『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
夜が明けても、眠気は来なかった。
フェザーの一室で、アシモフは椅子へ深く腰を預けたまま、机の上に置かれたサングラスを眺めていた。医療班からは「今日は休め」と念を押され、半ば追い出されるようにここへ戻されたのだが、横になったところで眠れる気はしなかった。
黒いレンズの奥には、自分の顔がぼんやりと映っている。
普段なら、こんなふうに外したままにはしない。《蒼き雷霆》の出力を抑えるためにも必要な装備であり、何より素顔を晒して過ごす理由などアシモフにはなかった。
けれど今だけは、どうにも手が伸びなかった。
『……いるんだ』
耳の奥に、まだ声が残っている。
『これからも』
自分の計画を否定し、思想を拒み、それでも自分自身までは切り捨てなかった少年の声だった。
『ほら』
あの時、立ち上がろうとしてふらついたGVを反射的に支えた自分の腕を、彼は当たり前のように掴んだ。
『まだ必要』
そして最後には。
『だから責任取って』
『何を』
『帰って』
あまりにも簡単に言った。
世界の構造を変えると宣言した男に。
自分と戦ったばかりの男に。
もう一度、帰ってこいと。
「……帰って、か」
アシモフは小さく息を吐いた。
能力者の未来を自らの手で作る。その野望に対して、GVは真正面からノーを突きつけた。自分の考えへ従うことも、新しい時代の指導者になることも拒絶した。
それなのに、アシモフそのものを拒絶することだけはしなかった。
「甘い男だ」
呟いた直後、自分で少しだけ眉をひそめる。
――違う。
今に始まったことではない。
あの少年は、昔からそうだった。
サングラスへ伸びかけていた指が止まると、黒いレンズに映っていた現在の自分へ、遠い昔の光景が静かに重なっていった。
◇
昔、自分には名前がなかった。
正確には、呼ばれるための音ならあった。
タケフツ。
研究員がそう呼べば振り向く。それだけのものだった。
「タケフツ、立て」
言われれば立つ。
「右腕を出せ」
言われれば差し出す。
「次の試験へ移る。固定しろ」
抵抗する意味はなかった。暴れれば拘束が増え、泣けば検査が長引く。質問したところで、必要がないと判断されれば答えは返ってこない。
だから当時のタケフツは、余計なことをしなくなった。
代わりに、見ることを覚えた。
誰がどの順番で部屋へ入るのか。どの音のあとに何が始まるのか。どの研究員の時には痛みが長引き、誰の時なら僅かに早く終わるのか。
先に読めば、苦痛は少しだけ減らせる。
それが彼にとって、最初の戦術だった。
「出力上昇」
「安定しません!」
「固定しろ!」
「タケフツ、動くな!」
動くなと言われても、身体の内側を走る雷までは止められなかった。
青白い光が視界を塗り潰し、轟音が壁を震わせる。警報と怒号が重なり、その中へ誰かの悲鳴まで混ざった。自分のものなのか、他人のものなのかさえ分からないまま、意識はそこで途切れた。
次に目を開けた時、扉は開いていた。
誰も自分を押さえていない。
廊下には人が倒れていた。動かない者もいた。その中には、かつて無言で水を置いていった研究員もいたような気がする。
初めて自由になった。
それなのに、嬉しいとは思えなかった。
ただ一つだけ、その光景から理解したことがあった。
力を持たない者は、力を持つ者に決められる。
立てと言われれば立つ。腕を出せと言われれば出す。生かす価値があると判断されれば生かされ、不要になれば切り捨てられる。
ならば二度と、決められるだけの側へ戻ってはならない。
その考えは、長い間アシモフという男の奥底に残り続けることになる。
◇
国外へ逃れてからしばらくして、一度だけ名前を聞かれた。
「名前は?」
答えようとして、言葉が詰まった。
タケフツ、と口にしかけて止める。
あれは自分が選んだものではない。自分を管理するために、他人が勝手に付けた音にすぎない。
ならば、せめてこれくらいは自分で決めたい。
「……アシモフだ」
そう答えた。
大層な理由などなかった。ただ、生まれて初めて自分で何かを選びたかった。それだけだった。
それからの日々は速かった。
銃を覚え、狙撃を覚え、雷だけに頼らず相手を制圧する方法を身につけた。誰かと組むことも学んだが、人を疑う方法については、教わる必要すらなかった。
能力者を救う。
皇神へ対抗する。
拘束され、利用され、逃げることすら許されない者がいるなら手を伸ばす。
目的が明確であることは楽だった。
使命さえあれば、今日何をすべきか迷う必要がない。
復讐も同じだった。
何を奪われたのか、誰に奪われたのかが分かっている限り、進む方向だけは見失わずに済む。
だから、あの日も迷わなかった。
◇
皇神の施設の奥で、その少年を見つけた。
細い腕に、感情の薄い目。何かを待っているのではなく、ただ次の命令を待つためだけの姿勢。
そして、自分と同じ雷。
アシモフはほんの一瞬だけ立ち止まった。
鏡を見ているようだった。
時間の向こうから、昔の自分がこちらを見返している。
「……キミ」
少年が顔を上げる。
「歩けるか?」
「命令?」
その返答だけで、胸の奥がひどく軋んだ。
「ノーだ」
アシモフは反射的に答えた。
「命令ではない」
少年はしばらくアシモフを見てから、僅かに首を傾げた。
「じゃあ、どうして?」
その問いは予想していなかった。
作戦だから。能力者だから。貴重な《蒼き雷霆》だから。
理由ならいくらでも作れる。
けれど、どれも違った。
「……キミは、ここにいるべきではない」
「それだけ?」
「ああ」
アシモフは手を差し出した。
「それだけだ」
少年は、その手をじっと見ていた。やがて恐る恐る伸ばされた指が、自分の手を掴む。
驚くほど軽かった。
だからアシモフは、無意識に少しだけ強く握り返していた。
◇
「名前?」
「そうだ」
「ない」
「……ノーだろうとは思っていたが」
少年はきょとんとしている。
自分に名前がないことすら、特別なことだと思っていない。
アシモフは少し考えた。
かつて自分たちを縛るために存在した計画。その名を、今度は皇神から奪い返してやればいい。
「ガンヴォルト」
「……ガンヴォルト?」
「ああ。今日からキミはガンヴォルトだ」
少年は口の中で何度か転がすようにその名を繰り返し、それから率直に言った。
「長い」
「第一声がそれか」
「GVでいい?」
「好きにしろ」
「じゃあGV」
「自分で略すのか……」
少年が笑った。
ほんの少しだけ口元が緩んだ程度だったのに、アシモフはなぜかその顔を見続けることができず、僅かに視線を逸らした。
◇
戦闘を教えるのは簡単だった。
「敵だけを見るな。壁、床、天井、退路、そのすべてが戦場だ」
「うん」
「撃つ前に考えろ。相手が今いる場所だけではなく、次にどこへ動くかを見ろ」
「うん」
「返事だけはグッドだな」
「グッド?」
「褒めている」
GVの顔が明るくなる。
「じゃあ、もっと言って」
「調子に乗るな」
吸収は早かった。身体能力も高く、判断も悪くない。一度教えたことをそのまま繰り返すのではなく、自分なりに変えて試そうとするところもあった。
面倒な生徒だった。
同時に、優秀な生徒でもあった。
アシモフはそれで十分だと思っていた。
少なくとも、その頃までは。
◇
「アシモフ!」
廊下の向こうから声が飛んできた。
次いで、ばたばたばた、と遠慮のない足音が近づいてくる。
アシモフは振り返った。
「走るな」
「これ!」
聞いていない。
GVは両手で一本のケースを掲げていた。
「何だ」
「映画!」
「見ればいい」
「うん!」
満面の笑みだったので、それで話は終わったと思った。
アシモフは歩き出す。
三歩。
四歩。
なぜか背後から足音が付いてくる。
振り返ると、GVもぴたりと止まった。
「……何だ」
「一緒にみよ!」
今度はアシモフが止まった。
「……私もか?」
「うん!」
「なぜだ」
GVがぽかんとした。
まるで、その質問そのものが理解できないという顔だった。
「だって、一緒に見たほうが楽しいじゃん」
「一人でも映画は見られる」
「見られるけど」
「なら問題ないだろう」
「でもアシモフと見たい」
即答だった。
任務ではない。
訓練でもない。
情報収集でもない。
自分が必要な理由など、どこにもない。
いや、違う。
必要ですらない。
この少年はただ、自分と一緒にいたいと言っている。
アシモフには、それがどうにも理解できなかった。
「アシモフ?」
「……一本だけだぞ」
「やった!」
GVは勢いよく駆け出した。
「走るな!」
「はーい!」
「走りながら返事をするな!」
◇
映画が始まると、赤と青の男が高層ビルの間を飛び回った。
アシモフは腕を組んで座っていたが、隣のGVは開始五分ですでに前のめりになっている。
「おお……!」
「座れ」
「アシモフ! 今の見た!?」
「見ている。同じ画面をな」
「すごくない!?」
「周辺への被害が大きい」
「そこ!?」
「そこだ」
「アシモフ、絶対こういうの向いてないよ」
「私は何に向く必要があるんだ」
GVが笑った。
アシモフは画面へ視線を戻す。
しばらくすると、主人公が壁を蹴って跳んだ。
「うわっ! 壁走った!」
「見れば分かる」
「できるかな?」
「ノーだ」
「まだ何もしてないよ」
「キミの顔を見れば分かる」
「ちょっとだけ」
「ノーだ」
「訓練で」
「ノーだ」
「任務で使えそうなら?」
「……」
「アシモフ?」
「まず最後まで見ろ」
「やった」
「許可したわけではない!」
GVはまた笑った。
その笑い声が、妙に長く部屋へ残った。
◇
翌日。
「GV」
「なに?」
「昨日の壁蹴りだが」
その瞬間、GVの目が輝いた。
「やっていいの!?」
「最後まで聞け」
「はい」
「着地時に重心が外へ流れていた。あれでは次の動作が遅れる」
GVは目を丸くした。
「……見てたの?」
「見れば分かる」
「じゃあ、こう?」
返事を待つより先にGVが壁へ走る。
「待て、今やれとは――」
蹴る。
身体を捻る。
床へ着き、その勢いを殺さず前転してから立ち上がる。
「どう?」
アシモフは眉を寄せた。
「……前よりはマシだ」
「グッド?」
「調子に乗るな」
「グッド?」
「……グッドだ」
「やった!」
そこからGVの戦い方は、少しずつおかしくなっていった。
壁を蹴り、低い姿勢で攻撃の下へ潜り、走りながら身体を反転させて撃つ。必要もないのに妙な姿勢で着地し、そのまま次の動作へ移ろうとする。
「非効率だ」
「でもかっこいい」
「戦場で格好良さを優先するな」
「でも避けられたよ?」
「結果論だ」
「じゃあもう一回やる」
「なぜそうなる!」
何度止めてもGVは試し、厄介なことに試すたびに上手くなった。
アシモフが教えた合理性の中へ、映画から持ち込んだ動きが混ざっていく。最初はただの真似だったものが、繰り返すうちにGV自身の動きへ変わっていった。
「……まったく」
アシモフは呆れた。
それでも、いつの間にか「やめろ」とは言わなくなっていた。
◇
「またか?」
「また!」
二本目だった。
「昨日も見ただろう」
「昨日のは一作目」
三本目。
「今日は訓練がある」
「終わったら!」
四本目になる頃には、アシモフの方から口を開いていた。
「……ポップコーンは?」
言った瞬間、自分で止まった。
GVも止まった。
二人の視線が合う。
「アシモフ」
「何だ」
「今、自分からポップコーンって言った?」
「言っていない」
「言った!」
「ノーだ」
「言ったよ!」
「聞き間違いだ」
「じゃあ買ってこよ!」
「待て、GV!」
そのやり取りを、後ろからモニカが見ていたらしい。
数日後、何気ない顔で言われた。
「最近、映画お好きなんですね」
「ノーだ」
即答した。
「でも、週に一回くらいGVと見てません?」
「GVが見たがる」
「断ればいいじゃないですか」
アシモフは黙った。
モニカがじっとこちらを見る。
「アシモフ?」
「……少年には娯楽も必要だ」
「へえ」
「精神状態の安定は任務効率にも影響する」
「へえー」
「何だ、その顔は」
「別に?」
「言いたいことがあるなら言え」
「親みたいだなって」
「ノーだ」
否定が、自分でも分かるほど早かった。
モニカがにやりと笑う。
「まだ最後まで言ってませんけど」
「言っただろう」
「あ、本当に聞いてたんだ」
「モニカ」
「はいはい」
アシモフは不機嫌そうに立ち去った。
その夜もGVと映画を見た。
◇
いつからだったのか。
GVの任務が予定時刻を越えると、時計を見るようになった。
十分。
二十分。
三十分。
端末を確認する。
「連絡は?」
「まだです」
「遅い」
「十分前にも聞きましたよ」
「そうか」
「心配なんですか?」
「作戦管理だ」
「はいはい」
その時、扉が開いた。
「ただいまー」
椅子が鳴った。
アシモフ自身が驚くほど速く立ち上がっていた。
「GV」
「うわ、アシモフ」
「遅い」
「ごめん」
「怪我は」
「ちょっとだけ」
「ちょっと、とは?」
「えっと」
「見せろ」
「そんな怖い顔しなくても」
「いいから見せろ!」
「はい!」
手当てを終える頃には、GVの方が妙な顔でこちらを見ていた。
「アシモフって、心配性だよね」
「ノーだ」
「そう?」
「そうだ」
「じゃあ何?」
「……」
答えられなかった。
当時の自分には、それを表す言葉を持っていなかった。
◇
そしてGVがシアンを連れてきた日、答えられないことがもう一つ増えた。
「任務を継続しろ」
「嫌だ」
即答だった。
アシモフの眉が僅かに動く。
「GV」
「嫌だよ」
「状況を理解しているのか?」
「してる」
「なら――」
「それでも嫌だ」
GVは真っ直ぐこちらを見ていた。
昔、何を言われても従っていた少年。命令されれば立ち、命令されれば撃ち、疑問を持つことすら知らなかった少年が、今は自分に向かって「嫌だ」と言っている。
腹が立った。
本気で腹が立った。
何を教えてきたと思っている。どれだけ危険な状況か理解していないのか。感情だけで判断するな。
そう怒鳴りつけたい気持ちがある一方で、胸の奥ではまったく別の感情が動いていた。
小さく。
けれど確かに。
嬉しかった。
「……そうか」
その一言を絞り出すまでに、妙に時間がかかった。
自分で選んだ。
自分へ逆らってでも。
あの時、本当は気づくべきだったのだろう。
自分がGVに教えたかったものは、命令への服従ではない。
自分で選び、自分で決められる人間になることだった。
もっとも、それに気づいたからといって、自分の野望まで捨てられるほどアシモフは器用ではなかった。
◇
能力者を救う。
だが、その先はどうする。
住む場所は。仕事は。治療は。社会は本当に彼らを受け入れるのか。恐怖は消えるのか。再び利用されない保証はどこにある。
救い出すだけでは足りない。
自由にしただけでも足りない。
選択肢を与えたところで、その選択肢そのものを力のある誰かが奪えるなら、本当の自由とは呼べない。
ならば、力関係そのものを変えればいい。
能力者が、自分たちの未来を自分たちで決められる世界へ作り替える。
自分がやる。
待っていられない。
理解される日など、いつ来るのか。その間に何人が死ぬのか。
自分は待たされた。
奪われた。
だから今度は、奪わせない。
それは誰かのために責任を押し付けた願いではない。
自分で選んだ、自分自身の野望だった。
そして、その構想の中心へGVを置こうとした。
あの少年なら力を欲しがらない。だからこそ、その力を預けられる。誰かを支配したいと思わないからこそ、導く側に立たせるべきだ。
合理的だと思った。
正しいとも思った。
しかし、その時の自分はいつの間にか、「GV」という一人の人間ではなく、自分が望む未来に必要な象徴を見ていた。
◇
アメノウキハシ最深部。
蒼い雷が消えた後、GVが自分へ向けた目を、アシモフは今でも鮮明に思い出せる。
『アシモフ』
『何だ』
『僕を助けたのは……このため?』
あの問いを聞いた瞬間、頭より先に何かが反応した。
『僕を皇神から助けたのも、フェザーへ連れてきたのも、戦い方を教えたのも、ガンヴォルトって名前をくれたのも……いつか僕を、その新しい時代に使うためだった?』
笑みが消えた。
『……ナンセンスだ』
『え?』
『そこだけは二度と言うな』
自分でも珍しいほど強い声だった。
GVの肩が僅かに強張ったことで、ようやく自分が怒気を出したことへ気づいた。
『すまない。だが、それは違う。キミを助けたのは、助けるべきだったからだ』
『それだけ?』
『それで十分だろう』
あの時、GVにはそれ以上言わなかった。
言えるはずもなかった。
施設の奥でこちらを見た少年の顔も。
初めて手を握った時の軽さも。
初めて笑った時、なぜか視線を逸らした自分も。
映画を持って廊下を走ってきた姿も。
そのすべてを一言で説明する言葉など、当時のアシモフにもなかった。
GVはさらに聞いた。
『じゃあ、なんで僕だったの?』
『何?』
『皇神には他にも実験体がいた。僕だけじゃなかった。それなのに、どうしてアシモフは僕を見て放っておけなかったの?』
長い沈黙の末、アシモフは答えた。
『似ていたからだ』
『誰に?』
『昔の私に』
そこでようやく、自分の過去を話した。
タケフツ。
人工的に能力を与えられた被験者。
《蒼き雷霆》。
GVと同じ根を持つ力。
当然、少年は聞いた。
『なんで言ってくれなかったの』
『言う必要がなかった』
『あるよ。僕がずっと、自分だけだと思ってたの知ってただろ。この力も、あそこでされたことも、アシモフは知ってたんだろ』
『ああ』
『だったら――』
『GV』
あの時も、答えは変わらなかった。
『キミに「私も同じだった」と言って何になる。キミの傷が消えるのか?』
似ているから救った。
だが、似ているからすべてを理解できるなどとは、一度も思わなかった。
『私は、自分の過去をキミの慰めに使いたくなかった。似た経験があるからといって、キミの痛みをすべて分かったつもりにもなりたくなかった』
それだけは今でも正しかったと思っている。
自分の傷は、自分のもの。
GVの傷は、GVのもの。
同じ場所から始まったからといって、同じ人間になるわけではない。
むしろ――。
同じではなかったからこそ、あの少年は自分が辿り着かなかった場所へ行けた。
◇
そして、思想の話になった。
能力者の未来をどうする。
次のGVをどう防ぐ。
次のシアンをどうする。
GVには答えがなかった。
『……分からない』
昔なら、自分はその言葉を未熟さとして見ただろう。
だが、あの時のGVは、そのまま続けた。
『でも、分からないからって、アシモフに全部決めてほしいとは思わない』
あれは、紫電へ向けた言葉と同じだった。
『僕にも、紫電にも、誰にも。一人で全部の答えを持っててほしくない』
『第三の道を探すと?』
『分からない』
『またそれか』
『分からないんだから仕方ないだろ。でも、分からないからって一番強い人の答えで全部決めるのは嫌だ。アシモフが一番強くても、僕が一番強くても嫌だよ』
それでも、自分は止まらなかった。
止まれなかった、ではない。
止まらなかった。
それは自分の選択だった。
『これはキミの責任ではない。キミが傷つけられたからだけでもない。私自身が決めた』
そして胸へ手を置いて。
『私の野望だ』
そう言った。
あの言葉にも後悔はない。
GVの傷を、自分の思想の免罪符にはしたくなかった。
自分が選んだのなら、自分が責任を負う。
だからこそGVも、自分の答えを選んだ。
『じゃあ、僕も自分で決める』
『聞こう』
『止めるよ。アシモフを』
あの少年は、自分に銃を向けた。
それなのに、自分はどこかで――。
嬉しかった。
◇
戦う直前、最後に一度だけ帰る選択肢を与えた。
『シアンを連れてここから降りろ。キミはもうフェザーの兵士ではない。私のミッションへ従う義務もない』
『僕が帰ったら?』
『私は計画を続ける』
『止まらない?』
『ああ』
GVはほんの数秒しか考えなかった。
『じゃあ無理』
『そう言うと思った』
『だったら聞かないでよ』
『少しは期待した』
『何を?』
『今日は疲れたから帰る、と言うかもしれないとな』
『言わないよ』
『知っている』
どうして聞いたのかと問われ、言葉を選ぼうとした。
だが、先に出た。
『……親心だ』
GVの顔が止まった。
『今なんて言った?』
自分の口も止まった。
『忘れろ』
『無理』
『忘れろ』
『アシモフ、顔――』
『GV』
『はい』
思い返すたび、アシモフは額へ手を当てたくなる。
なぜ、あの時に限って口にしたのか。
いや。
違う。
あの時初めて生まれた感情ではない。
あれはずっと前からあった。
『一緒にみよ! アシモフ!』
映画を抱えて走ってきた少年。
『グッド?』
褒められるまで何度も聞いてきた少年。
『ただいまー』
帰還予定を過ぎて、何食わぬ顔で帰ってきた少年。
何年も積み重なっていたものへ、あの戦いの最中、たまたま名前が付いただけだった。
親心。
あまりに気恥ずかしくて、即座に撤回しようとした。
もう遅かったが。
◇
戦闘が始まってからも、GVはGVだった。
自分が教えた動きを読み、自分が知る回避先へ弾丸を置けば、彼は教わった「正解」から自分で外れ始めた。
効率を崩し、踏み込みを止め、撃つはずの場所で撃たず、壁や床へダートを散らす。
昔なら考えられなかった。
いや。
昔から兆候はあった。
壁を蹴ってみたい。
映画で見た動きをやりたい。
格好いいから試したい。
そう言って、自分が教えた動きへ平然と余計なものを混ぜていた。
あの時から、この少年は最初から「コピー」で終わる気などなかったのかもしれない。
戦いの途中、GVへ問いかけた。
『GV!』
『何!』
『私がキミを皇神から連れ出したことを、後悔したことは一度もない!』
『知ってる!』
『私がキミへ戦いを教えたことも!』
『うん!』
『キミが私へ逆らい、フェザーを抜けた時も!』
GVの目が見開かれた。
『腹は立った!』
『立ってたんだ!?』
『当たり前だ!』
そして。
『でも、嬉しくもあった!』
『……え?』
『初めてキミが、自分のために、自分の答えを選んだからだ!』
言いながら、自分でもようやく分かった。
あの日、自分は何を見て嬉しかったのか。
シアンを選んだことそのものではない。
GVが、自分で選んだことだ。
何をされても「はい」と答えていた少年が、自分の恩人であり師匠である男へ「嫌だ」と言い、自分の人生を自分で決めた。
ならば。
今、自分へ銃を向けていることも。
腹立たしく。
面倒で。
それでも少しだけ嬉しい。
そういうことなのだろう。
◇
そしてアシモフは、《VOLTIC CHAIN》を出した。
GVの顔が変わった。
メラクを追い詰めた時のことを思い出しているのだと、すぐに分かった。
だから聞いた。
『……怖いか』
挑発するためではなかった。
昔、訓練で答えを待っていた時と同じように。
GVは誤魔化さなかった。
『うん』
雷撃銃を握り直す。
『怖いよ。自分が使った時のこと、まだ忘れてない』
少し間を置いて。
『たぶん、ずっと忘れない』
そのまま重心を落とした。
『でも、忘れなくていい』
アシモフは、その時の目を覚えている。
『それも僕だから』
過去の自分を切り捨てなかった。
怖さも、失敗も、醜かった瞬間も、自分ではないことにはしなかった。
タケフツという名前を捨て、過去ごと切り離すことでしか前へ進めなかった自分とは違う。
それでもGVは、自分のすべてを抱えたまま別の使い方を探そうとした。
やがて、戦場へ散らしたダートを見渡しながら、彼は言った。
『アシモフ』
『何だ』
『僕、アシモフから教わったこといっぱいある』
『ああ』
『でも』
少しだけ笑って。
『次は、アシモフが知らないことするから』
その言葉を聞いた時、胸の内に湧いたものは悔しさではなかった。
『それでいい』
自然に口元が緩んだ。
『私のコピーで終わるな、GV』
『最初からそのつもり!』
今思えば。
あの一言こそ、自分がGVへ本当に望んでいたものだったのだろう。
◇
それなのに。
戦いが続けば、身体は勝手に教えていた。
『考える時ほど視野が狭くなる!』
攻撃を続けながら叫ぶ。
『一つへ集中するな!』
GVが二撃目をかわす。
『相手だけを見るな! 戦場全体を見ろ!』
そして、その言葉を聞いたGVの顔が変わった。
何かに気づいた。
アシモフには、その顔にも覚えがあった。
映画を見ながら「これできるかな」と考えていた時。
壁蹴りを初めて試した時。
ミニ四駆の新しい改造を思いついた時。
決まってああいう顔をする。
少しして、GVはこちらを見た。
『アシモフ』
『何だ』
『今の、ありがとう』
アシモフの表情が止まった。
『……何の話だ』
『教えてくれた』
『戦闘中だぞ』
『師匠だから』
『今は敵だと言った』
『両立するって言ったの、アシモフだろ』
数秒。
『……確かに』
そしてGVは、もっと広く戦場へダートを散らし始めた。
床。
壁。
柱。
天井。
意味のない無駄撃ちに見えたものが、やがて点と点の関係へ変わっていく。
自分の雷だけでは足りない。
ならば。
GVは、アシモフから溢れている雷へ目を向けた。
『……それだ』
細い雷線が張られ、その横をアシモフ自身の電流が走った瞬間、GVの顔が輝いた。
『これ……できる!』
アシモフはすぐに一本を破壊した。
『まだだ!』
『知ってる!』
『今ので分かった!』
『何が!』
『アシモフの雷!』
『私の?』
『強すぎる!』
『それはさっきから――』
『だから使える!』
あの時だけは、本当に理解が一瞬遅れた。
紫電の方が先に気づいたくらいだ。
自分で足りない出力を、敵に出させる。
自分が強く攻めれば攻めるほど、その一部を網へ流す。
『GV』
『何?』
『それを完成させるつもりか』
『うん』
『私の目の前で?』
『うん』
『私の出力を利用する技を?』
『うん』
『私相手に?』
GVは、あまりにも当然のように叫んだ。
『アシモフ相手だから作れるんだろ!』
あれには笑うしかなかった。
『グッドだ』
『褒めた?』
『ああ。面白い』
『やった!』
『だが、完成させる時間を与えるとは言っていない』
『やっぱり!』
本当に。
最後まで、いつものGVだった。
◇
網が完成した瞬間も覚えている。
戦場そのものをロックする。
床、柱、壁、天井へ打ち込まれたダートが、一斉に蒼雷の糸で繋がっていった。
そしてGVは、あの技へ名を与えた。
『迸れ! 蒼き雷霆(アームド・ブルー)!』
『千条の雷糸(ヴォルティック・ストリング)よ! 蒼穹を駆け、縁(えにし)を紡げ!』
『その手を離さぬ蜘蛛網(ウェブ)となれ!』
『――《VOLTIC WEB STRINGER》!!』
蜘蛛の巣。
あまりにも分かりやすい。
あまりにも、GVらしい。
子供の頃、目を輝かせて見ていたものが、十数年後、自分を捕まえる技になって返ってくるなど誰が想像する。
それでも、技の本質は単なる模倣ではなかった。
一つの大きな力で押さえつけるのではなく、無数の支点を繋ぎ、一つが破られても別の経路へ流す。
相手の身体を直接縛るのではなく、攻撃できる空間、動ける場所を少しずつ奪う。
そして、自分の力だけで足りないなら、相手の力すら利用する。
自分が教えた戦場把握。
GV自身が使い続けてきたダート。
何度も失敗しながら覚えた「一つへ集中しない」という考え。
そして、あの映画。
すべてが混ざっている。
自分の技ではない。
だが、自分とまったく無関係でもない。
だからこそ。
『私のコピーで終わるな、GV』
あの言葉へ対する答えとして、これほど明快なものもなかった。
◇
そして。
完全に止められたあと。
『……どう?』
『何がだ』
『今度は何点?』
あの状況で採点を求めてきた時には、本気で呆れた。
『……ハハ。キミ、この状況で採点を聞くのか』
『ずっと採点してたのアシモフだろ』
『そうだったな』
試しに腕を動かせば、網が即座に反応する。
『……百点』
GVの顔が明るくなった。
『ほんと?』
『いや』
『え?』
『九十五点だ』
『何で下がった!?』
『技は解除方法まで考えて完成だ』
そして。
黙った。
『……』
『GV?』
『……そこは』
『考えてないの?』
『今から考える!』
紫電がため息を吐いたのを覚えている。
結局、シアンの助言で安全に解除できた。
『……よし』
『解除できた』
『シアンのアイデアでな』
『実行したの僕だけど』
『なら九十五点へ戻しておこう』
『百点にしてよ』
『次から事前に試験しろ』
『相手いないじゃん』
そこで。
自分は、ごく自然に言ってしまった。
『私がいる』
GVの顔が上がった。
自分自身も、その言葉の意味に一拍遅れて気づいた。
『……いるんだ』
『何がだ』
『これからも』
その一言には、何も返せなかった。
GVは追及しなかった。
『じゃあ、次はちゃんとテスト付き合ってよ』
思想は変わっていないと念を押した。
自分が何をしようとしていたのか忘れていないだろう、と。
それでも彼は。
『意見違うからって、もう一生会わない理由にはならないだろ』
そう言った。
そして。
『僕、アシモフの考えには反対だよ』
『また同じことやろうとしたら止める』
そこまでは理解できた。
当然だと思った。
だが。
『でも、アシモフ自体を嫌いになったわけじゃない』
あれだけは。
今でも少し理解しきれない。
それでも――。
昔のGVなら、同じことをしただろうとも思う。
フェザーのリーダーだから映画へ誘ったわけではない。
自分を助けてくれた英雄だから「一緒にみよ」と言ったわけでもない。
ただ。
アシモフだから、一緒に見たかった。
役割と人間を、あの少年は昔から妙に簡単に分けてしまう。
そして戦いが終わったあとも。
『アシモフ』
『何だ』
『まだやる?』
『この状態で?』
『気持ちの話』
自分はしばらくGVを見た。
野望は消えていない。
思想も変わっていない。
けれど、あの場でさらに戦う理由はもうなかった。
『……ノーだ』
GVの身体から、目に見えて力が抜けた。
『そっか……』
そのまま床へ座り込んで。
『……できたぁ……』
あれは勝利宣言ではなかった。
ただ、帰れることを確認した子供の声だった。
◇
その後も、GVは最後まで変わらなかった。
モニカとジーノが来た。
怒られた。
当然だった。
紫電までまとめて連れ帰る話になり、全員が地上へ戻ることになった。
その時。
『アシモフ』
『何だ』
『帰ろう』
自分は一瞬だけ黙った。
『私もか?』
『全員って言っただろ』
『私はキミと戦ったばかりだぞ』
『知ってる』
『私の計画も終わったとは言っていない』
『それも知ってる』
『なら――』
『だから話すんだろ』
そしてGVは立ち上がろうとして、ふらついた。
考えるより先に腕が伸びた。
GVは、その腕を掴んだ。
『ほら』
『何がだ』
『まだ必要』
あの言葉を聞いた時、胸の奥で何かが止まった。
『モニカに怒られて、ジーノにもちゃんと話して、僕ともまた話して。それから考えればいいだろ』
『……キミは』
『何?』
『本当に面倒な子に育ったな』
『アシモフが育てたんだろ』
『そこだけは責任を感じる』
『ひどいな』
GVは笑った。
『だから責任取って』
『何を』
『帰って』
その時、自分が何を考えたのか。
今なら分かる。
昔。
自分は一人の少年を「帰れる側」へ連れ出した。
施設の中で命令を待つだけだった少年へ、外へ出ていいと教えた。
そして今。
道を踏み外そうとしていた自分へ、その少年がまったく同じことをしていた。
帰っていい。
まだ話せる。
意見が違っても、関係が終わるわけではない。
だから。
『……オーケー』
あの返事をした。
◇
昇降機。
朝が近づく空。
GVはようやく座り、シアンに「学習した」と笑っていた。
やがて自分は、昔と同じ言葉を掛けた。
『グッドラック、GV』
GVの表情が止まった。
『……何それ』
『何がだ』
『なんか、お別れみたい』
『違うのか?』
『違うよ』
即答だった。
『アシモフも帰るんだから』
あの一言も、胸に残った。
そしてGVは、さらに欲張った。
『だから、その言葉』
『何だ』
『次からも言ってよ』
アシモフは黙った。
『任務じゃなくても』
GVは窓の外を見ていた。
『僕が何か自分で決めた時に』
シアンが隣にいた。
『正しいかどうか分からなくても』
少し考えてから。
『それでも行ってこいって意味で』
まったく。
最後まで注文の多い少年だった。
『注文が多いな』
『アシモフが育てた』
『何でも私のせいにするな』
『半分くらいはアシモフのせい』
『なら残り半分は?』
GVはシアンを見た。
それから。
『……色んな人』
『随分増えたな』
『うん』
笑って。
『増えた』
その顔を見た時、自分は本当に少しだけ安心した。
もう、自分一人があの少年のすべてではない。
自分が倒れても、間違っても、GVには他にも手を伸ばす人間がいる。
昔なら、それを寂しいと思ったかもしれない。
今は違う。
それでいい。
むしろ。
それがいい。
◇
回想から戻ると、部屋は静かなままだった。
アシモフは机の上のサングラスを眺めながら、しばらく何もせず座っていた。
自分はGVへ戦い方を教えた。
生き延びる方法を教え、敵を見る方法を教え、世界を疑う方法も教えた。
そのつもりだった。
けれどGVは、その間ずっと別のものを自分へ持ち込んでいた。
映画を見た。
くだらないことで笑った。
ポップコーンをこぼされて叱った。
ミニ四駆の話を聞かされた。
任務から帰る時刻を気にするようになった。
「ただいま」という声を待つようになった。
「一緒にみよ」と誘われることを、いつの間にか当たり前だと思うようになった。
それらはすべて、世界を変えるためには何の役にも立たない時間だった。
能力者解放の使命にも。
皇神への復讐にも。
何の関係もない。
タケフツには必要なかった。
フェザーのリーダーにも必要ではない。
だが。
アシモフには必要だった。
使命がなければ生き方が分からなかった男に、任務ではない時間ができた。
復讐する相手がいなくても、何をしていいのか分かる時間ができた。
誰かを救うためでも、何かを変えるためでもなく、ただ一人の少年と同じ画面を眺めて過ごす時間ができた。
そして。
その少年が帰ってこなければ、不安になるようになった。
「……ノーだな」
アシモフは小さく笑った。
「どうやら、最初に救われていたのは……私の方だったらしい」
口にした瞬間、不思議と敗北感はなかった。
むしろ長い間ずっと肩へ載せていた何かが、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。
コンコン。
扉が二度鳴った。
「アシモフ?」
モニカの声だった。
「起きてますよね?」
「起きている」
「なら出てきてください。昨日の件、まだ話は終わってませんから」
「……今日は休めと言われたのだが」
「医療班から言われたのは“肉体的に”です」
「精神的にも休ませろ」
「自業自得です」
容赦がない。
「それと」
モニカの声が少しだけ遠ざかった。
「来てますよ」
「誰が――」
ばん、と扉が開いた。
「アシモフ!」
「ノックをしろ、GV!」
「したよ!」
「モニカがな!」
入ってきたGVの手には、見覚えのある形のケースがあった。
それを見た瞬間、アシモフには嫌な予感がした。
「……まさか」
「これ!」
GVが嬉しそうに掲げる。
「新しいやつ!」
「GV」
「まだ見てないでしょ?」
「GV」
「一緒にみよ!」
その言い方も、声も、目も、昔とほとんど変わっていなかった。
背は伸びた。
戦い方は変わった。
自分の思想へ真正面からノーを言えるようになり、自分の雷すら利用して自分を止めるほど強くなった。
それでも、こういう時だけは昔のままだ。
「アシモフ?」
かつてなら理由をつけただろう。
少年の精神安定のため。
教育上必要だから。
任務効率にも寄与するから。
一本だけなら。
そうやって、自分が一緒にいることにいちいち理屈をつけていた。
けれど、もういい。
「……オーケー、GV」
「やった!」
「ただし」
「一本だけ?」
「……ノーだ」
GVが目を丸くする。
アシモフはそこでようやくサングラスを手に取り、いつものように掛け直した。
「今日は二本までだ」
一秒ほど、GVは完全に止まった。
直後、その顔が一気に輝く。
「マジで!?」
「騒ぐな」
「モニカ! ポップコーンある!?」
「自分で作ってください!」
「アシモフ!」
「なぜ私を見る!」
「一緒に作ろ!」
「映画を見るだけではなかったのか!?」
GVはもう廊下へ飛び出している。
「早く!」
「走るな、GV!」
「はーい!」
「だから走りながら返事をするな!」
その背を追いかけると、廊下の向こうからモニカの笑い声が聞こえてきた。
まったく。
どちらが教育されたのだろうな。
そんなことを考えながら、アシモフは歩く速度をほんの少しだけ上げた。
かつて自分は、一人の少年を救った。
名前を与え、銃を持たせ、戦い方を教え、生き延びる術を教えた。だからずっと、自分が救った側なのだと思っていた。
だが、その少年はいつの間にか、自分の人生へ勝手に入り込んでいた。
使命と復讐しかなかった場所へ映画を持ち込み、笑い声を置き、誰かを待つ時間を作り、帰ってくる場所というものを教えた。
『一緒にみよ! アシモフ!』
あの一言には、何の使命もなかった。
世界の未来も、能力者の解放も関係ない。
だからこそ、その時間の中では、タケフツでも、フェザーの指導者でも、世界を変えようとする男でもなく、ただのアシモフでいられた。
そして、最後には。
自分が世界を救うためだと信じて、再び使命だけの男へ戻ろうとした時。
あの少年が、また手を伸ばした。
『帰ろう』
昔、自分がそうしたように。
今度はGVが、自分を連れ出した。
最初に“隣人”へ救われたのは、シアンではなかった。
もっと前だ。
GV自身さえ、ヒーローになろうなどと考えていなかった頃。
一本の映画を抱えて、自分のところへ走ってきた、その日だった。
「アシモフー! 遅い!」
「今行く!」
声を返した。
それだけで、少し笑えた。
世界をどう救えばいいのかなど、まだ分からない。
能力者と無能力者の未来について、自分の考えを捨てたわけでもない。きっとこれからもGVとは意見がぶつかるだろう。
その時は、また話せばいい。
必要なら戦えばいい。
自分を止められるというのなら、止めてみればいい。
そして終わったなら、帰ればいい。
それを、あの少年が教えた。
アシモフは廊下の先を走る背中を見ながら、ほんの僅かに口元を緩めた。
「……グッドラック、GV」
その言葉はもう、任務へ送り出すためだけのものではなかった。
あとがき――アシモフについて
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
今回の番外編で書きたかったのは、僕なりの「アシモフはどうして、ああなったのか」という話です。
僕は、原作のアシモフもかなりの「親バカ」だったと思っています。
もちろん本人は絶対に認めないでしょうけど(笑)。
そもそも原作でも、アシモフはGVを皇神の研究施設から救い出した恩人であり、師匠であり、公式紹介でも「親代わりのような存在」とされている人物です。冷静で任務には非情でありながら、その一方で「情の厚さ」も仲間たちから知られている。最初から単なる冷酷な革命家として描かれているわけではありません。
だからこそ、終盤のアシモフがGVへ言う、
「どうやら育て方を間違ってしまったようだな…」
という台詞が、僕は昔からすごく好きです。
敵対した相手に言う言葉としては、あまりにも「親」なんですよね。
しかも最後の最後まで、アシモフはGVを単なる敵として見切れていない。敗北した後でさえ、
「お前こそ…新たなる世界のリーダーにふさわしい…」
と、自分の後を託そうとする。
やっていることは取り返しのつかないところまで行ってしまっているのに、それでも視線の先にはずっとGVがいる。
だから僕は、原作のアシモフを「最初からGVを利用するつもりだった男」とはあまり捉えていません。
むしろ逆です。
ちゃんとGVを大切に思っていた。だからこそ、その愛情まで自分の使命の中へ取り込んでしまった。
そんな人なんじゃないかと思っています。
原作でも、シアンを救うためにフェザーを抜けると決めたGVへ、アシモフは最終的に、
「それがお前の選んだ“自由”か」
と返しています。
命令へ逆らったから即座に敵として処分するのではなく、GV自身が選んだ「自由」であることを認めている。
ここがすごく大事だと思うんです。
アシモフ自身も、自由を求めて生きてきた人だから。
なのに最後には、その自由を世界全体へ与えようとするあまり、自分が世界の答えを決める側へ回ってしまった。
僕の中では、原作アシモフは「愛情がなかった人」ではありません。
抱えているものが多すぎた人です。
自分自身が実験体だった過去。
皇神への憎しみ。
能力者が迫害され続けている現実。
フェザーという組織。
救ってきた能力者たちの未来。
そして、自分が救い育てたGV。
その全部を自分で背負って、「自分が何とかしなければならない」と思い続けた結果、いつの間にか使命と復讐以外の方向へ進めなくなってしまった。
僕は、原作の彼をそう解釈しています。
だから『隣人GV』のアシモフを変える時も、思想そのものを綺麗にしてしまうことはしたくありませんでした。
彼はやっぱり皇神を憎んでいる。
能力者が今の社会構造のままで本当に自由になれるのか疑っている。
待ち続けることにも疲れている。
そして最後には、「自分がやる」と決めてしまう。
そこは原作アシモフと同じです。
変わったのは、もっと小さなところでした。
GVとの日常があった。
それだけです。
映画を見る。
くだらないことで言い合う。
スパイダーマンにハマったGVが「一緒にみよ!」と甘えてくる。
任務から帰ってくるのを待つ。
怪我をしていれば怒る。
ミニ四駆の話を聞かされる。
世界の未来には一ミリも関係ない、何の役にも立たない時間です。
でも、その「何の役にも立たない時間」が、隣人アシモフにはあった。
原作アシモフの中にあった親心が、使命や能力者の未来とだけ結び付くのではなく、
「GVには普通に帰ってきてほしい」
という、もっと個人的で、もっとしょうもなくて、だからこそ大切な感情へ育っていった。
それが今回の分岐です。
だから、アシモフが終盤で思わず、
「……親心だ」
と口にしてしまうのは、そこで突然父親になったわけではありません。
とっくの昔になっていた。
本人が認めていなかっただけです。
そして何より、この世界で最初に「隣人GV」に救われた人は、実はシアンではなくアシモフだった、というのが今回一番書きたかったところでした。
アシモフはGVを研究施設から救った。
名前を与えた。
戦い方を教えた。
自由を与えた。
だからずっと、自分があの少年を救ったのだと思っていた。
でもGVもまた、使命と復讐しかなかったアシモフの人生へ、勝手に日常を持ち込んでいた。
「アシモフだから一緒に映画を見たい」
そんな理由にもならないような理由で、自分を必要としてくれた。
タケフツでもない。
フェザーのリーダーでもない。
能力者の未来を背負う革命家でもない。
ただの「アシモフ」でいられる時間を、GVが作った。
だから最後にアシモフ自身が道を踏み外した時、今度はGVが彼へ、
「帰ろう」
と言える。
昔アシモフがGVを連れ出したように、今度はGVがアシモフを連れ帰る。
この関係にしたかったんです。
原作のアシモフが最後に残した、
「グッドラック…」
という言葉。
原作では、あまりにも重い別れの言葉でした。
だから『隣人GV』では、その言葉を別れで終わらせたくありませんでした。
任務へ送り出す言葉から、
「お前が自分で決めたなら、行ってこい」
という言葉へ。
そして、帰ってきたらまた話せる言葉へ。
アシモフの使命も復讐心も、たった一度の戦いで全部消えたわけではありません。
GVだって、世界をどうすればいいのか答えを出せていません。
それでも、意見が違えば話せる。
止める必要があれば止められる。
喧嘩したっていい。
そして終わったら、また一緒に映画を見ることだってできる。
原作アシモフにも確かにあった「親バカ」な部分を、そういう日常の中でもう少しだけ育ててやったらどうなるだろう。
今回の番外編「アシモフ」は、そんなお節介から生まれた話でした。
爪PV 期待値調査
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やったね君、最高!!
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うーん...