『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』   作:幸田市

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第二十六話「電光」

海面へ浮上した小型艇のハッチが開いても、GVはすぐには立ち上がれなかった。

 

 身体が動かないわけではない。第三海底基地を離れてからここへ戻るまで、モニカの指示にはすべて応えられていた。歩けと言われれば歩き、座れと言われれば座り、第七波動の出力も規定値まで落とした。簡易検査でも目立った異常は見つかっていない。

 

 それでも、開いたハッチから潮風が流れ込み、その向こうにジーノの姿が見えた瞬間、それまで任務と帰還手順の後ろへ押し込めていたものが、一気に現実へ戻ってきた。

 

「……よ」

 

 ジーノが片手を上げる。

 

 いつもの軽い調子を作ろうとしたのだろう。しかし口元に浮かんだ笑みは、普段より少しだけぎこちなかった。

 

「おかえり」

 

「……ただいま」

 

 たったそれだけのやり取りなのに、喉の奥が詰まりそうになる。

 

 シアンはいない。

 

 連れて帰れなかった。

 

 それだけなら、まだ次に助ければいいと考えられたかもしれない。

 

 けれどGVの頭から離れないのは、第三海底基地で自分が放ったVOLTIC CHAINだった。モニカにも、ジーノにも、アシモフにも止められていた。声は聞こえていた。それでもメラクへ雷鎖を向け、意識を失うまで攻撃を止めなかった。

 

「立てるか?」

 

「うん」

 

「ホントに?」

 

「歩ける」

 

「そうじゃなくて」

 

 ジーノはそこで言葉を切った。

 

 何を聞こうとしたのか、GVにも分かった。

 

 だから目を逸らす。

 

「……今は、聞かないで」

 

「分かった」

 

 返事はあまりにも早かった。

 

 もっと問い詰められると思っていた。怒られることさえ覚悟していた。

 

 何も言われない方が、今は苦しい。

 

「ジーノ」

 

「ん?」

 

「……ごめん」

 

「それも後」

 

「モニカにも言われた」

 

「じゃあ学習しろって」

 

「……うん」

 

 ジーノは何か言い足しかけたものの、結局は飲み込んだ。

 

「行こうぜ。もう全員集まってる」

 

「もう?」

 

「紫電の野郎が『あと一日』なんて言いやがったからな。休めるなら休ませたいけど、そうも言ってられねえ」

 

 一日。

 

 その言葉だけで、GVの意識がシアンへ引き戻される。

 

 どこへ運ばれたのか。

 

 何をされるのか。

 

 まだ何一つ分かっていない間にも、皇神の計画は進んでいる。

 

「……急ごう」

 

 GVが歩調を速めようとすると、ジーノが一歩前へ出た。

 

「走るなよ」

 

「え?」

 

「今は歩け」

 

「でも――」

 

「二分三分縮めようとして転んだ方が時間食うだろ」

 

「転ばないよ」

 

「例えだよ!」

 

「……分かった」

 

 二人で並んで歩き始める。

 

 しばらくして、GVはジーノの歩幅がいつもより小さいことに気づいた。

 

 自分に合わせている。

 

 そのことについて、ジーノは何も言わなかった。

 

 GVも、何も言わなかった。

 

 フェザー本部の作戦室は、GVが出発した時とはまるで別の場所になっていた。

 

 壁面モニターには皇神関連施設の一覧が隙間なく並び、その横では通信ログや海上施設の衛星画像、軌道設備の概略図が絶え間なく更新されている。複数のオペレーターが飛び交う情報を拾い、その中央でモニカが次々と指示を振り分けていた。

 

「外洋側の通信ノイズを周波数ごとにもう一度分離して。紫電の割り込み回線と一致する成分があるはず」

 

「了解!」

 

「軌道設備一覧は?」

 

「出ました!」

 

「表向き廃棄扱いになってる施設も残して。皇神なら内部設備だけ生かしていてもおかしくない」

 

 入口で立ち止まったGVは、しばらく声をかけられなかった。

 

 通信越しに自分を何度も呼んでいた時とは違い、モニカの声は落ち着いている。

 

 けれど、端末を操作する指だけが普段より少し速かった。

 

 焦っている。

 

 自分だけではない。

 

「モニカ」

 

 呼ぶと、その肩が僅かに揺れた。

 

 振り返ったモニカは、GVの姿を確かめてから小さく息を吐く。

 

「……帰ったのね」

 

「うん」

 

「身体は?」

 

「大丈夫」

 

「それは検査してから私たちが決める」

 

「……はい」

 

「素直でよろしい」

 

 いつも通りの強い言い方だった。

 

 だからこそ、GVは目を合わせづらかった。

 

「さっき……」

 

「後」

 

「でも」

 

「後」

 

「……うん」

 

 モニカはそれ以上追及せず、再び大型モニターへ向き直った。

 

「今はシアンちゃんを探す」

 

 GVも顔を上げる。

 

「何か分かった?」

 

「そのために呼んだの」

 

 画面へ第三海底基地の通信波形が映し出された。

 

「搬送シークエンスが始まった直後から、通信ログへ一定間隔の欠損が混じっていたの。最初は設備障害だと思ったんだけど、皇神の認証信号だけ不自然に削られてる」

 

「それって……」

 

「欠けた部分を並べ直したら、座標情報の一部になった」

 

 数字と記号の羅列を見ても、GVには意味が分からない。

 

 だが、モニカの声には確信へ近いものがあった。

 

「シアンちゃんと電子の謡精が残した可能性が高い」

 

 胸が大きく鳴る。

 

「シアンが……」

 

「確証はまだない。でも、搬送開始後に第三海底基地内部でこんな細工をする人間が他にいるとは考えにくい」

 

「モニカ! 追加照合、終わりました!」

 

「出して!」

 

 画面が切り替わった。

 

 第三海底基地から搬送経路を示す線が海上へ伸び、その先で巨大な人工島へ繋がる。

 

「……オノゴロフロート」

 

 背後からアシモフの声がした。

 

 GVが振り返る。

 

「皇神が所有する巨大人工島だ。だが、重要なのは島そのものではない」

 

 別のモニターへ、人工島から空へ向かって伸びる巨大構造物が表示された。

 

「軌道エレベーター《アメノサカホコ》。その終着点にあるのが、皇神の軌道衛星拠点《アメノウキハシ》だ」

 

「……宇宙?」

 

 GVの声が掠れた。

 

 海底基地でさえ遠かった。

 

 今度は海を越え、そのさらに上。

 

 地上から見上げても届かない場所だ。

 

「シアンを……そこまで?」

 

「可能性は高い」

 

「どうして」

 

 アシモフは軌道施設の図を見上げる。

 

「電子の謡精を大規模なシステムへ接続するつもりなら、皇神が厳重に管理している軌道拠点は有力候補だ。ただし、現段階では目的まで断定出来ない」

 

「でも、シアンはそこにいるかもしれない」

 

「ああ」

 

「なら行く」

 

 考えるより先に言葉が出た。

 

「今すぐ行く」

 

「駄目だ」

 

「何で!」

 

「まだ作戦がない」

 

「作ればいい!」

 

「今作っている」

 

「その間にまた何かされたら――」

 

「GV」

 

 アシモフの声が一段低くなった。

 

「キミは今、自分がどういう状態か理解しているか?」

 

 答えようとして、声が出ない。

 

 作戦室では誰も仕事を止めていない。それでも、近くにいるモニカとジーノには会話がすべて聞こえている。

 

「……分かってる」

 

「本当に?」

 

「メラクを……」

 

 そこから先を口にするだけで、あの光景が蘇る。

 

「……殺しかけた」

 

「そうだ」

 

「だからシアンを助けに行くなって?」

 

「違う」

 

 アシモフは即座に否定した。

 

「だから、今のキミを何の準備もなく次の戦場へ放り込むわけにはいかないと言っている」

 

「でも、シアンは!」

 

「シアンが危険だからこそだ!」

 

 初めてアシモフの声が作戦室へ響いた。

 

 GVが息を呑む。

 

 アシモフ自身も一度目を閉じ、声音を戻してから続ける。

 

「……焦るなとは言わない。焦って当然だ。だが、焦っているから一人で行かせろとは言えない」

 

「僕以外に行ける人いるの?」

 

「それは別の問題だ」

 

「同じだよ!」

 

「違う」

 

 アシモフが一歩近づく。

 

「キミが必要なことと、キミ一人でやらなければならないことは違う」

 

 GVの口が閉じた。

 

「海底基地でキミは、モニカの声も、ジーノの声も、私の声も聞こえていた。それでも一人で判断した」

 

「……」

 

「今回は忘れるな」

 

 アシモフの視線がGVを正面から捉える。

 

「電子の謡精救出は、キミ一人のミッションではない」

 

 その時、作戦室の反対側からモニカの声が上がった。

 

「ルート、出たわ!」

 

 全員の視線がモニターへ集まる。

 

「オノゴロフロート正面は警備が厚い。でも西側の保守用海上ルートなら、小型艇で接近出来る」

 

「管制施設へは?」

 

「ここ」

 

 人工島側面へ別の線が引かれる。

 

「正面側で大きな戦闘が起きれば、西側の警備は薄くなるはず」

 

 ジーノが腕を組んだ。

 

「つまり、誰かが正面でド派手に目立ってる間に、別働隊が管制を取る」

 

「そういうこと」

 

 数秒の沈黙のあと、全員の視線が自然とGVへ集まった。

 

「……僕だね」

 

「まあ」

 

「そうなるな」

 

「他にいねえだろ」

 

「三人とも即答しすぎじゃない?」

 

 口から出た言葉に、ジーノが鼻を鳴らした。

 

「そういうツッコミ出るなら少し安心した」

 

 GVは一瞬だけ黙り、反射的に謝りそうになった言葉を飲み込んだ。

 

 モニカがそれを見てから、画面へ三本の経路を表示する。

 

「GVは正面から入り、警備を引きつける。アシモフとジーノは西側から管制施設を制圧。私が両方を繋ぐ」

 

「シアンは?」

 

「シアンちゃんが残した信号が本物なら、向こうもただ待ってるわけじゃない」

 

 モニカはGVを見る。

 

「だからあなたは、あなたの役割をやって」

 

 出来る、と即答するのは怖かった。

 

 少し前までの自分なら、言っていたかもしれない。

 

 だから今は、一度考えてから答える。

 

「……やる」

 

 アシモフが頷いた。

 

「Good」

 

 GVが僅かに目を細める。

 

「……今日はもう、それに文句言う元気ない」

 

「それは困るな」

 

「何で?」

 

「キミらしくない」

 

 GVが少しだけ目を開いた頃には、アシモフはもうモニターへ向き直っていた。

 

 出撃までの三十分で、GVは医療区画へ回された。

 

 大きな外傷はない。第七波動も安定している。

 

 問題は疲労だった。

 

「普通なら休ませる数値」

 

 検査結果を見ながらモニカが言う。

 

「うん」

 

「でも今は普通の状況じゃない。だから条件付きで出す」

 

「聞くよ」

 

 モニカが指を一本立てる。

 

「出力上限を設定する。昨日みたいな急上昇を検知したら、すぐ私に伝わる」

 

「分かった」

 

「もう一つ。私が撤退を指示したら、まず聞くこと」

 

「シアンが目の前にいたら?」

 

「その状況も含めて判断する」

 

「……絶対に従う、とは言えない」

 

「GV」

 

「でも、聞かないまま突っ込まないようにする」

 

 モニカはしばらくGVの顔を見た。

 

「……それならいい」

 

「いいんだ」

 

「守れない約束をされるよりはね」

 

 扉が開き、アシモフが入ってきた。

 

「少しいいか?」

 

「僕?」

 

「ああ」

 

 モニカは二人を見比べると、端末を持って部屋を出た。

 

 アシモフがGVの正面へ立つ。

 

「VOLTIC CHAINの件だ」

 

 GVの指が僅かに縮む。

 

「……うん」

 

「今すぐ答えを出すなとは言った。だが、なかったことにはしない」

 

「分かってる」

 

「あの時、何があった?」

 

 GVはしばらく自分の手を見つめた。

 

「……止まれなかった」

 

「みんなの声は?」

 

「聞こえてた」

 

「ああ」

 

「でも、メラクの声を消したかった」

 

 言葉にするほど、自分がしたことの輪郭がはっきりしてくる。

 

「あいつが怖がった時……ちょっとだけ嬉しかった」

 

 アシモフは否定しなかった。

 

「人間なら、そういう感情を抱くことはある」

 

「でも僕には力がある」

 

「そうだ」

 

 そこで初めてアシモフの言葉が重なる。

 

「だから、思ったことと、実際に力を振るうことを分けなければならない」

 

「……僕は失敗した」

 

「昨日はな」

 

 慰めるための言葉ではなかった。

 

 だからGVも逃げずに頷いた。

 

「同じ兆候が出たら、私は止める」

 

「うん」

 

「キミが拒否してもだ」

 

「……どうやって?」

 

「手段はいくらでもある」

 

「怖い言い方」

 

「キミが聞かないなら仕方ない」

 

 ほんの少しだけ、GVの口元が緩む。

 

「……分かった」

 

 アシモフは続けた。

 

「もう一つ。今日はすべてを自分で背負うな」

 

「……難しい」

 

「顔に書いてある」

 

「だって、シアンのことだから」

 

「だから何だ?」

 

「僕が――」

 

 助けなければ。

 

 そこまで言いかけて、GVは止まった。

 

 シアンは自分で痕跡を残した。

 

 モニカが見つけた。

 

 ジーノも、アシモフも、すでに動いている。

 

「……僕だけじゃない」

 

「そうだ」

 

「分かってる」

 

「なら、行動でも覚えろ」

 

「難しいな」

 

「努力しろ」

 

「……する」

 

 アシモフの手が肩へ置かれる。

 

 戦い方を教えてくれた人。

 

 名前をくれた人。

 

 皇神から連れ出してくれた人。

 

 その手の重みを感じながら、GVはずっと口に出来なかったものを出した。

 

「アシモフ」

 

「何だ?」

 

「僕、怖いよ」

 

「ああ」

 

「また変になるかもしれない」

 

「ああ」

 

「それでも……行っていい?」

 

 アシモフは少しだけ目を細めた。

 

「怖くない者だけが戦えるなら、フェザーはとっくに消えている」

 

「……」

 

「怖がること自体は問題ではない。その怖さで、自分も他人も見えなくなるな」

 

 肩に置かれた手へ少しだけ力が入る。

 

「……うん」

 

「グッドラック」

 

 GVは今度こそ、ほんの少し笑った。

 

「……行ってきます」

 

 オノゴロフロートへ近づくにつれ、海は荒れ始めた。

 

 小型艇の窓を横殴りの雨が叩き、強風に煽られた波頭が白く砕けている。その向こうに浮かぶ巨大人工島は、荒天の中では海からせり上がった黒い要塞のように見えた。

 

 遠くで雷鳴が轟く。

 

 自然の雷だった。

 

 それでもGVの肩が僅かに強張る。

 

『GV?』

 

「……昨日のこと、ちょっと思い出した」

 

『そう』

 

「でも聞こえてる」

 

『ならいい。正面警備は予想より多い。有人部隊と無人機の混成よ。それと、この風で大きく跳ばないで。着地点を持っていかれる』

 

「分かった」

 

『全部一気に抜こうとしなくていい。必要なら一体ずつ止める』

 

「時間かかるね」

 

『かかる。でも、時間を縮めようとして失敗する方がもっと遅い』

 

「……うん」

 

 接続ランプが点灯し、ハッチが開く。

 

 雨音と潮風が一気に艇内へ流れ込んだ。

 

『こちらも動く』

 

 アシモフ。

 

『ジーノ、準備は?』

 

『とっくに出来てるって!』

 

『Good』

 

『だから今日それ何回目だよ!』

 

 GVの口元がほんの少しだけ緩んだ。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 荒れ狂う海を背に、人工島へ飛び移った。

 

 着地と同時に横風が身体を押した。

 

「うわっ……!」

 

『GV!』

 

「大丈夫!」

 

 すぐに重心を下げる。

 

 前方では警報灯が回転し、GVを発見した皇神兵たちが一斉に武器を構えていた。

 

「侵入者!」

 

「蒼き雷霆だ!」

 

「撃て!」

 

 銃口が並ぶ。

 

 GVも反射的にダートを構えた。

 

 その指が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

 視界の奥へ蒼い雷鎖が重なった。

 

 床へ倒れたメラク。

 

 返事のない声。

 

『GV、撃って!』

 

 モニカの声で引き金を引く。

 

 狙ったのは兵士ではなく、その手の武器だった。

 

 一発目は外れた。

 

「……!」

 

『もう一発!』

 

「うん!」

 

 二発目が武器へ刺さる。

 

 通電したものの、今度は出力を抑えすぎて電子系統が完全には落ちない。

 

『GV、弱すぎる! 上げて!』

 

「上げるの!?」

 

『戦うなとは言ってない! 止めるのに必要な分は使って!』

 

「……分かった!」

 

 今度は適正出力。

 

 武器から火花が弾け、兵士が反射的に手放した。

 

 別方向から銃撃が来る。

 

 GVは低く身体を沈め、雨に濡れた床を滑るように遮蔽物へ飛び込んだ。風に逆らって跳ぶのではなく、足場を使って距離を詰める。モニカの指示通り、一度に全部を突破しようとはしない。

 

 見る。

 

 避ける。

 

 位置を取る。

 

 撃つ。

 

 止める。

 

 少し前まで身体へ染みついていた順序を、一つずつ確かめ直すように戦った。

 

 怖さは消えない。

 

 人へ銃口を向けるたび、ほんの僅かに指が強張る。

 

 それでも、何を狙うのかは分かっている。

 

 身体ではなく、武器。

 

 倒すためではなく、止めるため。

 

 それを繰り返しているうちに、戦場の端で大型資材の固定具が銃撃によって弾けた。

 

 強風を受けた資材が傾く。

 

 その真下には、つい先ほどまでGVへ銃を向けていた皇神兵がいた。

 

「危ない!」

 

 声を出した瞬間、足が止まった。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 ――誰が貴様なんかに助けろと言った。

 

 深淵で浴びせられた声が蘇る。

 

 助けても嫌われるかもしれない。

 

 助けた相手が、このあとまた自分へ銃を向けるかもしれない。

 

 正しいのかどうかなんて、まだ分からない。

 

 それでも資材は倒れてくる。

 

「っ!」

 

 考え終わる前にGVは走っていた。

 

 兵士の肩を掴み、強引に横へ引く。

 

「こっち!」

 

「何を――」

 

 二人が濡れた床へ倒れ込んだ直後、巨大な資材が背後へ叩きつけられた。轟音とともに飛び散った水飛沫が背中へ降りかかる。

 

「大丈夫!?」

 

「……あ、ああ」

 

「怪我は?」

 

「ない……」

 

「ならよかった」

 

 GVは立ち上がる。

 

 兵士は困惑したまま、その背中を見ていた。

 

「待て」

 

 呼び止められ、GVの肩が僅かに強張る。

 

「……何?」

 

「なぜ助けた」

 

 少し前までなら、もっと簡単に答えていたかもしれない。

 

 困っていたから。

 

 手が届いたから。

 

 隣人だから。

 

 けれど今は、その言葉を簡単に正解として出したくなかった。

 

「……分かんない」

 

「は?」

 

「助けた方が正しいのかも、このあとあなたが何するのかも、まだ僕には分かんない」

 

 GVは倒れた資材を見る。

 

「でも、今は危なかったから」

 

 それから兵士へ戻す。

 

「だから助けた。それだけ」

 

 返事を待たず、GVは再び走り出した。

 

『GV』

 

「何?」

 

『今、迷ったでしょう』

 

「うん」

 

『それでも動いた』

 

「……うん」

 

『なら今は、それでいい』

 

 GVは雨の向こうへ視線を戻す。

 

 分からないままでも、身体は動いた。

 

 そのことを、今はそれ以上説明しなかった。

 

 島の西側では、アシモフとジーノが保守通路へ侵入していた。

 

 正面の警備がGVへ引きつけられたことで人数は少ない。それでも無人ではなく、曲がり角の先には二人の警備員が立っている。

 

 アシモフが指を二本立てる。

 

 ジーノが頷いた。

 

 角を抜けるのと同時に二人が動き、相手が状況を理解するより先に武器を弾き落とす。ジーノが一人を壁際へ追い込み、アシモフがもう一人の反撃を封じた。

 

「よし」

 

「次だ」

 

「相変わらず淡々としてんな」

 

「ここで祝勝会でもするのか?」

 

「しねえよ」

 

 通路を進みながら、ジーノが少しだけ声を落とした。

 

「リーダー」

 

「何だ?」

 

「GV、大丈夫だと思う?」

 

 アシモフの歩調が僅かに緩む。

 

「今する話か?」

 

「今だからだろ。オレ、昨日の通信マジで焦ったぞ」

 

「私もだ」

 

 ジーノが少しだけ目を開いた。

 

「……珍しく素直」

 

「キミは私を何だと思っている?」

 

「何でも平気そうな人」

 

「そんな人間はいない」

 

「……そっか」

 

 数歩進んでから、アシモフは正面を向いたまま続ける。

 

「だからこそ、今は自分の任務を見ろ。GVが心配ならなおさらだ」

 

「分かってるよ」

 

 ジーノはそれ以上聞かなかった。

 

 ただ、正面側から遠く響いてくる戦闘音へ一度だけ目を向け、すぐ前へ戻した。

 

 アメノウキハシ。

 

 シアンが窓の外を見た時、そこには地球が浮かんでいた。

 

 黒い宇宙の中に広がる青と白は、映像で見たものより遥かに大きい。それなのに、窓一枚を隔てた向こうでは手のひらに乗ってしまいそうなほど遠く見えた。

 

『見惚れてる場合?』

 

「……ちょっとだけ」

 

『分かるけど』

 

「きれい」

 

『そうね』

 

 ほんの数秒だけ景色を見てから、シアンは室内へ視線を戻した。

 

 白い壁。

 

 中央に据えられた大型装置。

 

 何本ものケーブル。

 

 透明な隔壁。

 

 制御端末が三ヶ所あり、右奥の一台だけ認証が二段階になっている。

 

 警備は六人。

 

 出入口は二つ。

 

 天井にも監視装置。

 

 逃げられないと分かっているからこそ、今は見る。

 

『右奥が怪しいわね』

 

「うん」

 

『たぶん主制御』

 

「覚えとく」

 

 扉が開いた。

 

「やあ」

 

 入ってきたのは、自分とほとんど変わらない年齢に見える少年だった。

 

 小柄で、整った顔立ちをしている。それでも周囲の大人たちは、その姿を見た途端に一斉に姿勢を正した。

 

「紫電様」

 

「ご苦労さま。少し外してくれる?」

 

「しかし――」

 

「大丈夫だよ。彼女と話したいだけだから」

 

 職員たちが退室し、扉が閉じる。

 

 紫電はシアンと向き合った。

 

「初めまして、かな。ボクのことは知ってる?」

 

「紫電」

 

「正解」

 

「GVから聞いた」

 

「へえ。やっぱりキミたち、ずいぶん仲がいいんだね」

 

「うん」

 

 シアンは迷わなかった。

 

「すごく」

 

 紫電は僅かに目を細めたものの、それ以上そこへは踏み込まず、中央の装置へ視線を向けた。

 

「あれが気になる?」

 

「気になるよ」

 

「まあ、キミのために用意したものだからね」

 

「わたしの?」

 

「正確には、キミの力を利用するための装置かな」

 

 シアンの指先が僅かに強張った。

 

「……何するの?」

 

「世界中の能力者を管理する」

 

「管理?」

 

「電子の謡精を大規模に拡張すれば、能力者の位置を把握し、その精神へ干渉することも出来る。危険な能力者を事前に発見し、必要なら行動を抑制する」

 

『洗脳じゃない』

 

 モルフォの声が頭の中で響く。

 

 シアンは紫電から目を逸らさなかった。

 

「それ、洗脳って言うんじゃないの?」

 

「言葉の選び方は自由だよ」

 

「嫌って言っても?」

 

「国家の安全が関わるなら、従ってもらうこともある」

 

「……じゃあ洗脳だよ」

 

 紫電は否定しなかった。

 

「能力者は、一人でも通常兵器とは比較にならない力を持つ。能力者同士の衝突、一般人への被害、国外勢力による能力者技術の奪取。何かが起きてからでは遅いんだ」

 

「だから、何もしてない人も?」

 

「危険性を持つならね」

 

「全員?」

 

「必要なら」

 

 紫電の答えには迷いがない。

 

 シアンは中央装置へ目を向けた。

 

「それで……わたしはどうなるの?」

 

「重要な役割を果たしてもらう」

 

「そのあと」

 

「……」

 

「帰れる?」

 

 僅かな間のあと、紫電は首を横へ振った。

 

「難しいだろうね」

 

「GVのところにも?」

 

「なおさら」

 

 怖い。

 

 その感情ははっきりあった。

 

 けれどシアンは俯かなかった。

 

「嫌って言ったら?」

 

「残念だけど、受け入れてもらう」

 

「無理やり?」

 

「何千万人という人間の安全が関わっている。一人の希望だけで決めるわけにはいかない」

 

 シアンはそこで少し黙った。

 

「……その何千万人の中に、わたしもいる?」

 

 紫電の口が止まる。

 

「もちろん、キミもこの国に生きる一人だ」

 

「じゃあ、その一人を無理やりここに閉じ込めて、帰れなくして作るものって、本当に平和なの?」

 

「全員を救える政策なんて存在しないよ」

 

 紫電は今度も迷わなかった。

 

「政治や安全保障は、目の前の一人だけを見て決められるものじゃない。大きな被害を防ぐために、より小さな犠牲を選ばなければならない場合もある」

 

「小さいって、わたしが一人だから?」

 

「数の話をしている」

 

「でも、その一人にとっては全部だよ」

 

「感情的にはそうだろうね」

 

「感情じゃないよ」

 

 シアンは紫電を見た。

 

「犠牲になる本人の話」

 

 紫電の眉が僅かに動く。

 

「紫電は『仕方ない』『妥協だ』って言えるけど、我慢するのは紫電じゃないよね」

 

「ボクには実行する責任がある」

 

「それは、やる側の責任でしょ?」

 

「……」

 

「自由がなくなるのは、わたしたちだよ」

 

 紫電の表情から少しだけ余裕が消えた。

 

「ではどうしろと言うんだい? 能力者が事件を起こすまで放置しろと?」

 

「違うよ。危ない人を止めるのは必要だと思う」

 

「なら――」

 

「でも、何もしてない人まで最初から言うこと聞かせるのは違う」

 

「何かしてからでは遅いと言っただろう」

 

「じゃあ力が強い人ほど、何もしてなくても自由を減らされるの?」

 

「責任が増えるんだ」

 

「本人が選んでもいない力なのに?」

 

 紫電が黙る。

 

「わたし、自分でこの力が欲しいって言ったことないよ」

 

「……」

 

「GVだってそう」

 

 その名前に紫電の視線が僅かに鋭くなった。

 

「あんなに強いけど、好きであの力を持ったわけじゃない。それでも人を助けるのにも使ってる」

 

「彼は同時に皇神の秩序を乱している」

 

「紫電の秩序?」

 

「国家の秩序だ」

 

「それって同じなの?」

 

 今度は明確に、紫電の目が細くなった。

 

「ボクは責任ある立場で判断している。キミのように目の前の感情だけを基準にしているわけじゃない」

 

「うん。でも」

 

 シアンは自分の胸元へ手を当てる。

 

「わたしが嫌だってことなら、紫電よりわたしの方が分かるよ」

 

「……」

 

「怖いことも、帰りたいことも、GVに会いたいことも」

 

「それを全部叶えるために国家を危険へ晒せと言うのか?」

 

「言ってない」

 

「同じことだ」

 

「違うよ。わたしは、紫電の方法以外を探してって言ってる」

 

「そんな時間はない!」

 

 初めて紫電の声が強くなった。

 

「国外からの圧力は増している。能力者を巡る争いも激しくなっている。皇神だけの問題じゃない。何もしなければ国家そのものが危うくなる!」

 

 シアンは少し驚いたものの、下がらなかった。

 

「だから、この方法にするって決めたの?」

 

「そうだ」

 

「わたしを使うって決めたのも?」

 

「必要だからだ」

 

「能力者を管理していいって決めたのも?」

 

「誰かが決断しなければ何も守れない!」

 

 紫電が一歩踏み出した。

 

「責任者とはそういうものだ。状況を見て、必要な決断を下す。ボクが決めなければ、結局は誰かが決める!」

 

 そこでシアンは、初めて紫電の言葉の奥にあるものを見た気がした。

 

 この少年は、本当に国を守ろうとしている。

 

 嘘ではない。

 

 人を苦しめることが楽しいわけでもない。

 

 けれど同時に、能力者が何をするのか分からないことも、国外がどう動くのか分からないことも、自分の手から未来が零れ落ちていくことも、耐えられないのではないか。

 

「……紫電」

 

「何だい」

 

「怖いんだね」

 

 紫電の表情が止まった。

 

「……何?」

 

「自分で決められないことが」

 

「何を言っている」

 

「能力者が何するか分からないのも、外国がどうするか分からないのも、この国がどうなるか分からないのも」

 

「黙れ」

 

 低い声だった。

 

「だから全部、自分が決められる形にしたいの?」

 

「黙れと言った」

 

「平和にしたいのと、怖いものを全部なくしたいのって、本当に同じ?」

 

「違う!」

 

 紫電の声が弾けた。

 

「ボクはこの国を守ろうとしている!」

 

「うん!」

 

 シアンも声を強める。

 

「紫電が怖いのと同じで、わたしだって怖いよ!」

 

「……!」

 

「いきなり連れてこられて、帰れないって言われて、自分の力で知らない人たちまで言うこと聞かせるって言われてる!」

 

 胸元を握る。

 

「なのに、紫電の怖いは国のためだから正しくて、わたしの怖いは感情だから無視していいの?」

 

 紫電の口が止まった。

 

「守るって、その人が嫌がってても無理やり言うこと聞かせることなの?」

 

「……必要な場合もある」

 

「じゃあ、その『守る人』の中にわたしはいないの?」

 

「それがこの計画だ!」

 

「違うよ! わたしは嫌だって言ってる!」

 

「子供のわがままだ!」

 

 吐き捨ててから、紫電自身が一瞬だけ固まった。

 

 シアンも目を瞬く。

 

「……紫電も子供じゃん」

 

「ボクはキミとは違う!」

 

「一歳くらいしか違わないでしょ」

 

「年齢の話じゃない! 背負っているものが違う!」

 

 紫電の声には、もう最初の余裕がなかった。

 

「ボクにはこの国がある! 何千万という人間の生活がある! キミやガンヴォルトのように、目の前の一人だけ見ていればいい立場じゃない!」

 

 シアンは一瞬だけ黙った。

 

 そして、ゆっくりと首を傾げる。

 

「でも、その何千万人も、一人がいっぱい集まってるんでしょ?」

 

「……」

 

「わたしはGVにとって大事。GVもわたしにとって大事。モニカも、ジーノも、アシモフも、きっと誰かにとって大事」

 

「だから何だ」

 

「全員を助けられないことと、最初から誰かを犠牲にするって決めることは違うよ」

 

 紫電の顔から完全に笑みが消えた。

 

「……もういい」

 

「え?」

 

「キミの意見を聞くためにここへ連れてきたわけじゃない」

 

 壁面端末へ触れる。

 

 扉が開き、外で待機していた職員たちが入ってきた。

 

「紫電様?」

 

「準備を進めろ」

 

「しかし、まだ調整が――」

 

「予定を前倒しする」

 

「対象への負荷が増します」

 

 紫電は一瞬だけシアンを見た。

 

「構わない」

 

 職員がシアンへ近づく。

 

「……結局」

 

 シアンが呟く。

 

 紫電の足が止まった。

 

「何?」

 

「言うこと聞かない人は、力で言うこと聞かせるんだね」

 

 紫電の眉が跳ねる。

 

「連れていけ」

 

 両腕を掴まれる。

 

 怖い。

 

 本当なら逃げたい。

 

 GVに来てほしい。

 

 それでも、シアンは最後まで紫電から目を逸らさなかった。

 

「紫電」

 

「……」

 

「貴方はGVには勝てない」

 

 紫電がゆっくり振り返る。

 

「……何?」

 

「自分の弱さを力で隠そうとする人に、彼は負けない」

 

 紫電の目が大きく開く。

 

「GVは弱いよ」

 

『ちょっと』

 

「モルフォ、今はいいの」

 

 シアンは続ける。

 

「怖がるし、悩むし、すぐ自分が悪いって思うし、無茶するし」

 

 言いながら、少し胸が痛んだ。

 

「でも、分からない時は分からないって言う。怖い時も……最近はちゃんと怖いって言えるようになった」

 

 だから。

 

「自分が怖いことを認めないで、全部誰かのせいにしてる貴方には負けない」

 

 数秒間、紫電は何も言わなかった。

 

 やがて絞り出すように、

 

「……黙れ」

 

 それだけを返した。

 

 シアンはもう何も言わなかった。

 

 職員に連れられ、中央装置へ向かう。

 

『女傑ね』

 

「今言う?」

 

『今だからよ』

 

「……怖いよ」

 

『知ってる』

 

「GV、来るかな」

 

『来るでしょ』

 

「うん」

 

 透明な隔壁が開く。

 

 シアンはその中へ足を踏み入れた。

 

「でも、来るまでわたしもやる」

 

『当然』

 

 背後で隔壁が閉じる。

 

 紫電はもうこちらを見ていなかった。

 

 ただ、その拳だけは強く握られたままだった。

 

 オノゴロフロート正面では、GVが有人警備を抜け、中央区画へ近づいていた。

 

 そこから先を守っていたのは四脚型の大型無人兵器だった。

 

 砲撃が雨を切り裂き、着弾の衝撃で濡れた床が震える。

 

『完全無人!』

 

「……そっか」

 

 GVの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

 

 人を狙わなくていい。

 

 その事実に安心した自分へ気づき、また少しだけ怖くなる。

 

 それでも今は、その感情まで掘り下げている時間はない。

 

「機械なら遠慮しない!」

 

 ダートを構え、低い姿勢で砲撃の下へ潜り込む。

 

 強風の中で大きく跳ぶ代わりに床を走り、脚部の関節へ一発、二発とダートを打ち込んだ。通電した蒼雷が駆動部へ食い込むが、大型機の装甲は厚く、一ヶ所を止めただけでは姿勢すら崩れない。

 

『背部に制御ノード! そこなら通る!』

 

「見えない!」

 

『右へ旋回させて!』

 

「どうやって!?」

 

『あなた囮得意でしょう!』

 

「嬉しくない!」

 

 GVは大型機の正面へ飛び出した。

 

 砲口がこちらを追う。

 

 撃たれる直前まで引きつけてから横へ走り、機体そのものを旋回させる。風を受けた巨体の動きが僅かに鈍り、その背部に小さな発光部が露出した。

 

『今!』

 

「見えた!」

 

 一発目は風に流されて装甲へ弾かれた。

 

 二発目。

 

 命中。

 

「捕まえた!」

 

 雷を集める。

 

 巨大で、硬い。

 

 時間もない。

 

 頭の中へ、最も早い方法が浮かんだ。

 

 VOLTIC CHAIN。

 

 右手の周囲へ集まりかけた雷が、そこで止まった。

 

 メラクが床へ倒れる光景が蘇る。

 

『GV?』

 

「……VOLTIC CHAINなら早いって思った」

 

『うん』

 

「相手、無人だよね」

 

『ええ』

 

「なら使ってもいいはずなのに……今は無理」

 

 モニカは数秒だけ黙った。

 

『だったら別の方法』

 

「でも時間が」

 

『VOLTIC CHAINしか持ってないの?』

 

 GVが顔を上げる。

 

「……そんなことない」

 

『なら、今使える方法を選んで』

 

 背部のタグを見る。

 

 止めるために作った技がある。

 

「……うん」

 

 今度は迷わず右手を開いた。

 

「LIGHTNING SPHERE!!」

 

 蒼雷が一点へ収束する。

 

 タグを起点に膨れ上がった電流が制御ノードへ殺到し、装甲の内部から警告灯が次々と赤く染まっていく。大型機はそれでも前へ出ようと脚を動かしたが、GVは出力を必要なところまで引き上げ、逃がさず制御系へ流し続けた。

 

「止まれ!」

 

 雷光が雨粒を青白く照らす。

 

 やがて巨体の動きが鈍り、最後には一歩踏み出しかけた姿勢のまま完全に停止した。

 

 GVはしばらく右手を開いたまま、それを見上げていた。

 

『停止確認』

 

「……そっか」

 

 ゆっくりと手を下ろす。

 

「VOLTIC CHAIN、使わなかった」

 

『うん』

 

「逃げたかな」

 

『何から?』

 

「昨日のことから」

 

『今必要な方法を選んだだけでしょう』

 

「……そうかな」

 

『少なくとも私はそう見えた』

 

「いつかまた使えるかな」

 

『それは今決めなくていい』

 

「……うん」

 

『行って。管制側もそろそろ――』

 

『GV! 聞こえるか!』

 

 ジーノの声が割り込んだ。

 

「聞こえてる!」

 

『管制室取ったぞ!』

 

「早い!」

 

『もっと褒めろ!』

 

「ジーノすごい!」

 

『軽い!』

 

「戦闘中なんだよ!」

 

『知ってるわ!』

 

 思わず笑いそうになったところで、モニカが通信へ入る。

 

『アメノサカホコの起動権限も取れた! 中央基部へ向かって!』

 

「シアンのところまで行ける?」

 

『少なくともアメノウキハシまでは!』

 

 GVは人工島中央を見上げた。

 

 雲の向こうへ消える巨大構造物。

 

「……よし」

 

 走り出す。

 

 管制室では、ジーノが主制御卓から顔を上げた。

 

「アイツ、ちゃんと動けてんな」

 

「今のところはな」

 

 アシモフは軌道エレベーターの起動シークエンスを確認している。

 

「さっき敵兵も助けてたし」

 

「ああ」

 

「……ちょっと安心した」

 

 ジーノの言葉に、アシモフの手が僅かに止まった。

 

「私は逆だ」

 

「え?」

 

「だからこそ危うい」

 

「どういう意味?」

 

 アシモフはモニターへ映るGVを見る。

 

 迷っていた。

 

 それでも助けた。

 

 昨日、自分の力で敵を殺しかけた少年が、それでも今日また他人へ手を伸ばしている。

 

 それはGVの強さなのだろう。

 

 同時に、本人がどれだけ傷ついても止まらないということでもある。

 

「……今はいい」

 

「いや、気になるんだけど」

 

「管制が先だ」

 

 ジーノは納得していない顔をしたものの、追及せず入口の警戒へ戻った。

 

 アシモフは再び画面へ視線を落とす。

 

 GVは自分で止まらない。

 

 ならば。

 

 誰かが――

 

「起動権限、通ったぞ!」

 

 ジーノの声で思考が切れる。

 

 アシモフは僅かに目を伏せてから、操作卓へ手を戻した。

 

 アメノサカホコ基部へ到着したGVの前で、巨大な搭乗口がゆっくりと開いた。

 

『GV、入って!』

 

「うん!」

 

 内部へ駆け込む。

 

 扉が閉まり、荒れ狂う雨音が急に遠ざかった。

 

『搭乗確認!』

 

「入った!」

 

『よっしゃあ!』

 

 ジーノの声が響く。

 

『まだ宇宙行ってない!』

 

「分かってるけど一回喜ばせろ!」

 

 GVが小さく笑う。

 

「ジーノうるさい」

 

『オマエに言われたくねえ!』

 

「僕そんなうるさくない」

 

『今日前半のオマエに聞かせてやりてえ!』

 

 言った直後、ジーノが止まった。

 

『……悪い』

 

 GVも少し黙った。

 

「……ううん」

 

『帰ってからだ』

 

「うん」

 

『文句も謝罪も全部帰ってから聞く』

 

「いっぱいあるよ」

 

『知るか。全部持って帰ってこい』

 

 アシモフが起動確認を終える。

 

『GV』

 

「何?」

 

『準備が出来た。ここから高度が上がるにつれて通信は不安定になる』

 

「分かってる」

 

 モニカも続ける。

 

『通信が切れても、今まで聞いたことまで忘れないで』

 

「……努力する」

 

『またそれ』

 

「絶対って言うよりいいでしょ」

 

『今日はそれで許す』

 

 GVは窓の外へ目を向けた。

 

 荒れた海。

 

 黒い雲。

 

 そのどこかにフェザーの仲間たちがいる。

 

「モニカ」

 

『何?』

 

「ありがとう」

 

『まだ早い』

 

「ジーノ」

 

『おう』

 

「ありがとう」

 

『もっと早え』

 

「アシモフ」

 

『何だ』

 

「……ありがとう」

 

『帰ってから聞く』

 

「みんな同じこと言うね」

 

『当たり前だ』

 

 照明が切り替わり、上昇開始を告げる表示が点灯した。

 

『GV』

 

 モニカが最後に呼ぶ。

 

『まだ怖い?』

 

 GVは少し考えた。

 

 VOLTIC CHAIN。

 

 人へダートを向けること。

 

 シアンが自分をどう思っているのか。

 

 また同じことをしてしまうかもしれないということ。

 

「……うん。すごく」

 

『それでも行く?』

 

「行く」

 

 今度は迷わなかった。

 

 昨日メラクへ雷鎖を向けた手。

 

 今日、皇神兵を引き上げた手。

 

 同じ右手を見つめる。

 

 どちらも自分だ。

 

 片方だけをなかったことには出来ない。

 

「怖いけど、行ってくる」

 

『行ってらっしゃい』

 

『シアンちゃん連れて、生きて帰ってこいよ!』

 

『グッドラック、GV』

 

「うん」

 

 GVは前を向いた。

 

「行ってきます」

 

 アメノサカホコが上昇を開始する。

 

 人工島が遠ざかり、荒れた海が徐々に小さくなっていく。やがて雲の中へ突入すると窓の外が白く染まり、通信にも細かなノイズが混じり始めた。

 

『GV……聞こ……?』

 

「聞こえる!」

 

『あと……少し……』

 

「モニカ?」

 

『……シアン……絶対……』

 

 雑音が声を削っていく。

 

『GV!』

 

 今度はジーノ。

 

『……戻って……こい!』

 

「うん!」

 

 さらに高度が上がる。

 

 声は途切れ、やがて通信機から何も聞こえなくなった。

 

 静かだった。

 

 本当に、一人になった。

 

 GVは窓を見る。

 

 雲を抜けると、空の青は地上で見たことのない深さへ変わり、その先から少しずつ宇宙の黒が滲み始めている。

 

「……シアン」

 

 胸元へ手を置く。

 

「待ってて」

 

 そこまで言って、GVは少し考えた。

 

 シアンは待っているだけではない。

 

 第三海底基地から痕跡を残したのも、きっと彼女だ。

 

「……違うか」

 

 ほんの少し笑う。

 

「僕もそっちへ行くから」

 

 窓の向こうを見上げる。

 

「シアンも、帰るために動いてて」

 

 声は届かない。

 

 それでも、そう願った。

 

 地上の管制室では、モニカがノイズだけになった回線からヘッドセットを離した。

 

「通信、切れた」

 

「予定高度だろ?」

 

「分かってる」

 

 ジーノも大型モニターを見上げる。

 

「……やっぱ気持ち悪いな」

 

「何が?」

 

「GVの声聞こえねえの」

 

「……そうね」

 

「まあ、アイツなら――」

 

 そこでジーノは口を閉じた。

 

「何?」

 

「いや。『大丈夫』とか言ったら怒られそうだからやめた」

 

「成長したわね」

 

「誰目線だよ!」

 

「私」

 

「何で!」

 

 モニカの口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。

 

 それも長くは続かなかった。

 

「アシモフ」

 

 返事がない。

 

「……アシモフ?」

 

 振り返る。

 

 先ほどまで中央端末にいたはずの姿が見当たらない。

 

「リーダー?」

 

 ジーノも周囲を見回す。

 

「どこ行った?」

 

「回線を開く」

 

 モニカが通信を飛ばす。

 

「アシモフ、聞こえる?」

 

 返答はない。

 

 位置情報を検索する。

 

 職員。

 

 フェザー構成員。

 

 管制室内の端末。

 

 しかし、アシモフの識別信号だけがない。

 

「……端末反応が消えてる」

 

「は?」

 

「待って。外部カメラを――」

 

 表示された映像の一部にノイズが走っている。

 

 偶然の故障にしては、不自然な位置だった。

 

 ジーノの顔から笑みが消える。

 

「……リーダー?」

 

 モニカも画面を見つめる。

 

 GVはすでに空へ上がった。

 

 シアンはアメノウキハシにいる。

 

 その状況で、アシモフが何も告げずに姿を消した。

 

「ジーノ」

 

「おう」

 

「探すわよ」

 

「当たり前だ」

 

 同じ頃。

 

 アメノウキハシでは、シアンが透明な隔壁の内側で目を閉じていた。

 

 装置から流れ込む信号が、何度も意識の表面を撫でていく。

 

 遠くにいる知らない誰か。

 

 能力者たちの気配。

 

 膨大な情報。

 

 自分の力であるはずなのに、自分の意思とは関係なく広げられていく電子の謡精。

 

『シアン!』

 

「……聞こえてる」

 

『しっかりしなさい!』

 

「してる……!」

 

『嘘!』

 

「じゃあ……してない!」

 

『それでいい!』

 

 苦しい息の中で、シアンは少しだけ笑った。

 

「……GVみたい」

 

『何がよ』

 

「大丈夫って言うと怒られる」

 

『アンタたち似てきたわね』

 

「嫌?」

 

『別に』

 

「そっか」

 

 その時、モルフォの声が変わった。

 

『……待って』

 

「何?」

 

『外から何か来てる』

 

「外?」

 

『まだ遠い。でも……知ってる感じがする』

 

 シアンの胸が強く鳴った。

 

「GV?」

 

『まだ断定出来ない』

 

「GVだよ」

 

『何で言い切れるのよ』

 

「分かるもん」

 

『さっきまで他人の気持ちを勝手に決めるなって――』

 

「これは気持ちじゃない!」

 

『はいはい』

 

 シアンは透明な隔壁の向こうを見る。

 

 紫電は別の端末で計画の進行を確認していて、まだ何も気づいていない。

 

「……来た」

 

 小さく呟く。

 

 装置は止まっていない。

 

 怖さも消えていない。

 

 何一つ解決していない。

 

 それでも、シアンの口元にほんの僅かな笑みが浮かんだ。

 

「来た」

 

 今度は、確かめるようにもう一度。

 

 アメノサカホコはなおも天へ昇っていく。

 

 GVは一人だった。

 

 通信はない。

 

 シアンの声もまだ聞こえない。

 

 昨日の自分も消えてはいない。

 

 メラクへ向けた言葉も、VOLTIC CHAINも、その結果も、全部残っている。

 

 けれど、それだけが自分ではない。

 

 今日は仲間の声を聞いた。

 

 敵だった兵士へ手を伸ばした。

 

 必要のないVOLTIC CHAINを使わず、自分で選んだ別の方法で敵を止めた。

 

 そして、怖いと口にした。

 

 正解はまだ分からない。

 

 助けたことが何を生むのかも、自分がこれから何を間違えるのかも分からない。

 

 それでも、進むことは出来る。

 

 窓の向こう。

 

 さらに上。

 

 そこにシアンがいる。

 

「……一緒に帰ろう、シアン」

 

 地上ではフェザーが動き続けている。

 

 アメノウキハシではシアンが自分の意思で抗い続けている。

 

 紫電は、自ら選んだ秩序を完成させようとしている。

 

 そして誰にも告げないまま、アシモフもまた別の場所へ向かっていた。

 

 残された時間は、あと一日。

 

 その先に何が待っているのか分からないまま、蒼き雷霆は天へ昇っていった。




通信は途絶えた。

 仲間の声は、もう届かない。

 それでも、シアンはこの先にいる。

「……行こう」

 アメノウキハシを進むGV。

 だが、その前に立ちはだかるのは――かつて刃を交えた者たちだった。

「戦うか、退くか。決めるのは貴様だ、ガンヴォルト」

 白き残光――イオタ。

「勝手にオレまでテメェの後悔に巻き込むんじゃねェ!」

 爆炎の能力者――デイトナ。

「小生が待ち望んだガンヴォルトは、そのようなものではない!」

 磁界を操る武人――カレラ。

 考えることと、立ち止まること。

 相手を想うことと、相手の心まで決めつけること。

 力を御することと、力そのものを恐れること。

「僕は……まだ、分からない」

 答えは、まだない。

 怖さも、消えてはいない。

 それでも。

「恨みっこなしっつったろ!」

「ならば考え続けろ」

「本気を見せよ、ガンヴォルト!」

 敵だった。

 今も、敵だ。

 それなのに。

 誰よりも、自分がどんな戦い方をしていたのかを覚えていた。

「……ほんと、何やってもらってるんだろ。僕」

 蒼雷が、再び走り出す。

 次回、第二十七話。

 「好敵手」

「怖くても……僕が決める」

 かつての敵たちが、蒼き雷霆の背を押す。

 次回も、グッドラック
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