「宝玉も持たず、妖魔相手に体を張って人助け。やっぱり優しいね、お隣さん!」
「ここは……何で……!」
駄目だ。色々な感情が入り交じって、頭の中がまるで整理できない。
そんな俺の反応を面白がっているのか、彼女は今朝と同じ笑みを浮かべた。
「大丈夫、大丈夫!私がなんとかするから……!」
そう言って化け物たちへ向き直り、俺と倒れている女性を庇うように長い剣を構える。
武器を向けられた化け物たちは、低く唸りながら彼女を睨みつけた。だが、彼女はまるで動じていない。それどころか、その立ち姿からは揺るぎない余裕さえ感じられた。
「ん~、三体かぁ。まっ、二人を守りながらでもいけるかな!」
彼女が独り言を呟いた直後、化け物の一体が床を蹴った。鋭い爪を振り上げ、一直線に彼女へ迫る。
「よっしゃこぉぉい!」
そう元気よく叫ぶと、半歩だけ横へずれて爪をかわす。すれ違いざま、長い剣を下からすくい上げた。
ギィンッ――と硬い音が鳴り、化け物の腕が肩から大きく跳ね上がった。その勢いのまま彼女は剣を返し、がら空きになった胸へ鋭い一撃を叩き込む。
「はい、まず一体!」
化け物が崩れ落ちるより早く、彼女は俺たちの前へ戻った。二体目がこちらへ回り込もうとしたため、その進路を塞いだのだ。仲間を倒された化け物が、荒々しい声を上げて横から飛び込んでくる。
今度は爪を左右へ振り回す連続攻撃。爪が空間を切り裂くたび、鋭い風が巻き起こった。彼女は剣を持ち替えるように構え直し、あえて一歩前へ出る。その動きへ誘われるように、化け物の爪が振り下ろされた。
ぶつかる――そう思った瞬間。彼女は爪を剣の腹で受け止め、その勢いを横へ流した。化け物の体勢が大きく崩れる瞬間、ザンッ、と胴へ深い一閃が走った。
「二体目ぇ!」
倒れる化け物を一瞥し、彼女は最後の一体へ剣先を向ける。
残された化け物からは、先ほどまでの獰猛さが消えていた。仲間を立て続けに倒され、ようやく自分の命が危ないと悟ったらしい。怯えた声を上げると、俺たちへ背を向けて一目散に逃げ始めた。
「あっ、逃げるな!」
彼女は焦ったように声を上げる。だが、倒れている女性を残して追いかけることはせず、その場で剣を構え直した。
「仕方ない。これでやるか」
小さく息を吐き、空いている手をポケットへ入れる。
少し探った後に取り出したのは、手のひらに収まるほどの球体だった。ビー玉にも見えるが、内部には淡い光が揺れている。あれを投げつけるのかと思ったが、彼女は球体を強く握り締めた。
「
彼女が叫んだ瞬間、握った手の中から眩い光があふれ出す。
光は腕を伝って長い剣へ移り、刀身へまとわりつくように広がっていった。
「逃がさないよ!」
彼女は深く息を吸い、逃げる化け物へ狙いを定める。腰をひねり、全身の力を乗せて剣を振り下ろした。
「いっ……けぇぇぇ!」
刀身にまとわりついていた光が、巨大な斬撃となって一直線に飛んだ。光の斬撃は逃げる化け物との距離を一瞬で詰め、その背中へ直撃した。遅れて激しい衝撃音が響き、化け物の体が崩れ始めた。肉体は黒い粒子となってほどけ、地面へ落ちる前に跡形もなく消えていく。
「はい、終了~♪」
三体すべてを倒すと、彼女が握っていた長い剣が光の粒へ変わり、もう一つの小さな球体へ戻った。先ほど取り出した光の球体と合わせ、彼女は二つをポケットへしまう。劇場で派手な演目でも見せられたような豪快な戦闘。アニメでしか見たことのない、非科学的な光の斬撃。
あまりにも現実離れした光景へ思考が追いつかず、俺はその場に突っ立ったままだった。
「もう大丈夫だよ!」
彼女に声をかけられ、ハッと我に返る。言いたいことも聞きたいことも山ほどある。けれど、まずは助けてもらった礼を言うべきか。
「えっと……ありがブヘッ!?」
「あ、ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
俺がお礼を言おうとした瞬間、後ろにいた女性が俺を押しのけ、彼女へ駆け寄った。なかなかの力だったせいで、思わず変な声が出てしまった。
「あぁ~、お姉さんも迷い人? よしよ~し、怖かったよね。でも大丈夫。ちゃんと表世界へ帰してあげますからね~」
「帰れるんですか!?お願いします!お金ならいくらでも払うので、ここから出してください!」
「お金なんていりませんよ~。出口まで連れていくから、まずは落ち着いて? ほら、深呼吸ぅ、深呼吸ぅ」
「お願いです!早く!早く帰して……!」
「すぅ~~~~……ド~ンッ!」
彼女は突然、女性の脳天に目掛けてチョップを落とした。
「んがっ!?」
女性は短く声を漏らし、そのまま力なく倒れる。
「ちょっ、お姉さん!? いきなり何するんだよ!」
「安心せい。峰打ちじゃ」
「剣すら使ってないだろ!」
慌てて女性の様子を確認する。
呼吸はしている。どうやら気を失っているだけらしい。それにしたって、大人を一撃で気絶させるとは、どんな力加減をしているんだ。
「だって、このお姉さん全然落ち着いてくれないんだもん。あんなに大声を出していたら、また妖魔に見つかっちゃうよ。今は寝てもらった方が安全!」
「妖魔って、さっきの化け物のことか?」
「そっ。今のは雑魚だったからよかったけど、ここにはもっと厄介なのがゴロゴロいるんだよ~?」
それが本当なら、半ば錯乱していた女性は格好の標的だ。
やり方はかなり強引だったが、静かにさせるという判断自体は間違っていなかったのかもしれない。……もし俺まで叫び続けていたら、同じことをされていたのだろうか。
「んじゃ、表世界へ帰してあげるね!」
「表世界っていうのは、今まで俺たちが暮らしていた世界のことか?」
「理解が早くて助かる~」
先ほどの化け物といい、裏世界といい、まるでファンタジー小説みたいな展開だ。さながら、ここは異世界といったところか。……いや、変に詮索するのはやめよう。正直、もう帰りたい。あんな化け物がいる世界になんて、二度と関わるべきじゃない。絶対に。
「それじゃ、レッツラゴー!」
彼女はそう言うと、迷いなく歩き始めた。
気絶して動けない女性の襟元を片手で掴み、床の上を引きずっている。完全に荷物扱いだ。だが、乱暴に見える一方で、彼女の表情には先ほどまでとは違う真剣さがあった。俺たちを表世界へ帰そうという意思だけは、はっきりと伝わってくる。これで元の世界へ戻れる。そう安堵しかけたところで、彼女が突然立ち止まった。
「どうした?」
「そういえば、二人はどこから来たの?」
先行きが一気に不安になった。
本当に彼女についていって大丈夫なのか?
「このお姉さんは分からないけど、俺が落ちてきた場所なら……」
「じゃあ、そこへ行こう! 案内して~♪」
なんとも気の抜けた返答だ。けれど、こうして明るく接してもらえると、先ほどまで張り詰めていた緊張が少しだけ和らぐ。……彼女を信用していいのかは、まだ分からないけど。とりあえず来た道を戻り、俺が落下した場所へ彼女を案内する。
建物の中は、どこも似たような壊れ方をしている。迷うかと思ったが、それほど遠くまで逃げていなかったため、すぐに目的地へ戻ることができた。
「俺は、この砂場の上に落ちたんだ。最初は砂山だったけど、スマホとかをなくして、中に埋まっているのかと思って探したせいで崩しちゃった」
「あらら。だから袖まで汚れているんだ。大丈夫だよ、表世界へ戻ったら元に戻るから」
「はぁ?どういうこと?」
「迷い人は、服と宝玉以外の持ち物を裏世界へ持ち込めないの。スマホとか財布とかは表世界側に残ってるから、帰ればちゃんと手元に戻ってくるよ」
「さっきから言っている迷い人って、俺たちのことでいいんだよな?」
「そうだよ~」
色々と気になることはあるが、ひとまずはスマホや財布が戻ってくるのならよかった。最悪、全部紛失したものと覚悟していたからな。両親へどう説明するべきか悩んでいたが、それなら一安心だ。
それにしても、衣服だけは身につけたままで、他の持ち物は元の世界に残るなんて、どういう仕組みなんだ?というか、今しれっと言っていたけど、宝玉って何だ?
「上から落ちてきたなら……この辺かな?」
彼女は天井を見上げ、何かを探すようにゆっくりと片手を動かした。
「あった!まだゲートの痕跡が残ってる!」
「痕跡?」
「迷い人が通ってきた場所には、しばらくゲートの跡が残るんだよ」
彼女が天井の一角へ手をかざす。すると何もなかった空間が、ゆっくりとねじ曲がり始めた。またしても奇怪な現象が起きた。だが、それ以上に、俺はその歪みに見覚えがあった。
「あれは……!さっき俺を飲み込んだやつだ!」
「あれはゲート。名前のとおり、表世界と裏世界をつなぐ出入り口だよ。これを通れば――」
これで帰れる。そう安堵しかけたところで、彼女が「あっ」と声を上げた。振り返ると、彼女は少し困ったように頬を掻いていた。
「どうかしたのか?」
「えっとね……。迷い人が表世界へ帰る時、このゲートの痕跡は一人分しか使えないんだよねぇ」
「つまり?」
「あのゲートで帰れるのは、二人のうちどっちか一人だけ。……このお姉さんのことは私に任せて、君は先に帰っていいよ」
「……えっ?」
思わず聞き返した。
「他のゲートに当てがあるのか?」
「ないよ?」
「ないのかよ!」
「ありそうな所を、ぐるぐる回って探すかな。せっかく助けたんだし、見つかるまで探し続けるよ」
「そんな簡単に見つかるものなのか?」
「運ッ!」
「……運任せってこと!?」
思わず声が大きくなる。ついさっきまで、化け物に追いかけられていた世界だ。そんな場所を、ゲートが見つかるまで歩き回る。しかも意識のない女性を運びながら。正気とは思えない。
「まぁでも、平気平気!私、結構強いし!」
彼女はそう言って、ぐっと力こぶを作ってみせた。確かに強い。さっきも三体の化け物を、ほとんど一方的に倒していた。だけど、それでも――。
「危ないだろ」
「んっ?」
「その人、気絶してるじゃん。ずっと運びながらだと動きにくいだろ?」
「まぁ、ちょっと面倒ではある!」
「面倒で済ませるなよ……」
「大丈夫。気にしないで」
彼女はいつもの調子で答える。しかし、気を失っている人を引きずりながら、化け物のいる世界を歩き回るのは危険すぎる。この世界について何も知らない俺にだって、それくらいは分かる。
普通なら、彼女の言葉に甘えて先に帰るだろう。相手が自分から引き受けると言っている。それに、俺だって自分の命が大事だ。帰ることを選んでも、決しておかしくはない。
だけど――。
「なら……そのお姉さんを先に帰してくれ。俺は後でいい」
「……ッ!?」
彼女は目を丸くした。
「だって、俺は自分で歩ける。その人は意識がないんだろ?俺まで一緒にいたら、お前が守る相手が増える。だったら、少しでも身軽な方がいいだろ」
「おぉ~……!」
何故か感心したような声を漏らしながら、彼女は俺の顔をじっと覗き込んでくる。
「な、なんだよ」
「いやぁ~。てっきり「ラッキー!先に帰ろう!」って言うと思ってたから」
「俺、そんなに薄情そうに見えてたのか……?」
「ううん。優しい人だとは思ってたよ。でも、想像してたよりもっと優しかった!」
彼女はいつもの調子で、真っ直ぐに笑った。
変人だけど、こんな風に笑われると妙に調子が狂う。
「……助けてくれた人を放って一人で帰るのも、後味が悪いし」
「ほほぉ~!つまり情に厚いタイプ!」
「茶化すなよ」
「でも、それならちょっと助かるかも!」
彼女は気絶している女性を見下ろし、少しだけ困ったように頬を掻いた。
「実は、意識のない人ってすっごく運びにくいんだよ!人って力を抜くと、ものすごく重く感じるんだね。知ってた?」
「そんな豆知識いらないわ!」
「持ち上げるだけなら平気なんだけど、この人を抱えたままだと両手で剣を振れないんだよね~」
緊張感のない会話をしているうちに、先ほどまで張り詰めていた恐怖が少しずつ和らいでいく。……いや、和らいでいい状況ではないのだけど。
「じゃあ決まり! このお姉さんを先に帰還させま~す!」
彼女は女性の襟元を掴んだまま、片手で軽々と持ち上げる。
さらっと、とんでもないことをしていないか?
「それじゃあ~~~~ぽいっと!」
「投げた!?」
ぶんっ、と綺麗なフォームで放り投げられた女性は、そのまま空間の歪みへ吸い込まれていった。あの女性、なんだか不憫に思えてきたな。化け物に追われ、助けてくれた女子高生に気絶させられ、最後には荷物のように投げ飛ばされる。酷い目にしか遭っていない。
女性をのみ込むと、ゲートは役目を終えたかのように小さくなり、そのまま静かに閉じていった。
「……扱いが雑すぎないか?」
「大丈夫、大丈夫!迷い人は死なずに表世界へ帰れれば、裏世界で負った怪我は治るし、汚れも元どおりになるから!ちゃんと目も覚ますよ!」
「都合よすぎるだろ、この異世界……」
「異世界じゃなくて、裏世界!」
彼女はびしっと人差し指を突きつけ、妙に得意げな顔をした。
変なところだけこだわるな。別にどちらでも同じようなものだろうに。
「ここは地球のもう一つの世界!人間が暮らす表世界と、妖魔がうろつく裏世界。二つで一セットなのです!」
「説明がふわっとしすぎだろ……」
「う~ん……。食べ物で例えると、焼き魚の身と皮みたいなもの!」
「さっきより分かりづらくなったな」
どうやら彼女も、裏世界で生き残るための知識はあっても、世界そのものの仕組みまでは知らないらしい。
まあ、俺だって普段暮らしている地球の構造を全部説明しろと言われたら無理だ。
「さぁて!ゲート探しのついでに、せっかくだから私が裏世界の観光ガイドをしてあげましょう!ほぉら、離れないようについておいで~!」
「俺は遠足に来た園児か。……まあ、案内よろしく」
学校にいる時と同じ調子で先頭を歩く彼女へ、俺も思わずいつもの調子でツッコミを返す。そのまま彼女の後について建物の外へ出た瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……なんだよ、これ」
空が、おかしい。夜でも昼でもない。赤黒く濁った空がどこまでも広がり、雲のような何かがゆっくりと渦を巻いている。太陽も月も見えないのに、周囲は薄暗い光に照らされていた。
遠くには高層ビル群が傾き、道路は途中で崩れ、あり得ない方向へ折れ曲がっている。電柱は地面へ逆さまに突き刺さり、信号機は不規則な間隔で色を変え続けていた。
まるで、世界そのものが一度壊れた後のような景色だった。
「ここ……徒画市なのか?」
見覚えのある駅前ビルや潰れたコンビニなど、何もかもが歪んでいる。それでも、俺たちが暮らしてきた徒画市と、どこか似ていた。
「おっ、鋭いね~」
彼女は得意げに振り返る。
「正確には“徒画市っぽい何か”かな!裏世界は、表世界を真似するように形を変えるんだって。不思議だよね~」
「真似にしては雑すぎないか?」
遠くのマンションなんて、三階から上だけ横向きになっている。
「まぁ、裏だからね!」
「意味の分からない理屈だな……」
歩きながら周囲を見回す。道路は途中から空中へ伸び、そのまま途切れていた。公園の滑り台は逆さまになり、隣のビルの外壁へ突き刺さっている。どういう法則で成り立っているのか、まるで分からない。というより、そもそもまともな法則で成り立っていないように見える。
「でも、意外と役に立つよ?」
「何が?」
「方向感覚!表世界で人が多く集まる場所ほど、裏世界でもいろいろ見つかりやすいの」
「いろいろって?」
「妖魔とか!」
「嫌な情報だな……」
「ゲートとか!」
「それはありがたい」
「危ない人とか!」
「やっぱり嫌だな!」
この世界、危険なものしか集まらないんじゃないか?
そんなことを考えながら歩いていると、遠くの建物の屋上で黒い影が動いた。犬のようにも、人のようにも見える。だが、どちらでもない異形だった。そいつは屋上からこちらを見下ろし、黄色い目を細めている。
「……ッ!」
思わず身構えた。
「あっ、あれは気にしなくていいよ。弱い方だから」
「気にするだろ!……思っていたより頻繁に出くわすんだな」
「大丈夫だって!襲ってきたら倒す!」
どこまでも危機感が薄い。なのに、不思議と安心感があった。さきの三体の妖魔をあっという間に倒した姿を見たからか。
すると彼女は突然立ち止まり、近くの建物を指差した。
「あっ、見て見て!」
「今度はなんだ?」
「あれ、裏世界のコンビニ!」
少し先に、見覚えのあるコンビニが建っていた。窓ガラスはほとんど割れ、外から見ても分かるほど店内は荒れ果てている。位置から考えると、俺がいつも下校途中に立ち寄っている店だな。
「裏世界だと、ここまで無残な姿になるんだな」
「そうだよね~。試しに入ってみたけど、商品が一個もなかったんだよ!」
「あれに入ったのか!?」
「あっ、でもトイレは普通に使えたよ。もし漏れそうになったら――」
「絶対に使わない!怖すぎるだろ!」
そんなくだらない会話をしていると、また少しだけ緊張が薄れていく。ついさっきまで、化け物に殺されかけていたはずなのに。ふと隣を見ると、彼女は鼻歌交じりで歩いていた。本当に、この状況を怖がっていない。それどころか、危険な裏世界を楽しんでいるようにさえ見える。
まるで、この世界に慣れているかのように。
「なぁ」
「ん~?どうしたの?」
「いや……そういえば、お前って何者なんだ?」