ドク。
地下の鼓動が返ってきた。
部屋の誰も動かなかった。
真っ黒になったモニター。
消えた赤い瞳。
残っているのは警報音だけだった。
「……今の。」
マヤの声が震える。
「ログ!」
「取得中です!」
キーボードを叩く音が部屋に響く。
リツコはモニターを睨んだまま短く命じた。
「映像を復元。」
「駄目です。」
「音声。」
「こちらも。」
数秒後。
マヤが振り向いた。
「記録がありません。」
「そんなはずない。」
「モニターは確かに表示しました。」
「なのに。」
画面を切り替える。
録画データ。
音声ログ。
全て。
空白だった。
俺は掌を握る。
鍵穴はまだ熱を持っている。
「葛城さん。」
「何?」
「今の、見ましたよな。」
ミサトは静かに頷いた。
「見た。」
「なら。」
「でも証拠が残ってない。」
嫌な沈黙だった。
まるで。
俺たちだけが見せられた出来事みたいだった。
その時だった。
ピッ。
司令部から優先通信。
「葛城一佐。」
ゲンドウの声。
「鈴原を連れて地下第七層へ向かえ。」
部屋の空気が止まる。
ミサトが眉を寄せた。
「理由は。」
「境界が動いた。」
短い返答だった。
通信が切れる。
境界。
またその言葉だ。
俺は左腕を押さえた。
『……行く。』
「分かっとる。」
バルディエルは迷わなかった。
---
地下第七層。
エレベーターが開く。
冷たい空気。
前に来た時と同じ赤い非常灯。
だが今日は違った。
壁に亀裂が走っている。
「これ。」
シンジが息を呑む。
「昨日はなかった。」
綾波が壁へ触れる。
「温かい。」
俺も手を近づけた。
確かに熱がある。
まるで。
壁の向こうで何かが呼吸している。
「近づきすぎないで。」
ミサトが制止する。
その時。
リツコが携帯端末を見る。
「反応。」
「欠片ですか。」
「ええ。」
画面には地下構造図。
旧封印区画。
停止していた反応。
昨日より。
さらに二メートル。
前進していた。
「止まってない。」
マヤが呟く。
「少しずつ進んでる。」
誰も笑わない。
俺だけが知っていた。
胸の奥の鼓動が。
近づいている。
---
旧封印区画。
隔壁の前へ到着する。
分厚い鋼鉄。
封印番号。
『SECTOR-7』
そして。
その中央。
昨日までなかったもの。
黒い手形。
「……。」
俺は息を止めた。
俺の左手。
掌の鍵穴。
形が似ている。
「触るな!」
ミサトが叫ぶ。
だが。
遅かった。
左腕が勝手に動く。
「っ!」
止まらない。
『……呼ぶ。』
バルディエル。
「やめろ!」
腕が隔壁へ近づく。
あと十センチ。
五センチ。
一センチ。
触れた。
カチ。
小さな音。
まるで鍵が噛み合う音だった。
次の瞬間。
ゴォォォ——
隔壁全体が震えた。
「離れろ!」
ミサトが俺を引く。
俺は後ろへ倒れる。
隔壁は開かなかった。
だが。
中央の黒い手形だけが光る。
五本の指。
一本ずつ。
淡く黒く発光する。
一本。
二本。
三本。
四本。
五本。
そこで止まる。
六本目はない。
その代わり。
掌の中央。
鍵穴だけが脈打った。
ドク。
ドク。
「リツコ!」
ミサトが叫ぶ。
「これは。」
リツコは画面を見たまま答える。
「認証。」
「何。」
「封印が。」
一拍置く。
「鈴原君を認識した。」
俺の背筋が凍った。
「何で。」
誰も答えられない。
---
その頃。
ターミナルドグマ。
リリス。
巨大な白い身体。
静寂。
ポタリ。
また一滴。
赤い雫が落ちる。
そして。
仮面の奥。
誰にも見えない場所で。
片方の瞼だけが。
ほんの僅か。
震えた。
---
旧封印区画。
「反応急上昇!」
マヤの声が通信から響く。
「ATフィールド形成!」
「使徒!」
「違います!」
「じゃあ何!」
リツコが叫ぶ。
「波形が一致しません!」
空気が重くなる。
俺の周囲だけ。
世界が遅くなる。
そして。
また見えた。
白い髪。
赤い瞳。
観測者。
隔壁の向こう側に立っている。
今度は逃げない。
じっと俺を見ている。
「お前。」
誰にも聞こえない。
俺だけが見えている。
観測者が口を開く。
『鍵は合った。』
「何の。」
『だが、まだ開かない。』
「何でや。」
少年は静かだった。
『君が選んでいないから。』
「何を。」
返事はない。
代わりに。
隔壁の向こう。
闇の中で。
何か巨大なものが。
ゆっくりと身じろぎした。
ゴン。
床が震える。
シンジも感じた。
綾波も。
三人同時に胸を押さえる。
ドク。
鼓動が重なる。
一つ。
二つ。
三つ。
そして。
四つ目。
今までで一番近い。
俺は確信した。
壁の向こうにいる。
欠片は。
もう境界のすぐ向こうまで来ている。
その瞬間。
隔壁へ赤い文字が浮かび上がった。
> **認証進行率 5/6**
誰も入力していない。
誰も触れていない。
だが。
その数字だけは。
確かに一つ進んでいた。