『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
海の底にあるというだけで、その場所はひどく遠く感じられた。
フェザー本部の作戦室に映し出された海図を、GVはもう何度見直したか分からない。沿岸部から離れた海域、そのさらに下。表示を拡大するたび、海面を示す青い線から縦軸が深く伸びていき、その先に浮かぶ無機質な立体図には《皇神第三海底基地》と表示されていた。
シアンが、そこにいる可能性が高い。
今は、その「可能性」という言葉がひどく嫌だった。
「七十二・八パーセント」
操作卓に向かったまま、モニカが告げた。
「現時点でシアンが第三海底基地へ転送されたと判断できる確率。シアンとモルフォが残してくれた設備信号と、あなたがメラクと接触した場所に残っていた空間干渉の痕跡を照合した結果よ」
「残りの二十七・二パーセントは?」
間を置かず尋ねると、モニカの指が止まった。
「GV」
「聞いておきたい」
モニカは数秒だけ黙った。
「別の皇神施設を経由していた可能性。同一規格の通信設備が別に存在する可能性。それから、私たちが把握していない中継設備を亜空孔が経由した可能性」
「じゃあ、もうそこにいない可能性もあるんだ」
「……あるわ」
否定されなかったことに、少しだけ救われた。大丈夫だと言われても、今はきっと信じられない。同時に、何一つ保証されていないという現実が、冷たい石のように胸へ沈んだ。
シアンが連れ去られてから、それほど時間は経っていない。それなのに、最後に会ったのが随分前のことに思える。
朝だった。シアンは自分のミニ四駆を手にして、以前GVとアキュラに勝ったことをまだ得意げに話していた。
『帰ってきたら出かけようよ』
『いいよ。行きたいところ決めといて』
『またわたしが決めるの?』
『この前も楽しそうだったし』
『じゃあ考えとく』
あまりに普通の会話だったからこそ、思い出すたびに別の可能性まで浮かんでしまう。
もし一分早く帰っていたら。フェザーへ来なければ。あの通信を後回しにしていれば――。
「また始まってるぞ」
横から飛んできた声に、GVは顔を上げた。ジーノが椅子を反対向きにして座り、背もたれへ両腕を乗せている。
「何が?」
「『あの時オレがこうしてりゃ』大会」
「……してないよ」
「じゃあ今、何考えてた?」
GVは黙った。
「ほらな」
「分かりやすい?」
「シアンちゃん絡みのオマエは特にな」
「ジーノ」
モニカが咎めると、ジーノもすぐに表情を改めた。
「茶化してねーって。たださ、今それ考えても基地が十メートル浅くなるわけじゃねえだろ」
「……うん」
「だったら、今出来ることやろうぜ」
正しい。それだけに返す言葉がなかった。
「準備はほぼ整った」
奥からアシモフが歩いてきた。GVは即座に立ち上がる。
「行ける?」
「ああ。ただし条件がある」
「何?」
「モニカの指示を聞け」
「聞くよ」
「最後までだ」
GVは少し眉を寄せた。アシモフは大型モニターへ施設断面図を出す。
「第三海底基地は地上施設とは違う。周囲は海だ。キミの出力なら隔壁を破壊すること自体は難しくない。だが、一枚壊す場所を誤れば浸水する。そしてシアンの正確な位置も不明だ」
「……壊さないよ」
「そういう話だけではない」
アシモフはGVを見る。
「キミは今、焦っている」
「うん」
「非常に、だ」
「そこまで言わなくても分かってる」
「なら、自分の判断だけを信用するな」
GVは何も返さなかった。以前なら、そこまで信用がないのかと言っていたかもしれない。
今は違う。
イオタと戦った時、自分で考えて、自分で決めて、そして一度帰れなかった。ストラトスの時もそうだ。自分では正しいと思って施設を壊したが、それで終わりにはならなかった。
「……分かった。モニカの声、ちゃんと聞く」
「Good」
「それ、今いる?」
「必要だと思った」
「そう」
ほんの少しだけ口元が緩んだ。アシモフはそれを確認してから続けた。
「もう一つ。状況によっては、一時撤退もあり得る」
今度は身体が先に反応した。
「それは――」
「最後まで聞け」
GVは口を閉じる。
「シアンを発見しても、その場で動けば彼女を危険に晒す状況があるかもしれない。置いて帰れと言っているのではない。連れ帰るために、動くなと言う場合がある。それだけだ」
GVはしばらく答えなかったが、やがて小さく頷いた。
「……分かった」
「私も出来るだけ理由まで説明する」
モニカが振り返った。
「でも余裕がなければ、指示だけ先に出す。その時は?」
「聞く」
「本当に?」
「聞くって」
「ならいいわ。無茶するなとは言わない。今のあなたに言っても無理でしょうから」
「ひどくない?」
「自覚ないの?」
「……あるけど」
「だったら無茶の仕方くらい、こっちに管理させて」
GVは少しだけ目を伏せた。
「よろしくお願いします」
「急に素直ね」
「怒られそうだから」
「よく分かってるじゃない」
「おー、成長したな」
ジーノが笑う。
「ジーノは来ないの?」
「オレは海上。退路と通信中継の確保」
「そっか」
「何だよ、その残念そうな顔。寂しい?」
「帰っていいよ」
「ひでえ!」
ほんの一瞬だけ、いつもの空気が戻った。それでも、海図の一番深いところにある小さな基地表示から、GVは目を離せなかった。
◆
第三海底基地の通路は、妙に暗かった。
シアンは扉の小さな観察窓から外を覗き、聞こえてくる足音を数えていた。一人。遠くにもう一人。歩幅が違う。昨日から聞いている足音と合わせれば、この区画を定期的に巡回しているのは、おそらく三人。
『来たわよ』
モルフォの声が頭の中へ響く。
「うん」
シアンはすぐに窓から離れ、ベッドへ戻った。
足音が近づき、電子ロックの作動音とともに扉が開く。
「食事だ」
昨日から何度か見た職員だった。シアンは俯いたまま、膝の上で僅かに震える指先を握る。
演技ではない。
皇神の施設。閉ざされた部屋。電子ロックの音。そして、誰かに見られている感覚。
忘れたわけではない。身体の方が覚えている。
怖い。
それでも、今はその恐怖さえ使える。相手が自分を何も出来ない十三歳の少女だと思っているなら、その方がいい。
職員が食事を置く。その腰に下げられた認証端末が、扉のセンサーへ近づいた。
『今』
モルフォが短く告げる。
シアンは動かない。数秒後、職員が外へ出て扉が閉じ、足音が遠ざかってからようやく顔を上げた。
「……どう?」
『もうちょっと』
「まだ?」
『昨日から何回拾ったと思ってるの』
「だって早く出たい」
『アタシだってそうよ』
シアンは食事のトレーを見下ろした。空腹はあるが、食欲はない。
「GV、もう来てるかな」
『来てるでしょうね』
「やっぱり?」
『来ないと思う?』
「思わない」
即答した。
それが嬉しい。同時に、怖かった。
「……無茶してないかな」
『するでしょうね』
「そこは否定してよ」
『アンタだって分かってるでしょ』
「分かってるけど」
シアンは箸を持った。
「前はさ、助けに来てほしいって、それだけだった」
モルフォが黙る。
「今も来てほしいよ。すっごく来てほしい。顔見たいし、帰りたいし、出かける約束もまだだし」
小さく笑ったものの、その笑顔は長く続かなかった。
「でも、GVが壊れるくらいなら嫌」
『……』
「だから、わたしもやる」
シアンは扉を見る。
「GVに全部やらせない」
『だったらまず食べなさい』
「……はい」
『返事だけはいいわね』
「だって正しいから」
一口食べて、ちゃんと噛む。それからもう一口。
怖くても食べる。閉じ込められていても見て、聞いて、覚えて、出来ることを探す。
GVが外から自分を探しているなら、自分も内側から帰り道を作る。
待っているだけには戻らない。
◆
潜航用小型艇の窓から見える青は、海面が遠ざかるにつれて少しずつ黒へ変わっていた。
第三海底基地まで、あと六分。
『GV、聞こえる?』
「聞こえる」
『回線チェック。ジーノは?』
『ばっちり。つーかオマエ、声暗すぎ』
「切っていい?」
『何でだよ!』
『二人とも、遊んでる場合じゃないわよ』
「僕は遊んでない」
『オレも』
『ジーノ』
『はいはい』
GVは小さく息を吐いた。
『GV』
「何?」
『呼吸』
「……」
『浅い』
「そこまで分かる?」
『そのためにセンサー付けてるの』
「聞かなきゃよかった」
『聞かなくても言うわ。吸って』
「大丈夫」
『聞いてない。吸って』
「……はい」
息を吸って吐き、もう一度繰り返す。
『どう?』
「ちょっと楽」
『なら続けて』
GVは窓の外を見た。
この暗い海の先に、シアンがいる。
シアンは海が好きだっただろうか。帰ったら聞いてみよう――そう思ったところで、胸が詰まった。
帰ったら。
その言葉がまだ怖い。以前、一度、それが出来なかったから。
やがて艇が基地外縁へ接続した。ロックが解除され、気密確認を経てハッチが開く。
GVは立ち上がった。
「行く」
『ええ』
『シアンちゃん連れて帰ってこいよ』
「うん」
歩き出す直前、アシモフの声が入る。
『GV』
「何?」
『グッドラック』
GVは一秒だけ目を閉じた。
「……行ってきます」
◆
潜入は、気味が悪いほど簡単だった。
二人、次が三人。監視装置も少ない。通常の皇神施設なら、もうとっくに警報が基地全体へ回っているはずだった。
「おかしい」
『同感。警備密度が低すぎる』
「僕が来るって知ってる?」
『その可能性は高い』
「メラクか」
『たぶんね』
昨日の少年の顔が浮かぶ。眠そうな目をして、何もかも面倒そうに話すくせに、こちらが動けば必ず一手先へ回る。
頭がいい。だから余計に厄介だった。
通路を曲がる。
「侵入者!」
三人の皇神兵が武器を構えた。
GVはダートを抜く。
「ごめん。急いでるんだ」
三発。狙ったのは人ではなく武器だった。
タグを起点に雷を流し、銃器の電子系統を焼く。兵士たちが慌てて手放した。
「能力者……!」
「蒼き雷霆だ!」
もう一人が予備武装へ手を伸ばしたため、その手元へダートを撃ち込む。再び雷を流し、武器だけを弾き飛ばした。
「退いて」
GVはそれ以上追わなかった。
『右。二百メートル先に縦坑』
「シアンは?」
『まだ』
「……分かった」
走り、縦坑へ飛び降りる。
その瞬間、床が消えた。
「っ!?」
『GV!』
違う。床ではない。
空間そのものが捻じれ、視界が一瞬潰れる。上下の感覚を失った直後、GVは別の区画へ放り出された。
着地して顔を上げると、十人以上の兵士が既に銃口を向けている。
「……亜空孔」
一斉射撃。
GVは横へ跳び、そのまま床を滑った。二発、三発とダートを撃ち込み、雷を流す。
まとめて薙ぎ払えば早い。しかし人間に直接流せば威力が高すぎる。
武器、装甲、足元。一つずつ潰している間にも時間は過ぎ、シアンが遠ざかっていくような焦燥だけが膨らんでいく。
「くっ……!」
それでも、倒れた兵士へ追撃はしない。動ける相手だけを見る。
『右!』
身体を滑らせた直後、頭のあった位置を弾丸が抜けた。
「ありがとう!」
『前!』
「見てる!」
最後の武器を焼き、ようやく辺りが静かになる。
GVはすぐ出口へ向かった。
「化け物め……!」
背後から飛んできた声に、足が一瞬だけ止まる。
能力者だから。蒼き雷霆だから。
何度も聞いた。今さらのはずだった。
「……慣れてる」
『何か言った?』
「何でもない」
振り返らず走った。
◆
基地深部で、メラクは椅子の背へ身体を預けながらモニターを眺めていた。
「遅いなぁ」
侵入開始からの経過時間、戦闘ログ、雷撃出力、兵士の生命反応。どれも異常なし。
いや、異常がないこと自体が面倒だった。
「もっとバーッてやればいいのに」
敵が増えるほどGVの突破速度は落ちる。理由は簡単で、殺さないからだ。
画面を切り替え、蒼き雷霆に関する過去の行動記録を表示する。
人命優先。敵味方による救助優先度の差が小さい。敵対者の負傷にも反応し、救助対象から敵対的態度を示された場合も、以後の救助行動に有意な変化なし。
「……やっぱ、そこか」
さらに最近のデータを開く。
ストラトス。イオタ。生体反応異常。そして一度の死亡判定。
メラクの指が止まった。
「……あー。面倒なタイプだ、これ」
別の表示には、電子の謡精の搬送準備状況が出ている。
まだ終わっていない。もう少し時間が必要だった。
「仕事仕事……」
なら、一番手間の掛からない方法を探せばいい。
◆
通路の先で皇神兵が武器を構えた。
「侵入者!」
「また……!」
GVがダートを構えた瞬間、頭上の空間が開いた。
「え?」
GVだけでなく、兵士たちも見上げる。
巨大なコンテナが落ちてきた。
「避けろ!」
GVが叫び、兵士たちが散る。
しかし一人が足を滑らせ、コンテナの真下へ倒れ込んだ。
「っ!」
考えるより先に、GVは飛び込んでいた。制服を掴んで引き寄せ、そのまま二人で床を転がる。
直後、轟音とともにコンテナが床を叩き、その振動が背中まで伝わった。
「大丈夫!? 怪我――」
「触るな!」
腕を振り払われ、GVの手が宙に残る。
「……え」
「能力者なんかに……誰が貴様なんかに助けろと言った!」
何も言えなかった。
危なかったから助けた。それだけだった。礼を言ってほしかったわけでも、好きになってほしかったわけでもない。
それなのに。
「……そう」
ようやく出た声は、自分で思っていたより弱かった。
『GV』
「大丈夫」
『まだ何も言ってない』
「……大丈夫だから」
その時、知らない回線が割り込んだ。
『あー。やっぱ助けるんだ』
GVの顔が上がった。
「メラク」
『正解』
「シアンはどこ」
『いきなりそれ?』
「どこにいる!」
『知らない』
「お前が連れていったんだろ!」
『連れてきたよ。でも、その後までずっとボクが見る必要ある?』
「無事なの?」
『たぶん』
「たぶんって何だよ!」
『見てないし』
「……!」
『GV』
モニカの声が入る。
『相手にしないで』
「でも――」
『今のメラクが正直に答える理由はない。目的を見て』
「……時間稼ぎ」
『そう』
『へえ。お姉さん賢いね』
『褒めても何も出ないわ』
『じゃあ喋らなくていっか』
通信が切れた。
GVは再び走り出す。
それでも先ほどの「能力者なんかに」「誰が助けろと言った」という声は残った。
助けなければよかった。
一瞬、本当に一瞬だけ、そう思った。
そのことの方が、罵倒されたことより嫌だった。
◆
『ねえ、ガンヴォルト』
数区画先で、またメラクの声が来た。
GVは返さない。
『さっきの人、助けて損したね。時間使ったのに』
「……」
『何でああいうのまで助けるの?』
「……」
『キミのこと嫌いなんでしょ』
「関係ない」
返してしまった。
『関係ないんだ』
「危なかったから助けただけだ」
『ふーん。じゃあ、あの人がこの後、能力者を見つけて攻撃したら?』
GVの足が僅かに鈍った。
『キミが助けたから、生きてまた誰かを嫌えるね』
「……黙れ」
『変なの』
「黙れって言ってる」
『あー』
メラクの声が僅かに変わった。喜んだわけではなく、何かを確認しただけの声だった。
『これ、効くんだ』
通信が切れる。
「……最悪」
『作戦よ』
モニカが言う。
「分かってる」
分かっている。
作戦だと理解したところで、傷つかなくなるわけではない。
◆
巨大なドックへ出た。
広いのに、潜水艦は一隻もない。
「ここ……」
『記録上は潜水艦用ドック』
「潜水艦ないね」
『ええ』
嫌な予感がした直後、背後で轟音が響いて隔壁が閉じた。
「モニカ!」
『待って、解除を――』
それとは別に、低く重い音が聞こえた。
GVが床を見ると、排水溝から水が逆流している。
「……水?」
直後、複数の注水口が開き、海水が雪崩れ込んだ。
「っ!」
『高い場所へ!』
反射的に雷撃を使いかけ、止める。
海水だ。
ここで大出力を放てば、どこまで電流が流れるか分からない。
GVは足場へ跳んだ。
『やっと着いた?』
「メラク!」
『海、苦手なんでしょ』
GVの顔が強張る。
『有名だよ。蒼き雷霆の弱点』
「基地の人間まで巻き込む気?」
『うん』
「……は?」
『何?』
「ここに皇神の人間が何人いると思ってるんだ!」
『知らない』
「お前の仲間だろ!」
『部下』
「同じだろ!」
『違うけど』
「じゃあ止めろ!」
『何で? キミ止めるための仕掛けだし』
寒気がした。
悪意からやっているのではない。必要だからやった。ただ、それだけなのだ。
『GV、右!』
モニカの声と同時に亜空孔が開き、足場が途中から消える。
GVは跳び、梁を掴んで身体を引き上げた。水位はさらに上がっていく。
『十二メートル先、非常用足場!』
「行ける!」
跳んで着地する。濡れた靴底が滑ったが、どうにか踏み止まった。
『そういえばさ。キミ、一回死んだんだって?』
足が止まった。
『GV!』
迫る水を見て身体を動かす。
「……どこで知った」
『記録。普通、死んだら終わりなのにね』
「黙れ」
『誰か助けて?』
「黙れ」
『家にいた子とか困った? シアンちゃん』
指先が梁へ食い込んだ。
「やめろ」
『泣いたのかな』
「やめろ」
『キミ、見てないんでしょ?』
「やめろ!」
雷が弾けた。
『GV! 出力!』
「……っ」
GVは即座に抑えた。海水へ走りかけた青い光が消える。
『あー。そこなんだ』
「黙れ」
『シアンちゃん。一番効く』
「黙れ……!」
『GV』
モニカの声が割って入った。
『私の声だけ聞いて。右へ七メートル。そこから上』
GVは右を見る。
「……うん」
『行ける?』
「行ける」
『じゃあ行って』
跳んで、掴んで、登る。メラクの声はまだ聞こえているが、返さない。
『それでいい』
「逃げてるみたいだけど」
『逃げていい』
「……」
『メラクとの言い争いからは逃げていい。シアンから逃げろとは言ってない』
GVは一瞬だけ目を閉じた。
「……そっか」
『そうよ』
「ありがとう」
『続きは帰ってから聞く』
「いっぱいあるよ」
『なら全部帰ってから』
「……うん」
帰る。
今度は、その言葉を否定しなかった。
◆
しばらくして非常排水が作動し、基地内部の通信が混線し始めた。
『ふざけるな! こちらまで浸水している!』
『排水を回せ!』
『指示系統が死んでる!』
皇神兵たちの声を聞き、GVは少しだけ肩の力を抜いた。
「……よかった」
『何が?』
「生きようとしてる」
『当たり前よ。皇神の兵士だからって、死にたいわけじゃない』
「……うん」
そうだ。
敵だから、自分を嫌っているから、能力者を罵倒するから。それで死んでいい人間になるわけではない。
分かっていた。それでもさっき、一瞬だけ助けなければよかったと思った。その事実は消えない。
次の通路へ出た瞬間、隔壁の向こうから声がした。
「開けろ! 制御が死んでる!」
向こう側に一人取り残されている。
兵士たちがそちらを見て、GVも見た。
迷ったのは一秒だけだった。
「どいて!」
走る。
『ロック部だけ生きてる! 低出力!』
「分かった!」
雷を流してロックを解除する。
「持ち上げて!」
兵士たちと一緒に隔壁を上げ、取り残された男が這い出す。全員が安全側へ移ったところで、GVはようやく息を吐いた。
「……能力者風情に」
まただった。
GVの表情が消える。
「借りを作ったつもりはない」
「……そう」
「我々は貴様らテロリストに――」
「今、それ聞かないと駄目?」
思ったより低い声が出て、兵士が黙った。
「僕、急いでるんだ。助かったなら、それでいい」
背を向けて走り出す。
数秒後、GVはぼそりと漏らした。
「……腹立つ」
『うん』
モニカが即答したので、GVは少し驚いた。
「いいの?」
『何が?』
「腹立って」
『助けたんだから感謝しろって殴りかかるなら止める』
「しないよ」
『なら腹立つくらい自由でしょ。あなた、人間なんだから』
ほんの少しだけ、胸が軽くなった。
『でもさ』
そこへメラクの声が落ちてくる。
『そこまでされても、また助けたんだ』
「……」
『じゃあストラトスも?』
GVの足が止まった。
今までとは違った。
『キミが助けた人、生きてるんだよね』
「やめろ」
『良かったじゃん』
「やめろ」
『助けたんでしょ?』
「違う」
口から出た。自分でも止められなかった。
『違うんだ』
「僕は……助けたつもりだった」
『つもり。じゃあ、助かってないんだ』
「黙れ」
『それでも生かしたんだ。本人が苦しくても?』
「黙れ」
『助けるって何? 生きてればいいの? 本人が嫌でも?』
「黙れ!」
『GV! 左! 進んで!』
モニカの声に身体が動く。
「……うん」
『メラクの質問に答えるのが任務じゃない!』
「分かってる」
『ならシアンだけ見て!』
「……シアン」
『そう!』
走る。
答えはない。
ストラトスに何をすればよかったのか、今も分からない。だからメラクに答えられるはずもなかった。
◆
次に来た名前は、イオタだった。
『責任とか好きそうな人』
GVは返さず走る。
『何か聞かれたんでしょ。キミが誰かを助けた結果、別の誰かが困ったら? 誰が責任取るの? キミ?』
返さない。
『でも一回死んだ』
足が乱れた。
『GV!』
「……っ!」
壁へ手をつく。
『責任取る人が死んじゃったら、残った方が困るよね。シアンちゃんとか』
「黙れ」
『また泣いた?』
「黙れ!」
『それでも同じことするんだ』
「うるさい!」
拳を壁へ叩きつけそうになり、震える手を寸前で下ろす。
『左』
モニカの声。
「……うん」
『直進。隔壁を越えたら止まる』
「うん」
左。直進。隔壁。
考える範囲を小さくする。それだけなら出来る。
『ねえ、シアンちゃんってさ』
肩が強張った。
『聞かない!』
モニカの声。
「……うん」
『キミが死んだ時、自分のせいだって思ったかな』
呼吸が止まる。
『返さない!』
「……うん」
『またキミが無茶したの、自分が弱かったからだって』
「やめろ」
出てしまった。
『あー。やっぱそこだ』
「シアンを使うな」
『使うよ』
あまりにも簡単に返された。
『効くんだもん』
GVの足元で雷が弾ける。
『出力!』
「分かってる……!」
『ボク、シアンちゃんが本当にどう思ってるかなんて知らないけど、キミは気になるんでしょ? だったら使える』
「お前……」
『ボクならさ、また自分のために死なれたら困るから――』
「やめろ」
『今度は来なくていいって思うかも』
何かが胸の奥へ落ちた。
「違う」
『何が?』
「シアンはそんな――」
止まる。
『そんなこと思わない? 何で分かるの?』
「……」
『キミ、シアンちゃんの気持ち全部分かるんだ』
「違う!」
『じゃあ分かんないんだ。なら、そう思ってるかもしれないよね。一回帰ってこなかった人にさ、今度は来なくていいって――』
「黙れッ!!」
蒼い雷が爆ぜ、通路の照明が一斉に落ちて非常灯へ切り替わった。
『GV! 出力を落として!』
「無理だよ!」
言葉が飛び出した。
「そんなの無理だよ! シアンのことまで勝手に言われて、何で平気でいろって言うんだよ!」
『平気でいろなんて言ってない!』
モニカも声を強める。
「じゃあどうしろっていうんだよ!」
『進んで!』
「進んでるよ!」
『だったらそれでいい!』
「よくない! 何もよくないよ!」
声がひっくり返った。
「ストラトスのことだって分かんない! イオタに言われたことだって、答えなんか出てない!」
息が苦しい。拳も震えている。
「僕が死んだ時にシアンがどう思ったかなんて……そんなの、聞けるわけないだろ……」
通信が静まり返った。
「怖いんだよ」
とうとう言ってしまった。
「また間に合わなかったらどうしようって、ずっと思ってる。僕がここで他の人助けてる間に、シアンがもっと遠くへ行ったらどうしようって」
息を吸う。今度は少し入った。
「さっきの人たちだって……助けたのにあんなこと言われたら、普通に腹立つよ。何で助けたんだって、一瞬だけだけど本当に思った」
認めてしまえば、目の奥が熱くなった。
「僕だって嫌だよ。何でも平気なわけじゃない」
『GV……』
ジーノの声が聞こえた。いつもの軽さはなかった。
「助けた人に嫌われたら嫌だよ。ムカつくし、怖いし……今はシアンだけ追いたいよ」
それが本音だった。
「他の人なんか知らないって、思いたいよ……!」
なのに、コンテナが落ちた時も、隔壁の向こうに人がいた時も、考えるより先に身体が動いた。
「でも……見たら、放っておけないんだよ……!」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙の中で、自分が何を言ったのか理解し始める。恥ずかしいし、情けない。何も解決していない。ストラトスの答えも、イオタへの答えもない。
ただ、それでも身体が動いてしまう。
『へえ。やっぱいっぱいあったんだ』
メラクの声に、GVの表情が変わる。
『言えば楽になる? ボクのおかげ?』
「黙れ」
『じゃあ、もうちょっとシアンちゃんの――』
「黙れッ!」
雷が弾けた。
『GV!』
『おい、GV!』
モニカとジーノの声が重なる。
『GV』
次に聞こえたのはアシモフだった。
『こちらを聞け』
「……」
『答えがないなら、ないままでいい。少なくとも今はな』
GVが僅かに目を開く。
「……でも」
『キミは昔から、自分のことなら延々と迷う。そのくせ、他人が危険になると相談もせず飛び込む』
「それ、褒めてる?」
『ノーだ。非常に困っている』
こんな時なのに、ほんの僅かだけGVの呼吸が緩んだ。
『だが、それを失ったキミなど、私の知るGVではない』
「……」
『だから今は答えを出すな。シアンを連れて帰ってこい』
「……うん」
『キミもだ』
GVは目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
「……分かった」
◆
管制室で、メラクはモニターを眺めていた。
心拍、雷撃出力、移動速度、通信量。その全てが変化している。
「すご」
想定以上だった。
ストラトスは効く。イオタも効く。死亡記録はかなり効く。
そして、シアン。
メラクの指が止まった。
一番だった。
そこまで分かれば十分だ。
可哀想だとは思わない。苦しんでいる姿をもっと見たいとも思わない。そもそも、そんなことに興味はなかった。
必要なのは時間だけだ。
端末を見る。搬送準備には、もう少しかかる。
「じゃあ、ここ使お」
一番効率がいい。それだけだった。
◆
GVの目の前で空間が歪んだ。
『来る!』
モニカの声に、GVはダートを構える。
空間の向こうから、見覚えのある椅子がゆっくり現れた。その上でメラクは、相変わらず眠そうな顔をしている。
「あー……やっと追いついた」
GVは答えず、ただ睨んだ。
「怖い顔」
「シアンはどこ」
「まだそれ?」
「答えろ」
「ヤだ」
ダートを握る指へ力が入る。
メラクはそれを見ても、特に姿勢を変えなかった。
「でも、さっきより分かったよ」
「何が」
「キミのこと」
「……お前に、僕の何が分かる」
「別に分かってないけど」
即答され、GVの目が僅かに開いた。
「分かる必要ないし。どこ押したら止まるか分かれば、それでいいから」
胸の奥が冷えた。
やはり全部そうだったのだ。
ストラトスも、イオタも、自分の死も、シアンも。メラクにとっては、GVを止めるためのボタンでしかない。
「じゃ、もうちょっと付き合ってよ」
メラクの背後に亜空孔が一つ、二つ、三つと開く。
「シアンちゃんが向こう着くまで」
GVの瞳が大きく開いた。
「……向こう?」
メラクは口を閉じた。
しまったという顔ではない。
わざとだ。
「どこだ」
「さあ?」
「どこへ連れていった!」
「教えない」
「メラク!」
「ほら。また止まった」
雷が走った。
『GV! 乗らないで!』
「分かってる……!」
「分かってないじゃん」
「黙れ」
「シアンちゃんが――」
「黙れ」
「もし今頃――」
「黙れって言ってるだろ!」
雷光が強くなる。
『GV!』
『オマエ、聞こえてんだろ!』
ジーノとモニカ、それにアシモフの声まで聞こえる。
GVは、それでもメラクを見たままだった。
シアンが遠ざかっていくのが怖い。また間に合わないかもしれないし、自分も今度こそ帰れないかもしれない。
助けた相手に嫌われることもある。助けたことが正しかったのかも、選んだ結果を最後まで背負えるのかも分からない。
何一つ、答えは出ていない。
けれど、それを今ここでメラクに答える必要はなかった。
GVはダートを持ち上げる。
「……シアンのことを、勝手に喋るな」
「何で?」
「お前はシアンじゃない」
「知ってる」
「シアンの気持ちなんか、お前には分からない」
「うん」
「だったら――」
「キミにも分かんないんでしょ?」
言葉が止まった。
メラクの目が僅かに細くなる。
当たった。それだけを確認する目だった。
GVは拳を握る。
怖いことに変わりはない。シアンが本当は何を思っていたのか、それを本人の口から聞くことさえ怖かった。
それでも。
「……お前が決めることじゃない」
メラクが少しだけ目を開く。
「シアンが何を思ってるかは、シアンに聞く」
「……」
「だから」
蒼い雷がGVの身体を走る。
「そこを退け」
メラクは数秒、GVを見た。
そして。
「ヤだ」
「だと思った」
亜空孔が開く。
メラクが椅子の制御へ手を置く。搬送完了まで時間が必要なら、ここでGVを止める。それだけだ。
GVも床へ重心を落とした。
ストラトスにも、イオタにも、自分自身にも、まだ答えは出ていない。
それでいい。
今やるべきことは、シアンを見つけて連れて帰ること。そして、本人に聞くことだ。
メラクの背後で最初の亜空孔が開いた。
その瞬間、GVが床を蹴った。
メラクとの戦いは、続く。
《亜空孔》による攻撃を読み、徐々に追い詰めていくGV。しかし、メラクが狙っているのは勝利ではない。
「別に本当じゃなくていいから。キミが気にすればいい。それだけ」
ストラトス。イオタ。自らの死。そして――シアン。
触れられたくない傷を、ただ時間を稼ぐためだけに抉られ続け、GVの感情はついに限界を越える。
「お前に僕の何が分かる!」
モニカが叫ぶ。ジーノが止める。アシモフが命じる。
それでも、蒼き雷霆は止まらない。
「迸れ! 蒼き雷霆よ! もう聞きたくない……もう何も言うな!」
怒りの果てに放たれる、最強の雷。
そしてGVは、自分が何をしようとしたのかを知る。
「……僕が?」
海より深い場所で、少年が目にするものは――自分自身の《深淵》。
次回、第二十五話「深淵・後編」。
残された猶予は、あと一日。
次回も、グッドラック