『隣人GV ―もしもスパイディの影響を受けたGVなら―』 作:幸田市
鋼鉄の巨拳が、地を叩いた。
それだけで、世界が揺れた。
数十トンを超える鉄塊が落下した衝撃は、床を構成する分厚いコンクリートを易々と粉砕し、その下に眠っていた鉄骨を飴細工のように捻じ曲げた。衝撃は床から柱へ、柱から壁へ、そして天井へと伝わり、長い年月をかけて積もった錆と埃を一斉に降らせる。
廃棄処理施設そのものが、巨大な鐘になったかのようだった。
ただし、そこから響くのは澄んだ音色などではない。
金属が裂け、コンクリートが砕け、建物の骨格が限界を訴える、あまりにも醜悪な不協和音。
その中心を、一筋の白い閃光が走り抜けた。
「――ッ!」
アキュラは崩れかけた床を蹴り、脚部ブリッツを噴かした。
巨拳の直撃こそ免れたものの、衝撃によって巻き上げられた破片までは避けきれない。拳が生み出した風圧に細かなコンクリート片が混ざり、散弾となって白銀の装甲を打ちつける。
肩に衝撃。
続いて脇腹。
先ほどガレトクローネとの戦闘で傷めた箇所を、まるで狙いすましたように痛みが貫いた。
「……ぐッ!」
着地しようとした足が、僅かに滑る。
アキュラは反射的に壁面へ向けてブリッツを噴かし、接触の反動を利用して姿勢を立て直した。背後では、巨大な拳が床から持ち上がり、砕かれた瓦礫が滝のように落下している。
グラントルタ。
先ほどまで相手にしていたガレトクローネを中核とし、膨大な廃材によって構築された巨大兵器。
大型重機の腕。
破砕機の装甲。
建築用の鉄骨。
用途も規格も異なる無数の部品が、不格好な人型を成している。
それだけを聞けば、子供が廃材を積み上げて作った巨大な人形を連想するだろう。
だが、目の前にあるものは違った。
肩から腕へと続く支持材には、荷重を分散させるための補強が施されている。腰部の外殻は単なる装甲ではなく、上半身の重量を下部へ逃がす役割を持っていた。さらに、複数の操糸が関節部へ張り巡らされ、通常の駆動装置では到底動かせない質量を、外側から無理やり制御している。
それは決して、無秩序な鉄屑の集合体ではなかった。
この場所で、時間をかけて造られたものだ。
そして、その事実が何より腹立たしかった。
「……やはり、気に食わん」
アキュラが低く吐き捨てる。
傍らのRoRoが、バトルポットの機体を僅かに傾けた。
「またそれ? さっきからずっと機械に文句ばっかり言ってるよ、アキュラくん」
「当然だ。これだけの物を組み上げる知識がありながら、肝心の駆動機構は第七波動任せだ。足りない構造を埒外の力で補い、動いたという結果だけを見て完成を名乗る。……そんなものは技術ではない」
「でもさ、少なくともあの大きさでちゃんと動いてるんだから――」
「動いていることと、正しく動いていることは違う。何度も言わせるな」
「はいはい。……でも、文句を言うなら倒してからにしようよ。さっきから、すっごく危ないんだから!」
RoRoの声に重なるように、頭上で金属の軋む音がした。
グラントルタの右腕が、再び持ち上がっている。
その動きを見ながら、アキュラは銃口を上げた。
「……分かっている」
巨大な機体の内側から、アスロックの低い声が響く。
「フン……旧人類(オールドマン)の尺度か」
「貴様の自己満足よりはマシだ。機械を理解しているなら、これほど無理な構造がいつまでも保つはずがないと分かるだろう」
「……無理、か」
アスロックの指先が動いた。
グラントルタの巨腕へ、幾筋もの光の糸が張られる。
「ならば、その無理がどこまで通じるか……貴様の身体で確かめるがいい」
巨大な拳が持ち上がった。
「……薄く伸ばしてやる。焼き菓子の生地のようにな」
アキュラは答えなかった。
その視線は、拳ではなく、肩を構成する複数の支持材へ向いていた。
あれほど巨大な腕を持ち上げれば、必ずどこかに負荷が集中する。いかに操糸で外側から支えようと、質量まで消せるわけではない。
ならば、そこを突けばいい。
ただし、今度は最初から糸を切るつもりなどなかった。
鉄の重量を支える、機械そのものを壊す。
グラントルタの巨拳が振り下ろされた。
アキュラは動かない。
頭上を覆う鉄塊。
迫る風圧。
落下によって生まれる、逃れようのない質量。
そのすべてを眼前まで引きつける。
「アキュラくん!」
RoRoが叫んだ。
次の瞬間、アキュラの姿が消えた。
ブリッツダッシュ。
白い閃光が、巨拳の側面を掠めるように駆け抜ける。
直後、背後で床が陥没した。
砕けたコンクリートが舞い上がり、足場を構成していた鉄骨が折れる。衝撃によって生じた亀裂は格納区画の奥まで走り、既に脆くなっていた外壁から大きな破片が剥がれ落ちた。
だが、アキュラは振り返らない。
二度目のブリッツ。
右腕の外側へ回り込み、そのまま銃口を持ち上げた。
装甲ではない。
操糸でもない。
複数のフレームが交差し、巨大な腕へ力を伝えている支持部。
三発。
乾いた銃声が響いた。
最初の一発が接続部を砕き、二発目が固定具を吹き飛ばし、三発目が露出した金属の継ぎ目へ食い込む。
右腕が、僅かに沈んだ。
「……小癪な」
アスロックが低く呟く。
すぐさま別の操糸が張られ、損傷した部分の荷重が内側のフレームへ移された。
無理に元の形へ戻そうとはしない。
今ある部材のうち、まだ使えるものを選んで支え直す。
その判断は、恐ろしく速かった。
「……やはり、構造は見えているか」
アキュラが呟く。
「何を今さら……」
アスロックの声が返る。
「貴様が壊した程度で、簡単に崩れると思うな。材料の癖も、使える限界も……オレはすべて把握している」
「ならば余計に腹が立つ!」
アキュラは再び銃口を上げた。
「理解しているなら、その限界を誤魔化すな! 貴様の能力がなければ成立しない構造を、兵器などと呼ぶんじゃない!」
銃声。
新たな接続部が砕けた。
アスロックが操糸を張り直す。
アキュラは、その移動先を見ていた。
右肩の内側。
細い支持材が二本。
そこへ巨腕の重量が集中する。
構造そのものは単純だった。
一つの支点が壊れれば、残った支点へ荷重が移る。
その移動先をさらに壊せば、最後にはどこかが限界を迎える。
先ほどのガレトクローネ戦で、アキュラ自身が学んだ理屈だった。
ただし、今度は糸の張り直しを誘導する必要すらない。
巨体があまりにも重すぎる。
支えを失った瞬間、その重量自体が敵となる。
アキュラはブリッツを噴かし、右肩の外側へ回り込んだ。
銃口を固定する。
一発。
支持材が裂けた。
続けて二発。
金属の接合部が砕ける。
「……チィッ!」
アスロックが強引に腕を引き戻そうとした。
操糸が張り詰める。
しかし、能力で腕を持ち上げることはできても、荷重を受ける骨格そのものが失われれば話は別だった。
鉄骨が歪む。
固定具が外れる。
装甲の隙間から火花が散った。
そして。
ばきり、と。
ひどく乾いた音がした。
巨大な右腕が、肩から裂けた。
数十トンの鉄塊が落下する。
轟音。
施設全体が、地震に襲われたように揺れた。
「やった! 右腕、停止!」
RoRoが歓声を上げる。
アキュラはその声へ短く応じた。
「浮かれるな。まだ片方残っている」
「分かってるよ。でも、今のすごかったね! アスロックが糸を張り直すたびに、次の弱い場所を見つけてたんでしょ?」
「荷重の移動を追っただけだ。……ただし、次も同じようにいくとは限らん」
アキュラの視線が、グラントルタの中央部へ向いた。
片腕を失った巨体は、なお倒れない。
残された外殻を操糸で締め上げ、辛うじて姿勢を維持している。
その内側で、ガレトクローネの炉が赤く輝き始めた。
先ほどよりも、ずっと強く。
「……ロロ」
「うん。炉の温度、急上昇してる!」
「だろうな」
アキュラは銃を握り直す。
失った腕の代わりに、残る兵装へ出力を集中する。
それは、ごく合理的な判断だった。
しかし、合理的であることと、こちらにとって都合がいいことは別である。
グラントルタの肩部装甲が開いた。
複数の砲門が、空へ向けて並ぶ。
「……次の仕込みだ」
アスロックが指を動かした。
「《ドレサージュブラスト》」
砲門から、幾つもの火球が撃ち上げられた。
まるで、赤く焼けた星が天井へ向かって昇っていくようだった。
だが、それらは天へ消えない。
上昇の頂点で一度静止すると、獲物の位置を確かめるように方向を変え、アキュラへ向かって降下を始めた。
燃える星が、落ちてくる。
アキュラは、その場からすぐには動かなかった。
火球が迫る。
一発目。
僅かに右へ移動する。
二発目。
さらに半歩。
火球はそれぞれ落下地点を修正し、アキュラのいる場所へ吸い寄せられていく。
「アキュラくん!? 何してるの、早く逃げないと!」
「……焦るな。まだだ」
アキュラは頭上を見上げた。
三発目が降下へ入る。
既に落下を始めた火球は、急な方向転換が難しい。
その軌道が定まる瞬間を待つ。
そして。
「――今だ!」
ブリッツダッシュ。
白い機影が、反対側へ一気に抜けた。
直後。
三つの火球が、ほとんど同じ位置へ着弾した。
爆炎。
赤い柱が空へ噴き上がり、床へ大きな亀裂が走る。
しかし、炎が広がったのは狭い範囲だけだった。
「……あっ!」
RoRoが声を上げる。
「そっか! 火球を同じ場所へ集めたんだね!」
「闇雲に逃げれば、着弾地点が分散する。そうなれば、こちらの足場がなくなる。……相手が追ってくるなら、追わせる場所を選べばいい」
「なるほどねえ。さすがアキュラくん!」
RoRoが感心したように機体を揺らす。
アキュラはグラントルタを見上げた。
右腕を失い、肩部の砲門を稼働させたことで、機体内部の荷重配分が変化している。
残る左腕。
そして、中央炉。
どちらを先に破壊するべきか。
アキュラは僅かに考えた。
炉を止めても、先ほどのガレトクローネ戦と同じように、操糸で部品を動かされる可能性がある。
ならば、先に大きな攻撃手段を削ぐ。
ただし、左腕へ近づく前に、相手が何を警戒しているか見極める必要があった。
「ロロ。左腕の支点を表示しろ」
「もう出してるよ! 右腕とは少し構造が違うけど、荷重の集まり方は似てる!」
「……上出来だ」
「でしょ?」
アキュラは短く息を吐いた。
傷ついた脚部が、鈍く疼く。
それでも、今は止まれない。
脚部ブリッツを起動する。
白い閃光が、グラントルタの左肩へ向かって走った。
◇
最初の銃弾は、あっけなく弾かれた。
アキュラが左肩の支持部へ照準を合わせた瞬間、厚い装甲板が横から滑り込み、弾丸を受け止めたのである。
金属音が三つ。
命中した弾丸は装甲の表面を削っただけで、奥にある接続部までは届かない。
「……同じ手を、二度も食うと思うなよ」
アスロックの声が響く。
「右腕を失ったのは、貴様の動きを侮ったからだ。……だが、今度は違う。貴様がどこを狙い、何を壊そうとしているのか、それくらいは分かる」
アキュラは舌打ちした。
左腕の支持部が、さらに奥へ隠れる。
外側には複数の装甲板が重なり、直接射撃できる位置はほとんどなくなっていた。
相手もまた、戦闘の中で学習している。
ガレトクローネを破壊された時と同じだ。
アキュラが一つの勝ち筋を見つければ、その勝ち筋を潰すために配置を変える。何度も同じ手を使わせてくれるような、間抜けな相手ではなかった。
だからこそ。
今度は、その警戒を利用する。
「……ロロ。左腕を動かす際、最も負荷が掛かる場所はどこだ」
「えっと……肩の内側。でも、今は装甲で塞がれてるよ。撃とうと思っても、外側からじゃ狙えない」
「ならば、向こうから晒してもらう」
「……え?」
アキュラは答えず、真正面から加速した。
グラントルタの左腕へ向かって、一直線。
アスロックの操糸が動く。
「……正面から来るか」
巨腕が持ち上がった。
アキュラを払い落とすため、巨大な拳が横へ振られる。
その軌道は読めていた。
しかし、アキュラは避けなかった。
逆に、腕の外側へ向かってブリッツを噴かす。
「……何?」
アスロックが僅かに反応する。
次の瞬間、白銀の機影が巨腕へ接触した。
衝突。
反射。
アキュラはその反動を利用して、左腕の上方へ跳ね上がった。
ブリッツの推進余力が回復する。
空中で身体を捻り、さらにもう一度加速する。
「……ッ!」
アスロックが操糸を引いた。
左腕を引き戻す。
アキュラが再び接触し、頭上へ回り込むことを防ぐためだった。
だが。
その動作によって、左腕の荷重が一瞬だけ内側へ移った。
支える場所が変わる。
装甲の奥に隠れていた接続部が、僅かに露出する。
「――そこだ!」
銃声。
弾丸が、支持部へ食い込んだ。
金属が弾ける。
左腕が傾く。
「……貴様!」
アスロックが即座に操糸を張り直した。
しかし、アキュラは既に次の位置へ移動していた。
斜め下。
接触。
反射。
傷ついた脚部の推進力を最小限に抑えながら、機体そのものを踏み台として移動する。
白い機影が左腕の周囲を縫うように走り、その度に短い銃声が響いた。
一発。
支持材が裂ける。
二発。
固定具が吹き飛ぶ。
三発目。
荷重を受けていた最後の接続部へ、弾丸が食い込んだ。
グラントルタの左腕が、大きく揺らいだ。
「……チィッ!」
アスロックが操糸を引く。
巨腕を本体へ戻そうとする。
だが、その時には既に遅かった。
金属が裂ける。
外殻が砕ける。
左腕が、肩から切り離された。
「やった! 左腕も――」
RoRoの声が途切れた。
切り離された腕が、落下しなかったのである。
それは、奇妙な光景だった。
本来ならば自重によって地面へ叩きつけられるはずの鉄塊が、空中で静止している。
否。
静止しているのではない。
何本もの光の糸が、切り離された左腕を吊り上げていた。
「……まだだ」
アスロックが、低く告げた。
左腕がゆっくりと回転する。
その内部から、無数の砲門が展開した。
横一列に並んだ銃口。
狙いは、ただ一人。
「……《フィユタージュカノン》」
アスロックの指が振り下ろされる。
「逃がさん……!」
砲火が、壁となって押し寄せた。
最初の一射は、まだ避けられる密度だった。
アキュラは跳躍し、弾丸の間を抜ける。
しかし、着地した瞬間、次の一射が始まった。
先ほどより狭い間隔。
上下に分かれた弾幕。
その隙間へ身体を滑り込ませた時には、三射目の砲口が既に発光していた。
「アキュラくん! 次、もっと狭い!」
「……見えている!」
アキュラはブリッツを噴かした。
だが、前方へ加速するためではない。
着地直前に推進力を与え、落下する速度だけを僅かに殺す。
身体が空中へ留まる。
ほんの一瞬。
その下を、弾丸が通過した。
同時に、頭上を別の弾幕が横切る。
上下から迫る死の壁。
その間へ、アキュラは身体を薄く畳むようにして滑り込んだ。
抜けた。
しかし。
「……ッ!」
脚部の推進系が警告を発した。
連続使用による負荷。
損傷した制御機構が、再び限界を訴えている。
次も同じように避けられる保証はない。
RoRoが叫ぶ。
「アキュラくん! もう一回来る! 今度は完全に隙間を塞ぐつもりだよ!」
アキュラは左腕を見た。
切り離された機械。
そこへ張り巡らされた操糸。
いくつもの砲門。
そして、それらを支える一本の大きな支持材。
ガレトクローネとの戦闘で、既に学んでいる。
操糸で部品を動かせるからといって、その部品の重量が消えるわけではない。
ならば。
これ以上、弾幕を避け続ける必要はない。
「……ロロ。次の発射まで、何秒だ」
「一・八秒!」
「十分だ」
アキュラは床を蹴った。
壁面へ向かって加速する。
接触。
反射。
そのまま、弾幕の発生源へ。
アスロックが即座に砲口を追従させた。
「……正面から来るか!」
砲門が火を噴く。
しかし、アキュラは撃たれる前に、もう一度方向を変えていた。
斜め下から、左腕の側面へ。
砲門がこちらへ向き直るまでの、ごく僅かな遅れ。
その一瞬に、銃口を合わせる。
「――そこだッ!」
ボーダーIIの銃声。
弾丸が、左腕内部の支持材へ命中した。
次いで、二発目。
三発目。
金属の固定具が砕け、操糸の張力が急激に変化する。
「……ッ!」
アスロックが姿勢を立て直そうとした。
だが、そのために砲門を動かす余裕を失う。
わずかに遅れた次の一射は、アキュラの遥か後方へ流れていった。
その隙に、さらに接近。
至近距離から射撃。
最後の支持部が破断した。
左腕が、今度こそ落下した。
巨大な鉄塊が床へ激突し、砲門を構成していた装甲が四散する。
弾幕は止まった。
「……やった!」
RoRoの声が弾む。
「左腕、完全に停止! 今度こそだよ!」
アキュラは銃口を下ろさない。
背後で落下した鉄塊から、埃と煙が立ち上っている。
左右の腕を失ったグラントルタは、もはや人型を保つことすら難しくなっていた。
中央のガレトクローネを核に、外殻を操糸で引き締め、強引に姿勢を維持している。
腕がない。
砲門も失った。
ならば、残る攻撃手段は限られている。
その考えへ至った時。
グラントルタの中央部が、異様な光を放ち始めた。
「……何?」
RoRoの声が、急に変わる。
「待って。炉の出力が……さっきより、ずっと高い!」
アキュラは視線を上げた。
ガレトクローネの炉へ、残された操糸が集中している。
左右の腕を失ったことで、機体の攻撃機構は大幅に減少した。
しかし、それは同時に、他の機構へ分散していた出力を一か所へ集められるということでもある。
熱量が上がる。
外殻が赤く染まる。
炉を囲む装甲の隙間から、白熱した光が漏れ始めた。
「……まさか」
アキュラは僅かに眉を寄せる。
今なら分かる。
グラントルタの両腕は、単なる攻撃手段ではなかった。
重量を支え、攻撃の方向を限定し、熱を逃がすための外装でもあった。
それらを失った今、巨体の中核はむき出しになりつつある。
だが、その代償として。
残る炉の出力だけが、異常な領域へ踏み込んでいた。
「……最大火力だ」
アスロックが低く呟く。
声には疲労が混じっていた。
しかし、その指先はまだ動いている。
「黒炭となれ……旧人類(オールドマン)」
グラントルタの上空へ、光が集まり始めた。
大気が歪む。
炉の内部で発生した熱が、ひとつの方向へ収束していく。
「アキュラくん! 大きいの来る!」
RoRoの警告。
アキュラは退路を探した。
左右の壁。
天井。
崩壊しかけた足場。
どこへ逃げても、長くは持たない。
先ほどの砲撃によって、区画の各所には大きな亀裂が走っている。
仮に一度避けたとしても、次を避けられる保証はなかった。
「……《グレイズレーザー》」
アスロックが呟く。
光が、落ちた。
◇
視界が、白く染まった。
巨大な熱線が格納区画の床へ突き刺さり、そのまま横方向へ薙ぎ払われていく。
床が焼ける。
鉄骨が融ける。
熱に耐えきれなくなったコンクリートの表面が弾け、砕けた破片が火花とともに宙へ舞い上がった。
それは、光というよりも巨大な刃だった。
しかも、その刃は一度振り下ろされれば終わりというものではない。
床へ食い込んだまま移動し、通り道にあるものを片端から削り取っていく。
触れたものを焼き、融かし、存在していた痕跡すら消してしまう。
アキュラは、一瞬だけ背後を見た。
逃げ道はある。
だが、逃げ続けた先には壁がある。
施設の外壁を破壊して脱出できたとしても、その瞬間に攻撃が止まる保証はない。ましてや、損傷した脚部でいつまでも逃走を続けるわけにはいかなかった。
ならば。
進むべき方向は、ひとつしかない。
「……ロロ!」
「うん! でもアキュラくん、そっちは――」
「分かっている!」
アキュラは、グラントルタへ向かって走り出した。
熱線から遠ざかるのではない。
その発射源へ近づく。
普通ならば、自殺行為にも等しい判断だった。
だが、巨大な熱線はグラントルタ自身を貫いて移動することはできない。自らの巨体が、そのまま射線を制限する障害物になっている。
だったら、そこを使えばいい。
アキュラは斜め上方へ跳躍した。
脚部ブリッツが唸る。
白い機影が巨体へ迫り、その外殻へ接触する。
反射。
上方へ。
さらに加速。
頭上を越える。
直後、背後で熱線が通過した。
床が真っ赤に焼け、熱風が装甲の背面を撫でる。
アキュラは反対側へ着地した。
しかし、その時には既に次の異変が起きていた。
「……二発目!?」
RoRoの警告。
グラントルタの炉が、再び光を放ち始めている。
一射目の熱が冷めるより早く、次のエネルギーが収束していた。
「……チィッ!」
アキュラは即座に身体を反転させた。
熱線が、今度は逆方向から迫る。
しかも、先ほどの一射によって床の一部が崩壊し、安全に移動できる場所はさらに減っている。
再び巨体へ向かう。
ただし、今度は同じ経路を使えない。
一度目の反射に利用した外殻が、熱と衝撃によって歪んでいた。接触すれば予定どおりに跳ね返れるとは限らない。
アキュラは咄嗟に経路を変更した。
機体の側面。
まだ形を保っている補強材。
そこへ斜め下から接触し、反発を利用して高度を稼ぐ。
白い閃光が、再び巨体の頭上を越えた。
だが。
「――ぐッ!」
着地の瞬間、脚部ブリッツの制御が乱れた。
推進力が予定より早く途切れる。
身体が前へ傾いた。
咄嗟に右手をつく。
その手へ体重が掛かった瞬間、傷ついた肩に激痛が走った。
「……ッ!」
奥歯を噛み締める。
背後を熱線が通過した。
逃れたはずの光が、熱風となって背中を叩く。
装甲の内側へ、じりじりとした痛みが広がった。
「アキュラくん! もう無理だよ! 脚部の制御系、これ以上負荷を掛けたら本当に動かなくなっちゃう!」
「……分かっている」
「だったら!」
「次は、避けん」
アキュラはゆっくりと立ち上がった。
炉を見る。
内部の熱量は、既に異常な領域へ達していた。
いくら操糸によって機構を維持していようと、このまま連続して発射すれば、炉そのものが限界を迎える。
そうなる前に。
こちらから、限界を超えさせる。
「ロロ。《HYDRO ZAPPER》の残量は」
「……一射分。だけど、その後はしばらくフラッシュフィールドも使えないよ。今の装備状態だと、もし反撃されたら――」
「構わん」
アキュラは銃を持ち上げた。
「ここで決める」
RoRoは一瞬だけ黙った。
やがて、いつもの軽い調子を少しだけ抑えた声で答える。
「……分かった。だったら、絶対に外さないでよね」
「誰に言っている」
「ふふ。そうだったね」
ビットが配置を変える。
EXウェポンの制御系が接続された。
アキュラは照準を合わせる。
炉の開口部。
ただし、そこには厚い装甲が残されている。
闇雲に水流を撃ち込んだところで、外側を冷却するだけで終わってしまう。
必要なのは、内部へ直接水を送り込むこと。
それも、過熱によって金属の強度が低下している箇所へ。
アキュラはグラントルタの外殻を見た。
左右の腕を失ったことで、中央部へ荷重が集中している。
しかも、先ほどの熱線によって、炉を支える金属は極端な高温に晒されていた。
熱による膨張。
荷重による歪み。
操糸による強引な姿勢維持。
それらが、ひとつの場所へ集まっている。
そして、その場所には。
小さな亀裂が生じていた。
「……見つけたぞ」
アキュラは銃口を僅かに修正する。
狙うのは炉の中央ではない。
その周囲。
熱と荷重によって歪んだ、支持材の接続部分。
アスロックが異変に気づいた。
「……ッ!」
操糸が動く。
外装を引き寄せ、亀裂を塞ごうとする。
だが。
「……遅い!」
アキュラは引き金を引いた。
「《HYDRO ZAPPER》ッ!!」
高圧水流が放たれた。
一直線に伸びた水の刃が、装甲の隙間へ突き刺さる。
衝突。
白熱した金属へ、冷却が入った。
瞬間。
鋼鉄が、悲鳴を上げた。
急激な温度変化。
膨張と収縮。
そこへ、巨体自身の重量が加わる。
既に限界へ近づいていた支持材は、もはやその負荷に耐えられなかった。
亀裂が走る。
一本。
二本。
やがて、蜘蛛の巣のように広がっていく。
「……なっ!?」
アスロックが操糸を引いた。
割れた装甲を締め上げる。
崩れかけた外殻を、力任せに繋ぎ止めようとする。
しかし、それによって残った支持部へさらに荷重が集中した。
亀裂が広がる。
金属が裂ける。
外殻が、内側から剥がれ落ちた。
「バカな……ッ!」
アスロックの声が震えた。
アキュラは、その崩壊を見ていた。
相手がどれほど力を込めようと、金属の性質まで変わるわけではない。
冷却によって生じた亀裂は、操糸で部品を引き寄せただけでは消えない。
むしろ、形を維持しようとするほど、残った部分へ負担が掛かる。
それを知っているからこそ。
アキュラは、今度こそ迷わなかった。
「……貴様の敗因は、それだ」
銃口を上げる。
崩れた外殻の向こう。
露出したガレトクローネの中核。
そこには、なお操糸が張られている。
アスロックは、まだ諦めていなかった。
だからこそ、その最後の抵抗まで計算へ含める。
「壊れたものを繋ぎ直せば、いつまでも動くと思うな。どれほど埒外の力で補おうと、そこにある質量まで消せるわけではない!」
アキュラは床を蹴った。
残ったブリッツが唸る。
白い機影が、一気に巨体へ迫った。
アスロックが操糸を引く。
剥がれ落ちた装甲が、アキュラの進路へ割り込んだ。
だが、遅い。
装甲の移動が始まるより先に、アキュラはその下へ潜り込んでいた。
低姿勢。
滑り込むように接近。
目の前に、露出した中核がある。
「……その傀儡では!」
アキュラは銃口を持ち上げた。
「オレを討つことなどできんッ!!」
銃声。
至近距離から放たれた弾丸が、中核へ突き刺さった。
一発。
二発。
三発。
装甲が砕ける。
内部の機構が火花を散らす。
最後の一撃が、炉の制御部へ命中した。
次の瞬間。
グラントルタの内部で、爆発が起きた。
◇
最初に崩れたのは、肩だった。
中核を失ったことで操糸の制御が乱れ、巨大な外殻を支えていた部材が一斉に傾く。
続いて腰部。
上半身の重量を受け止めきれなくなった支持材が裂け、幾重にも重ねられた装甲板が剥がれ落ちていく。
それは、巨大な建物が内部から崩壊していく光景に似ていた。
ただし、そこに爆破解体のような整然とした手順は存在しない。
鉄骨が折れる。
重機が落ちる。
装甲が別の装甲へぶつかり、その衝撃によってさらに新しい破断が生まれる。
積み重ねたものが、下から順に失われていく。
ひとつの巨大な機械を成していた部品が、再びただの鉄屑へ戻っていくのだ。
「アキュラくん! 崩れるよ!」
RoRoの声。
アキュラは既に動いていた。
落下する鉄骨の隙間へ身体を滑り込ませ、壁面へ接触。
反射。
さらに別の装甲を蹴り、崩れかけた格納区画の端へ向かう。
脚部が悲鳴を上げた。
ブリッツの出力も、もはや安定しない。
それでも、止まれば押し潰される。
アキュラは歯を食いしばり、最後の推進力を振り絞った。
白い閃光が、崩壊する巨体の下を抜ける。
直後。
背後で、グラントルタの上半身が崩れ落ちた。
轟音。
床が震え、天井から無数の破片が降り注ぐ。
アキュラは壁際へ滑り込むと、片膝をついた。
「……はっ……は……」
荒い呼吸が、装甲の内側へ響いた。
肩が痛む。
脇腹も、脚も。
全身へ溜め込まれていた衝撃が、戦闘の終わりを待っていたかのように一斉に主張し始める。
だが、目は閉じなかった。
瓦礫の山を見つめる。
まだ終わっていない。
あれほど巨大な機械が崩れたのだ。
その中にいた操者が、どうなったのかを確認しなければならない。
「……ロロ」
「うん。索敵する!」
RoRoがすぐに動いた。
ビットが散開し、瓦礫の間へ小さな光が走る。
数秒。
さらに数秒。
やがて、RoRoが声を上げた。
「……いた! 右前方! アスロック、生きてるよ!」
アキュラは顔を上げた。
煙の向こう。
崩れたガレトクローネの中核から少し離れた場所に、一人の少年が倒れていた。
アスロックだった。
どうやって機体から脱出したのかまでは分からない。爆発の直前に操糸で身体を外へ引き出したのか、それとも崩壊する装甲に弾き飛ばされたのか。
いずれにせよ、無事とは言い難かった。
衣服は裂け、全身に傷を負っている。
片腕をついて身体を起こそうとしていたが、その途中で力が抜け、再び膝をついた。
指先から、光の糸が伸びる。
しかし、すぐに消えた。
もう一度。
やはり、消える。
操糸を維持する力すら、ほとんど残っていないらしい。
「……戦闘継続可能な反応は?」
アキュラが尋ねる。
「……ない。少なくとも、さっきみたいに大型の機械を動かすのは無理だと思う」
「そうか」
短く答える。
アキュラは立ち上がり、アスロックへ歩み寄った。
瓦礫を踏むたび、乾いた金属音が響く。
周囲の機械は、もう動かない。
巨大な外殻を構成していた重機も、鉄骨も、破砕装置も、すべて地面へ横たわっていた。
先ほどまで世界を揺るがしていた怪物は、ただの鉄屑へ戻っている。
その中心で、一人の少年だけが生きていた。
「……終わりだ」
アキュラは銃口を向けた。
アスロックが顔を上げる。
呼吸は荒い。
だが、その目は逸らさなかった。
「……フン」
僅かに笑う。
「……随分と、手間を掛けさせてくれたな……旧人類(オールドマン)」
「減らず口を叩く余裕があるとはな。貴様の兵器は破壊した。もはや抵抗する手段も残っていまい」
「……そうだな」
アスロックは、崩れたグラントルタへ視線を移した。
巨大な外殻。
何年もかけて集め、組み合わせたであろう廃材。
そのすべてが、今は足元に転がっている。
しばらく、それを見ていた。
「……また、最初からか」
低い呟きだった。
アキュラは何も言わなかった。
アスロックは再び顔を上げる。
「……どうした」
「何?」
「能力者は……討つんじゃなかったのか」
アキュラの指が、トリガーへ掛かった。
撃てば終わる。
距離は近い。
照準は合っている。
相手には、もう銃撃を避ける力もない。
これまで何度も繰り返してきた行為だ。
第七波動を持つ敵を見つける。
交戦する。
能力を封じ、戦闘能力を奪う。
そして、討滅する。
手順は明白。
理屈も変わらない。
目の前のアスロックは能力者だ。
エデンのG7であり、今しがた自分を殺そうとしていた。
討つ理由なら、いくらでもある。
ならば。
撃てばいい。
「……」
アキュラはトリガーへ力を込めた。
指が動く。
だが、最後の僅かな距離だけが埋まらなかった。
何故か。
分からない。
肩が痛むからか。
呼吸が乱れているからか。
それとも、戦闘によって神経が疲弊しているのか。
違う。
そんなものは理由にならない。
つい先ほどまで、あれほど正確に銃を撃てていたのだ。
巨大兵器の動きを読み、僅かな接続部へ弾丸を叩き込み、崩壊する機械の中を駆け抜けた。
それほどのことができて、何故。
動かない。
『……でも博士、生きてるじゃん』
不意に、声が蘇った。
RoRoの声。
いつだったか、聞いた言葉。
そして。
『人間であることと、危険源であることは両立します』
クレイドルの声。
さらに。
『……能力者だから討つんじゃなかったのか』
アスロック。
さっきまで、自分を殺そうとしていた男。
ただの敵。
討つべき能力者。
そのはずだった。
『オマエ自身は何がしてぇんだよ』
あの海で聞いた、ニムロドの声。
「……ッ」
アキュラの眉間へ深い皺が刻まれた。
何故、今さら。
何故、こんな時に。
余計な声ばかりが頭へ響く。
目の前に敵がいる。
武装解除されている。
照準は合っている。
撃つだけだ。
それだけでいい。
「……何をしている」
低く吐き捨てる。
相手に向けた言葉ではなかった。
トリガーへ、さらに力を込める。
指が震える。
しかし、動かない。
まるで、そこに目に見えない何かが挟まっているかのようだった。
機械的な抵抗ではない。
安全装置でもない。
ましてや、敵の第七波動による妨害などではあり得ない。
そんなものは、すべて確認済みだった。
ならば。
何だ。
「……動け」
小さく呟く。
アスロックが僅かに目を細めた。
アキュラはもう一度、力を込めた。
動かない。
「……動けと言っている……!」
声が震えた。
怒りのためか。
焦燥のためか。
それすら、分からなかった。
ただ一つ確かなのは、自分が今まで当然のように行ってきた行為を、目の前で実行できなくなっているということだった。
「……ッ、クソが……!」
アキュラは歯を食いしばった。
銃口が僅かに揺れる。
それを無理やり押さえ込む。
撃て。
討て。
相手は能力者だ。
それ以上に、何が必要だというのか。
その時だった。
「アキュラくん! 上!」
RoRoが叫んだ。
頭上で、何かが破裂する音がした。
煙幕弾。
白い煙が一斉に広がり、格納区画の視界を奪っていく。
アキュラは反射的に後方へ跳んだ。
その動きに、迷いはなかった。
銃口を上げ、熱源反応へ照準を切り替える。
三人。
エデンの回収部隊。
前方に二人。
後方に一人。
後方の一人が、アスロックへ向かっている。
「……エデンか!」
アキュラは引き金を引いた。
銃声。
前衛の足元へ弾丸が着弾し、進路を塞ぐ。
もう一人が牽制射撃を仕掛けてきたが、アキュラは壁面へブリッツを噴かして回避した。
反射。
空中から射撃。
相手の武器が弾かれ、煙の向こうへ飛んでいく。
狙える。
撃てる。
判断も正確だ。
何の異常もない。
それが、余計に腹立たしかった。
「……逃がすか!」
アキュラはアスロックへ向かって踏み込んだ。
しかし。
頭上で、鉄骨が軋んだ。
見る。
古い支持材。
そこへ、一本の細い光の糸が繋がっている。
アスロックだった。
ほとんど動かせなくなった指先から、最後の操糸が伸びている。
巨体を動かす力はない。
巨大な兵器を構築する余裕もない。
だが、鉄骨一本の支持を外すくらいなら、まだできるらしい。
「……チィッ!」
支持材が外れた。
鉄骨が落下する。
アキュラは急制動し、横へ跳んだ。
直後、目の前の床へ重量物が激突した。
煙が広がる。
視界が遮られる。
迂回して反対側へ抜けた時には、エデンの回収部隊は既に施設外周の搬送路へ向かっていた。
アスロックの姿も、その中にあった。
「……待てッ!」
アキュラはブリッツを噴かしかけた。
しかし、脚部の警告が視界へ走った。
損傷した推進機構は、これ以上の連続使用に耐えられない。
追撃距離。
崩壊した区画。
敵の退路。
必要な計算は一瞬で終わった。
間に合わない。
アキュラは、その場へ立ち尽くした。
握り締めた銃が、微かに震える。
「……ふざけるな」
声が漏れた。
「……ふざけるな……!」
「アキュラくん……?」
RoRoが呼びかける。
アキュラは振り返らなかった。
「……何でもない!」
必要以上に大きな声が、崩れた格納区画へ響いた。
RoRoは一瞬だけ黙った。
そして、何も言わずに機体を傾けた。
アキュラは銃を下ろす。
追撃は不可能。
グラントルタは破壊した。
ミラーピースも、瓦礫の中へ残されている。
任務の目的は、まだ達成できる。
それだけだ。
そう処理することにした。
◇
夢の島を離れる頃には、海へ差し込む陽光が傾き始めていた。
施設の向こう側では、東京湾が夕暮れの光を受けて静かに揺れている。
先ほどまで、あれほど激しい戦闘が繰り広げられていたとは思えないほどの静けさだった。
回収したミラーピースは、アキュラの手の中にある。
グラントルタの残骸から発見したものだ。
目的物は確保した。
敵の巨大兵器も破壊した。
アスロックを戦闘不能へ追い込み、エデン側にも相応の損害を与えた。
作戦としては、十分な成果だった。
少なくとも、報告書に記すべき事実だけを並べれば。
「……アキュラくん」
RoRoが声を掛ける。
「何だ」
「……ううん。何でもない」
「ならば、帰還経路を出せ」
「……了解」
RoRoはそれ以上、何も聞かなかった。
帰還するまでの間、アキュラは必要な指示以外ほとんど口を開かなかった。
脇腹の痛みも、傷ついた肩の違和感も、すべて無視した。
ただ、右手だけが時折動いた。
トリガーへ掛けた指を、確かめるように曲げる。
一度。
二度。
問題なく動く。
それが何故か、ひどく不愉快だった。
◇
イージス本部へ帰還すると、アキュラは兵装の整備より先に作戦報告へ向かった。
報告室では、神園博士が端末を確認していた。
アキュラが入室すると、博士は顔を上げた。
「戻ったか、アキュラ。まずは任務、ご苦労だったな」
「……ああ」
「報告を聞こう」
アキュラはミラーピースを提出し、戦闘の経緯を説明した。
夢の島で確認された異常稼働。
アスロックの操糸による機械操作。
ガレトクローネとの交戦。
そして、グラントルタ。
巨大兵器の構造と攻撃能力については、特に詳細な報告を行った。
廃材による外殻。
重量を支える操糸。
複数の機械を利用した姿勢制御。
熱源へ集中する出力。
今後、同種の兵器が現れた場合に備えるべき情報だった。
神園博士は途中で遮らなかった。
必要なところで短く質問し、得られた情報を確認していく。
「……なるほど。つまり、機体の主要構造を破壊しても、対象が操糸を維持している限り、再構築される可能性があったわけだな」
「そうだ。ただし、部品の質量や荷重まで無視できるわけではない。接続部を破壊し、再構築時に負荷が集中する箇所を突けば、機体そのものを崩壊させられる」
「分かった。対策班へ共有しておこう」
博士は端末へ記録を残した。
「それで、アスロック本人は?」
「……戦闘不能まで追い込んだ」
アキュラは短く答えた。
「だが、討滅には至らなかった。エデンの回収部隊が介入し、逃走を許した」
「そうか」
神園博士は頷いた。
それ以上、追及しなかった。
少なくとも、すぐには。
「任務目標のミラーピースは確保できている。巨大兵器も破壊したのだろう。ならば、今回の作戦が失敗だったとは言えまい」
「……ああ」
「それより、負傷しているな」
アキュラの眉が僅かに動いた。
「……軽傷だ。任務に支障はなかった」
「支障がなかったかどうかは、診察してから判断すべきことだ。肩部の装甲も大きく損傷している。見たところ、脚部の制御機構にも負荷が残っているようだな」
「兵装の整備は行う」
「身体の方もだ」
博士は穏やかに言った。
「装備は修理できる。だが、お前自身が無理を重ねれば、そのうち取り返しのつかないことになる。まずは医務室へ行ってこい。詳しい報告は、それからでも遅くない」
アキュラは一瞬だけ黙った。
しかし、反論はしなかった。
「……分かった」
「そうか。ならばいい」
神園博士は端末を閉じた。
「今日はよく休め。ミチルのことも気になるだろうが、あの子の方は心配いらない。私も様子を見ておく」
「……ああ」
アキュラは短く答え、報告室を後にした。
背後で扉が閉まる。
廊下へ出ると、イージス本部はいつもどおりの時間を刻んでいた。
勤務を終えた隊員。
交代の準備をする整備班。
食堂へ向かう職員たち。
何も変わらない。
夢の島で巨大兵器が崩壊し、十五歳の能力者が銃口を向けられたことなど、誰も知らないかのようだった。
アキュラは歩き出した。
医務室へ向かう。
検査を受ける。
装備を整備する。
必要な手順は分かっている。
それらを一つずつ処理すればいい。
ただし。
ひとつだけ。
どうしても、手順どおりに処理できなかったものが残っていた。
◇
整備区画から人影が消えたのは、夕食の時間を過ぎてからだった。
天井の照明が、無人となった作業台を白く照らしている。
工具。
計測器。
分解された部品。
机の上には、見慣れた光景が広がっていた。
アキュラは椅子へ腰を下ろし、ボーダーIIを分解していた。
トリガーユニット。
接点。
信号伝達部。
安全機構。
それらを、一つずつ取り外していく。
動作不良の原因を探すためだった。
まず、接点の摩耗を確認する。
異常なし。
次に、信号遅延。
規定値。
機械的な抵抗。
問題なし。
安全機構も正常。
どこにも故障はない。
アキュラは眉を寄せた。
「……もう一度だ」
再びユニットを外す。
端子を見る。
異常なし。
組み直す。
計測器へ接続する。
作動信号を確認する。
正常。
すべて正常。
何度調べても、結果は変わらなかった。
「……アキュラくん」
傍らに浮かぶRoRoが、小さく声を掛けた。
「何だ」
「そこ、もう何回も調べたよ」
「分かっている」
「でも、異常は出てないでしょ? トリガーも、信号伝達も、全部正常だよ。ボクが見た限り、故障なんて――」
「黙れ」
アキュラは短く答えた。
RoRoは一瞬だけ口を閉じる。
だが、すぐに続けた。
「……ねえ、アキュラくん。もしかして、夢の島で何かあった?」
アキュラの手が止まった。
「……何の話だ」
「だって、帰ってきてからずっと変だよ。戦闘の記録も、装備の状態も、何回も確認してるし。それに……」
RoRoは少しだけ言葉を選んだ。
「……アスロックに銃を向けた時、アキュラくん、すごく苦しそうだった」
金属音。
アキュラが工具を作業台へ置いた。
「……くだらん」
「アキュラくん……」
「戦闘による疲労だ。それ以上の理由などない」
「でも――」
「黙れと言っている!」
鋭い声が、整備区画へ響いた。
RoRoは黙った。
アキュラは再びボーダーIIを組み立てる。
トリガーユニットを固定する。
接点を確認する。
最後に銃身を持ち上げた。
誰もいない方向へ向ける。
引き金を引く。
乾いた作動音。
正常。
もう一度。
同じ。
アキュラは、じっと銃を見つめた。
どこにも異常はない。
なのに。
『……能力者だから討つんじゃなかったのか』
声が蘇る。
アスロックの声。
あの時、確かに撃てなかった。
照準は合っていた。
距離も十分だった。
相手は戦闘不能だった。
撃てば、終わっていた。
それだけのことだった。
だというのに。
指が動かなかった。
アキュラは再びトリガーへ指を掛けた。
力を込める。
何の抵抗もなく動く。
正常。
故障など、どこにもない。
ならば。
何故。
「……ッ」
アキュラは歯を食いしばった。
銃口が僅かに揺れる。
違う。
こんなはずはない。
能力者は討つべき存在だ。
その考えは変わっていない。
自分は間違っていない。
間違っているはずがない。
だから、あの時も撃てたはずだ。
ただの疲労。
ただの判断遅延。
ただの、些細な不具合。
そうでなければならない。
『オマエ自身は何がしてぇんだよ』
別の声が重なった。
ニムロド。
あの海で、自分へ投げかけられた言葉。
アキュラは目を閉じた。
「……くだらん」
低く吐き捨てる。
そんなものは、戦闘とは無関係だ。
何をしたいか。
どうしたいか。
そんな曖昧なものを判断基準へ持ち込めば、正しい結論など得られなくなる。
自分には目的がある。
能力者を討つ。
世界を、あるべき姿へ戻す。
そのために技術を磨き、兵装を作り、戦ってきた。
今さら、何を迷う必要がある。
アキュラはもう一度、トリガーを引いた。
乾いた作動音。
正常。
何度やっても、正常。
その音だけが、無人の整備区画へ虚しく響いた。
「……アキュラくん」
RoRoが、もう一度呼びかける。
「ボク、別に責めたいわけじゃないよ。ただ……」
「……黙れ」
「……うん。でも、あの時のことを、そんなに無理して――」
工具が、作業台へ叩きつけられた。
「うるさいッ!!」
怒声が響いた。
金属音が、整備区画の壁へ反射する。
それきり、静かになった。
RoRoは何も言わなかった。
アキュラも、口を開かなかった。
ただ、作業台の上へ置かれたボーダーIIを見つめている。
正常なトリガー。
正常な制御系。
正常な兵装。
どれほど調べても、故障は見つからない。
だからこそ。
彼は、もう一度だけ、自分の右手を見た。
銃を握るために鍛えた手。
数え切れないほど、引き金を引いてきた指。
その指が、あの時だけ動かなかった。
機械の故障なら、直せばいい。
部品が壊れたなら、交換すればいい。
制御系が狂ったなら、調整すればいい。
原因さえ分かれば、対処できる。
それが、アキュラの信じてきた技術だった。
だが。
あの瞬間に起きたことを、どう修理すればいいのか。
彼には、まだ分からなかった。
白い照明の下で、ボーダーIIの金属が冷たく光っている。
その傍らで、アキュラはいつまでも、動かなくなったわけでもない自分の指を見つめていた。
テンジアン「捲土重来。アスロックが帰還した」
ジブリール「ボロッボロじゃねぇか!」
アスロック「……うるさい」
テセオ「なおピースもロストした模様w」
アスロック「焼くぞ」
テセオ「こわw」
ガウリ「でも本人はRETURN! 生きてりゃ次がある!」
ニケー「星ハ……まだ終わりを告げていまセン」
ジブリール「よし! じゃあピース取り返すぞ!」
テンジアン「相手はガンヴォルトとアキュラだ」
全員「…………」
テセオ「……これ、どーすんスかマジで」
ジブリール「ぶっ倒す!」
アスロック「……却下」
ジブリール「早ぇよ!」
ガウリ「皇神避けてMOVE!」
テンジアン「イージスがいる」
ガウリ「OH……」
ニケー「そして《蒼き雷帝》もいまス」
テセオ「もうやめてw」
パンテーラ「フフ……厳しい道ですね」
ジブリール「笑ってる場合か!!」
テンジアン「それでも、僕らは進む」
アスロック「……次は仕上げる」
ガウリ「楽園(EDEN)目指してKEEP ON!」
全員「次回――『楽園』!」
ジブリール「絶対負けねぇからな!」
テセオ「たぶん!」
ジブリール「テセオォ!!」
全員「次回も、グッドラック!」