『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
卵。
牛乳。
食パン。
あと、シアンが昨日から食べたいと言っていたプリン。
スーパーの袋を右手に提げながら、GVは頭の中でもう一度だけ確認した。
スマートフォンを取り出す。
『卵忘れないでよ』
十分前に届いたメッセージが残っていた。
「……一回忘れただけなのに」
返事はしない。
もう買った。帰れば分かる。
高校から自宅までの道は、すっかり身体に馴染んでいた。
この時間なら商店街の惣菜屋が値引きを始める。一本裏へ入れば近道になるが、夕方は自転車が多い。公園を横切るルートは少し遠い。
今日はスーパーに寄ったので、裏道を使う。
それだけだった。
角を曲がるまでは。
「――離してください!」
女の子の声だった。
GVの足が止まった。
考えるより先に、買い物袋を見る。
卵。
「……マジか」
袋を道路脇の低い塀へ置いた。
声のした方へ向かう。
狭い路地だった。
少女が一人。男が二人。
一人は彼女の前を塞ぎ、もう一人は壁際へ追い込むように立っている。
男の足元から、コンクリートを押し割って太い蔓が伸びた。
第七波動。
しかも妙だった。
植物を操る能力そのものは珍しくない。問題は出力だった。細い路地いっぱいに根が広がり、アスファルトまで持ち上げている。
男自身の呼吸は荒い。
能力に身体が追いついていない。
「……ねえ」
二人が振り向いた。
GVは少女と男たちの位置を見る。
右に塀。
左は建物。
頭上に配管。
後ろには道路。
「二人がかりで何してんの」
「何だ、テメェ」
「いや、聞いてるの僕なんだけど」
植物が動いた。
だからGVも動いた。
ダートは男へ撃たなかった。
一発。
右の壁。
二発。
左の排水管。
三発目は、二人の背後にある電柱の根元。
「迸れ――」
薄青い雷が三点を走った。
男が腕を振り上げるより早く、路地を横切った雷線が蔓を絡め取る。そこからもう一発。足元。さらに壁。
雷が線から面へ変わった。
蜘蛛の巣のような光が、一瞬で狭い空間を塞ぐ。
「な――」
「そっち行くと感電するよ」
男が反射的に逆へ飛ぶ。
そこにも、もう線がある。
逃げ道を失った二人を、最後の雷線がまとめて壁際へ縫い止めた。
植物の根が暴れる。
GVはその根元だけを見た。
電圧を落とす。
焼き切らない。動けなくなる程度でいい。
数秒後。
路地に残っていたのは、焦げた草の匂いと、地面へ伏した二人の呻き声だけだった。
「……まだやる?」
返事はなかった。
GVはダートを下ろした。
そこでようやく、少女を見る。
「大丈夫?」
「……はい」
長い髪の少女だった。
制服は見覚えがある。
ただ、今はそれより先に確認することがあった。
「怪我は?」
「ありません。あの……」
「よかった」
遠くからサイレンが聞こえ始めた。
通報した誰かがいたらしい。
少女はまだGVを見ている。
「あの」
「ん?」
「どうして……助けてくださったんですか?」
GVは少しだけ首を傾けた。
「どうして?」
「わたしとは、会ったことも……」
「ああ」
そういうことか。
「手が届いたし」
GVは答えた。
「それ以外に理由いる?」
少女が何も言わなくなった。
今度はGVの方が困る。
「……何?」
「いえ」
ほんの少しだけ。
少女が笑った。
「ありがとうございます」
*
同じ頃。
アキュラの作業台に、見覚えのない通知が一件だけ表示された。
いや。
見覚えがないのは、送り主だった。
形式には覚えがある。
「……何故だ」
『アキュラくん?』
RoRoが端末上に顔を出した。
『どうしたの?』
「黙っていろ」
『はいはい――って、なにこれ』
RoRoの声から軽さが少し消えた。
『暗号? すっごい古い規格だね』
「古いだけではない」
アキュラは受信データを展開した。
何重にも偽装された文字列。その奥に認証コードがある。
見間違えるはずがなかった。
幼い頃から何度も目にしたものだ。
父が残した研究資料。
その中でも、外部公開されていない記録にのみ使われていた方式。
『……これ、誰から?』
「分からん」
『分からない相手の呼び出しに行こうとしてる顔してるけど』
アキュラは立ち上がった。
『やっぱり行くの!?』
「確認する」
『罠だったら?』
「潰す」
『もうちょっとこう、慎重に――』
「位置情報を出せ」
RoRoが一瞬黙った。
やがて小さく息を吐くような音がした。
『……分かったよ』
表示された場所は、市街地から離れた旧研究区画だった。
*
「すみません。送っていただいて」
「いいよ。近いし」
警察への説明を終えた頃には、空が暗くなり始めていた。
GVは少女――オウカと並んで歩いていた。
「オウカっていうんだ」
「はい。あなたは?」
「GV」
「じーぶい……?」
「変?」
「いえ。少し珍しいなと思って」
「まあ、よく言われる」
スマートフォンが震えた。
嫌な予感がした。
見る。
『GV?』
二文字だけ。
シアンだった。
「……あ」
「どうしました?」
「帰るの遅いって怒られる」
「ご家族ですか?」
「まあ……そんな感じ」
通話する。
『GV』
「はい」
『牛乳買うだけでどこまで行ってんの?』
「ちょっと人助け」
数秒。
『……また?』
「またって言わないで」
『卵は?』
「買った」
『割れてない?』
GVは立ち止まった。
路地へ置いてきた袋を思い出した。
「…………たぶん」
『GV?』
「今確認する」
電話を切る。
オウカが口元へ手を当てていた。
「笑った?」
「い、いえ」
「笑ったよね?」
「すみません」
「そこ謝られる方が傷つくんだけど」
今度ははっきり笑われた。
不思議と嫌ではなかった。
*
旧研究区画は、記録上すでに閉鎖されている。
それでも電源は生きていた。
アキュラが通路を進むたび、一定間隔で天井灯が点いた。
『……嫌な感じ』
「何がだ」
『ちゃんと使われてるのに、人がいない』
「騒ぐな」
奥の扉が開いた。
アキュラの右手が反射的に銃へ伸びた。
男が一人。
白衣。
眼鏡。
記憶より老けているようにも見える。
だが、顔は変わっていなかった。
男はアキュラを見る。
何秒か。
どちらも動かなかった。
「……大きくなったな」
先に男が言った。
「アキュラ」
銃口が上がった。
「誰だ」
男はそれを見ても動かなかった。
「随分な挨拶だな」
「答えろ」
「昔、私の研究室へ忍び込んで、試作部品を棚ごとひっくり返したことがあった」
アキュラの指が止まった。
「片付けろと言ったら、お前は『配置が悪い』と言い張った」
「……」
「六歳だったか?」
「五歳だ」
「そうだったな」
男が少し笑う。
「それで結局、配置を変えさせられた」
アキュラの銃口が、数センチ下がった。
「……父さん」
「久しぶりだ」
神園博士は、それだけ言った。
*
翌朝。
GVは昇降口で足を止めた。
昨日の少女がいた。
向こうもこちらを見て止まる。
「……あ」
「昨日の」
二人同時だった。
オウカが制服を見下ろす。
「同じ学校だったんですね」
「僕も今気づいた」
「GV?」
横からシアンが覗き込んだ。
「誰?」
「昨日助けた子」
「説明が雑じゃない?」
オウカが慌てて頭を下げた。
「オウカです。昨日、GVさんに助けていただいて」
「ああ」
シアンがGVを見る。
「人助けってそれ?」
「そう」
「卵は?」
「一個だけ割れてた」
「やっぱり」
「だから今日買うって」
オウカがまた笑った。
GVは気づいた。
「また笑った」
「ご、ごめんなさい」
「ほら、謝られた」
「GVが変なこと言うからでしょ」
シアンはオウカへ向き直った。
「シアン。よろしく」
「はい。こちらこそ」
それだけだった。
少なくとも、その日は。
*
「ミチルは?」
再会して最初にまともに腰を据えた時、神園博士が聞いたのはそれだった。
「生きている」
「体調は」
「安定している」
「そうか」
博士は椅子へ深く腰掛けた。
「ならばいい」
アキュラは父親を見ていた。
聞きたいことはいくらでもある。
何故生きている。
何故今まで姿を見せなかった。
何をしていた。
だが博士は先に続けた。
「……声は?」
アキュラの目がわずかに細くなる。
「戻っていない」
「そうか」
博士は、それ以上は聞かなかった。
ほんの短い沈黙が落ちた。
「相変わらず、あの子のことばかり気にするな」
アキュラが言う。
「娘だからな」
「オレも息子だが」
「お前は放っておいても勝手に生きる」
「……何だそれは」
「違うか?」
アキュラは答えなかった。
博士が少しだけ笑う。
「蒼き雷霆とは会ったか?」
話題が変わった。
「何度かな」
「あれもまだ生きているのか」
「しぶとい男だ」
「そうか」
博士は資料へ目を落とした。
「厄介なバケモノだな」
昔と変わらない言葉だった。
「相変わらずだな」
「何がだ」
「能力者への言い草だ」
「変わる理由がない」
博士はページをめくる。
「人間一人が持つには過ぎた力だ。力を得た者は、自分なら扱えると思い込む。自分だけは例外だとな」
「……」
「バケモノはバケモノだよ」
声は穏やかだった。
昔なら、その話を始めただけで部屋の空気まで変わった。
アキュラはそこまで考えて、やめた。
時間が経ったのだ。
自分も子供ではない。
父も同じだろう。
*
数日後。
オウカの家へ招かれた。
助けてもらった礼をしたい、と本人が譲らなかったためだった。
「……でか」
門の前でGVが言った。
「普通だと思いますけど」
「普通じゃないと思う」
シアンが即座に訂正する。
屋敷へ入る。
広い。
広すぎる。
玄関だけでGVの家のリビングより大きい気がした。
なのに、静かだった。
人の気配がない。
「ご家族は?」
シアンが聞いた。
「ここにはいません」
「使用人さんとか」
「今はいませんよ」
「今は?」
オウカは少し考えた。
「以前は、お世話をしてくださる方がいました。でも、三か月ほど前に亡くなって」
「……そっか」
「はい」
オウカはいつもの調子で笑った。
「一人でも、だいたいのことはできますから」
キッチンには一人分の食器。
玄関には一足分の普段履き。
リビングのテーブルも、大きさの割に使っている場所だけが妙に整っていた。
GVは何も言わなかった。
シアンも同じだった。
帰り際。
玄関まで見送りに来たオウカへ、シアンが振り返った。
「オウカ」
「はい?」
「明日、お昼一緒に食べない?」
オウカの目が少し開いた。
「……わたしもですか?」
「他に誰がいるの」
「でも」
「嫌ならいいけど」
「いえ!」
思ったより大きな声だった。
オウカ自身も驚いたらしい。
「……行きたいです」
「じゃあ決まり」
GVも靴を履きながら顔を上げた。
「うちの教室来ればいいよ」
「はい」
オウカは今度は、小さく笑った。
*
「覚えているか」
神園博士が言った。
「何をだ」
「お前が研究室の部品を全部ひっくり返した日のことだ」
「さっきも聞いた」
「そうだったか?」
「再会した日に自分で話しただろう」
「ああ。そうだったな」
博士は苦笑した。
「歳は取りたくないものだ」
その日、アキュラは父の研究室にいた。
昔の話などするつもりはなかった。
いつの間にかそうなっていた。
「お前は昔から機械を触るのが好きだった」
「父さんの研究室にあれだけ置いてあれば誰でも触る」
「ミチルは触らなかった」
「あいつは俺が触ってるのを見てた」
「そうだったな」
博士が少し目を細めた。
「一度、二人で小さな車を作ったこともあった」
「父さんも入れて三人だ」
「私も?」
「途中から一番夢中になっていた」
博士の視線が、一瞬だけ止まった。
「……そうだったか」
「動かなくなったモーターを一時間かけて直した」
「……ああ」
今度は自然に笑った。
「そうだったな。お前がどうしても諦めなかった」
「父さんが諦めなかったんだ」
「どちらでも同じだろう」
「違う」
「昔から細かいな」
会話は普通に続いた。
だからアキュラも、それ以上は気にしなかった。
*
昼休み。
オウカは教室の入口で立ち止まっていた。
中を覗く。
知らない顔ばかり。
当然だ。
「オウカ」
奥からシアンが手を上げた。
「こっち」
GVもいる。
机が一つ、横に寄せられていた。
「本当に来た」
「来ますよ。約束しましたから」
「GV、それどういう意味?」
「いや、別に」
席へ座る。
オウカが弁当箱を開いた。
「自分で作ったの?」
シアンが聞く。
「はい」
「すご」
「大したものでは」
GVが横から覗く。
「美味しそう」
「食べますか?」
「いいの?」
「はい」
オウカが卵焼きを一つ差し出した。
GVが口に入れる。
「うま」
「よかった」
シアンも手を伸ばす。
「わたしも」
「どうぞ」
気づけば、昨日まで一人で食べていた弁当から二つ減っていた。
オウカはそれを見ていた。
「……どうしたの?」
シアンが聞いた。
「いえ」
オウカは首を振る。
「なんでもありません」
*
「見せろ」
「必要ない」
「アキュラ」
父親の声だった。
アキュラは舌打ちして顔を向けた。
頬に薄い傷が残っている。
「これか?」
「それだ」
「擦っただけだ」
博士が傷を見る。
「腕は」
「問題ない」
「肩」
「問題ないと言っている」
「それを判断するのは医者だ」
「医者の診察を受けに来たわけではない」
「父親が息子の身体を心配して何が悪い」
アキュラは黙った。
昔からこうだった。
博士はアキュラの右腕を取った。
肘。
手首。
指。
動きを確認する。
「無茶をしたな」
「任務だ」
「任務なら壊れていいわけではない」
博士が手を離す。
「身体は一つしかない。大事に使え」
「……父さんがそれを言うか」
「私だから言うんだよ」
立ち上がる。
机へ手をついた。
右手の指が、一瞬だけ曲がったまま止まった。
「父さん」
「何だ」
「手」
博士は自分の右手を見る。
一度握る。
開く。
今度は何も起きなかった。
「古傷だ」
「事故の?」
「まあ、そんなところだ」
博士は話を切った。
「それより、見せたいものがある」
*
エレベーターが地下へ降りていく。
『まだ下あるの?』
RoRoが小さく言った。
「静かにしていろ」
『はいはい』
扉が開く。
その先は、廃研究施設ではなかった。
白い通路。
隔壁。
医療区画。
監視室。
装備庫。
人間が働いていた。
アキュラの目が細くなる。
「これは」
「イージス」
神園博士が歩き出した。
「第七波動による犯罪、事故、災害。保護が必要な者もいれば、制圧しなければならない者もいる」
訓練区画の向こうでは、職員が避難誘導の確認をしていた。
別室では医療スタッフが搬送訓練をしている。
さらに先では拘束装備の試験。
「能力者を殺すための組織ではないのか」
アキュラが聞く。
博士は振り返った。
「私を何だと思っている」
「能力者嫌いの頑固親父」
「否定しづらいな」
神園博士は苦笑した。
「嫌いだからといって、手当たり次第に殺せばいいという話ではない」
「……意外だな」
「社会はそんな単純な方法では維持できんよ」
二人の前を、担架を押した職員が通り過ぎる。
博士は邪魔にならないよう一歩避けた。
「救うべき者は救う。危険なら止める。事故が起きるなら防ぐ。分からないものは調べる」
「随分と手広い」
「一つの答えだけで第七波動を扱えるなら、組織など要らん」
アキュラは何も返さなかった。
父親が生きていた。
しかも、ただ隠れていたわけではない。
自分が一人でやってきたことを、もっと大きな形で続けていた。
それだけで、何かが軽くなるような感覚があった。
「アキュラ」
「何だ」
「ここへ来ないか」
アキュラが父を見る。
「オレを?」
「お前が私の研究を継いだことは見れば分かる」
博士の視線が装備へ移った。
「一人でよくここまでやった」
「……当然だ」
「当然ではない」
短い返答だった。
「子供一人に背負わせることではなかった」
アキュラの視線が止まった。
博士は先を歩いている。
「私が戻った以上、もう全部を一人でやる必要はない」
追いつくまで待つ。
「いずれは、お前にここを託してもいいと思っている」
「オレに?」
「ああ」
博士が笑った。
「そのためにも、ちゃんと育ってもらわないとな」
「子供扱いするな」
「親から見れば何歳でも同じだ」
『それはちょっと分かるかも』
RoRoが口を挟んだ。
「貴様は黙っていろ」
『なんで!?』
博士が笑った。
アキュラはその声を聞いた。
昔と同じだった。
*
「また明日」
放課後。
昇降口でオウカが言った。
「うん」
シアンが答える。
GVも手を上げた。
「また明日」
オウカは二人と別れて歩き出す。
昨日までと同じ帰り道だった。
途中でスーパーに寄る。
一人分の食材を買う。
同じ屋敷へ帰る。
ただ、明日の昼に食べる卵焼きだけ、一人分多く作ろうと思った。
*
「ミチルには、いつ会う」
アキュラが聞いた。
「近いうちに」
「驚くぞ」
「そうだろうな」
二人でエレベーターへ乗る。
上へ向かう。
しばらく無言だった。
「アキュラ」
「何だ」
博士は前を向いたままだった。
「生きていてくれて、ありがとう」
アキュラは父を見る。
「……急に何だ」
「言っておこうと思っただけだ」
「帰ってきたのは父さんの方だろう」
博士が少しだけ目を細めた。
「そうだったな」
扉が開く。
アキュラが先へ出る。
『アキュラくん、ミチルちゃんに何て説明する?』
「そのまま言えばいい」
『絶対信じないと思う』
「なら本人を連れて行く」
『えぇ……』
二人の声が遠ざかる。
神園博士は少し遅れてエレベーターを出た。
一人になった研究室で白衣を脱ぐ。
机に置く。
右手を握った。
開く。
薬指だけが遅れた。
もう一度。
今度は揃った。
博士はしばらくその手を見ていた。
それから端末を開く。
いくつかの数値を確認する。
表示を閉じる。
「……まだいい」
独り言はそれだけだった。
窓のない研究室で、照明だけが静かに点いていた。
爪PV 期待値調査
-
やったね君、最高!!
-
うーん...