『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
昼休みの教室には、購買のパンを開ける音と、机を寄せて昼食を取る生徒たちの声が入り混じっていた。窓の外では運動部らしい生徒が何人かグラウンドを横切り、黒板には午前最後の授業で使われた数式が半分ほど残っている。教卓の横には次の授業で配るらしいプリントの束が積まれ、廊下を通る生徒の笑い声が開け放たれた扉から時折流れ込んでくる。
昨日、旧校舎で第七波動の暴発が起きた学校には見えなかった。
壊れた窓にはすでに応急処置が施され、使用禁止になった区画には教師が立っている。それでも校舎の大部分では時間割通りに授業が進み、昼休みになれば生徒は腹を空かせ、購買の人気商品はいつも通り売り切れていた。何か一つ事件が起きたからといって、学校全体がそのためだけに止まってくれるわけではない。
GVも、その中にいた。
「だから、持続時間だけでいいんだって。そこだけ教えてくれたら今日はもう聞かない」
机の向こうから真田リクが身を乗り出してくる。昼食はすでに食べ終えたらしく、空になったパンの袋だけが机の隅へ寄せられていた。GVは手元の焼きそばパンを一口齧り、急かされる理由もないのできちんと飲み込んでから、「嫌だよ」と返した。
「じゃあ最大射程」
「嫌」
「張力」
「教えない」
「粘着力は?」
「ない」
「ないの!?」
真田の両手が机へ落ちた。強く叩いたわけではなかったが、置かれていた牛乳パックが僅かに揺れ、中身がストローの中を上下する。数秒前まで「今日は持続時間だけ」と言っていたことは、本人の中ではもう無かったことになっているらしい。
旧校舎の一件で、黒江たち四人はGVが第七波動能力者であることを知った。壁を走り、雷を操り、空間へ蒼い糸を張る。本人にとっては二年間使い続けてきた戦い方の一つでしかないが、スパイダーマンについて話し始めると普段以上に口数が増える真田にとっては、友人が本物のウェブめいた技を使えるという事実だけで当分は保つらしい。
「俺だってかなり減らしてるんだぞ」
「何を?」
「質問」
真田は鞄から折り畳んだ紙を取り出し、机の上へ広げた。細かい字で番号が振られ、最後は三十七まで続いている。GVは上から何行か目で追ったものの、途中で読むのを諦めた。
「昨日もそれ見たよ」
「あれは六十四個あった時の話だ」
「増えてるじゃん」
「減ってる!」
「まだ三十七個あるけど」
「ほぼ半分だろ!?」
「数字って便利だね」
「その言い方やめろ!」
真田が抗議している横で、別の視線が腰の辺りに刺さっていることへGVは気づいた。顔を向けると、犬飼ケンジが焼きそばパンを食べながら、制服の下に隠した装備の位置をじっと見ていた。目が合っても逸らさない。
「犬飼。装備見てる?」
「ん? 見てないよ」
「今見てたよね」
犬飼はもう一口食べ、急ぐ様子もなく咀嚼してから少しだけ首を傾けた。
「観察してた」
「もっとダメじゃない?」
「写真だけなら?」
「ダメ」
「触らないよ?」
「ダメ」
「外装だけ――」
「ダメ」
「分解――」
「絶対ダメ」
最後まで言わせなかった。犬飼は本気で残念そうに眉を下げ、「構造、大事なのに」と呟いたが、GVが「僕にはもっと大事だから」と返すと、そこだけは素直に「それはそうだねえ」と頷いた。納得はしている。ただし、諦めた様子はなかった。
向かい側では黒江トオルが弁当をほとんど手つかずのまま脇へ寄せ、一冊のノートを開いていた。表紙には太い字で『ヒーロー活動における匿名性と社会的責任』と書かれている。昨日までそんな物はなかった。
「それ何」
GVが尋ねると、黒江は待っていたとばかりに眼鏡を押し上げた。
「昨日から考えている」
「考えなくていいよ」
「いや、重要だろ。お前、能力者として活動していることを学校には公表してないんだろ?」
「してない」
「にもかかわらず、我々四人はその秘密を共有している。つまり情報管理上――」
声に熱が乗り始めたところで、GVはノートではなく、その横へ置かれた弁当を指差した。
「卵焼き冷めるよ」
「もう冷めてる」
「じゃあ早く食べた方がいいね」
「話を逸らすな」
「昼休みだよ」
「だから何だ」
黒江はGVを見て、弁当を見て、もう一度GVを見る。何か言い返そうとしたが、結局は箸を取り、卵焼きを一つ口へ入れた。
「……甘い」
「よかったね」
「そういう話じゃない」
少し離れた席では、三枝ユウタがそのやり取りを静かに見ていた。昼食はもうほとんど終えている。普段なら全員が一通り喋り終わった後で短い一言だけを落とす男だったが、今日は少しだけ早く口を開いた。
「……でも、普通に学校来るんだな」
GVが振り返る。
「何が?」
「GV」
「来るよ」
「昨日あんなことあったのに」
「昨日?」
三枝は一度口を開き、そこで止まった。旧校舎で震えた床。飛んだ机。割れた窓。自分たちが怖くて動けなくなった時間。その向こうへ一人で入っていったGV。何を言おうとしているのかは何となく分かったが、GVにはむしろ、だから学校へ来ないという方がよく分からなかった。
「……いや、なんでもない」
三枝は少しだけ笑った。
昨日の出来事が軽かったわけではない。能力を制御できなくなった生徒は今日も学校を休んでいる。旧校舎の倉庫は使用禁止になり、教師から事情確認も受けた。黒江たちとファミレスへ行けば能力について延々と質問され、帰宅が遅くなったせいでシアンにも小言を言われた。
それでも朝になれば学校があり、授業が始まる。昼になれば腹が減り、放課後になれば部活動へ行く。一つの事件が、その後の時間まで全部同じ色へ塗り潰してしまうより、その方がGVには自然だった。
真田がまた机越しに身を乗り出した。
「なあ、それでスイングだけど――」
「やらないよ」
「まだ最後まで言ってない!」
「分かるし」
「何でだよ!」
「昨日からそれしか言ってないから」
そう返したところで、ポケットの中のスマートフォンが震え始めた。GVは真田から視線を外し、表示された名前を見る。
シアン。
「もしもし」
『GV? 今大丈夫?』
声そのものは普段と変わらなかった。ただ、いつもならもう少し早く続くはずの言葉が、一拍だけ遅れている。
「昼休み。どうしたの?」
『今日、放課後空いてる?』
「アメ研あるけど」
横で真田が小さく「スイング」と呟いたが、GVは見もしなかった。
『ちょっと会ってほしい人がいるの』
「誰?」
通信の向こうに短い間が落ちた。
『オウカ』
GVの手が止まる。
「何かあった?」
『友達が一人、帰ってないんだって』
◇
放課後。
駅から少し離れた喫茶店で、オウカはスマートフォンを両手で持っていた。窓の外では学校帰りの学生や買い物帰りの人が行き交い、店内にはコーヒーの匂いと低い話し声が漂っている。隣の席では年配の女性二人が旅行の予定について楽しそうに話していた。
その中で、オウカの前に置かれた紅茶だけがほとんど減っていなかった。
「すみません。急に呼んでしまって」
GVが席へ着くと、オウカは普段と同じように笑った。
「いいよ」
「部活動もあったのでは?」
「顔だけ出してきたから」
その直後、オウカのスマートフォンが点灯する。視線がすぐに落ちたが、表示された通知は求めていた相手からではなかったらしい。指で消し、また画面を伏せる。その動作を、GVが来てからだけでもすでに数回繰り返していた。
正面に座るシアンも、それには気づいている。
「友達って?」
GVが尋ねると、オウカはスマートフォンを開き、メッセージアプリを表示した。
「同じクラスの子です。昨日は普通に学校へ来ていました。放課後も少し話していて……これが最後です」
画面には短い会話が残っていた。
『明日の英語、小テストだっけ?』
『ありますよ。範囲は二十七ページまでだったと思います』
『うわ最悪』
最後には絵文字が一つ。
それだけだった。
特別な内容ではない。明日また同じ教室で会うことを前提に、小テストを嫌がって、教科書の範囲を確認した。そのまま次の日が来るはずだった会話だった。
「家には帰ってない?」
「はい。今朝、学校へご家族から連絡がありました」
「スマホは?」
「繋がりません」
「何か悩んでたとか」
オウカはすぐには答えず、一度目を伏せて記憶を探すように考えた。
「わたしが知る限りでは、特には。昨日も、帰りにコンビニへ寄るって言っていました」
「一人で?」
「はい」
「そこから先が分かんない?」
「……はい」
答えた後、またスマートフォンへ目を落とす。何も来ていない。オウカは紅茶へ手を伸ばし、指先だけをカップへ触れさせたが、結局持ち上げないまま離した。
「警察の方も調べてくださっていますし、ご家族も探しています。だから、わたしが何かしたところで……たぶん、邪魔になるだけなんです」
シアンはすぐには何も言わなかった。オウカの顔と、何度も確認されるスマートフォンを一度ずつ見てから、「でも心配なんでしょ」と静かに言った。
「……はい」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「え?」
「何もできないから、心配しちゃダメってわけでもないし」
シアンは自分の飲み物をストローで一度かき混ぜ、そのまま隣のGVへ視線を向ける。
「わたしだって、GVに何かあって連絡つかなかったら、たぶんずっとスマホ見てると思う。実際、返事遅い時あるし」
「今僕関係ある?」
「あるよ」
「何で?」
「そういうところだから」
返事は早かった。
オウカの口元が少しだけ緩む。ほんの一瞬だったが、先ほどより自然な笑い方だった。
GVはその表情を見てから、もう一度スマートフォンの画面へ目を落とした。
「その子の名前と、最後にいた場所。分かる範囲で教えて」
「GV?」
「探しに行くって決めたわけじゃないよ。警察が調べてるなら、同じことして邪魔してもしょうがないし」
「では……」
「でも、調べられることくらいはあるかも」
それだけだった。
必ず見つけるとは言わない。無事だとも言わない。何も分かっていないのに、安心させるためだけに約束することはできなかった。
オウカはしばらくGVを見ていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……お願いします」
「うん」
GVはスマートフォンを取り出した。
◇
『失踪事件?』
シャオの声が通信越しに返ってくる。
「うん。一件だけじゃないか見てほしい」
『地域は?』
場所を伝えると、向こうで端末を操作する音が続いた。その間、シアンはオウカから友人の服装や帰宅経路を聞いていた。昨日着ていた制服。黒い鞄。普段の帰宅時刻。よく使う駅。寄ると言っていたコンビニ。小さな情報を一つずつ並べていく。
しばらくして、シャオの声が少しだけ変わった。
『……ちょっと待って』
「何かあった?」
『まだ断定しないでね』
「うん」
『近い区域で、似た届け出が他にもある。公開されている範囲なら三件。今回ので四件』
GVの視線が窓の外から戻った。
「いつから?」
『ここ一か月くらい』
「年齢は?」
『十代後半から二十代前半』
同じ地域で、近い年齢。それだけなら偶然でも説明できる。だが、少なくとも調べる理由にはなった。
『フェザー側の記録も見るよ。最後に確認された場所も送って』
「分かった」
通信を切ると、シアンがこちらを見る。
「何かあった?」
「似たのが他にもあるって」
オウカの指が止まった。
「他にも……?」
「まだ同じ事件かは分かんないよ。場所も時間も違うし。今は調べるだけ」
「……はい」
その時、また着信が入った。今度は真田だった。
「何?」
『GV。黒江から聞いた』
「何で黒江が知ってるの」
『お前さっき部室来た時に、“失踪した人の目撃情報探せる?”って聞いただろ』
「ああ」
活動へ参加できないことを伝えに行った時、公開情報の範囲だけで何かないか、と確かに頼んだ。
『今みんなでやってる』
「もう?」
『SNSだけならすぐ見れるだろ。失踪した子の写真、公開していい範囲だけで送れる?』
「オウカに確認する」
『頼む』
通信の向こうから、黒江の「過去記事は俺が見る!」という声が飛び込み、その少し後ろから犬飼の「地図に落とすねえ」というのんびりした声が重なった。最後に、三枝が少し間を置いて『……他の人の最後の目撃場所も分かったら送って』と続ける。
GVは思わず少し黙った。
「みんな、部活は?」
『これも活動だろ』
真田が当然のように返した。
「そうなの?」
『困りごと解決しますって書いたからな』
「まだ続けてたんだ、あれ」
『そこ!?』
ほんの少しだけ、いつもの調子に戻る。GVは小さく笑った。
「分かった。無理しない範囲でお願い」
『現場行ったりしねえよ。公開情報だけ。何かあったら送る』
「ありがとう」
返答は早かった。
少し前までなら、少なくとも真田は「俺らも行く」と言ったかもしれない。だが、旧校舎で彼らは本物の危険を見た。自分たちにできることと、できないこと。その両方を知った。
通信が切れると、シアンが小さく笑った。
「いい友達できたね」
「うるさいけどね」
「そこは否定しないんだ」
「できないし」
オウカも僅かに笑った。今度の笑顔は、少しだけ長く残った。
◇
調べ始めてから一時間ほど経った頃、最初に形になったのは一枚の地図だった。
シャオがフェザー側から確認した失踪届。警察が公開している情報。真田が拾ったSNS上の目撃。黒江が探し出した過去記事。犬飼が整理した道路と施設。三枝が並べた時系列。
確実性の低いものは外した。時間が合わない投稿。同姓同名。別人。噂。無関係な写真。情報が増えるほど、そのまま全部を見るのではなく、違うものを捨てていく必要がある。
最後に残った地点を地図へ置くと、場所そのものはばらばらだった。駅前、住宅街、繁華街、河川敷。失踪者同士に直接の繋がりもない。
GVは画面を拡大し、本人たちがどこへ向かっていたかではなく、最後に確認された後の動きを見た。
「……帰り道」
『うん』
シャオが地図を拡大する。
『全員、最後に確認された後で公共交通を使ってない』
「車かな」
『可能性はある』
そこへ犬飼が整理した周辺道路の情報が重なり、三枝が『この辺、監視カメラあるよ。三件とも近く通ってる』と指摘する。続けて黒江が、一台の同じ車種が映り込んでいることを見つけた。
「ナンバーは?」
『読めない』
真田が答える。
『でも色と型は一緒。珍しい車じゃないけど、時間は三件とも最後の目撃より後』
地図の上で車が通れる道を追う。人目の多い場所を外し、幹線道路を避け、市街地から離れていく。住宅の少ない山際まで来ると、候補になる場所はかなり減った。
その中に一つ、周囲から浮いた建物があった。
『ここ』
シャオが表示を拡大する。
古い洋館だった。周囲に住宅は少なく、現在の居住記録はない。
「空き家?」
『登録上はね』
犬飼が別資料を送ってくる。
『でも、電気使ってる』
「どれくらい?」
『完全な無人ならちょっと変かなってくらい。夜も少しずつ使ってる』
黒江が過去記事を読み上げる。
『元々は個人所有。十年以上前に使われなくなってる。その後、管理会社が何回か変わってるな』
「中に誰かいる?」
『そこまでは分からない』
シャオが答えた直後、通信が少しだけ途切れた。
『……待って』
「何?」
『通信がある』
「通信?」
『外とじゃない。建物の中だけで回ってる』
送られてきた波形は短く、外部へ何かを送るというより、施設内の機器同士が定期的に存在を確認し合っているような通信だった。
「エデン?」
『断定はできない。でも、昨日までに拾った連中の通信規格と近い』
GVはしばらく地図を見た。
「分かった」
その声を聞いて、オウカが椅子から立ち上がった。
「わたしも行きます」
GVとシアンが同時にそちらを見る。
「友達がいるかもしれないんですよね」
「かもしれない」
「だったら――」
「危ないかもしれないよ」
GVは安心させるために危険を小さく見せることなく、そのまま言った。
「エデンがいるなら、戦闘になるかもしれない」
「それでも――」
「オウカ」
シアンが静かに呼んだ。
オウカが振り向くと、シアンは少しだけ言葉を選んでから続けた。
「待ってるの嫌なの、分かるよ。何もできない感じするし」
その言葉には、それ以上の説明が要らなかった。誰かに守られ、待たされ、自分のことなのに自分だけが外へ置かれる。その感覚を、シアンは知っている。
「でも、オウカが一緒に行ったら、GVたぶんオウカのこともずっと気にする」
オウカがGVを見る。
「……する?」
「するよ」
GVが迷わず答えると、オウカは少しだけ困ったような顔になった。
「……ですよね」
「うん」
「即答なんですね」
「だってするし」
そのやり取りで、張っていた肩から少しだけ力が抜けた。
「シアンさんは?」
「わたしも残る。今のモルフォ、まだ本調子じゃないし」
その言葉に反応するように、胸元へごく薄い青白い光が揺れた。
『別に全然動けないってわけじゃないんだけどね』
内側から不満そうなモルフォの声が聞こえたが、シアンは少しだけ眉を動かしただけで取り合わなかった。
「行けるから行く、ってやってたらGVと同じになるし」
「それどういう意味?」
「そのまま」
「ひどくない?」
「自覚ないの?」
「ない」
「知ってる」
いつものやり取りが戻る。
オウカは一度だけ目を伏せ、それから小さく頷いた。
「……分かりました。ここで待ちます」
「うん」
GVも頷いた。
「でも、必ず連絡してください」
「分かった」
「本当に?」
「するよ」
その返事を聞いたシアンが横からGVを見る。
「オウカ。GVの“するよ”は半分くらいに聞いといた方がいいよ」
「そんな信用ない?」
「戦ってると忘れるでしょ」
GVは反論しようとして口を開いたが、いくつか思い当たる場面が浮かんだらしく、そのまま閉じた。
「……」
「ほら」
オウカが今度は少しだけ自然に笑った。
「では、シアンさんから連絡をいただきます」
「何で僕飛ばされたの?」
「実績です」
返事だけは速かった。
◇
日が沈んだ頃、GVは一人で街外れの道を歩いていた。
住宅地を抜けてから街灯は減り、左右には林が続いている。遠くには低い山の黒い輪郭が横たわり、車の音も数分に一度聞こえる程度だった。昼間まで人の多い学校にいたせいか、靴底が舗装路を叩く音まで妙に大きく聞こえる。
『あと四百メートル』
シャオの声を聞きながら木々の隙間へ目を向けると、古い石塀の向こうに大きな洋館の輪郭が見えた。
「見えてる」
建物は二階建てを基本に、一部だけ三階まで伸びている。古い西洋建築を模した外観は長い雨風で色を失い、壁には蔦が這っていた。窓のいくつかは板で塞がれ、遠目には完全な廃墟にしか見えない。
それでも、門の前まで来たGVは建物を見るより先に足元へ目を落とした。
「車、入ってる」
『見える?』
「うん。古いのと新しいのがある」
地面には複数の轍が残っていた。雨で輪郭を失いかけた跡の上に、もっと新しいタイヤ痕が重なっている。次に門を見ると、鉄そのものは赤茶色に錆びているのに、取り付けられた錠前だけが不自然に新しかった。
さらに視線を上げる。
塀の向こうへ伸びた木の枝。その葉の間に、小さな黒い機械が隠されている。
「カメラ。右側の枝の近く」
『……見つけた。回線探す』
「お願い」
GVは正面から離れ、塀沿いに木の影へ移動した。高さは三メートル弱。上部に電気柵はない。少し先には幹の太い木があり、枝も塀の内側まで伸びている。
助走は数歩で足りた。
壁へ片足を置き、そのまま身体を上へ送る。塀の上へ手を掛けることなく反対側へ抜け、伸びた草を踏みながら音を殺して着地した。
手入れされていないように見えた庭にも、人が歩いた跡は残っている。
『シアンも繋がったよ』
通信が切り替わった。
『GV?』
「聞こえてる」
『気をつけてね』
「うん」
返事をした後もシアンは何かを待っていたらしく、通信の向こうに少しだけ間が空いた。
『……それだけ?』
「他に何かある?」
『別に』
少し不満そうな声だった。
GVは洋館の窓を見上げながら、「終わったら連絡する」と付け加えた。
『終わる前にもして』
「できたら」
『そこは“する”って言ってよ』
「戦ってたら無理かもしれないし」
『そういうところだよ』
通信の向こうでオウカが小さく笑った。少なくとも今は、少しだけ落ち着いているらしい。
「入るね」
『うん』
GVは建物へ向かった。
◇
正面玄関には監視装置が多かったため、裏手へ回った。
使用人用だったらしい細い通路の先に、比較的新しい電子錠が取り付けられた扉がある。古い木製扉と電子式の認証装置が並んでいるのは、それだけで少し不自然だった。
『三秒』
シャオが言う。
「十分」
赤かったランプが一度消え、緑へ変わる。小さな解錠音がした。
GVは扉を僅かに開き、すぐには入らなかった。暗い室内へ視線を通し、動くものがないことを確認する。音もない。古い建物にありがちな軋みすら聞こえない。
その代わり、匂いがあった。
『どうしたの?』
シアンが聞く。
「匂い」
『何の?』
「……金属っぽい」
古い埃と湿気の奥に、もっと生々しいものが混じっている。錆びた鉄に似ていて、それより僅かに湿った匂いだった。
血。
そう思ったが、口には出さなかった。
まだ見ていないものまで決めつける必要はない。
中へ入る。
廊下の壁紙は古く、家具もほとんど残っていなかった。床には長く積もった埃がある。ただ、その上にはいくつもの靴跡が通っていた。壁際を這う配線も、建物が作られた当時から存在したものには見えない。新しいケーブルが床際へ固定され、そのまま奥へ延びている。
GVは配線の流れを目で追った。
「下に何かある」
『こっちでも電力線確認した。地下の消費が大きい』
「分かった」
角を曲がろうとしたところで、足を止める。
向こうから足音がした。
一定ではない。
片足だけを僅かに引きずるような歩き方。
しばらくして、薄暗い廊下の先から若い男が現れた。二十歳前後。服は汚れ、顔色も悪い。俯いたまま、こちらに気づいた様子もなく歩いてくる。
「……大丈夫?」
返事はない。
GVは相手の顔が見える位置まで一歩だけ近づいた。
「聞こえる?」
その声に反応したのか、男が顔を上げた。
瞳の焦点が合っていない。
次の瞬間には、走っていた。
助走もなく一気に距離を詰め、両腕を前へ伸ばす。GVは右足を引いて身体を半身にし、肩の横を通り抜けた腕をかわした。そのまま横を抜ける相手へダートを向ける。
照準は胸へ重なった。
そこで指が止まった。
男の首筋。
脈がある。
「生きてる」
『え?』
「この人、生きてる」
言い終える前に、背後で靴底が床を鳴らした。
男がもう一度こちらへ向かってくる。
今度は正面から。
GVは二歩下がった。ただ距離を取るのではなく、その間に左右の壁と、廊下へ残された家具の位置を見る。倒れた椅子。重い棚。壁際の柱。それぞれが、相手を傷つけずに動きを止めるための支点になる。
一発目のダートを床へ。
二発目を壁へ。
三発目を柱へ撃ち込む。
蒼い雷が三つの支点を繋いだ。
男の身体へ直接張るのではなく、倒れた椅子と棚を雷糸で引き、走れる空間そのものを狭くしていく。
男は構わず突っ込んでくる。
GVはさらに一歩だけ後ろへ下がり、相手が椅子と棚の間へ入った瞬間、最後の線を閉じた。
棚が床を擦り、椅子が横へ滑る。人一人が暴れても抜けにくい幅まで隙間が狭まり、男の身体が家具の手前で止まった。
雷糸には触れさせていない。
男はなお腕を伸ばし、棚を押し退けようとする。力は強いが、そこに自分の身体を守ろうとする動きがない。
『……拘束した?』
シアンが聞いた。
「うん。怪我はたぶんない」
『“たぶん”じゃなくて見て』
「今見る」
GVは相手の手が届かない位置まで近づき、もう一度身体を見る。腕には細かな傷があり、手首には何かで長時間固定されていたような赤い痕が残っている。
「聞こえる?」
呼びかけても返事はない。
『顔、見せて』
シャオの指示に合わせて少し位置を変える。
数秒後。
『……一致した。二件目の失踪者だ』
GVの目が僅かに細くなった。
少なくとも一人は、ここへ連れてこられている。
その時。
廊下の奥から、また足音が聞こえた。
一人ではない。
三人。
やがて暗がりから現れた人影は、最初の男と同じように焦点の合わない目でこちらを見た。動きも似ている。呼吸はある。全員、生きている。
「……面倒だな」
『GV』
シアンの声に、GVはダートを持ち直した。
「分かってる。撃たないよ」
今度は最初から人間へ照準を向けない。
天井。
床。
壁。
階段の手すり。
使える場所へ順番にダートを置いていく。蒼い線が廊下を横断し、斜めに交差し、そこへ残された家具や柱を繋いでいった。
最初の男が走る。
GVは姿勢を低くし、振るわれた腕の下へ身体を滑らせた。すれ違いざまに肩へ手を当て、正面から止めるのではなく進行方向だけを横へずらす。押された男が家具で作った狭い空間へ入ったところで、背後の雷糸を閉じた。
二人目は横から来た。
壁へ一歩。
蹴る。
身体を浮かせ、相手の頭上を越える。そのまま着地しながら床へダートを撃つ。ただし男の足元ではない。次に走ろうとする場所へ先に支点を置き、相手がそちらへ向きを変える前に通路を狭める。
三人目は正面。
GVは後ろへ跳ばず右へ切った。
相手も追ってくる。
そこにはすでに一本の蒼い線が張ってある。
直接触れれば危険だ。
相手がそこへ届く前に、別の支点を使って横の家具を引き出し、身体ごと進路を塞ぐ。
一人。
また一人。
廊下そのものが少しずつ蒼い蜘蛛の巣へ変わっていく。
『……この前みんなに見せた時と、全然使い方違うね』
通信越しのシアンが言った。
GVは一人の腕をかわし、相手の勢いを利用して拘束区画へ押し込みながら答える。
「実戦だからね」
『そういう意味じゃないよ』
「?」
『いい。後で』
シアンはそれ以上続けなかった。
最後の一人を家具と雷糸の間へ収める。
全員生きている。
大きな外傷もない。
ただし。
誰一人として意識は戻らなかった。
GVは数秒だけ呼吸を整え、拘束が外れないことを確認してから奥へ視線を向けた。
「地下行く」
『気をつけて』
「うん」
◇
階段を降りるほど、空気の質が変わった。
上階に残っていた古い建物特有の湿気と埃の匂いが薄れ、代わりに消毒液と機械油、それに冷えた金属の匂いが濃くなる。壁も途中から古い煉瓦ではなく打ちっぱなしのコンクリートへ変わり、照明も明らかに後から設置された新しいものだった。
洋館の地下へ、別の施設が埋め込まれている。
廊下の先に電子ロック付きの扉が見えた。
ただし。
開いている。
「誘ってる?」
『可能性はある。ここまで侵入されて気づいてないとは思えない』
シャオの言葉に、GVも同じことを考えていた。
「だよね」
だからといって。
ここで戻る理由にもならない。
扉を越える。
その先にあった広い部屋を見た瞬間、GVの足が止まった。
簡易ベッドが並んでいる。
十台近い。
そのすべてに人間が寝かされ、手足には拘束具が取り付けられていた。腕や胸元から伸びた端子がケーブルを通して部屋中央の大型装置へ繋がっている。
GVの視線は、その装置へは向かわなかった。
最初に人を見る。
一人目。
胸が上下している。
二人目。
呼吸がある。
三人目。
首筋へ僅かな脈動。
「……みんな生きてる」
『GV?』
「人がいる。十人くらい」
それを確認してから、ようやく中央へ目を向ける。
大型装置。
ベッドから伸びたケーブルは、すべてそこへ集まっている。
そして。
中心に。
蒼い光。
『……ミラーピース』
それまで黙っていたモルフォの声が、シアンの内側から低く響いた。
『間違いない』
GVは一歩だけ近づいた。
「一個ある」
『周辺機器見せて』
シャオの指示に合わせ、端末を装置へ向ける。表示された数値や配線を読み取る時間がしばらく続いた。
『……これ、生体反応と繋がってる』
「何してるの?」
『人間側から何か引っ張ってる。たぶん生命活動に関係するエネルギー。でも詳しい仕組みはまだ分かんない』
GVは装置から視線を外した。
「オウカの友達」
『探す』
端末のカメラが一人ずつ顔を拾っていく。
一人目。
違う。
二人目。
違う。
さらに奥。
『いた』
GVがすぐにそちらへ向いた。
奥側のベッド。
高校生くらいの少女。
オウカから受け取った写真と同じ顔だった。
ただし。
血色が悪い。
目は閉じている。
「生きてる?」
『生きてる。反応は弱いけど安定してる』
即答だった。
その言葉が届いた瞬間、GVの肩からほんの僅かに力が抜ける。
通信の向こうでも、シアンが息を吐いた。
『……よかった』
「うん」
GVはベッドへ近づき、まず拘束具の構造を見る。無理に外せば何かへ連動する可能性もある。固定部。ケーブル。ロック。順番に視線を走らせていたところで。
「勝手に入ってきて、人ん家で何してんだよ」
背後から声がした。
GVが振り向く。
入口に、一人の少女が立っていた。
小柄だった。
GVより明らかに背が低い。
体格も細い。
最初の一瞬だけなら、拘束されていた人間の中から抜け出してきた一人に見えた。
「君も捕まって――」
「……あ?」
少女の眉が動いた。
『GV』
通信の向こうからシアンが呼ぶ。
「何?」
『たぶん、それ以上言わない方がいいよ』
「何で?」
遅かった。
金属が鳴った。
一箇所ではない。
床。
壁。
ベッドの拘束具。
配管。
部屋の至るところから、細かな振動音が一斉に立ち上がる。
『能力反応! 高出力!』
シャオが照合を走らせる。
『《メタリカ》――G7、ジブリール!』
少女は笑った。
「誰が捕まってるって?」
GVはダートを下げなかった。
「……エデン?」
「だから?」
ジブリールが一歩を踏み出す。
その動きに呼応して、床や壁から細い金属片が引き剥がされ、彼女の方へ集まり始めた。
「テメェさ。勝手に入って、勝手にオレの玩具触って」
鉄が脚へ絡みつき、膝を覆い、腰から腹部へせり上がる。続いて胸、肩、両腕。小さな身体には不釣り合いなほど分厚い外殻が、音を立てながら一つずつ噛み合っていく。
最後に頭部まで鋼鉄が覆う。
装甲の奥。
目だけが笑っていた。
「しかもチビ扱いしやがったよな?」
「そこ?」
「そこだよ!!」
鋼鉄に覆われた足が床へ落ちる。
重い音とともに、コンクリートへ細かな亀裂が走った。
GVはジブリールから目を離さないまま、背後の人質との距離だけを確認した。
十人近い。
すぐ近くには大型装置。
中央にはミラーピース。
地下室そのものも広くはない。
いつものように雷撃を広げれば。
巻き込む。
なら。
別のやり方をする。
ジブリールそのものではなく、壁、天井、柱、床。視界に入る固定物の位置を順番に拾う。
ダートを上げる。
照準は敵へ向かない。
一発目。
ジブリールの背後の壁。
乾いた音とともに刺さり、蒼い火花が散る。
ジブリールの笑みが一瞬止まった。
「……あ?」
二発目は天井。
三発目は柱。
空間へ支点を置いていく。
ジブリールはその意図が分からないまま、むしろ楽しそうに口元を吊り上げ、鋼鉄の腕をゆっくり持ち上げた。
「何だよ。やる気あんじゃねぇか」
「別に」
GVは最後にもう一度、背後の人々と自分の位置を確認した。
「遊びに来たわけじゃないんだけど」
蒼い雷が最初の二点を繋ぐ。
暗い地下室の中へ、細い光が一本だけ張られた。
ジブリールが踏み込む。
重い足音が床を鳴らす。
「だったら――」
鋼鉄の腕が大きく振り上がった。
「死ぬまで付き合えよ、ガンヴォルト!!」
第五話「月下 ―ビースト―」後編
ジブリールの右腕が振り下ろされた。
装甲そのものが肥大化したような鋼鉄の拳は、正面から受け止めるには大きすぎる。GVは踏み込んでくる足の向きと、振り下ろす直前に沈んだ肩を見た時点で身体を左へ逃がした。
直後、鋼鉄の拳が床を叩いた。
地下室全体へ低い振動が走り、殴りつけられたコンクリートが放射状に割れる。細かな破片が足元を跳ね、簡易ベッドの金属フレームまでわずかに震えた。
速さがないわけではない。ただ、人間一人を殴る動作に、周囲までまとめて壊すだけの質量が乗っている。
GVは距離を取りながら、先ほど撃ち込んだ三本のダートへ一度ずつ視線を走らせた。壁、天井、柱。まだ足りない。
人質の並ぶベッドから離れた右側の床へ一発。続けて、反対側の壁へもう一発。ジブリール本人を撃つより先に、自分が動ける場所と、相手を動かせる場所を増やしていく。
「さっきから何やってんだよ!」
ジブリールが床を蹴った。
重装甲の見た目に反して踏み込みは速く、一息で間合いを潰してくる。GVは正面から後退せず、横薙ぎに振られた鋼鉄の腕が来る方向へ逆に身体を低くした。拳の内側へ潜り、そのまま脇を抜けて背後へ回ろうとする。
その瞬間、ジブリールの背中側から小さな鋼板が数枚剥がれ、空中で薄い刃へ変形した。
「後ろ取ったくらいで調子乗んな!」
刃が一斉に射出される。
GVは足を止めない。一枚目は肩を沈めて外し、二枚目が腰の高さへ届く直前に床すれすれまで姿勢を落とす。三枚目だけは、そのまま避ければ背後のベッドへ飛ぶ角度だった。
左の壁へダートを撃つ。
すでに天井へ置いてあった支点との間に蒼い線が走り、その途中へ引っ掛けていた古い鉄枠が横へ引かれた。飛んできた刃は鉄枠へ突き刺さり、軌道を変えて床へ落ちる。
『人質側には行ってない!』
シャオの確認を聞きながらも、GVの視線はすでにジブリールへ戻っていた。
「うん」
「よそ見してんなよ!」
ジブリールが両腕を開いた。
それに呼応するように、壁の補強材や床へ埋め込まれたレール、装置の外装から細かな鉄片が引き剥がされ、彼女の頭上へ集まり始める。金属は空中で組み上がり、左右から閉じる巨大な鋼鉄の処刑具へ姿を変えた。
『GV、上!』
シアンの声と同時に、頭上から巨大な鋼板が落ちてくる。
上へ逃げれば挟まれる。
GVは逆に前へ踏み込み、閉じてくる二枚の鋼板のわずかな隙間へ身体を滑り込ませた。最後の一歩だけ横へ切った直後、背中のすぐ後ろで鋼板同士が噛み合い、鈍い金属音が地下室へ響く。
その場には残らない。
正面の壁へ走り、床を蹴って靴底を垂直面へ置く。そのまま重力へ逆らうように数歩駆け上がった。
「チョロチョロと――!」
ジブリールが苛立ったように腕を振る。
床へ広がっていた赤黒い液体が細い筋となって持ち上がり、それぞれが金属製の円盤へ絡みついた。高速で回転を始めた丸鋸が三枚、壁を走るGVへ向けて放たれる。
一枚目を、GVは壁を蹴って身体ごと外した。丸鋸が直前まで足のあった場所を削り、火花と壁片を撒き散らす。
二枚目は空中へ追ってきた。
逃げる足場はない。GVは天井へ新しいダートを撃ち込み、すでに壁へ置いていた支点との間へ雷糸を通した。瞬間的に張力を上げ、自分の身体を横へ引かせる。
丸鋸が靴底の数センチ下を通過した。
三枚目は、その移動先へ重なるように飛んでくる。
GVは丸鋸そのものを撃たず、横の柱へダートを一発、続けて床へもう一発撃ち込んだ。既存の線へ繋いで新しい三角形を空間へ作る。
ジブリールが操る丸鋸は、GVだけでなく背後の人質や装置を避けなければならない。攻撃に使える角度は自然と狭くなる。
GVはその狭さを利用した。
柱へ一度足を掛け、そこから壁へ蹴り移る。着地する場所を変えるたび、床、天井、壁へダートが増えていく。
最初はただの点だった支点が線になり、線が交差し、地下室の中へ少しずつ蒼い網を作っていった。
ジブリールの目が細くなる。
「……テメェ、オレじゃなくて部屋撃ってんのか?」
GVは右側の壁へもう一発撃ち込みながら答えた。
「やっと気づいた?」
「ナメやがって!」
足元の赤黒い液体が一斉に広がった。
床を這う細い筋がGVの着地点へ回り込み、踏み込める場所を次々に消していく。液体そのものが拘束具になるのか、そこからまた刃を作るつもりなのかは分からない。
GVは一度だけ足を止めた。
迷ったからではない。
床へ広がる液体、人質との距離、ジブリールの位置、自分が張った雷糸を短い時間で重ねて見る。
左側。三メートルほど先。柱の根元だけ、まだ赤黒い液体が届いていない。
GVがそこへ走る。
「そこだ!」
ジブリールが腕を振り、床を這っていた液体が進路へ跳ね上がった。
GVは速度を落とさず、最後の一歩で柱へ踏み込む。壁面を蹴って身体を反転させ、今来た方向へそのまま折り返した。
「なっ――」
ジブリールの攻撃だけが先へ流れる。
GVは反転した勢いを殺さず、そのままジブリールの左側へ回り込んだ。
近距離。
初めてダートを彼女自身へ向ける。
一発目は装甲表面。
雷撃は強くない。金属を焼く程度だ。
ジブリールが腕を振ってGVを追い払おうとした時には、もう低く潜って足元を抜けている。
二発目は装甲の関節へ。
表面で蒼い火花が弾ける。
GVは追撃せず、すぐ距離を取った。
「逃げてばっかじゃねぇか!」
「人いるからね」
GVが一度だけ、背後へ並ぶベッドを見る。
ジブリールもつられて視線を動かした。
「それが?」
「巻き込みたくない」
ジブリールが鼻で笑う。
「無能力者なんざ、何人潰れようが知ったことかよ」
GVの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
ジブリールはそれを見逃さない。
「何だよ、その顔。気に食わねぇ?」
「うん」
GVは否定しなかった。
「その人たち、君に何したの?」
ジブリールの笑みが少し薄れる。
「無能力者だろうが」
「それじゃ分かんない」
「は?」
「この人たちが君に何したのって聞いてる」
ジブリールの目が細くなった。
「同じだろ」
「違うよ」
「何が違う!」
声が一段大きくなる。
「能力持ってねぇだけで、こっちを怖がって、閉じ込めて、使える時だけ使って! 散々好き勝手やってきた連中だろうが!」
GVはすぐには返さなかった。
言われたこと全部を否定できるほど、彼女の過去を知らない。
ただ。
今ここにいる人たちは見える。
ベッドへ繋がれ、意識もなく横たわっている。
「……この人たちは?」
「あ?」
「その中に入ってたの?」
ジブリールの口が止まった。
「僕は知らない」
GVはダートを構え直した。
「だから、今見えてる方を見る」
「……気持ち悪ぃな」
「よく言われる」
ジブリールの表情が歪んだ。
「だったら――もっと近くで見せてやるよ!」
重装甲の接合部が一斉に外れ、鋼鉄の外殻が弾けるように周囲へ散った。その内側から、細い身体が飛び出す。
『装甲解除!?』
シャオの声が飛ぶ。
違う。
捨てた。
大きな装甲で得ていた重さを、自分から切り離した。
ジブリールの足が床へ触れた、その次の瞬間。
姿が消えた。
「っ」
右だと判断した時には、もう横へいる。
蹴りを腕で受ける。
衝撃が肩から身体全体へ抜け、GVは数メートル横へ押し流された。靴底で床を擦りながら姿勢を戻すより先に、ジブリールがまた視界から消える。
『速い!』
ビーストモード。
先ほどまでの重さを捨て、速度へ全てを振ったような戦い方だった。
今度は真正面。
低い。
獣が獲物へ飛び掛かるような姿勢で一直線に来る。
GVも重心を落とした。
逃げない。
すれ違う。
爪が頬の横を通り、GVはその下へ潜る。二人が互いの肩を擦るほど近い距離ですれ違い、同時に切り返した。
GVが振り向きざまにダートを撃つ。
ジブリールもすでに横へ飛んでいる。
弾丸が床へ火花を散らした。
そこから、ジブリールの軌道が一気に立体化した。
床から壁へ。壁から天井へ。天井から柱へ。一度跳ぶたび別方向へ軌道を変え、同じ小柄な輪郭が視界のあちこちへ残像として残る。
一体。
二体。
三体。
目だけで追えば、どれが本物か分からない。
『GV、上!』
シアンの声が飛んだ。
GVは上を見なかった。
代わりに、自分が張った雷糸を見る。
左上。
一本だけ、僅かに震えた。
そこを金属が通った。
GVは振り向かずにダートを撃つ。
「ッ!?」
残像の一つが崩れる。
本体だったジブリールが天井近くで身体を捻り、ぎりぎりで射線を外した。
「何で分かった!」
「触ったから」
「何に!」
「僕の糸」
ジブリールが周囲を見る。
壁、柱、床、天井。気づけば地下室のあちこちへ、細い蒼い線が何層にも張り巡らされていた。
直接触れただけで敵を倒すような高出力にはしていない。
それでも、高速で走れば空気が揺れる。金属を操れば電位が変わる。近くを通れば糸が震える。
ジブリールの速さそのものが、GVへ自分の位置を伝えていた。
「……クソ蜘蛛が」
「褒めてる?」
「死ね!」
ジブリールがさらに加速する。
床を蹴り、壁へ。そこから天井へ飛び、柱へ跳ねる。残像と爪撃が複数方向から重なり、視界だけを頼れば一瞬で置いていかれる。
GVは全部を目で追わない。
右上の糸が震えれば身体を沈め、頭上を爪に通らせる。左下の電位が変われば壁へ一歩踏み、そのまま蹴って足元へ飛び込んでくる身体を外す。背後から風圧を感じれば、振り向く代わりに肘を出す。
「ぐっ!」
当たった。
ジブリールの身体が少しだけ崩れる。
GVは追わなかった。
代わりに、空いた壁へ新しいダートを撃つ。
「またそれかよ!」
「うん」
「いい加減オレを見ろ!」
「見てるよ」
ジブリールが壁を蹴り、正面から飛び込んできた。
GVも前へ出る。
爪が振られる。
左腕で外へ流す。
胴が空く。
そこへは撃たない。
その向こうの壁へ、一発。
ジブリールの目が見開かれる。
「テメェ――」
蒼雷が走り、新しい線が閉じた。
ジブリールが後ろへ跳ぶ。
そこにも線がある。
左へ切れば別の線。
右には柱。
上には天井から垂れる蒼い糸。
逃げ道は一つだけ残っている。
ジブリールはそこへ走る。
自分で選んだつもりで。
GVが最初から残していた通路へ。
その身体が最後の空間へ入った瞬間。
「閉じるよ」
GVが床へ最後のダートを撃った。
蒼い雷が支点から支点へ走り、壁、床、天井、柱を繋いでいく。
立体的な蜘蛛の巣が完成した。
ジブリールが横へ跳ぶ。
そこには線。
上へ逃げようとしても線。
下は床へ張った網。
背後には柱へ渡した雷糸。
高速で動くほど、行ける方向が減っていく。
「こんなもん――!」
ジブリールが《メタリカ》を使った。
周囲の鉄片を引き寄せ、雷糸を切ろうとする。
しかし金属が動いた瞬間、別方向から張られた雷糸がそれを引く。別の金属を動かせば、今度は違う支点が反応する。
ジブリール自身が動かした金属同士が、互いの進路を邪魔し始めた。
「なっ……」
「君、金属動かせるから」
GVは支点の位置を見ながら言った。
「全部繋げた」
「ふざけ――」
蒼い線が一斉に張力を増す。
ジブリール本人を焼くのではなく、周囲の金属を絡め、どこかを動かせば別方向から抵抗が返るようにする。
完全に足が止まった。
ジブリールの目が見開かれる。
その直後。
「……ハ」
笑った。
肩を揺らしながら、逃げられない状況そのものを楽しむように。
「ハハ……!」
GVが眉を寄せる。
「何で笑ってるの」
「知らねぇよ」
呼吸は荒い。
それでも、ジブリールは笑っている。
「もっとやれよ」
「何?」
「もっと強くしろ!」
GVは一瞬だけ困ったような顔になった。
「嫌だよ」
「……は?」
「もう動けないでしょ」
「だから何だ!」
ジブリールの声が急に低くなる。
「終わってねぇ」
周囲の金属が再び震え始めた。
さっきまでとは違う。
《メタリカ》の反応だけではない。
ジブリール自身から放たれる出力が上がっている。
同時に、生命反応が落ちていた。
『GV!』
シャオの声が鋭くなる。
『出力上昇に対して生命反応が落ちてる! あれ、本人を燃料にしてる!』
シアンもすぐに異変へ気づいた。
『GV、あの子の反応……どんどん弱くなってる。このまま続けたら危ないよ』
「分かってる」
ジブリールを中心に、さらに大量の金属が引き寄せられていく。壁の補強材、床のレール、天井の配管、周辺設備の外装までが引き剥がされ、鋭い外殻となって細い身体へ重なった。
先ほどまでのどの形態よりも、輪郭が低く、鋭く、獣じみている。
クライシスビースト。
強くなるほど、本人の命が削れていく。
「来いよ」
ジブリールが笑った。
「最後まで付き合え!」
GVは少しだけ眉を下げる。
「嫌だよ」
「アァ!?」
「君、それ続けたら死ぬでしょ」
「だから何だ!」
「僕が困る」
ジブリールの表情が止まった。
「……は?」
「止めに来た相手が勝手に死んだら、寝覚め悪いし」
「テメェ……」
怒鳴るのかと思った。
だが、ジブリールの顔は別の理由で歪んだ。
「……マジで気持ち悪ぃな」
「それ、さっきも聞いた」
「うるせぇ!!」
ジブリールが両腕を大きく開く。
地下室全体の金属が一斉に鳴った。
壁から鋼板が剥がれ、床から金属製の柱が伸び、天井から刃の基部が降りる。それらがGVとジブリールのいる区画を取り囲み、巨大な処刑檻へ組み上がっていった。
人質たちのいる場所までは覆っていない。
狙っているのは、あくまでGV一人。
そのことだけは、まだジブリール自身が制御している。
最後の鋼板が噛み合う直前、ジブリールが両腕を広げたまま口元を大きく吊り上げた。
「始めるぜ…!」
次の瞬間、鋼鉄の檻が完全に閉じた。
「《IRON MAIDEN》!!」
叫びと同時に、檻の内側から無数の長大な刃が突き出した。
『GV!』
シアンの声が通信へ響く。
正面から一本。
右壁から二本。
床からはGVの足元を狙って斜めに刃が伸び、頭上からも遅れて一本が落ちてくる。
GVは最初の一撃だけを横へ外し、二本目の刃へ足を掛けた。刃そのものが次の瞬間には引っ込むと分かっているため、その上に留まらず、踏み台として身体を上へ送る。頭上から落ちてきた刃の横を抜け、壁際へ着地する。
そこへ新しい刃が横から来る。
低く潜る。
しかし、その先にも別の刃。
逃げられる場所が少しずつ削られていく。
力任せに檻を破壊すれば簡単かもしれない。
だが砕けた金属がどこへ飛ぶか分からない。
すぐ外には人質がいる。
なら、壊さない。
GVは回避しながら、視線だけを周囲へ走らせた。
壁。
柱。
床。
天井。
ここまで撃ち込んできたダートが、まだほとんど残っている。
そして目の前には、ジブリール自身が作った巨大な金属の檻。
これ以上ないほど、大きな支点だった。
「……使える」
『何が?』
シアンの声へ答える代わりに、GVは右手を上げた。
ジブリールが檻の中心で笑う。
「何する気だよ!」
「捕まえる」
「誰を!」
GVの視線はジブリール本人ではなく、その周囲を覆う巨大な檻へ向いていた。
「それ」
ジブリールの笑みが、一瞬だけ消えた。
「迸れ――蒼き雷霆!」
地下室へ撃ち込まれていたダートが一斉に青白く発光した。
壁、柱、床、天井。
それぞれの支点から蒼雷が走り、巨大な《IRON MAIDEN》の外壁へ絡みついていく。
「逃げ道を編め――絡め取れ!」
ジブリールが右側の刃を動かす。
その金属が動いた瞬間、反対側から伸びた雷糸が張る。
左の刃を出せば、上部へ渡された別の線が引っ張る。
床から伸ばそうとした刃も、柱へ固定された雷糸に軌道を奪われた。
ジブリール自身が《メタリカ》で金属を動かせば動かすほど、檻全体に組まれた力の均衡が別方向へ返ってくる。
「VOLTIC WEB STRINGER!!」
地下室が一瞬、蒼一色へ染まった。
処刑具として組み上げられた巨大な檻そのものが、今度は蒼雷の蜘蛛の巣へ絡め取られ、空間へ縫い止められる。
「な――」
ジブリールが腕を振る。
刃を動かそうとする。
数センチだけ動く。
だが、その動きに応じて別方向から線が張り、元の位置へ引き戻した。
別の刃。
同じ。
動かすほど、他の部位が抵抗する。
「動けよ!!」
ジブリールがさらに出力を上げた。
その瞬間、シャオの警告表示が跳ねる。
『GV! 生命反応また落ちた!』
「分かってる!」
GVはそこで初めて、自分から檻の中心へ走った。
張り巡らせた蒼い網のどこに隙間があるかは、自分が一番よく分かっている。
一本目を飛び越え、そのまま着地せず、壁へ靴底を当てて角度を変える。二本目の下を身体を丸めて抜け、停止した刃の側面へ一度だけ手を置いて勢いを殺す。
ジブリールまで、あと数メートル。
「来んな!」
爪が横薙ぎに振られる。
GVはその下へ低く潜った。
懐へ入る。
撃つ。
ただし、ジブリールの身体ではない。
胸部装甲の接続部へ一発。
続けて肩。
腰。
三つのダートが、それぞれ装甲の形成を維持している金属の継ぎ目へ食い込んだ。
GVはそこへ雷を流す。
高出力で焼き切るのではなく、金属同士の接続だけを一瞬ずらす程度に。
胸部の外殻が浮く。
肩の鋼板が外れる。
腰回りの装甲がずれたことで、《メタリカ》の形成そのものが連鎖的に崩れ始めた。
「ッ――!」
ジブリールが息を詰める。
維持されていたクライシスビーストの輪郭が大きく歪み、全身を覆っていた金属が次々に剥がれ落ちる。
同時に、《IRON MAIDEN》も形を保てなくなった。
周囲へ張っていた蒼雷の拘束を維持したまま、GVは檻の崩れる方向を外側へ逃がしていく。人質側へ倒れそうな鋼板だけを別の支点で引き、床へ落ちる刃の位置を一つずつずらした。
轟音とともに大量の金属が床へ落ちる。
その中心で、ジブリールの小さな身体だけが支えを失った。
膝が折れる。
GVはダートを下ろし、落下する身体へ腕を伸ばした。
思っていたより軽かった。
先ほどまで巨大な鋼鉄を纏っていたのが嘘のように、腕の中へ収まった身体にはほとんど重さがない。
ジブリールは意識を失ってはいなかった。
呼吸は浅い。
それでも、目だけはまだGVを睨んでいた。
「……離せ」
「立てる?」
「離せっつってんだよ」
「立てないね」
「殺すぞ……」
「元気そうでよかった」
「テメェ……」
GVはそのまま床へ下ろすのではなく、壁まで数歩運び、背中を預けられるようにして座らせた。
ジブリールは一度大きく息を吐いた。
苦しそうだった。
それでも、口元にはまだ僅かに笑いが残っている。
「……殺せよ」
「やだ」
「敵だぞ」
「うん」
「人攫って、こんなとこに繋いで、テメェも殺そうとした」
「そうだね」
「だったら――」
「だから止めた」
GVはそれ以上、何も言わなかった。
ジブリールがしばらく彼を睨む。
「……気持ち悪ぃ」
「三回目だよ」
ジブリールは顔を背けた。
◇
戦闘が終わっても、やることは残っていた。
GVは立ち上がると、最初に人質の方へ目を向けた。戦闘中も直接被害が及ばないよう位置を取り続けていたが、改めて全員の生命反応を確認する。
「シャオ。装置止められる?」
『いける。戦闘で一部壊れたけど、生命維持側はまだ生きてる』
「外して大丈夫?」
『待って。順番に切る。勝手に抜くと負荷がどっちへ行くか分かんない』
「分かった」
GVは端末を中央装置へ向けたまま、シャオの指示に従って一つずつ系統を落としていく。
ベッド脇の表示が変わる。
一人目。
安定。
二人目。
安定。
三人目。
問題なし。
最後の系統が切れたところで、装置中央に固定されていたミラーピースの光が少しだけ弱くなった。
『GV』
モルフォの声。
『あれ』
「うん」
GVはすぐに手を伸ばさず、まず固定部を見る。電源が落ちたことを確認してから、ロックを外し、慎重に一片を取り出した。
触れた瞬間。
蒼い光が一度だけ強く脈打った。
『……っ』
「シアン?」
『大丈夫。ちょっとびっくりしただけ』
通信の向こうで、青白い光がシアンの胸元から広がる。
これまで輪郭も不安定だったモルフォが、ほんの数秒だけ以前に近い大きさまで姿を現した。
完全ではない。
まだ薄い。
それでも。
明らかに戻っている。
『……ちょっとだけだけど』
モルフォ自身が両手を見ながら呟いた。
シアンも、その姿を見て小さく笑う。
『うん』
GVも手の中のミラーピースを見る。
「よかった」
それだけ言って、すぐ人質の方へ戻った。
◇
その夜。
洋館の前には救急車と警察車両の光が何度も行き交った。
失踪していた人々は一人ずつ担架へ乗せられ、順番に病院へ運ばれていく。
オウカの友人も生きていた。
衰弱は強い。
それでも、命に別状はない。
その報告をシアンから受け取ったオウカは、しばらく何も言えなかった。
スマートフォンを両手で握り、その画面を見たまま立ち尽くす。
やがて。
「……よかった」
それだけが出た。
シアンは隣で、静かに頷いた。
◇
翌日。
病院の廊下。
オウカはガラス越しに、眠る友人を見ていた。
点滴。
モニター。
一定の電子音。
顔色は昨日より少し戻っている。
GVとシアンは、少し離れた場所に立っていた。
しばらくして、オウカが振り返る。
「……ありがとうございます」
GVは少しだけ首を傾けた。
「僕だけじゃないよ」
オウカが彼を見る。
「シャオも、フェザーも調べてくれたし」
そこで少し考える。
「黒江たちも」
シアンが笑った。
「そこ入れるんだ」
「かなり助かったよ」
公開情報。
地図。
目撃情報。
どれも一つだけなら小さいものだった。
それでも、繋げれば場所へ辿り着けた。
オウカは少しだけ目を伏せた。
「それでも」
もう一度GVを見る。
「GVが行ってくれて、よかったです」
GVは一拍だけ黙った。
「そっか」
それだけ。
隣にいたシアンが少しだけ頬を膨らませた。
「そこはわたしも」
「何が?」
「何でもない」
「?」
オウカが小さく笑った。
病室の中では、昨日途切れたはずの日常が眠っている。
小テスト。
教科書。
コンビニ。
何でもない会話。
それらはまた、目を覚ませば続けられる。
◇
別の場所。
薄暗い部屋で、ジブリールはベッドへ横たわっていた。
胸と腕には包帯が巻かれ、生命反応は安定している。
眠る気はないらしい。
開いた目で天井を睨み続けている。
目を閉じれば、すぐ浮かんだ。
蒼い蜘蛛の巣。
動かなくなった鋼鉄。
崩れた装甲。
落ちた身体。
最後に。
受け止められた感触。
「……クソが」
小さく吐き捨てる。
殺せと言った。
殺さなかった。
敵だと言った。
だから止めた、と返された。
「……気持ち悪ぃんだよ」
もう一度吐き捨てても、記憶は消えなかった。
ジブリールは舌打ちし、腕で目元を覆う。
しばらくして。
口元だけが僅かに吊り上がった。
「次は……絶対、泣かす」
誰へ言ったのか。
返事はなかった。
やれやれ。
皇神の代表っていうのは、もう少し楽な仕事だと思ってたんだけどね。
国のことなら考えられる。
制度のことも、能力者のことも。
でも――目の前の一人に、何を言えばいいのか。
案外、そういうことの方が難しいらしい。
それでガンヴォルトに相談したら、
「じゃあ、アメ研来る?」
……どうしてそうなるんだい?
しかもキミたち。
超ウルトラスーパーギガンティックギャラクシー皇神代表って毎回フルで言うの、そろそろやめてくれないかな。
くどいよ、ガンヴォルト。
くどいよ、シアン。
次回。
第六話「それいけ!我らのシデトラマン!」
ボクは別に、入部するとは言ってないからね?
……次回も、グッドラック!