ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第1話 ネオンの父、破滅まで二十二年ある

 重苦しい黒の礼服から解放され、ようやく泥のような眠りについたはずだった。

 目を覚ますと、鈍い頭痛がこめかみをギリギリと締め付けている。昨日、父親の葬儀の後に訪れた弔問客の対応で、少し強い酒を呷りすぎたせいだろう。胃の奥にはまだアルコールの不快な熱が燻っている。

 父親が死んだ。

 数年にわたり入退院を繰り返していたとはいえ、やはりその喪失感は重く、冷たい鉛のように腹の底に横たわっている。そして今日から、自分がこのノストラード組を率いていかなければならない。

 そこまでは、ライト=ノストラードとしての二十二年間の記憶として、ごく自然に頭の中にあった。

 だが、その続きがどうにもおかしい。

 

 視界に広がる天井の意匠。豪奢とは言えないが、古い家らしい落ち着いた造り。

 しかし、脳の奥底に浮かび上がるのは、それとは全く違う風景だった。

 コンクリートとアスファルトに覆われた、見知らぬ巨大な街。

 詰め襟やブレザーを着て通った学校。

『日本語』という、この世界には存在しないはずの言語の響き。

 毎週楽しみに読んでいた漫画雑誌。

 薄型テレビ、パソコン、手のひらに収まるスマートフォン。

 そして、無数の情報が飛び交うインターネットの世界。

 最後に、薄暗い病室か、あるいは突然の事故だったか……とにかく『自分が死んだ』という強烈な感覚。

 

 それらが、堰を切ったように頭の中へ流れ込んでくる。

 

「…………は?」

 

 ライトはベッドから身を起こそうとして、そのまま崩れ落ちた。

 人格が別の何かに乗っ取られたわけではない。「ライト=ノストラードとして、この街で父親の背中を見て育ってきた二十二年の自分」と、「前世の、現代日本という平和な国で生きていた自分」の記憶が、一つの器の中で完全に溶け合っている。

 父親を亡くした悲しみは、胸を締め付けるほどに本物だ。組の連中に対する親愛の情も、昨日までと何も変わらない。

 しかしそれと同時に、「自分は前世で読んだ漫画を通して、この世界がどういう場所なのかを知っている」という途方もない事実が、疑いようのない現実として定着しつつあった。

 

 混乱の極みの中、ひどい寝汗をかいていることに気づき、重い足取りで洗面所へ向かった。

 蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。水滴を滴らせながら、ゆっくりと顔を上げ、鏡を見た。

 

 そこに映っていたのは、金髪の若い男。二十二歳。

 昨日まで毎朝見ていた自分の顔。だが、前世の記憶というフィルターを通すと、まるで映画に出てくる外国人の俳優を眺めているような奇妙な感覚に陥る。

 

 そこで改めて、自分の名前を反芻した。

 ライト。

 ライト=ノストラード。

 

 水滴を拭う手が、ピタリと止まる。

 

「…………ノストラード?」

 

 前世の記憶の海を探る。

 ライト。ノストラード。

 マフィア。ヨークシンシティ。

 そして、その名前を決定づける存在。

 

 ネオン=ノストラード。

 

「うわぁぁぁぁ……」

 

 思わず両手で顔を覆い、洗面台に突っ伏した。

 よりによって、こいつか。

 世界を救う主人公ではない。彼らと切磋琢磨する魅力的なライバルでもない。

 ヨークシン編という、血で血を洗うマフィアの抗争劇に登場した、中途半端な成金組長。

 娘の持つ百発百中の予知能力──『天使の自動筆記(ラブリーゴーストライター)』に完全に依存し、裏社会を成り上がった男。

 そして、その能力が使えなくなった途端、築き上げた地位を急速に失っていった。そこから先の人生がどうなったのか、前世の自分にははっきり思い出せない。

 

「転生先として……微妙すぎるだろ……」

 

 思わず自嘲気味な笑いが漏れる。チート能力をもらって無双するわけでも、物語の中心人物に成り代わるわけでもない。ただ将来の没落が見えている親父、という事実があまりにも滑稽だった。

 

 しかし、絶望に浸ろうとした瞬間、ある強烈な違和感がライトの思考にストップをかけた。

 

 鏡に映る男。

 若すぎる。

 漫画の中で見たライト=ノストラードは、恰幅がよく、明らかに中年の域に達していたはずだ。だが、鏡の中の自分はまだ二十二歳。肌に張りがあり、目には野心すら宿っている。

 

「──ネオンは?」

 

 弾かれたように顔を上げ、自身の記憶を猛烈な勢いで検索する。

 いない。

 娘はおろか、結婚すらしていない。過去に付き合っていた女性は何人かいたが、現在特定の恋人もいない。当然、未来の予知能力者たる娘など、影も形もない。

 

 ライトは洗面所を飛び出し、寝室のサイドテーブルにあった朝刊をひったくった。

 日付を見る。

 1977年。

 前世の西暦の感覚と、この世界の暦が概ね一致していると仮定する。前世の記憶を頼りに、あの凄惨なオークションがいつ行われたのかを必死に思い出す。

 ヨークシン。1999年。

 九月の頭だったか。正確な月日までは自信がないが、年代は間違いないはずだ。

 

 1999引く、1977。

 

「…………二十二年?」

 

 間違えているかもしれないと、指を折って数え直す。やはり二十二年だ。

 ネオンすらまだ生まれていない。

 オークションを血に染める幻影旅団も、少なくとも前世で知っているような完成された犯罪集団にはなっていないはずだ。団員たちの正確な年齢までは覚えていないが、今ならまだ相当に若いだろう。ゴンやキルアに至っては、生まれてすらいない。

 

「待て」

 

 持っていた新聞をテーブルに放り投げる。

 

「二十二年、あるの?」

 

 寝室の空気が、ふっと変わった。

 先ほどまでの絶望的な重苦しさが嘘のように晴れていく。

 

「あれ? これ……当たりでは?」

 

 ライトはベッドの縁に腰掛け、改めて現在の自分の状況を客観的に棚卸しした。

 年齢、二十二歳。若く、体力もある。前世の記憶にあるような現代病の兆候もない。

 スラムの路地裏でその日暮らしをしているわけでも、借金取りに追われているわけでもない。

 ノストラード組。地元の有力ファミリーに上納金を納める弱小とはいえ、既存の組織のトップだ。

 忠実な部下がいる。会社というハコがある。土地がある。裏社会の最低限のコネクションがある。

 そして、これから二十数年の間に、世界で何が起きるのか、どういった産業が覇権を握るのかを、大枠とはいえ知っている。

 何よりも──。

 

『念能力』という、この世界における最大の理不尽であり、最強の切り札の存在を、最初から知っている。

 

「…………いや」

 

 ライトは思わず立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。

 

「待て待て。これ、そんなに悪くなくないか?」

 

 歩調が早くなる。

 

「むしろ、かなり良くない?」

 

 自然と笑みがこぼれた。

 前世で読んだライト=ノストラードは、娘の能力に頼りきって地位を築いていた。

 ならば、同じ道を歩まなければいい。

 そもそも、ネオンを裏社会の道具になどしなければいい。

 ヨークシン編の頃までに、予知などなくても揺るがない、別の強固な力と基盤を作り上げていればいいだけのことだ。

 猶予は、二十二年もある。

 

 その瞬間、ライトの思考は「破滅を待つ被害者」から、「未来を切り拓く経営者」へと完全に切り替わった。

 

 身支度を整え、朝食もそこそこに、ライトは父親が使っていた執務室へと向かった。

 古いマホガニーの扉を開ける。

 昨日までは「親父の部屋」だった場所。葉巻の香りと、古い紙の匂いが染み付いている。

 今日から、ここが自分の城になる。

 前世の記憶を取り戻し、思考が合理的になったとはいえ、この世界で二十二年間、不器用ながらも愛情を注いでくれた父親への思いが消えたわけではない。

 ライトは、昨日まで父親が座っていた革張りの椅子に触れ、机の上にそっと手を置いた。

 

「……とりあえず、残してくれたものを確認させてもらうよ、親父」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。感傷に浸るのはこれくらいで十分だ。

 

 コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

 

「入れ」

 

 入ってきたのは、ロマンスグレーの髪を綺麗に撫で付けた男だった。ヴィクター=ロッシ、四十三歳。父の代からノストラード組を支える古参の幹部だ。ライトが物心ついた頃から、厳しくも温かく見守ってくれていた。

 彼は武闘派のヤクザというよりは、帳簿の数字から人間関係の機微、裏の金の流れまでを的確に処理する実務家だ。父親の死という激震の中、「自分が若いライトを支えなければ組が危うい」という気負いが、その引き締まった表情から見て取れた。

 

「お早いですね、ボス」

 

 ヴィクターが恭しく頭を下げる。

 

「その呼び方、まだ慣れないな。ヴィクター」

 

「慣れてください。今日からあなたがノストラードのボスです」

 

 毅然としたヴィクターの言葉に、ライトも改めて己の立場を自覚する。

 

「そうだな。……なら、早速だが仕事だ。全部持ってきてくれ」

 

「全部、とは?」

 

「昨年度の帳簿、うちが所有している不動産のリスト、関連会社の決算書。債権、借金、上のファミリーへの上納金の詳細、人件費、組員と協力者の名簿。しのぎの縄張り図から銀行口座の残高まで。親父が管理していたもの、全部だ」

 

 ヴィクターは少し怪訝な顔をした。昨日まで悲しみに暮れていた若い跡取りが、葬儀の翌朝一番に、まるで銀行の査察官のような財務監査を始めようとしているのだから無理もない。

 

「……何か問題でもありましたか?」

 

「親父のものを引き継いだんだ。俺が今、何を引き継いだのか、その正確な重さくらい知っておきたい。違うか?」

 

 正論だった。ヴィクターはライトの顔をしばし見つめた後、ゆっくりと頷いた。

 

「分かりました。すぐに用意させます」

 

 数十分後、執務室の広い机の上には、膨大な資料が山積みになっていた。

 ライトは無言でページをめくり、数字を頭に叩き込んでいく。

 正式な組員は二十数名。末端の店員や運転手、情報屋などの協力者まで含めれば、五十人を超える程度。決して大組織とは呼べない。

 この都市一帯を束ねる有力ファミリーの傘下に入り、毎月少なくない額の上納金を納めている。さらにその上には、いくつもの巨大組織とマフィアンコミュニティの権力構造が存在する。今のノストラード組など、その末端に近い。縄張りも、この都市の歓楽街の一部と港湾エリア周辺に限られていた。

 主な収入源は、小規模な違法賭博、スポーツのブックメーカー、高利貸し、キャバレーやクラブの経営、飲食店、そして運送と倉庫業。それに不動産賃貸と、一部の揉め事の仲介料といったところか。

 

「……本当に、絵に描いたようなマフィアだな」

 

 ライトの口から、ポロリと感想が漏れる。

 

「今さら何を言っておいでですか?」

 

 ヴィクターの眉がわずかに上がった。

 

「いや、独り言だ」

 

 さらに資料を読み込み、資産の部へ目を移す。

 帳簿上の総資産は、およそ十八億ジェニー。

 

「十八億?」

 

 前世の感覚で言えば、ほぼ十八億円だ。小さな組の割には、とんでもない額に見える。思わずもう一度、ゼロの数を数え直した。

 

「親父、そんな金持ってたのか?」

 

「現金ではありませんがね」

 

 ヴィクターが冷静に訂正する。そこが重要だった。

 内訳を見る。

 この本部兼クラブの建物。数軒の飲食店。賃貸アパート。港近くの倉庫二棟。運送会社の敷地と、トラック十二台。その他の細々とした土地。貸し付けた債権。

 そして、現金。

 

「…………なるほど」

 

 資産の大半は不動産と事業設備だった。現預金は約一億五千万ジェニー。

 しかも、日々の運転資金、組員への給料、上納金、そして何かあった時のための緊急資金を差し引けば、今すぐライトが自由に動かせる金は、せいぜい五千万から七千万ジェニーといったところか。

 さらに負債の部を見ると、銀行からの借入が約六億ジェニーある。

 差し引き、純資産は約十二億ジェニー。

 

「十八億持ってると思ったら、六億借金あるじゃん」

 

「借金なしで商売をしている組など、世界中どこを探してもありませんよ。信用があるから借りられるんです」

 

「まあ、そうだよな」

 

 だが、帳簿を深く読み解いていくうちに、ライトは一つの事実に気づき始めた。

 父親の経営手腕だ。

 違法な賭博や高利貸しで日銭を稼ぐ。そこまでは普通のチンピラだ。だが、父親はその稼いだ現金で、しこたま酒を飲んだり女に貢いだりするのではなく、土地を買い、建物を買い、トラックを買っていたのだ。合法的な事業の基盤を、時間をかけて少しずつ増やしていた。

 

「先代はよく言っていました」ヴィクターが目を細める。「『現金は燃えるし盗まれる。だが、土地は逃げない』と」

 

 ライトは資料から顔を上げ、思わず口元を緩めた。

 

「親父……普通に経営うまかったんだな」

 

「先代に向かって失礼ですよ、ボス」

 

 前世の記憶があるからといって、この世界の人間を、特にあの愚直だった父親を見下すつもりは毛頭なかった。むしろ、この残された資産をどう活用するかに、ライトの思考はフル回転し始めていた。

 

 特にライトの目を引いたのは、港湾エリアにある倉庫二棟と、トラック十二台を保有する地域運送会社だった。

 現状は、地元企業間の荷物のやり取りや、港からの近距離配送が中心だ。細々と利益は出ているが、決して派手なシノギではない。

 

「その運送会社と倉庫ですが、もし売却すれば、かなりまとまった現金になります。今のうちに整理するのも一つの手かと」

 

 ヴィクターの提案に、ライトは即座に首を横に振った。

 

「売らない」

 

「……よろしいので?」

 

「むしろ、こっちは増やす」

 

「運送を、ですか?」

 

 ヴィクターには理解できないだろう。だがライトの頭の中には、未来の風景が鮮明に見えていた。

 通信販売。宅配便ネットワーク。巨大な物流センター。リアルタイムの在庫管理と荷物追跡。オンライン注文。

 通信網とコンピュータが普及し、世界中で膨大な量の物が動く未来。情報がどれだけ速くなろうと、最後には現物を運ぶ誰かが必要になる。

 

「ああ。絶対に売るな」

 

 むしろ、今のうちから育てる価値がある。

 

 さらに資料をめくる。不動産の項目。

 銀行からの借入はあるが、所有している不動産にはまだ十分な担保余力が残っている。

 いざとなれば、物件を手放さずとも、数億ジェニーの資金を追加で引っ張ってくることができる。

 

「……金、まだ借りられるな」

 

「必要とあらば。手はずは整えられます。ただし、先代は過度な借り入れを非常に嫌っていました。身の丈に合わない勝負はしない方でしたから」

 

「俺も嫌いだよ」

 

 ライトはヴィクターの目を真っ直ぐに見た。

 前世の知識があるからといって、全資産を担保に入れて借金をし、株にフルレバレッジをかけるような愚行はしない。未来を知っているつもりになって破滅したのでは、笑い話にもならない。

 

「金を使うのは、勝算がある時だけだ」

 

 次にライトは、机の端に積まれていた経済新聞や業界紙を引き寄せた。

 記事の端々に、1977年という時代の空気を感じる。

 小型コンピュータの開発競争。半導体の進化。通信設備のインフラ整備。クレジット決済の普及の兆し。航空貨物の需要増加。ケーブル通信。次世代のゲーム機。遺伝子工学の萌芽。

 もちろん、前世の現実世界と全く同じ企業が存在するわけではないだろう。社名も違えば、技術の発展スピードも多少前後するかもしれない。

 だが、産業が向かう大きなうねり、テクノロジーの進化の方向性は、驚くほどよく似ている。

 

「ある」

 

 ライトは紙面を見つめながら、ニヤリと笑った。

 

「ちゃんとあるじゃん」

 

「何がです?」

 

「未来だ」

 

「……は?」

 

 怪訝な顔をするヴィクターをはぐらかし、ライトは思考を深める。

 自分は前世で、投資の専門家だったわけでも、天才的なプログラマーだったわけでもない。だから、「この無名企業の株を買えば、十年後に百倍になる」といったピンポイントの予測はできない。

 前世で読んだ漫画についてさえ、細部には抜けがある。まして、現実とよく似ているだけのこの世界の企業名や未来の株価など、知るはずもない。

 だが、「何が世界を変えるか」は知っている。

 パソコン。インターネット。通信インフラ。物流ネットワーク。ソフトウェア。電子決済。ゲーム。バイオテクノロジー。

 

「特定の会社を当てる必要はないんだよな」

 

 一社に全財産を賭けるような真似はしない。これから伸びる可能性の高い業界を見定め、その業界を牽引しそうな複数の企業に分散して張る。その上で、自分たちの持つ物流などの実業とリンクさせていく。

 それなら、特別な才能のない自分にだってできるはずだ。

 

 ──だが。

 

 そこでライトの視線が、ふと空を彷徨った。

 前世の記憶に刻み込まれた、『HUNTER×HUNTER』という漫画の光景。

 マフィアの精鋭部隊を素手で引き裂くウボォーギン。

 トランプ一枚で首を刎ねるヒソカ。

 底知れぬ力を持つクロロ。

 常識を絶する『念能力』の数々。

 銃火器すら正面から通用しないような化け物たちが、この世界の裏側には確実に存在している。

 

 急激に現実へ引き戻され、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。

 

「…………いや」

 

 ライトは拳をギュッと握りしめた。

 

「投資より、先にこっちだ」

 

 自分は、ただの経営者ではない。マフィアのボスなのだ。

 この世界において、裏社会に身を置くということは、常に死と隣り合わせであることを意味する。銃で武装した部下を大勢集めようが、熟練の念能力者が一人いれば、組織そのものをひっくり返されかねない。

 しかも、今の自分は『念』を見ることすらできない、ただの一般人だ。

 

「これで裏社会のボスとか……怖すぎるだろ」

 

 知っている。知識としては。

『纏』『絶』『練』『発』の四大行。目にオーラを集めて視る『凝』の重要性。

 時間をかければ自然に念へ目覚める方法もあったはずだ。逆に、他人のオーラで無理やり精孔を開く危険な方法もあった。

 だが、漫画で読んだ断片的な知識だけを頼りに、自分の身体で試す気にはなれない。安全に、そしてできるだけ効率よく念を学ぶなら、きちんとした念能力者の指導を受けるべきだ。

 

 天空闘技場に行くか? 

 いや、却下だ。二十二歳のマフィアの新米組長が、就任早々に組の運営を放り出して、格闘技の塔に数ヶ月も引きこもるなど馬鹿げている。ヴィクターたちが黙っていないだろう。

 ハンター試験を受けるか? 

 それも違う。試験自体が命がけだ。それに、念を習うための手段としてはあまりにも遠回りすぎる。

 

 もっとシンプルで、確実な方法。

 

「…………ハンター、雇えばよくないか?」

 

 ライトはポン、と手を打った。

 確か、ハンター試験に合格した後で念を学ぶのが一種の通例になっていたはずだ。資格を持っているだけで全員が達人とは限らないし、記憶違いがあるかもしれない。だが、実戦経験の豊富なプロハンターなら、念の存在を知っている可能性は十分高い。

 そして、今の自分には、父が残してくれた金と組織の看板がある。

 

「なんだ。金で師匠、探せるじゃん」

 

 ただし、裏社会の求人広告に『念能力を教えてくれるプロハンター募集』などと書くような間抜けな真似はしない。念は一般社会では秘匿されている力だ。

 

 表向きの理由は、こうだ。

 

「ヴィクター」

 

 ライトの声に、ヴィクターが背筋を伸ばす。

 

「はい」

 

「プロハンターを一人、探してくれ」

 

 ヴィクターの目に、明らかな驚きの色が浮かんだ。

 

「ハンターを、ですか?」

 

「ああ。とにかく腕が立つ奴だ。俺の専属護衛と、組員への戦闘顧問を任せられる奴がいい。特殊な犯罪や、危険地域での戦闘経験があるとなお良い」

 

「警護の強化であれば、うちの若い衆を──あるいは、懇意にしている傭兵崩れを雇うこともできますが」

 

「ダメだ。もっと上がいい。プロのハンター資格を持っている人間を優先して探せ」

 

「……金は、どうしますか?」

 

 ライトは少し考えた。

 

「最初の契約の予算として、二千万ジェニーまでなら即決で出していい。本当に腕が良ければ、追加も考える」

 

「二千万ですか」

 

 ヴィクターの表情が引き締まった。

 

「ボス。今すぐ自由に動かせる金の三分の一近い額です。護衛一人に出す金としては、かなり大きい。もちろん、二千万全額を使うとは限らないでしょうが……本当にそこまでの予算枠を設けますか?」

 

「ああ」

 

 ライトは迷わなかった。

 

「だからこそ、妥協するな。安い奴を探してるんじゃない。金を払う価値がある奴を探してる」

 

(自分の命と、念を習得するための授業料だと思えば、優先順位は高い)

 

 ヴィクターはなおも一瞬だけ考え込み、それから手帳に金額を書き込んだ。

 

「分かりました。ツテを当たってみましょう」

 

 用件を終え、執務室を出ようとするヴィクターを、ライトは再び呼び止めた。

 

「待て。もう一つ」

 

 ライトは先ほど読んでいた経済紙をヴィクターに差し出した。

 

「コンピュータ、通信インフラ、電子機器、半導体、それにデータ処理。この辺りの業界の企業を、徹底的に調べてくれ」

 

 ヴィクターは受け取った新聞とライトの顔を交互に見た。

 

「……株でも買うんですか?」

 

「いや、まだ買わない」

 

 ライトは念を押すように言った。

 

「まずは調査だ。業界全体の規模、主要な技術者、売上高、負債の額、どこから資金を調達しているのか。上場しているなら現在の株価もだ。特に、まだ世間には知られていないような、小さな会社をリストアップしてくれ」

 

 大企業には興味がない。これから化ける可能性のある原石を知りたかった。

 

「それと」

 

 ライトは机の上の帳簿を指差した。

 

「午後、運送会社の責任者をここに呼んでくれ。あと、今の技術でコンピュータに詳しい奴も一人、同席させろ」

 

「運送会社に何か問題でもありましたか?」

 

「逆だ。これから伸ばす。荷物が今どこにあるのかを記録するシステム、在庫管理、配送ルートの効率化。今の時代のコンピュータでどこまでできるのか、専門家の意見が聞きたい」

 

 未来の知識をそのまま魔法のように今の時代へ当てはめられるとは思っていない。1977年の技術水準で、どこまで未来の物流システムへ近づけるのか、現実的な道筋を引く必要があった。

 

 ヴィクターは完全に面食らっていた。

 昨日、父親の葬儀で涙を見せていた二十二歳の若いボス。

 その彼が、翌朝一番に財務の全貌を把握し、プロハンターの高額雇用を命じ、最先端のハイテク企業の調査を指示し、地味な運送業の近代化に向けた会議をセッティングしようとしているのだ。

 

「ボス」

 

「なんだ?」

 

「昨日、一睡もしていない……ということはありませんよね?」

 

「ちゃんと寝たよ」

 

「本当に? 悲しみで頭が──」

 

「失礼だな」

 

 ライトは軽く笑ってヴィクターの言葉を遮った。

 ヴィクターはしばしライトの目を見つめ返した後、諦めたように肩をわずかに落とし、深く一礼した。

 

「分かりました。全てご指示の通りに手配いたします」

 

 彼の声には、単なる先代への忠義だけでなく、目の前の「ライト=ノストラード」という男を、これから改めて評価しようとする静かな期待が混じっていた。

 

 ヴィクターが部屋を出て行き、執務室には再び静寂が戻った。

 ライトは椅子の背もたれに深く体を沈め、天井を見上げた。

 

 ここから、二十二年。

 前世で読んだ漫画の筋書きに、自分から付き合ってやる必要はない。

 

「……同じにする必要なんて、どこにもないんだよな」

 

 未来を知っている。いや、正確には、未来についていくつかの重要な手掛かりを知っている。

 漫画の中心にいたゴンやキルア、クラピカたちの物語のために、自分が都合のいい舞台装置になってやる義理などない。

 娘が生まれたなら、自分の都合で能力を使わせる必要もない。

 上のファミリーや、そのさらに上にいるマフィアの大物たちの顔色だけを窺って、人生をすり減らす必要もない。

 

 もちろん、自分が歴史に介入すれば、バタフライエフェクトで未来は少しずつ、確実に変わっていくだろう。そもそも前世の記憶自体、細かい部分まで完璧ではない。

 

「未来を完全に知ってるわけじゃない。大体どっちの方角に進めばいいか、海図を持ってるだけだ」

 

 それで十分だ。

 有利な位置を先回りして確保し、強固な城を築く。

 

 ライトの視線が、机の片隅に飾られた写真立てに止まった。

 写真の中では、少し恰幅のいい父親が、幼い頃のライトの肩を抱いて笑っていた。

 

 彼は、決して派手な大物マフィアではなかった。だが、小さな組を何十年も必死に守り抜いた。現金に踊らされず土地を買い、会社を残し、息子に十数億ジェニーという資産と、信頼できる部下たちを残してくれた。

 

「悪くないスタート地点だよ、親父」

 

 ライトは写真に向かって、柔らかく微笑みかけた。

 

「あとは、俺が嫌ってほど増やしてやるよ」

 

 その時。

 静寂を破って、机の上の黒いダイヤル式電話がけたたましく鳴り響いた。

 受話器を取る。

 

『ボス。ヴィクターです』

 

「早いな。どうした?」

 

『一人、条件に合いそうな候補が見つかりました』

 

 ライトの目の色が変わる。

 

「何の候補だ?」

 

『ハンターですよ。先ほど仰っていた、護衛兼戦闘顧問の件です』

 

 プロハンター。

 それはつまり、この世界を生き抜くための必須条件──『念』へ近づく最初の手掛かりだ。

 

「どんな奴だ?」

 

『腕は確かで、金次第でしばらくの専属契約も可能とのことです。ただ、同業者からは少々変わり者だと言われているらしく……』

 

「構わない。ハンターで変わり者じゃない奴の方が、よっぽど珍しいだろ」

 

 ライトは電話を切り、背もたれへ身を預けた。

 机の上には、未来のテクノロジーを報じる経済新聞の記事。そして、たった今もたらされた、未知の力を持つハンターの存在を示す殴り書きのメモ。

 

 片方は、世界を動かす莫大な富の源泉。

 片方は、この世界だけに存在する理不尽な力。

 

 ライトは両方を見つめ、静かに闘志を燃やした。

 金だけあっても、化け物には勝てない。

 力だけあっても、組織は回らない。

 

 どうせ、時間は二十二年もあるのだ。

 

 両方、根こそぎ手に入れてやる。

 




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