『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
朝の食卓の端には、GVのミニ四駆が一台置きっぱなしになっていた。昨夜、帰宅してから少しだけセッティングを変え、そのまま片づけるのを忘れたらしい。工具や部品を使った後はきっちり元の位置へ戻すGVにしては珍しいことだったが、それだけ昨日は遊び疲れたのだろう。
先に起きていたシアンは、それを見つけるなり手に取った。寝室から出てきたGVが、その姿を見て「あ」と声を漏らす。
「これ、昨日からここにあるよ」
「片づけるの忘れてた」
「珍しいね」
「昨日は帰ってからちょっとだけ弄って、そのまま眠くなったから」
その返事を聞いた途端、シアンの手が止まった。GVは冷蔵庫へ向かいながら首を傾げる。
「何?」
「眠かったの?」
「うん」
「ちゃんと?」
GVが振り返り、わずかに眉を寄せた。
「眠いのに、ちゃんとも何もなくない?」
「夜中に起きなかった?」
「起きてないよ」
「夢は?」
そこまで聞かれて、GVはようやく何を確認されているのか察したらしい。少しだけ困ったように笑いながら、「覚えてない」と答えた。
シアンはそこでようやく小さく息を吐いた。
「そっか」
「そんなに見る?」
「見てない」
「今ずっと見てたよ」
「見てない」
「じゃあ気のせい?」
「そう」
「便利だなあ、それ」
それでもシアンの表情は明らかに緩んでいたので、GVもそれ以上は追及しなかった。
自分でも分かっている。少し前までなら、目を覚ましてリビングへ来たGVが真っ先に確認するものは大抵決まっていた。フェザーから届いた連絡、医療班から上がってくるストラトスの経過、新しい治療候補、次の任務に関する資料。何か見落としているものがあるのではないかと、自分を追い立てるように端末を開いていた。
今朝は違った。端末より先に気になったのは、シアンが自分のミニ四駆を勝手に持ち上げていることだった。
ストラトスのことを忘れたわけではないし、忘れていいとも思っていない。けれど昨日はアキュラとデイトナを相手に一日中ミニ四駆を走らせた。アキュラの容赦のない悪口に呆れ、デイトナのマシンが派手にコースから飛んだ時には腹を抱えて笑い、最後にはそのデイトナに負けたことが少し悔しくて、帰宅後に自分のマシンを弄った。
そして眠くなった。何かを考え続けて疲れ果てたのではなく、ただ遊び疲れて眠ったのだ。
シアンは手にしたマシンを裏返し、底面を覗き込んだ。
「どこ変えたの?」
GVも横から覗き込みながら答える。
「フロントだよ、最後のレースにジャンプの後でちょっと外へ膨らんでたでしょ。だからローラーの位置を少しだけ」
「負けたから?」
「負けたから」
「悔しかったんだ」
「勝負したなら勝ちたいよ」
シアンがにやりとする。
「アキュラみたい」
GVの眉が露骨に寄った。
「昨日もそれ言わなかった?」
「だって似てるんだもん」
「それ、本人には絶対言わないでよ」
「何で?」
「怒るから」
『それは見たいわね』
モルフォの声が重なり、GVはますます嫌そうな顔をした。
「モルフォまで」
『アンタとアキュラが二人して「似てない」ってムキになるところ、絶対面白いじゃない』
「僕はムキにならないよ」
「今なってる」
「なってない」
『なってる』
「二対一はずるくない?」
シアンが楽しそうに笑い、それから手元のマシンを眺めながら少し得意げに言った。
「まあ、わたしは二人に勝ったことあるけどね」
「……まだ言うの?」
GVが即座に反応した。
「言うよ」
「結構前の話じゃん」
「勝ったことは変わらないでしょ?」
「それはそうだけど」
「あの時のアキュラの顔、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「すごかったよね」
「しばらく何も喋らなかったね」
「GVも固まってた」
「僕は驚いただけ」
「負けたから?」
「違うって」
以前、アキュラが改良したミニ四駆を持って突然現れ、GVへ再戦を要求したことがあった。一度負けた程度で終わるつもりはなかったらしく、直線速度を大幅に引き上げたマシンを持ち込み半ば強引に勝負を始めた。
その時、本来はGVと出かける予定だったシアンまで参戦した、彼女も待っているだけなのは面白くないらしく、三台で走ることになった。
一番速かったのはアキュラだった。GVがその後ろを追い、シアンは三番手だった。速度だけを見れば二人には届かず、無理に同じ速さを出そうとすればコースアウトする可能性の方が高かった。
だからシアンは、無理に追わなかった。モーターを上げすぎず、飛ばないことを優先し、姿勢を崩さず最後までコースへ残ることを選んだ。
終盤、最難関のコーナーでアキュラのマシンが僅かに姿勢を乱し、その後ろにいたGVも避けるために速度を落とした。その瞬間に開いた内側を、安定したまま走り続けていたシアンのマシンが抜けた。
そのまま一着でゴールした時のことを、シアンは今でも鮮明に覚えていた。
「わたし、一番速くなかったんだよね」
「うん」
「でも勝った」
「うん」
「だから次はデイトナにも勝つ」
「そこに繋がるの?」
「繋がるよ」
シアンは指を一本ずつ立てた。
「GVでしょ。アキュラでしょ。デイトナ」
「うん」
「三人まとめて」
GVが苦笑する。
「昨日走ってないのに、もう勝つ気なんだ」
「昨日見たから」
「デイトナ速かったよ」
「飛びそうだけど」
「最後は飛ばなかった」
「じゃあもっとちゃんと見る」
GVは少し笑った。
「そういうところ、シアンらしいね」
「何が?」
「最初から相手と同じことしようとしないところ」
「だって、自分が出来ることで勝った方がいいでしょ」
「うん。それでいいと思う」
キッチンから小さな笑い声が聞こえた。振り返ると、今表に出ているエリーゼ1が朝食の皿を運びながらこちらを見ていた。
「何?」
シアンが尋ねると、エリーゼ1は少し慌てて首を振った。
「す、すみません。お二人とも楽しそうだなって」
「エリーゼも次やる?」
「わたしですか?」
「うん」
「でも、わたし……改造とか苦手で...」
「大丈夫、一回やったらムキになってやり込むからさ」
「...そういうものなんですか?」
「そういうもん」
「じゃあ一緒に作ろうよ、エリーゼ。」
シアンが言うと、エリーゼ1は少し驚き、それから小さく頷いた。
「分からないところはGVに聞けばいいし」
「GVさんにお任せしたほうが速くなるんじゃ...」
「全部は駄目。自分のマシンだから、分からないところは聞くけど、最後にどうするかは自分で決めるの」
即答したシアンを、GVは少し意外そうに見た。それから、どこか嬉しそうに笑う。
「何?」
「いや、自分で決めるの好きになったね」
シアンは一度目を丸くした。
「……悪い?」
「全然。いいと思う」
その声が穏やかだったので、シアンは少しだけ照れくさくなり、視線を逸らした。
その時、テーブルの上に置かれていたGVの通信端末が振動した。
シアンは反射的にGVを見る。ほんの一瞬だけ、GVの表情に最近まで何度も見た緊張が戻った。しかし、すぐに食事を置いて端末へ飛びつくようなことはせず、口の中のパンを飲み込んでから手に取る。
「モニカ」
通信を開いた。
「おはよう」
『おはよう、GV。朝から悪いんだけど、今日少しフェザーへ来てもらえる?』
「...任務ですか?」
問い返す声が僅かに速くなったが、モニカはすぐ否定した。
『違うわよ』
「…そっか」
『そんなに警戒しなくても大丈夫』
「顔見えてないでしょ」
『声で分かるもの』
「そんなに?」
『分かりやすいわよ、あなた』
横でシアンが小さく頷くと、GVはそれに気づいて眉を寄せた。
「今、シアンも頷いた」
『貴方がそれだけわかりやすいってことよ』
「味方がいない」
モニカは少し笑ってから本題へ戻った。
『以前の事件の報告書を作る時に足りない被害者データがあるの、実際にその人を見た貴方だからこそわかることもあるかもしれないから』
「通信じゃ駄目なんですか?」
『あまりログとして残したくない、個人的な情報なの。あまり時間は取らせないから』
GVは時計を確認した。
「分かった。行くよ」
『ありがとう、無理に急がなくていいからね』
「うん」
通信を切ると、シアンが尋ねた。
「フェザー?」
「資料を見るだけみたい」
「任務じゃない?」
「うん」
「どのくらい?」
「一時間もかからないって」
シアンは少し考えてから端末を手に取った。
「じゃあ帰ってきたら、どこか行かない?」
GVが顔を上げる。
「今日?」
「今日」
「どこ?」
「今から決める」
「決めてないのに誘ったの?」
「誘ってから決めてもいいでしょ」
「まあ、いいけど」
シアンは画面を開きながらGVを見る。
「嫌?」
「言ってないよ」
「じゃあ行く?」
GVはほとんど迷わなかった。
「行こう」
「ほんと?」
「うん、今日は予定それだけ。」
シアンの表情が明るくなる。
「じゃあ、場所はわたしが決めるね」
「任せるよ」
「後で違う店見つけて悩んでも知らないからね」
「それくらいはいいでしょ」
「やっぱり悩むじゃん」
「現地で見ないと分からないこともあるよ」
ムスッとしたシアンと向き合いながら、何が悪いのかよく分からないままGVは朝食を終えた。
玄関で靴を履いていると、シアンが後ろからついてくる。
「終わったら連絡してね」
「うん」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ごく普通の言葉だった。
以前のように「絶対帰る」とは言わない。一度、本当に帰れなかったGVは、その言葉を軽く使わなくなった。
GVはドアを開ける。
「そんなに遅くならないと思う」
「うん」
「行きたいところ決めといて」
「任せて」
「じゃあ」
「行ってらっしゃい、GV」
「行ってきます、シアン」
扉が閉じると、シアンは少しだけその扉を見つめた。
『顔』
「何」
『緩んでる』
「うるさい」
『二文字しか言ってないじゃない』
「意味は分かるもん」
『帰ってきたらデートね』
「デートじゃない!」
『二人で出かけるんでしょ?』
「そうだけど!」
『じゃあ何?』
「お出かけ!」
『言い換えただけじゃない』
「違うの!」
シアンは逃げるようにリビングへ戻り、ソファへ腰を下ろして地図を開いた。エリーゼ1はキッチンで食器を片づけている。
「どこにしようかな」
『服でも見れば?』
「それもいいかも」
『GVに選んでもらう?』
「嫌」
『速い』
「絶対無難なの選ぶもん」
『じゃあ連れていく意味ある?』
「あるよ。見てほしいから」
何も考えず答えた直後、シアンは自分の言ったことに気づき、端末で顔を隠した。
モルフォは数秒黙った後、呆れたような声を出す。
『……はいはい』
「何よ」
『何でもない』
「その言い方嫌」
食器を拭いていたエリーゼ1が小さく笑った。
「エリーゼ!」
「す、すみません」
「聞いてた?」
「聞こえてしまって……」
「忘れて」
「努力します...ぷぷ」
「なんで笑うの!?あと努力じゃなくて絶対!」
エリーゼ1がさらに困った顔になり、シアン自身もおかしく思って笑ってしまった。
少しして、シアンは端末へ目を戻した。
「でもさ、最近ちょっと安心した」
「GVさんのことですか?」
「うん。昨日も楽しそうだったし」
「そうですね」
「ストラトスさんのことが解決したわけじゃないし、GVも忘れてないと思う。でも、ずっとそれだけ考えてる顔じゃなくなった」
エリーゼ1は柔らかく頷いた。
「よかったです」
「うん。ミニ四駆ってすごいね」
『そこに着地する?』
「だってアキュラとデイトナが喧嘩してるだけでGV笑ってたし」
『あれは誰でも笑うと思うわ』
「それもそうか」
何も特別ではない、穏やかな朝だった。昨日の続きとして、今日の午後をどう過ごそうか考えるだけの時間だった。
だからこそ、最初の異変はあまりにも唐突だった。
部屋の空気が微かに揺れ、シアンが顔を上げる。
「……何?」
エリーゼ1も振り返った。
「今、何か……」
リビングの一角で、何もないはずの景色が歪んでいた。熱による陽炎とも、風による揺らぎとも違う。そこだけ空間そのものが折れ曲がったように見える。
『シアン!』
モルフォの声が鋭くなり、シアンが立ち上がる。エリーゼ1の肩も強張った。
「エリーゼ、後ろに――」
言い終わる前に、エリーゼが胸元へ手を当てて俯いた。呼吸が変わり、再び顔を上げた時には、先ほどまでの柔らかな目つきは消えていた。
「……アタシが出る」
声も立ち方も明確に変わっている。表に出たのはエリーゼ3だった。
「シアン、後ろにいなさい」
「でも」
「いいから!」
その瞬間、空間の歪みが大きく開いた。向こう側に別の場所が覗き、機械音と共に奇妙な椅子型武装がこちらへ滑り込んでくる。
そこに座っていたのは、小柄な少年だった。
GVよりも幼く見え、シアンとほとんど変わらない年頃にさえ見える。しかし、突然知らない家へ侵入してきた人間とは思えないほど、全身から緊張感が抜けていた。
少年は部屋を一度見回した。
「あー……おジャマしまーす……っと」
エリーゼ3がシアンの前へ出る。
「誰よ、アンタ」
少年はちらりと彼女を見る。
「そっちはいいよ」
「何ですって?」
「用ないし」
「勝手に入ってきてそれ?」
「あー……そういうのいいから」
「よくないわよ!」
シアンがエリーゼ3の後ろから少年を見る。
「誰?」
「ボク?」
「他に誰がいるの」
「メラク」
少年は気のない調子で答え、少し考えてから付け足した。
「皇神の人」
シアンの表情が強張り、モルフォの声も低くなる。
『やっぱり』
メラクは浮かんでいるモルフォへ目を向けた。
「へえ。それが電子の謡精?」
シアンの目が細くなる。
「……何の用?」
「迎え」
「誰を?」
メラクはシアンを指した。
「キミ」
「いやです」
即答だった。
メラクが僅かに目を瞬く。
「あー……やっぱそうなる?」
「当たり前です」
「メンドいなぁ……」
本当に嫌そうだったが、怒っているわけではない。脅そうとしているわけでもなく、単に作業工程が一つ増えたことを面倒がっているようにしか見えなかった。
「上から連れてこいって言われてるんだよね」
「誰にですか」
「上」
「何のために」
「知らない」
「...嘘は良くないと思います」
「ホント。そこまで聞くのもメンドいし」
「人を連れていく理由なのに?」
「ボクの仕事、連れてくとこまでだから」
シアンの拳が握られる。
「わたしは物じゃない、それを受け入れるかどうかを決めるのは私です。」
「そういうのめんどいからさ、さっさと捕まってくれないかな?」
メラクは不思議そうにそう答えた後、何の悪気もなく続けた。
「電子の謡精」
その言葉を聞いた瞬間、シアンの身体の奥が冷えた。
皇神にいた頃、自分を説明する言葉はいつも能力から始まった。歌、電子の謡精、利用価値。そこに「シアン」という一人の人間は必要とされていなかった。
「……その呼び方、嫌」
「どれ?」
「能力でわたしを説明するの」
「でも、そうなんでしょ?」
「そういう問題じゃない」
「あー……その話、長くなる?」
「アンタね……!」
エリーゼ3が一歩前へ出る。
メラクはそちらを見ることすら面倒そうだった。
「だからキミには用ないって」
「こっちにはあるのよ!」
エリーゼ3が踏み込む。拳がメラクへ向かったが、その直前に小さな亜空孔が開いた。
拳が穴へ消え、同時にエリーゼ3の真横に開いた別の穴から、彼女自身の拳が飛び出す。
「なっ――!」
エリーゼ3は身体を捻ってかわし、一歩退いた。
メラクは椅子から動いていない。
「はいはい……危ないからやめた方がいいよ」
「誰のせいよ!」
その間にシアンは玄関を見る。エリーゼ3も意図を察した。
「シアン、行って!」
「うん!」
シアンが走り出す。しかし扉まであと数歩というところで、正面に新たな亜空孔が開いた。
急停止したシアンの目に飛び込んできたのは、穴の向こうに見える同じリビングと、自分自身の背中だった。
「……!」
「追いかけっことか疲れるからやめようよ」
メラクの声に、シアンは振り返る。
「なら帰れば?」
「それだとボクがまた来ないといけないじゃん」
「来なくていい」
「仕事終わらないし」
「全部面倒なんだ」
「うん。出来れば帰って寝たい」
『筋金入りね』
モルフォが呆れたように言う。
メラクの視線がモルフォへ向いた。
「あ、それさ。ホントに別で喋るんだ」
「……だから?」
「別に」
そう答えながらも、目だけは先ほどまでより少し鋭くなっていた。
「上が欲しがる理由、ちょっと分かったかも」
シアンの顔から笑みが消える。
「欲しがる?」
「電子の謡精。便利なんでしょ、その能力」
「わたしは便利な道具じゃない」
「だけど世界が欲してるのは君の能力だ」
メラクは本当に何が問題なのか理解していないようだった。
その無関心さが、悪意よりもずっと皇神らしく感じられた。
「...最低ね、レディに向かって」
「ボクに言われても困るよ」
メラクが目を逸らした隙に、シアンはモルフォへ意識を向ける。
長く一緒にいる二人の間では、声に出さなくても意図は伝わった。
『分かってる』
微弱な信号が外へ向かう。フェザーでもGVでもいい。何かが起きたと、それだけでも伝わればよかった。
しかし、送信を始めてほんの一瞬でメラクが顔を上げた。
「あ。それダメ」
複数の亜空孔が室内に開く。
今度は人間の前ではない。通信中継設備や信号経路の周囲へ穴が作られ、モルフォの輪郭が大きく乱れた。
『っ……!』
「モルフォ!」
『大丈夫……! 消されたわけじゃない……!』
「あのふぇざー?ってやつに通信した?」
メラクが尋ねる。
シアンは睨み返した。
「だったら?」
「やめてよね...追ってくる人でるじゃん」
「この勝負、ワタシの勝ちよ...メラク」
「はぁ?何言ってるの君、大人しくして...」
「GVが来るんだもん」
シアンは即答した。
「絶対来る」
メラクが少し首を傾げる。
「ガンヴォルト?」
「そう」
「ああ……蒼き雷霆」
「GVはGV」
「どっちでもいいけど」
「よくない」
「……また面倒なの増えた」
「GVは来てくれるし、そして貴方に勝って何事もなかったように買い物をする。」
シアンは言い切った、そこに疑いはなかった。GVならきっと来る。
けれど、そこまで考えた時、シアンは胸の奥に小さな違和感を覚えた。
GVが来る。GVが助ける。だから自分は待つ。
それだけでは違う。
不意に、以前のミニ四駆のコースが頭に浮かんだ。
一番速かったのはアキュラで、GVも自分より速かった。それでも、シアンは無理に二人と同じ速度を出そうとはしなかった。
飛べば終わる。焦って無理をすれば最後まで残れない。
だから見た。走った。待った。
最後に空いた場所を抜いた。
「……そうだ」
メラクが目を向ける。
「何?」
シアンは答えず、モルフォへ話しかけた。
「ねえ、モルフォ。今すぐコイツから逃げるの、出来る?」
『正直、厳しいわね』
「だよね」
「何の相談?」
「内緒」
「別に知りたくないけど」
「聞いたじゃん」
「あー……そうだった」
シアンは一度大きく息を吸い、震えそうになる手を握った。
怖い。皇神に連れていかれることを、身体そのものが覚えている。
それでも、焦って一番速い相手へ無理に合わせたら、コースから飛ぶ。
「分かった」
『何が?』
「今は見る」
シアンは部屋を見回し、それからメラクと亜空孔へ目を向ける。
「わたしに出来ることを探す」
「GVは来る。でも、それまでわたしにも出来ることをする。」
メラクの眉が少し寄る。
「何の話?」
シアンは少しだけ笑った。
「面倒なんでしょ?さっさと仕事を終わらせたほうがいいんじゃない?」
沈黙の後、モルフォの脳内にシアンの考えた事が伝わる。その破天荒極まる作戦に一言告げた。
『それいいわね』
メラクはシアンを数秒見た。
「……なんかヤだなぁ」
「お互い様」
「じゃあ、もういい?」
「何が?」
「帰るの」
「よくない」
「ボクはいいんだけど」
大きな亜空孔がシアンの背後に開く。
エリーゼ3が即座に踏み込んだ。
「シアン!」
シアンへ手を伸ばす。しかし、メラクの視線が動いた瞬間、エリーゼ3の足元へ穴が開き、進行方向が強引にずらされた。
「っ!」
それでも止まらずに床を蹴り、もう一度シアンへ手を伸ばす。
シアンも手を伸ばした。
指が触れ、しっかりと掴む。
「耐えれる?」
「当たり前でしょ!」
エリーゼ3が引き、シアンも踏ん張る。
メラクが露骨に顔をしかめた。
「だるいなぁ……」
次の瞬間、二人の腕の間にもう一つ亜空孔が開いた。
空間そのものが別方向へ繋がり、握っていたはずの手が強制的に離される。
「シアン!」
エリーゼ3の声が響く。
シアンの身体は穴の向こうへ引かれていった。
逃げられない。
ならば、見る。
『シアン! 向こう!』
モルフォも意図を理解していた。
一瞬だけ見える転移先の灰色の壁、識別灯、通信コード、設備系統、気圧情報。拾えるものは全部拾う。
「モルフォ!」
『やってる!』
「全部!」
『無茶言わないで!』
「お願い!」
『もうやってるってば!』
皇神の内部識別信号、施設通信、転移先の環境情報、そして亜空孔そのものの残滓が、僅かな時間の中で拾い集められていく。
シアンは最後にエリーゼを見た。
GVへの伝言を一瞬だけ考えたが、それはやめた。
「エリーゼ!」
「何!」
「無茶しないで!」
それだけを残し、次の瞬間には視界が完全に切り替わった。
シアンが消え、続いてメラクの椅子も亜空孔へ沈む。
「待ちなさい!」
エリーゼ3が走ったが、もう遅かった。
穴が閉じる。
つい数秒前までシアンがいたリビングに、静寂だけが戻った。
エリーゼ3は伸ばした手を下ろせないまま、その場に立っていた。
「……クソッ」
掴んだ。
それなのに、離された。
「クソ……!」
強く拳を握った瞬間、怒りの奥から別の感情が一気に押し寄せた。
身体から力が抜ける。
「……シアン、さん……」
声が変わった。
表へ戻ったエリーゼ1は、自分の手のひらを見つめる。少し前まで、そこにはシアンの手があった。
「ごめんなさい……」
自然に言葉が漏れた。
けれど、今は泣いている場合ではない。
エリーゼ1は自分で顔を上げる。
「……連絡しないと」
震える手で端末を取った。
フェザーへ。
GVへ。
その頃、GVはモニカの隣で回収済みの被害者資料を見ていた。
「ここ。この瞬間だけ数値が落ちてるのは、設備の干渉じゃないよ」
「どうして?」
GVが画面上の位置を指す。
「この辺に警備員がいたから」
「皇神の兵士?」
「そう」
「それで?」
GVは不思議そうにモニカを見る。
「巻き込みたくなかったから」
モニカは数秒GVを見て、それから笑った。
「……あなたらしいわね」
「何、その言い方」
「そのままの意味よ」
「褒めてる?」
「ええ。たぶん」
「たぶんなんだ」
モニカが数値を修正すると、記録が一致した。
「これでOK。助かったわ」
「じゃあ帰るね」
GVはすぐ立ち上がった。
「早いわね」
「シアンと出かけるから」
言ってから少し気恥ずかしくなったらしく、端末をしまいながら目を逸らす。
モニカが口元を上げる。
「へえ」
「何?」
「何でもないわ」
「最近そればっかり使うのずるいねモニカ」
「便利なのよ」
「便利に使わないでよ」
「...楽しんできなさい」
「...うん」
GVが扉へ向かう。
モニカはその背中を見ていた。
少し前より明らかに軽くなっている。
よかった。
そう思った直後、鋭い警告音が作戦室に鳴った。
モニカの表情が変わり、GVも足を止める。
「何?」
「待って」
モニカはすぐ操作卓へ向かった。
通信異常。
発信元はGVの居住区。
「家?」
「今確認してる」
「モニカ」
「待って!」
回線が繋がった。
激しいノイズの奥から弱い声が聞こえる。
『……モニカ……さん……』
「エリーゼ?」
GVがすぐ戻る。
『シアン……さんが……』
そこで通信が切れた、そしてGVの顔から表情が消えた。
「帰る」
「GV!」
「通信繋いで!」
「まだ何があったか――」
「家に帰る!」
強い声を残し、GVは作戦室を飛び出した。
モニカは止められないと判断し、すぐ別回線を開く。
『GV、聞こえる?』
「聞こえる」
もう走っている。
『エリーゼちゃんの連絡先に電話をして詳細を確認したわ』
「シアンは?」
『まだ分からない』
「モニカ」
『...分からないものは分からないわ、怒りに呑まれて冷静さを失ってはいけないのは、わかるでしょう?』
「...わかりました」
モニカも一度息を吐き、声を落とす。
『……ごめんなさい。でも今は適当なことを言いたくないの』
「……うん」
数秒後、再び回線が繋がった。
『GVさん……』
エリーゼ1の声だった。
GVの足が僅かに鈍る。
「シアンは?」
沈黙。
それだけで分かった。
「エリーゼ」
『連れて……いかれました』
街の音が遠くなる。
「誰に」
『皇神の……メラクって……』
「シアンは?」
『抵抗してました。でも……』
「怪我は?」
『分かりません』
「どこに?」
『分かりません……』
GVはそれ以上聞けなかった。
ただ速度だけが上がる。
『GV!』
「聞こえてる」
『道路よ!』
「分かってる」
目の前の信号は赤だった。
誰もいなければ、そのまま越えていたかもしれない。
けれど、横断歩道では小さな子供が母親と手を繋いで歩いていた。
GVは止まった。
拳を握り、長く感じる数秒を耐える。
子供がこちらを見る。
GVは笑わなかったが、急かしもしない。
親子が渡り終わり、信号が青へ変わった瞬間に再び走り出した。
自宅へ辿り着き、扉を開く。
「シアン!」
返事はなかった。
リビングにいるのはエリーゼだけで、今は1が表に出ている。
シアンはいない。
GVの表情から、何かが落ちたように消えた。
「……どこ」
「GVさん……」
「シアンは...どこに?」
怒鳴ってはいない。
声も震えていない。
だからこそ、エリーゼ1には余計に怖く聞こえた。
「突然、空間に穴みたいなものが開いて……」
「メラク?」
「はい」
「どんな奴?」
「小さい……男の子で。GVさんより少し年下くらいの……椅子みたいな機械に」
「能力は?」
エリーゼ1の言葉が止まる。
自分は途中から、ほとんど3へ任せていた。
一度目を閉じ、呼吸を整える。
次に目を開いた時、表に出ていたのはエリーゼ3だった。
「アタシが話す」
GVが向き直る。
「空間に穴を開ける。向こうとこっちを繋げてるみたいだった」
「攻撃も?」
「アタシが殴ったら、拳を別のところから出された」
「シアンもそれで?」
エリーゼ3は、下唇をかみながら苦い顔で語る。
「...連れていかれた」
「怪我は?」
「分からない」
「何かされた?」
「...分からないの、気づいたら自分の拳やシアンが色んな場所に出たり消えたりして...」
エリーゼ3の喉から無理やり吐き出す言葉を、GVは何も言わず受け止める。
数秒して、エリーゼはか細い声で言った。
「……ごめん」
反論も怒りもない。
ただ焦って、聞けるものを全部聞こうとしている。
「メラクは何て?」
「上から連れてこいって言われたって」
「上?」
「それ以上は知らないって」
「目的は?」
「電子の謡精がどうとか」
GVの目が変わった。
足元で小さな雷が弾ける。
「……第七波動」
「多分」
エリーゼ3は続ける。
「シアンは最後まで嫌がってた」
「……」
「アンタが来るって言ってた」
GVの瞳が僅かに揺れた。
「でも、待ってるだけじゃないって、自分でも何かするって言ってた」
数秒して、GVの呼吸が少しだけ戻る。
「……そっか」
そうだ。
今のシアンは、ただ助けを待っているだけではない。
自分で選び、自分で考える。
以前ミニ四駆で自分とアキュラを相手にした時も、速度で勝てないからと同じ走り方を選ばなかった。
自分で勝つ方法を選んだ。
「……シアンなら、何かしてる」
エリーゼ3は何も言わなかったが、小さく頷いた。
GVは端末を取る。
「モニカ」
『聞いてるわ』
「メラクの情報」
『今送る』
画面に情報が表示される。
十三歳。
皇神所属。
第七波動は亜空孔。
戦闘部隊で指揮を担うほど状況判断が速く、椅子型の専用武装を使用する。
「十三……」
自分より一つ下。
GVはすぐ尋ねる。
「居場所は?」
『まだ分からない』
「探してほしい」
『もうやってる』
「どのくらい?」
『分からない』
「モニカ」
『GV』
モニカの声は、今度ははっきりしていた。
『分からないものは分からないわ』
GVが黙る。
『でも、シアンが何か残してくれてる』
「……何?」
『さっきのノイズの中に、この住宅設備じゃ出るはずのない信号が混ざってる。皇神系の識別コードと、空間干渉の痕跡』
GVが画面へ近づく。
「シアンが?」
『たぶんモルフォと一緒に、転移する瞬間に拾ったのよ』
「場所分かる?」
『まだ。データが壊れてる』
「僕もやる」
『何を?』
「解析」
『出来る? 私より早く?』
GVは答えられなかった。
「……出来ない」
『なら任せて』
「でも」
『出来ることと、出来ないことを分けて。前にも言ったでしょう』
GVはシアンがいた場所を見る。
「僕、今何すればいい?」
モニカはすぐには答えなかった。
それから、静かに言う。
『待って』
一番嫌な言葉だった。
何も出来ない時間を過ごさなければならない。
それでも、今はそれしかない。
「……分かった」
通信が切れる。
GVは立ったまま動かなかった、右手は血が吹き出しそうになるほど強く握っている拳。
エリーゼ3が横から見る。
「...アンタ、その顔やめなさい」
「どんな顔?」
「知らない。自分で鏡見なさいよ」
「……今はいい」
「そう」
テーブルの端には、昨日から置かれていたGVのマシンがある。
棚には、以前GVとアキュラを最後に抜いたシアンのミニ四駆がケースへ収められていた。
GVはそれを見る。
「……僕が家にいれば」
「やめなさい」
エリーゼ3が即座に遮った。
「でも」
「アンタがいたら絶対防げたの?」
「……分からない」
「じゃあ勝手に決めるな」
「……うん」
あまりにも素直に引いたので、エリーゼ3は逆に眉を寄せた。
今のGVは、怒られることすら全部自分を責める材料に変えてしまいそうだった。
「……ったく。シアンも言ってたでしょ」
「何を」
「無茶するなって。アタシたちにだけど」
「……そっか」
「だからアンタも、勝手に壊れるんじゃないわよ」
GVは少し目を伏せた。
「……善処する」
「そういうところアシモフに似てきたわね」
「それ褒めてる?」
「褒めてない」
ほんの少しだけGVの口元が動いたが、すぐまた端末へ視線が戻った。
待つ。
それしか出来ない。
夕方、フェザーが皇神管理区域に近い物流街で空間異常を検出した。
亜空孔と断定は出来ないが、特徴は酷似している。
「行く」
GVは即座に立ち上がった。
『待って。ジーノも向かわせる』
「僕が先に行く」
『GV』
「後から来てもらえば――」
『一人で行かないで』
GVの手が止まる。
数日前、モニカやジーノから何度も言われた。
出来ることと平気であることは違う。
強いからといって、全部一人でやる必要はない。
「……分かった」
『本当に?』
「先には行く。でも通信は切らないし、ジーノも待つ」
『……それなら』
「行ってくる」
GVは家を飛び出した。
物流地区へ入ると、人通りが急に少なくなった。
皇神の警備車両が前方に見え、兵士たちがGVを発見する。
「止まれ!」
GVは止まらない。
「退いて」
「侵入者だ!」
武器を向けられた瞬間、GVの目が細くなった。
「……退いてって言った」
蒼い雷が走る。
一瞬で武装だけを機能停止させ、兵士たちを戦闘不能にする。
追撃はしない。
普段なら相手を確認し、何か一言くらい言ったかもしれない。
今日は足を止めなかった。
「待て!」
背中へ声が飛ぶ。
GVは振り返らない。
『GV』
「何?」
『全員無事よ。出力も問題ない』
「分かってる」
返事は短かった。
モニカもそれ以上は言わなかった。
反応地点まであと二百メートル。
その時、横の物流倉庫から大きな金属音がした。
GVは反射的に振り向く。
大型シャッターが故障し、斜めに傾いたまま止まっている。その下では、一人の作業員が機材との間に取り残されていた。
「誰か!」
「制御が効かない!」
GVは一度前を見る。
空間反応は近い。
メラク。
その向こうにはシアンへ繋がる手掛かりがあるかもしれない。
足が一歩前へ出る。
背後から声が響いた。
「挟まれるぞ!」
GVの眉間に深く皺が寄る。
「……こんな時に」
吐き出すように呟いた。
苛立っているのは作業員にではない。
こんな時にまで選ばせてくる状況そのものに。
それでも身体は勝手に反対方向へ向いていた。
「下がって!」
作業員たちが振り返る。
「き、君は」
「話は後!」
GVがシャッターへ駆け寄る。
「中は一人?」
「ああ!」
「怪我は?」
「足を挟んだみたいで!」
「分かった」
制御部を確認する。
ロック部分を狙い、最小限の範囲を指定。必要な場所だけに雷を流す。
「動かないで!」
取り残された作業員へ声を掛ける。
「今上げるから!」
シャッターが数十センチ持ち上がる。
「今!」
周囲の作業員たちが仲間を引き出し、GVも肩を支えた。
「立てる?」
「何とか……」
「病院行って」
「待って、君は――」
GVはもう離れ始めていた。
一度だけ振り返る。
「ごめん。急いでるんだ」
そのまま走り出す。
通信の向こうでモニカが呼んだ。
『GV』
「何」
『……何でもない』
「何?」
少し間があった。
『やっぱり、あなたね』
GVの表情が少し歪んだ。
「今それ言う?モニカ」
『今だからよ』
「……そっか」
走りながら息を吐く。
「お節介なの治らないみたい」
『治す必要あるかしら?』
GVはすぐには答えなかった。
「……分かんない」
それでも、走り方が少しだけ戻った。
人助けをしたから安心したわけではない。シアンへの焦りも何一つ消えていない。
ただ、目の前にいる人間を再び見ることが出来た。
それだけだった。
反応地点へ到着する。
広い搬送路には誰もいない。
「モニカ」
『そこよ』
「...見えない、隠れているのか」
周囲を探していると、真正面の空間が歪んだ。
GVの目が鋭くなる。
亜空孔。
そこから椅子型の武装と、小柄な少年がゆっくり姿を現す。
「あぁー……」
メラクはGVを見るなり肩を落とした。
「やっぱ来ちゃったかぁ」
GVが一歩進む。
「お前がメラク?」
「そう」
「シアンは」
「もうここにはいないよ」
「どこ」
「いきなり?」
「言えよ...どこにいるかって」
メラクが少し目を細める。
「ボクたち初対面なんだけど」
「知ってる」
「じゃあ、もうちょっと――」
「メラク」
GVは遮った。
「シアンはどこ」
数秒、メラクはGVを見た。
「……こわ」
GVはダートを構える。
「答えろよ」
「ヤだ」
「……そう」
撃つ。
直後、メラクの前に亜空孔が開き、ダートが飲み込まれる。
同時にGVの背後で別の穴が開き、自分が撃った弾が飛び出した。
GVは身を捻って避ける。
「短気だね」
「お前が答えないからでしょ」
「もうちょっと普通に喋れば?」
「シアンの場所言うなら」
「言わない」
「じゃあ無理」
「はぁ……こういうタイプかぁ」
メラクは心底面倒そうに息を吐き、椅子の武装を展開した。
伸びてきたアームをGVが横へ避け、そのまま一気に距離を詰める。
真正面に亜空孔。
飛び込んだ瞬間に視界が切り替わった。
次に足が地面へ着いた時には、メラクから大きく離れた場所へ戻されていた。
「まっすぐ来るなら、違うところに出せばいいだけだよ」
GVがメラクを見る。
「...君、シアンに何した」
「別に」
「怪我させたのか」
「知らない」
「...知らない、だって?」
雷が僅かに強くなる。
「ボク、連れてっただけだし」
「どこにだ」
「まだそれ?」
「答えるまで聞く」
「じゃあ平行線だね、この話は」
GVが再び走る。
右に穴。
左へ避ける。
そこにも穴。
跳べば着地点にも穴が生まれる。
最短距離を選ぶたび、その先を塞がれる。
『GV!』
「聞こえてる!」
『追いすぎよ!』
「でも!」
『誘導されてる!』
GVの脚が止まった。
メラクが少しだけ笑う。
「オペレーターは冷静だね」
『聞こえてるわよ』
「あ、そう」
『GV! 相手はあなたが何をしたいか分かっているわ!今のままじゃどれだけ出力はこちらが上でも対策されるの!』
GVが息を呑む。
気づいていなかった。
普段ならもっと相手を見る。
呼吸や視線、癖、何を考え、何を嫌がっているのか。
今はメラクを力任せに突破しようとしてしまい、寧ろ罠にかかっていることをモニカの声でようやく理解できた。
GVは一度目を閉じ、深く息を吸ってから吐いた。
目を開く。
メラクが首を傾げる。
「あれ?」
「何」
「止まれるんだ」
「悪い?」
「そのまま来た方が楽だった」
「……そう」
GVは構えを変えた。
追わない。
待つ。
メラクが僅かに目を細め、射撃する。
GVは避けるが前へは出ない。
二発目もかわす。
次に亜空孔が開こうとした時、GVは穴そのものではなく、形成される直前の僅かな空間の歪みを見た。
「そこ」
雷撃。
穴の完成する角度をずらし、そのままメラクの椅子の側面を掠める。
火花が飛ぶ。
「……へえ」
メラクが初めて少し身体を起こした。
GVはその変化を見逃さなかった。
「やっと見たね」
「何を?」
「僕を」
一瞬、沈黙が落ちる。
この少年は何も考えていないわけではない。
むしろ逆だった。
考えるのが速い。
無駄を嫌い、必要なものだけを最短で処理する。
それ以外を全部「面倒」で切っている。
「もう一回聞く」
「あー……まだ?」
「シアンはどこ」
「言わない」
「何で連れてった」
「仕事だからね」
「誰の命令」
「言う理由がないね」
「シアンをどうする」
「それをボクにきかれてもね」
GVの眉が寄る。
「またそれ?」
「そこまでボクの仕事じゃないし」
「人を攫って?」
「連れてけって言われただけ」
「その後は?」
「知らないよ、そこまで考えるのメンドい」
GVは言葉を失った。
腹は立つけれど、目の前の少年は本気でそう思っている。
「ああ、でも」
メラクが何かを思い出したように続けた。
「すぐどうこうはしないんじゃない?」
GVの目が動く。
「どういう意味」
「上が欲しいの、電子の謡精でしょ?」
雷鳴。
メラクが僅かに目を見開いた。
GVの周囲を蒼い雷が走っている。
「……欲しい?」
「能力が」
「シアンは物じゃない」
「知ってるって」
「知らない」
GVの声が低くなる。
「知ってたら、そんな言い方しない」
メラクは首を傾げる。
「何でそんな怒るの?」
「……」
「ボク、シアンちゃんって呼んだよ?」
「そういう話じゃない!」
GVの声が初めて荒れた。
メラクが僅かに身体を起こす。
「能力があるから、使えるから、価値があるから。だから欲しい?」
GVは拳を握った。
「ふざけるな」
皇神。
閉じた部屋。
歌。
利用。
シアンを一人の人間ではなく、電子の謡精として扱っていた過去。
GVがずっと嫌ってきたもの。
「シアンは、シアンだ」
メラクは数秒考えた。
そして、本当に分からないという顔で言った。
「……一人連れてきただけじゃん」
GVが止まる。
「……一人?」
「そうでしょ。そんな大騒ぎする?」
GVはゆっくり顔を上げた。
「シアンは一人しかいない」
一歩進む。
「電子の謡精とか、仕事とか、使えるとか」
ダートを向ける。
「僕には関係ない」
メラクの前に亜空孔が開く。
「返して」
「だからここには――」
「シアンを返せ」
発射。
今度のGVはメラクだけを追わない。
穴の位置、出口、指先、視線。
次にどこへ繋ぐのかを見る。
ダートが亜空孔へ吸い込まれ、背後に出口が開く。
GVは振り返らず避け、そのまま雷を放つ。
椅子のアームが弾かれる。
「っ」
メラクが少し顔をしかめた。
「だるいなぁ……」
「だったら教えて」
「それはもっとヤだ」
「何で」
「話長くなるじゃん」
「今十分長いよ」
「キミのせいでね」
GVの眉が動いた。
ほんの少し、いつもの反応が戻る。
メラクが亜空孔を開く。
GVは今度は直線を選ばず、わざと遠回りする。
メラクの視線が一瞬追う。
次の穴。
GVは止まり、読んで避ける。
距離が縮む。
あと数歩。
真正面へ大きな亜空孔が現れた。
さっきなら飛び込んだ。
今は止まる。
メラクが言う。
「止まった」
「同じの何回もやらないよ」
「学習早いね」
「お前ほどじゃないと思う」
「そうだろうね」
即答だった。
GVの眉がぴくりと動く。
普段なら何か返したかもしれない。
でも今はそんな余裕が少ない。
それでも、不意に目の前の少年が十三歳であることを思い出した。
自分より一つ下。
皇神の戦闘部隊にいて、人を攫うことを仕事として扱い、その先は知らないと言う。
「メラク」
「何?」
「お前、皇神にいるの楽しい?」
メラクが完全に固まった。
「……は?」
「聞いただけ」
「今?」
「今」
「シアンちゃん探してたんじゃないの?」
「探してる」
「じゃあ何でボクの話?」
GV自身も少し不思議そうな顔をした。
「……何でだろ」
通信の向こうからモニカの小さなため息。
『出たわね』
「何が?」
『お節介』
「今言う?」
メラクも怪訝な顔をする。
「何の話?」
GVはダートを構えたまま答えた。
「別に」
「変なヤツ」
「よく言われる」
「自覚あるんだ」
「少し」
ほんの一瞬だけ、いつものガンヴォルトが戻った。
敵でも。
一人の人間として見る。
「で?」
GVが尋ねる。
「楽しい?」
「どうでもいいよ。ボクが楽なら」
「それでいいんだ」
「うん」
「……そっか」
それ以上は踏み込まなかった。
説教もしない。
理解させようともしない。
今はシアンが先だ。
「じゃあ、もう一つ」
「まだあるの?」
「僕は、お前を殺したいわけじゃない」
メラクが瞬きをする。
「でも、シアンを返すまで何度でも追う」
一歩進む。
「逃げても追う」
メラクの顔から、ほんの一瞬だけ気怠さが消えた。
怖がったわけではない。
計算している。
この相手は諦めない。
戦えば学習する。
どこへ行っても追ってくる。
メラクにとって、ひどく面倒な相手だった。
「……やだなぁ、そういうの」
「悪かったね」
「悪いよ。もうボクの仕事終わってるのに」
「終わってない」
「ボクの中では終わってる」
メラクが端末を操作する。
空間が大きく歪む。
『GV!』
GVが走った。
「待て!」
「ヤだよ」
「シアンはどこ!」
「自分で探して」
「メラク!」
「あー……じゃあね」
亜空孔が閉じ始める。
撃てる。
メラク本人へ。
GVは照準を合わせた。
しかし、一瞬だけ指を止める。
狙いをずらす。
閉じかけた亜空孔の縁へ雷撃を叩き込む。
蒼い電気が空間にまとわりつく。
メラクが消える。
穴も閉じた。
『今の!』
「取れた?」
『待って……』
数秒。
『取れてる。さっきより強い残滓よ!』
GVは息を吐いた。
「解析お願い」
『任せて』
辺りが静かになる。
GVは閉じた空間を見つめた。
「……逃げられた」
背後から足音が近づく。
「GV!」
ジーノが走ってきた。
「オマエ……速すぎだっつーの……」
「メラクだって、攫ったヤツ」
「通信聞いてたよ」
GVは拳を握る。
「シアンの場所、聞けなかった」
「でも痕跡取れたんだろ?」
「……うん」
「だったらゼロじゃねえ」
GVは前を見た。
「探すよ、ジーノ」
「は?」
「まだ近くにいるかも」
「おい」
「別の反応が出れば」
「GV」
「動けば何か――」
ジーノが腕を掴んだ。
GVが振り向く。
「...離して」
「離さねえ」
「ジーノ」
「どこ探すんだよ」
「どこでも」
「それ探すって言わねえだろ!」
GVの目が険しくなる。
「シアンが攫われた」
「分かってる」
「なら」
「分かってるって!」
ジーノの声が響いた。
「シアンちゃんを助けたいのはオマエだけじゃねえんだよ!」
GVが止まる。
「オレもだ! モニカも! リーダーも! エリーゼだって!」
「……」
「何でもオマエ一人の話にすんな!」
GVが拳を握る。
「...してない」
「してる!」
「僕はただ」
「場所も分かんねえのに走り回るのは、ただ焦ってるだけだ!」
言葉が刺さる。
正しいからこそ、GVは何も返せなかった。
ジーノは呼吸を整えながら続ける。
「オマエが強いのは知ってる。速いのも知ってる。でもオレより二つ下なのも知ってる」
GVが少し顔を上げる。
ジーノは苦い顔をした。
「最近、オレもそこ忘れてたけどな。一番速く走れるヤツが一番早くシアンちゃん見つけられるわけじゃねえだろ」
GVの目が伏せられる。
「……怖いんだよ」
不意に言葉が漏れた。
ジーノが止まる。
GV自身も一瞬驚いた。
以前なら、大丈夫とか平気だとか言っていた。
今は違う。
「止まってるのが怖い。僕が何もしてない間にシアンに何かされたら、また皇神に能力として扱われたら、僕が着くまでに間に合わなかったらって」
ジーノはすぐには否定しなかった。
「……そりゃ怖ぇよ」
GVが見る。
「シアンちゃんだろ?」
「……うん」
「怖ぇに決まってる」
「うん」
「けどさ」
ジーノはGVの腕を離した。
「怖いから一人で行く、は違うだろ」
GVの目が少し揺れる。
「前も言ったけどよ。オレ、オマエほど速くねえ」
「知ってる」
「おい」
「事実でしょ」
「そこはフォローしろよ!」
ほんの少し、GVの口元が動いた。
ジーノもそれを見逃さない。
「でも、オマエが見えてねえとこならオレが見る。モニカもいる」
「うん」
「戻るぞ。解析待って、万全の状態で取り返そうぜ」
一拍置いて、ジーノが付け足す。
「一緒に」
GVは数秒黙り、それから頷いた。
「……分かった」
その頃、シアンは低い機械音で目を覚ました。
目に入ったのは灰色の天井だった。
冷たい空調。
金属の匂い。
身体を起こす。
「……モルフォ?」
返事がない。
胸が一気に冷える。
「モルフォ?」
数秒して、弱い声が返った。
『……いるわよ』
シアンは大きく息を吐いた。
「よかった」
『全然よくないけどね』
「声が...遠い?」
『外部通信がほとんど潰されてる。アタシは消えてないけど、外への干渉が制限されてるのね。』
「ここ、どこ?」
『それ調べてる』
シアンはベッドから降りて周囲を見る。
机。
椅子。
監視カメラ。
電子ロック。
窓はない。
「これは牢屋?」
『収容室って言えば?』
「同じじゃん」
『まあね』
シアンは扉へ近づき、電子ロックを見る。
「分かる?」
『少しなら』
「じゃあ見る」
『GV待たないの?』
シアンの手が止まる。
「待つよ、絶対来る」
『断言するわね』
「GVだから」
『それ万能な説明じゃないわよ』
「でも来るのはわかるの」
シアンは少しだけ笑った。
「だからって、わたしが何もしない理由にはならない」
モルフォが少し黙った。
『……そうね』
シアンは監視カメラの動きを見る。
一定の角度。
扉の向こうから聞こえる足音。
施設全体を伝わる低い振動。
分からないことばかりだ。
でも、見れば減らせる。
「さっき、送れた?」
『全部は無理』
「何取った?」
『メラクの亜空孔の残滓。それと転移先の設備信号。途中で潰されたけど』
シアンの顔が少し明るくなる。
「フェザーまで?」
『届いてればね』
「届いてる」
『何で分かるの』
「GVだから」
『またそれ?』
「モニカさんもいるし」
『それならちょっと説得力あるわね』
シアンは笑う。
そして扉と監視カメラを見ながら言った。
「ねえ、モルフォ」
『何?』
「ミニ四駆の時さ。前、アキュラとGVに勝った時」
『うん』
「わたし、一番遅かったよね」
『そうね』
「そこはちょっと否定してよ」
『事実でしょ』
「……まあそうだけど」
シアンは壁へ寄りかかった。
「あの時、最初は二人に追いつくことばっか考えたの」
『そうなの?』
「うん。でも、走りを見てわかった。中途半端なコピーじゃどれだけやっても勝てないって」
『それで安定重視にした』
「うん」
シアンは自分の手を見る。
「勝つのを諦めたんじゃないよ。同じ走り方するのを諦めたの」
モルフォが少し黙る。
「コースから出なければ、最後まで走ってれば、何かあるかもって思った。そしたら最後に二人が乱れて、内側が開いた」
「今回も、多分同じ」
『メラク相手に?』
「うん。すぐ逃げようとしたら全部塞がれた。あっちの方が頭の回りも速い」
言ってから、少し悔しそうな顔になる。
「だから焦らない、まず見ることからする。」
モルフォがゆっくり笑った。
『アンタ、負けず嫌いよね』
その時、廊下から足音が聞こえた。
シアンはすぐベッドへ戻り、横になって目を伏せる。
扉が開く。
皇神の職員が食事を持って入ってきた。
認証カードを電子ロックへ翳す。
シアンは怯えているように俯いた。
半分は演技で、半分は本当に怖かった。
モルフォは何も言わずカードの信号を拾う。
職員がトレーを置いた。
「食事だ」
返事をしない。
扉が閉まる。
足音が遠ざかるのを待ってから、シアンは顔を上げた。
「モルフォ」
『見た』
「カード」
『一部だけ』
「コピーは?」
『一回じゃ無理』
「じゃあ次」
『そうね』
「何回くらい?」
『それが分かれば苦労しないわよ』
「そっか」
シアンはトレーを見る。
「じゃあ次まで」
『食べなさい』
「え?」
『お腹空いてるでしょ、体力回復させないでどうするの』
「……はい」
シアンは素直に座り、食事へ手を伸ばした。
「モルフォ」
『何?』
「GVみたい」
『それは不本意』
「何で」
『アタシの方がクールよ』
「はいはい」
『その返事ムカつく』
少しだけ笑えた。
食べる。
生きる。
見る。
次のチャンスを待つ、いつか蒼き雷霆が自分をこの牢獄から連れ出すことを信じて。
夜、フェザー本部では解析が続いていた。
GVは操作卓の前に立ち、画面から目を離さない。
モニカは解析を続け、ジーノは別端末で皇神の過去の輸送記録を調べている。
少し離れたところから、その様子を見ていたアシモフが声を掛けた。
「GV」
「何?」
「座れ」
「……今?」
「今だ」
「立ってても同じでしょ」
「なら座っていても同じだ」
GVは言葉に詰まる。
ジーノが吹き出した。
「ニヒヒッ、一本取られたな」
「うるさい」
「座れよ」
「……分かったよ」
GVは渋々椅子へ座った。
アシモフが隣へ来る。
「焦るなとは言わん。今のキミには難しいオーダーだろう」
「……うん」
「焦っているか?」
GVは少し考えた。
「焦ってる。かなり」
アシモフは頷く。
「グッド」
「何が?」
「自覚があるなら、まだ自分でハンドルを握れる」
GVの目が僅かに動く。
「今日は握れてなかった」
「メラクか」
「うん」
「なら次に修正すればいい」
アシモフは大型画面へ目を向けた。
「モニカが分析する。ジーノが動く。私もいる。全部をキミがやる必要はない」
「……うん」
「我々を使え」
GVが少し笑う。
「その言い方、アシモフらしい」
「そうか?」
「人に頼れって言ってるのに『使え』なんだ」
「分かりやすいだろう」
「まあ」
ジーノが口を挟む。
「リーダーにしちゃ分かりやすい」
「ジーノ」
「へいへい」
少しだけ空気が緩む。
アシモフはGVを見る。
「シアンは見つける、そのために出来ることは全部やる」
「……うん」
「だから、独断で飛び出すな」
GVは一度目を伏せる。
「善処する」
「またそれかよ」
ジーノが呆れる。
アシモフも少し眉を寄せた。
「約束しろ、と言いたいところだが」
GVの表情が僅かに固まる。
約束。
絶対に帰る。
あの夜。
アシモフはそこまで見て、言葉を変えた。
「出来る限りでいい。一人になろうとするな」
GVは少しだけ顔を上げる。
「……分かった」
「それでいい」
解析は数時間続いたが、場所を確定出来るほどの情報にはまだ届かなかった。
日付が変わる頃、GVが何度目か分からないほど時計を確認したところで、モニカが椅子を回した。
「GV」
「何」
「帰って」
「嫌」
「即答しない」
「ここにいる」
「あと三時間はかかる」
「待つよ」
「ここで?」
「うん」
モニカは立ち上がる。
「あなたがそこで画面を見てても解析は早くならないわ」
「……」
「帰って」
「モニカ」
「オペレーター命令じゃない。私からお願い」
GVは何も言えなくなる。
「連絡来たら」
「すぐ呼ぶ」
「絶対?」
「それは約束する」
長い沈黙の末、GVはようやく頷いた。
「……分かった」
ジーノが声を掛ける。
「送ろうか?」
「一人で帰れる」
ジーノの眉が上がったので、GVはすぐ言い直す。
「……帰るくらいは」
「ならいい」
「変に過保護になってない?」
「オマエが変に意地張るからだろ」
「張ってないよ」
「はいはい」
GVの口元が少しだけ動いた。
深夜、自宅へ戻る。
玄関を開けると、無意識に言葉が出た。
「ただいま」
その直後、GVは返事を待っている自分に気づいた。
「おかえり、GV」
いつものシアンの声。
それがない。
胸の奥が冷える。
代わりに聞こえたのは、エリーゼ1の声だった。
「おかえりなさい、GVさん」
GVは顔を上げる。
「……ただいま」
今度はちゃんと相手を見て返した。
リビングへ入る。
「起きてたの?」
「はい」
「寝ててよかったのに」
「GVさんに言われたくないです」
GVが少しだけ苦笑した。
「確かに」
エリーゼ1がお茶を用意する。
GVはソファへ座り、端末をテーブルへ置いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
カップを持つが、飲まない。
エリーゼ1も向かいに座り、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さな声で尋ねる。
「GVさん」
「何?」
「怖いですか?」
GVの手が止まる。
いつものように「大丈夫」と言いそうになる。
でも、止めた。
「……怖い」
エリーゼ1はただ頷いた。
「そうですよね」
GVはカップを見る。
「シアンが、また皇神にいる」
「はい」
「前みたいに、能力だからって何かされたら」
指に力が入る。
「僕が行くまでに、間に合わなかったら」
エリーゼ1は「大丈夫」とは言わない。
ただ、もう一度頷く。
「そうですよね」
「ずっと、そればっかり考えてる」
「はい」
「メラクを追ってる時も、何も見えてなかった」
「でも途中で、モニカさんの声を聞けたんですよね」
「……うん」
「それなら」
「でも僕一人だったら」
「一人じゃありません」
GVが顔を上げる。
エリーゼ1は怖がりで、自信もなく、すぐに謝る。
それでも今は目を逸らさなかった。
「GVさんは、一人じゃありません」
「……うん」
「怖いなら、怖いままでもいいと思います」
「いいのかな」
「わたしには……分かりません。でも、怖くないふりをするよりは、いいと思います」
GVの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「……そっか」
その時、エリーゼの表情が変わった。
眉が寄り、背筋が強くなる。
「あー、もう」
GVが顔を上げる。
「エリーゼ3?」
「聞いててイライラしてきたから代わった」
「急だなあ」
「アンタに言われたくない!」
エリーゼ3は腕を組む。
「怖いのはいいわよ」
「いいんだ」
「そこはいい! でも、そこから勝手に最悪のところまで走ってくのやめなさい!」
GVが瞬きをする。
「走ってないよ」
「心がよ!」
「どうやって分かるの」
「顔!」
「また顔?」
「今日ずっと顔に出てんのよ!」
GVが頬を触る。
「そんなに?」
「朝と別人!」
その言葉で、GVが止まる。
エリーゼ3は続けた。
「シアンが攫われた。そこまで事実」
「うん」
「今も捕まってる、それも事実」
「うん」
「じゃあ、もう何もかも取り返しつかないの?」
GVが顔を上げる。
「違う」
「まだ負けてないでしょ、それにシアンが攫われて何もしてないと思う?」
不意によぎる、彼女と過ごした日々。昔の彼女では言葉にしづらい感情もしっかりと相手に伝え、意思を持っていた。GVは彼女を無意識に「守るべき日常」という一側面でしか見られなくなっていたことに気づいた。そうだった、いつだって彼女は自分と周りの人間を守るために戦っている強い女性だった。
「……してる」
「ほら!」
エリーゼ3は棚に置かれているシアンのミニ四駆を指した。
「前、アンタと白いのに勝ったんでしょ」
「いや、それはアキュラが...」
「どっちでもいい!」
「よくないよ!?」
「どうでもいいわ!」
ほんの少し、GVの口元が動いた。
「アイツのミニ四駆、アンタらと比べて速さじゃ負けてたんでしょ?」
「うん」
「でも勝った」
「……うん」
「なら、これも同じよ。戦う力がないからって、あの子が無力なわけじゃない。貴方に守ってもらうだけの女の子じゃないの。」
GVの瞳が揺れる。
「シアンが大人しく待ってるだけだと思う?」
...そうだ、あのアキュラやデイトナにも啖呵を切れる少女だ。大人しく黙ってやられるままな筈がない、見くびっていたのは彼自身であった。GVはそのことを強く想いながら、エリーゼにつぶやく。
「思わない」
「でしょ!」
シアンはあの時、二人より遅かった。
それでも走りきった上で、GVとアキュラ双方の裏をかき勝利した。
「……そうだね」
GVが小さく言う。
「シアンなら、速さで勝てなかったら別の方法考える」
「それミニ四駆の話?」
「エリーゼが言ったんでしょ」
「例えよ!」
「でも、分かりやすかった」
「……ならいい」
エリーゼ3は少し顔を逸らした。
「最悪を考えるなって言ってるんじゃない。考えるのは勝手。でも、それがもう決まったことみたいにするな」
GVは黙って聞く。
「シアンはまだいる。アンタもいる。なら、まだ途中」
その言葉が、静かにGVの中へ落ちた。
まだ途中。
その時、エリーゼの身体から少し力が抜けた。
表情が変わる。
今度はエリーゼ2だった。
「シアン」
短い声に、GVが姿勢を変える。
「うん」
「いる」
「……うん」
「まだ」
GVの瞳が揺れる。
エリーゼ2は少し考え、短く言った。
「帰る」
「……誰が?」
「シアン」
そしてGVを指す。
「GV」
二本の指を立てる。
「二人」
GVは何も言えなかった。
一秒。
二秒。
やがて、小さく笑う。
「……うん。二人で帰る」
エリーゼ2は頷いた。
「うん」
その瞬間、端末が鳴った。
GVはすぐ取る。
「モニカ!」
『候補が出た』
立ち上がる。
「どこ?」
『まだ完全確定じゃないから、落ち着いて聞いて』
「うん」
即答したGVへ、モニカが少し疑うように聞き返す。
『本当に?』
「焦ってる。でも聞く」
『……分かった』
画面に地図が表示された。
海岸。
沖。
海。
GVの眉が寄る。
「海?」
『そう』
シアンが送った破損データ。
メラクの亜空孔から得た残滓。
皇神の古い輸送記録。
海洋施設向けの通信規格。
深度情報。
それらが一つの場所へ重なる。
『ここ。皇神第三海底基地』
GVの目が開く。
「海底?」
『かなり深い場所よ』
「シアンは?」
『メラクの転送痕が、高い確率でそこへ繋がってる』
「行こう」
即答。
『落ち着きなさい、GV』
「モニカ、でも!」
『GV』
凛とした姿勢に、思わず吃る。
『行くための準備しなさい、そしてオペレーターの意見を必ず聞くこと。いいわね?』
画面へ基地の構造が表示される。
耐圧区画。
隔壁。
配管。
大量の海水。
『海底よ。地上の施設とは違う。壁一枚、配管一つ、壊す場所を間違えたらシアンも危険になる』
その言葉で、GVの思考が切り替わる。
急ぐだけでは駄目だ。
壊せない。
「……分かった」
モニカが少し驚く。
『本当に?』
「今すぐ行きたい。すごく」
『うん』
「でも、シアンを助けるためにちゃんと考える」
『フェザーへ来て、ジーノもアシモフもいる』
「うん」
通信を切る。
GVが玄関へ向かう。
「GV」
エリーゼ2の声。
振り返る。
「何?」
「二人で」
GVは頷いた。
「うん。二人で帰ってくる」
扉が閉じる。
少しして、エリーゼの身体が揺れた。
目を閉じ、再び開く。
「……GVさん」
表に戻ったエリーゼ1は、静かなリビングを見回した。
シアンはいない。
けれど、少し前ほど空気は冷たくなかった。
同じ頃。
第三海底基地では、シアンが扉の横の床へ座り、目を閉じて眠っているように見せていた。
廊下から足音が聞こえる。
一人が通過する。
時間を数える。
また足音。
同じ方向。
三回目を確認したところで、シアンが目を開いた。
「今ので?」
『だいたい十二分』
「三回とも?」
『ほぼね』
「じゃあ巡回は十二分」
『今のところ』
「認証カード?」
『二回分は拾った』
「あと何回?」
『もう一回あれば、たぶんかなり近づける』
「じゃあ待つ」
モルフォが少し意外そうに聞く。
『焦らないのね』
シアンは少し笑った。
「今日もう焦って一回負けたから」
『負けたって認めるんだ』
「メラクから逃げられなかったもん」
『まあね』
「でも、まだ終わってない。だから次」
モルフォも少し笑う。
『そういうとこ、強くなったわね』
「誰かさんのせいでね」
『...ふーん』
「何よ」
怖さはまだ消えていない。
心臓も速い。
けれど、何が怖いのか少しずつ分かってきた。
そして、何が出来るかも見え始めている。
「GV、もう気づいてるかな」
『たぶん』
「怒ってる?」
『たぶん』
「メラクに?」
『それもあるでしょうね』
モルフォは少し間を置いた。
『自分にも』
シアンの顔が曇る。
「何で?」
『自分が家にいなかったとか、もっと早く気づけなかったとか』
「それGVのせいじゃないじゃん」
『アンタはワタシよ?本心ぐらいわかるわ』
「……知ってる」
シアンは小さく息を吐いた。
「帰ったら言わなきゃ」
『何を?』
「勝手に自分のせいにしないでって」
『帰ったら?』
シアンはそこで止まった。
自分が今、自然にそう言ったことに気づく。
「……うん」
少し笑う。
「帰ったら」
『そうね』
「服見に行く」
『まだ覚えてるの?』
「当たり前でしょ」
『ミニ四駆も?』
「やる」
『誰と?』
「GV、アキュラ、デイトナ」
『欲張り』
「三人まとめて勝つって言ったもん」
『その前にここから出ないとね』
「だからやってる」
その時、壁の奥から低い音が響いた。
シアンが顔を上げる。
先ほどから施設全体を伝わっている機械音とは少し違う。
「……ねえ」
『何?』
「今の」
『何か鳴った?』
シアンは壁面の管理パネルを見る。
通常を示す緑色。
その表示が一瞬だけ橙へ変わった。
「モルフォ」
『見てる』
耐圧区画。
圧力偏差。
規定値外。
一秒で表示は消える。
「何これ」
『あんまりいい表示には見えないわね』
シアンは壁へ手を置いた。
その向こうには、想像も出来ないほど大量の海水がある。
「ここ、大丈夫なのかな」
『今は自分の脱出じゃないの?』
「そうだけど」
シアンは管理パネルを見る。
「もし何かあったら、わたしだけじゃないでしょ」
基地には職員も兵士もいる。
誰がどれだけいるかは知らない。
敵だとしても。
人はいる。
モルフォが少し黙った。
『……やっぱり、好きな男に似るものね。女ってのは』
シアンは一度思慮し、それからぽろっとつぶやいた。
「……悪くないかも」
『あら』
「でも、あそこまでお節介にはならないよ」
『どうかしらね』
「ならない!」
また管理パネルが一瞬だけ橙色に点滅する。
シアンの笑みが消えた。
「……これ」
『記録しておく』
「うん。何かある」
地上。
フェザー本部の大型画面には、第三海底基地の立体構造が表示されていた。
海面から深く沈んだ位置に複数の区画が連なっている。
GVは正面へ立ち、横にはジーノ。モニカは操作卓へ座り、アシモフも少し後ろから画面を見ていた。
「正面ゲートは使わない方がいいわ」
モニカが説明する。
「侵入を検知されて耐圧隔壁を閉鎖されたら、中で分断される」
ジーノが腕を組む。
「で、中にはあのワープ野郎」
GVが即座に訂正した。
「亜空孔」
ジーノが横を見る。
「今そこ訂正いるか?」
「ワープと全く同じ能力か分からないでしょ」
「だいたい同じだろ」
「違うと思う」
ジーノが少し笑う。
「オマエ、そういうとこはいつも通りだな」
「悪い?」
「いや。そっちのがいい」
GVの口元も少し緩む。
モニカが画面を切り替えた。
「シアンの正確な位置までは分からない。ただ、転送残滓が集中してるのはこの収容区画付近」
「じゃあ最初はそこ」
「ええ。ただし、この基地かなり古いの。記録と今の内部構造が一致している保証がない」
GVは頷く。
「施設は出来るだけ壊さない」
「そうして」
「兵士が来ても、止めるだけにする」
ジーノが横目でGVを見る。
「そこまで考えられるなら、まあ平気か?」
GVはすぐ答えた。
「平気じゃないよ」
ジーノが一瞬止まる。
「……おう」
「焦ってる。今すぐ行きたい」
「うん」
「だから僕一人で考えない」
GVがモニカを見る。
モニカは少しだけ目を開き、それからしっかり頷いた。
「任せて」
「うん」
アシモフが近づく。
「グレイトだ、GV」
GVが横を見る。
「そこでそれなんだ」
「何か問題か?」
「いや」
アシモフは画面へ目を戻す。
「焦っている時ほど、チームを使え」
「使え、なんだ」
「サンクスと言われたいなら別の言葉を選ぶが?」
「大丈夫」
「ならいい」
ジーノが小さく笑う。
「リーダーの言葉って分かりづらいよな」
「聞こえているぞ」
「ニヒヒ」
モニカがため息を吐く。
「作戦会議中よ」
「へいへい」
少しだけ、いつものフェザーの空気が戻った。
それからアシモフはGVを見る。
「GV」
「何?」
「シアンを取り戻す。そのために我々も動く」
「うん」
「そして、キミも帰れ」
GVの目が僅かに揺れた。
アシモフは続ける。
「一人で帰れという意味ではない」
視線の先には海底基地。
「二人で帰ってこい」
GVは長く黙った。
エリーゼ2が言った「二人」。
朝、シアンと交わした約束。
帰ったら出かける。
まだ終わっていない。
「……うん。そのつもり」
「グッド」
GVはもう一度海底基地を見る。
シアン、待ってて。
そう頭の中で言いかけたが、すぐに止めた。
違う。
シアンは待っているだけではない。
自分で走っている。
以前のミニ四駆でもそうだった。
一番速くなくても、後ろからちゃんと見て、最後に自分のタイミングで抜いた。
きっと今も同じだ。
「……シアン」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「そっちも頑張ってるんだよね」
GVはダートと雷撃出力を確認し、それからモニカを見る。
「準備出来たら教えて」
「ええ」
「勝手に行かない」
ジーノが目を丸くする。
「オマエから言った?」
「言ったよ」
「明日雪降るんじゃねえの」
「ジーノ」
「冗談だって」
GVは少し笑った。
それでも視線は海底から離れない。
「行こう」
誰かにというより、自分自身へ言った。
海面の遥か下、光の届かない第三海底基地で、シアンは今も自分の出口を探している。
地上では、GVが彼女へ届く道を探している。
二人を隔てるのは冷たい海と皇神の基地、そして空間を自由に繋ぎ替える一人の少年。
さらに、その誰もまだ知らないところで、第三海底基地の耐圧管理システムに再び警告が灯った。
規定値外。
表示はすぐ消えたが、数十秒後にはまた点灯する。
シアンだけが、その違和感を見つけている。
海は何も語らない。
ただ静かに、基地のすべてを取り囲んでいる。
深く、さらに深く。
シアンを追い、皇神第三海底基地へと潜入するGV。
待ち受けていたのは、《亜空孔》を操るメラクが仕掛けた、蒼き雷霆を沈めるための罠だった。
「何でああいうのまで助けるの?」
敵を救い、罵倒され、それでも前へ進むGV。しかしメラクは、ストラトス、イオタ、そして一度失った命――答えの出ていない傷を、時間稼ぎのためだけに次々と抉っていく。
そして、ついに見つけられてしまう。
GVにとって、何より深い場所を。
「シアンちゃんね。キミ、それが一番イヤなんだ」
「……シアンを使うな」
海底よりなお深い、蒼き雷霆の心の底へ。
次回、第二十四話「深淵・前編」。
次回も、グッドラック