ネオン父に転生したのでふんわりした未来知識で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
1977年春。
ハンター協会の地方支部が入るビルから少し離れた路肩に停めた黒塗りの車内で、ライト=ノストラードはネクタイを緩めた。
マーロウ=ケストナーの紹介状という手土産を持って挑んだハンター協会実務担当者との会談は、思いのほか、あっさりと終わっていた。
「お疲れ様でした、ボス。協会側の反応、悪くありませんでしたね」
運転席のヴィクターが、バックミラー越しに声をかけてきた。
「ああ。拍子抜けするくらい簡単な話だった」
当然、警戒はされた。二十二歳の若いマフィアの組長が、突然「ハンター向けの事業を立ち上げたい」と乗り込んできたのだから無理もない。
だが、ライトの提案は極めて単純で、かつ無害なものだった。
『ハンター本人でなくてもできる雑務を、民間の外部業者として請け負わせてほしい』
ただ、それだけだ。
留守中の電話受付、私書箱の提供、手紙や伝言の保管、一般貨物の一時預かり、飛行船や地上交通のチケット予約、宿泊施設の手配、遠征用装備品の取り寄せ、信頼できる運送会社や専門業者の紹介。
ライトは、ハンター協会の内部情報を要求しなかった。名簿を見せろとも言わなかったし、協会公認のサービスとして大々的に名乗らせてくれとも言わなかった。
『協会から所属ハンターへ、我が社の利用を推奨してほしいというお話でしょうか?』
探りを入れてきた担当者に対し、ライトは首を横に振った。
『いいえ。あくまで民間の一企業が始める便利屋です。利用したいと考えるハンターの方だけが、自由に使っていただければ結構です。そちらの業務を阻害するつもりはありません』
協会側からしても、個々のハンターのプライベートな雑務──「あのハンターへ連絡を取りたいがどこにいるか」「この地方で腕のいい運送屋を知らないか」「長期不在になるので荷物を預かれないか」といった問い合わせ──は、本来彼らが処理すべき範疇を超えていた。
『こちらの本来業務に支障を出さず、利用者であるハンターとの間で深刻なトラブルを起こさないのであれば、協会として特段止める理由はありません』
それが、担当者から引き出した最終的な回答だった。
正式な提携ではない。単に、邪魔はしないという黙認だ。
だが、今のノストラード組にはそれで十分だった。
(よし)
ライトは窓の外を流れる街並みを眺めた。
最初から協会の看板を借りる必要はない。便利なら使われる。使われ続ければ、いずれそれ自体が実績になる。
車は滑るように大通りを進んでいく。
ヴィクターはこれからの人員配置や電話回線の増設について業務的な話を進めている。ライトもそれに答えながら、頭の片隅では別のことを考えていた。
(…………ネテロはいなかったな)
少々、残念だった。
地方の小さなマフィアが雑務請負の営業に来ただけで、ハンター協会会長が出てくるわけがない。それくらいは分かっている。
(でも、生ネテロ、一回くらい見てみたかったなぁ……)
それはそれとして、先ほど協会支部から帰る際、エントランスで見かけた光景の方が仕事上は重要だった。
全身を泥と見知らぬ獣の血で汚し、巨大なジュラルミンケースを引き摺るようにして戻ってきたハンター。
ケースの中からは、時折、ドスン、ドスンと何か重いものが暴れるような気味の悪い音が響いていた。
受付の女性は慣れた様子で、微笑みながらこう言っていた。
『お帰りなさいませ。今回の帰還は、三年ぶりですね』
(三年!?)
その数字にはさすがに驚いた。
三年間も拠点から離れる人間を、普通の会社員向けサービスで支えられるわけがない。
だからこそ、需要がある。
彼らの留守を守り、必要な物資を届け、帰ってきた時には溜まった用件を処理できる場所。
ハンターという特殊な職業に合わせた、専用の兵站拠点だ。
◇
数日後、ノストラード組が所有する運送会社のオフィスの一角に、ハンター向け窓口の試験運用スペースが設けられた。
といっても、マフィアの本部内に設置しては警戒されるため、あくまで実業の運送会社側に間借りした形だ。初期人員は、口が堅く実務能力の高い社員を二人だけ配置した。
電話機が数台。アナログの台帳。頑丈な保管棚と、いくつかの私書箱。
最初の利用者は、第一号顧客となったマーロウと、彼が紹介してきた数人の同業者のみ。合計して十人にも満たない。まだ独立した別会社にする段階ですらない。
依頼の内容は、ごくありふれたものから始まった。
長期間留守にする間の電話伝言。自分宛ての手紙の預かり。遠征先への一番早い飛行船のチケット手配と、ホテル予約。
だが、試験運用開始から二週間が過ぎた頃、ついに『それ』が来た。
「ボス。ハンターのお客様から、少々特殊な輸送依頼が入りまして」
運送部門の担当者が、困惑した顔でライトの執務室にやってきた。
「なんだ? 武器の輸送なら別に珍しくもないだろう」
「それが、生体貨物なんです。飛行船港まで運んでほしいと」
「種類は?」
「『毒袋蜥蜴』だそうです。十二匹」
その瞬間、現場の空気が止まった。
毒を持っている。生きている。
ただの木箱に詰めてトラックの荷台へ放り込み、道中で逃げ出せば洒落では済まない。ただでさえマフィアのフロント企業だ。妙な事故で警察に目をつけられる理由を増やしたくない。
(出たよ。HUNTER×HUNTER物流)
ライトは心の中だけで呻いた。
「うちのトラックで直に運ぶな。猛獣や危険な生体輸送の経験がある業者を探してくれ」
「外注ですか?」
「ああ。特殊ケージの選定と、生体そのものの取り扱いは専門家に任せる。うちは依頼を受け、業者を手配して、必要なら通常の地上輸送を担当する。その分の手数料を取ればいい」
「分かりました」
「それと、いい機会だ。規程を作ろう」
ライトはヴィクターを呼び、初期の業務ルールを箇条書きにさせた。
一、未確認生物、および生態が不明な生物の輸送は受託しない。
二、毒性、感染性の有無を事前に申告させ、必要な裏付けを取る。
三、いわゆる『念能力』に由来すると疑われる特殊な物品は、戦闘顧問であるマーロウに相談を通す。
四、明確な違法薬物や盗品は扱わない。
五、生体や極度の危険物は、原則として専門業者を経由させる。
六、顧客であるハンターの情報を、本人の許可なく第三者へ売買・譲渡しない。
「いいか」
ライトは部下たちを見回した。
「客がプロのハンターだからといって、言われたものを何でも預かる倉庫にはするな。この事業は信用を失ったら終わりだ」
何か起きてから暴力で揉み消すより、最初から事故が起きにくい仕組みにしておいた方が安い。
マフィアだろうが物流会社だろうが、その点は同じだった。
そして、この窓口業務をこなしていくうちに、ライトは一つの副産物に気づいた。
仕事を仲介し、外注するたびに、ノストラード組の手元に『業者の情報』が蓄積されていくのだ。
どの地域の、どの運送会社が危険物の扱いに長けているか。
どこの飛行船港近くの宿が、大型の生体貨物を抱えた客にも対応できるか。
どの大学の教授が、古代遺跡の遺物に精通しているか。
腕のいい鑑定士は誰か。料金の相場はいくらか。過去にトラブルを起こした業者はどこか。
(なるほどな)
台帳へ増えていく名前を眺めながら、ライトは感心していた。
危険な情報屋稼業へ踏み込まなくても、手配業務を真面目に続けるだけで、仕事に使える人脈と業者情報が集まってくる。
これは大きい。
ただし、顧客情報を横流しするつもりはない。
何を運んだか。どこへ行ったか。誰から依頼を受けたか。
そういう情報を売り始めれば、金にはなっても信用を失う。
欲しいのは、一回の情報料ではなく、何度でも利用される窓口だった。
◇
季節は少しずつ移り変わり、ハンター向け窓口が回り始めた一方で、ライト自身の念修行も着実に進んでいた。
地下の防音訓練室。
「よし、そこまでだ」
マーロウの声がかかる。
ライトは呼吸を整え、身体の周囲に纏っていたオーラの膜を解いた。《纏》の持続時間は、修行開始当初とは比べ物にならないほど長くなっている。並行して、オーラを絶つ《絶》の基礎も学び、現在は自らのオーラを練り上げて総量を増やす《練》の訓練に入っていた。
基礎体力の向上メニューも続いている。独自の『発』を編み出すような段階には、まだ遠い。水見式による系統判別も行っていなかった。
「ライト。《凝》を維持しろ」
マーロウが少し離れた位置から命じた。
ライトは目にオーラを集中させる。
次の瞬間。
「《練》」
マーロウの身体から、爆発的なオーラが溢れ出した。
物理的な風が吹いているわけではない。
それでも、肌を刺すような圧力が正面から押し寄せ、ライトの身体が反射的に強張った。
(怖っ……!)
前世では画面の中で、オーラが激しく燃え上がっているように描かれていただけだ。
実際に正面から受けると、まるで違う。
「何が分かった?」
マーロウは《練》を維持したまま問いかけた。
ライトは相手から目を逸らさずに答えた。
「少なくとも、今の俺が正面からどうこうできる相手じゃない。それだけはよく分かった」
マーロウはオーラを収めた。
地下室を満たしていた重圧が消える。
(やっぱり最強路線は無しだな)
ヒソカや幻影旅団のような連中と正面から殴り合う人生など御免だった。
強くなること自体は必要だ。
だが、自分で何もかも倒せる必要はない。
それより重要なのは、数ヶ月前とは違い、今ならマーロウの危険度をある程度認識できるということだった。
初めて対面した時、ライトには彼が強いのかどうかすら分からなかった。
今は違う。
少なくとも、自分とは比較にならないほど強い相手だと分かる。
見えなかった脅威が、少しずつ観測できるリスクへ変わっている。
それこそ、ライトが念を学び始めた理由だった。
◇
1977年、春の終わり。
執務室で書類の山と格闘していたライトのもとへ、ヴィクターが数紙の経済新聞と分厚い調査資料を持ってきた。
「ボス。以前、調査するようご指示いただいていた業界ですが、市場が騒がしくなってきました」
ヴィクターが広げた紙面には、大きな見出しが躍っていた。
《個人用小型電算機、相次いで発売》
《西海岸の電算機展示会に数万人が熱狂。新たな産業の幕開けか》
前世の歴史では、1977年は象徴的な年だった。
Apple II、Commodore PET、TRS-80。
コンピュータが研究機関や巨大企業だけのものではなく、一般家庭や学校、小規模な事業者へ近づき始めた時代。
この世界では企業名も製品名も違う。
それでも、似た波は確かに来ていた。
「専門家の評価は?」
ライトは新聞より先に、ヴィクターが持ってきたファイルへ手を伸ばした。
電子工学の技術者。
証券分析のアナリスト。
会計士。
業界経験者。
複数の人間へ金を払い、候補企業を調べさせている。
評価項目も細かく指定した。
在籍している技術者の質。
製品の実際の売上。
経営陣の経歴。
銀行からの借入額。
手元資金。
自前の製造能力。
他社への技術依存度。
主要販売先。
離職率。
追加の資本注入が必要になる可能性。
「ヴィクター。投資先だが、小型コンピュータの本体を製造しているメーカーだけに絞らなくていい」
「本体メーカーが一番分かりやすく恩恵を受けそうですが」
「市場そのものが大きくなるなら、周辺でも利益を取る企業が出る。本体だけ買って、部品や通信設備を全部見逃す理由はない」
ライトは候補分野を指で示した。
「半導体、記憶装置、通信機器、表示装置、業務用ソフトウェア、データ処理会社。この辺りも候補に残してくれ」
資料のページをめくっていたライトの手が、ある一枚のレポートで止まった。
『Nevada Visual Devices』
略称、NVD。
事業内容は表示制御回路の設計。
最新のアーケードゲーム機への部品供給、研究機関向け情報端末、探査装置向けの映像処理部品。
(…………NVD)
ライトは会社名を見直した。
(Nevada Visual Devicesって……NVIDIAじゃん。露骨だなあ!!)
前世で見慣れていた企業名が脳裏をよぎる。
ただ、現実のNVIDIAはこんな時代には存在していない。
名前が似ているだけかもしれない。
「ヴィクター。このNVDという会社を、もう少し詳しく洗ってくれ」
「どの辺りを重点的に?」
「表示処理技術の優位性。中核技術者。ゲーム機と研究機関への実際の納入実績。競合との比較。それと資金繰りだ」
「分かりました」
数週間後、詳細な調査結果が上がってきた。
会社の規模は小さい。
売上も不安定。
資金力も弱く、市場が伸びなければ数年で消える可能性がある。
一方、表示処理という分野では、技術者からの評価が妙に高かった。
ゲーム機向けだけでなく、研究用の情報端末や探査装置にも供給実績がある。
「もし、小型コンピュータ市場が大きくなった場合は?」
ライトの問いに、専門家が答える。
「文字だけでなく、画像を表示する需要も増えるでしょう。そうなれば、この会社の技術には追い風です」
「ゲーム機市場は?」
「同じです。成長すれば恩恵は受けます」
ライトは資料を閉じた。
(名前だけなら偶然で済んだんだけどな)
表示処理。
ゲーム。
研究機器。
前世の会社と同じではない。
だが、未来で生まれる需要に似た需要を、この世界でもすでに追い始めている会社がある。
(企業名を覚えてなくても、需要の向かう先が分かれば、それに乗ろうとしてる会社は探せるのか)
これは一つの発見だった。
「NVDに五百万ジェニー」
「もっと入れますか?」
「いや。まずはそれでいい」
打診買い。
今後の業績が良ければ追加する。
(さて、お前は本当に化けるのか。それとも五年後に消えてるのか)
それは今のライトにも分からなかった。
その日の夜。
執務室で一人、投資資料を整理していると、NVDから前世のNVIDIAについての記憶が芋づる式に引き出されてきた。
(NVIDIAが大きくなった理由って……ゲーム用GPU。それからGPUを別の計算に使うようになって、仮想通貨、最終的にはAIとデータセンター……だったよな)
記憶は粗い。
だが、単語くらいは残っている。
データセンター。
通信網が発展する。
企業が扱う情報量が増える。
計算能力も保存場所も必要になる。
すべての企業が巨大な設備を自前で抱えるとは限らない。
(まとめて計算能力とかデータの保管場所を提供する業者は、たぶん生えるな)
ライトは自分用の投資監視メモに、
『大型計算設備/データ保管/企業向け計算処理』
と書き加えた。
そして、もう一つ。
(仮想通貨、か……)
そこで一瞬、妙な考えが浮かぶ。
(俺が先に作ればいいんじゃないか?)
ブロックチェーン。
マイニング。
ハッシュ関数。
Proof of Work。
知っている単語を順番に並べてみる。
(…………で、それ、どうやって作るんだ?)
止まった。
(知らん)
暗号の中身も、二重支払いを防ぐ方法も、分散したコンピュータ同士でどう合意を取るのかも知らない。
(やめよう)
翌日。
「ヴィクター。通信と金融関連の調査項目を増やしてくれ」
「具体的には?」
「電子決済、新しい暗号技術、遠隔での本人確認、電子署名に類する研究。それと、金融機関を介さずに通信網の上で価値を移転する研究があれば、それも拾ってほしい」
「投資候補ですか?」
「今はまだ情報だけでいい。年に一度でもいいから、大きな動きがあれば報告してくれ」
自分で作れないなら、作り始めた人間を探せばいい。
時を同じくして、経済紙の隅にはこんな記事も載っていた。
《異種電脳通信網の相互接続実験に成功。異なるネットワーク同士の対話が可能に》
(こっちも来てるな)
この世界では、前世より一部の通信技術が早く発達している。
年代も会社名も完全には一致しない。
それでも、ライトには見るべき方向が分かっていた。
◇
夏が来た。
経済紙の一面に、物流業界を揺るがす大きなニュースが躍った。
《飛行船貨物の規制大幅緩和へ》
《主要都市間を結ぶ夜間貨物便、民間業者の参入により大幅増便の見通し》
(前世なら、この辺りで高速貨物輸送が一気に伸びていく頃だな)
ただし、この世界では主役が違う。
巨大なジェット貨物機ではない。
飛行船だ。
ライトは記事を読みながら、以前ネットで読んだHUNTER×HUNTERの考察を思い出した。
(しかし、本当に変な技術ツリーなんだよな)
電脳通信は妙に高度。
念能力などという超常現象まで存在する。
それなのに、長距離航空輸送では飛行船が主役を張り続けている。
(飛行機が発達しないのは、人類が勝手に暗黒大陸へ出ていかないように技術発展が抑えられてるから──みたいな考察、あった気がする)
だが、そこから先は考察だ。
(原作で確定してた設定じゃない)
V5。
暗黒大陸。
五大厄災。
メビウス湖。
前世の断片的な知識が浮かぶ。
(……今の俺が首突っ込む場所じゃないな)
あれは投資先を探す話ではない。
命を何個持っていても足りなさそうな領域だ。
ただ、飛行船のニュースから、もう一つの物流技術を思い出した。
(そういや、ずっと後には小型の無人機で郵便や荷物を運んでたよな)
長距離大量輸送は大型飛行船。
近距離の小口輸送は、小型無人機。
この世界なら前世とは違う形で物流技術が伸びる可能性がある。
「ヴィクター。遠隔操作式の小型飛行機と、自動航法技術を研究している企業も調査対象に加えておいてくれ」
「運送への転用を?」
「今すぐ使えるかは分からない。ただ、小型化や制御技術が進んだ時に、何ができるか検討できる程度には追っておきたい」
「承知しました」
ライトの中で、いくつかの産業が線で繋がり始めていた。
コンピュータ。
通信。
半導体。
物流。
今はそれぞれ別の業界に見える。
だが、在庫をコンピュータで管理し、通信網で注文を受け、荷物の位置を追跡し、自動で仕分け、小型無人機まで利用するようになれば、いずれ一つの巨大な仕組みになる。
そして未来の構想とは別に、現在の仕事は泥臭く進める。
ノストラード組の運送部門は、保有するトラックを十二台から十六台へ増車した。
さらに主要な飛行船ターミナル近くに、小規模な中継倉庫を新たに賃借。
ターミナルへの夜間集荷、深夜貨物便への持ち込み、到着貨物の即時引取、そこから顧客までの配送を始めた。
ここでも、ハンター向け窓口との相性は良かった。
『どうしても明日の夜便に間に合わせたい特殊な装備がある』
そんな依頼が窓口へ入れば、自社トラックが回収し、自社の中継倉庫を経由して、そのまま飛行船貨物会社へ渡せる。
別々に始めた事業が、少しずつ互いに客を送り始めていた。
◇
1977年も秋に入り、良いニュースばかりではなくなった。
世界的なエネルギー問題の余波が、このヨークシン近郊の地方都市にも押し寄せてきたのだ。
燃料費の高騰。
暖房費の上昇。
それに伴う運送コストの増加。
執務室で燃料の請求書を見ながら、ライトは眉間を揉んだ。
(あー……七十年代だったな)
前世のアメリカでも、エネルギー問題に振り回された時代だった。
固有名詞は違う。
技術の発展順序も違う。
飛行機ではなく飛行船が飛び、通信技術は前世より妙に先へ進んでいる部分もある。
それでも、経済を動かす大きな流れには似ているところが多かった。
(大学の一般教養で取ったアメリカ経済史を、まさか二度目の人生で使うとはな……)
もちろん、細かな日付も株価も覚えていない。
授業内容だって大部分は忘れている。
それでも「この時代には何が問題になりやすいか」程度なら思い出せる。
燃料高に対する対応は地味だった。
配送ルートの見直し。
空荷で走る距離を減らすための営業。
各トラックの稼働率管理。
燃費の悪い老朽車両の優先交換。
そして、大口顧客との契約に燃料価格の変動に応じて料金を調整できる条項を入れる。
ここで、ヴィクターは珍しくライトの案へすぐには頷かなかった。
「価格調整条項は、顧客側がかなり嫌がると思います」
「だろうな」
「競合が固定価格で受ければ、何件かは仕事を取られます」
「それでも必要だ。燃料価格が急騰した時に赤字で運び続ける契約は残したくない」
「でしたら、全顧客へ一律に入れるのではなく、長期契約からでしょう。短期案件はその都度価格へ転嫁できます」
ライトは少し考えた。
「その方がいいな。それで進めてくれ」
ヴィクターは頷いた。
彼はライトの命令を何でも肯定する部下ではない。
父親の代から数字を見てきた実務家だ。
だからこそ、ライトも使える。
その頃には、マーロウと結んだ最初の半年契約も満了を迎えていた。
「で、どうする?」
訓練後、マーロウがタオルで首筋の汗を拭きながら聞いてきた。
「何が?」
「契約だ。半年終わったぞ」
そうだった。
護衛。
戦闘顧問。
組員への基礎訓練。
そして念の指導。
気づけば半年間、かなりの時間を一緒に過ごしている。
「俺としては更新したい」
「なら、次から契約の形を少し変えたい」
マーロウの提案は、完全な専属拘束ではなく優先契約へ切り替えるというものだった。
ライトの護衛予定や訓練を優先する。
緊急時には可能な限り応じる。
その代わり、予定が空いている日はマーロウ自身が他のハンター案件を受ける。
危険な実働については、これまで通り経費や危険手当を別に請求。
優先契約料は半年一千二百万ジェニー。
念の指導料は半年三百万ジェニー。
「俺もハンターだからな。組に完全に飼われるつもりはない」
「構わない。その条件で更新しよう」
値下げも値上げもなかった。
半年付き合った上で同じ価格を提示するのが、マーロウなりの評価なのだろう。
◇
秋の深まりを感じるある日。
「ボス。ゼンジという方がお見えです」
ヴィクターの報告に、書類を見ていたライトの手が止まった。
(……ゼンジ)
一発で思い出した。
前世の記憶。
ヨークシンシティの地下競売。
ノストラード組の急激な成り上がりに苛立ち、ライト本人へ突っかかっていた、あの小太りでガラの悪いマフィアの組長。
(俺のこと殴ってた奴だな)
だが、それは二十年以上先の話だ。
応接室に現れたゼンジは、記憶の中よりいくらか若かったが、粗野な雰囲気は変わらない。
この時点では、ゼンジとライトの間に個人的な因縁など存在しなかった。
最近代替わりしたノストラードの若造が、ハンター相手に妙な商売を始め、飛行船貨物に手を出し、計算機関連の会社へ投資している。
そんな噂を聞き、様子を見に来ただけらしい。
今のゼンジは、自分へ何もしていない。
なら普通の同業者として扱えばいい。
「親父さんが死んだと思ったら、随分あちこちに金を出してるらしいじゃねえか。景気がいいな、若旦那」
葉巻を吹かしながら、ゼンジが探りを入れてくる。
「とんでもない。親父が残した事業の延長線上ですよ」
「計算機にまで手を出してるって噂だぜ?」
「数社へ少額ずつです」
「で、儲かるのか? そのオモチャは」
「分かりませんね」
ライトの即答に、ゼンジが眉を上げた。
「分からねえのに買ったのか?」
「市場が大きくなる可能性はあると思っています。でも、どの会社が勝つかは分かりません。だから外しても困らない額に抑えています」
ゼンジはもっと派手な話を予想していたらしい。
だが、実際のノストラードがやっていることは、倉庫を増やし、トラックを数台買い、複数企業へ少額ずつ投資するという地味なものばかりだった。
「……思ったより慎重なんだな」
「まだ親父から預かった金を動かしている段階ですからね。自分の実績もないうちから、大勝負する気はありませんよ」
その言葉は、前世の記憶とは関係なく本音だった。
「表の事業ばっかり広げてどうする気だ? まさか極道から足洗うなんて言い出さねえだろうな」
「今すぐそんな予定はありません。ただ、警察に押さえられにくい資産が増えるのは悪い話じゃないでしょう?」
「まあな」
マフィアとして長く生きているゼンジなら、説明するまでもない理屈だった。
話を続けるうち、ゼンジの組が港から内陸への運送ルート確保で少し手こずっていることが分かった。
「それなら、うちでも見積もれますよ。必要なら担当者を行かせます」
「タダでか?」
「通常取引です。継続契約なら条件は相談します」
ゼンジは一瞬ライトの顔を見て、それから声を上げて笑った。
酒と軽い食事を楽しみ、物流の見積もりを取る約束まで交わして、ゼンジは上機嫌で帰っていった。
「思ったより機嫌よく帰られましたね」
ヴィクターが言う。
「取引になるならありがたい。向こうから見ても、うちを使う理由ができる」
一人になった後、ライトは改めて考えた。
(……ゼンジって、こんな普通に話が通じるおっさんだったのか)
そして、前世の記憶にある険悪な関係を思い出す。
(原作の俺、あの頃どんだけ嫌われてたんだよ……)
ネオンの占いを使って急激に上へ食い込み、ゼンジよりさらに上の人間までノストラードを頼るようになった。
それなら面白くなかった理由も想像できる。
ただ、今のゼンジは普通に商売のできる同業者だった。
(なら、今は今で付き合えばいいか)
利益が衝突すれば、また関係は変わるだろう。
それは原作キャラだからではなく、マフィア同士なら普通の話だ。
◇
そして、1977年の年末。
外では冷たい雪が降り始めている。
執務室で、ライトとヴィクターは一年の収支と事業状況を確認していた。
「まず物流部門です。トラックは十二台から十六台へ。主要飛行船ターミナル付近の倉庫を一棟新たに賃借しました。夜間集荷サービスを開始したことで、売上は確実に伸びています。ただし、燃料費の高騰、人員増強、新規設備への投資がありますので、利益率はむしろ去年より低い月もありました」
「来年は稼働率を上げる方を優先しよう。増車は数字を見てからでいい」
ヴィクターが次の資料をめくる。
「ハンター向け支援窓口。継続利用登録者は十人前後。案件数は月に数十件。単体で見れば、人件費を差し引くとほぼ利益はありません」
「業者台帳は?」
「順調に増えています。特に危険物、生体輸送、遠征関連の業者情報はかなり揃ってきました。マーロウ氏経由の口コミもあります」
「なら来年も続ける」
「投資部門は、コンピュータ本体、半導体、通信、表示処理、データ処理会社などへ分散。総投資額はおよそ一千万から一千五百万ジェニー。NVDには五百万ジェニー。こちらの銘柄は購入時から十二パーセントほど下落しています」
「売る理由は?」
「現時点ではありません」
「ならそのままで」
ヴィクターは頷いたが、そこでファイルを閉じなかった。
「ただし、ボス」
「なんだ?」
「今年は使いすぎです」
ライトが顔を上げる。
「株式投資。車両の購入。倉庫の追加賃借。ハンター窓口の人員。そしてマーロウ氏との契約と念の指導料。既存事業から入ってくる現金でかなり補っていますが、それでも自由に動かせる手元資金は大きく減りました」
「分かってる」
「来年も同じ勢いで新規投資を続けるなら、担保借入を増やすか、資産を売却する必要が出ます。先代は過剰な借金を嫌っていました」
ヴィクターの声は穏やかだったが、明確な警告だった。
ライトも反論しなかった。
未来知識があるからといって、現金が無限に湧くわけではない。
投資先を増やしすぎれば、当たる前に自分が干上がる。
「来年は、今年始めたものを育てる方を優先する。新しく金を出すとしても、利益と手元資金を見てからだ」
「それなら異論はありません」
ヴィクターがようやく資料を閉じた。
最後に、帳簿には数字として現れにくいものもある。
念。
ライトの《纏》はかなり安定し、長時間維持できるようになっていた。
《絶》の基礎も少しずつ身体に馴染んできている。
《練》はまだマーロウの足元にも及ばない。
『発』もない。
それでも、半年前の自分とは違う。
「今年の仕事はここまでだ。お疲れ様、ヴィクター。休んでくれ」
◇
夜。
ライトは郊外にある巨大な飛行船ターミナルへやってきた。
冷たい夜風の中、フェンス越しに貨物区画を眺める。
巨大な貨物飛行船が発着場に停泊している。
フォークリフトが行き交い、大小のコンテナが次々と船体へ運び込まれていく。
その片隅に、ノストラードの運送会社のロゴが入ったトラックが一台停まっていた。
制服姿の従業員が、ターミナル職員と書類を確認し、荷物を引き渡している。
今のノストラードは、トラック十六台と倉庫をいくつか持つ地方の小さな組織だ。
だが、ライトの頭には別の景色も浮かんでいた。
世界を繋ぐ通信網。
大量の情報を処理する巨大な計算施設。
その中で使われる半導体。
電子決済。
無人配送機。
それらと繋がる巨大な物流網。
自分で全部作れるわけではない。
どの会社が勝つかも分からない。
巨大な飛行船が、低い駆動音を響かせながらゆっくり夜空へ浮かび始めた。
(なら、伸びそうな場所へ少しずつ唾をつけておけばいい)
ライトはポケットに両手を入れたまま、雲の向こうへ昇っていく飛行船を見送った。
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