVは反転し、ダートを撃つ。
イオタがかわす。
別方向からフォトンビットが迫る。
GVは雷撃鱗を短く展開し、撃ち落とす。
『さっきより戦えてる……!』
モニカが呟く。
『でも無茶すんなよ!』
ジーノが続ける。
「どっち?」
『戦え、でも無茶すんな!』
「難しい注文だなあ」
イオタが光の軌跡を描いて駆け抜ける。
「余所見をするな!」
「してないよ!」
GVは先に体を沈めた。
光刃が頭上を通る。
そのまま銃口を上げる。
ダート。
イオタが光速へ移る直前に命中。
「またか!」
「だいぶ慣れてきた!」
雷撃。
今度はイオタがフォトンビットを盾にする。
蒼雷と白光がぶつかり、弾けた。
「貴様を侮っていたことだけは認めよう」
「それ褒めてる?」
「事実だ」
「やっぱり君、褒めるの苦手でしょ」
「褒めていない!」
「じゃあいいや」
GVの軽口にも、先ほどまでの余裕はない。
呼吸が少しずつ荒くなっている。
それでも戦える。
イオタもそれを分かっている。
「ここまで私の動きへ対応した者は多くない」
「それはちょっと嬉しいかも」
「だが」
フォトンビットが一斉にGVから離れた。
上空へ集まる。
モニカの声が変わった。
『待って』
GVも異変に気付く。
「何?」
『エネルギーが急に上がってる』
複数のフォトンビットが組み合わさる。
光が一本へ収束していく。
細い光ではない。
巨大な刃。
周囲の空気まで白く染めるほどのエネルギー。
『GV、離れて!』
アシモフがすぐに言う。
『撤退しろ!』
イオタが巨大な光刃を構える。
「ゼロブレイド」
その声に冗談はない。
自身の最大戦力を、真正面から見せている。
「ガンヴォルト」
「何?」
「まだ退ける」
GVは少し目を見開いた。
「私は貴様を殺すために戦っているわけではない」
イオタは光刃を下ろさない。
「ここまでだ。生きて帰れ」
GVは数秒、イオタを見る。
それから少し困ったように笑った。
「君、やっぱり悪い人じゃないね」
イオタの眉間に皺が寄る。
「その言い方はやめろ」
「何で?」
「私は貴様を止める側だ」
「それと悪い人かどうかは別じゃない?」
「今はそんな話をしていない!」
「ちょっと怒った」
『GV!』
モニカが声を上げる。
『本当にやめて! 今のEPじゃあれとぶつかれない!』
『聞こえているな、GV』
アシモフも強く言う。
『撤退しろ』
ジーノの声も飛ぶ。
『帰ってこい! もう十分だろ!』
GVは三人の声を聞きながら、ゼロブレイドを見る。
怖くないわけではない。
見れば分かる。
まともに受ければ危ない。
カゲロウに任せればいい――それもできない。
最大出力の雷撃鱗を使えば、その間カゲロウは働かない。
しかもEPはもう減っている。
イオタ自身も分かっている。
「退け」
もう一度言った。
「今なら追わん」
GVは小さく息を吐く。
「僕が正しいかは分からない」
「……」
「あの人を助けたことが正しかったのかも、まだ分からない」
助けられた兵士が遠くからGVを見る。
「君が最初に聞いたことにも、僕は答えられない」
イオタは黙っている。
「誰か一人を助けたせいで別の誰かが困ったらどうするのか。僕が嫌な選択から逃げてるだけなのか」
GVは首を振る。
「分かんないよ」
「ならば退け」
「でも」
蒼い雷がGVの体を包み始める。
モニカの息を呑む音が聞こえた。
「今できることがある」
イオタの顔が険しくなる。
「それだけか」
「今の僕には、それで十分」
『駄目!』
モニカが叫ぶ。
『最大出力なんて使ったら本当に持たない!』
「ごめん」
『謝るならやめて!』
アシモフも声を強める。
『GV、これは命令だ。退け!』
「アシモフ」
『退け!』
ジーノの声も重なる。
『マジで帰ってこい! シアン待ってんだろ!』
GVの表情が一瞬だけ揺れた。
それでも足は下がらない。
イオタも叫ぶ。
「ガンヴォルト! 退け!」
GVは雷撃鱗を最大まで広げた。
蒼い雷が施設の床を走る。
「……分かんないよ!」
声が漏れた。
強がりではなかった。
「君が正しいかもしれない!」
イオタが目を見開く。
「僕が間違ってるかもしれない!」
蒼雷が大きく膨らむ。
「僕にはまだ、何が正しいかなんて分かんない!」
イオタがゼロブレイドを構える。
それでも、まだ振らない。
「ならば何故進む!」
「分からないから!」
GVは叫ぶ。
「だからって、何もしないのも嫌なんだよ!」
その瞬間。
二人が動いた。
白い光刃が振り下ろされる。
同時にGVの蒼雷が真正面から突き上がる。
轟音。
光。
施設の壁が震える。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
白光が止まった。
『押し返してる!?』
ジーノが叫ぶ。
GVは歯を食いしばる。
「う、あああっ!」
蒼雷がゼロブレイドへ食らいつく。
イオタの腕も震えた。
「この出力……!」
だが。
モニカだけは数字を見ていた。
『駄目!』
声が裏返る。
『GV、出力が落ちてる!』
蒼い雷が揺らぐ。
白い刃が少し前へ進む。
『もう止めて!』
「まだ……!」
『無理だよ! 救助で使いすぎてる!』
「まだいける!」
『いけない!』
モニカが叫ぶ。
『カゲロウにも逃げられない! 今雷撃鱗を切らないと――』
『GV!』
アシモフ。
『退け!』
『頼むから帰ってこい!』
ジーノ。
「退け、ガンヴォルト!」
イオタまで叫んでいる。
全員が、同じことを言っていた。
それでもGVは蒼雷を放し続けた。
白が近づく。
蒼が細くなる。
腕の感覚がなくなっていく。
視界の隅へ、突然家の玄関が浮かんだ。
シアンがいた。
財布を探していた自分。
呆れていたシアン。
横から茶化すモルフォ。
何もいらないと言い張るエリーゼ。
床に置いた買い物袋。
「……約束」
声が掠れる。
ちゃんと帰ってきてね。
うん。
いつも通りのやり取りだった。
「……守れないかもしれない」
白光が蒼雷を押し潰していく。
最後にGVは、小さく呟いた。
「……ごめん、シアン」
白い光が全てを呑み込んだ。
◇
光が消えた。
すぐには、誰も何も言わなかった。
最初に戻ってきたのは金属音だった。
硬い床を何かが転がる。
一度。
二度。
そして止まる。
GVの銃だった。
蒼い雷はない。
GVの声もない。
『GV?』
モニカが呼ぶ。
返事はない。
『GV、聞こえる?』
通信回線そのものは生きている。
ノイズも入っている。
それでも声がない。
『返事して』
操作音。
『生命反応を――』
途中でモニカが止まる。
『……待って』
もう一度。
さらに別の計測。
『違う、これじゃなくて……』
『モニカ』
アシモフが低く呼ぶ。
『再確認しろ』
『してる』
『別系統もだ』
『使ってる!』
モニカの声が初めて乱れた。
『全部使ってる!』
ジーノが口を開く。
『……おい』
返事はない。
『GV』
いつもの軽さを出そうとしたのかもしれない。
『そういう冗談、今いいから』
返らない。
『おい』
声が少し掠れる。
『返事しろよ』
モニカの操作音が止まる。
長い沈黙。
『……反応が、ない』
ジーノが息を止める。
『何言ってんだよ』
モニカは答えられない。
『いや、もう一回やれよ』
『……』
『もう一回』
アシモフは静かだった。
『モニカ』
『はい』
『もう一度確認してくれ』
『……はい』
再び計測。
結果は変わらない。
アシモフが回線へ呼びかける。
『GV』
返らない。
『応答しろ』
何もない。
『……ガンヴォルト』
それでも返事はなかった。
イオタはゼロブレイドを解除した。
白い光が消える。
GVは動かない。
少し離れた場所に、先ほど助けられた兵士が立っている。
生きている。
イオタはその兵士を見る。
それからGVを見る。
「……これが」
声は低かった。
「貴様が選んだ結果か」
勝ち誇る色はどこにもなかった。
助けられた兵士も動かなかった。
やがて自分の手を見る。
「何故……」
GVに掴まれた手。
「何故、俺を助けた」
答える者はいない。
通信の向こうでは、アシモフが長く黙っていた。
そして最後に、小さく漏らした。
『……なぜ、君が』
◇
「これ、今日使っちゃった方がいいかな」
シアンが冷蔵庫から野菜を取り出す。
エリーゼ1が隣から覗き込んだ。
「たぶん、その方がいいと思います」
「じゃあこれ使おうか。お肉は……少ないなあ」
『GVが何か買ってくるんじゃない?』
モルフォが言う。
「ありそう」
シアンが笑った。
「お腹空いたまま店行くと、すぐ余計なの入れるから」
「GVさん、そうなんですか?」
「うん。前も予定になかったの買ってきたよ」
『安かったからってね』
「そうそう」
エリーゼ1が小さく笑う。
やがて人格が切り替わった。
エリーゼ3が時計を見る。
「遅いわね」
「まだそんな時間じゃないよ」
「買い物にも行くんでしょうが」
『心配してる?』
「違う!」
すぐにモルフォを睨む。
「夕飯が遅くなるのが嫌なだけよ」
「はいはい」
「何よその返事」
シアンが笑いながら冷蔵庫を閉じる。
エリーゼ3はもう一度時計を見た。
「どうせまた余計なお節介でも焼いてるんじゃない?」
「ありそう」
シアンも苦笑する。
「GVだし」
それで終わった。
誰も深刻に考えない。
いつものことだった。
少し遅くなって。
余計なことをして。
それでも帰ってくる。
端末が鳴った。
「あ、モニカさん」
シアンが何気なく取る。
「もしもし?」
返事がない。
「……モニカさん?」
『シアン』
いつもと声が違った。
その瞬間だけで、何かがおかしいと分かった。
「どうしたの?」
『エリーゼもいる?』
エリーゼ3が振り向く。
「いるけど。何よ」
モニカがすぐに言葉を続けない。
『GVが……イオタと戦ったの』
シアンの顔から少しずつ笑みが消える。
「怪我した?」
『通信はまだ繋がってる』
「え?」
『でも、GVが返事をしない』
シアンは数秒黙った。
それから、小さく首を傾げる。
「通信機が壊れただけじゃないの?」
『……』
「ほら、返事できないだけとか。どこかに挟まってるとか」
『シアン』
「通信繋がってるんでしょ?」
『うん』
「じゃあ、声が届いてないだけじゃない?」
モニカが黙る。
シアンの声が少しずつ弱くなる。
「ねえ」
『……生体反応が』
そこで一度止まった。
『確認できないの』
エリーゼ3が端末へ近づく。
「どういう意味よ」
『……』
「もっと調べなさいよ」
モニカが返せない。
「一個反応が出ないくらいで何言ってんのよ! 他の機械使えばいいでしょうが!」
『調べてる!』
モニカの声が弾けた。
エリーゼ3が止まる。
『ずっと調べてる! 何回もやってる! 回線も、生命反応も、全部確認してる!』
息が乱れている。
『でも……ないの』
エリーゼ3が何も言えなくなる。
その表情が変わった。
エリーゼ1が表へ出る。
「GVさん……?」
両手を胸元へ寄せる。
「そんな……でも、さっき……」
シアンはまだ動いていなかった。
端末を握ったまま、ただ立っている。
「さっき出ていったばっかりだよ」
『……』
「帰ってくるって言ったよ」
モニカは何も言わない。
「ねえ」
『うん』
「GVの通信、まだ繋がってる?」
『繋がってる』
「わたしにも繋いで」
『シアン』
「お願い」
少しして、回線が切り替わった。
ノイズ。
遠くの機械音。
人が動く音。
それだけ。
「……GV?」
返事はない。
「GV」
もう少し強く呼ぶ。
「ねえ、聞こえてる?」
何もない。
エリーゼ1が端末へ顔を寄せる。
「GVさん……?」
返らない。
また人格が変わった。
エリーゼ3が声を上げる。
「GV!」
回線は沈黙したまま。
「返事しなさいよ!」
声がどんどん強くなる。
「人に心配かけるなって言ったでしょうが! 聞こえてるなら何か言いなさいよ!」
返事はない。
「GV!」
もう一度呼んだところで、エリーゼの目が変わった。
エリーゼ2。
しばらく何も言わず、通信の音だけを聞いている。
「……声、ない」
シアンの肩が僅かに震える。
エリーゼ2は首を傾げた。
「……GV、いない?」
「やめて」
シアンが小さく言った。
「それ、言わないで」
エリーゼ2は黙った。
モルフォも何も言わない。
いつもならシアンより一歩前に出る彼女も、今はただ傍に浮かび、シアンを見ていた。
シアンは端末を握ったまま玄関を見た。
そこに買い物袋がある。
数時間前から、一歩も動いていない。
GVが持っていくはずだった。
二人で店へ行って。
何を買うか考えて。
帰ってきて。
夕飯を作るはずだった。
「買い物……」
シアンの声が掠れる。
財布がないと言った。
テーブルにあると教えた。
また何か拾って帰ってくるかもしれないと笑った。
エリーゼに何か買ってくるか聞いた。
そして。
ちゃんと帰ってきてね。
うん。
たったそれだけ。
大げさな約束でも何でもなかった。
「行くって」
回線の向こうは静かだった。
「約束したじゃん」
返事はなかった。
フェザーでは、モニカが何度も同じ数値を確認していた。
ジーノはもう何も茶化さなかった。
アシモフはほとんど口を開かなかった。
戦場では、イオタが動かないGVを見ていた。
救われた兵士は、自分の命と引き換えに失われたものを理解できないまま立ち尽くしていた。
そして家では、まだ皆がGVの帰宅を待っている。
戦場には、もう蒼い雷はなかった。
ただ白い残光だけが、瞼の裏に焼き付いていた。
次回 第十七話「輪廻」
次回も、グッドラック