第十三の主従   作:知人

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ちょっとセリフの前に名前書くの手間すぎるので書き方変えるのと次回予告毎度考える自信無くなってきたので思いついた時だけやります。終わりに15話までどぞ


第十一話 境界線の向こう側

 

目が覚めてから、三日目。

鈴原トウジは、自分の左手をじっと見つめていた。

包帯は外されている。

見た目だけなら、普通の手だった。

五本の指。

爪。

手のひらに残った薄い傷。

医者が「大きな損傷はない」と言ったのも理解できる。

けれど。

「……普通やないな」

指を握る。

ぎゅっ、と。

問題なく動く。

もう一度、開く。

やはり動く。

その動作だけなら、何も変わっていない。

だが。

意識をほんの少しだけ集中させると――

皮膚の下で、何かが応えた。

ぞわり。

左腕の奥を、冷たい感覚が走る。

トウジは反射的に手を開いた。

「……っ」

心臓が一度、大きく鳴った。

――どうした。

頭の奥から声がする。

低く、静かな声。

バルディエル。

「なんでもない」

――嘘だ。

「……うるさいわ」

――お前は、恐れている。

「当たり前やろ」

窓の外を見る。

第三新東京市。

いつもと変わらない街。

遠くに見える建物。

道路を走る車。

朝の光。

人間が暮らすために作られた、当たり前の景色。

その中に、自分もいる。

それなのに。

トウジには、その景色が以前とは違って見えた。

音が増えている。

空気の流れが分かる。

自分の身体の奥にあるものが、周囲の気配を拾っている。

そして何より。

目を閉じれば――

あの声がいる。

「……お前、ずっとそこにおるんか」

――いる。

「俺が寝てても?」

――いる。

「俺が死んでも?」

そこで。

声が止まった。

トウジは眉を寄せる。

「……なんや」

――その問いには、まだ答えられない。

「なんでや」

――分からない。

初めて聞いた答えだった。

バルディエルは、何でも知っているわけではない。

その事実に気づいた瞬間。

トウジの胸に、妙な安堵が生まれた。

「……そっか」

――何がだ。

「いや」

トウジは笑った。

ほんの少しだけ。

「お前も知らんことあるんやなって思ってな」

返事はなかった。

それが、少しだけ可笑しかった。

***

病室のドアが開く。

「起きてたのね」

ミサトだった。

手には紙袋。

いつもの彼女なら、もっと明るく声を掛ける。

しかし今日は違った。

「調子は?」

「ぼちぼちです」

「食欲は?」

「あります」

「吐き気は?」

「ないです」

「幻聴は?」

トウジの手が止まった。

ミサトも止まる。

数秒。

「……あります」

正直に答えた。

ミサトは驚かなかった。

「どのくらい?」

「常に」

「内容は?」

「普通に会話してます」

ミサトの表情が硬くなる。

「誰と?」

トウジは答えなかった。

ミサトも追及しない。

代わりに、紙袋をテーブルへ置いた。

「朝ご飯。病院食だけじゃ足りないでしょ」

「何入ってます?」

「おにぎり」

「……具は?」

「鮭」

「当たりや」

少しだけ空気が緩む。

だが。

ミサトは椅子へ座ると、真っ直ぐトウジを見た。

「トウジ君」

「はい」

「昨日、リツコから報告を受けたわ」

「何を?」

「あなたの脳波について」

トウジは黙った。

「通常の人間と完全に一致している」

「……それ、ええことなんですか?」

「普通ならね」

「普通なら?」

「一部だけ、説明のつかない波形が混ざってる」

ミサトは資料を一枚取り出した。

「あなたが眠っている間、何度か同じ反応が出てる」

「どんな?」

「誰かと会話しているような反応」

トウジは資料を見る。

波形が並んでいる。

規則的な脳波。

その中に、奇妙な周期。

二つの波が重なっている。

まるで――

二人分の意識が、一つの脳の中に存在しているようだった。

「……バルディエル」

思わず口にした。

ミサトの目が細くなる。

「その名前、あなたが言ったの?」

「え?」

「さっき」

「……あ」

トウジは口を閉じた。

自分が無意識に名前を呼んだことに気づく。

ミサトはしばらく黙っていた。

「ねえ、トウジ君」

「はい」

「あなたは、その存在をどう思ってる?」

難しい質問だった。

敵。

使徒。

自分を侵食した存在。

かつてなら、それだけで十分だった。

でも今は違う。

「……分かりません」

「怖くない?」

「怖いです」

即答だった。

「殺したいと思わない?」

トウジは窓の外を見る。

「最初は思いました」

「今は?」

「……話してみたら、ちょっと違った」

「違った?」

「俺を殺したかったわけやない」

ミサトは黙っている。

「命令されてただけやった」

その言葉を聞いた瞬間。

ミサトの表情がわずかに変わった。

「命令?」

「はい」

「誰から?」

「それは……」

トウジは答えられなかった。

バルディエルにも、分からない。

少なくとも今は。

ミサトはそれ以上聞かなかった。

ただ。

「分かった」

そう言って資料を閉じた。

***

同じ頃。

NERV本部、第二実験棟。

赤木リツコはモニターを見つめていた。

そこに映っているのは、四号機のデータだった。

起動実験。

接続実験。

そして――

異常値。

「やっぱり……」

画面を切り替える。

四号機のコア周辺で検出された、未知の反応。

既存の使徒パターンとは一致しない。

しかし完全な人間由来でもない。

「欠片……」

リツコが呟く。

その言葉に、背後から声が返った。

「それが何なのか、分かったの?」

ミサトだった。

「まだ」

「まだ、ね」

「分かっているのは、それが四号機の実験記録に残っていることだけ」

「サンプルは?」

「ない」

「ない?」

「正確には、残っていない」

リツコは別のデータを表示する。

記録の一部が欠落している。

削除されたわけではない。

もっと奇妙だった。

そこだけ、記録そのものが存在しない。

「誰かが消した?」

「それなら復元できる」

「じゃあ?」

「最初から記録されなかったようになっている」

ミサトは眉を寄せた。

「そんなことできるの?」

「普通ならできない」

「普通なら?」

リツコは答えなかった。

モニターの端。

時刻表示。

三時十七分。

その数字を見て、リツコの指が止まる。

「……また」

「どうしたの?」

「何でもないわ」

ミサトはその表情を見た。

しかし、追及しなかった。

まだ。

***

病室。

トウジはおにぎりを食べながら、窓の外を見ていた。

「……そういや」

ふと思い出す。

「シンジは?」

「碇君?」

「はい」

ミサトが少し笑った。

「毎日来てるわよ」

「毎日?」

「あなたが寝ててもね」

トウジは苦笑する。

「アイツ、律儀やなぁ」

「友達だからじゃない?」

「……友達」

その言葉が、胸に引っ掛かった。

自分が転校してきて。

一緒に飯を食って。

喧嘩して。

エヴァに乗って。

そして――

一度、殺されかけた。

それでも来てくれる。

「……変な奴や」

「そうね」

ミサトが笑う。

その時。

ドアがノックされた。

「入っていい?」

聞き覚えのある声。

「シンジ?」

ドアが開く。

碇シンジが立っていた。

手には小さな紙袋。

「これ……」

「なんや?」

「お見舞い」

「何やそれ」

「……プリン」

「子供扱いすんなや」

「嫌だった?」

「いや」

トウジは紙袋を受け取る。

「ありがとな」

「うん」

シンジは椅子に座った。

しばらく二人とも喋らない。

以前なら、沈黙が気まずかった。

今は違う。

沈黙の中に、言葉がある。

シンジが口を開いた。

「……怖い?」

トウジはプリンを見る。

「何が?」

「その……」

シンジは自分の手を見る。

「バルディエル」

トウジは少し驚いた。

「知ってるんか」

「ミサトさんから少しだけ」

「そっか」

「僕なら……」

シンジは言葉を探す。

「僕なら、怖くて仕方ないと思う」

トウジは笑った。

「俺もや」

「……え?」

「怖いで」

「そうなの?」

「そらそうやろ」

トウジは左腕を見る。

「俺の中に、俺やない奴がおるんや」

「……うん」

「せやけど」

トウジは少しだけ笑った。

「俺の中におるからって、俺が俺やなくなるわけやない」

シンジは顔を上げた。

「……そうかな」

「そうや」

「どうして分かるの?」

「分からん」

「え?」

「分からんけど」

トウジは自分の胸を叩いた。

「俺が俺やと思っとるうちは、俺やろ」

シンジは何も言わなかった。

やがて。

「……僕も、そう思えたらいいな」

小さな声だった。

トウジは、その言葉の意味を深く考えなかった。

まだ。

***

夕方。

病室を出たシンジは、廊下を歩いていた。

曲がり角の向こう。

惣流・アスカ・ラングレーが壁にもたれている。

「遅い」

「アスカ?」

「何話してたの?」

「別に」

「別にじゃないでしょ」

アスカはシンジの顔を見る。

「鈴原、普通だった?」

「うん」

「……そう」

短い返事。

だが、その声には安心が混じっていた。

アスカは病室の方を見る。

「本当に?」

「何が?」

「普通だった?」

「……うん」

シンジは少し迷ってから言った。

「でも」

「でも?」

「鈴原は、前より強くなった気がする」

アスカは鼻で笑った。

「強くなった?」

「うん」

「使徒と契約して?」

シンジは答えない。

アスカもそれ以上言わない。

二人の間に、冷たい沈黙が落ちた。

やがてアスカが呟く。

「……強くなるって、そんな簡単なことじゃないわよ」

その目は、病室の向こうを見ていた。

***

夜。

第三新東京市。

雨が降っていた。

病室の灯りが落ちる。

トウジはベッドに横たわっていた。

眠れない。

目を閉じる。

――起きているか。

「……寝ようとしてたんや」

――すまない。

「珍しいな」

――何が。

「お前が謝るん」

沈黙。

「なあ」

――何だ。

「今日、ミサトさんが言うてた」

――何を。

「脳波が二つあるみたいになっとるって」

――知っている。

「……知っとったんか」

――お前の感覚を通して、私にも見える。

トウジは天井を見る。

「じゃあ」

少し間を置く。

「俺が見てるもんも、お前は見とるんか?」

――全てではない。

「俺の記憶は?」

――全てではない。

「じゃあ、俺の昔のことは?」

――断片的だ。

「……妹のことも?」

その瞬間。

バルディエルの声が消えた。

トウジは眉を寄せる。

「おい」

返事がない。

「バルディエル?」

――知らない。

「何を?」

――お前の妹のことは、知らない。

「……そうか」

少し安心した。

それと同時に。

別の疑問が浮かぶ。

「じゃあ、なんで俺の記憶に入れる?」

――契約したからだ。

「契約って、そんなもんなんか?」

――違う。

「え?」

――本来なら、契約とは一方的に記憶を共有するものではない。

トウジは身体を起こした。

「じゃあ何や」

――境界を作るものだ。

「境界?」

――お前と私。

その言葉が、妙に重かった。

――敵と味方。

――人間と使徒。

――生と死。

――その間に線を引く。

トウジは黙った。

「……ほんなら」

――何だ。

「俺らは今、どっち側や?」

長い沈黙。

そして。

――分からない。

トウジは苦笑した。

「またそれか」

――だが。

声が続く。

――一つだけ分かる。

「何や」

――私は、お前を支配していない。

トウジは目を閉じた。

――そして、お前も私を支配していない。

「……主従やない、ってことか」

――そうだ。

その言葉が。

胸の奥に残った。

***

午前三時十七分。

NERV本部。

誰もいないはずの観測室。

モニターが一つだけ点灯した。

表示されたのは、四号機。

次に。

参号機。

そして。

鈴原トウジの生体データ。

心拍。

脳波。

血中酸素濃度。

すべて正常。

しかし。

画面の中央に、一つの波形が現れた。

既存のどのデータとも一致しない。

その波形は。

一度。

二度。

三度。

脈打った。

モニターに文字が表示される。

《接続を確認》

次の瞬間。

画面が切り替わる。

《契約者:不明》

《使徒:第十三》

《欠片:六》

そして。

最後の一行。

《観測者:在席》

観測室の暗闇。

誰もいないはずの椅子に。

白い少年が座っていた。

少年はモニターを見つめる。

表情は穏やかだった。

「……まだ、気づかないんだね」

誰に向けた言葉なのか。

答える者はいない。

少年は立ち上がった。

そして。

画面に映る六枚の光輪を見た。

「六枚目は、力じゃない」

静かな声。

「選んだんだ」

その瞬間。

病室のトウジが目を開いた。

「……誰や?」

頭の奥。

バルディエルの声が響く。

――私ではない。

トウジはベッドから起き上がった。

「じゃあ……誰や?」

窓の外。

雨が降り続いている。

街は眠っている。

けれど。

トウジには分かった。

今。

誰かが。

自分を見ている。

そして。

その視線は――

バルディエルのものではなかった。

トウジは左腕を握った。

皮膚の下で、何かが応える。

六枚の光輪。

そのさらに奥。

まだ開かれていない、何か。

「……来るんか」

――分からない。

「ほんま、お前はそればっかりやな」

――だが。

「ん?」

――今度は、私にも分かる。

バルディエルの声が低くなる。

――あれは、私たちを見ている。

トウジは窓の外を見た。

暗闇の向こう。

一瞬だけ。

白い何かが見えた気がした。

次の瞬間には、もう消えていた。

「……そうか」

トウジは小さく呟く。

「見られとるんやな」

六枚の光輪が。

誰にも見えない場所で。

静かに揺れた。

その夜。

鈴原トウジは初めて知った。

使徒と契約した自分を見ているのは――

NERVだけではない。

そして。

自分自身もまだ知らない「何か」が。

すでに、こちら側へ手を伸ばし始めていることを。

 

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