その夜、ミナトは食卓へ一枚の木札を置いた。
長さは手のひらほど。
表に刻まれているのは、たった三文字だった。
――ナルト。
クシナは味噌汁の椀を置いた。
「……どうしたの、それ」
「今日、話しておきたいことがある」
ミナトの顔を見て、クシナの表情が変わった。
冗談ではない。
仕事の愚痴でもない。
四年前から箱の底へしまったままの木札を、理由もなく持ち出すはずがなかった。
「何?」
「まず、最後まで聞いて」
「……分かった」
ミナトは、自分が確かめたことだけを順に話した。
一年前。
自来也が国外を旅していた時、時空間異常とともに幼い子供が現れた。
当時は三歳ほど。
身体には強い空間残滓が残り、口寄せのような時空間系の術へ異常な反応を示した。
そのまま木ノ葉の大結界へ連れ帰ることは危険だと、自来也は判断した。
それから約一年。
各地を移動しながら反応を記録し、子供を保護し続けた。
その子は今、四歳。
誕生日は十月十日だと言う。
金髪。
青い目。
両頬に三本ずつ痕がある。
そして。
名前は。
うずまきナルト。
クシナは一度も遮らなかった。
ただ、途中から木札を握る指だけが白くなっていた。
「今日、会った」
ミナトが言った。
クシナが、ゆっくり顔を上げる。
「……どうだった?」
「怖かった」
「どっちが?」
「俺が」
クシナは目を伏せた。
「似てた?」
ミナトはすぐには答えなかった。
「俺たちが覚えているのは、生まれたばかりの顔だけだ」
「うん」
「でも……あの子が四歳まで育ったら、あんな顔になるかもしれない。そう思ってしまうくらいには」
「それは証拠じゃない」
「分かってる」
「ほかには?」
「自来也先生の一年分の記録がある。この木ノ葉と同じようで異なる木ノ葉での生活の記憶。三代目様を、今も火影をしている『ジッチャン』として知っている」
クシナが眉を寄せる。
「あなたは?」
「死んだ四代目として知ってた」
「……」
「昨日まで写真の中の人だったみたいだ」
クシナは木札へ目を落とす。
「今日、外から少しだけチャクラの流れも見た。腹部に複雑な封印らしいものがある」
「中は?」
「見てない」
「九尾なの?」
「まだ分からない」
「……そう」
クシナは長く息を吐いた。
そして。
「自来也様は、どうして一年も黙ってたの?」
「空間残滓の問題があった。それは本当だ」
「それだけ?」
「……違う」
ミナトは正直に答えた。
「本人も認めてた。俺たちに見せて、もし違ったらって怖かった。それから、一年一緒にいるうちに、あの子を手放す話になることも怖くなったって」
クシナはしばらく黙っていた。
「怒った?」
「怒ってる」
「そっか」
「君も怒っていいよ」
「それは後」
クシナが立った。
「今は会いたい」
「明日にしよう」
「今日じゃ駄目?」
「もう夜だ。それに今日は、三代目様と俺に続けて会った」
クシナが止まる。
「あの子、ずっと気を張ってたと思う」
「……そっか」
「俺たちにとっては四年待った話でも、あの子にとっては、今日いきなり知らない大人が増えた日なんだ」
クシナはゆっくり座り直した。
「分かった。明日」
「それと」
「何?」
「あの子は、まだ君を知らない」
クシナがミナトを見る。
「だから、最初から母親だと思ってもらおうとしないでほしい」
一瞬。
クシナの目が鋭くなった。
けれど、すぐに息を吐いた。
「分かってる」
「ごめん」
「私だって、何しに行くかくらい考えてるってばね」
「うん」
「息子だって決めてもらいに行くんじゃない」
木札へ指を添える。
「今そこにいる子に、会いに行くの」
ミナトは何も言わなかった。
「ただ」
クシナの声が少し小さくなる。
「怖くないわけじゃない」
「何が?」
「会ったら……好きになっちゃうかもしれないこと」
ミナトには、返す言葉がなかった。
木札は、その晩だけ箱へ戻さなかった。
◆
翌日。
家屋の前で、クシナは三回深呼吸した。
隣に立つミナトが言う。
「三回目で余計に緊張してない?」
「黙って」
「はい」
クシナは戸を見る。
「あなたは入らないの?」
「最初は自来也先生にいてもらう」
「どうして?」
「あの子が一番安心するのは先生だから」
その判断が正しいことは分かった。
分かるから。
少しだけ寂しかった。
けれど、その寂しさは自分のものだ。
ナルトへ背負わせるものではない。
「じゃあ、行ってくる」
「うん」
戸を叩く。
少しして。
「おう、入れ」
自来也の声がした。
クシナは戸を開けた。
ナルトは低い卓へ紙を広げ、何かを描いていた。
顔を上げる。
動きが止まった。
クシナも止まった。
ほんの一瞬。
四年前、腕の中で見た赤ん坊の顔が頭に重なった。
すぐに消す。
目の前にいるのは、四年間失っていた赤ん坊ではない。
自来也と一年旅をしてきた、四歳のナルトだ。
「……あかい」
先に言ったのはナルトだった。
「え?」
ナルトはクシナの髪を見ている。
「髪」
クシナは自分の髪へ触れた。
「赤いでしょ」
「うん」
「珍しい?」
「すごい。長い」
張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
クシナはしゃがむ。
近づきすぎない位置で止まった。
「初めまして」
ナルトがこちらを見る。
「クシナっていうの。うずまきクシナ」
ナルトの目が丸くなる。
「うずまき?」
「そう」
「オレも」
「聞いたよ」
「なんで同じ?」
「昔はね、うずまきって名字の人、ほかにもいたの」
「そうなんだ」
まだ髪へ目が戻る。
クシナが少し笑った。
「そんなに気になる?」
「うん」
「触ってみる?」
「いい?」
「いいよ」
ナルトの小さな手が伸びる。
けれど、途中で止まった。
自来也を見る。
自来也は卓の向こうから言った。
「クシナ本人がいいと言っとる。触りたいなら触っていい」
ナルトはもう一度クシナを見る。
「いい?」
「うん」
クシナは髪の先を少し前へ出した。
ナルトが指でつまむ。
「やわらかい」
「赤いと硬そうに見えた?」
「ちょっと」
「何それ」
クシナが笑う。
ナルトも少し笑った。
「じらやの髪と、ぜんぜん違う」
「先生は白いものね」
奥から自来也の声が飛ぶ。
「ワシの髪に何の不満がある」
ナルトが声を上げて笑った。
その笑い方を見た瞬間。
クシナの胸が痛んだ。
似ている。
笑った時。
ミナトに似ている。
でも。
似ているだけで泣いてはいけない。
泣けば、この子は理由を探す。
今は、まだそんなものを背負わせない。
クシナは卓の紙へ目を落とした。
「何描いてたの?」
「地図」
「見せてもらっていい?」
「うん」
紙には、いびつな道と丸がいくつもある。
自来也の字で、小さく書き込みも入っていた。
「これは?」
クシナが一つの丸を指す。
「今いるとこ」
「こっちは?」
「ジッチャンのとこ」
その横には、自来也の字で「じっちゃん」と書かれている。
さらにもう一つ。
小さな印。
クシナが指を置く。
「ここは?」
「ミナトんち」
指が止まりそうになる。
「昨日、教えてもらったの?」
「うん」
「行ったことは?」
「まだ」
「そう」
ナルトは少し考えてから聞いた。
「クシナもいる?」
クシナは一度だけ息を吸った。
「いるよ」
「ミナトと?」
「うん。一緒に住んでる」
ナルトは鉛筆を取った。
丸の中へ、小さな点をもう一つ足した。
「何書いたの?」
「二人」
クシナは今度こそ少しだけ目を逸らした。
泣きそうになったからだ。
◆
昼。
クシナは家屋の台所を借りた。
米。
卵。
ねぎ。
少しの鶏肉。
十分だった。
ナルトが台所を覗く。
「何作る?」
「雑炊」
「じらやのも?」
「もちろん」
「いっぱい食べるよ」
「知ってる」
「知ってるの?」
「昔からね」
ナルトが自来也を見る。
「クシナ、じらやと昔から知ってるの?」
「私はミナトと知り合ってから。自来也様はミナトの先生だから」
「そうなんだ」
「おい。ワシも食うんだから、ねぎを減らすなよ」
自来也が言う。
クシナが振り返った。
「先生、子供に合わせてください」
「ワシの飯じゃぞ」
「三人で食べるんです」
「はいはい」
食卓へ、三人分の椀を並べる。
ナルトは自分の椀へすぐ手を伸ばさなかった。
自来也の椀を見る。
「じらやも食べる?」
「食う。そこに座るから先に始めていい」
「一緒じゃないの?」
自来也が一瞬だけ止まった。
「……なら、すぐ行く」
火を止めていた鍋の蓋を確認し、自来也も座る。
それを見て。
ナルトはようやく匙を取った。
クシナは、そのやり取りを黙って見た。
この子はもう。
一年前のように、自分の食べ物がなくなるかだけを心配している子ではない。
一緒に食べる人がいるかを確かめる。
誰が席へ来るかを気にする。
自来也との一年が。
確かに、この子の中に積もっている。
少し嬉しかった。
そして。
ほんの少しだけ、羨ましかった。
「熱いから、ゆっくりね」
ナルトが一口食べる。
目が少し大きくなる。
「……おいしい」
クシナの顔が明るくなる。
「ほんと?」
「うん」
自来也が横から言った。
「ワシの飯の時よりいい顔しとらんか」
ナルトが慌てて首を振る。
「じらやのもおいしい」
「ならよし」
「でも、これもほんとにおいしいってばよ」
クシナの手が止まった。
ナルトも。
何かおかしかったのかと、クシナを見る。
クシナは一瞬だけ言葉を迷った。
そして。
「そっか。おいしかったなら良かったってばね」
今度はナルトが止まる。
二人とも少しだけ目を丸くした。
自来也は何も言わなかった。
ただ二人を一度ずつ見た。
「クシナも言った」
ナルトが笑う。
クシナも、少し遅れて笑った。
「出る時があるのよ」
「へんなの」
「ナルトに言われたくないわよ」
「オレは普通」
「そういうことにしとく」
それで終わった。
もう一度言わせたり。
誰に似たのか確かめたりはしなかった。
似た口癖は、ただ胸の中へしまった。
今は。
一緒に昼食を食べていることの方が大事だった。
◆
食後。
クシナはすぐ検査の話を始めなかった。
ナルトと少し地図を眺め。
自来也が茶を淹れ。
食器を片づけて。
それから声をかけた。
「ナルト」
「なに?」
「昨日、ミナトにお腹の辺りを少し見てもらったって聞いたんだけど」
ナルトが自分の腹を見る。
「うん」
「痛くなかった?」
「なかった」
「そっか」
クシナは隣へしゃがんだ。
「私も、封印術っていうのが使えるの」
「ふういん?」
「うん」
説明する言葉を選ぶ。
「お腹のところに、何か大きな力をしまって、外へ出ないようにする仕組みがあるみたいなの」
「オレに?」
「あるみたい。でも、まだ何が入ってるのかも、何のためなのかも分かってない」
ナルトは不安そうに自分の腹を撫でる。
「こわい?」
クシナは即答しなかった。
「分からないものだから、私は少し怖い」
「……」
「でも、ナルトが怖いんじゃないよ」
ナルトが顔を上げる。
「そこは間違えないでね」
少し考えて。
ナルトが頷いた。
クシナは続ける。
「服の上から、少しだけ触ってもいい?」
「何する?」
「外からチャクラの流れを見るだけ」
「痛い?」
「痛くしない」
ナルトは自来也を見る。
「じらや」
自来也がすぐ答える。
「ワシはここにおる」
「ずっと?」
「終わるまでおる」
「嫌だったら?」
「やめりゃいい」
クシナも頷く。
「ナルトがやめてって言ったら、すぐやめる」
ナルトは少し考えた。
「じゃあ、いい」
「ありがとう」
クシナは正面から手を伸ばした。
「お腹、触るね」
「うん」
服の上から。
ほんの少し。
細いチャクラだけを流す。
深追いしない。
一層。
二層。
その奥。
何かが触れた。
知っている。
でも。
自分ではない。
懐かしい。
なのに、その懐かしさを経験した記憶がない。
さらに奥で。
巨大なものが、ほんの一瞬だけ身じろぎした気がした。
クシナはすぐ手を離した。
「おしまい」
ナルトが自分の腹を見る。
「もう?」
「うん。今日はここまで」
「分かった?」
クシナは正直に答えた。
「まだ分からない」
ナルトが眉を寄せる。
「また?」
自来也が少し笑った。
「分からんことが分かった。今日はそれで十分じゃ」
「そうなの?」
「そういうもんじゃ」
ナルトは完全には納得していなかった。
それでも。
「じゃあ、いい」
と言った。
クシナはその言葉に救われた。
この子自身は。
検査の中身より。
説明されたこと。
嫌ならやめられること。
そして自来也が隣にいること。
その三つを確かめていた。
それでいい。
今はまだ。
◆
帰り際。
クシナが靴を履いていると、ナルトが玄関まで来た。
「クシナ」
「なに?」
「また来る?」
胸が跳ねた。
クシナは、すぐに「来る」と言いそうになった。
一度だけ飲み込む。
「また来てもいい?」
ナルトが頷いた。
「うん」
「じゃあ、明後日」
「明日じゃないの?」
「明日は、自来也様とミナトが今日分かったことを調べる日なの」
ナルトが自来也を見る。
自来也も頷く。
「明日はワシとミナトで調べものじゃ。お前は休み」
「ふーん」
クシナが続ける。
「だから明後日。お昼くらいに来る」
「じらやもいる?」
「ワシはおる」
すぐ返る。
ナルトはようやく笑った。
「じゃあ、明後日」
「約束ね」
「仕事?」
クシナは少し考えた。
「次は、仕事じゃないよ」
「じゃあ何?」
「遊びに来る」
ナルトの顔が明るくなる。
「ほんと?」
「ほんと」
「また髪、触っていい?」
「そんなに気に入ったの?」
「うん。すごいから」
クシナが笑う。
「いいよ」
「じゃあ来てね」
「うん」
戸が閉まる。
クシナは歩き始めてから、自分の胸へ手を当てた。
速い。
怖いくらいだった。
でも。
嫌ではなかった。
◆
家屋から少し離れたところで、ミナトが待っていた。
クシナが並ぶ。
しばらく二人とも歩いた。
先に聞いたのはミナトだった。
「どうだった?」
クシナは前を向いたまま答える。
「……もう、好きになりかけてる」
ミナトが足を止めそうになる。
「早いよ」
「分かってる」
「まだ息子だと決まってない」
「それも分かってる」
クシナは振り向いた。
「だから、あの子に何かを求めるつもりはない」
「……」
「母親だって呼んでほしいとか。私たちのところへ来てほしいとか。そういう話じゃない」
もう一度前を向く。
「ただ、今日ご飯を食べて、おいしいって言ってくれた。髪を触る時、ちゃんといいかって聞いた。自来也様が席に来るまで待ってた」
ミナトは黙って聞いている。
「そういうナルトを、また見たいって思っただけ」
「怖くない?」
「怖いよ」
クシナは素直に答えた。
「でも、正体が分かるまで優しくしちゃいけない理由はないでしょ」
ミナトが小さく息を吐く。
「うん」
「それに」
「何?」
「自来也様と一年一緒だったこと、絶対に消したくない」
ミナトは、ようやく少し笑った。
「俺も昨日会って、同じこと思った」
「珍しく意見合ったね」
「普段から合ってるよ」
「そう?」
「そうだよ」
森の向こうに木ノ葉の灯りが見えた。
クシナは振り返らなかった。
次に会う約束をした。
また会う人には。
毎回、これが最後みたいに振り返らなくていい。
◆
その足で、クシナは一度だけ火影塔へ戻った。
簡易検査の報告書を書くためだった。
机に向かう。
筆を取る。
対象者氏名。
うずまきナルト。
年齢。
四歳。
封印術的異常。
あり。
最後の所見欄で、手が止まった。
触れた瞬間。
懐かしいと思った。
けれど。
「懐かしい」は記録ではない。
うずまき一族だからなのか。
封印術の癖なのか。
自分がそう感じたかっただけなのか。
まだ何も分からない。
クシナは、事実だけを書いた。
――腹部経絡系に通常と異なる封印反応を確認。外層のみ。詳細解析を要する。
署名する。
そこで、公的な仕事は終わった。
だから。
火影塔を出た足で市場へ向かったのは、仕事ではない。
子供用の靴を扱う店へ入る。
「四歳くらいの男の子?」
店主に聞かれ。
クシナは一瞬だけ詰まった。
「……そう」
「足の大きさは?」
「ちゃんと測ってないの」
「じゃあ少し余裕のある方がいいね」
何足か出してもらう。
ナルトの今の靴は履けないほど悪くはない。
ただ。
少し大きい。
歩く時に、つま先が余る。
今日、台所へ来た足元を見て気づいた。
買う理由は。
それだけだった。
そういうことにして。
一足選んだ。
◆
二日後。
約束した昼前。
クシナは、靴の箱を抱えて家屋を訪ねた。
「来たぞ、ナルト」
自来也の声。
奥から足音がする。
ナルトが顔を出した。
「クシナ」
「こんにちは」
「それ何?」
視線はもう箱へ向いている。
「これ?」
「うん」
クシナは箱を差し出した。
「靴」
「誰の?」
「ナルトの」
すぐには手が伸びなかった。
「なんで?」
「今履いてるの、ちょっと大きいから」
ナルトが自分の足を見る。
「履けるよ」
「履けるけど、少し歩きにくそうだった」
「……」
「一回、履いてみない?」
「お金いる?」
クシナの胸が少し痛んだ。
でも、顔には出さない。
「いらないよ」
「仕事?」
「違う」
「じゃあ、なんで?」
クシナは答えを急がなかった。
難しい言葉はいらない。
母性。
罪悪感。
亡くした息子。
そんなものは、今のナルトに関係がない。
「足が痛くなったら嫌だから」
ナルトが首を傾げる。
「クシナが?」
「私も嫌」
「オレも?」
「ナルトも嫌でしょ?」
「うん」
「じゃあ両方」
ナルトはまだ箱を見ている。
それでも手は出さない。
自来也が少し離れたところから見ていた。
口を挟まない。
クシナはようやく気づいた。
遠慮しているだけではない。
「もらうの、嫌?」
「……嫌じゃない」
「じゃあ、何か返さなきゃって思ってる?」
青い目が少しだけ動いた。
「……」
答えはなかった。
それで十分だった。
クシナは箱を自分の膝へ戻した。
「じゃあさ」
「なに?」
「最初は貸すことにしない?」
「貸す?」
「うん。履いてみるだけ」
「返す?」
「大きくなって履けなくなったら返してもいいし、そのままでもいい」
「どっち?」
「その時決めればいい」
ナルトが自来也を見る。
今度、自来也は答えた。
「嫌なら履かんでいい。履いてみたいなら履けばいい」
「返さなくても?」
「クシナ本人がいいと言っとる」
「……」
少し考えて。
ナルトが箱へ手を伸ばした。
「履く」
クシナは笑った。
「うん」
箱を開く。
新しい靴へ足を入れる。
立つ。
一歩。
二歩。
三歩。
「どう?」
ナルトは足元を見る。
もう一度歩く。
「……軽い」
「痛いところない?」
「ない」
「つま先は?」
「へいき」
廊下の端まで歩き、戻ってくる。
少しだけ嬉しそうだった。
「ほんとに、お金いらない?」
「いらない」
「何か返す?」
「返さなくていい」
「ほんと?」
「ほんと」
ナルトはまた自来也を見る。
「ほんとじゃ」
ようやく。
肩から力が抜けた。
クシナは、その顔を見て思った。
正体を知ってから優しくするのでは遅い。
誰の子か分からなくても。
今日、この子の足が痛くならない方がいい。
それだけなら。
証明なんて必要ない。
ナルトが新しい靴で、もう一度廊下を歩く。
「クシナ」
「なに?」
「今日は何して遊ぶ?」
約束を覚えていた。
クシナの顔が明るくなる。
「そうね。何したい?」
「外行きたい」
「その靴で?」
「うん」
「じゃあ、その前に」
クシナが足元を指す。
「家の中では靴脱ごうか」
ナルトが止まった。
「あ」
「まずそこから」
「忘れてた」
「知ってる」
自来也が後ろで笑った。
ナルトは慌てて玄関へ戻る。
新しい靴を脱いで。
今度はきちんと揃えた。
その隣には。
一年一緒に歩いてきた古い靴も置かれていた。
クシナは、それを捨てようとは言わなかった。
新しいものを渡したからといって。
古い道まで消す必要はなかった。