月が綺麗なことは知ってる系男子 作:月でゴロゴロする兎
――こんなに綺麗なものを見られるんだよ。僕らは。
――そうだな。
――望まれたから成功なの? 望まれてないなら失敗なの?
――僕らの人生は、もっと、良いものなはずなんだよ。
――そうだったら、よかったのにな。
失敗か。また。
夜風が冷たい。なぜだか。俺は室内にいたんじゃなかったか?
浮遊感に身を任せながら、目の前に広がる夜空の星を眺めていた。
一際強く光る星がある。ほら、あそこに。
視線が自然と吸い込まれ、この光はどれだけ前のものなのだろう、と、口の中で呟いた。
ぐん。体が強く引っ張られる。下に、下に、内臓を引っ張って、それに従って落ちていく。
――そうか。ここは外。俺はさっきあいつに吹き飛ばされて...んで、屋外に?
視線を振り回す。先ほどまでいたのであろう病院の、屋上の全貌が見えた。丸い円の中にHと書かれている。
ずっと遠く、光の群れが平原の様に、地平線の先まで悠然と伸びている。動いていたり、止まっていたり、それらすべては不規則に点滅しながら、夜空の様に輝いている。
だが、少しわかる。あれは街だ。遠く広がる街。そして、今俺は、宙に浮いている。
「マジかようっわぁ...」
どうしようもなくね? という諦観。そこから生まれた感情は、怒りでもなんでもなく、不思議と、風の吹いていない海原の様に凪いでいた。
声は夜の闇に吸い込まれていったが、それに呼応してくれたかのように、下から声が聞こえてきた。
風音交じりに耳に届く。
「大丈夫かい!?」
あの声だ。意識が飛ぶ寸前に聞いた、あのねちっこくて気持ち悪い声。
終わってる、救援じゃねえのかよ。ここから俺一人でどうにかしろって? そりゃないぜ。
必死に心配するような声を装いながら、その奥には隠し切れない愉悦がある。
さしずめ、このままなすすべなく落下して肉の海になるのをニタニタ眺めるつもりなんだろう。いっちゃん気持ちわりぃぜ。良い性格してるよ。
くそ。落下は止まらない。それどころか、体はぐんぐん地面に引っ張られていく。一番星が少しづつ遠くなっていく。
空中で身をひるがえし、はるか遠く、でも着実に迫ってくる地面を睨みつける。アリみたいな大きさの、人型がいる。
多分あれだろう。
「さっきは、うまくいかなかった!!! でも今度は違う!」
「っ...くっそがよぉ...っ......」
「今度こそ!! 君の個性を貰う!!!!」
"個性”ってなんだよ。アイデンティティみたいなことか?
こんな場面でそんなふざけ方をするとは思えない。
下から吹き付ける風が喉の奥まで入り込んで、肺の奥を叩きつけてくる。声が出ない。呼吸するにも、反射で体が咳をする。耳鳴りの様に脳内を貫いて、奴の声がくぐもっていく。
視界の端から暗くなって、現代アートの一種みたいに色がぐにゃぐにゃ混ざり合って――くそ、地面まであとどれくらいだ。
まだ少しでも頭が動く状態なんだ。もう少し、生きる道へ本気を出せよ。
アイツが助けに来ることに賭ける?
あの金髪ピッチピチ筋肉ゴリダルマ上位者が来ることに。いや、なしだ。来るなら勝手に来いって話だ。運に頼ってる暇はない。
今この瞬間に、俺に隠された能力が発現して、『実は俺最強でした』ムーブをかます? おいおい、夢を見るのはこりごりだ。やめてくれ。
たった一人で、ここから生き残ってみますかって、んな夢あるわけねえんだよ。
――あ? 能力? そういや俺、なんかすごいの持ってなかったっけ。
「さっきは邪魔が入ってしまったからね!!! でも、今はいない!! 君は一人だ!!」
「っ...ひと、りぃ...? ははっ...ばっ、かじゃ、ねぇの? お前ぇ」
聞こえているはずもない。
風のくぐもった音もある。大声を出せるわけでもないから、俺自身に聞こえた声も微々たるものだ。ほぼほぼノイズ。
けれど、思い当たるものはある。
胸の内でかすかに光っているような、そんなのが。思考にロックがかかっている。でも、もう少しで思い出せる。
すごく大事なものだったはずだ。忘れるなんてあり得ない。
手繰るように、脳みそにある情報の一つ一つを思い浮かべてみる。頭の中が勝手に動く。病院の景色、あの金髪マッチョの姿、走馬灯のように思い出されるのは、ついさっきの出来事だけ。
でも、そう。確かにあるんだ。俺は、一人じゃなかったはずなんだ。
そうだ。丁度あの、星空みたいなのが。
「ははっ。失敗、作って? 見る目がねぇよなぁ、あの、おいッぼれっ、どもがァ」
個性? そうだな。確かに、俺を俺たらしめる、この思い出は、この星の数々は、俺の個性だ。
俺を、他の奴らと区別できる、最大の要素。
「失敗作だって!!?? 冗談きついぜ情弱節穴どもが!!!!」
「成長のしていない状態で奪い取らざるを得ないのはあまりうれしくないんだけどね」
「俺
「素晴らしい個性なんだ! そんな素晴らしい個性、君にはもったいない!!」
「だって、俺たちはこんなにも綺麗なものを見ている!! 見つけられる!!!」
これが個性だ。脳の思考が鮮やかになっていく。立ち込めている霧が裂け、何をどうすればよいのか、手に取るようにわかる。
これが、あいつらのいう、『脳の瞳』なのか?
「ははっ、教えてやろうか、この世界のこと!!!」
「無駄なあがきはよすんだ! さあ、個性を!! 僕がもっと上手く使ってあげるよ!!!」
「星のような世界のこと、俺たちが聞こえる、俺たちの世界のこと!!!!」
あの時、すでに聞いていたんだ。
いやな現実に出会って、散り散りになりそうになって、皆の苦痛が手に取るようにわかった。
俺の思考が、まるで俺じゃないみたいだ。いつもみたいに。皆の思考はいつも共有されていて、言葉を介さずとも互いが分かった、あの時の様に。
あの時の皆の思いが、今もまだ鮮明に思い出せる。
こんなにも高揚している。みんなの笑顔が浮かぶ。星を、天体を見て笑っていた日々のことが、全て!!
天体を見ているとき、あんな世界が、何故か近くにあるんじゃないかと思った。荒唐無稽な話だった。でも、皆は信じてくれた。
星々の浮かぶ、この世のどこか、あるいはまったくの異世界のような世界。
真夜中、ふと見上げた時に思ったんだ。
すなわち、それは――
「すなわち――宇宙は、我らが頭上にある!!!!」
「もう大丈夫だ!! 僕がいる!」
体がふわりと浮く。重力に従っていた体がゆっくりと浮き上がって、その速度を落としていく。
相変わらず空中。ただしほぼ停止した空間で、個性を発動させた。
なぜか使い方が分かる。ずいぶん変わっているはずなんだが、その使い方、宇宙の声が、いつもの様に聞こえてくる。
雲を踏むように、空中に床ができた。
個性だ。個性で、星を足元に置いた。
「初めまして、クソおっさん」
ゆっくりと落下していく。さっきのような、ただ落ちるだけでなく、個性で制御しながら地面に降り立った。
先ほどまでアリの様に見えていた影が、一人の人間となって認識できる。
いやな雰囲気だ。立っているだけで、肌を舌で舐められるような気持ち悪さがある。
スーツを身にまとっていて、顔はのっぺらぼうみたいに目がない。口元だけが、マフラーの様になっている謎の機械の奥にある。
でもなんだか納得できた。しわ一つないスーツは余りにも場違いの様に感じるはずなのに、不思議とそうではなかった。
不気味さを助長するためには、良い選択だと、何故かそんなことを考える。
「俺の名前は...何にしようか。でも、なんでもいいか?」
「君の個性を、貰う」
クソおっさんの右手に、何か圧が生まれる。
目に見えない。だが、渦巻く大気が、俺の頬をかすっていった。
受けれない。目に見えないが、何故か分かった。殺気の塊が今、俺に打ち出されようとしている。
「まあ、いいか―――なあおっさん。一番面白れぇ時って何か、しってるか?」
「へぇ、なんだい?」
大気の勢いが増す。
言えて、あと一言だ。
個性の発動を合わせろ。一発しのいで、すぐに「宇宙」を張る。
当たり前だろ。わざわざ戦わないぜ。こんな奴。
「自分を見下してるやつの鼻っ柱をへし折って、そいつが土下座して命乞いする時、あと一つは―――」
人差し指を立てる。猫の尾の様に、上空の満月を指さした。
「宇宙が、いつも俺らを見てるって気づいた時だよ」
空気の膨張。
脳によぎるよりも早く、腕が動いていた。
星がぶつかる。大気と星がぶつかって、そして―――。
「無事かい!? 少年!!!」
「...ぅへ、これが、星の巡りってことか?」