ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
会社側から届いた返答は、ルーカスが期待したような発見を告げるものではなかった。
ISO-I-2という名称に該当する公式開発記録は確認できない。一九六二年のボンネビル遠征をBMWの事業として扱った資料も見つからない。
角部屋にある書斎で読んだアドルフの日記と、矛盾しない回答だった。
ISO-I-2は私設研究車であり、遠征も会社の計画ではない。ゲオルグ・ライナーは、会社としての承認を与えなかった。そのため、公式な車両開発記録に名前がなくても不自然ではなかった。
返答には、もう一つの内容があった。
車名ではなく、人名と時期を手掛かりにすれば、関連する可能性のある記録を調べられるという。
ルーカスは照会に用いた項目を読み返した。
アドルフ・ミュラー。
ゲオルグ・ライナー。
一九六二年。
私的なアメリカ渡航。
遠征前後の勤務。
この組み合わせなら、ISO-I-2という私設名称が会社の文書に現れなくても、参加者の動きを追えるかもしれなかった。
ただし、そこからゲオルグの行動を一つの文書として発見できるとは限らない。
社内政治という言葉から、ルーカスは会議記録や書簡を想像していた。ゲオルグが誰かを説得し、参加者を守るために明確な指示を出した記録である。
しかし、エリーザベトは具体的な文書が存在するとは言っていなかった。
ゲオルグが調整した結果、オットーを除く参加者は遠征後も職場へ残り、それまでと同じように仕事と私設活動を続けることができた。
確定しているのは、その結果だった。
ルーカスは会社側から確認できた情報を、角部屋にある書斎の日記と照らし合わせた。
最初に分かったのは、遠征がBMWの公式計画として扱われていなかったことだった。会社による車両製作、輸送、試験の記録はなく、公式な成果として報告された形跡もない。
次に、関係者の勤務が遠征後も続いていたことを確認した。
その間を直接結ぶ文書は見つからなかった。
ゲオルグが誰と話したのか。
どのような反対があったのか。
参加者の職場を守るために、どの手続を使ったのか。
会社側の断片的な記録からは確定できなかった。
ルーカスは手帳を二つに区切った。
左には確認できた事実を書いた。
遠征はBMWの公式計画ではない。
ISO-I-2はBMWの公式開発車ではない。
参加者は遠征後も職務を継続した。
私設研究も従前どおり続けられた。
右には確認できないことを書いた。
ゲオルグが行った社内調整の具体的な方法。
関係した人物。
社内で交わされた言葉。
調整の全過程。
空欄を推測で埋めれば、ゲオルグを英雄にすることも、遠征へ反対した妨害者にすることもできる。
どちらも正確ではなかった。
彼は会社の責任を負う立場として、ボンネビル計画を承認しなかった。同時に、私設研究へ参加した者たちが、それを理由に仕事や活動の場を失わないよう調整した。
遠征へ行かせたのはゲオルグではない。
遠征を止めたのもゲオルグではない。
決断と費用と危険を引き受けたのは、アドルフたち自身だった。
昼食の席で、ルーカスは確認結果をエリーザベトに説明した。
「会社側にISO-I-2の開発記録はなかった」
「会社の車ではないのだから、当然でしょうね」
「ボンネビル遠征の公式記録もない」
「会社の遠征ではなかったもの」
「でも、参加した人たちは帰国後も同じ仕事を続けている」
エリーザベトは食器を置き、ルーカスの手帳を見た。
「それで?」
「ゲオルグが具体的に何をしたのかは分からない」
「分からなくても、結果は残ったでしょう」
「社内で誰かと交渉した記録があると思っていた」
「交渉したことが、いつも文書になるとは限らないわ」
「何も残さなかったのかな」
「何も残っていないことと、あなたが見つけられなかったことも同じではないでしょう」
その指摘は正しかった。
会社に記録が存在しないとは断定できない。保存されなかったのか、閲覧できないのか、別の分類に含まれているのかも分からない。
ルーカスが言えるのは、今回確認した範囲では具体的な調整過程を示す記録を見つけられなかったということだけだった。
「祖父は、ゲオルグが動いたことを知っていた?」
「どこまで聞いていたかは知らないわ。でも、帰ってから仕事を続けられたことは分かっていたでしょう」
「礼を言った記録は?」
「お祖父さんの日記にないなら、私には分からないわね」
エリーザベトは少し考えてから続けた。
「ゲオルグは、自分が助けたと説明して回る人ではなかったわ。それに、お祖父さんも、ボンネビルへ行けたのはゲオルグのおかげだとは考えなかったでしょう」
「実際、遠征を承認したわけではない」
「そうよ。行く準備をしたのは私たちよ」
一九六二年のドルを集めたのも、ISO-I-2を運ぶ計画を立てたのも、休暇を調整したのも私設研究チームだった。
オットーは国鉄職員であり、休暇旅行としてアメリカへ向かった。彼の勤務上の扱いを、BMWの記録から確認することはできない。
アドルフたちについても、ゲオルグが用意した会社の出張として渡米したわけではない。
ゲオルグの社内調整は遠征の実行を支援するものではなく、遠征後も彼らが職場と私設活動を従前どおり続けられるようにするものだった。
ルーカスはその違いを手帳へ書いた。
遠征を成立させたのは参加者。帰国後の継続を守ったのはゲオルグ。
午後、彼は一九六二年前後の日記を日付順に並べた。
会社としての承認を得られないと分かった日。
遠征を私設計画として続行すると決めた日。
ドル、輸送、人員の準備が進められた期間。
アメリカへ向かった時期。
そして帰国後、再び通常の仕事と私設研究が続いていく記録。
流れに矛盾はなかった。
ただし、日記に書かれているのはアドルフが知った範囲だけである。ゲオルグが社内で何を引き受けたのか、その全体は見えなかった。
ルーカスは会社側の記録と日記の間に、一本の太い線を引くことをやめた。
代わりに、確認できた項目を点として置いた。
不承認。
私設遠征。
帰国。
職務継続。
私設活動継続。
点の並びはゲオルグの調整を裏付けていたが、点と点の間にある具体的な行動までは示していない。
それで十分なのかもしれなかった。
歴史は、すべての会話を保存しているわけではない。残された結果から行動の存在を確認できても、細部まで再現できないことがある。
再現できない部分を、劇的な場面で補う必要はなかった。
ゲオルグは遠征へ同行しなかった。
彼の名はISO-I-2の計測結果にも現れない。
それでも、遠征から戻った参加者たちが研究を続け、その後のISO-I-3やBMW 700へ到達した背景には、職場を失わずに済んだという条件があった。
機関、部品、図面だけが研究を継続させたのではない。
働く場所。
収入。
技術者としての立場。
私設活動を続けられる余地。
それらもまた、次の車を作るために必要だった。
ルーカスは会社側の記録を閉じ、ボンネビル関係の資料を机へ戻した。
その中には、一九六二年の走行結果を記した紙があった。
米国側の公式記録に記された区間平均は、95.1マイル毎時。
キロメートル毎時へ換算すれば、約153キロ毎時だった。
別の記録には、それよりはるかに大きな数値が残っている。
約二四〇キロ毎時。
しかし、その値には後輪空転に関する注記があり、真の最高速度としては扱えなかった。
会社の記録にISO-I-2が現れなかったように、表示された数字も、そのまま車の実像を示すとは限らない。
米国側が公式に測定した値は何か。
車内の計器が表示した値は何か。
そして、どこから先が分からないのか。
ルーカスは新しいページを開いた。
見出しには、公式記録を先に書き、その横へ換算値を添えた。
95.1mph/約153km/h。