『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
前日の騒乱から、一夜が明けた。
エデンによる襲撃。飛天への連行。シアンとミチルの接触。そして、テンジアンによって砕かれた《電子の謡精》――九つのミラーピース。
そのうち一片だけが、現在イージスの管理下に置かれている。
残る八片はエデン側へ渡った。シアンの内側にはモルフォ自身の人格核こそ残ったものの、以前のように自由に顕現し、歌い、第七波動を十全に増幅できる状態ではない。
昨夜だけを切り取れば、世界は大きく変わった。
だが朝は、昨日までと同じ顔をしてやってくる。
イージス本部でも、それは同じだった。
朝七時半。
広い中庭には職員たちが並び、スピーカーから流れるラジオ体操の音楽に合わせて一斉に身体を動かしていた。
能力者犯罪への対処、災害救助、医療保護、研究、避難計画、対第七波動戦闘。一般の警察や消防だけでは処理しきれない領域をまとめて担う組織としては、あまりに牧歌的な光景だった。
ただし、最前列にいる女だけは、ラジオ体操ひとつにも一切の妥協がなかった。
背は高め。淡い色の髪を整然とまとめ、規定通りの制服に黄黒の安全標識を思わせる装備を纏っている。腕を上げる角度、膝の曲げ方、着地時の足裏まで、教則映像のように正確だった。
クレイドル。
イージスの危機管理担当。
彼女自身は第七波動能力者ではない。代わりに、絶縁隔壁、避雷設備、緊急シャッター、遮断フィールド、避難誘導ドローンといった安全設備群を統合制御する擬似能力兵装《安全神話》を扱う。
戦うより先に、事故が成立しない条件を作る。
それが彼女のやり方だった。
「膝に痛みがある場合は、可動域を狭めてください」
ラジオから流れていない注意まで自然に付け加える。
数列後ろでは、それを見ていた若い女が肩を震わせていた。
短く崩した制服。戦闘用ゴーグル。重いブーツ。背後の格納庫には、一人で小隊規模の火力を運用する巨大兵装フレームが待機している。
バレット。
彼女もまた能力者ではない。
だが《過剰火力》と呼ばれる統合火器管制システムによって、多数のミサイル、機関砲、レールガン、拘束弾を同時に扱う。
「いや朝から完成度高すぎっしょww ラジオ体操に命かけてんじゃんクレイドル(´∀`)」
「怪我を予防するための運動です。正しく行ってください」
「ラジオ体操で安全指導入る!?Σ(゚Д゚;)」
クレイドルは取り合わなかった。
少し離れた列では、二人の若い職員が腕を回しながら小声で話していた。
「昨日の飛天、見ただろ。ああいうのが来るなら、高危険度は先に保護区画へ入れた方がいい」
戦闘部門の男だった。
隣にいた医療班の職員が眉を寄せる。
「事故を起こしてない段階から?」
「危険度次第だよ。起きてからじゃ遅い」
「その危険度、誰が決めるんだ」
「だから審査があるんだろ」
「審査が長引いたら、その間ずっと出られないのか?」
言い争っているわけではない。
二人は昨日も同じ避難班で市民を誘導していた。
ただ、第七波動に何を求め、何を恐れるかが違った。
「私語は構いません」
前を向いたまま、クレイドルが言った。
「腕は止めないでください」
二人とも黙って運動へ戻った。
その少し後方には、体操に参加しているのか仕事をしているのか判然としない男がいた。
痩せた身体。
乱れた長めの髪。
目の下には濃い隈。
イージス制服の上から白衣を引っ掛け、片手に端末、もう片方にコーヒーを持ったまま前屈している。
ドクター・ノイン。
研究部門の責任者。
多数のセンサーから対象の視線、姿勢、重心、呼吸、第七波動出力、行動履歴を収集し、次の行動を工学的に予測する《零式領域》を扱う。
彼の問題は、仕事ではなかった。
仕事だけは異常に正確だった。
「うわああああ!! 昨日の同期波形、やっぱり分からない!!」
端末を食い入るように見る。
「前例がない!!」
目が輝いていた。
直後、隣で体操していた職員へ視線を送る。
「右足をもう少し外へ。今の角度だと膝を痛めますよ」
「あ、はい」
「そう。それです」
職員が直す。
ノインの目が潤んだ。
「……ちゃんと直した……!」
「なんで泣くん?」
「良い修正を見たら感動するでしょう!!」
分析値には、一つの乱れもなかった。
彼は鼻を啜るとポケットを探った。
「あ、ハリボーいります?」
その喧騒から少し離れたベンチには、体操そのものへ参加していない男がいた。
肩まで伸びた淡い金髪。穏やかな顔立ち。白い制服の上から、聖職者を思わせる長衣を纏っている。背部には円環状の装置が折り畳まれていた。
グレゴール。
《聖杯》と呼ばれる干渉兵装によって、顕現した第七波動へ逆位相の干渉を与え、その出力を吸収、偏向、減衰させる。
能力者を敵と見るのではなく、その力によって苦しむ人間として救おうとする男だった。
ただし今朝の彼は、人命ではなく報告書と戦っていた。
昨日提出する予定だった現場報告。
現在、一行目。
クレイドルが体操を終え、彼の前へ立った。
「進捗を確認します」
「順調です」
「何行ですか」
「一行目が完成しかけています」
机の上には、報告書とは別に一冊のノートが置かれていた。
表紙には『主の言葉 第一二四集』。
百二十四冊目だった。
「昨日、『完成度七割でもいいので期限内に提出してください』と伝えました」
「ええ。覚えています」
「本当に?」
グレゴールは少し考えた。
「主、曰く――完全を追う者は時を失い、時を追う者は――」
「それ、昨日の私の発言を曲解しています」
「……そうでしたか?」
本気で覚えていない。
遠くからバレットの笑い声が飛んだ。
「百二十四冊それで出来たん!?ww」
平和だったのは、そこまでだった。
施設内の端末が一斉に鳴る。
四人の表情が変わった。
バレットは笑顔を残したままゴーグルへ手を伸ばし、ノインはコーヒーを机へ置く。グレゴールは報告書を閉じ、クレイドルは既に警報内容を読み始めていた。
救済。
排除。
管理。
研究。
同じ第七波動を見ても、四人の答えは違う。
それでも警報が鳴れば、同じ方向へ歩き出す。
それがイージスという組織だった。
◇
最初の作戦会議では、前日の飛天事件が整理された。
会議室の中央には九分割されたミラーピースの概略図と、電子の謡精由来の波形が浮かんでいる。
一片はイージス側。
八片は最後にエデン側で確認。
シアンの内部には、ミラーピースとは別にモルフォの人格核に相当する反応が残存。
さらにミチルとの接触時にだけ、通常とは異なる同期現象が記録されていた。
神園博士は中央席から資料を見ていた。
その隣にはアキュラ。
そして彼の周囲を、小型支援AIのロロが忙しなく飛び回っている。
『朝から難しい数字ばっかりだねぇ。アキュラくん、ちゃんと寝た?』
「黙れ」
『はいはい。そう言うと思ったよ』
ロロは慣れている。
アキュラが答えなくても、必要なら勝手に喋る。
むしろ黙っている彼の代わりに空気を埋めるのが、自分の仕事だとでも思っている節があった。
神園博士はまず娘の状態を尋ねた。
「ミチルは?」
「安定している」
アキュラが短く答える。
『昨日より顔色もいいよ。ちゃんと寝てたしね』
ロロが補足した。
博士は小さく頷く。
「そうか。ならばいい」
感情を大きく表へ出すことはない。
だが、確認そのものは最初に行った。
ノインが解析画面を開く。
昨日採取されたミラーピースの反応には、電子の謡精特有の波形が残っている。さらにミチルがシアンと接触した瞬間、その波形の一部が一時的に同期していた。
ノインの目が大きく開いた。
「分からない!!」
机へ両手をつく。
「この同期、前例がない!!」
一瞬後。
声だけが仕事へ戻った。
「ただし、現段階で意味を与える必要はありません。相関と因果は別です。接触と同期が同時に起きたことと、接触が同期を引き起こしたことは同義ではありません」
ロロが表示を覗き込む。
『つまり、“ミチルちゃんの近くで変なことが起きました”までは分かるけど、“だからこうです”までは言えないってことだね』
「その通りです!!」
ノインが満面の笑みになる。
「一回で伝わった!!」
『そこまで喜ぶ?』
「あ、ハリボーいります?」
クレイドルは感情には関わらず、記録上の表現だけを訂正した。
アキュラが「エデンが八片を保有している」と断定すると、即座に口を挟む。
「訂正します。八片は最後にエデン側で確認された数です。現在も同数を保持している保証はありません」
「同じことだ」
『いや、アキュラくん。たぶん今のは違うって言われるやつだよ』
「違います」
予想通りだった。
ロロが小さく笑う。
『ほら』
バレットが机へ頬杖をつく。
「アキュラきゅんでもクレイドルチェック逃げらんないんだ(´∀`)☆」
「誰がアキュラきゅんだ」
『アキュラきゅんだって』
「ロロ」
『ぼくは言ってないよ?』
明らかに面白がっていた。
会議資料の端には、昨夜から上がってきた二種類の要望書が並んでいた。
一方は戦闘部門と警備部門から。
高危険度能力者に対する、事前保護権限の拡大。
緊急時に限り、本人の同意を待たず保護区画へ移送できる範囲を広げるべきだという提言だった。
もう一方は医療、福祉、心理部門から。
保護期間の上限と解除条件。
家族との面会。
本人への説明。
保護された者が自分の処遇について意見を述べる機会を、制度として明文化すべきだという要望だった。
同じイージスから出た文書だった。
『こっちはもっと止められるようにしろって言ってて、こっちは止めすぎるなって言ってる?』
ロロが首を傾げる。
「大まかには」
クレイドルが答える。
「ただし、正式な派閥が存在するわけではありません」
「でも現場じゃフツーに過激派とか穏健派とか言ってるけどね~( ̄ー ̄)」
バレットが横から入る。
「正式名称ではありません」
「はいはい」
職員が便宜的に使っている呼び名だった。
能力者による被害を防ぐため、先に強く止めるべきだと考える者たち。
必要な制限は認めながらも、その範囲と終わりを明確にすべきだと考える者たち。
綺麗に二つへ分かれるわけではない。
同じ職員でも、事件によって立場を変えることがある。
それでも、傾向はあった。
「事故ってからじゃ遅いっしょ」
バレットが端末を指で回す。
「本人がいい子とか悪い子とか関係なくさ。周りにいる方は、巻き込まれるかどうか選べないじゃん?」
軽い口調だった。
言っていることは軽くない。
グレゴールも穏やかに続ける。
「保護を拒む方もいます」
「恐怖や混乱の中で、自分に必要なものを正しく選べないこともあるでしょう」
本人の意思を軽んじているわけではない。
それでも必要なら、その意思を越えてでも救う。
彼の救済には、そういう危うさがあった。
対して、クレイドルは二枚の要望書を見比べていた。
「保護権限の拡大自体には反対しません」
一拍。
「解除条件が未定義のまま、権限だけを拡大することには反対します」
ノインも画面から目を上げる。
「現時点では判断材料が足りません」
いつもの妙な節もない。
「危険だから制限する。これは分かります。ただし、“どの状態なら危険ではなくなったと判断するのか”が決まっていない状態で期間だけ延ばすのは、研究としても制度としても雑です」
誰も相手を否定するために喋ってはいなかった。
見ているものが違う。
アキュラは四人を順に見た。
『みんな同じ組織なのに、けっこう言ってること違うんだね』
「それで構わない」
神園博士が答えた。
「一つの答えだけで第七波動を扱えるなら、組織はいらない」
グレゴールは人を見る。
バレットは被害を見る。
クレイドルは事故条件を見る。
ノインは未知を見る。
一人だけなら必ず見落とす。
だから複数の視点を持つ。
『ふーん』
ロロがアキュラを見る。
『アキュラくん、こういうの苦手そう』
「余計なことを言うな」
『でも一人でやった方が早いって思ってるでしょ?』
「……」
『ほら』
神園博士は二人のやり取りを止めなかった。
「今日は彼らを見ておけ」
アキュラの視線が向く。
「何のためだ」
「知ることと、同意することは別だ」
それだけだった。
◇
訓練区画は、単なる射撃場ではなかった。
建物、道路、電柱、工業設備、可動式壁面。都市の一部を模した空間を状況に応じて組み替えられる。
クレイドルによれば、第七波動事故の被害は能力出力だけで決まらない。建物の構造、電源、ガス、道路、人の密度、天候。周囲の条件によって、同じ能力でも被害は変化する。
イージスの擬似能力兵装は、その考えをさらに押し進めたものだった。
能力そのものを人工的に再現するのではない。
現象を観察し、条件を分解し、必要な結果だけを工学的に再構成する。
「鳥にならなくても飛行機は作れるでしょう?」
ノインの説明を聞き、アキュラは短く結論を返した。
「能力の模倣ではなく、現象の代替か」
ノインの目が見開かれた。
「……そうです!!」
両手を握る。
「一発でそこまで分かってくれる人、本当に助かります!!」
目に涙が浮かぶ。
アキュラは露骨に視線を逸らした。
『ほらアキュラくん。褒められたよ』
「どうでもいい」
『素直じゃないなぁ』
「あ、飴いります?」
最初に実演したグレゴールの《聖杯》は、第七波動へ直接干渉する。
模擬能力発生器が放った高出力エネルギーを、背後の円環が受け止める。完全な吸収ではない。何度か同じ出力を受けることで波形に適応し、徐々に減衰効率を高めていく。
ただし容量には限界がある。
そして普通の物理攻撃には、普通に弱い。
模擬人形の拳が腹へ入り、グレゴールが一歩退いた。
「主、曰く――拳は思想を介さず届く、と」
『それ、主って人ほんとに言ったの?』
「おそらく」
『おそらくなんだ……』
バレットの《過剰火力》は、もっと単純だった。
巨大兵装フレームを展開し、多数の火器を一人で統合制御する。
「能力とかマジよく分かんないならさ~、向こうより先にいっぱい撃って動けなくすればよくない?(´∀`)☆」
『すごい理屈だね』
「分かりやすいっしょ(^_^)v」
標的が動いた瞬間。
バレットの声から軽さが消えた。
「目標捕捉。距離一八四。右移動予測〇・七秒後。第二砲門、偏差〇・四。左退路へ拘束弾二。中央、模擬徹甲。撃て」
弾幕は標的そのものより、逃げ道を先に潰した。
動きを封じた瞬間に中央へ射撃。
終了。
「はい勝ち~~~(^_^)v」
『切り替わるの早っ』
「仕事中は仕事するからね~」
クレイドルの《安全神話》はさらに異質だった。
本人は一発も撃たない。
代わりに周囲の設備が動く。
絶縁。
避雷。
遮断。
退避。
危険な出力が発生しても、それが人へ届かない環境へ作り替える。
ロロは興味深そうに設備群を眺めた。
『能力者を倒すんじゃなくて、周りの方を変えちゃうんだ』
「対象を倒す必要はありません」
クレイドルが答える。
「事故が成立しなければ、それで十分です」
その直後、作業員が支柱を確認した。
「ここ浅いっすね。もうちょっと奥まで押し込んだ方が――」
「表現を変更してください」
一同が止まる。
「『規定深度まで固定してください』でお願いします」
バレットがゆっくり顔を向けた。
「え、そっから!?Σ(゚Д゚;)」
『……ぼくも今は何も思わなかったよ』
ロロまで引いていた。
「言語上の誤認リスクです」
「その誤認回路が一番怖いんだけどww」
最後にノイン。
《零式領域》は、対象を観測するほど強くなる。
最初の不規則行動には予測を外した。
ノインの顔が一瞬で輝く。
「知らない動きだ!!」
嬉しそうだった。
二度目。
同じ動き。
今度は防御装置が先に展開した。
「対応しました」
もう普通の声だった。
「初見行動は未知です。二回目まで未知である必要はありません」
記録を保存する。
「あ、ガムいります?」
アキュラは四つの兵装を見終えると、欠点だけを短く並べた。
《聖杯》は容量。
《過剰火力》は弾薬と補給。
《安全神話》は環境依存。
《零式領域》は未知。
ロロはその横で、少し考えてから言った。
『でも、逆に言うとさ』
アキュラが見る。
『一人の苦手なところ、他の人が埋めてるんじゃない?』
バレットが指を鳴らす。
「それ~~~(´∀`)☆」
クレイドルも否定しない。
グレゴールが《聖杯》を受け持つ間にノインが解析する。
容量限界へ近づけばクレイドルが逃がす。
安全設備の展開までバレットが時間を稼ぐ。
ノインが射撃地点を指示し、クレイドルがバレットの被害範囲を抑える。
一人で完成するのではない。
互いの穴を前提に設計された組織だった。
『ね?』
ロロが得意げにアキュラを見る。
「使えない連中ではなさそうだ」
『それ褒めてるよね』
「褒めていない」
『はいはい』
その直後、訓練区画へ実戦警報が入った。
市街第七区。
高出力第七波動反応。
熱。
衝撃波。
能力事故の可能性。
四人は一瞬で仕事へ戻った。
◇
五分後、緊急車両は市街第七区へ向かっていた。
現場の中心にいるのは少年だった。
敵ではない。
犯罪者でもない。
ただ、自分の能力を止められなくなっている。
道路脇で頭を抱え、泣きながら座り込んでいる。その周囲から周期的に熱と衝撃波が放たれ、舗装と窓ガラスを壊していた。
車内通信へ二つの声が重なる。
『対象、出力上昇中。拘束班を前へ出します』
警備部門。
直後。
『待ってください。本人との意思疎通は可能です。武装接近は刺激になる可能性があります』
医療班。
『再暴走してからでは遅い』
『今まさに暴走している本人へ、さらに銃を向ける必要がありますか』
クレイドルが割って入る。
「確認しました」
現場映像を切り替える。
「拘束班は第二線で待機。医療班は西側へ。接触はグレゴールが行います」
双方から了承。
議論はそこで終わった。
意見が違っても、現場指揮が決まれば動く。
クレイドルは現場到着前から、対象より先に街を見ていた。
ガラス面積の大きい南側を捨てる。
西側を医療搬送用に確保。
一般避難者と救急動線を分離。
アキュラはそれを黙って眺める。
『アキュラくん、あの人ずっと能力者じゃなくて道路見てるね』
「それが仕事だろう」
『分かってるじゃん』
現場へ到着すると、四人は別々の位置へ散った。
クレイドルは防護区画を構築。
バレットは射線を確保。
ノインは少年の呼吸と出力を解析。
グレゴールは最後まで接近のタイミングを待つ。
途中、西側建物の二階に子供が取り残されていることが判明した。
救助班だけでは間に合わない。
クレイドルがバレットへ指示する。
「窓下の庇のみ破壊できますか」
バレットは一度だけ視線を送った。
「できるできる。そこだけ抜けばいいっしょ(^_^)v」
次の瞬間には軍人の声になっていた。
「距離七十二。目標幅〇・八。民間人まで一・六。第三砲門、低出力徹甲。撃つ」
一発。
庇の固定部だけを破壊。
救助班の足場を作る。
『うわ、すご……』
ロロの声が思わず漏れた。
「はい神~~~(´∀`)☆」
バレットはもう元に戻っている。
グレゴールが少年へ近づく。
《聖杯》が暴走出力を受け止める。
容量は上がる。
ノインが数値を読み上げる。
クレイドルが逃がす。
バレットは撃たない。
必要になる瞬間まで待つ。
グレゴールはただ、少年へ声をかけ続けた。
「ええ、ええ。こちらを見てください」
少年が震える。
「止まらない……!」
「一人で止めなくていい」
その言葉が届いたのか。
あるいは偶然だったのか。
少年の出力に変化が出る。
ノインが最初に気づいた。
「本人が抑えようとしてる!!」
声が跳ねた。
数値を見る。
次の瞬間。
目から涙が落ちる。
「……ちゃんとやってる……!」
『この人ほんと忙しいね……』
ロロが小声で呟く。
呼吸誘導。
干渉率調整。
熱の逃がし。
射線管理。
誰か一人の必殺技で終わらせるのではなく、四人の仕事が噛み合い、少しずつ事故を小さくしていく。
やがて少年の出力が下がった。
倒れた身体をグレゴールが受け止める。
医療班が入り、周辺確認が始まる。
死者なし。
重傷者なし。
取り残された子供も軽傷。
ノインが少年の意識を確認する。
「呼吸正常。意識もあります。よく抑えましたね」
少年がぼんやりと彼を見る。
「あ、スポドリいります?」
ロロはしばらく結果表示を眺めていた。
『……みんな助かったんだ』
「見れば分かる」
『そうじゃなくてさ』
アキュラは答えない。
ロロもそれ以上言わなかった。
バレットが安全装置を掛ける。
「は~~終わったぁ~~(´∀`)」
クレイドルに庇射撃の精度を褒められた途端、得意げに胸を張った。
「っしょ? ウチこう見えて超繊細だから(^_^)v」
ノインはログを保存。
グレゴールは少年を見送る。
アキュラはその全てを見ていた。
一人なら足りない。
だから四人いる。
訓練で聞いた言葉が、そのまま現場で形になっていた。
「非効率だ」
それでもアキュラはそう言った。
『でも成功したよ』
ロロが返す。
「結果論だ」
『アキュラくんって、褒める時ほんと遠回りだよね』
「黙れ」
◇
少年はその日のうちにイージス医療区画へ移された。
病室は清潔だった。
拘束具はない。
飲み物。
毛布。
医療スタッフ。
ただし通常の病室より多く、第七波動を観測する装置が置かれている。
廊下では、既に処遇を巡る意見が割れていた。
「再発評価が終わるまで、家族面会は止めるべきです」
警備担当の職員。
医療班の女性が首を振る。
「家族との接触が再発要因だというデータはありません」
「何か起きてからでは遅い」
「何も起きていない間まで全部止めるんですか?」
「安全が確認されるまでです」
「その“確認”はいつ終わるんです?」
声を荒らげる者はいない。
同じ病室へ出入りし、同じ少年の状態を気にしている。
それでも意見は違った。
職員たちは、半ば便宜的にその傾向を呼び分けていた。
過激派。
穏健派。
正式な派閥ではない。
名簿も会合もない。
ただ、危険があるなら先に強く止めるべきだと考える者と、止めるならその範囲と終わりを明確にすべきだと考える者がいる。
四幹部も例外ではなかった。
グレゴールとバレットは、前者に近い。
クレイドルとノインは、後者に近い。
ただし、それぞれ理由は違う。
グレゴールは少年のベッド脇に座っていた。
本人が「もっと能力を使えるようになりたい」と言った時。
彼は優しく否定した。
「無理に使えるようになる必要はありません」
「でも……」
「使わないという選択もあります」
少年が黙る。
グレゴールは本気で彼を救おうとしていた。
だからこそ、本人が望むことと、本人を救うことが食い違えば、後者を選べる。
廊下へ戻ると、バレットも壁に寄りかかっていた。
「いい子なのは分かるけどさ」
ゴーグルを指で上げる。
「また吹っ飛んだら、本人だけじゃ済まないじゃん? そこ“本人が帰りたいです”だけでチャラにはできなくない?( ̄ー ̄)」
人柄と危険性は別。
彼女の線引きは単純だった。
善人であっても危険なら止める。
巻き込まれる側には、危険を受け入れる義務はない。
「保護継続には同意します」
クレイドルが答える。
「ただし、解除条件を定義してください」
バレットが見る。
「そこ?」
「そこです」
「現在の処遇案には、“何を満たせば保護を終了できるか”がありません。期間だけを延長するのであれば、管理とは呼べません」
ノインも記録を閉じた。
「僕も現時点で長期方針を決めることには反対です」
静かな声だった。
「一度の事故で再発条件を確定するにはデータが足りません」
バレットが肩を竦める。
「でも分かんないから帰しまーす、も怖くない?」
「それも違います」
即答だった。
「分からないから解放する、ではありません」
一拍。
「分からないから、まだ決め切らないんです」
グレゴールが穏やかに問う。
「その間に再び苦しむ可能性は?」
「あります」
「周囲を傷つける可能性も?」
「あります」
ノインは否定しない。
「だから観察します。制限も必要なら行います。ただし、“可能性がある”と“長期隔離が必要である”の間には、まだ検証すべきものがあります」
意見は割れた。
綺麗に二対二というわけではない。
グレゴールが長期隔離そのものを望んでいるわけではない。
バレットも、安全が確認された相手まで閉じ込めたいわけではない。
クレイドルも、危険な状態で自由にさせるつもりはない。
ノインも、分からないから何もしないとは言っていない。
ただ、どこから先を許容できないと考えるかが違った。
誰かの見落としを、別の誰かが指摘する。
グレゴールが能力者本人の苦痛ばかりを見れば、バレットが周囲の被害を持ち出す。
バレットが危険性へ寄りすぎれば、クレイドルが解除条件を問う。
ノインがデータへ入り込めば、グレゴールが目の前の本人へ話を戻す。
クレイドルが管理条件を積み上げれば、ノインがその根拠を確認する。
一枚岩ではない。
だから簡単には決まらない。
同時に、一人の判断だけで決まることもなかった。
暫定方針は、医療保護の継続。
ノインは再発条件を調査。
グレゴールは心理面を確認。
クレイドルは安全条件と解除条件を整理。
バレットは再発時の対応計画を作る。
家族面会については、少年本人の状態を見ながら短時間から再開する方向で再審査へ回された。
完全な結論ではない。
今出せるところまでだった。
少年が廊下へ出てきた時、四人へ小さく礼を言った。
バレットは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……いや、そういうの急に来るのズルくない?Σ(゚Д゚;)」
すぐに笑う。
「ま、次は爆発すんなよ~。ウチらも大変だからさ(´∀`)」
ノインはポケットから菓子を一つ出した。
「あ、ハイチュウいります?」
グレゴールは微笑む。
クレイドルは少年の歩幅を確認した。
「ふらつきがあります。手すりを使用してください」
全員違う。
それでも誰一人、彼を化け物とは呼ばなかった。
◇
夕方。
神園博士は統領室でアキュラへ尋ねた。
「今日、彼らを見てどう思った」
アキュラは四人の欠点を並べた。
グレゴールは踏み込みすぎる。
バレットは補給依存。
クレイドルは環境依存。
ノインは未知に弱い。
それ以上は言わない。
代わりにロロが、隣からひょこりと顔を出した。
『でもさ、それ全部、他の人が埋めてたよね』
アキュラは黙る。
『グレゴールさんが危なくなったらクレイドルさんが逃がして、クレイドルさんの準備が間に合わない時はバレットさんが時間作って、ノイン先生がみんなにタイミング教えてた』
「見ていた」
『じゃあ感想は?』
「使えない組織ではない」
『またそれだ』
ロロは呆れたように笑った。
少しして、アキュラが口を開いた。
「意見が割れていた」
「そうだ」
「なら、統領が決めればいい」
神園博士はすぐには答えなかった。
「決めることはできる」
机の上には、今日の事故報告と処遇案が並んでいる。
「だが、決められることと、一人で決めるべきことは別だ」
アキュラが僅かに眉を動かす。
「お前はよくやっている、アキュラ」
戦闘能力も判断速度も申し分ない。
だが組織を率いる仕事は、敵を倒すこととは違う。
自分には見えないものを、別の誰かに見てもらう。
不得手を知り、長所を知り、必要な場面で任せる。
意見が違うなら、その違いが何を見て生まれたのかを知る。
その上で決める。
博士はその延長で、初めて具体的な未来を口にした。
「お前には、いずれ彼らを率いてもらう」
次期統領。
アキュラはすぐには受け入れなかった。
「引き受けた覚えはない」
「知っている」
博士も押しつけなかった。
「だから見ろと言っている」
その時、統領室の端末が鳴った。
ミラーピース由来の反応。
北東へ移動中。
さらに同地点付近に、高出力の第七波動反応。
ロロが最初に画面へ飛びついた。
『アキュラくん! これ昨日の連中と波形近いよ!』
「確度は」
『ノイン先生の解析だと高め。でも百パーセントじゃない』
「十分だ」
『ほらやっぱり行く』
アキュラは既に立ち上がっていた。
『ほんっとミチルちゃん絡むと早いんだから』
「奴らはミチルを狙った」
『分かってるよ』
ロロの声から少しだけ軽さが消える。
『だからぼくも行く』
アキュラが一瞬だけ彼女を見る。
「当然だ」
『……そういう時だけ素直だよね』
事務区画を抜ける途中、四幹部にも反応の発見が伝わった。
バレットは端末越しに顔を寄せる。
『単騎で突っ込むとかマジでナシだからね?Σ(゚Д゚;) ヤバかったら即引けよ、アキュラきゅん』
「その呼び方をやめろ」
『そこ!?ww』
クレイドルからは周辺住民の避難情報。
『北東二ブロックは通行規制済みです。侵入する場合は南側経路を使用してください』
「分かった」
ノインは戦闘ログの共有を要求した。
『未知の反応があります。可能な限り全記録を残してください』
「必要なら送る」
『必要です!! 全部ください!!』
一瞬の全力。
すぐに戻る。
『ただし記録を優先して被弾しないでください。あ、スポドリいります?』
『スポドリはいらないと思う!』
ロロが律儀に返した。
最後にグレゴール。
『主、曰く――行く者には帰る場所を残せ、と』
ロロが止まる。
『それはちょっといいかも』
「ええ」
『誰が言ったの?』
「今、私が」
『主どこ行ったの!?』
アキュラは無視した。
格納区画へ着く頃には、推進機構の最終チェックまで終わっていた。
『ナビセット。目標反応はまだ移動中』
「追う」
『はいはい』
白い装甲が起動する。
『でも無茶はナシだからね、アキュラくん』
「余計な世話だ」
『そこんとこ気をつけなよ? ぼくには分かるんだからね』
「何がだ」
『無茶する時のキミ』
アキュラは返さなかった。
ロロも返事を求めなかった。
推進機構が唸る。
昨日は、エデンの側からこちらへ踏み込んできた。
今度は逆だった。
アキュラとロロが、自らG7の領域へ踏み込んでいく。
同じ頃。
GVはまだ制服を着ていた。
昨日、飛天ではエデンとイージスが衝突し、モルフォは九つのミラーピースへ砕かれた。
その翌日でも、学校は普通に始まり、普通に終わる。
授業があって。
昼休みがあって。
放課後になれば、運動部がグラウンドへ出て、文化部が部室へ散っていく。
世界で何が起きていても、チャイムは時間通りに鳴った。
「今日はまっすぐ帰ろうね」
校門を出たところで、シアンが言った。
「まだ何も言ってないよ」
「顔で分かる」
「そんなに?」
「うん」
即答だった。
GVは少しだけ困った顔をした。
確かに、帰り道の途中に模型店がある。
新しいモーターが入荷すると聞いていた。
「見るだけなら――」
「この前も聞いた」
「……はい」
シアンが少し得意そうに笑った。
その直後。
GVの端末が震えた。
二人で止まる。
表示された発信元を見る。
フェザー。
「……」
「ほら」
「これは僕のせいじゃないでしょ」
「でも行くんでしょ?」
「まあ」
GVが応答する。
『GV? モニカよ』
「どうしたの?」
『ちょっと気になる案件が入ったの。一度こっちに来られる?』
声は普段通りだった。
緊急戦闘ではないらしい。
「分かった」
『シアンも一緒?』
「いるよ」
「いる」
横からシアンも答えた。
『じゃあ二人ともお願い。急がなくていいから』
通信が切れる。
GVとシアンは顔を見合わせた。
「模型屋」
「明日」
「……はい」
今度は素直に従った。
◇
フェザーの作戦室に着いた時、アシモフは既に資料へ目を通していた。
モニカが端末を操作し、壁面モニターへ一枚の記録を表示する。
若い男性。
二十歳前後。
第七波動能力者。
三日前、住宅街で能力が暴発した。
建物数棟へ損害。
軽傷者が数名。
本人も負傷。
現場へ出動したイージスによって鎮静され、そのまま医療保護下へ置かれた。
「ここまでなら、特に変なところはないの」
モニカが言う。
「治療もされてる。食事も出てる。医療記録を見る限り、乱暴な扱いを受けた形跡もない」
「家族には?」
シアンが聞く。
「健康状態は報告されてる」
「会えてないの?」
「そこなのよね」
モニカが表示を切り替えた。
「直接の面会と通話は、再発リスクの審査が終わるまで保留」
「いつ終わるの?」
「未定」
シアンの眉が寄った。
GVは資料を見ていた。
「本人は?」
「え?」
「本人は、帰りたいって言ってるの?」
モニカが口を閉じる。
数秒。
「……分からないの」
GVが顔を上げた。
「分からない?」
「こっちに入ってる記録には、本人の希望がないの。家族からの問い合わせと、イージス側の返答だけ」
治療状況。
能力出力。
再発可能性。
施設の安全基準。
書かれているものは多い。
本人がどうしたいかだけがない。
「ねえ」
GVが資料から目を離さずに言った。
「イージスって、結局どういう組織なの?」
モニカがアシモフを見る。
アシモフはしばらく黙っていた。
「一言で言うのは難しいな」
椅子の背へ身体を預ける。
「そもそも、イージスが表へ出てきたのは最近だ」
「エデンと戦ってる組織、くらいにしか知らなかった」
「それも間違いではない。だが、本来の仕事はもっと広い」
アシモフが端末を操作した。
いくつかの活動記録が並ぶ。
第七波動による犯罪。
事故。
災害。
能力者の医療保護。
避難誘導。
研究。
武力制圧。
「あの一件以降、皇神の能力者管理は緩和された」
GVも知っている。
知らないはずがなかった。
能力者を囲い込み、その力を利用する。
そのためにシアンは囚われていた。
エリーゼも研究対象になった。
デイトナたちも皇神の戦力として使われていた。
あの体制が、そのまま続くことはなかった。
「能力者を危険だからという理由だけで閉じ込める。能力を持っているというだけで行動を制限する。そういうやり方は大きく見直された」
アシモフは続ける。
「だが当然、それで能力事故まで消えるわけではない」
モニターには、別の記録が出た。
能力の暴発。
一般警察では対応できない事件。
能力者本人が制御不能に陥った事例。
「皇神はやり過ぎた。だから管理を緩める。それ自体は理解できる」
アシモフの指が机を一度叩く。
「だが、その反動で『能力者を管理すること自体が間違いだ』となれば、別の問題が出る」
「それに反対したのがイージス?」
シアンが聞いた。
「ああ」
アシモフが頷く。
「皇神の能力者管理の緩和に対して、真正面から異議を唱えた勢力だ」
GVが少し考える。
「じゃあ、昔の皇神に戻したい人たち?」
「いや」
返答は早かった。
「そこまで単純じゃない」
アシモフが腕を組む。
「旧皇神のやり方をそのまま肯定しているわけでもない。能力者を兵器として囲い込み、利用する体制へ戻せと言っているわけではないんだ」
「でも、能力者は危ないって考えてる」
「それは間違いない」
アシモフが答える。
「少なくとも組織の出発点には、その考えがある」
「なのに保護もするんだ」
「する。救助もする。治療もする。制御訓練を行う部署もある」
「……なんか、よく分かんないね」
シアンの言葉に、アシモフは否定しなかった。
「中でも意見が割れているらしい」
「割れてる?」
「能力者による被害を防ぐためなら、事前の拘束や保護をもっと強くすべきだと考える連中がいる」
過激派。
「一方で、危険への対処は必要だが、保護期間や解除条件を明確にしろと主張する連中もいる」
穏健派。
「正式な派閥ではないそうだがな」
「同じ組織なのに?」
「組織だからだ」
アシモフは平然と返した。
「人間が集まれば意見くらい割れる」
それ自体は特に不思議ではない。
ただ。
アシモフの表情は晴れなかった。
「問題は、そこじゃない」
GVが見る。
「神園博士?」
アシモフが一度だけ目を細めた。
「知っているのか」
「アキュラのお父さんでしょ」
「ああ」
神園博士。
イージス統領。
第七波動研究者。
そして、アキュラとミチルの父親。
「昔から第七波動の危険性を強く訴えていた人物だ」
「昔から?」
「かなり以前からだ。能力者が将来的に非能力者へ重大な脅威になり得る、と研究者として主張していた」
GVの顔から少しだけ軽さが消える。
アキュラが能力者を嫌う。
ただ感情的に嫌っているわけではない。
彼なりの理屈があることは、以前から知っていた。
その根がどこにあるのかも。
「アキュラが言ってた」
「だろうな」
アシモフは資料を閉じなかった。
「彼の能力者観には、父親の影響がかなり大きい」
それから少し黙る。
「だからこそ、妙なんだ」
「妙?」
「神園博士のことだ」
アシモフが画面を切り替える。
イージスの活動記録。
医療施設。
研究設備。
対能力者兵装。
災害救助。
保護区画。
戦闘部隊。
「能力者が危険だと考えている。それは分かる」
次。
救助実績。
「なら排除へ寄るのも分かる」
次。
能力者の社会復帰支援。
「だが救済もする」
次。
長期的な能力研究。
「研究にも金を出す」
次。
管理設備。
「管理できる可能性も捨てていない」
画面が止まる。
「その上、組織内部で意見が割れていても、それを潰そうとしない」
シアンが首を傾げた。
「いろんな方法を試してるだけじゃないの?」
「そうかもしれん」
アシモフはあっさり認めた。
「それならそれで筋は通る」
「じゃあ?」
「タイミングが妙なんだ」
声は変わらない。
その言葉だけが、妙に残った。
「神園博士が能力者を危険視し始めたのは昨日今日じゃない」
皇神が管理を緩和した。
イージスがその流れへ反発した。
そこまでは分かる。
「だが、それだけでここまで急速に組織を広げるか?」
医療。
研究。
軍事。
避難。
保護。
それぞれに専門部門を置き、独自兵装まで開発する。
昨日今日で作れる規模ではない。
「前から準備してた?」
GVが聞く。
「可能性はある」
「じゃあ、皇神が管理を緩めることも予想してたとか?」
「それも考えられる」
「……」
「だが、それでも説明できない動きが残る」
アシモフはそこで言葉を切った。
「ピーシズは見えている」
GVが顔を上げる。
「だが、絵が見えない」
それ以上、妙な言葉は続かなかった。
「能力者の排除を目的にしているなら、不要な部署が多すぎる。保護と共存が目的なら、逆に攻撃的な部門を抱えすぎている」
アシモフは神園博士の顔写真を見る。
「何より、あの男はそれを整理しようともしていない」
「過激派と穏健派?」
「ああ」
「どっちかに決めればいいのに?」
「普通ならな」
博士自身がどちらに立っているのか。
外からでは見えない。
強硬な意見を止めることもある。
穏健な提案を認めることもある。
逆もある。
「判断基準がないようには見えん」
アシモフが言った。
「むしろ逆だ」
「逆?」
「何か基準があるから、こちらから見るとチグハグに見える」
何を基準にしているのか。
それだけが分からない。
「……怖い人?」
シアンが聞いた。
アシモフは少し考えた。
「分からん」
断定しなかった。
「少なくとも、今のイージスが助けた人間はいる。事故を防いだ実績もある。神園博士本人が無意味に人を傷つけているという証拠もない」
だから悪人とは言えない。
「だが、目的もなくこれだけのものを動かす男にも見えない」
GVは黙っていた。
神園博士の写真。
その横に表示されたイージスの組織図。
少し前まで、ただの知らない組織だった。
その中に。
「あのさ」
「なんだ」
「アキュラは?」
アシモフがGVを見る。
「アキュラ?」
「うん」
GVは少し言いにくそうに続けた。
「次の統領になるんでしょ」
「その予定らしいな」
「博士が何考えてるか、あいつは知ってるの?」
今度はアシモフが黙った。
「さあな」
「知らない?」
「少なくとも、私には判断できん」
「そっか」
GVはもう一度、組織図を見る。
イージス。
その頂点に神園博士。
そのすぐ下ではない。
しかし、次を継ぐ者として置かれている少年がいる。
「……ちょっと心配だな」
シアンがGVを見る。
アシモフも見ていた。
「自分を殺そうとしていた相手の心配か?」
「それとこれとは別でしょ」
GVは普通に返した。
「アキュラだし」
説明になっているようで、なっていない。
アシモフは数秒黙った。
「キミは昔から時々、理解不能なことをするな」
「そんなに?」
「かなりな」
「酷い」
「事実だ」
ただ、その声に責める響きはなかった。
シアンは少しだけ笑っていた。
モニカが咳払いする。
「話、戻すわよ」
「あ、ごめん」
「今回確認したいのは神園博士じゃなくて、この人」
画面が能力者の青年へ戻る。
大きな組織。
社会。
能力者管理。
神園博士。
アキュラ。
いくつもの話が、一枚の写真へ戻った。
GVは数秒それを見た。
「それで、この人はどうしたいの?」
モニカは答えられない。
資料にも書かれていない。
本人の声だけがない。
「じゃあ、聞いてくるよ」
答えは早かった。
「GV」
アシモフが呼ぶ。
「救出ではないぞ」
「分かってる」
「本人が残ると言えば?」
「帰る」
「イージス側に合理的な理由があれば?」
「聞くよ」
「攻撃されたら?」
「避ける」
「……そこは少し考えろ」
「反撃していいの?」
「そういう意味ではない」
シアンが吹き出した。
アシモフは真顔のままだった。
「オーダーは単純だ」
GVを見る。
「本人の意思を確認しろ。それ以上は、必要になるまでやるな」
「了解」
GVが立ち上がる。
シアンも立った。
だが。
「わたしは残る」
「いいの?」
「今のわたしが行ったら、余計ややこしくなるでしょ」
シアンの内側には、今もモルフォの人格核が残っている。
しかし九つに砕かれたミラーピースの影響で、電子の謡精は不安定な状態にある。
イージスがその反応を感知すれば、話を聞くだけでは済まなくなる可能性があった。
「通信にはいる」
シアンが言う。
「何かあったら言って」
「分かった」
「あと」
「ん?」
「勝手に誰か連れて帰ってこないでね」
「僕、そんな信用ない?」
「あるから言ってる」
「どういう意味?」
シアンは答えなかった。
◇
夜のイージス能力者保護施設は、GVが想像していたものより、ずっと普通の場所だった。
外周だけを見れば、確かに物々しい。高い塀の上には監視カメラが並び、出入口には第七波動検知装置が設置されている。侵入者を拒むための設備は、皇神の施設にも劣らない。
ところが内部へ入ってしまえば、印象はまるで違った。
白い廊下には行き先を示す案内板があり、医務室の前には簡素なベンチが置かれている。少し先には談話スペースがあり、その脇には自動販売機まであった。消毒液の匂いも含めて、研究施設というより病院に近い。
「……もっとこう」
『牢屋っぽいの想像してた?』
通信越しにシアンが先回りする。
「ちょっと」
『失礼だよ』
「そうなんだけど」
否定しきれないまま、GVは天井の監視カメラが向きを変える直前に廊下の角へ身体を滑らせた。
外周を越えるまでは、それほど難しくなかった。問題は内部へ入ってからだった。
GVの第七波動反応を検知するたび、施設の構造そのものが少しずつ変わる。
進行方向の隔壁が下りれば、その隣の通路だけが開く。患者区画へ近づこうとすると絶縁シャッターが降り、その代わりに別の経路を示す誘導灯が点灯した。追跡者が迫ってくるわけでも、警備兵が銃を構えて待っているわけでもない。
人間を追い詰めるというより、危険な現象が通れる場所だけを限定している。
「これ、僕を捕まえようとしてないね」
目の前へ隔壁が降りる。GVは無理に抜けようとはせず、その手前で止まって左右を確認した。
片側だけが残されている。
『誘導されてる?』
「たぶん」
進める道そのものは消されていない。ただ、入ってほしくない場所だけが、先回りするように閉じられていく。
その動きを見ているうちに、GVは少し感心していた。
「すごいな」
『何が?』
「壊させないようにできてる」
能力を使えば隔壁そのものを止められる。壁を破れば近道もできる。それでも、わざわざそうする必要がないように経路が残されていた。
『侵入者が感心するところじゃないと思うけど』
「いや、だって結構すごいよ、これ」
『それはそうだけど』
シアンの声には半分呆れが混じっていた。
一方、その頃の管理室では、もっと現実的な議論が続いていた。
警報表示を確認した警備担当が椅子から立ち上がる。
「高出力能力者の侵入です。武装班を出します」
「待ってください」
医療担当者がすぐに止めた。
「現時点で攻撃行動は確認されていません」
「無断侵入そのものが十分な危険行動でしょう」
「少なくとも患者への攻撃はありません」
「接触してからでは遅い」
別の職員も割って入る。
「対象はガンヴォルトです。危険度を考えれば、早期拘束を優先すべきでは?」
「その拘束行動自体が交戦開始の条件になる可能性があります」
警備と医療の両方から意見が重なる中、クレイドルだけは大型モニターから視線を外さなかった。
GVの侵入経路を順番に追う。
破壊された設備はない。
負傷者もいない。
侵入時に無効化されたセンサーは必要最低限に留まっている。何より、対象は何度も隔壁を破壊できる状況にありながら、すべて開放された経路を選んで進んでいた。
「確認しました」
その一言で、室内の声が止まる。
「危険度評価は維持します。ただし、現時点で武装班を接触させる必要はありません」
「しかし――」
「対象は誘導に従っています。第二防護線を維持してください。患者区画への直接侵入のみ阻止します」
クレイドルはそこで指示を切った。
警備班も医療班も、すぐにそれぞれの端末へ戻る。
GVは、そんな判断が管理室で行われていることまでは知らない。
ただ、その設計思想らしきものだけを肌で感じながら廊下を進み、次の角を曲がったところで初めて足を止めた。
通路の先に、一人の女性が立っていた。
クレイドル。
制服は乱れ一つなく、姿勢にも余計な力がない。
彼女はGVを見ると、まず全身を短く確認した。その次に周囲の壁、床、非常口へ視線を巡らせ、最後にもう一度GVへ戻ってくる。
「停止してください」
GVは素直に止まった。
「こんばんは」
「挨拶は不要です」
「はい」
「侵入目的を確認します」
「人に会いに来た」
「面会許可は?」
「ない」
「では認められません」
「だよね」
あまりにも簡単に納得したせいか、今度はクレイドルが僅かに目を細めた。
「帰還してください」
「その前に一個だけ。ここにいる人に――」
GVが名前を出すより早く、クレイドルは患者区画との距離と現在の危険度評価を確認した。
そして、途中から唐突に言語を切り替えた。
「Direct contact with a protected subject is prohibited under the current risk classification. Maintain separation from the patient area and refrain from activating your Septima within the secured zone.」
GVは黙った。
クレイドルも黙る。
数秒だけ、廊下に空調の音が戻ってきた。
「……ごめん」
「何ですか」
「リアルアシモフ語はわからないよ。ノーセンキューだよ」
通信回線の向こうが、一瞬だけ完全に静まり返った。
クレイドルは表情一つ変えない。
「訂正します。英語です」
「そこは分かってる」
そこで、通信から何かを噴き出す音がした。
『ぶっ――ははははははは!!』
最初に耐えられなくなったのはジーノだった。
『待てGV、お前……っ、リアルアシモフ語ってなんだよ! ずっとそう思ってたのかよ、アイツの喋り方!!』
「そんなに?」
『そんなにだよ! クソ、急に出すなよ……っ、ははははは!!』
『ジーノ、うるさい』
モニカが注意するものの、その声にも明らかに笑いが混ざっている。仕事中だから抑えようとはしているらしいが、完全には隠せていなかった。
『ごめん。でも、リアルアシモフ語はちょっと……』
「モニカも笑ってるじゃん」
『笑ってない』
『いや絶対笑ってるだろ!』
ジーノの笑い声はまだ止まらない。
その後ろで、妙に静かな人物がもう一人いた。
シャオだ。
さっきから一度も口を挟まない代わりに、時折、息を噛み殺すような音だけが通信へ混じっている。
「……シャオ?」
『……っ』
「今笑った?」
『いや、その……ボクは別に』
答えながら、また声が揺れた。
『笑ってないよ』
『お前も絶対ツボってんだろ!』
『ち、違うって……』
そこまでは持った。
だが、「リアルアシモフ語」という言葉を自分で思い返したのか、次の瞬間にはもう駄目だった。
『……っ、あははははっ! ごめん、でも……リアルアシモフ語って……! GV、それはズルいよ……っ!』
「シャオまで?」
『だって、ボクも何回か聞いてるから……! 急に変なところだけ英語になるやつ……っ』
『だろ!? 分かるよな!?』
『分かるけど……本人いるところで言うとは思わないじゃないか……っ』
シアンまで小さく笑い始める。
『GV、それはさすがにひどい……』
「僕、そんな変なこと言った?」
『そこから分かってないのが一番ダメだよ』
回線の向こうだけが、しばらく収拾のつかない状態になった。
その中で、一人だけ何も言わない人物がいる。
アシモフだった。
ジーノの笑い声が少し落ち着いた頃、ようやく低い声が割って入る。
『……誠に遺憾だ』
数秒前より大きな笑いが通信を埋めた。
『っははははははは!! 本人がそれ言うの反則だろ!!』
ジーノは完全に崩れた。
シャオも一度止まりかけていた笑いを再点火させ、まともに言葉を続けられなくなっている。
『ちょ……っ、本人がそれ言うの……ダメだって……! あははははっ!』
「そんなに?」
『GVが原因だよ……っ!』
クレイドルは、その一連を何も言わず待っていた。
やがて通信の笑い声が多少落ち着いたところで、初めて口を開く。
「会話を再開してもよろしいですか」
「……はい。ごめんなさい」
「では日本語で説明します。患者区画への直接接触は、安全上許可できません」
「そっちなら分かる」
通信の向こうでジーノがまた小さく噴き出したが、今度はクレイドルもGVも無視した。
「質問を続けてください」
「うん」
GVは改めて保護対象者の名前を告げた。
「その人さ。本人は、ここにいること納得してる?」
「本人の意思と安全評価は別です」
「うん」
返ってきた答えを、GVはあっさり受け入れた。
その反応はクレイドルにとって予想外だったらしい。
「反論しないのですか」
「だって別でしょ」
GVは肩を竦めた。
「帰りたいから危なくない、にはならないし」
クレイドルは何も言わない。
「でも、危ないから本人がどうしたいか聞かなくていい、にもならないと思う」
「本人の意思は審査項目に含まれます」
「じゃあ聞いた?」
「現在、再発リスクを優先して評価中です」
GVは少し考えた。
「それって、まだ聞いてない?」
クレイドルは答えなかった。
答えそのものだった。
「じゃあ、その本人の意思だけ聞かせてよ」
「許可できません」
「扉開けなくていいよ」
「問題は接触そのものです」
「電話でもいい」
「あなたと接触させる合理的な理由がありません」
「僕じゃなくてもいいよ」
クレイドルの視線がGVへ戻る。
「イージスの人が聞いてくれれば」
GVにとって、自分が会うことは目的ではなかった。
連れ出す必要もない。
ただ、その人がどうしたいのかを本人の口から確認できればいい。
「僕が知りたいのは、それだけだから」
それから数分、二人はその場から動かなかった。
GVは前へ出ず、クレイドルも拘束装置を起動しない。
施設側で本人への確認が行われる。
外部から来た能力者が、本人の希望を確認したがっていること。それについて話す意思があるか。
返答は、ある。
クレイドルが端末を確認してから言った。
「直接面会は認めません。扉を挟んだ音声接触のみ、三分です」
「十分」
「会話内容は記録します」
「いいよ」
「能力使用が確認された場合は即時終了します」
「使わない」
「よし」
クレイドルが端末を操作すると、閉ざされた扉の向こうから音声だけが繋がった。
『……もしもし』
若い男の声だった。
「こんばんは」
『えっと……ガンヴォルト?』
「そう」
『本物?』
「たぶん」
『たぶんって』
「僕以外に確認したことないから」
扉の向こうで、小さく笑う声がした。
その一度だけで、張り詰めていた空気が少し軽くなる。
「聞きたいことがあるんだけど」
『はい』
「ここ、どう?」
『どう、って……』
「嫌?」
返事には少し時間がかかった。
『……嫌じゃないです』
GVは何も挟まず、続きを待った。
『助けてもらったし。あの時、俺、自分でも止められなくて……人も怪我させたし。イージスが来なかったら、もっと酷いことになってたと思います』
治療も受けた。
能力者だからと罵られたこともない。
食事も出る。眠れない時には医療スタッフが話を聞いてくれた。
『だから別に、悪い人たちじゃないです』
「そっか」
『はい』
「じゃあ、出たい?」
今度の沈黙は長かった。
クレイドルは口を挟まない。通信越しのシアンたちも、さっきまでとは打って変わって静かにしている。
『……出たいです』
「うん」
『でも、今すぐ逃げたいとかじゃなくて』
「うん」
『俺も怖いんです』
「何が?」
『また、ああなるのが』
自分の能力が止められなくなること。誰かを傷つけること。次は軽傷では済まないかもしれないこと。
だから、ここにいる必要があると言われれば、その判断が間違っているとも思えない。
『でも、いつまでか分からなくて』
男の声が少し詰まった。
『親とも話せないし』
「健康状態は伝えてるって」
『そうみたいです。でも、俺は話してないから』
「うん」
『何したら帰れるのかも、よく分からないんです』
「聞いた?」
『聞きました』
「なんて?」
『まだ審査中です、って』
何度聞いても、同じ答えだったらしい。
『必要なら、ここにいるのはいいんです。でも、自分のことだから』
そこで一度、言葉を選ぶように間が空いた。
『俺にも話してほしいです』
GVは目を伏せた。
「家族とは?」
『話したい』
「帰りたい?」
『帰りたいです』
「今すぐ?」
『……怖いから、それは分からない』
「うん」
『すみません』
「なんで謝るの?」
『いや……』
「分かんないなら、分かんないでいいでしょ。僕も分かんないこと多いし」
『ガンヴォルトでも?』
「特に自分のことはね」
また、向こうから小さな笑い声がした。
やがてクレイドルの端末が三分の終了を告げる。
「時間です」
「分かった」
GVは扉へ向き直った。
「最後に一個だけ。今言ったこと、そのままここの人に伝えていい?」
『……お願いします』
「了解」
音声回線が切れる。
扉は最後まで開かなかったし、GVも開けようとはしなかった。
クレイドルが端末を閉じる。
「確認は終了しました」
「うん」
GVは、今聞いたことを順番に整理した。
「家族とは直接話したい。いずれは帰りたい。でも今すぐ外へ出るのは本人も怖い。必要なら残るつもりはあるけど、何を満たせば帰れるのかは知りたい。それと、自分の処遇なんだから、自分にもちゃんと説明してほしい」
一度区切り、クレイドルを見る。
「以上」
クレイドルは黙って記録した。
「確認しました」
「伝わる?」
「審査記録へ追加します。ただし、本人が帰宅を希望したことだけを理由に、保護が解除されるわけではありません。危険性が残る場合は継続します」
「それも分かってる」
GVは閉じた扉を一度だけ見た。
「僕、連れ出しに来たわけじゃないし」
目的は果たした。
なら、もうここへ残る理由もない。
「じゃあ帰る」
「待ってください」
「何?」
「侵入については別件です」
「……ですよね」
『GV』
シアンが呼ぶ。
『逃げる?』
「そういう言い方やめない?」
すると、通信の奥でまた小さく笑う声がした。
シャオだった。
『……今度は普通に逃げるんだね』
「シャオまで言う?」
『ごめん。まだちょっとリアルアシモフ語が……』
『お前まだツボってんのかよ!』
『ジーノさんに言われたくないよ』
そのやり取りの間にも、クレイドルは当然待ってくれない。
「停止してください」
「話は聞けたし」
GVは少しだけ腰を落とした。
「帰るね」
「停止を――」
雷光が弾けた。
攻撃ではない。
床を蹴って手すりへ飛び乗り、そのまま開いている通路へ身体を滑らせる。背後で隔壁が閉じるが、その直前を抜け、次の瞬間には天井側のメンテナンスフレームへ跳び移った。
侵入時より速い。
クレイドルは追跡表示を見ながら、その理由をすぐに理解した。
探すものがもうない。
目的を達成した今、GVは出口だけを目指せばいい。
「追跡。発砲不要。施設外へ誘導してください」
武装班へ短く指示を飛ばす。
GVの進行方向で隔壁が一枚閉じ、代わりに外周へ近い通路が開いた。
「こっちじゃないってことか」
『案内されてない?』
「侵入者に出口案内してくれるの、親切だね」
『たぶんそういう意味じゃないよ』
「知ってる」
数分後。
GVの第七波動反応は施設の外へ消えた。
設備の破損はない。
負傷者もいない。
保護対象者の強制連れ出しもなかった。
クレイドルはそれらを確認し、侵入経路と一緒に報告書へまとめた。
その報告は、同日のうちに統領室へ上がった。
神園博士は、最後まで黙って内容を読む。
ガンヴォルトによる無断侵入。攻撃行動なし。施設設備への破壊なし。保護対象者との接触を要求し、本人の意思確認後は自主的に退去。
その下には、対象者本人から新たに確認された要望も並んでいた。
家族との直接連絡。
保護解除条件の説明。
処遇決定への本人参加。
そこまで読んだところで、博士の指が止まる。
「……なるほど」
報告を持ってきた職員は、そのまま次の指示を待った。
「本人の要望は処遇審査へ追加しろ」
「家族面会もですか」
「別項目として再評価する」
「保護は継続で?」
「それも審査結果で決める」
「分かりました」
職員が端末へ入力する。
「それから、ガンヴォルトの侵入経路も保存しておけ」
「警備改善用ですか?」
「それもある」
博士は報告書をもう一度見た。
「既存の防護網を、どこまで破壊せず突破できるか。良い記録だ」
職員は特に疑問を持たず、了解して部屋を出ていった。
扉が閉じたあとも、博士の表情は変わらない。
机の上には別の報告書が置かれている。
北東方面へ向かったアキュラ。
エデン。
ミラーピース。
神園博士はそれらにも順番に目を通していった。
施設から離れてしばらくした頃には、街は完全に夜になっていた。
GVは制服の上へ羽織った上着を直しながら、人気の少ない歩道を歩いている。
『で?』
通信からシャオの声がした。
『どうだった? イージス』
さっきまで長いこと笑っていた名残は、ようやく消えている。
GVは少し考えてから答えた。
「思ってたより、普通に人助けしてる組織だった」
『へえ』
「施設もちゃんとしてたし」
『捕まえようとはされたんだろ?』
「侵入したからね」
『そこは自覚あるんだ』
「あるよ」
シアンも会話へ入る。
『クレイドルって人も、思ってたより話聞いてくれたね』
「うん」
『じゃあ、イージスは問題ない?』
その問いには、すぐ答えられなかった。
皇神が能力者を管理しすぎていたこと。
その管理が緩められても、能力事故そのものは消えないこと。
被害を受ける人間もいるし、能力者本人が自分の力を恐れることもある。
だからイージスのような組織が必要になる。
そのイージスの中ですら、どこまで守り、どこから本人へ任せるのかは一致していない。
そして、組織の頂点にいる神園博士が何を考えているのかは、アシモフにもまだ見えていなかった。
「分かんない」
『分かんない?』
「うん」
どこまでなら、人の自由を止めていいのか。
どれくらい危険なら、本人が嫌だと言っても保護するべきなのか。
事故が起きる前に止めるべきなのか。それとも、まだ起きていない危険を理由に制限すること自体が間違っているのか。
GVには、そのどれにも答えがなかった。
「今日会った人だって、イージスに助けられたって言ってたし。自分でも、また事故起こすの怖いって」
『じゃあ、残った方がいい?』
「それも僕が決めることじゃないよ」
信号が赤になる。
GVは交差点の手前で止まり、目の前を流れていく車を眺めた。
「でも、人を守るために作った柵なら、中にいる人が『出たい』って言った時くらい、ちゃんと話は聞いた方がいいと思う」
信号が青へ変わる。
GVはまた歩き出した。
ふと、昼間に見たイージスの組織図が頭へ浮かぶ。
神園博士。
そして、その下で次の統領候補とされている少年。
「……アキュラ、大丈夫かな」
『まだ気にしてたの?』
シアンが聞く。
「ちょっとね」
『本人に言ったら怒るんじゃない?』
「絶対怒る」
『じゃあ言う?』
「なんで?」
『面白そうだから』
「シアン、最近モルフォに似てきてない?」
『似てない』
即答だった。
「そっか」
『何その返事』
「いや」
GVは小さく笑った。
イージスは盾だ。
能力者から社会を守り、社会から能力者を守る。時には能力者自身を、その力から守るためにも置かれる。
ただ、盾は守るためのものだ。
守られる側の声まで遮るためにあるわけではない。
その境界をどこへ引けばいいのか。
GVにも、まだ分からなかった。
バレット「え、次海上戦!? アキュラっちまた単騎!? それフツーにエグくない?^_^;」
クレイドル「確認します。相手はG7《リキッド》の能力者。周囲すべてが水源、退路も限定。条件は最悪です」
ノイン「うわっ、海そのものを動かしてる!? 制御範囲、飛行艇の高度まで届いてますよ!!」
グレゴール「ええ、ええ。主、曰く――海は広い、と」
バレット「知ってるわ!!Σ(゚Д゚;)」
クレイドル「External water mass increasing. Structural load is already beyond the aircraft’s safe margin.」
バレット「出たリアルアシモフ語!!」
クレイドル「訂正します。英語です」
ノイン「……ん?」
グレゴール「おや」
バレット「何!? 今なんかあった!?」
クレイドル「ミラーピースに未知の反応を確認」
ノイン「待ってください。波形が違う……ロロさんの構造情報まで変化して――」
バレット「え?」
ノイン「…………知らない」
バレット「え?」
ノイン「知らない!! 分からない!! 最高です!!!」
バレット「研究者がそれ言っていいの!?Σ(゚Д゚;)」
ノイン「初見です!! 未知です!! 形状再構成!? 歌唱反応まで!? 何ですかこれぇぇぇぇぇ!!!」
バレット「何それ!?!!? うわぁぁぁぁぁやばいやばい!!」
クレイドル「出力、急上昇」
ノイン「上がってる!! 本当に上がってる!! しかも向こうも何か巨大なの形成してるぅぅぅぅ!!」
バレット「待って待って待って! これどうなんの!?^_^;」
グレゴール「ええ、ええ。どうやら穏やかな航海にはならなさそうですねぇ」
ノイン「あ、ポップコーンいります?」
バレット「今それ言う!?」
第三話『激流』
一同「次回も――グッドラック!」