『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
個人療養所の窓際には昼の光が細長く差し込み、白いカーテンが空調の風を受けてゆっくり揺れていた。その前を青白いインジケータを瞬かせながら球形の端末が横切り、ベッド脇まで漂ってきたロロは、ミチルが膝の上に置いているタブレットを覗き込むように高度を落とした。
『だからさ、そこは絶対アキュラくんの方が悪いって』
ミチルがすぐに何かを打ち込むと、画面を読んだロロが楽しそうに揺れる。
『でしょ? 昨日だってぼくが「その計算、入力値間違ってない?」って言ったら――』
「間違っていない」
『うわっ!?』
背後から落ちてきた声に、ロロが勢いよく反転した。
いつからそこにいたのか、入口にはアキュラが立っている。片手には小さな荷物を持ち、ロロの方を見ている赤い目だけが露骨に冷たかった。
『アキュラくん! いつからいたの!?』
「お前が余計なことを喋り始めた辺りからだ」
『最初からじゃん!』
「違う。二分三十四秒前だ」
『細かい!』
声を出せない代わりに、ミチルが肩を揺らして笑う。アキュラはロロへ一度だけ鋭い視線を向けたものの、それ以上は相手にせずベッド脇の椅子へ腰を下ろすと、いつものようにまず妹の顔色を確かめた。
「体調は」
『今日はいいよ』
「薬は」
『飲んだ』
「昼食は」
『食べた』
『尋問みたい』
「ロロは黙っていろ」
『ぼくも家族みたいなものなのに』
「いつ誰がお前を家族にした」
『ミチルちゃん』
あまりに即答だったので、アキュラは今度はミチルを見る。ミチルは一度ロロと兄を見比べ、それから少しだけ考えるように指を止めたあと、平然と新しい文字を打ち込んだ。
『した』
「勝手に決めるな」
『だってずっといるよ?』
「それとこれとは別だ」
『ね? こうなるでしょ?』
「シャットダウンするぞ」
『横暴!』
またミチルが笑った。
療養所へ来る時間は、いつの間にかアキュラの日常へ組み込まれていた。任務でもなければ、研究でもないし、能力者の情報を集めるためでもない。誰かに命じられたことも一度としてない。ただ来ると決めているから来て、体調を確認し、必要なものがあれば持ってきて、ロロが余計なことを言えば黙らせる。それだけの時間だったが、アキュラはそれを特別なものとして言葉にしたことはなかったし、する必要があるとも思っていなかった。
『アキュラくん』
「何だ」
『次いつ来る?』
「予定が空けば来る」
『明日?』
「分からん」
『明後日?』
「分からんと言っている」
ミチルは少しだけ頬を膨らませ、それから別の話へ切り替えるようにタブレットへ指を走らせた。
『じゃあ次来るとき、いちごのケーキ』
「何故そうなる」
『食べたい』
『ぼくも!』
「お前は食えんだろうが」
『気持ちの問題だよ!』
「意味が分からん」
ミチルが追い打ちをかけるように画面を向ける。
『二個』
「ロロの分は買わん」
『ひどい!』
「一つでいいな」
そこでミチルの指がまた動いた。
『アキュラくんのも』
「いらん」
『三個』
「話を聞け」
『三個』
同じ文字がもう一度表示される。
ロロが面白そうに浮かび上がった。
『押し切られてるね、アキュラくん』
「黙れ」
結局、三個買うことになるのだろうと理解しながらも、アキュラはそれを認める言葉だけは口にしなかった。
◇
療養所を出ても、街の様子が変わるわけではなかった。車は道路を流れ、学生は歩道を歩き、買い物袋を提げた人間が横断歩道を渡っていく。公園からは子供たちの声まで聞こえてくる。それでもアキュラの中では、建物を出た時点で処理する情報が切り替わっていた。
携帯端末を開けば、そこに並ぶのは能力者の情報だった。
現在位置、過去の戦闘記録、第七波動の性質、危険度、行動傾向、推定される弱点。それらを順に辿っていく指には一切の迷いがない。
能力者は危険であり、危険は排除しなければならない。一度の見逃しが次の犠牲を生み、迷った結果としてミチルが傷ついてからでは遅い。
かつてなら、その考えの奥に父の声を意識したこともあった。
今は必要なかった。
画面へ能力者の名前が表示された瞬間には、既に身体が次に確認するべき項目を選んでいる。危険性を測り、攻略法を組み、必要なら実際に足を運ぶ。それは思想というより、とうに手順だった。
最初に開いたのは、皇神に残されたイオタの戦闘記録だった。
◇
白い装甲の周囲でフォトンビットが規則正しく位置を変え、次の瞬間にはイオタ本人の姿が白い残光へ変わる。
遠方の高所から訓練区画を観察していたアキュラは、光そのものを追うことはせず、その直前までの動きを記録していた。
速度は知っている。
フォトンビットも知っている。
ゼロブレイドの射程も、攻撃へ移る前に身体のどこがどう動くかも、以前のデータなら一通り揃っている。
だからこそ、違いもすぐに分かった。
「……無駄が減っている」
フォトンビットを散らしてから自分が突撃するのではない。先に逃げ道を狭め、相手が動いた先へ本人が入る。そこで外れたとしても、次のビットが既に別角度から照準を合わせている。一つ一つの攻撃そのものが強烈なのではなく、最初から次の一手を含めて配置されていた。
アキュラは端末上で奇襲のシミュレーションを走らせた。
第一射は届く。
だが即死には至らない。
イオタが残光へ移行すれば追撃が間に合わず、こちらが照準を修正している間にフォトンビットが射線を作る。距離を変え、角度を変え、初撃そのものを強めても、最終的に残るのは同じ問題だった。
撃つことはできる。
当てることも不可能ではない。
だが、殺し切れない。
「……確殺できん」
アキュラは銃へ伸ばしかけていた手を離した。
情けをかけたわけではない。
撃っても殺せず、その後の戦闘で自分が不利になる。
ならば撃たない。
ただ、それだけだった。
◇
デイトナを見つけた時には、別の意味で眉をひそめた。
町中華の厨房で白い前掛けを巻き、中華鍋を振っている姿は、能力者の戦闘記録を追っている途中に見るものとしてあまりに場違いだった。
「……何をしている」
注文を取り、料理を運び、店主に怒鳴られれば怒鳴り返し、それでも次の注文が入ればまた厨房へ戻る。帰り際の子供から何かを言われた時だけ少し照れたように顔を背けているのを見て、アキュラは鼻を鳴らした。
「腑抜けたものだ」
そう判断して終わるはずだった。
ところが、実戦時の動きを改めて観察した時、その評価はすぐに訂正せざるを得なかった。
以前のデイトナは、とにかく爆炎を前へ押し出した。強く、速く、相手が避けるならさらに燃やす。出力そのものが戦術に近かった。
今は違う。
炎は広げず、足元へ噴かせる。
その反動で一息に間合いを潰し、蹴撃へ爆炎を重ね、相手が身を引いた方向へ身体ごと切り返していく。
アキュラは遠距離から照準を合わせた。
今なら撃てる。
しかし、初撃で仕留められなかった場合の展開を計算した瞬間、答えは明確だった。
接近までが速すぎる。
現装備の旋回性能では迎撃が間に合わない。
一度懐へ入られれば、射撃戦へ戻す余裕がない。
「……チッ」
静かに銃口を下げる。
厨房で鍋を振り、客と話し、妙な玩具にまで付き合うようになった男が、戦場では以前より余計な動きを減らしている。
「以前より面倒になっている……」
その事実だけが、不愉快なほど明確に残った。
◇
カレラの場合、違いはもっと分かりやすかった。
以前のカレラは、強大な磁力をそのまま押し付ける戦い方をしていた。出力は凄まじいが、広く、大きく、力そのものを前へ出してくる。
ならば対策は組みやすい。
必要以上の出力を磁界へ渡さず、間合いを維持し、射撃で削ればいい。
そう考えていた。
実際の動きを見るまでは。
拳が振り下ろされる。
磁場は区画全体へ広がらない。
相手の着地点だけへ細く集中し、回避が終わる頃には出力を落としている。敵からの攻撃が強くなれば吸引力を上げ、逆に出力が落ちれば自分も絞る。必要な瞬間へ、必要な量だけを使っていた。
アキュラは戦闘映像を止め、戻し、もう一度再生した。
そしてシミュレーションを始める。
第一案では攻撃を当てた後、磁場へ捕捉されて離脱不能。
第二案では出力を上げた瞬間に吸引力まで増し、こちらの射撃そのものが利用される。
第三案では速度を優先した代わりに火力が足りず、致命打へ届かない。
四度目。
五度目。
条件を変えても、結果は大きく変わらなかった。
長い沈黙のあと、アキュラの口から低い声が落ちた。
「……勝てん」
自分で発した言葉にわずかに目を細め、すぐに続きを足す。
「今の装備では、だ」
敗北を認めたわけではない。
現在の装備で勝てないなら、装備を変えればいい。
アキュラは端末へ機動性能、対磁場制御、瞬間出力という項目を追加し、その横へ短く入力した。
要更新。
◇
メラクについて調べ始めると、アキュラは本人の戦闘データより先に防衛記録へ目を移した。
《亜空孔》そのものなら知っている。空間を繋ぎ、射線を変え、移動経路そのものを切り替える能力だ。
だが、今のメラクを狙う場合、問題は本人と戦うところまで辿り着けるかだった。
皇神側に残っていた施設防衛演習の記録を開く。
侵入者欄へ表示されていた名前を見た瞬間、アキュラの眉間に皺が寄った。
「……また貴様か」
画面の中をGVが走っている。
最初の演習では監視網の死角を見つけ、そこから内部へ侵入した。
次の記録では、その死角へ監視機器が追加されている。
GVは別経路を探し、隔壁の制御を利用して抜ける。
その次には隔壁系統そのものが独立化されている。
上部構造から入れば自動迎撃が増え、電源へ干渉すれば迂回回路が追加される。
一度通した手が、次には通らない。
GVが新しい穴を見つけるたびに、メラクはその穴を塞いでいた。
しかも施設へ入り込んだ後には、《亜空孔》によって進路そのものが変えられる。
アキュラは途中から映像を早送りした。
GVが突破する。
メラクが直す。
GVがまた突破する。
また直す。
それを何度も繰り返している。
「……よくやる」
どちらに向けた言葉なのか自分でも考えず、アキュラは映像を止めた。
メラク本人に勝てないとは思わない。
だが本人へ到達するまでに、どれだけ装備と時間を削られるか分からない。
「正面から入るのは論外だな」
戦闘以前の問題として、その名も保留欄へ送られた。
◇
ストラトスについては、最初の判断が最も早かった。
現在療養中。
能力制御は不安定。
戦闘能力は低下。
居場所も把握されている。
「……こいつから片付けるか」
軍事施設でもない医療拠点へ入り、本人へ接触し、排除して離脱する。
そこまでのシミュレーションは問題なく成立した。
アキュラは次の対象へ移ろうとして、その前に関連記録の一つを開いた。
そこにあった名前を見て、指が止まる。
「……何故ここにもいる」
蒼き雷霆。
ストラトス暴走時に介入。
殺害可能な状況で殺さず、第七波動だけを止めた。
その後も医療施設へ足を運び、状態を確認し、代替薬の資料にまで関わっている。
アキュラは黙ったまま、撃破後の条件へ一つ追加した。
《蒼き雷霆》介入可能性。
シミュレーション結果が一気に悪化する。
「……チッ」
ストラトスは殺せる。
問題はその後だった。
あの男は命令がなくても来る。
フェザーが止めても、自分で行くと決めれば来る。
しかも一度狙った相手を途中で放っておくような人間でもない。
「倒せば、蒼き雷霆が来る……」
誰もいない部屋で呟き、もう一度数値を見る。
ストラトスを一人始末するために、その直後からGVとの戦闘まで想定しなければならない。
割に合わない。
「保留だ」
慈悲ではなかった。
ただの戦術判断だった。
◇
エリーゼの資料を開いた時には、ストラトス以上に早く計算が崩れた。
《生命輪廻》。
排除対象。
現在の居所。
そこまで読み進めたところで、アキュラは数秒黙る。
「……何故そこにいる」
表示されているのはGVの住居だった。
同居者としてシアン。
電子の謡精。
そしてエリーゼ。
当然、GV本人もいる。
ストラトスなら、始末した後にGVが来る可能性を考えればよかった。
こっちは違う。
最初からいる。
しかも電子の謡精まで同じ場所にいる。
アキュラは一度だけシミュレーションを走らせ、途中で止めた。
「……論外だ」
エリーゼ本人の戦闘能力だけが問題なのではない。
彼女へ手を出せば、GVが介入する。
そこへシアンとモルフォがいる。
《電子の謡精》による増幅を受けた蒼き雷霆を、エリーゼ一人を排除するためだけに相手にすることになる。
「能力者を囲い込む癖だけは一向に治らんな、あの男は……」
吐き捨てても、計算結果は変わらなかった。
現装備では割に合わない。
これも保留。
◇
最後に開いたパンテーラの名前だけは、アキュラの指を止めなかった。
「こいつならいける」
一度、自分の手で追い詰めている。
《夢幻鏡》の性質も、幻覚と実体の差も、発動の癖も、逃走経路の作り方も解析した。
小烏丸へ損傷を与え、あと一歩まで追い込んだ。
あの時逃した最大の要因は、パンテーラ本人ではない。
途中から割り込んできた蒼き雷霆だ。
ならば次は、割り込まれる前に終わらせればいい。
現在位置を検索する。
該当なし。
条件を変える。
なし。
皇神の旧ログ。
なし。
フェザー関連通信。
確定情報なし。
民間監視網。
反応なし。
「……何だこれは」
追跡範囲を広げても結果は変わらない。
「消息不明……?」
攻略法はある。
戦えば勝てる。
火力も足りる。
なのに本人が見つからない。
アキュラは舌打ちしながら検索条件を保存し、そこへ新しい項目を追加した。
索敵能力。
情報統合。
自動抽出。
戦う前に敵を見つけられなければ、何の意味もない。
◇
それから数日後、ようやく一件の新しい反応が入った。
名のある能力者ではない。
住宅街で能力を暴発させた若い少年。
民家の一部を壊し、軽傷者を出したあと逃走中。
戦闘訓練の記録もない。
アキュラはすぐに動いた。
追跡は簡単だった。
能力を使うたびに痕跡を残し、逃げ方にも規則性がない。追われることそのものに慣れていない人間の動きだった。
高架下へ追い込まれた少年が振り返り、怯えと怒りが混じった顔で手を振る。
「来るな!」
力が爆ぜるより先に、アキュラは身体を滑らせるように射線の外へ出ていた。
発動が遅い。
次の攻撃までの間隔も長い。
距離を詰める。
「何で追ってくるんだよ!」
「能力者だからだ」
「意味分かんねえよ!」
「分かる必要はない」
少年がもう一度力を振るうが、今度は予備動作の時点で方向を読まれていた。アキュラは最小限だけ身体をずらし、そのまま照準を合わせる。
「俺、何もしてない!」
「民家を壊した」
「あれは……!」
少年の声が裏返る。
「父さんと喧嘩して、ムカついて……でも、こんなことになるなんて思ってなくて……」
アキュラは銃口を下げない。
「帰るつもりだったんだよ。ちゃんと謝る。だから……」
そこで、戦闘とは何の関係もない問いが口から出た。
「……家では、誰と暮らしている」
「……は?」
「質問に答えろ」
少年は戸惑いながら、それでも答えた。
「父さんと……母さんと……」
一瞬だけ言葉に詰まり、
「妹」
と続けた。
その瞬間。
アキュラの指が止まった。
ほんの僅かだった。
白い病室の窓際が浮かぶ。
タブレットを持つミチル。
その横で騒ぐロロ。
三つ買えと言われたいちごのケーキ。
こいつにも――。
そこから先は言葉にならなかった。
照準器が自動で距離を測り、発動間隔を算出し、射線が確定する。
そしてアキュラの右手は、考えが追いつくより先にいつもの動きを続けていた。
「待――」
乾いた銃声が一つ響いた。
少年の身体から力が抜け、その場に崩れる。
高架下を風が抜け、遠くの道路を車が走っている音だけが戻ってくる。
アキュラはしばらく動かなかった。
やがて自分の右手を見る。
震えていない。
呼吸も乱れていない。
いつもと同じだった。
さっき確かに止まったはずなのに。
妹という言葉を聞いた時。
ほんの僅かに。
判断が遅れた。
胸の奥を、かり、と何かが薄く削ったような感覚がした。
その正体を考えるより先に、アキュラは眉を寄せる。
「……鈍ったか」
それ以外の言葉は出なかった。
◇
帰り道、ケーキ屋の前を通ったところで足が止まった。
ガラス越しのショーケースには、いちごのケーキやチョコレートケーキが並んでいる。
三個。
ミチルがそう言っていた。
「……くだらん」
そう呟きながら店へ入り、いちごのケーキを二つ注文したところで、店員が確認する。
「二つでよろしいですか?」
アキュラは一瞬黙った。
「……三つだ」
同じ右手で財布を出し、代金を払う。
当然、何も付いていない。
それでも一度だけ、自分の指先へ視線が落ちた。
◇
『遅い!』
療養所へ戻った瞬間、ロロの声が飛んできた。
「うるさい」
『ミチルちゃん待ってたんだからね!』
ベッドの上ではミチルがタブレットを掲げている。
『おかえり、アキュラくん』
「……ああ」
そこで一度止まり、それから短く返した。
「ただいま」
紙袋を置くと、ミチルの目がすぐそこへ向いた。
『ケーキ』
「見れば分かる」
『三個ある!』
ロロまで勢いよく飛んでくる。
『ぼくの!?』
「違う」
『じゃあ何で三個買ったの!?』
「店員が間違えた」
『絶対うそだ!』
ミチルが楽しそうに笑い、アキュラは面倒そうに箱を開けた。
「食うなら早く食え。崩れる」
『アキュラくんも』
「いらん」
『三個』
「……」
『三個』
『また押し切られてるね』
「黙れ、ロロ」
結局、一つ食べることになった。
甘い。
特別好きな味ではない。
だからといって嫌いでもなかった。
目の前でミチルが満足そうに食べていて、ロロが自分には味覚もないくせに感想だけ予想している。
『たぶんぼくはチョコの方が好きだなー』
「お前に味覚はない」
『想像はできるよ』
「意味がない」
『あるよ!』
ミチルがまたタブレットへ入力する。
『次はチョコ』
「もう次の話をするな」
『チョコ』
「……分かった」
『やった』
その時間は、いつも通りに過ぎていった。
誰も泣かなかったし、何も壊れなかった。
アキュラも、外で何をしてきたのか話さなかった。
ミチルも知らない。
ロロも知らない。
けれど、その時間が偽物になるわけではなかった。
◇
夜になり、ミチルが眠ったあと、アキュラは一人で端末の前へ座った。
ロロだけが近くに浮かんでいる。
『まだやるの?』
「ああ」
画面へ、ここ数日で集めた記録を並べていく。
イオタ。
デイトナ。
カレラ。
メラク。
ストラトス。
エリーゼ。
パンテーラ。
そして今日の少年。
アキュラは一つずつ問題点を入力した。
イオタには捕捉性能が足りない。
デイトナには近接迎撃と機動力が足りない。
カレラには対磁場性能と総合出力が足りない。
メラクへは、そもそも本人まで辿り着くための潜入能力が足りない。
ストラトスを狙えばGVとの連戦まで考えなければならない。
エリーゼなら、そこへ《電子の謡精》による増幅まで加わる。
パンテーラは倒せても、見つけられない。
最後に今日の記録を開く。
そこだけ、入力するまで少し時間がかかった。
判断遅延。
『……これ全部?』
「全部だ」
『いっぱいあるね』
「だから直す」
『装備を?』
「装備だけではない」
アキュラは現在の戦闘処理を表示した。
索敵、照準、回避、火力制御、敵能力の解析、撤退経路の計算まで、ほとんど全てを自分一人で処理している。
その一覧をしばらく見たあと、アキュラはロロへ視線を向けた。
「一人で全部やる必要はない」
『え?』
「ロロ」
『なに?』
「お前の演算領域を拡張する」
『ぼくの?』
「ああ」
新しい設計画面を開き、小型ユニットの概案を一つ配置する。そこから二つ、三つと増やしていくと、ロロが興味深そうに近寄ってきた。
『……これ何?』
「ビット兵器だ」
『いっぱいある』
「お前が制御する」
『ぼくが?』
「索敵、照準補助、迎撃、敵能力解析。必要なら攻撃制御まで回す」
ロロはしばらく画面を眺め、それから少し声を弾ませた。
『それって、ぼくもアキュラくんと一緒に戦うってこと?』
「必要だから使うだけだ」
『ふーん』
「何だ、その声は」
『別にー』
「気色悪い」
『ひどい!』
アキュラはもうロロを見ず、そのまま設計を進めた。
単純な大型化は重くなりすぎる。
イオタには追いつけない。
装甲だけを増せば、デイトナに懐へ入られる。
火力だけを上げても、カレラには利用される。
ならば軽くする。
速くする。
攻撃処理の一部をRoRoへ分散する。
複数のビットを同時に動かしながら敵の第七波動を解析し、戦闘中でも攻略法そのものを更新する。
索敵範囲も広げる。
見つけられない敵を見つける。
追えない敵を追う。
逃がした相手の情報を、次へ残す。
『ねえ』
「何だ」
『アキュラくん、前はもっと火力ばっかり気にしてなかった?』
「それだけでは足りん」
『今日、何かあった?』
設計画面の上で、指がほんの少し止まった。
「何もない」
『ほんと?』
「何もないと言っている」
『そっか』
ロロはそれ以上聞かなかった。
画面の中では、まだ名前もない新しい装備が少しずつ形を持ち始めていた。
完成形には程遠い。
戦闘用のロロも、新しいジャケットも、何一つ出来上がってはいない。
ただ、今のままでは足りないことだけは分かった。
「もっと強くなる必要がある」
『アキュラくんが?』
「全部だ」
『ぼくも?』
「ああ」
『じゃあ頑張る』
「当然だ」
その時、端末の隅に通知が浮かんだ。
ミチルからだった。
『まだ起きてる?』
アキュラは短く返す。
『もう寝る』
送信して数秒もしないうちに、もう一件入る。
『次はチョコも食べたい』
「……」
少しだけ間を置き、
『分かった』
と返した。
画面を閉じる直前、自分の右手が視界へ入った。
今日、一瞬だけ止まった手だった。
妹という言葉に反応した。
知らない能力者の家族を、自分の妹へ重ねた。
そのせいで判断が遅れた。
余計なものが入り込んだ。
弱くなった。
ならば。
強くなればいい。
アキュラは新しい設計ファイルを保存した。
『アキュラくん』
「今度は何だ」
『明日もこれやる?』
「ああ」
『じゃあぼくも起こして』
「勝手に起きろ」
『一緒にやるんだから起こしてよ』
「……面倒だ」
『それ、メラクくんみたい』
「黙れ」
ロロが笑う。
アキュラは端末を閉じ、椅子から立ち上がった。
廊下の向こうではミチルが眠っている。
机の上には、まだ形にもなっていない新しい武装の設計図があり、その横には三つ入っていたケーキの空箱が置かれていた。
どちらも、今のアキュラの日常だった。
紫電戦、最高だった?
-
最高だった
-
いや...キツいっすわ