ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第18話 ネオンの父、海底の空洞を本部から覗く

 

 1980年、二月上旬。

 ライトがローヴェル家の令嬢との奇妙な会食を終えてから、数日が経過した頃。

 

 ノストラード本部の、普段は組長と幹部たちの定例会議に使われる重厚な会議室は、この日だけ全く異様な光景を呈していた。

 巨大な会議机から、いつもの分厚い革張りの帳簿や灰皿、インク瓶などは全て綺麗に片付けられている。代わりに所狭しと並べられているのは、無機質で物々しい電子機器の群れだった。

 

 壁際を占拠するのは、二台の巨大なCRTモニター。

 その横には、オープンリール式の磁気テープ記録装置が重い回転音を立てている。

 音声通信用の専用の大型端末機。調査船の緯度経度、探査機の深度、ソナーの反射波をリアルタイムで吐き出し続ける、最新型の業務用コンピュータとキーボード。さらにその奥には、紙送りの音を立てながら稼働する大型プリンター。

 

 会議室の隅には、出入りの通信会社から派遣された二人の技術者が、複雑な配線の前で計器を睨みつけている。もう一人、ハンター協会側の通信担当者も、眉間にシワを寄せながらヘッドフォンを押さえていた。

 マフィアの本部にはおよそ似つかわしくない、最先端の通信基地局のような有様だった。

 

 もちろん、ライトがこれら全ての機材を自腹で買い揃えたわけではない。

 ハンター協会、参加する大学の研究機関、そして通信会社から、期間を区切って借り集めたものだ。調査船から送られた信号は、洋上に待機する複数の通信中継飛行船を経由して沿岸中継局へ届き、そこから専用回線でノストラード本部まで送られる。ノストラード組は精密機材の港からの輸送、本部への設置工事、沿岸中継局との専用回線契約、そして全体の費用処理を担当していた。

 

 ライトは、まだ何も映っていない灰色のCRTモニターを眺めながら、隣に立つヴィクターに尋ねた。

「これ、全部でいくら掛かってるんだ?」

 ヴィクターは手元のバインダーのページをめくった。

「調査船側の通信設備の追加改修費。洋上通信中継飛行船のチャーター費。沿岸中継局からここまでの専用回線敷設費。派遣された技術者の拘束費。本部側の機材レンタル料。……特に予算を食い潰しているのが、船からの『映像信号』用の洋上中継回線ですね」

 ヴィクターは一つ息を吐いた。

「音声や数値情報のやり取りだけなら安く済みますが、動画の信号を複数の中継飛行船経由で陸に送るとなると、一気に費用が跳ね上がります。一日のうち、数時間だけ確保している高容量回線の枠だけで、一日あたり百数十万ジェニーが飛んでいきます」

 

 ライトはヴィクターの顔を見た。

「……毎日?」

「毎日です」

 ライトは少し顔をしかめ、通信会社の技術者の方へ振り返った。

「送られてくる映像、もう少し粗くできませんか? 画質を落としてデータ量を減らせば、通信費も下がりますよね」

 通信技術者は、配線から顔を上げずに淡々と答えた。

「これでも、すでに限界まで落としています」

 

 ライトは数秒黙って、灰色のCRTモニターへ視線を戻した。

 百数十万ジェニーという数字は、画面に映像が一秒流れるたびに金が削れていくような妙な実感を伴っていた。

 

 ライトは技術者に確認した。

「もし天候や洋上中継回線の状態で映像が切れた場合、音声と深度の数値情報は残りますか?」

「はい。音声とテレメトリ(遠隔測定)のデータは、映像信号よりも圧倒的に安定しています。映像が飛んでも、通信が完全に死ぬことは滅多にありません」

「現地の海底で撮っている原本の映像は、全部残るんですよね?」

「はい。海底の探査機から船へは複合ケーブルで繋がっているので、母船の磁気テープに高画質で直接記録されています」

「では、仮にこちらへの映像通信が切れても、探査作業そのものは止めなくていいですね。あくまでこちらはモニターしているだけだ」

 ライトははっきりと方針を示した。

 本部への映像が途切れても、母船には原本が残る。船上の記録班も探査班も、そのまま作業を続けられる。

 

『──本部、聞こえるか?』

 スピーカーから、ノイズ混じりの太い声が響いた。モラウだ。

 ライトはマイクのスイッチを押した。

「聞こえてます。映像の信号も来ています」

『こっちは探査機の投入準備が完了した』

 

『記録班も、こちらで準備できています』

 モラウの次に、エレノア教授の理知的な声が届く。

 

 そして、少しマイクから遠い場所で、聞き覚えのある少年の声がした。

『なあ、これ俺の声も本部のおっさんに聞こえてんの?』

 ライトはマイクに向かって言った。

「聞こえてるよ、ジン。おっさんじゃないけどな」

『おお、マジか!』

『遊んでねえで、回収物の記録番号のリストを確認しとけ!』

 モラウの怒声が飛び、ジンが『やってるよ!』と言い返す音が聞こえた。

 

 ライトは少しだけ口角を上げたが、すぐに表情を引き締めた。

 今回導入されたのは、ベレノス遺構の『中央区画の地下空洞』を調査するための、小型の有線式遠隔無人探査機だ。

 人間が潜水艇で直接潜るには、崩落の危険性が高すぎる。前面に低照度カメラと強力な照明、簡易ソナー、深度計、そして観察用の小型マニピュレーターを備えた無人機を、天井の崩落部にある直径数メートルの隙間から侵入させるのだ。

 

「投入開始」

 モラウの合図とともに、CRTモニターの画面が切り替わった。

 

 最初は、ただ濁った暗い海水の映像だった。無数のマリンスノーが舞っている。

 やがて、探査機の照明が海底の瓦礫を照らし出した。

 画面には常に細かいノイズが走り、色合いも不鮮明だが、巨大な石壁の輪郭ははっきりと見て取れる。

 そして、その石壁に帯状に埋め込まれている『黒灰色金属』。これまで都市各所で確認されてきたものと同系統の素材だ。

 

『隙間の入口を通過する』

 モラウの声が響く。

 通信技術者が、即座に通過時刻を記録する。PCのオペレーターがキーボードを叩き、『B-CENTRAL-001』という映像のインデックス番号を入力する。ライトも手元のメモパッドに同じ番号と時間を書き込んだ。

 

 画面の中で、探査機が崩れた瓦礫の隙間を慎重にすり抜けていく。

 そして。

 画面が、突然大きく開けた。

 

 巨大な暗闇だった。

 

 探査機の強力な照明が、真っ直ぐに照射されている。だが、光の束はどこまでも深い闇に吸い込まれ、対岸の壁すら照らし出せない。

 ライトは息を呑み、何も言わなかった。船上のモラウも、一瞬だけ沈黙した。

 

『ソナー映像を合成します』

 エレノアの指示で、画面の端に緑色のワイヤーフレームの図形が重なった。

 空間の規模は事前の解析通り、直径およそ三十から四十メートル。しかし完全な円形ではなく、多角形に近い構造をしている。天井の高さは場所によって十メートル以上あり、その一部が崩落して探査機の進入経路を作っていた。床には分厚い海底堆積物が積もっている。

 だが、それが自然の洞窟などではなく、明確な『人工構造物』の内部であることは疑いようがなかった。

 

『北側の壁面から、順番に記録してください』

 エレノアの冷静な声が響く。

 探査機がゆっくりと旋回し、壁を照らし出した。

 

 そこには、黒灰色金属の帯が何本も走っていた。

 都市中に張り巡らされていたものよりも明らかに太い。一本の線ではなく、数本の太い帯が束になっている箇所もある。それらが、都市の各所からこの中央空洞へと『入ってきている』のが分かる。

 壁面には、その金属帯を固定するための規則的な器具が、同じ間隔、同じ寸法で取り付けられていた。

 

 後世の人間が場当たり的に取り付けたような雑なものではない。壁面の器具も金属帯の幅も、一定の規格で揃えられている。

 

『やっぱり、全部の線がここに集まってるんじゃないか?』

 ジンが興奮気味に言う。

『現状の映像では、集まっているように「見える」までです』

 エレノアがピシャリと釘を刺した。

『同じじゃねえの?』

『全く違います。憶測と観察結果を混ぜて記録してはなりません』

 ジンが軽く説教されるのを、ライトは本部から静かに聞いていた。

 

 ライトはマイクのスイッチを押した。

「教授。同じ形の金属の『接続部』らしき箇所が複数あるなら、探査機を止めて、全部同じ角度と距離から撮影してもらえますか?」

『理由は?』

「後で、帰港してから詳細に比較できるようにです。今ここで、その接続部に何の意味があるのかを推測して『決める』必要はありません。判断の材料だけを、同じ規格で残してください」

『……合理的ですね。そうしましょう』

 

 ライトは手元の記録用紙へ、撮影距離と角度の条件を書き込み、その横に新しい映像番号の欄を作った。

 

 探査機が数箇所の接続部を撮影していく。

 その時、ジンが映像記録のモニターを見ながら口を開いた。

 

『なあ、これ。金属の帯を繋いでる継ぎ手の向き、全部同じじゃないか?』

『どこだ?』モラウが聞く。

『帯の表面に、小さな突起みたいな留め具があるだろ。それが、どの壁の箇所でも、全部「中央側」を向いてる』

 

 ライトの横にいたPC担当者が、指示を受けて素早くキーボードを叩く。送られてきた静止画像を、画面の片隅に並べて表示した。

 確かに、全ての接続部にある小さな突起の向きが、中央に向けて一致している。

『何かを流してた方向を示してんじゃねえの?』

 ジンが言う。

『設置した順序を示している可能性もありますし、単なる製造上の上下の向きかもしれません』エレノアが冷静に複数の仮説を提示する。

『今はとりあえず、印だけ付けておけ』

 モラウが結論を出し、オペレーターが該当箇所へ注記を加えると、探査は次に進んだ。

 

 探査機が壁に沿って進むと、小さなプレートが見つかった。

 以前から見つかっている、六文字から八文字程度の標準記号が刻まれた標識だ。ただし、この中央区画のものは少し様子が違った。

 前半の記号列は、都市の他の場所で見つかったものと同じだ。だが、最後の二文字だけが全く別の記号になっている。しかも、複数箇所で見つかったプレートが、全て『共通部分+末尾だけ変化』という組み合わせになっている。

 

『設備の系統番号か、区画内の詳細番号か……まだ分かりませんね』

「全部、鮮明に写してインデックス化しておいてください」

 ライトは手元のメモに追記した。

 

『探査機を、空洞の中央へ向かわせる』

 モラウの操作で、探査機がゆっくりと闇の中心へと進んでいく。

 そこで、床面の構造が大きく変わった。

 

 円形、ないしは多角形の、巨大な『基部』だった。

 直径はおよそ八から十メートル。周囲には、等間隔に配置された巨大な固定穴のようなものがある。

 壁面から伸びていた黒灰色金属の太い帯の束が、床を這い、全てその基部へと接続されていた。

 

 だが。

 その中央の台座のような基部の上には。

 

『……空っぽだな』

 モラウの低い声が響いた。

『そう見えますね』エレノアが応じる。

 

 何もないのだ。

 都市中の謎の金属帯が全てここに集束し、巨大な固定穴まで用意されているというのに、肝心の『中央の何か』が存在しない。

『元々、ここに何かデカいのが置いてあったんじゃねえか?』

 ジンが言う。

『その可能性は高いでしょう』

 

 巨大な固定穴。台座部分と周囲の床面の明らかな摩耗の差。堆積物の積もり方の違い。そして、全ての周辺設備がこの基部へ接続されている。

 大型の構造物が存在した可能性を示す材料は、いくつも揃っていた。

 エレノアは画面を見ながら、固定穴と床面の状態をもう一度記録班へ読み上げた。

 

 ライトがマイクを取った。

「教授。『中央に何かが設置されていた』というところまでは、次回の正式な報告書に記載しても問題ありませんか?」

『「大型構造物が設置されていた可能性を示す、物理的な痕跡あり」という表現までなら、記載可能です』

「分かりました。それで進めます」

 ライトはその文言を手元の報告書案へ、そのまま書き込んだ。

 

 探査機が、巨大な台座の周囲をゆっくりと一周する。

 その時、十二時の方向で、探査機の照明が奇妙なものを捉えた。

 

 台座に向かって接続されている黒灰色金属の帯の束が、一箇所だけ、途中でプツリと切れている。

 不自然な形だった。経年劣化や海底の崩落による自然破断には見えない。切断面が、比較的平坦なのだ。

 だが、長い年月の腐食と分厚い堆積物に覆われているため、カメラの映像だけでは断定が難しい。

 

『……誰かが、切ったのか?』モラウが呟く。

『まだ分かりません』エレノアが答える。

『他の破断面と見比べればいいだろ』ジンが提案する。

 

 ライトはすぐさま横のPC担当者に指示を出した。

「過去に見つかった黒灰色金属の、自然破断したサンプルのインデックス番号を出してくれ」

 オペレーターがキーボードを叩き、瞬時に過去の記録を呼び出す。

「しかしボス、材質や断面の正確な比較は、今の粗いカメラ映像では不可能です」

「分かってる。それは帰港後の分析案件として、別枠で登録しておいてくれ」

 

 ライトは呼び出された過去記録の番号をメモし、中央区画の切断面と比較する項目へ追加した。

 古い紙の束を一冊ずつ捲らずに済むだけでも、端末を導入した価値は十分にあった。

 

 突然、CRTモニターの画面が大きく乱れ、砂嵐のノイズが走った。

「回線の問題ですか?」ライトが眉をひそめる。

「船側の設備ではありません。洋上中継回線の状態が不安定になっています」技術者が計器を確認しながら答える。

 数秒後、ノイズは消え、再び海底の映像が戻ってきた。技術者はすぐに欠落した時刻を記録へ書き込んだ。

 

 その時、別回線の音声専用スピーカーから、モラウの声が響いた。

『……ノストラード』

 探査機を見ていた時とは違う、低い声だった。

 ライトはマイクを取った。

「はい。どうしました」

 

『例の船が出た』

 

 会議室の空気が、一瞬で冷え切った。

 

「位置は?」

『中央区画の直上から、数海里離れた外縁。前回と同じくらいの規模の船だ。灯火は最小限に落としてやがる。双眼鏡でも船籍や名前までは読めねえ』

 今回は、前回よりもやや近い距離だという。

 調査船が無人探査機を海底へ投入している間、一定の距離を保って並走している。不用意に近づきすぎることもなく、かといって逃げるわけでもない。

 

『明らかに、こっちの動きを観察してやがるな』

「でしょうね」

 

 モラウは、相手を追跡しないと判断した。

 今、調査船の真下七百メートルの深海には、数千万ジェニーもする無人探査機が沈んでおり、母船と太い複合ケーブルで繋がっている。この状態で船を急発進させれば、ケーブルが切断され、探査機を海の底へ捨てることになる。

 不審船は、その間も一定の距離を崩さず並走していた。

 

 ライトはマイクを握り直した。

「船の安全管理と、現場の対応は全てモラウさんに任せます。無理に追う必要はありません。こちらでは、記録だけを取ります」

『頼む』

 ライトは記録用紙をもう一枚引き寄せた。

 

 ライトは必要な項目を一つずつ読み上げた。

「船体の写真を可能な限り多く撮ってください。推定速度、進行方向、現れた時刻、視界から消えた時刻。船首と船尾の形状。クレーンなどの大型設備の有無。アンテナの形。積んでいる小艇の数。……後から、港湾の入出港記録と照合できる『事実』だけを集めてください」

 

 船上では、ジンが記録係の横につき、双眼鏡で不審船を監視しながら、目撃時刻と自船の座標を読み上げていた。

 彼は一度双眼鏡を下ろし、角度を変えてからもう一度覗き込んだ。

『モラウさん。あの船の後ろの甲板に、でかい巻き上げ機みたいなのが付いてるぞ』

 ジンが双眼鏡から目を離さずに報告する。

『巻き上げ機? 確かか?』

『形はな。何に使う機械かまでは知らねえけど』

 ライトはその報告を、船尾設備の欄へそのまま書き加えた。

 

 実はライトは、前回の不審船の報告を受けた直後から、すでに陸上での調査を開始していた。

 

 ライトは、ヴィクターに指示を出した。

「前回の目撃地点と時刻のデータから、周辺の港湾を絞り込んだ資料を出してくれ」

 

 使ったのは、ノストラード組がこれまでの商売で築いてきた物流の人脈だった。

 可能性の高い港は四つに絞られていた。

 それぞれの港の、公開されている入出港記録。燃料を卸している業者。船舶修理会社。食料や飲料水を納入している業者。港湾の荷役会社。

 それらに「最近、あの海域方面へ出ている中型の船を知らないか」と、普段の取引先を通じて問い合わせをかけていた。

 

 映像用の洋上中継回線枠が、時間切れで一旦休止となった。

 高い回線料金を払って一日中繋ぎっぱなしにはできない。船側はそのまま海底探査を続行し、本部へは音声通信と、電文による低容量のデータだけが送られてくる状態になった。

 

 ライトはCRTモニターの前から離れ、ヴィクターが用意した港湾資料の束が置かれたデスクへ移動した。

 椅子に腰を下ろすと、四つの港ごとに分けられた資料を順番に開いた。

 

「四つの港の調査結果です」

 ヴィクターが資料を並べる。

 一つ目の港。該当しそうな船の記録はなし。

 二つ目の港。似たサイズの船はいるが、全て地元の普通の漁船。

 三つ目。船籍も用途も全く一致しない。

 そして、四つ目。

 少し離れた場所にある、小規模な商業港。

 

「ここで、一つ引っかかりました」

 ヴィクターが指差した入港記録の船名は、モラウが以前目撃したという不確かな船名とは全く一致しなかった。そもそも前回は暗くて船名が読めていない。

 だが。

「船の全長、全幅、船齢、エンジンの形式から割り出される推定速度、そして船体の色。……モラウ氏の目撃情報と、気味が悪いほどに合致します」

 

 登記上の用途は、『海洋測量船』となっていた。

 登記上の所有会社は、『ノース・ケープ海洋調査社』。

「設立は昨年の半ば。まだ一年も経っていません。従業員数は数人。本社とされる住所は、雑居ビルの中にある小さなレンタルオフィスです」

 ヴィクターは淡々と読み上げた。

「海洋調査会社を名乗っていますが、過去に学術論文を出した形跡も、大学との契約も、公的な調査業務の受託も、資源会社との仕事の実績も、全く見つかりません」

 

「怪しいけど、それだけじゃただの幽霊会社だ。犯罪の証拠にはならないな」

「はい」

「燃料の記録は?」

「地元の燃料商から、ここ二ヶ月で何度か大量に給油しています。船のサイズから見ておかしな量ではありませんし、ベレノス海までの往復にも矛盾しません。ただ、全て現金決済で支払われている点が少し引っかかりますが」

「食料と水は?」

「数日から一週間単位で海へ出る量の食料を積んでいます。乗組員は推定で八名から十二名です」

 

 そして、ヴィクターが最後の一枚の資料を出した。

「もう一つ、この船が利用した修理会社の記録があります」

 半年ほど前、この船は大規模な改修を受けていた。

 

 後甲板への、大型油圧ウインチの増設。

 高強度のワイヤーロープの大量購入。

 船体の荷重を分散させるための、特殊なフレーム補強工事。

 小型作業艇を上げ下ろしするためのクレーンの設置。

 強力な夜間用投光器。海底作業用の長大なケーブルドラム。

 そして、大量の圧縮空気ボンベの保管ラック。

 

 ライトは、明細を一枚ずつ目で追った。

 海洋測量だけでも使う機材はある。一つ一つの項目だけを見れば、完全に不自然というわけではない。

 だが、一覧の最後まで目を通したところで、ライトの指が止まった。

「ヴィクター。次の項目をもう一度見せてくれ」

「こちらですね」ヴィクターが請求書をライトの前へ滑らせた。

 

 改修業者の請求書の写し。

『重量物揚収用・補強フレーム設置工事』

『設計耐荷重:十数トン級』

 

 ライトの指が、その文字の上で止まった。

「ヴィクター。ただの海洋測量だけで、海底から十数トンの重量物を引き上げるような頑丈なフレームが、本当に必要なのか?」

「海底資源のボーリングサンプルの回収や、沈没船の調査などであれば、使う可能性はあります」

 ライトは請求書の該当箇所へ鉛筆で印を付けた。

 

 ライトは、改修工事が行われた『時期』を確認した。

 ベレノス海の遺跡が、まだ一般社会にはほぼ全く知られていない時期だ。

 しかし、ノストラード組が主導して『第二次調査』が開始された後である。中央の地下空洞の重要性が判明した時期と、この不審船が現れ始めた時期が、不気味なほどに一致していた。

 

 ライトの表情から、一切の感情が消えた。

「……ヴィクター。中央の地下空洞が見つかった時点で、その報告を受けた組織と機関のリストを全部出してくれ」

「情報漏洩の疑いですか?」

「まだ『漏れた』と決まったわけじゃない」

 

 ヴィクターが即座にリストを提示する。

 ノストラード組の関連部署。ハンター協会の担当部署。エレノア教授の大学研究チーム。セオドア財団。一部の共同研究機関。そして、探査機のメーカーや保守技術者の一部。

 完全に秘匿された軍事プロジェクトではない。学術研究プロジェクトである以上、関係する人間はそれなりに多い。何百人というほどではないが、数人で秘密を守り切れる規模でもない。

 

「犯人探しは、まだするな」

 ライトはリストを机に置いた。

「よろしいのですか?」

「いきなり身内を疑って内部粛清を始めれば、現場の空気が壊れる。向こうの狙いがそれかもしれない」

 ライトは新しい指示書を引き寄せた。

「次回から、中央区画に関連する重要資料には、全て閲覧記録をつけろ。配布先を厳密に記録し、コピーには全て通し番号を振れ。写しの持ち出しも制限する」

「承知いたしました」

「ただし」ライトは付け加えた。「秘密にしすぎて、エレノア教授たちの研究自体が止まったら本末転倒だ。そこは上手くバランスを取ってくれ」

 

 数時間後、船側から追加の短い電文が入った。

『不審船、離脱。追跡なし。当方への接近なし。無線の呼びかけにも返答せず。現在は視界外。当方、探査を続行する』

「了解。引き続きお願いします」ライトは短く返した。

 

 夕方になり、中央空洞からの最初の『正式な速報』が、船上の記録班から電送されてきた。

『中央空洞は人工構造物であることを確定。壁面に黒灰色金属が集中。中央に大型基部あり。何らかの大型構造物が設置されていた可能性を示す痕跡を確認。標準記号のプレート多数。黒灰色金属の接続方向に規則性あり。一部に切断痕らしき箇所あり。以上、全て暫定的な所見とする』

 

 ライトはその報告書を一読した。

「ヴィクター。……これ、次の本格調査の段階に進んだら、予算はいくら増えますか?」

 ヴィクターは少し呆れたようにライトを見た。

「……そこですか」

「そこだろ」

 

 中央の巨大空洞をさらに調べるなら、高性能な探査機、追加の照明機材、構造解析の専門家、金属材料の分析費用、追加の技術者、通信枠の拡大、そして調査船の滞在期間の延長が必要になる。

 数字に直せば、どれも安くはない。

「また、スポンサー会議を開く必要がありますね」

「ああ。だが、セオドアさん一人に全額を出させるわけにはいかない」

 ヴィクターは早速、追加費用の項目を書き出し始めた。

 

 協会側へ提出する書類の準備を始める。

 正式な速報、追加調査費用の見積もり、危険度の再評価。そして、不審船の情報。

 不審船については、『調査海域周辺において、用途不明の船舶による継続的な活動あり。警戒を要する』とだけ記載した。

 

 夜。

 会議室からは技術者たちも引き上げ、静寂が戻っていた。

 CRTモニターの電源は落とされ、記録された磁気テープだけが厳重に棚へ回収されている。

 

 ライトの机の上には、二種類の資料が並べられていた。

 一つは、今日送られてきた中央空洞の粗い静止画像。

 画面の中央に鎮座する、空っぽの巨大な基部。そこに何本も集束している黒灰色金属の帯。

 

 もう一つは、ノース・ケープ海洋調査社の船舶改修請求書のコピー。

 大型油圧ウインチ。高強度ワイヤー。そして、十数トン級の重量物を引き上げるための補強フレーム。

 

「偶然でしょうか」

 ヴィクターが、コーヒーを置きながら静かに問う。

 ライトはすぐには答えなかった。

 不審船が何を知っているのか。誰が裏で金を出して雇ったのか。彼らは何を探しているのか。まだ何一つ分からない。

 

 ライトは改修の明細を指でトントンと叩いた。

「少なくとも、あれは海をのんびり眺めるための船じゃないな」

「海底から、何かを引き上げるための設備に見えます」

 ライトは静かに改修明細を閉じた。

 

「こいつらが次に港へ入ったら、何を買って、何を積み込むのかを見たい」

 ライトが指示を出す。

「人を張り付かせて尾行させますか?」

「いや。マフィアの探りだとバレれば警戒される」

 ライトは港湾関係者の一覧を引き寄せた。

「港湾会社、燃料商、修理会社、荷役業者、そしてうちの自社倉庫。普通の商売のルートで、こいつらの『物流の痕跡』だけを見張れ」

 

 何を買うか。何を積み込むか。何を降ろすか。船員の数に変化はあるか。

 そして。

「船の『重量変化』と『喫水(船体が水に沈んでいる深さ)』の記録は絶対に出させろ。出航時と帰港時で、船が沈んでいるか浮いているかを見れば、海底から何か重い物を持ち帰ったかどうかが一発で分かる」

「喫水まで見ますか」ヴィクターが感心したように言う。

「物流屋なら、荷物の重さを見るのは基本だろ」

 

 最後に、ヴィクターがもう一枚の紙を追加した。

「ノース・ケープ海洋調査社の、資本に関する情報です。直接の親会社は存在しませんが、設立資金の一部が、ヨークシンのある『美術品・古物取引会社』からの融資として入っていることが分かりました」

 会社名は、ライトも聞いたことのない無名の企業だった。

 海洋調査会社。美術品・古物取引会社。そして重量物を回収できる船舶設備。ライトは三枚の資料を一つのクリップでまとめた。

 

 ライトはしばらくその資料を見つめていた。

「どうしますか? 警告を与えますか」

「何もしない」

 ライトは即答した。ヴィクターが少し意外そうな顔をする。

「今、下手に相手を刺激して小船を一隻潰しても、本当の雇い主が奥に隠れるだけだ。違法行為の確たる証拠もない」

 

 なら、泳がせる。

 

「誰が金を出して、何を取りに来てるのか。……それを向こうが尻尾を出すまで、じっくりと見る」

 

 夜も更けた。

 技術者が最後に残していった、一枚の重要な静止画像がプリントアウトされていた。

 画質はひどく粗い。黒と灰色のノイズの粒だらけだ。それでも、中央台座の巨大な輪郭と、一箇所だけ不自然に切断された金属帯の痕跡は見て取れる。

 

 ライトはそのプリントを手に取り、不審船の改修明細の横に並べた。

 

 一方は、海底で『何かが失われた』巨大な跡。

 もう一方は、海底から『何かを持ち上げるため』の重装備。

 

 ライトはプリントを机に置き、小さく呟いた。

 

「……お前ら、あの海の底に、何を取りに来てる?」




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