『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』   作:幸田市

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第三話「激流」

 

 

 水平線の果てまで、青が続いていた。

 

 空は薄い雲を溶かした淡青。海は陽光を無数の銀片へ砕き、寄せては散らしている。その二つの青の境界を縫うように、一隻の巨大な飛行艇が低空を進んでいた。

 

 エデン所属の大型航空艇。

 

 鈍い灰白色の船体は、航空機というより海から力ずくで引き剥がされた軍艦に近い。左右へ張り出した推進器が重い唸りを響かせ、後方へ青白い噴射光を長く引いている。

 

 高度は決して高くない。

 

 甲板から見下ろせば、波頭一つ一つの形まで判別できるほどだった。船体の巨大な影が海面を黒い魚のように滑り、その周囲では推進器から叩きつけられる風圧が白波を乱している。

 

 その後方。

 

 飛行艇の巨体と比べれば針の先ほどしかない白い影が、まっすぐ追い縋っていた。

 

 アキュラ。

 

 白銀の装甲各部から断続的に推進光が迸り、そのたびに湿った海風が鋭く引き裂かれる。

 

 周囲には複数の小型ビット。

 

 その中心で、球形端末のロロが青白いインジケータを明滅させていた。

 

『ミラーピースの波形、間違いないよ。あの船の中』

 

 ロロが僅かに高度を上げる。

 

 それに合わせて二基のビットが飛行艇上方へ散り、一基は船腹下へ潜り込んだ。残る機体も後部推進器、砲塔、熱源、通信波を順番に拾っていく。

 

 航空艇一隻が吐き出す情報は膨大だ。

 

 船体構造。

 

 火器配置。

 

 人員。

 

 内部熱源。

 

 進路。

 

 それらをロロが選別し、必要なものだけをアキュラへ投げ渡す。

 

『それと強い第七波動反応が一つ。中央よりちょっと後ろ。上へ移動中……あ』

 

 ロロの球体が僅かに傾いた。

 

『向こうも気づいたかな』

 

 答えは砲声だった。

 

 飛行艇後部の装甲が左右へ開き、黒い迎撃機が四機吐き出される。同時に船体側面から三門の砲塔が持ち上がり、赤い照準光が空中を蜘蛛の糸のように走った。

 

「遅い」

 

『相手が?』

 

「気づくのがだ」

 

『相変わらず可愛くないねえ』

 

 砲口が白く瞬く。

 

 次の瞬間には、アキュラは高度を捨てていた。

 

 真下。

 

 海面へ。

 

 青い壁が迫る寸前、脚部から推進光が噴き出す。

 

 ブリッツダッシュ。

 

 白い機影が波頭を掠めた。

 

 その背後へ砲撃が次々と突き刺さり、海が白い花を咲かせるように爆ぜていく。

 

 飛沫が装甲へ雨のように叩きつけられる。

 

 だが速度は落ちない。

 

 上空では、すでにロロのビットが二門の砲塔へ張り付いていた。

 

 狙うのは砲身ではない。

 

 照準機構。

 

 光弾が正確にセンサー部へ食い込み、二門の砲塔が見当違いの方向へ首を振ったまま停止する。

 

 残る一門だけがアキュラを追った。

 

 アキュラは振り返らない。

 

 肩越しに銃口だけを向け、一発。

 

 砲塔基部で火花が弾け、外装が捲れ上がった。

 

『迎撃機、四!』

 

「見えている」

 

『そういう返事する時って、大抵ぼくより先に突っ込むんだよね』

 

 その通りだった。

 

 アキュラは海面から弾かれた弾丸のように急上昇した。

 

 一機目。

 

 機首がこちらを向くより先にロック。

 

 発砲。

 

 爆炎。

 

 その火球を目隠しに軌道を折り、二機目の腹を抜ける。

 

 残った二機へはロロがビットを回す。

 

 撃墜する必要はない。

 

 進路を塞げばいい。

 

 光弾に追い立てられた二機が左右へ散る。

 

 飛行艇までの空路が開いた。

 

 かつてなら、この処理の大半をアキュラ自身が抱えていた。

 

 索敵。

 

 照準。

 

 敵弾予測。

 

 推力配分。

 

 残弾管理。

 

 第七波動解析。

 

 撤退経路。

 

 処理するものが増えれば、自分の処理能力を上げればいい。

 

 それだけだった。

 

 今は違う。

 

 ロロに任せられるものは任せる。

 

 ビットの半数も、最初から彼女の制御下だった。

 

 アキュラ自身に「相棒を頼っている」という意識はほとんどない。

 

 一人ですべてを処理するより効率がいい。

 

 それだけだ。

 

 だが、その冷淡な割り切りが結果として二人の動きを噛み合わせていた。

 

 片方が死角を埋めれば、もう片方が踏み込む。

 

 一つの獣が二組の目を持ったように。

 

『甲板、開けたよ!』

 

「入る」

 

 推進光が膨らんだ。

 

 飛行艇の後部甲板が瞬く間に迫る。

 

 激突寸前で身体を横へ捻り、甲板とほとんど平行に滑り込む。

 

 着地。

 

 ブーツが金属板を削った。

 

 火花が長い尾を引き、甲板へ二本の焦げた線を刻んでいく。

 

 その背後へロロ。

 

 散っていたビットも次々と帰還する。

 

 甲板には海上とは別種の風が吹いていた。

 

 船そのものが前進することで生まれる暴風が装甲を叩き、遥か下では海面が猛烈な速さで後方へ流れていく。

 

 すでに十数人のエデン兵が展開していた。

 

 前後を塞ぐ銃口。

 

 アキュラも銃を上げる。

 

 だが。

 

「下がってろ」

 

 低い声が風を割った。

 

 大声ではない。

 

 それなのに、兵士たちの銃口が一斉に下がる。

 

 奥から一人の男が歩いてきた。

 

 大柄だった。

 

 日に焼けた肌。

 

 鍛え上げられた体躯。

 

 軽装に近い服装のまま、海風を真正面から受けて歩いてくる。

 

 揺れる飛行艇の上だというのに、その足取りだけは大地を踏み締めるように重かった。

 

「アニキ、ですが――」

 

「船を飛ばすのがお前らの仕事だろ」

 

 男は振り返らない。

 

「こいつはオレがやる」

 

 それだけだった。

 

 兵士たちは躊躇なく退く。

 

 恐怖で従っているのではない。

 

 この男なら任せられる。

 

 そう信じている者たちの動きだった。

 

 ロロのインジケータが明滅する。

 

『反応一致。G7だよ』

 

 男が鼻で笑った。

 

「ニムロドだ」

 

「《リキッド》の能力者か」

 

「名前ぐらい呼べねぇのか、科学屋」

 

「必要ない」

 

 アキュラは銃口を下げなかった。

 

「ミラーピースを渡せ」

 

「断る」

 

 一拍の迷いもない。

 

「そいつはオレたちに必要だ」

 

「貴様らの都合など知らん」

 

「そりゃこっちの台詞だ」

 

 ニムロドは一度だけ海を見た。

 

 陽光を弾く波。

 

 白く砕ける波頭。

 

 その時だけ、アキュラへ向けていた敵意が薄れる。

 

 だが、それも一瞬。

 

「聞いたぜ。能力者を狩って回ってる科学屋がいるってな」

 

「なら説明は不要だ」

 

「気に食わねぇんだよ」

 

 海風を吸い込むように、ニムロドが鼻を鳴らした。

 

「科学ってヤツはいつもそうだ。山を削る。川を汚す。海へゴミを流す。生き物が死んでも最後は数字だ。それで便利になりました、進歩しましたって顔しやがる」

 

 アキュラの表情は変わらない。

 

「その科学の塊に乗って何を言っている」

 

「あ?」

 

「飛行艇。武装。通信。生命維持設備。貴様らが使用しているもののどれが科学と無関係だ」

 

「必要なもんを使って何が悪い」

 

「都合がいいな」

 

 アキュラの声は、海風よりも乾いていた。

 

「科学が自然を壊すと非難しながら、その科学へ依存する。気に入らない部分だけを切り取って文明そのものを否定する。随分と安い理想だ」

 

「だったら全部捨てて裸で海に潜れってか?」

 

「誰がそんなことを言った」

 

 僅かな間。

 

 赤い瞳がニムロドを捉え続ける。

 

「科学は間違える」

 

 ニムロドが目を細めた。

 

「事故も起こす。環境も壊す。失敗もする」

 

 否定されると思っていたのか。

 

 ニムロドの返答が一瞬遅れた。

 

「だから記録する。原因を調べ、修正する。同じ失敗をしないように設計を変える。制度を改める。それを繰り返してきたのが文明だ」

 

 アキュラは足元の飛行艇へ視線を落とした。

 

「空を飛べないから翼を作った。海を渡れないから船を作った。治せない病があるなら薬を作る。人間は自分にない力を外部へ作り、それを制御してきた」

 

「その結果、海を汚したって言ってんだよ」

 

「なら直せばいい」

 

「簡単に言いやがる」

 

「簡単だとは言っていない」

 

 間髪を入れない。

 

「機械なら止められる。設計なら変えられる。間違いは記録できる。後の世代へ渡すこともできる」

 

 そこで、ほんの僅かに声の質が変わった。

 

「第七波動は違う」

 

 潮を含んだ風が二人の間を抜ける。

 

「生まれた時から人間そのものへ組み込まれている。感情一つで暴走し、個人一人の意思がそのまま災害規模の力になる」

 

 脳裏の端を、別の光景が掠めた。

 

 イージス。

 

 怯える能力者。

 

 自分の力を止められず、それでも誰かを傷つけたいわけではなかった少年。

 

 そして聞いた言葉。

 

 人格を信用することと、危険性を管理することは別。

 

 アキュラは、その記憶を感情として受け取らなかった。

 

 ただ事実として組み込む。

 

「人格がどうであれ、危険性は消えん」

 

 イージスの論理と似ている。

 

 だが結論は違う。

 

「ならば危険になる前に排除する。それだけだ」

 

 ニムロドが低く笑った。

 

「随分きれいに出来てんな、その理屈」

 

「反論があるならしろ」

 

「あるさ。能力者なら、今の文明みてぇに馬鹿みたいに資源を食い潰さなくても生きていける。工場も船も、いずれいらなくなる」

 

「だから無能力者を排除するのか」

 

「人間が減りゃ、海を汚すヤツも減るだろ」

 

 アキュラの目が細くなる。

 

「それを環境保全とは呼ばん」

 

「何?」

 

「ただの排除だ」

 

 声音は冷たい。

 

「問題が汚染を生む仕組みにあるなら、仕組みを変えればいい。人間そのものを減らせば解決すると言うなら、それは環境問題ではない」

 

 一拍。

 

「殺人の口実だ」

 

 ニムロドの顔へ怒気が浮かぶ。

 

「オレの《リキッド》と、海を汚してきた科学を一緒にすんな」

 

「第七波動なら自然を壊さないという根拠もない」

 

「……ッ」

 

「今、貴様がその力を暴走させれば、この船も、海上の船舶も、沿岸部も被害を受ける。能力者だけを自然の側へ置くのは、自分を正当化したいだけだ」

 

「海は生きてんだ!」

 

 ニムロドの声が初めて大きくなった。

 

「数字じゃねぇ! アンタら科学屋みてぇに、測って分けて、それで全部分かった気になってんじゃねぇ!」

 

「測らなければ、汚染していることすら証明できん」

 

 言葉が止まった。

 

 怒りだけが残る。

 

「感情を根拠にするなら議論にならんな」

 

 横でロロが僅かに揺れた。

 

『アキュラくん、口喧嘩になると本当に容赦ないね』

 

「事実を言っているだけだ」

 

 ニムロドは黙ってアキュラを見た。

 

 言い返せないこと自体は理解している。

 

 ただ、それとは別に。

 

 何かが引っ掛かっていた。

 

「……で」

 

「何だ」

 

「そこまでして能力者を討つ理由は?」

 

 アキュラは即答した。

 

「決まっている」

 

 迷う時間すらない。

 

「能力者は人類に仇なす危険因子だ」

 

 銃口は一度も揺れない。

 

「父の教えに則り、貴様を討滅する」

 

 そして。

 

「ただそれだけだ」

 

 ニムロドの目が僅かに細くなった。

 

「……父親の教え、ねぇ」

 

「何だ」

 

「いや」

 

 鼻を鳴らす。

 

「随分きれいな答え持ってんだなと思ってよ」

 

「反論がないなら黙れ」

 

「ハッ。そうかよ」

 

 ニムロドが一歩踏み出した。

 

 その瞬間。

 

 甲板を濡らしていた海水が、一斉に彼の足元へ集まり始めた。

 

 薄い水膜が靴底へ吸いつき、そこから重力を逆撫でするように脛を這い上がる。

 

 膝。

 

 腰。

 

 胸。

 

 ただ身体を濡らしているのではない。

 

 水だったものが、触れた場所から硬質な輪郭を得ていく。

 

 黒。

 

 白。

 

 その継ぎ目へ走る鮮烈なマゼンタ。

 

 波が一瞬にして凝固したように、鋭い装甲が脚から胴、肩へと噛み合っていった。

 

 最後の水流が首筋を駆け上がる。

 

 頭部へ装甲が形成される。

 

 露出していた男の輪郭が、海中に棲む異形の獣を思わせる鋭角的なシルエットへ置き換わった。

 

 そして右手。

 

 海水が一本の筋となって集まり、長く引き伸ばされる。

 

 一度、鞭のようにしなる。

 

 次の瞬間には、巨大な長柄武器として固まっていた。

 

 槍とも斧ともつかない刃。

 

 その輪郭にはなお青い水流がまとわりつき、呼吸でもするように脈動している。

 

 ほんの数秒前まで、そこにいたのは海を愛する一人の男だった。

 

 今、甲板に立つものは違う。

 

 海そのものに鎧を着せ、人の形へ押し込めたような戦士。

 

「だったら――」

 

 ニムロドが長柄武器を甲板へ叩きつける。

 

 鈍い音。

 

 その振動に呼応するように、遥か下の海面が膨れ上がった。

 

「そのご立派な答えごと、海に沈めてやる」

 

 アキュラの周囲でビットが扇状に展開する。

 

「やってみろ」

 

 次の瞬間。

 

 海が、空へ昇った。

 

     ◇

 

 一本。

 

 二本。

 

 巨大な水柱が飛行艇の左右から立ち上がる。

 

 滝を逆さまにしたような奔流が、重力という約束を忘れたまま空へ伸びていく。

 

 飛行艇の高度へ達しても止まらない。

 

 頭上で折れ曲がり、巨大な海蛇が船体へ巻きつくように甲板を挟んだ。

 

『左右!』

 

 ロロの警告。

 

 ニムロドが長柄武器を振る。

 

 頭上の海が落ちた。

 

 水というより、城壁の崩落だった。

 

 アキュラが横へ飛ぶ。

 

 直後、数十トンもの海水が甲板を叩く。

 

 飛行艇全体が大きく沈み込み、金属の骨格が悲鳴を上げる。

 

 排水口では到底処理しきれない水が甲板を奔流となって駆け、そのまま縁から滝となって海へ落ちた。

 

 ニムロドは止まらない。

 

 甲板を流れる残水へ刃を差し込む。

 

 それだけで水面が細く立ち上がった。

 

 鞭。

 

 槍。

 

 刃。

 

 形を変えながらアキュラへ殺到する。

 

 ブリッツ。

 

 上へ抜ける。

 

 空中から三発。

 

 ニムロドの正面へ薄い水膜が生まれた。

 

 弾丸が触れた瞬間だけ、膜の流れが滑るように歪む。

 

 三発。

 

 すべて軌道を逸らされ、甲板へ火花を散らした。

 

『着弾時だけ流速を変えてる。固定された壁じゃないよ』

 

「なら形成する前に撃つ」

 

 ビットが四方向へ散った。

 

 正面。

 

 左右。

 

 上。

 

 一斉射撃。

 

 ニムロドが正面の防御を厚くする。

 

 その瞬間。

 

 右側が薄い。

 

『今!』

 

 アキュラが消えた。

 

 白い閃光が水膜の切れ目を貫く。

 

 目の前。

 

 ニムロドが長柄武器を横薙ぎに振るう。

 

 アキュラは頭を沈め、刃の下を滑り込んだ。

 

 腹部へ銃口。

 

 一発。

 

 ニムロドが身体を捻る。

 

 弾丸が肩口を掠め、装甲の一部が砕けた。

 

 すぐに反撃。

 

 長柄武器の石突が横から迫る。

 

 アキュラは見ていない。

 

 右側はロロが見ている。

 

 ビットが一発。

 

 軌道が僅かにずれた。

 

 その隙間をアキュラが抜ける。

 

 背後。

 

 今度は水。

 

 それも見ない。

 

 ロロのビットが迎撃する。

 

 戦場を一人で見ていない。

 

 二つの視界を継ぎ合わせ、一枚の地図にしている。

 

 それでも。

 

 ニムロドにとって海上はあまりに有利だった。

 

 撃てば散る。

 

 散った水滴の向こうから、次の奔流が来る。

 

 船外へ落ちた水すら、再び空へ引き上げられる。

 

 空だったはずの甲板は、いつの間にか荒れ狂う海岸線へ姿を変えていた。

 

 ただし波は横から来る。

 

 上から来る。

 

 足元からも噴き上がる。

 

 飛行艇の甲板に海があるのではない。

 

 ニムロドが立つ場所すべてが、海へ変わっていく。

 

 アキュラは水柱を一つ飛び越える。

 

 その着地点へ、別の流れが回り込む。

 

 ブリッツ。

 

 切り返す。

 

 そこへロロの声。

 

『正面、空いた!』

 

 一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 絶えずニムロドの周囲を巡っていた水膜が切れた。

 

 距離。

 

 角度。

 

 視線。

 

 すべて揃っている。

 

 ニムロドはこちらを見ていない。

 

 防御は間に合わない。

 

 照準器の中に、一本だけ確実な射線が通る。

 

 引き金へ指を掛ける。

 

 撃てば届く。

 

 致命域。

 

 いつもなら。

 

 それで終わっていた。

 

 ――止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 瞬きよりも短い。

 

 戦場なら誤差で処理できるほどの時間。

 

 それでも。

 

 アキュラ自身には、分かった。

 

 今。

 

 自分は撃たなかった。

 

 脳裏へ、場違いな光景が差し込む。

 

 小さなコース。

 

 プラスチックのレーン。

 

 甲高いモーター音。

 

 ミニ四駆が高速でコーナーへ飛び込む。

 

 それを追って身を乗り出すGV。

 

 横ではデイトナが何か大声で喚いている。

 

 コーナーの入りが甘いだの。

 

 ギア比がどうだの。

 

 勝手に熱くなっている。

 

 そして。

 

 自分もまた。

 

 次の直線へ入る自分のマシンから目を離していなかった。

 

 二人とも。

 

 能力者。

 

 なのに。

 

 あの時。

 

 一度も。

 

 敵だとは思わなかった。

 

 ――何故。

 

 疑問が形になるより先に、思考を切る。

 

 引き金。

 

 遅い。

 

 ニムロドが振り向く。

 

 水膜。

 

 弾丸が肩口を逸れ、空へ消えた。

 

 ほんの数秒。

 

 ニムロドの顔から荒々しい笑みが消えた。

 

 怒りでもない。

 

 驚きでもない。

 

 妙なものを見つけたような目だった。

 

「どうした、科学屋」

 

「何がだ」

 

「いや」

 

 ニムロドの口元だけが吊り上がる。

 

「なんでもねぇ」

 

 その言い方が。

 

 妙に気に障った。

 

 直後。

 

 海面が大きく沈んだ。

 

 広範囲の海水が一点へ吸い寄せられる。

 

 次の瞬間。

 

 その全てが持ち上がった。

 

 飛行艇の半分が影へ沈む。

 

 水壁。

 

 いや。

 

 海そのものが起き上がったような巨大な質量。

 

 ニムロドが腕を振り抜く。

 

「よそ見してんじゃねぇぞ!」

 

 激流が甲板を呑んだ。

 

 視界が青一色へ塗り潰される。

 

 水圧。

 

 轟音。

 

 身体が横へ流される。

 

 一度。

 

 ブリッツ。

 

 流れに曲げられる。

 

 二度目。

 

 側面から別の水塊が直撃した。

 

「ぐッ――!」

 

 足場が消える。

 

 次の瞬間。

 

 甲板の外。

 

 身体が空へ投げ出されていた。

 

 飛行艇が遠ざかる。

 

 上。

 

 灰色の船体。

 

 下。

 

 どこまでも広がる海。

 

 アキュラは即座に姿勢を戻した。

 

「ロロ。残量」

 

『ブリッツ一! このままじゃ戻れない!』

 

「ビットを推進補助へ」

 

『もう回してる!』

 

 ビットが集まる。

 

 不足。

 

 飛行艇は前へ進み続ける。

 

 アキュラは落下する。

 

 両者の距離が、開く鋏の刃のように広がっていく。

 

 そして眼下。

 

 海面が膨れた。

 

 落下地点そのものへ。

 

 巨大な水柱が立ち上がる。

 

 上へ戻れない。

 

 下にも逃げられない。

 

 ロロの演算が走る。

 

 一案。

 

 失敗。

 

 二案。

 

 推力不足。

 

 三案。

 

 生存率。

 

 低下。

 

 四案。

 

 赤。

 

 五案。

 

 赤。

 

 六案。

 

 赤。

 

 演算結果が次々と警告色へ染まっていく。

 

『待って……』

 

 海面が迫る。

 

『待ってよ……!』

 

 いつもの軽さが、声から消えた。

 

 その瞬間。

 

 ロロの内部。

 

 一枚のミラーピースが淡く光った。

 

『……え?』

 

 表面に、青白い波形が走る。

 

 これまで一度も観測したことのない反応。

 

『なに……これ』

 

「ロロ?」

 

 返事はない。

 

 光だけが強くなる。

 

 球形だったロロの輪郭が、強烈な逆光へ焼かれた影のように揺らいだ。

 

 外殻が開いたのではない。

 

 機体そのものが、青白い粒子へほどけていく。

 

 丸。

 

 球体。

 

 機械。

 

 それまでロロを形作っていた輪郭が一度消える。

 

 だが粒子は風へ散らなかった。

 

 空中で細い光の筋となって集まる。

 

 まず一本。

 

 身体の中心を貫く軸。

 

 背骨を思わせる線。

 

 そこから左右へ肩が広がった。

 

 腕。

 

 肘。

 

 手首。

 

 その先で、光が五つに枝分かれする。

 

 指。

 

 今まで存在しなかった構造が、そこへ一つずつ書き加えられていく。

 

 腰。

 

 脚。

 

 膝。

 

 足。

 

 小さな球形端末へ、人間というまったく別種の設計図が上書きされていくようだった。

 

 光の中心で輪郭が肉付いていく。

 

 最後。

 

 淡い緑色の髪が、一筋ずつ光の中からほどけた。

 

 海風を受けて、大きく揺れる。

 

 白を基調に、赤と黒を差した衣装。

 

 小さな身体。

 

 大きな紫の瞳。

 

 背後では左右一対の大型ユニットが翼のように展開し、その周囲を円環状の光が回転する。

 

 橙。

 

 青緑。

 

 二色の光が幾何学模様を描きながら空中へ残像を刻んだ。

 

 つい数秒前まで。

 

 そこにいたのは球形端末だった。

 

 今。

 

 同じ場所には一人の少女が浮いている。

 

『……え?』

 

 ロロは自分の手を見た。

 

 五本。

 

 指がある。

 

 開く。

 

 閉じる。

 

 動く。

 

『え、な、なにこれ!? 手!?』

 

 もう一度握る。

 

『ぼく、手あるんだけど!?』

 

「ロロ」

 

『アキュラくん!?』

 

「後にしろ」

 

『今ぼく人型になってるんだぞ!?』

 

 叫んでから。

 

 ロロは下を見た。

 

 落ちていくアキュラ。

 

 迫る海。

 

 迫る水柱。

 

 その瞬間だけ。

 

 自分の身体への驚きが消えた。

 

 助けなければ。

 

 ただ、その一点だけが残る。

 

 ロロは息を吸った。

 

 必要のないはずの呼吸。

 

 けれど。

 

 身体はそのやり方を知っていた。

 

 歌声が生まれる。

 

     ◇

 

 最初の一音は小さかった。

 

 けれど、空気へ触れた瞬間。

 

 その音は波紋となった。

 

 海風へ。

 

 ビットへ。

 

 そしてアキュラへ。

 

 装甲各部に浮かんでいた警告表示が、一斉に瞬く。

 

 枯渇しかけていた駆動系へ、未知の出力が流れ込む。

 

 ブリッツ残量。

 

 回復。

 

 推進器応答。

 

 照準補正。

 

 通信速度。

 

 演算同期。

 

 既定値を次々と越えていく。

 

 故障ではない。

 

 今まで上限だと思っていた線を、外側から誰かに引き直されたようだった。

 

「……何だ、これは」

 

『ぼくも分かんない!』

 

 ロロの声は歌と重なっている。

 

『でも――今ならいける!』

 

 海面へ叩きつけられる寸前。

 

 アキュラが脚を伸ばす。

 

 ブリッツ。

 

 白い閃光が直角に折れた。

 

 真下を水柱が貫く。

 

 海面が爆発したように弾け、巨大な飛沫が空へ噴き上がる。

 

 その白い幕を突き破って。

 

 アキュラが再び上昇する。

 

『いけた!』

 

「ロロ」

 

『なに!?』

 

「その状態を維持しろ」

 

『ええ!?』

 

「使えるなら使う」

 

『ぼくも何が起きてるか分かってないんだけど!?』

 

「解析は後だ」

 

『もうちょっと驚いてよ!』

 

「十分驚いている」

 

『全然そう見えないぞ!』

 

 ロロは文句を言いながらも歌を止めなかった。

 

 歌えば届く。

 

 アキュラへ。

 

 それだけは分かる。

 

 飛行艇の高度まで戻る。

 

 甲板の縁に立つニムロドが、初めて明確に目を見開いた。

 

「……なんだ、そりゃ」

 

 アキュラが着地する。

 

 背後へ。

 

 少女の姿になったロロが浮かぶ。

 

 左右の大型ユニットが円環光を回し、海風の中へ電子的な色彩を散らしていた。

 

 自然の青一色だった戦場へ。

 

 人工の極彩色が咲いている。

 

 ニムロドが鼻を鳴らす。

 

「ミラーピースか」

 

「オレも知らん」

 

『だからぼくも知らないってば!』

 

「だったら揃って知らねぇのかよ」

 

「戦闘に支障はない」

 

『そこなの!?』

 

 ニムロドが呆れたように笑った。

 

 そして。

 

 長柄武器を構える。

 

 戦いが再開した。

 

     ◇

 

 同じ海。

 

 同じ飛行艇。

 

 ニムロドが操れる水量も変わっていない。

 

 それでも。

 

 戦況は明確に変わった。

 

 ロロの歌がアキュラへ届くたび、二人の間から僅かな遅延が削ぎ落とされていく。

 

 ロロが危険を認識する。

 

 その瞬間には。

 

 アキュラはもう動いている。

 

 右から水刃。

 

 先にかわす。

 

 足元から水槍。

 

 ビットが根元を撃つ。

 

 ニムロドの長柄武器。

 

 アキュラが身を沈める。

 

 懐。

 

 発砲。

 

 水膜。

 

 その薄い箇所をロロが抜く。

 

 ビット一発。

 

 防御が裂ける。

 

 弾丸。

 

 肩へ命中。

 

 ニムロドが一歩下がった。

 

 海が弱くなったわけではない。

 

 ただ。

 

 二人が流れの隙間を拾えるようになった。

 

 ニムロドが水流を三方向へ分ける。

 

 正面。

 

 上。

 

 甲板下。

 

 ロロは水そのものを撃たない。

 

 三本の流れが干渉する場所。

 

 そこへ光弾を重ねる。

 

 水圧の均衡が僅かに崩れた。

 

 互いの奔流が食い合う。

 

 その一瞬を。

 

 アキュラが白い矢のように抜けた。

 

 膝。

 

 腹部。

 

 ニムロドの身体が浮く。

 

 追撃。

 

 だが横から水塊が割り込み、アキュラを押し戻した。

 

 距離が開く。

 

 ニムロドは荒く息を吐いていた。

 

 それでも。

 

 笑っている。

 

「父の教えに則って、オレを討つ」

 

 アキュラの眉が僅かに動いた。

 

「何が言いたい」

 

「さっき言ったよな」

 

「それがどうした」

 

 ニムロドが、自分の胸を指で叩く。

 

「だったら、なんでさっき撃たなかった?」

 

「迷ってなどいない」

 

「撃てた」

 

「戦術上の判断だ」

 

「ハッ」

 

 鼻で笑われた。

 

 それだけ。

 

 たったそれだけなのに。

 

 アキュラの右手が、銃のグリップを僅かに強く握った。

 

「何がおかしい」

 

「いや」

 

 ニムロドの笑い方が変わった。

 

「さっきから妙だと思ってたんだよ」

 

 海風が二人の間を抜ける。

 

「能力者は危険だから討つ」

 

 一歩。

 

「人類の敵だから消す」

 

 もう一歩。

 

「父親の教えだから正しい」

 

 ニムロドが睨む。

 

「そればっかだ」

 

「何が言いたい」

 

「オマエ自身は何がしてぇんだよ」

 

「能力者を――」

 

「それは聞いた」

 

 遮られる。

 

 一瞬。

 

 アキュラの声が止まった。

 

「だから、それがオマエの望みなのかって聞いてんだ」

 

「くだらん」

 

「そうか?」

 

「貴様のような能力者を討滅する。それが――」

 

「またそれだ」

 

 ロロだけが気づいていた。

 

 アキュラの手へ。

 

 いつもより少しだけ。

 

 力が入っている。

 

 グリップを握る指の角度。

 

 肩の位置。

 

 呼吸。

 

 どれも僅かだ。

 

 だが。

 

 普段のアキュラと違う。

 

 ニムロドはその違いの正体まで理解しているわけではない。

 

 ただ。

 

 目の前の男が、自分自身の言葉ではなく、借り物の答えを繰り返しているように見えた。

 

「口喧嘩じゃオレの負けでいい」

 

 ニムロドは胸へ拳を当てた。

 

「科学がどうとか。矛盾がどうとか。頭じゃオマエの方が回る」

 

 一歩。

 

「けどよ」

 

 足元で海水が渦巻く。

 

「オマエの拳には熱がねぇ」

 

 アキュラの瞳が僅かに開く。

 

「望みもねぇ」

 

「……黙れ」

 

「親父から渡された答えを抱えて、教えられた敵を撃ってるだけだ」

 

「黙れ」

 

 声が低くなる。

 

 本人には分からない。

 

 自分の声が。

 

 さっきより強くなっていることが。

 

「オレは海を守りてぇ」

 

 ニムロドは言い切る。

 

「それが正しいかなんざ知らねぇ。間違ってようが知ったことか」

 

 水が持ち上がる。

 

「オレがそうしたいからやってる」

 

 アキュラは銃口を向ける。

 

「黙れと言っている」

 

「なのにオマエは何だ?」

 

 海水が大きく膨れた。

 

「自分の望みもねぇ男が――」

 

 水が弾ける。

 

「オレの邪魔をするんじゃねぇ!!」

 

「黙れと言っている!!」

 

 銃声。

 

 ロロの歌が一瞬だけ揺れた。

 

 命中はしている。

 

 だが。

 

 照準が完全に収束するよりほんの僅かに早い。

 

 いつものアキュラなら。

 

 しない。

 

 ニムロドが水壁を作り、弾丸を逸らす。

 

 そして笑った。

 

「ハッ! 今度は随分熱ぃじゃねぇか!」

 

「ロロ!」

 

『えっ!?』

 

「出力を上げろ!」

 

『でも、アキュラくん――』

 

「早くしろ!」

 

 ロロが一瞬黙った。

 

 そして。

 

 歌を強めた。

 

 アキュラだけが。

 

 自分が怒鳴っていることに気づいていなかった。

 

     ◇

 

 ニムロドが長柄武器を甲板へ突き立てた。

 

 その瞬間。

 

 周囲へ浮かんでいた水が、一度すべて海へ落ちる。

 

 静寂。

 

 あまりに突然の。

 

 甲板上に残っていた水まで船外へ引かれていく。

 

 飛行艇の下。

 

 海面が黒く沈んだ。

 

 広範囲の海水が一点へ吸い寄せられ、巨大な渦を作る。

 

 そして。

 

 海が立ち上がった。

 

 一本の柱ではない。

 

 腕。

 

 胴。

 

 頭。

 

 巨大な人型。

 

 飛行艇そのものを抱き潰せそうな水の巨体が、ニムロドを中心に形成されていく。

 

 人間が巨大化したのではない。

 

 海そのものが身体を持ち。

 

 その核に、ニムロドがいる。

 

 さらに。

 

 水面に映るはずだった男の姿が、空中の水流へ次々と増殖していく。

 

 一体。

 

 二体。

 

 三体。

 

 分身。

 

 どれも同じ長柄武器を構え、幾筋もの水流を足場に飛行艇の周囲へ散る。

 

 ロロの視界へ。

 

 複数のニムロド。

 

 複数の攻撃予測線。

 

 複数の殺到軌道。

 

 空と海の間に。

 

 海そのものが作った包囲網が完成する。

 

 その中心で。

 

 ニムロドが吼えた。

 

「藻屑と消えな!」

 

 海が震える。

 

「AQUA AVATAR!!」

 

 最初の分身が走った。

 

 水流をレールにするように高速移動し、長柄武器を突き出す。

 

 青い槍撃。

 

 甲板が抉れた。

 

 次。

 

 反対側。

 

 さらに上。

 

 三方向。

 

 四方向。

 

 分身と水流が交差しながら、巨大な飛行艇を縫う。

 

 装甲板が裂ける。

 

 火花。

 

 水飛沫。

 

 金属片。

 

 船体が何度も大きく揺れた。

 

 ロロが演算する。

 

『上に抜ければ回避できる!』

 

「必要ない」

 

『え』

 

 アキュラは足を止めた。

 

 逃げない。

 

 周囲へ。

 

 すべてのビットが展開する。

 

 一基。

 

 二基。

 

 三基。

 

 それぞれが異なる高度へ散り。

 

 空中で静止する。

 

 ロロの歌が高くなる。

 

 白い装甲。

 

 青い海。

 

 そして。

 

 アキュラの周囲へ。

 

 機械の群れが星座のように配置されていく。

 

 ニムロドが海を増やすなら。

 

 アキュラは機械を束ねる。

 

 感情のまま荒れ狂う水流に対し。

 

 寸分の誤差も許さない配置。

 

 制御。

 

 演算。

 

 精密さ。

 

 まるで二人の思想そのものが。

 

 戦場へ形を持って現れたようだった。

 

 アキュラが腕を上げる。

 

「舞い踊れ、我が鋼の眷属――」

 

 ビットが微かに震える。

 

「異類異形を切り刻み――」

 

 ロロの歌声が、その動きを背後から押す。

 

「その鎖ごと、断ち切れ!」

 

 アキュラの腕が振り下ろされた。

 

「STRIKE SAW!!」

 

 一斉。

 

 ビットが走る。

 

 縦。

 

 横。

 

 斜め。

 

 空へ白い斬撃の軌道が刻まれた。

 

 一本。

 

 また一本。

 

 幾重にも交差した軌跡が。

 

 巨大な一文字を作る。

 

 爪。

 

 海の青へ。

 

 白銀の爪痕が叩き込まれた。

 

 第一の分身。

 

 切断。

 

 水へ戻る。

 

 第二。

 

 破断。

 

 第三。

 

 水流ごと斬り裂かれる。

 

 ニムロドの海と。

 

 アキュラの爪。

 

 二つの必殺が真正面から衝突した。

 

 爆音。

 

 飛行艇が大きく沈む。

 

 空一面を水飛沫と光が覆う。

 

 一瞬。

 

 空と海の境界そのものが消えた。

 

 青。

 

 白。

 

 銀。

 

 光と水だけの世界。

 

 そこを。

 

 ビットの爪が切り裂いていく。

 

 最後の分身が砕ける。

 

 水の巨体が大きく崩れた。

 

 大量の海水が。

 

 重力を思い出したように一斉に落ちていく。

 

 雨ではない。

 

 海そのものが空から降ってくる。

 

 飛行艇を巨大な飛沫が包み。

 

 しばらくして。

 

 ようやく視界が戻った。

 

 《AQUA AVATAR》は消えていた。

 

 《STRIKE SAW》も終わっている。

 

 散開したビットが出力を落とし、アキュラの周囲へ戻ってくる。

 

 海は再び下へ。

 

 空は再び上へ。

 

 そして。

 

 最後に残ったのは。

 

 二人だった。

 

     ◇

 

 ニムロドの戦闘装甲には亀裂が走っている。

 

 黒と白の外装は何箇所も欠け、鮮烈だったマゼンタの光も弱い。

 

 長柄武器も半ばまで損傷していた。

 

 アキュラも無傷ではない。

 

 白銀の装甲に深い擦過痕。

 

 肩部には水圧で歪んだ箇所がある。

 

 ロロの歌も。

 

 先ほどまでほど強くはない。

 

 それでも。

 

 戦いは終わっていなかった。

 

 ニムロドが踏み込む。

 

 武器。

 

 横薙ぎ。

 

 アキュラがかわす。

 

 踏み込む。

 

 拳。

 

 ニムロドが腕で受ける。

 

 発砲。

 

 残った水膜。

 

 弾く。

 

 距離が縮まっていく。

 

 巨大な能力同士のぶつかり合いを終え。

 

 最後には。

 

 互いの身体しか残っていない。

 

 銃弾より拳。

 

 激流より蹴り。

 

 理屈を語り合った二人が。

 

 最後には肉体そのものへ答えを叩き込むように殴り合っていた。

 

 ロロのビットが足元の水を散らす。

 

 アキュラが踏み込む。

 

 腹部。

 

 拳。

 

 ニムロドの身体が折れる。

 

 追撃。

 

 膝。

 

「ぐッ――!」

 

 大柄な身体が甲板を滑った。

 

 金属板へ装甲が火花を引く。

 

 飛行艇の縁まで。

 

 あと数メートル。

 

 ニムロドが起き上がろうとする。

 

 その胸元。

 

 青白い光。

 

 二枚目のミラーピース。

 

 アキュラの視線が止まった。

 

 本来なら。

 

 射撃で牽制する。

 

 動きを止める。

 

 固定部を確認。

 

 解除。

 

 回収。

 

 最短。

 

 確実。

 

 それでいい。

 

 だが。

 

 アキュラは歩いていた。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 いつもより。

 

 僅かに重い足取り。

 

『アキュラくん……?』

 

 ニムロドが顔を上げる。

 

 アキュラは答えない。

 

 胸元へ手を伸ばす。

 

 ミラーピースを掴む。

 

 引く。

 

 外れない。

 

 固定具。

 

 本来なら解除すればいい。

 

 数秒で済む。

 

 それなのに。

 

 手を離さない。

 

 もう一度。

 

 引く。

 

 金属が軋む。

 

 固定部が歪む。

 

『ちょ、アキュラくん――』

 

 さらに力が入る。

 

 その力が。

 

 必要以上であることを。

 

 本人だけが知らない。

 

「――ッ!」

 

 破断音。

 

 固定具ごとむしり取った。

 

 ミラーピースがアキュラの手へ収まる。

 

 周囲には歪んだ金属片まで付着している。

 

 ニムロドの身体が、その勢いで前へ引かれた。

 

 胸元を押さえる。

 

 苦痛に顔を歪める。

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 笑った。

 

「……なんだよ」

 

 アキュラが睨む。

 

「ちゃんと熱くなれるじゃねぇか」

 

 その言葉で。

 

 身体が動いた。

 

「――黙れ」

 

 蹴り。

 

 ニムロドの腹部へ直撃する。

 

 甲板の外へ押し出すだけなら。

 

 そこまで深く踏み込む必要はない。

 

 だが。

 

 軸足が強く沈んだ。

 

 ブーツの下。

 

 甲板の金属が僅かに凹む。

 

 ニムロドの身体が浮いた。

 

 想定していたより。

 

 遥かに大きく。

 

 飛んだ。

 

「な――」

 

 背中が甲板の縁を越える。

 

 手が。

 

 空を掴む。

 

 足場が消える。

 

『アキュラくん!』

 

 ニムロドが落ちる。

 

 海へ。

 

 自分が守ると叫んだ。

 

 青い海へ。

 

 飛行艇から吹き下ろす風が、大柄な身体を攫っていく。

 

 数秒。

 

 海面へ激突。

 

 白い水柱が高く立った。

 

 空へ放り上げられた飛沫が。

 

 陽光を受け。

 

 一瞬だけ。

 

 砕けたガラスのように輝く。

 

 そして落ちる。

 

 海面が閉じる。

 

 ニムロドの姿は。

 

 もう見えなかった。

 

     ◇

 

 しばらく。

 

 誰も喋らなかった。

 

 損傷した飛行艇だけが。

 

 苦しそうな機械音を響かせながら海上を進んでいる。

 

 甲板には。

 

 海水が残っていた。

 

 傾いた床を細い川となって流れ。

 

 船外へ落ちていく。

 

 つい先ほどまで空を埋め尽くしていた激流も。

 

 主を失えば。

 

 ただの水だった。

 

 アキュラは甲板の縁に立っている。

 

 右手。

 

 ミラーピース。

 

 ロロがゆっくり近づいてきた。

 

 歌はもう止まっている。

 

 それでも。

 

 少女の姿は維持されたままだ。

 

『……アキュラくん』

 

「何だ」

 

『いまの――』

 

「リキッドの反応を確認しろ」

 

 ロロは一度。

 

 口を閉じた。

 

 そして海へセンサーを向ける。

 

 《リキッド》。

 

 海そのものを操る能力。

 

 落水した。

 

 それだけでは撃破と判断できない。

 

 数秒。

 

 さらに数秒。

 

 ロロの紫の瞳に細かな光が走る。

 

『第七波動反応……低下中』

 

 アキュラは動かない。

 

『もう少し』

 

 海面には。

 

 何も出ない。

 

『……戦闘継続可能な反応なし』

 

「そうか」

 

 それだけ。

 

 アキュラは海から目を離した。

 

 そして。

 

 初めて。

 

 自分の右手を見る。

 

 ミラーピース。

 

 周囲へ。

 

 本来一緒に外れる必要のなかった固定部品が歪んだまま残っている。

 

「……」

 

 もっと簡単に取れた。

 

 解除すればよかった。

 

 なぜ。

 

 あんな力を入れた。

 

 答えが浮かぶ前に。

 

 声が蘇る。

 

 ――オマエの拳には熱がねぇ。

 

 アキュラの眉間へ皺が寄る。

 

「くだらん」

 

『……なに?』

 

「何でもない」

 

 二枚目。

 

 ミラーピース確保。

 

 G7一名を排除。

 

 ロロには未知の機能が発現。

 

 戦果だけを見れば。

 

 問題はない。

 

 そう処理すればいい。

 

 だが。

 

 ――望みもねぇ。

 

 声が消えない。

 

 撃つのを止めた指。

 

 イージスで聞いた言葉。

 

 能力の危険性と。

 

 その人間自身は。

 

 別。

 

 そして。

 

 小さなミニ四駆コース。

 

 甲高いモーター音。

 

 身を乗り出すGV。

 

 勝手に熱くなるデイトナ。

 

 その横で。

 

 自分も。

 

 マシンから目を離していなかった。

 

 能力者。

 

 敵。

 

 以前なら。

 

 二つの言葉は。

 

 寸分の狂いもなく重なっていた。

 

 今も。

 

 そのはずだ。

 

 なのに。

 

 僅かに。

 

 ずれている。

 

 精密な歯車の間へ。

 

 目では見えないほど小さな砂粒が噛み込んだように。

 

 機械は動く。

 

 止まりはしない。

 

 壊れてもいない。

 

 ただ。

 

 一回転するたび。

 

 微かな異音だけが残る。

 

『アキュラくん』

 

「何だ」

 

『……怒ってる?』

 

「何故そうなる」

 

『いや、さっき――』

 

「戦闘は終わった」

 

 そこで切った。

 

 ロロは少しだけアキュラを見る。

 

 普段なら。

 

 もう一言くらい言う。

 

 けれど。

 

 今はやめた。

 

『……そっか』

 

 海風が吹く。

 

 アキュラの手の中。

 

 二枚目のミラーピースが淡く輝いた。

 

 それに呼応するように。

 

 ロロの身体にも青白い光が走る。

 

 指先。

 

 腕。

 

 胸元。

 

 背後の大型ユニット。

 

 二つの欠片が。

 

 離れた場所で同じ脈を打つように。

 

 同じ周期で明滅していた。

 

 ロロは自分の手を見る。

 

 今までなかった指。

 

 今までなかった身体。

 

 そして。

 

 自分自身から生まれた歌。

 

『やっぱり……これ、ミラーピースと関係あるのかな』

 

「帰還後に解析する」

 

『うん』

 

 少しだけ。

 

 間。

 

 ロロがまたアキュラを見る。

 

『でもさ』

 

「何だ」

 

『ぼく、アキュラくん助けられたね』

 

 アキュラは答えない。

 

 ただ。

 

 一瞬だけ。

 

 ロロを見る。

 

『前はビットとか計算とか、それぐらいだったけど。今度はちゃんと――』

 

「前から役には立っている」

 

『……え』

 

「戦闘支援の話だ」

 

『あ、うん』

 

「勘違いするな」

 

『そこまで言わなくてもよくない!?』

 

 ようやく。

 

 ロロの声へ。

 

 いつもの調子が戻る。

 

 アキュラはもう彼女を見ていない。

 

 眼下。

 

 海。

 

 ニムロドが落ちた場所は。

 

 もう分からなかった。

 

 波がある。

 

 光がある。

 

 何事もなかったように。

 

 海だけが広がっている。

 

 その海を見ていると。

 

 また。

 

 声が蘇りそうになる。

 

 だから。

 

 先に。

 

 口を開いた。

 

「……オレの結論は変わらん」

 

 ロロが振り返る。

 

 誰へ言ったのか。

 

 ニムロドか。

 

 ロロか。

 

 それとも。

 

 自分自身か。

 

 アキュラ本人にも。

 

 その区別は。

 

 ついていなかった。

 

 ただ。

 

 今まで何度も。

 

 当然の前提としてきた言葉を。

 

 もう一度。

 

 自分の中へ深く打ち込むように。

 

「能力者は――敵だ」

 

 海は。

 

 何も答えなかった。




「え、次回予告オレらがやれんの!?」

「マジで!? めっちゃ熱いじゃん!」

「まず前提として、我々アメコミ研究会は――」

「黒江、長い!」

「……まだ一行目だぞ」

「アメコミ研究会。ヒーローについて日夜真剣に研究する、由緒正しき――」

「オタクの集まりだねえ」

「犬飼!」

「で、活動実績が足りない」

「三枝まで!」

「そこで始めたのが――なんでも解決します、アメコミ研究会!」

「困りごとは何でもどうぞ!」

「ちなみにウチにはヒーローがいる」

「GVな!」

「本人はただのお節介だって言ってるけどねえ」

「体操服探しに、模型修理、落とし物、相談事――」

「待って、こう並べるとめっちゃ地味じゃね?」

「ヒーロー活動って、案外そういうもんだろ」

「……でも、その放課後に」

「本物の能力者事故が起きる」

「……いや、あれ普通に怖かったぞ」

「オレ帰ろうとしたし」

「ぼくも」

「……俺も」

「それでも、できることくらいはある」

「黒江は人を遠ざけて」

「犬飼は扉を直して」

「オレは連絡回して」

「……俺は、そこにいた」

「そして――」

「ちょっと待て」

「今、GV壁走った?」

「走った」

「足から雷出てたよな?」

「出てたねえ」

「……あれ、ウェブじゃない?」

「「「「は!?」」」」

「待って待って待って! GV、お前ウェブ出せんの!?」

「真田、予告中!」

「だってウェブだぞ!?」

「次回、『蒼き雷霆 ガンヴォルト 爪』」

「第四話――『なんでも解決します!!アメコミ研究会(ウチにはヒーローがいます)』」

「だからウェブ見せ――」

「次回も、グッドラック!」
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