第十三の主従   作:知人

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第二章 六枚目の選択
第十五話 鍵穴


 

午前三時十七分。

 

目が覚めた瞬間、左手のひらが熱かった。

 

包帯を解く。

 

掌の中央。

 

昨日までなかった黒い印は消えていない。

 

輪ではない。

 

傷でもない。

 

鍵穴のような細長い紋様。

 

「……夢やなかった。」

 

胸の奥で鼓動が返る。

 

『……いる。』

 

「おはよう。」

 

『……朝。』

 

少しだけ笑った。

 

本当に学習している。

 

「ほんま、お前変わったな。」

 

『……友。』

 

その言葉だけは迷わない。

 

だが、その安心は長く続かなかった。

 

腕の奥で、もう一つの微かな脈動が響く。

 

ドク。

 

一度だけ。

 

すぐ消えた。

 

「……今のは。」

 

『……違う。』

 

バルディエルの声が低くなる。

 

『……近い。』

 

俺は黙って掌を握った。

 

あの鍵穴は、まだ消えそうになかった。

 

 

翌朝。

 

第三新東京市。

 

学校へ向かう道は、いつも通りだった。

 

電車。

 

信号。

 

学生の笑い声。

 

昨日までと変わらない。

 

そう思いたかった。

 

「トウジ!」

 

ケンスケが走ってくる。

 

「退院したんだな!」

 

「おう。」

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「見た目はな。」

 

「見た目って何だよ。」

 

苦笑するしかない。

 

全部説明できるわけがない。

 

教室へ入ると、一瞬だけ空気が止まった。

 

昨日まで入院していた俺を見る視線。

 

噂。

 

不安。

 

好奇心。

 

全部混ざっている。

 

「鈴原。」

 

シンジが立ち上がる。

 

「おはよう。」

 

「おう。」

 

少し安心した顔だった。

 

その隣ではアスカが腕を組んでいる。

 

「ちゃんと戻ってきたのね。」

 

「約束したやろ。」

 

「まだ信用したわけじゃないわ。」

 

「知っとる。」

 

「でも。」

 

アスカは少し目を細めた。

 

「来ないよりはマシ。」

 

その一言だけだった。

 

それでも十分だった。

 

綾波は席から静かに俺を見ている。

 

目が合う。

 

「鈴原君。」

 

「何や。」

 

「増えた。」

 

背筋が冷える。

 

「……何が。」

 

「あなたの中。」

 

それだけ言って視線を戻した。

 

シンジには聞こえていない。

 

アスカにも。

 

俺だけが意味を理解していた。

 

鍵穴のことだ。

 

 

昼休み。

 

屋上。

 

風が少し強い。

 

弁当を開こうとした瞬間だった。

 

ドク。

 

胸が鳴る。

 

シンジも同時に胸元を押さえた。

 

「……え。」

 

俺たちは顔を見合わせる。

 

ほぼ同時だった。

 

綾波がゆっくり屋上の扉を開ける。

 

「また。」

 

「聞こえたんか。」

 

「鼓動。」

 

アスカだけが首を傾げた。

 

「何の話?」

 

説明できない。

 

いや。

 

説明しても信じられない。

 

三人だけが感じる鼓動。

 

また重なった。

 

ドク。

 

ドク。

 

ドク。

 

三つ。

 

その奥で。

 

四つ目が鳴る。

 

「また増えた。」

 

綾波が小さく呟いた。

 

その瞬間。

 

左腕が疼く。

 

『……下。』

 

「地下?」

 

『……呼ぶ。』

 

昼休みの屋上。

 

なのに地下の気配がした。

 

 

同時刻。

 

NERV第二発令所。

 

「また同期しました!」

 

マヤの声が響く。

 

リツコが画面を見る。

 

三つの波形。

 

碇シンジ。

 

綾波レイ。

 

鈴原トウジ。

 

完全同期。

 

誤差〇・〇三秒。

 

「時刻。」

 

「十二時二十六分。」

 

「三時十七分以外でも始まった。」

 

リツコは画面を切り替える。

 

その横に別波形。

 

UNKNOWN BIOPATTERN。

 

さらに。

 

昨日から現れ始めた第三波形。

 

「鍵反応。」

 

リツコは初めてその名前を口にした。

 

「鍵穴状紋様との一致率。」

 

「九八・七%。」

 

「位置。」

 

「鈴原君の左手。」

 

沈黙。

 

冬月がモニターを見る。

 

「六枚目か。」

 

リツコは首を振った。

 

「違います。」

 

「なら。」

 

「六枚目になる前段階です。」

 

その一言で部屋が静まる。

 

「選択は、まだ起きていません。」

 

ゲンドウは何も言わない。

 

ただ。

 

一枚の画面を見つめていた。

 

そこには旧封印区画。

 

境界停止地点。

 

昨日まで動かなかった欠片。

 

その位置が。

 

ほんの三メートルだけ前進していた。

 

 

放課後。

 

呼び出し。

 

またNERVだった。

 

「しゃあないか。」

 

シンジが並ぶ。

 

「一緒に行く。」

 

「ええんか。」

 

「僕も呼ばれた。」

 

綾波も立つ。

 

「私も。」

 

三人で地下へ向かう。

 

エレベーターが降りる。

 

地下。

 

地下。

 

さらに地下。

 

途中。

 

照明が一度だけ揺れた。

 

ピッ。

 

短いノイズ。

 

その瞬間。

 

俺だけが見た。

 

エレベーターのガラスに映る四人目。

 

白い髪。

 

赤い瞳。

 

振り向く。

 

誰もいない。

 

『……見るな。』

 

バルディエルが遮る。

 

『……今は。』

 

エレベーターが止まる。

 

地下第六層。

 

だが今日は医務室ではなかった。

 

案内された先は。

 

旧観測室。

 

「ここは。」

 

「普段は使ってない。」

 

ミサトが答える。

 

「でも今日はここ。」

 

部屋の中央。

 

丸い台座。

 

頭部センサー。

 

そして壁一面のモニター。

 

リツコが立っていた。

 

「今日は検査じゃない。」

 

「ほんなら。」

 

「確認よ。」

 

俺は台座を見る。

 

「何を。」

 

リツコは静かに答えた。

 

「あなたたち三人が、同じものを見ているのか。」

 

シンジが息を呑む。

 

綾波は黙ったまま頷く。

 

俺は台座へ座る。

 

センサーが装着される。

 

「始めます。」

 

機械が動き出す。

 

低い音。

 

ブーン——。

 

最初は何もない。

 

だが。

 

三人の脳波が重なった瞬間。

 

モニターが一斉に乱れた。

 

ザッ。

 

ザザッ。

 

ノイズ。

 

「何!」

 

マヤが叫ぶ。

 

画面いっぱいに。

 

白い文字が浮かぶ。

 

> 観測継続

 

リツコが顔を上げる。

 

「誰が表示した!」

 

誰も触っていない。

 

文字が増える。

 

> 対象確認

 

> 契約維持

 

> 境界固定

 

最後の一行だけ。

 

赤く変わった。

 

> 鍵を開けるな

 

その瞬間。

 

俺の左手の鍵穴が熱を持つ。

 

「ぐっ!」

 

掌から黒い線が伸びる。

 

一本。

 

二本。

 

三本。

 

だが五本目で止まる。

 

光輪は現れない。

 

まだだ。

 

リツコが叫ぶ。

 

「解除!」

 

非常停止。

 

機械が止まる。

 

静寂。

 

俺は荒い息を吐いた。

 

掌を見る。

 

鍵穴は消えていない。

 

その縁だけが少し黒く濃くなっていた。

 

そして。

 

部屋中のモニターが真っ黒になった。

 

最後に一つだけ。

 

中央画面へ赤い瞳が映る。

 

一秒。

 

二秒。

 

三秒。

 

その瞳は俺ではなく。

 

三人全員を見ていた。

 

『準備は進んでいる。』

 

声が響く。

 

観測者だった。

 

『だが、まだ選ぶ時ではない。』

 

画面は消える。

 

完全な沈黙。

 

誰も動けない。

 

その中で。

 

俺の胸の奥だけが。

 

静かに答えた。

 

ドク。

 

そして地下のどこかから。

 

もう一つの鼓動が返ってきた。

 

ドク。

 

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