空は、近づくほど静かだった。
参号機は雲を突き抜ける。
眼下には第三新東京市。
上空には、第10使徒サハクィエル。
巨大な輪が幾重にも重なり、中心のコアだけが鼓動している。
その奥。
黒い影――欠片。
俺を待っていた。
コアへの道
ミサト:「鈴原君、高度八千!」
マヤ:「目標まで残り三百!」
青葉:「初号機と弐号機がATフィールドで落下速度を抑えています!」
シンジとアスカが時間を稼いでいる。
俺は拳を握った。
トウジ:(バル。)
バルディエル:『いる。』
トウジ:(届く。)
『届く。』
左腕が熱を帯びる。
契約を使えば届きやすくなる。
でも。
まだ使わない。
トウジ:(最後まで、人間の手で触る。)
バルディエルは何も言わなかった。
ただ。
肯定するように鼓動が返ってきた。
ドクン。
初号機
地上。
初号機は両腕を空へ向けていた。
ATフィールドが軋む。
シンジ:「くっ……!」
都市全体を押し潰そうとする力。
一人では支えきれない。
その隣。
弐号機。
アスカ:「まだよ!」
二つのATフィールドが重なる。
アスカ:「アンタ、絶対帰ってきなさいよ!」
通信は届かない。
でも。
トウジは空の上で小さく笑っていた。
接触
あと五十メートル。
サハクィエルの輪が回転を止める。
初めてだった。
落下する使徒が、自分から動きを変えた。
マヤ:「回転停止!」
リツコ:「……。」
ミサト:「何が起きたの?」
トウジ:「聞いてくれた。」
サハクィエル:『近い。』
声。
今度ははっきり聞こえた。
トウジ:「もう少しや。」
『怖い。』
トウジ:「俺もや。」
『空しか知らない。』
トウジ:「地上を見たことあるか?」
沈黙。
『ない。』
トウジ:「桜って知っとるか。」
『知らない。』
トウジ:「夏祭りは?」
『知らない。』
トウジ:「友達は?」
長い沈黙。
『いない。』
胸が痛んだ。
まただ。
また孤独だ。
バルディエル:『同じ。』
トウジ:(ああ。)
精神世界
世界が赤へ反転する。
赤い海。
その上に巨大な空。
サハクィエルは空そのものだった。
輪の中心。
欠片が座っている。
足をぶらぶら揺らして。
欠片:「遅かった。」
トウジ:「待ってへんやろ。」
欠片:「待ってた。」
バルディエルが前へ出る。
『帰れ。』
欠片は首を振る。
「足りない。」
トウジ:「何が。」
欠片:「帰るには。」
一拍。
「二つ。」
トウジ:「契約か。」
欠片は答えない。
ただ。
サハクィエルのコアへ手を置く。
すると。
空全体が震えた。
サハクィエル:『落ちる。』
トウジ:「止まれる。」
『止まれない。』
トウジ:「止まれる。」
俺は近づく。
トウジ:「一緒に止まろう。」
サハクィエル:『……。』
「一緒。」
その言葉で。
世界が止まった。
現実
参号機の右手が。
サハクィエルのコアへ触れた。
ドクン。
都市全体が震える。
マヤ:「接触!」
青葉:「ATフィールド変化!」
リツコ:「攻撃じゃない。」
誰も動かない。
ゲンドウだけが見つめている。
契約の条件
赤い海。
サハクィエルが近づく。
その姿は輪だけではなかった。
中心から無数の光が降る。
星みたいだった。
サハクィエル:『条件。』
トウジ:「聞く。」
『空を渡せ。』
トウジ:「空?」
『記憶。』
俺は理解した。
バルディエルの契約。
身体。
サハクィエルの契約。
記憶。
トウジ:「代償か。」
『見る。』
『全部。』
俺の記憶を。
こいつは見る。
そして。
俺も。
サハクィエルの記憶を見る。
トウジ:「……。」
一瞬だけ迷った。
前世。
家族。
妹。
学校。
全部。
見られる。
バルディエル:『拒める。』
トウジ:(拒んだら。)
『落ちる。』
現実では。
街がある。
シンジがいる。
アスカがいる。
ミサトも。
トウジ:「受ける。」
サハクィエルが目を閉じた。
『ありがとう。』
記憶共有
世界が砕けた。
俺は落ちる。
いや。
飛んでいる。
雲の上。
何千年。
何万年。
ずっと空。
雨。
雷。
星。
月。
朝日。
夕焼け。
全部見た。
誰とも話せない。
触れられない。
ただ。
空。
孤独。
涙が出た。
トウジ:「……。」
サハクィエル:『ごめん。』
トウジ:「謝るな。」
今度は。
俺の記憶が流れる。
妹。
病院。
ヒカリ。
ケンスケ。
シンジ。
転校初日。
喧嘩。
笑った日。
サハクィエルが震えた。
『温かい。』
トウジ:「そうや。」
『羨ましい。』
トウジ:「なら。」
俺は手を伸ばす。
トウジ:「一緒に見よう。」
サハクィエルが。
初めて笑った。
笑ったような気がした。
契約成立
現実。
コアが光る。
都市を押し潰していた圧力が消える。
マヤ:「落下停止!」
青葉:「目標停止!」
日向:「高度固定!」
ミサト:「止まった……!」
その瞬間。
参号機の背後。
光が走る。
四つ。
五つ。
透き通る光輪。
一瞬だけ現れた。
リツコが息を呑む。
リツコ:「光……。」
マヤ:「記録!」
だが。
一秒。
二秒。
すぐ消える。
誰も正体を理解できない。
ゲンドウだけが目を細めた。
代償
トウジ:「あっ……!」
頭が割れる。
膝をつく。
左腕ではない。
今度は。
頭。
視界が二重になる。
青空。
病院。
星空。
全部重なる。
マヤ:「参号機異常!」
リツコ:「脳波!」
波形が乱れる。
トウジ:(誰の記憶や。)
サハクィエル:『私。』
(……。)
『ごめん。』
トウジ:(謝るな。)
頭痛は消えない。
でも。
耐えられる。
バルディエル:『三人。』
俺は息を呑んだ。
そうだ。
今。
俺の中には。
俺。
バルディエル。
サハクィエル。
三つの意識がある。
帰還
サハクィエルは崩れなかった。
爆発もしない。
巨大な輪がゆっくり縮む。
光へ変わる。
そして。
コアだけが残る。
そのコアは。
参号機の胸へ触れた。
吸収ではない。
侵食でもない。
溶けるように。
消えた。
マヤ:「生体反応消失!」
リツコ:「違う。」
マヤ:「え?」
リツコ:「移った。」
その言葉で。
発令所が静まり返る。
地上
参号機が着地する。
初号機。
弐号機。
二機が駆け寄る。
シンジ:「トウジ!」
通信。
開く。
トウジ:「……おう。」
シンジ:「大丈夫?」
トウジ:「頭痛い。」
シンジ:「怪我は?」
トウジ:「腕は無事や。」
アスカ:「アンタ!」
トウジ:「何や。」
アスカ:「空と喋って帰ってきた男なんて初めて見たわ。」
トウジ:「俺も初めてや。」
アスカは少しだけ笑う。
「……バカ。」
その一言が。
昨日より少し柔らかかった。
医務室
検査。
静かだった。
リツコ:「左腕。」
異常なし。
「脳波。」
三つの波形。
完全には重ならない。
リツコ:「記録。」
マヤ:「はい。」
画面。
UNKNOWN BIOPATTERN。
一つ。
もう一つ。
そして。
二つはトウジの心拍と同期していた。
リツコは画面を閉じる。
「……名前は付けない。」
まだ。
早い。
夜
一人。
病室。
窓の外。
星空。
サハクィエル:『綺麗。』
トウジ:「地上から見る星や。」
『初めて。』
バルディエル:『違う。』
『近い。』
三人で。
同じ空を見る。
その時。
サハクィエルが小さく呟いた。
『……あれは誰?』
トウジ:「?」
窓の外。
屋上。
誰かが立っている。
白い服。
銀色の髪。
赤い瞳。
少年。
こちらを見ている。
一瞬。
目が合う。
少年は。
微笑んだ。
そして。
唇だけが動く。
「また会おう。」
次の瞬間。
姿は消えていた。
トウジは知らない。
だが。
読者だけは知っている。
あれは。
まだ早すぎる来訪者。
渚カヲルだった。
第六話 終
次回予告
ミサト:「次回!」
ミサト:「サハクィエルとの契約が成立!」
ミサト:「でも代償は、記憶を共有すること!」
ミサト:「トウジ君の中は、ついに三人暮らし!」
ミサト:「しかも最後に現れた白い少年は一体誰!?」
ミサト:「次回、『第七話 三人の鼓動』!」
ミサト:「サービス、サービスぅ!」