翌朝、自来也は子供を連れて医者へ行った。
宿場の医者は老齢で、忍ではない。ただ、旅人や商人の怪我を長年診てきた人間らしく、ナルトを見ても余計なことは言わなかった。
「痩せ気味。軽い脱水。擦り傷がいくつか。熱はない」
「腹は?」
「押して痛がる場所はない。昨日痛かったと言うなら、疲労かもしれない」
「チャクラは見られるか」
「私は医療忍じゃないよ」
「そうじゃった」
ナルトは診察台の端へ座り、自来也の袖を握っていた。
医者が聴診器を当てるたびに目だけが動く。
「この爺さんは?」
医者が聞いた。
「じらや」
「お父さん?」
ナルトは首を傾げた。
自来也が先に言う。
「違う」
するとナルトも真似をした。
「ちがう」
医者は笑った。
「息は合ってるね」
「一日しか一緒におらん」
診察を終え、二日分の薬草だけ受け取った。
宿へ戻る途中、ナルトは何度も後ろを振り返った。
「何か落としたか」
「……みち」
「道?」
「きのは」
「木ノ葉へ帰りたいのか」
「……じっちゃん」
それだけだった。
自来也は説明を迷った。
三歳の子供へ「お前の身体に残る正体不明の時空間反応が、木ノ葉の結界へ何をするか分からん」と言っても意味がない。
「今は、すぐ帰れん」
ナルトの足が止まった。
「や」
「嫌でもじゃ」
「や!」
「聞け。帰さないんじゃない。帰るために少し待つ」
どこまで分かったか分からない。
ナルトは唇を結び、その日はしばらく喋らなかった。
◆
自来也はその晩、最初の失敗をした。
宿の主人から、街道沿いで怪しい行商人を見たという話を聞いたからだ。
本来の仕事の続きだった。
二刻もあれば戻れる。
ナルトは昼寝をしている。
女将もいる。
自来也はそう考え、何も言わず宿を出た。
調べは一刻で終わった。
戻ってきた時、女将が玄関で腕を組んでいた。
「どこへ行ってたんです」
「仕事じゃ」
「子供に言いました?」
「寝とった」
「だから?」
嫌な予感がした。
「ナルトは」
「部屋にいません」
自来也の心臓が一度、大きく鳴った。
二階。
布団は空。
窓は閉まっている。
玄関から出た形跡もない。
「ナルト!」
返事がない。
チャクラを探ろうとし、やめる。昨夜の反応がある。
自来也は部屋を一つずつ見た。
最後に、物置の戸が少しだけ開いていることに気づいた。
中には布団と古い桶が積まれている。
その隙間に、金色があった。
「……おい」
ナルトは膝を抱えていた。
「何しとる」
顔を上げない。
「出てこい」
「や」
「なんでじゃ」
「じらや、いない」
胸の奥へ鈍いものが落ちた。
「仕事へ行っただけじゃ」
「いない」
「戻っただろう」
「しらない」
自来也は言葉を失った。
戻るかどうかを、ナルトは知らなかった。
自来也にとっては二刻の外出でも、三歳の子供にとっては「起きたら大人が消えていた」だけだ。
「……悪かった」
自来也は物置の前へ座った。
「次から言う」
反応がない。
「どこへ行くか。いつ戻るか。必ず言う」
ナルトが僅かに顔を上げた。
「もどる?」
「ああ」
「ほんと?」
「ほんとじゃ」
「いつ?」
時間の説明で、また困った。
時計は読めない。
「昼飯の前とか、日がここまで来たらとか、分かるように言う」
ナルトはしばらく考えた。
「……いま、もどった?」
「ああ。戻った」
ようやく物置から出てきた。
自来也は頭を撫でようとして、手を止めた。
「触っていいか」
ナルトが小さく頷く。
金色の髪を一度だけ撫でた。
◆
その夜から、規則が増えた。
「明日は朝飯を食ったら隣町へ行く」
「となり?」
「歩いて昼になる前には着く」
「じらやも?」
「ワシも」
「いっしょ?」
「一緒じゃ」
ナルトは何度も確かめる。
自来也は同じ答えを何度も返した。
面倒ではなかった。
むしろ、面倒だと思ってはいけないことだと分かった。
翌朝、出発前。
女将が二人へ握り飯を包んだ。
「またいらっしゃい」
自来也が「世話になった」と頭を下げる。
ナルトは女将を見た。
「……いく」
「行ってらっしゃい」
「……?」
女将が笑う。
「出ていく人には、行ってらっしゃい。帰ってきた人には、おかえり」
ナルトは自来也を見た。
「おかえり?」
「昨日ワシが戻った時に言えばよかった言葉じゃな」
「ただ……?」
「帰ってきた方は『ただいま』じゃ」
ナルトは難しい顔をした。
「じゃあ言ってみな」
「……ただ、いま」
女将が嬉しそうに笑った。
「上手」
自来也は鼻を鳴らした。
「昨日は物置に隠れとったくせに」
「じらや、いなかった」
「それはもう謝ったじゃろ」
「まだ」
「まだ怒っとるのか!」
女将が笑った。
ナルトも少し笑った。
街道へ出る。
宿はすぐ後ろへ小さくなる。
ナルトが一度だけ振り返った。
「また、くる?」
「旅じゃから分からん」
「……」
「でも、戻るって言った場所には戻る」
「うん」
ナルトは前を向いた。
その日から、自来也は出かける前に必ず予定を言った。
ナルトは帰ってきた自来也へ、しばらく「ただいま」と「おかえり」を逆に言った。
三回目にようやく合った。
「おかえり、じらや」
「……ただいま」
言ってから、自来也は少しだけ照れた。
旅先の宿で誰かへ「ただいま」と言ったのは、いつ以来か覚えていなかった。