星を渡って、ただいまを 作:ka_na
ミナトが封印外層から戻った夜、クシナは眠れなかった。
何を見たかは聞いた。
九尾。
別の道を生きたミナトの残響。
向こうでは自分たちが死んだこと。
ナルトが自分たちの実子だと、その残響が答えたこと。
でも。
「それだけでは決めない」
ミナトは最初にそう言った。
クシナはそれに賛成した。
賛成したのに。
胸の中は全然静かにならなかった。
「私の子……」
暗い寝室で口にする。
言葉は温かくて、同じくらい怖かった。
四年間。
一度しか抱けなかった子供を、何度想像したか分からない。
四歳ならどのくらい背がある。
何が好き。
どんな声で笑う。
ミナトに似るのか。
自分に似るのか。
その想像の答えが、急に歩いて目の前へ来た。
それでも。
ナルトは想像の続きを埋めるために現れたわけではない。
自来也と一年旅をして。
嫌いな野菜があり。
地図へ汚い線を引き。
人の髪を触りたがり。
毎晩、明日の予定を聞く。
今いる一人の子供だ。
「クシナ」
隣からミナトの声。
「起きてる?」
「あなたもでしょ」
「うん」
「明日、私も行く」
「分かってる」
「止めないの」
「止めても行くでしょ」
「よく分かってるじゃない」
「夫だからね」
少しだけ笑った。
その夜は結局、二人ともほとんど眠れなかった。
◆
翌日。
ナルトへの説明は、また最初からした。
昨日ミナトが入ったからといって、今日は自動的に許可があることにはしない。
「今日は私も、昨日ミナトが行ったところへ行ってみたい」
クシナが言う。
「なんで?」
「私のことを知ってる人がいるかもしれないから」
「クシナの?」
「うん」
「オレも知ってる?」
クシナは答えに迷った。
「知ってる可能性がある」
「むずかしい」
「私もそう思う」
ナルトは自来也を見る。
「じらや」
「何じゃ」
「クシナも帰る?」
自来也はクシナを見た。
質問を渡す。
クシナが答える。
「帰る」
「絶対?」
「絶対って言うと忍は怒られるけど」
「なんで」
「何が起こるか全部は分からないから」
ナルトの顔が曇る。
クシナはすぐ続けた。
「でも、帰るために一番安全なやり方で行く。嫌だと思ったら途中で戻る」
「ミナトみたいに?」
「そう」
ナルトは少し考えた。
そして。
「いいよ」
と言った。
クシナは頭を撫でそうになって、止めた。
代わりに手を出す。
「握る?」
ナルトが握った。
「行ってくるね」
「いってらっしゃい」
その言葉に、胸が詰まった。
「……行ってきます」
◆
水音。
暗い空間。
巨大な格子。
クシナは足を止めた。
『今度はお前か』
九尾の声。
自分の中の九尾と同じ声。
でも違う。
外で測った時から分かっていた。
「あなたが、こっちの」
『夫婦そろって、勝手にワシの檻を覗くのが好きらしい』
「誰が好きで来るのよ」
反射的に返す。
九尾が牙を覗かせた。
『耳障りな口まで同じか』
クシナの胸が揺れる。
「私を知ってる?」
『忘れるものか』
赤い目が細くなる。
『別のお前はワシを鎖へ縛った器だ』
「あなたのクシナは」
『ワシが殺した』
真っすぐな答えだった。
慰める響きは一つもない。
『だからワシは、向こう側の四代目にこの小僧へ押し込まれた』
覚悟していた。
それでも痛い。
自分の死亡を聞いているのに、悲しいのはそこではなかった。
その時、ナルトは何歳だった。
生まれた日。
抱けたのは何分。
何を言えた。
聞きたいことが一気に溢れる。
「私、ナルトに何か言った?」
『知るか』
「そこにいたんでしょ」
『貴様ら人間がワシを縛り、削り、封じるのに必死だった夜だ』
九尾の爪が水を掻く。
『人間のように母子の別れを眺める暇などない』
「……そう」
冷たい。
けれど、今の九尾に優しさを求める方が間違っている。
クシナは水面へ視線を落とす。
その時。
九尾が不快そうに目を細めた。
『また残り滓か』
背後が温かくなった。
振り向く。
赤い髪。
自分と同じ顔。
少し疲れている。
でも笑っている。
『やっぱり赤い』
クシナは口を開いたまま動けなかった。
「……私」
『うん』
「あなた」
『うん』
何を言っているのか自分でも分からない。
向こうのクシナが少し笑った。
『ミナトもこんな感じだった?』
「たぶん」
『やっぱり』
クシナは一歩近づく。
触れられない。
輪郭は光でできている。
「ナルト」
最初に名前が出た。
向こうのクシナの顔が変わる。
母親の顔だった。
『元気?』
「元気」
『ご飯食べてる?』
「食べてる」
『野菜は?』
「嫌いなものある」
『やっぱり!』
「何で嬉しそうなのよ」
『普通の子供みたいだから』
その一言で。
クシナの目から涙が落ちた。
「普通よ」
『そっか』
「うるさいし、勝手だし、じっとしてないし」
『そっか』
「髪触るし」
『私の?』
「赤いからすごいって」
向こうのクシナが笑った。
その笑顔を見たら、もう止まらなかった。
「ごめん」
『何が?』
「私、生きてて」
言った瞬間、自分でもおかしいと思った。
向こうのクシナは怒らなかった。
『謝らないで』
「でも、あなたは」
『私は私』
「ナルトの母親だった」
『あなたもそうだったんでしょ』
「こっちの子は死んだ」
向こうのクシナが黙る。
「抱いた。少しだけ。何もできなかった」
『……そっか』
「だから、ナルトを見た時」
涙を拭く。
「嬉しかった。怖いくらい」
『うん』
「でも、あなたの子を取るみたいで」
向こうのクシナの眉が上がった。
『取る?』
「だって」
『ナルトは物じゃないってばね』
声が重なった。
クシナ自身の口癖と。
あまりに同じで。
泣きながら笑ってしまった。
「そうだった」
『私から受け取らなくていい』
「でも」
『私、あの子にもっと言いたかった』
向こうのクシナがナルトのいる外側を見るように顔を上げる。
『ご飯をちゃんと食べて。友達を作って。好きな子もできて。勉強もして。お風呂も入って。夜更かししないで』
「多いわね」
『母親だから』
「私も言いそう」
『でしょ』
笑う。
そのあと、向こうのクシナは静かになった。
『でも、今のあの子には、私の続きをやらせなくていい』
「続きを?」
『私が言えなかったことを全部、あなたが言わなきゃいけないわけじゃない』
クシナは黙る。
『あなたは、あなたで会ってくれたんでしょ』
「うん」
『なら、それでいい』
「母親になっていい?」
聞いてしまった。
向こうのクシナは首を横へ振った。
クシナの胸が沈む。
でも。
続いた言葉は違った。
『それを私に聞かないで』
「……」
『ナルトに聞いて』
クシナは長く息を吐いた。
「そうね」
『私が許したから母親になる、なんて変だもん』
「うん」
『血の話だけなら、あなたもあの子の母親よ』
クシナは息を止めた。
『道が分かれるまでは、あなたも私だったんだから』
「……うん」
『でも、“母ちゃん”は血だけで出来上がる言葉じゃない』
向こうのクシナが笑う。
『あの子が選んだら』
『その時いっぱい抱きしめてあげて』
「それは得意」
『知ってる』
「私だもんね」
二人で笑った。
◆
輪郭が薄くなる。
クシナは焦った。
「待って」
『長くいられないみたい』
「ナルトに何て言えばいい」
『捨ててない』
迷いなく返る。
『それだけは言って』
「うん」
『あと』
「何?」
向こうのクシナは少し恥ずかしそうに笑った。
『生まれてきてくれて、ありがとうって』
クシナの目からまた涙が落ちた。
「それは」
声が震える。
「私も言いたい」
『じゃあ、あなたの言葉で言って』
光が消える。
最後まで。
「母ちゃんって呼んで」
とは言わなかった。
それが何より、同じ自分だと思えた。
◆
目を開けた時。
ナルトはまだクシナの手を握っていた。
「クシナ?」
「ただいま」
反射的に言った。
ナルトが一瞬きょとんとする。
それから。
「おかえり」
と言った。
クシナは泣いた。
今度は誤魔化さなかった。
「なんで泣くの」
「帰ってきたから」
「帰るって言ったじゃん」
「そうね」
「大人、変」
「知ってる」
ナルトが困った顔で、自来也を見る。
「どうする?」
自来也が聞く。
ナルトは少し考えて。
クシナの頭を撫でた。
届かないから、正確には髪を上から押しただけだった。
「泣くな」
クシナは笑いながらもっと泣いた。
◆
その日の夕方。
調査関係者が集まった。
ミナトの外層接触。
クシナの外層接触。
二人の残留反響は、互いに矛盾しなかった。
こちらとは違う十月十日。
九尾襲撃。
ミナトとクシナの死亡。
新生児ナルトへの封印。
さらに。
自来也の一年間の位相観測。
ヒルゼンへの既知反応。
こちらには存在しない生活記憶。
二つの九尾由来チャクラの同質性と差分。
ミナト固有の封印設計。
四年前と一年後の位相値。
全てが同じ方向を指している。
「ここまで来れば」
ヒルゼンが言った。
「対立仮説の方が無理がある」
「はい」
ミナトが頷く。
「誰かがナルトへ偽の記憶を与え、俺の封印式を再現し、九尾と同根のチャクラを用意し、四年前からこちらの結界へ同じ位相異常を残した、まで仮定しないと否定できない」
ビワコが腕を組む。
「科学的には?」
「絶対、という言葉は使いたくないです」
「親としては?」
ミナトが黙る。
クシナも。
自来也が二人を見る。
「そこはまだ答えなくていい」
ヒルゼンが頷く。
「身元の認定と、暮らしは別じゃ」
紙の一番下。
ミナトはゆっくり書いた。
――うずまきナルト。
――波風ミナト、うずまきクシナの実子と同一起点を持つ別分岐個体である蓋然性、極めて高い。
最後に。
――保護・居住先の決定は本人への説明後、別途行う。
ミナトは筆を置いた。
「明日、本人に話します」
ヒルゼンが見る。
「誰がじゃ」
ミナトはクシナを見た。
クシナも頷いた。
「俺とクシナから」
「父親と母親だったことも?」
「そこを曖昧にしません」
クシナが木札を両手で持つ。
「捨てたんじゃないことも。私たちが、あの子の父と母だってことも。明日は、調査報告じゃなく、私たちの言葉で言う」
自来也が長く息を吐いた。
「ならワシは隣にいる。代わりには喋らん」
「お願いします」
ようやく。
証明は終わった。
次に必要なのは、証拠ではなかった。
父と母が、四歳の子供へ自分たちの口で真実を渡すことだった。
残り3話