ナルトが木ノ葉の門をくぐったのは、到着して五日目だった。
普通の帰郷ではない。
門の前にはミナト、自来也、ヒルゼン、それに結界班の術者が二人いた。
ナルトの足首には、薄い紙札が巻かれている。
何かを封じるためではない。
外と内でチャクラの揺れ方が変わった時、それを記録するための札だった。
「これ、取れない?」
ナルトが足を振る。
「中へ入って何も起きなければ取る」
ミナトが答える。
「いたくない?」
「痛くない」
「爆発?」
「させない」
「ほんと?」
「ほんと」
「火影だから?」
「それは関係ないかな」
自来也が鼻で笑った。
「火影でも失敗はする」
「先生、今それ言います?」
「絶対に失敗しないと言う方が危ないだろ」
「それはそうですけど」
ナルトは二人を見比べた。
「じらやとミナト、仲悪い?」
「昔からこんなもんじゃ」
「仲はいいよ」
返事が重なった。
「どっち?」
「面倒じゃのう」
ヒルゼンが後ろで笑った。
張り詰めていた結界班の術者まで少しだけ肩の力を抜く。
「行くぞ、ナルト」
自来也が手を出した。
ナルトはその手を握った。
一歩。
門の線を越える。
何も起きない。
二歩。
札が淡く光る。
結界班が記録する。
三歩。
ナルトが振り返る。
「入った?」
「入った」
「きのは?」
「木ノ葉じゃ」
自来也が答えた。
ナルトは空を見る。
次に、遠くの火影岩。
三代目。
四代目。
形は知っている。
でも。
「おんなじ」
「岩はね」
ミナトが言う。
「違うのは?」
ナルトが聞く。
「俺がここにいること」
ミナトは自分を指した。
ナルトはしばらく火影岩と本人を見比べた。
「へんなの」
「五回目くらいだね、それ」
「もっと言った」
「そうだっけ」
門を越えて五分。
十分。
何も異常は起きなかった。
札も安定したまま。
ミナトはようやくしゃがみ、ナルトの足首から紙札を外した。
「合格?」
「試験じゃないよ」
「でも入れた」
「うん」
「じゃあ合格」
ナルトは勝手に決めた。
その日から、木ノ葉は「地図に描いた場所」ではなくなった。
◆
最初の三日間、ナルトは火影塔の客間でも波風家でもなく、カカシの部屋へ泊まることになった。
理由は単純だった。
自来也が一年分の旅帳を整理し、結界班と封印班の調査へ付き合う必要がある。
ナルトを連れて入れる場所ではない。
ヒルゼンの家も候補だったが、ビワコにはまだ事情を十分説明していなかった。
波風家へ入れるのはもっと早い。
そこでミナトが選んだのがカカシだった。
「なんでオレなんです?」
火影室で聞いた時、カカシは露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌?」
「嫌とは言ってません」
「暗部だから護衛にもなる」
「建前ですね」
「先生と俺の両方が信頼してる」
「それも建前」
「……子供相手に、変に父親面しなさそう」
「それが本音ですか」
「半分」
カカシは資料へ目を落とした。
そこには、事前に最低限の情報だけが書いてある。
うずまきナルト。
四歳。
自来也が一年保護。
ミナトとクシナが四年前に亡くした子と、名前・年齢・外見上の特徴が一致。
並行分岐の可能性は未確定。
「……先生」
「何」
「大丈夫ですか」
「何が」
「あなたが」
「大丈夫じゃない」
即答だった。
カカシの目が少し大きくなる。
「でも大丈夫じゃないまま仕事はできる」
「そういう所、変わりませんね」
「褒めてる?」
「半分」
仕返しされた。
◆
初対面のナルトは、カカシを見るなり言った。
「白い」
「髪?」
「うん」
「君は黄色いね」
「金だってばよ」
「そここだわるんだ」
「じらやが言った」
「先生の教育かあ」
自来也が後ろから怒鳴る。
「何が悪い!」
「口に出ちゃいました。」
「おい!」
ナルトはカカシの顔を見上げる。
口布。
額当て。
片目。
「顔、少ない」
カカシが固まった。
ミナトが吹き出した。
「先生、笑わないでください」
「ごめん」
「顔ある?」
ナルトが真剣に聞く。
「一応ね」
「見せて」
「それはもう少し仲良くなってから」
「けち」
「初対面でけちって言われた」
悪い始まりではなかった。
◆
カカシの部屋へ着くと、ナルトはまず窓を見た。
次に台所。
押入れ。
最後に玄関。
「逃げ道確認?」
カカシが聞く。
「ちがう」
「じゃあ何」
「どこに何あるか」
「ああ」
旅をしていた子供なら当然かもしれない。
毎晩違う部屋へ入る。
水はどこか。
厠はどこか。
戸がどちらへ開くか。
寝る前に覚える。
「布団はここ」
「じらやは?」
「今日は火影塔で記録整理。夜には顔出すって」
「いつ?」
「夕飯の後くらい」
ナルトは頷いた。
「ミナトは?」
「仕事」
「クシナは?」
「明日来るって聞いた」
知っている人間の予定を順に確認する。
カカシはそれを覚えた。
「オレは?」
「カカシ?」
「明日は昼から任務。でも朝はいる。昼からは三代目様が来る予定」
ナルトはまた頷く。
「分かった」
その夜。
自来也は本当に夕飯後に来た。
「来た!」
戸が開いた瞬間のナルトの声を聞いて、カカシは少しだけ納得した。
予定を確認するのは、管理したいからではない。
帰ってくると言った人が、本当に帰るか確かめたいのだ。
◆
翌朝。
カカシが目を覚ますと、ナルトはすでに起きていた。
布団は畳まれている。
借りた寝間着も畳まれている。
歯ブラシ。
地図帳。
手拭い。
木の駒。
全部が旅行鞄へ入っていた。
「……何してるの」
「片づけ」
「今日もここだよ」
「うん」
「じゃあ出さなくていいじゃん」
「朝は入れる」
「どうして」
ナルトが逆に不思議そうな顔をする。
「行くかもしれない」
「今日は行かない」
「でも、任務とか」
「オレの?」
「うん」
「オレが急に任務になっても、君まで追い出したりしないよ」
ナルトが黙る。
「三代目様かクシナさんが来る。昨日、予定言ったでしょ」
「うん」
「この部屋は、少なくとも自来也様が調査終えるまで君の寝る場所でもある」
「カカシの家だろ」
「だから一部貸す」
「どこ」
カカシは部屋を見回した。
棚の上段には忍具。
中段には本。
下段には雑多な物。
しばらく考え、下段の中身を全部床へ出した。
「ここ」
「何が?」
「ナルトの場所」
「勝手に?」
「使っていい」
「朝になったら?」
「そのまま」
「カカシ任務でも?」
「そのまま」
「じらや来ても?」
「そのまま」
ナルトは怪しそうに棚を見る。
「名前書いて」
「名前?」
「オレのって」
カカシは笑った。
紙へ太く書く。
『ナルト』
棚の端へ貼った。
「これで?」
「うん」
ナルトは旅行鞄を開いた。
最初に地図帳を置く。
次に木の駒。
手拭い。
丸い石。
着替え。
最後に歯ブラシ。
「歯ブラシは洗面所でよくない?」
「ここオレの」
「まあいいけど」
旅行鞄だけは空にせず、壁際へ置いた。
それでも、棚は埋まった。
「どう?」
カカシが聞く。
「……へん」
「何が」
「動かない」
棚は当然、動かない。
旅の荷物と違って、背負って歩けない。
ナルトはそれが不思議なのだ。
「動かなくていい物もあるよ」
「忘れたら?」
「戻ってくればいい」
「戻れなかったら?」
「オレが持っていく」
「どこに?」
「君がいるところ」
ナルトは長く考えた。
「じゃあ、置く」
その答えに、カカシは妙な責任を感じた。
『ナルト』と書いただけの紙一枚が、任務の誓約書より重く見える。
◆
三日目の夜。
自来也が迎えに来た。
「調査、一段落じゃ」
「帰る?」
ナルトが聞く。
自来也は意図を理解する。
「どこへ、が先じゃな」
「うん」
「今夜は猿飛家の客間。明日からは家屋と里内を行き来しながら、もう少し調べる」
「カカシんちは?」
「また泊まっていいよ」
カカシが言う。
ナルトは棚を見る。
「これ」
「置いといていい」
「全部?」
「全部」
ナルトは地図帳だけ取り出した。
旅行鞄へ入れる。
他は棚に残す。
「じゃあ行く」
玄関で靴を履く。
「カカシ」
「何?」
「また来る」
「うん」
「その時、ある?」
棚を指す。
「あるよ」
「絶対?」
「絶対」
ナルトは納得して自来也と出ていった。
カカシは戸を閉めた後、棚の札を見た。
保護者になったつもりはない。
父親の代わりでもない。
ただ。
誰かが戻ってくるまで、その人の物を同じ場所に置いておく。
それくらいなら、自分にもできると思った。