ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
翌朝、ルーカスはアンガーフェルトからミュンヘンへ向かった。
鞄には、ISO-I-1とISO-I-2の外観写真を一枚ずつ入れていた。角部屋にある書斎の図面原本は持ち出していない。二台の車体番号、排気タービンの管理番号、関連する日記の日付だけを手帳へ写してあった。
目的は、祖父の研究成果を会社史へ加えてもらうことではなかった。
一九六二年のボンネビル遠征について、BMW側にどのような記録が残されているのか。それを調べるための入口を探すことだった。
アドルフの日記によれば、ゲオルグ・ライナーは遠征を会社の計画として承認しなかった。その一方で、国鉄職員だったオットーを除く参加者が帰国後も職場に残り、本来の仕事と私設活動を以前と同じように続けられるよう社内で調整していた。
会社として責任を負わないこと。
個人の私設活動を理由に排除させないこと。
ゲオルグは、その二つを同時に成立させようとしていた。
しかし、角部屋にある書斎で確認できたのは、アドルフ側の記録だけだった。ゲオルグが社内で誰と話し、どのような判断を求めたのかまでは分からない。
その痕跡が会社側に残っている可能性を、ルーカスは確かめたかった。
ミュンヘンへ着き、BMW本社に近づくと、博物館が通常の状態ではないことに気づいた。
建物は改装の最終段階にあり、まだ一般公開されていなかった。案内によれば、新しい博物館が公開されるのは六月下旬だった。二〇〇四年から続いた改装を経て、展示面積を大きく広げた博物館として再開する予定だという。
ルーカスは立ち止まり、手帳へ日付を書いた。
入館できない以上、展示を見たことにはできない。
ISO-I-1やISO-I-2が展示されていないとも断定できなかった。公表されている概要に名前が見つからないことと、実際の展示に存在しないことは別である。
彼は建物の外から確認できる案内を読み、持参していた再開情報を見直した。
新しい展示では、BMWの製品史、モータースポーツ、設計、機関、企業の発展が扱われる予定だった。だが、そこで具体的にどの資料が選ばれるのか、公開前の概要だけでは分からない。
そもそも博物館は、会社に残る記録をすべて並べる場所ではない。
限られた空間で、会社と製品の歴史を来館者へ伝える場所だった。展示されないものが存在しても、それだけで忘却や隠蔽を意味することにはならない。
ルーカスは手帳へ一文を書いた。
公表資料に記載がないことを、資料そのものの不存在と考えない。
ISO-I-1とISO-I-2は私設研究車だった。
BMWイセッタを基礎としていても、BMWの公式開発車ではない。会社が発表した製品でも、社命によって製作された競技車でもなかった。
したがって、一般向けの展示概要に名前がなくても不自然ではない。
しかし、アドルフたちはBMWの職場と無関係な人物ではなかった。ゲオルグとの面談があり、会社として承認できる範囲と、個人として続けられる活動の境界が検討されている。
製品史には残らなくても、勤務、安全、責任、休暇、社内承認に関する記録が残っている可能性はあった。
ルーカスは鞄から二枚の写真を取り出した。
銀色のISO-I-1とISO-I-2。
外観だけなら、同じ車を改修したようにも見える。だが図面と管理表では、完全な別車だと確認できた。ISO-I-1は極小車体への技術移植を目的とし、ISO-I-2は一九六二年のボンネビル走行のために設計された専用車だった。
質問の仕方を誤れば、会社側でも二台を混同するかもしれない。
また、「ボンネビルを走ったBMW」と尋ねれば、BMWの公式活動についての質問だと受け取られる可能性がある。
それは正確ではなかった。
ルーカスは手帳の新しいページへ、照会に使う表現を書いた。
一九六二年、BMWイセッタを基礎として私的に製作された試験車ISO-I-2に関する記録。
その下に、人名を加えた。
アドルフ・ミュラー。
ゲオルグ・ライナー。
ヨーゼフ・クラウス。
ルートヴィヒ・ベルガー。
フランツ・ヴェーバー。
オットーはBMWの社員ではないため、会社側の人事記録を探す名前には含めなかった。ただし、遠征参加者として別の資料に現れる可能性はある。
時期は一九六二年。
探す項目は、ボンネビル計画、会社としての不承認、参加者の勤務上の扱い、帰国後の職務継続だった。
ルーカスは最後の項目を見て、少し考えた。
ゲオルグが社内政治を行ったというのは、エリーザベトの説明とアドルフの日記から得られた結論だった。その具体的な方法は確認できていない。
照会文で事実として断定すべきではなかった。
彼は文章を修正した。
遠征参加者の勤務および帰国後の職務に関して、社内で検討された記録があるか。
これなら、答えを先に決めずに済む。
博物館の周囲を離れたルーカスは、近くの喫茶店へ入った。窓際の席で手帳を広げ、問い合わせに必要な情報を整理した。
最初に示すのは車名ではなく、人名と時期。
次に、公式開発車ではないことを明記する。
そして、技術資料だけでなく、人事や承認に関係する記録も調査対象に含める。
私設車の名称が社内文書で使われている保証はない。ISO-I-2だけを検索しても、何も見つからない可能性があった。
反対に、アドルフの姓だけでは、通常の勤務記録や別の業務資料が大量に該当するかもしれない。
人名、年、計画の目的、ゲオルグとの関係。
複数の手掛かりを組み合わせる必要があった。
帰りの列車で、ルーカスは二枚の写真を並べた。
会社史の中で語られるBMWイセッタと、私設研究によって生まれた二台のISO系車両は、対立する歴史ではない。
市販車の歴史は、多くの人へ販売され、生活の中で使われた製品の歴史だった。
ISO-I-1とISO-I-2は、その製品を出発点として少人数が行った実験の歴史である。記録された場所も、残された理由も違っていた。
その違いを無視して私設車を公式史へ押し込めば、かえって事実を歪めることになる。
アンガーフェルトへ戻ると、エリーザベトは台所で夕食の準備をしていた。
「博物館は見られた?」
「まだ開いていなかった」
「出かける前に気づかなかったの?」
「建物を見ることはできたし、再開の案内も確認した」
「それなら、完全な無駄ではなかったわね」
ルーカスは鞄を椅子へ置いた。
「公表されている展示概要には、ISO-I-2の名前はなかった」
「だから?」
「展示にもないとは、まだ言えない」
「そうでしょうね」
「でも、展示されなかったとしても不自然ではない。会社の車ではないから」
エリーザベトは鍋の中を木匙で混ぜた。
「お祖父さんたちも、会社の成果にしてもらおうとは考えていなかったわ」
「それでも、ゲオルグは関わっている」
「会社として許可したのではないわよ」
「分かっている。だから、許可の記録ではなく、判断の記録を探す」
エリーザベトは火を弱め、ルーカスを見た。
「言葉を間違えないことね。ゲオルグは遠征を会社の仕事にはしなかった。でも、戻ってきた人たちが仕事を失わないようにもした」
「その方法は?」
「私は会議に出ていないもの。本人の日記か、会社の記録を探しなさい」
ルーカスは頷いた。
角部屋にある書斎へ戻ると、ゲオルグの名が現れる日記を抜き出した。面談の日付、話題、結論を一覧へまとめる。
どの記録にも、ゲオルグを妨害者とする言葉はなかった。
アドルフは不承認に不満を持ちながらも、会社の責任を負う立場からの判断だと理解していた。ゲオルグもまた、私設研究の内容を会社の成果として扱おうとはしていない。
両者の間にあったのは、敵対ではなく境界だった。
会社の仕事。
個人の研究。
公式な承認。
職場に残るための調整。
それらは似て見えても、同じものではなかった。
ルーカスは照会に使う要点を一枚へまとめた。
博物館の展示を見て答えを得ることは、まだできなかった。
だが、閉じた扉の前まで来たことで、展示と記録を区別すべきだと分かった。
六月下旬に博物館が再開した後、展示は改めて確認できる。
それまでに調べるべきなのは、展示の背後にある会社側の記録だった。
ルーカスは最後に、新しい見出しを書いた。
会社の記録。