ペニー・パーカーに幼馴染を生やして曇ったり曇らせたりする話 作:血袋
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうして、こんなことをしたの?」
僕がミステリオを──クエンティン・ベックを捕らえた現場に後から駆け付けた、ペニーの開口一番の言葉はそれだった。
ペニーのロボットが出したクモ糸で磔にされ身動きもできないベックは、苦々し気に口を開く。
「……満足できなくなったのさ、裏方で居続けることに。ボクが
「だから……思い付いたのが、ミステリオ?」
「実際、良い線いってただろ? ボクのイリュージョン技術とドローン兵器の合体は奇跡だ、映像と本物のダメージが魔法を生む! これからが本領発揮だった! もっと多くの大衆を魅せられたはずだったんだ──」
「──それで、どうしてやったことが街の無差別破壊だったんだよ」
長ったらしくなりそうなベックの弁舌に、気付けば僕は口を挟んでいた。
無意識ながら、自分でも驚くぐらいに底冷えするような声が出ていた。けど仕方がないだろう、今のベックと話すのは不快感がある。まるで、またゴブリンが僕の意識を乗っ取ろうとしてるんじゃないかと思ってしまうほどに。
そんな僕の吐き捨てるような問い方が気に食わなかったのか、ベックはこちらを睨んで噛み付くように抗弁する。
「何が、それの何が悪い! オマエたちだって同じじゃないか! 正体を隠しながら、人並外れた力を使い続けているだろ! オマエたちだって!」
「一緒にするなよ。いや僕は構わないけどさ、隣のヒーローとは一緒にしないでくれ。君は、その人並外れた力ってヤツで、誰か一人でも助けようとしたことはあるのか?」
売り言葉に買い言葉でベックを否定しようとする僕に、待ったを掛けたのはペニーだった。
僕よりも一歩前に出て、ベックに向き合う。たとえロボットという鎧越しであっても、そこにはペニーの真摯さが見て取れた。
「……ベックさん。あなたの才能は、本来たくさんの人々を楽しませることができるものよ。嘘で騙し、恐怖で支配する、なんてやり方じゃなくて……誰かを笑顔にして、幸せな時間を与えることだってできる。それがあなたの才能の在るべき姿だと思うの。たとえ有名になれるのが遅くたって平気よ、あなたが天才だってのは私も認めるところなんだから!」
それは、怒る悪党を宥めるためだけの世辞では、決してなかった。
ペニーの声色は真剣だ。彼女は本気で、ベックの才能が短絡的な悪事に使われたことを悲しみ、怒り、心から残念に思っている。
僕みたいに、悪に走った浅はかさを愚弄するだけでなく。彼女は相手が悪人だからという理由で見放したりはせず、認めるべき部分は認め、理解できるところは理解し、時にはそれに寄り添おうとさえするらしい。……まるで隣人のように。
実際、その効果はあったようで──ペニーの言葉を聞いたベックは観念したのか項垂れて、絞り出すように言葉を漏らした。
「……偶然、キミが……スパイダーの正体が、単なるガキだと知って。……ボクにもやれるはずだって、そう……考えてしまったんだ」
──人には無い自分だけの能力を、街中でド派手に披露すれば、そりゃ誰だって瞬く間に有名人だろう。悪名でも構わないのなら、世間を騒がせるだけの犯罪でも起こせば一発だ。
自己陶酔に自己顕示欲、そんな心の暴走。それが人の道を踏み外す引き金になった……ならば、踏み止まるためには何が必要だったのか。
「……別に好きでも何でもないし、そもそも僕が口にして良い言葉じゃないかもだけどさ」
きっと、その答えこそが、超人を
「ヒーローに有って君に無かった、その違いを……“大いなる責任”って呼ぶんじゃないかな」
それだけ言い残して、僕はベックに背を向ける。
これ以上、僕が偉そうに言えることは無いし……何より、いい加減ゴブリンがうるさい。こいつさっきから『
「ベックさん。あなたがちゃんと更生するの、待ってますからね」
ペニーもヒーローとしての役目は終えたのか、僕に続いて踵を返した。
実際、悪党をここまで無力化させれば、後は警察の仕事だ。超人の役目はここでお終い。
夜空の下、僕らは摩天楼から飛び降り、家路へと滑空した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ペニーは……すごいな」
「えっ、どうしたの急に」
帰路の途中。
グライダーの上で譫言のように呟いた僕の声を、隣でスイング移動するペニーは聞き逃してくれなかった。
「あぁいや、僕には真似できそうにないって話。罪を憎んで人を憎まずってさ、意外と難しいことだなって思ったよ」
「そう? 相手が犯罪者だってことと、その人が優れた力を持ってるって認めてあげることは別の問題じゃない?」
僕としては、その人物が優れた力を持っているからこそ、何故その力を善い目的に使えないのかという怒りが生まれてしまう……のは、僕の中のゴブリンがそう思わせてくるのだろうか。
「そういう切り分けた考え方ができること自体、ペニーがヒーローに向いてる証拠なんだろうな」
「あはは、大袈裟だよ。私はただ単に……この街の皆の“親愛なる隣人”だった、お父さんみたいなヒーローでいられるよう頑張ってるだけだから」
「……待って、リチャードさんがヒーローだった? じゃあ、ペニーは……その二代目?」
「うん、そうだよ。私と一緒に戦ってくれるSP//drも、お父さんから受け継いだ。ベンおじさんとメイおばさんにも協力してもらって、私はヒーロー活動やってるの」
「ベン叔父さんにメイ叔母さんまで……知らなかった」
「宣伝して歩く真似はしてないもの。スーパーヒーローは謎の存在って設定が崩れるでしょ?」
衝撃の真実だ。幼馴染の身でありながら、今まで気付かなかったことが情けなくなってくる……けど、気付いたところで今までの僕に何かができたわけでもないんだろうと思ってしまう。
むしろ、僕の中にあるコンプレックスが一層に刺激されるだけだったかもしれないか。
「お父さんはね、とにかく目の前で困っている人を見捨てられない性格だった。それは相手が悪党でも変わらなかった。もちろん犯罪は許さないけど、それでも倒して終わりにはしない……その人がどうして悪事に手を染めてしまったのかを考えた。私も、それを真似したくて」
「……けど、それは」
難儀な話だ。僕はリチャードさんについて語れるほど詳しくないが、少なくともそう思う。
普通の人間は、悪事を働いた奴や敵対した相手が困っていれば、まず見捨てるだろう。いい気味だ、自業自得だと。
悪だから名前を覚えないということはなく、悪だから認めないということもなければ、悪だから死んでも構わないということもない──思想としては感動するほど立派だが──そんな悪と命懸けで戦う身でもあるというのに、とても危うい考え方だ。却って仇になる。
事実、リチャードさんは……だからこそ五年前、戦いの中で命を落としたんじゃないのか。
もしも、もしもペニーが父親同様の未来を辿るのなら、なんてことは想像したくもない──
「……お父さん、目の前で困っている人を見捨てて後悔したことがあったらしいの。だから、私も自分が後悔しないように行動してるだけよ。……ねえ、ハリー。ハリーが、その力を手に入れたのは……何のため?」
──けれど、今は他人の心配をするより、自分の弁明をする方が先らしい。
ヒーロー・スパイダーは悪を悪だという理由だけで見放したりしない。その理論で行くなら……変な薬に手を出して怪物となった愚かな僕も、ペニーに見放しちゃもらえないということだから。
「失望してくれて良いんだけどさ。事故の怪我を治すオマケで超人に変身できちゃう不思議な薬があります、なんて話があったら、男子としちゃ乗らない方が嘘だと思わない?」
「ハリー、真面目に話して」
「ハイゴメンナサイ、って謝りたいところだけど事実なんだよねコレが。昔からスーパーパワーに憧れていた馬鹿な子供がオイシイ話に飛びついたら、頭の中を悪い妖精さんに乗っ取られて、大勢の人に怖い思いをさせました。話はそれでお終いさ」
「……嘘。それだけじゃないでしょ、ハリーが馬鹿な真似する理由なら」
「……僕が事故に遭って怪我したのを自分の責任みたいに思って泣いてる君の姿が見たくなくて、手っ取り早く怪我を治したかったってのはあるよ。言い訳にする気は無いけどね」
喋ってて自分が嫌になってきた。あまりに情けなくて、恥ずかしくて。
さっきから頭の中でゴブリンがギャーギャーと喧しい。それも当然のことだ、ゴブリンは愚かな悪を嗤う。だったら、他ならぬ僕自身だって愚弄の対象だろうさ。
……しばらく無言が続いている内に、ペニーの家に着いていた。
常なら夕飯をご馳走になる流れだけど、ベン叔父さんとメイ叔母さんがヒーロー活動の協力者だというなら、僕がグリーンゴブリンを名乗って暴れた一部始終も二人には伝わっているんだろう。今は、顔を出せる勇気が無い。
「送迎はここまでだね。まぁ、君に夜道のボディーガードが必要だったとは思えないけど──」
「──ハリー、そのフライトスーツ脱いで。趣味の悪い変な仮面も外して」
「えっ、どうした急に」
「そのスーツ硬いんだもん。いいから早く脱いで」
「スーツが? ……まぁいいや、わかったよ」
ロボット改め正式名称SP//drから降りたペニーが、何やら怖い顔で僕に脱げと催促してくる。
有無を言わせない妙な圧があった。いまいち要領を得ないまま、言われた通りに仮面を外して、フライトスーツを脱いだ──
「んっ!」
「うおっ」
──ところを、ペニーに抱き付かれた。真正面から、思いっ切り、がばっちょと。
意中の異性に抱擁されることへの喜び……よりは、唐突なことへの驚きや困惑の方が先に来る。頭を撫でるのはまだしも、ハグまではいつものアレにだって含まれない。
「……うぅ、ハリー……」
対応を決めあぐねている内に、ペニーは僕の胸に顔を押し当てたまま、すすり泣き始めた。胸板と密着する熱に、湿り気が加わる。
……ダメだな。なんか僕、ペニーを泣かせてばかりじゃないか?
身体能力増強薬を使うと決めた理由の一つには、彼女が泣く姿を見たくないからってのもあったはずなのに。
申し訳なさから流石に意を決して、僕も彼女の背に腕を回し、抱き返した。
「あー……どうしたのさ、ペニー。怒るとか叱るとかなら分かるけど……悪党に涙を見せるなんてヒーローとしちゃ格好が付かねえぜー、なんて」
「……そういうの、やめて。私の前で悪ぶるの、二度としないで」
「アッハイ、スミマセンデシタ」
露悪的な物言いは圧倒的不評をくらったので打ち切る──けど、代わりになるような気の利いたジョークも思い浮かばず。
もごもごと次の言葉を探す僕より先に、ペニーがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「……おかしな格好して、人質まで取って、酷いこと言いながら私に襲い掛かってくるヴィランの正体が、よりにもよってハリーで。……私、すごく怖かった」
「っ、ごめん。君を深く傷付けた。薬のせいだなんて言い訳はしないよ。謝って許されることじゃないけど、本当に、本当にごめん──」
「──違うの。
僕の謝罪を遮って、ペニーの抱き付く力が一層に強く込められる。
密着した体で感じる温度までもが、より熱くなった気がした。
「だって、ハリーがヴィランになったりしたら……私はハリーと戦わなくちゃいけない。ハリーを傷付けなくちゃいけない。……もう、私がハリーを守ってあげられなくなっちゃう! ハリーが、私の背中から、いなくなっちゃう!」
僕にしがみ付くペニーの力は痛いほどになる。流れる涙の熱が服越しにも強く伝わる。
それは、とてもヒーローと呼ぶことなんてできない、年相応な少女の嗚咽で。
「私にできるのは、戦う覚悟だけ──
ほとんど叫びのような一言を吐き出して、ペニーは僕の胸ですすり泣くだけに戻った。
……本当に、心底から嫌になる。彼女を苦しめる重石になってばかりな僕自身に。
失う覚悟、か。
きっとペニーの中では、今でも亡き父親の存在が強く根付いているんだ。目指すべきヒーローの姿として──同時に、戦いの中で喪われてしまう命の象徴として。
先代スパイダーは、守るべき己自身の命を守り切れなかった。それ故にペニーも恐れている──おそらくは自分自身より、自身と近しい間柄にある人物の命を守り切れなくなる事態を。
だから、恐怖した。僕が戦うべき敵となったことに──僕を庇護対象から外さなければならなくなったことに。
今回、僕がヴィランに堕ちかけたことなんて、ペニーが生涯を形成していく途上で起こる大きなイベントとしては、きっと序の口に過ぎない。
大いなる力には大いなる責任が伴うことを、彼女がその身を以て経験することになるイベント。それは今後も絶え間なく訪れ続けるんだろう……彼女がヒーロー・スパイダーである限り。
ああ、それは、そんな運命は何とも──
「──ふざけんなよボケが」
「えっ?」
「ペニー、僕は失われてなんかないよ。ここにいる。いなくなったりもしない」
無意識に、言葉は僕の口を衝いて出ていた。
驚いて顔を上げたペニーの泣き濡れた目と、しっかり見つめ合う。
「これからは僕も、君と一緒に戦う。共に街を守ろう、ペニー」
「ハリーが……私と、一緒に?」
「ああ。君と同じヒーロー……は烏滸がましいから、君を支えるサイドキックって感じでさ。君や多くの人に怖い思いをさせてしまった分、これからは正しく力を使いたい──ってのは言い訳か。ただ単純に、君の力になりたいんだ」
「……で、でも……危険よ。私は、ハリーが傷付くところなんて、見たくない」
「それはこっちの台詞だよ。僕だって、ペニーが傷付くさまを眺めているだけなんて嫌だ。君がヒーローなんてやってると知った以上は、その苦労を君一人に背負わせるなんてしたくない」
本音をぶっちゃければ、命懸けの危険なヒーロー活動なんて今すぐにでも辞めてもらいたい。頭が良いだけの、ただの可愛い少女に戻って、平穏な日常を過ごしてほしい。
だけど、それが叶わないことはわかる。大いなる力には大いなる責任が伴う──きっと、平凡に生きていたとしても、ペニーの視界には手を伸ばせたはずの人たちが映る。そして事件のニュースや事故の記事を見る度に後悔するのだ。自身がヒーローでいれば助けられたはずの命のことを。
「君は皆の親愛なる隣人なんだろ、スパイダー? だったらその言葉通り……君の背中じゃなく、隣に居させてくれないか。君を、隣で支えさせてくれないか」
だから、これが僕の折衷案。
スーパーヒーローは謎の存在だけど、独りで戦うものだなんて設定は無い。君が苦しみを分かち合える相手になりたい、その想いを込めて。
「ぅ……う゛ぅ……!」
ペニーの涙はまだ止まってくれない。それでも、その泣き声に悲痛な色は、もう感じない。
「……ありがとう、ハリー。本当は、すっごく心強い」
「だろ? まぁ今後ともよろしく、ってことで!」
喜びと共に、僕の方もペニーを抱き返す力を強めた。
胸の中にある体温が高まる。汗が僅かに混じった、女の子のいい匂いがする。……勢いと流れに任せてたけど、お互い結構気恥ずかしいことしてるかも。
「……ハリーの胸板、厚いね。体、こんなにがっしりしてたっけ」
「あー、多分それは薬の影響。筋量とか骨量が増えたからだと思う」
薬物で得た偽りの肉体なんて誇れるものじゃないけど、まぁこうして役に立つなら良いか。
「心が苦しくて悲しくて、暴れたいとか泣きたいとか……そんなこと思ったら、いつでも僕にぶつけてくれ。この大胸筋でいくらでも受け止めてやる。僕めっちゃタフになったし」
「あははっ、何それ!」
カッコつけた僕の言葉に、ペニーが明るい笑い声を上げる──ああ、ようやく笑顔を見られた。
この笑顔を守りたい。ヒーローだから、なんて理由で、この笑顔が曇ることは許せない。
失う覚悟なんて、できなくていい。ペニーは僕が守る──運命様、上等だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……運命様に対抗心を燃やすよりも先に、まずは自分の問題を片付けなくてはいけない。
名残惜しみながらペニーと別れ、僕も自宅への帰路を急ぐ。
ベン叔父さんとメイ叔母さんへの挨拶は一旦後回しにしたけど、流石に自分の父親との話し合いは避けて通れない。
やらかしてしまったこと、そして今後のこと。父さんに許してもらわなくては。
「……ところで、どうしたんだよ妖精さん。さっきから妙に大人しいじゃんか」
『日が悪かったのォ。ワシは今メチャクチャ機嫌が悪いんや』
「あっそ。まぁわかるよ、おまえだって僕だもんな。ペニーのことまで悪く言えないよな」
『言葉で火がつく……!!』
幸いなのは、ペニーと話し合って以降、頭の中のゴブリンが随分と静かなこと。
その分の鬱憤は僕の方に向かってくるけど、自分が自分にキレてるようなものだし怖くはない。ここからの話し合いにも茶々を入れないでいてくれるなら十分だ。
なんてことを考えている内に、自宅には到着した。
門戸にグライダーを着陸させ、城館みたいな屋敷の玄関に立つ。インターホンは鳴らさずとも、我が家のセキュリティシステムが既に僕の姿を捉えているだろう。
ほら、今の僕の聴覚であれば、扉の向こうから聞こえてくる。慌てて自室から飛び出しバタバタと階段を駆け下りてくる足音、荒い息遣い。どうやら余程心配させてしまっていたみたい。
「──ハリー!」
すぐに玄関の扉は開け放たれ、出てきた父さんに思い切り抱きしめられた。
まずはジャパニーズ土下座から入らなきゃってくらいの心持ちでいたから、これは想定外。
「や、やあ父さん、ただいま。えっと……まずは何から謝るべきかな? 心配を掛けたことは勿論だけど、人質扱いしちゃったこととか、そもそも良い治験結果じゃなくてごめんなさいとか」
「良いんだハリー、おまえが謝ることは何も無い。全てはおまえに未完成の薬を勧めてしまった私の責任だ……おまえは誰も殺めてはいないし、壊されたトラムウェイのケーブルを補修する費用は我が社が出した。何も気に病まなくていいんだ」
「……だけど。あの薬に頼ると決めたのは僕の意思だし、迷惑を掛けたのは事実だよ」
父さんの心遣いは嬉しいし、実際あの時ゴブリンに意識を乗っ取られてた僕は心神喪失状態ってやつだったのかもしれない。それでも事の発端は僕の意思決定に因るものであり、犯してしまった蛮行は消えない。
そう考えてしまう僕に、父さんは言葉を続ける。
「そんな苦悩からはすぐに解放される。今、我が社で解毒剤の開発を急いでいるところだ」
『なにっ』
解毒剤、という単語を聞いて大きく反応したのは、僕ではなく頭の中のゴブリンだった。
まあ当然か。その解毒剤が身体能力増強薬の薬理作用を無効化するならば、薬の副作用が生んだゴブリンの人格も消え失せるということだから。
「副作用など完全に消えるだろう。完成まで長くは掛からない見通しだ、安心していい」
『はうっ、その解毒剤はやめろーっ!』
みっともなく命乞いしてるゴブリンの様子は面白いし、心配してくれる父さんには悪いけど……少なくとも今はまだ、それを受け入れるわけにはいかない。
「ありがとう父さん、心強いよ。だけどゴメン、それを使うのは当分先のことになるね」
「なに? どういうことだハリー」
「父さんも知ることになったでしょ、ヒーロー・スパイダーの正体を。僕、ペニーの手助けをすることに決めたんだ。だから、この力はまだ要る」
……こうして言葉にしてみると、せっかく手に入れた力を手放したくない子供の我儘みたいにも聞こえてしまう気がした。
だけど、本心だ。まだ、この力には世話になる。
「おまえが、ヒーロー活動を? それは……危険じゃないか。おまえはまだ子供だ」
父さんには若干の難色を示される。まぁ当然の反応だ、これに関しちゃ僕はベン叔父さんとメイ叔母さんに同じ文句を言いたい。
もちろん、だからと言ってここで引き下がれないんだけれども。
「危険は承知の上だよ。だから、黙って見過ごしてくれ、なんてことは言わない。むしろ、父さんには協力してほしいんだ」
ちょっと前までは父さんに頼ることを良しとしなかった僕だけど、この期に及んでそんなことを言い続けるつもりは無かった。
ペニーの助けになりたい。今度はこの力を正しく使いたい。そのために僕が利用できるものは、何だって活かす。
「ノーマン・オズボーンの力が必要なんだよ。グリーンゴブリンの
『──お見事ですハリボー。やはり私がにらんだ通りあなたは強い
「噓つけッ、僕の評価めちゃくちゃ低かっただろうに。あと僕の名前をグミ菓子みたいに呼ぶのもやめろ」
玄関口での交渉はひとまず上手くいき、ようやく自室のベッドで寝転がる。
頭の中でゴブリンが掛けてくる労いの言葉は素直に受け取れるはずもなく、僕は悪態を返した。どうせコイツは自分が消えずに済んで調子に乗っているだけだし。
「結果的に仕方ないとは言え、薬で生まれた変な人格を庇うなんて……世の薬物中毒者たちを僕は笑えないよ」
『しかし俺を恨むのは筋違いだぞ、悪いのはおまえ自身だ』
「わかってるっての……父さんも巻き込む形にしちゃったし、もう後には引けない」
申し訳なさはあるけれど、実を言えば上手くいくことは分かり切っていた。
普段は過干渉を拒む僕が素直に父さんを頼った時、父さんはいつも喜んでそれに応えてくれる。無下にされることは無い。……今回もそれを利用しただけだ。我ながら嫌な御曹司だよ。
「ペニーのヒーロー活動を支える。そうして、やらかしたことを埋め合わせる……それだけだ」
『それが“NEOグリーンゴブリン”の生き方や』
「いやNEOはナシだろ……Newとか無難なので良くないか……?」
自己嫌悪に苛まれながら、ゴブリンのどうでもいいコメントへの相槌を打っている内に、段々と睡魔が襲ってくる。
流石に今日は色々とありすぎた。詳細なことを詰めていくのは、明日からでも許されるだろう。
「ヒーローの味方を、するんだから……ヴィランのグリーンゴブリンは、卒業しないとね……」
『俺たちゴブリンがスパイダーを支える……ある意味“最強”だ』
「あぁ……そうなると……良いな──」
──やがてゴブリンの声も聞こえなくなり、僕は眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「──ねえ、SP//dr。これからは、ハリーが一緒に戦ってくれるんだよ」
愛機にして親友の整備を進めながら、ペニーは呟く。
「ちょっと心配な気持ちもあるけど……やっぱり、それ以上に嬉しい」
胸中の温かな喜びが溢れているかのように、言葉を紡ぐ。
「SP//drも聞いたよね? ハリー、私の隣に居てくれるんだって。……ヒーローやってる限りは、そんなことまで望めないと思ってたのに」
今まで、ずっと我慢していた。撫でてもらうだけで、褒めてもらうだけで、欲張ってもハグする程度で、抑えていた。
「私を隣で支えてくれる、ってさ……それってさ。私だけのヒーロー……ってことだよね?」
だけど、これからは、それ以上を求めても良いのなら。
「私だけのものに、なってくれるのなら。──もう我慢とか、しなくても大丈夫だよね?」
それは、まるで。巣の網に掛かった哀れな羽虫を捕獲しに向かう、ジョロウグモのように。
ペニーの口角が無意識に上げられるのを、SP//drだけが観測していて。
『ネガティブ感情の解消を確認。ペニー、ヨカッタデスネ』
これから毒で動きを封じられ糸に巻かれる運命にある羽虫を哀れに想う機能までは、SP//drには未搭載であった。
キリの良いところまで書き切ろうとしてたら遅くなりました、ごめんなさい。
ここから湿度や不穏さを高めていけたら良いなァ。