ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
平たく大きな円柱状の金属缶は、角部屋にある書斎の棚に収められていた。
蓋には、一九六二年、ボンネビル、ISO-I-2と記されている。文字は薄くなっていたが、整理票の番号とも一致した。
ルーカスは缶を机へ置き、すぐには開けなかった。
隣の棚にはNormal-8用の八ミリ映写機が保管されていた。布製の覆いを外すと、電源コードは所定の位置へ巻かれ、付属品も小箱に分けられていた。
アドルフはこの映写機を、古い道具として放置していたのではない。使おうと思えば使えるよう、完全に整備した状態で保管していた。
それでもルーカスは、すぐに原本を掛けようとはしなかった。
映写機の状態がよいことと、半世紀近くを経たフィルムが安全に通せることは別の問題だった。機械を整備することはできても、一度傷ついた原本から失われた像を元へ戻すことはできない。
金属缶を開ける。
中にはリールへ巻かれたNormal-8フィルムが収められていた。
大きな変形は見られなかったが、それだけで全長の状態までは分からない。
ルーカスは原本を保存したまま内容を確認できるよう、フィルムの状態を確認したうえで複写を用意した。
原本は再びリールへ戻され、金属缶とともに角部屋にある書斎へ収められた。
ルーカスは複写された映像を小さな画面で再生した。
最初に映ったのは、白い地面だった。
塩原と空の境界は薄く、画面全体が細かく揺れている。露出も一定ではない。遠くにあるものほど、白い光の中へ輪郭を失っていた。
何人かの人物が画面を横切った。
顔を識別できるほど鮮明ではない。
服装や背格好を一九六二年の遠征参加者と比較すれば、推測はできるかもしれない。しかし、推測を人物名へ置き換えるべきではなかった。
ルーカスは手帳へ書いた。
映像中の人物は特定しない。
再生を続ける。
複数の人物が小さな車体の周囲で作業していた。
車体は銀色だった。
外観だけではISO-I-1との差は大きくない。しかし金属缶の表示、整理番号、一九六二年の遠征資料を合わせれば、これはISO-I-2を撮影したフィルムとして扱うことができた。
重要なのは、映像だけを根拠に車名を決めたのではないということだった。
人物の一人が車体へ近づき、別の人物が少し離れて立っている。
それ以上のことは分からない。
何を調整しているのか。
誰が何を持っているのか。
何を話しているのか。
Normal-8には音声もない。
同時期の日記には出走前の点検や計器の確認について記されている。しかし、その文章を映像中の一つ一つの動作へ割り当てることはできなかった。
ルーカスは再生を進めた。
やがて、開けた塩原に銀色のISO-I-2が現れた。
車体は画面の中で小さかった。
撮影地点から車までの距離は分からない。正確な位置を示す目印も確認できず、車がどの線に沿って走ったのかも確定できない。
やがて車が動き始めた。
銀色の車体が白い地面を横切る。
撮影者が慌てて追う。
途中で車を画面から外し、空と地面が大きく揺れた。
再び車を捉えたときには、銀色の輪郭はさらに小さくなっていた。
速く見えた。
だが、速く見えるという印象は測定値ではない。
撮影位置、距離、進行方向、レンズ、撮影時の条件を確定できない以上、この映像からISO-I-2の速度を計算することはできなかった。
公式に残された区間平均は95.1mph、約153km/hである。
Normal-8はその値を更新する資料ではない。
約240km/h相当という後輪空転時の無効表示を裏付ける資料でもなかった。映像からISO-I-2の真の最高速度を算出してはならない。
画面が示しているのはもっと単純なことだった。
一九六二年のボンネビルに、小さな銀色の試験車が存在し、人々がその周囲で作業し、その車が塩原を走った。
それ以上を読み取るには、別の資料が必要だった。
再生が終わると、画面は白くなった。
ルーカスは椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。
初めて見るはずの映像だった。
それなのに、途中から何かが記憶に引っ掛かっていた。
車そのものではない。
撮影の仕方だった。
車を追ったカメラが一度空へ外れ、慌てて白い地面へ戻り、画面の端に小さくなった車を捉える。
その動きを、以前にも見たような気がした。
ルーカスは同じ部分をもう一度再生した。
車が動く。
カメラが追う。
車が外れる。
空が映る。
白い塩原へ戻る。
画面の端に小さな車が現れる。
やはり覚えがあった。
しかし、どこで見たのかは思い出せなかった。
自動車雑誌の仕事で古い映像を見る機会はあった。ユタ大学時代には、ボンネビルに関する写真や映像へ触れている。Iron Hammer Racingでも、過去の車両について調べるため、古い資料を見ることがあった。
候補はいくつもある。
記憶だけでは同じ映像だと言えなかった。
夕食の席で、ルーカスはエリーザベトへ尋ねた。
「一九六二年のフィルムを、外の人に見せたことはあった?」
「家では何度か見たわ」
「外では?」
「私は覚えていないわね」
「複製を作ったことは?」
「それも分からないわ。必要なら記録を探しなさい」
「映写機は、ずっとこの状態だった?」
「お祖父さんが整備していたわ」
「使う予定がなくても?」
「壊れた道具をそのまま置いておく人ではなかったでしょう」
それはルーカスにも理解できた。
アドルフにとって、保存とは箱へしまうことではなかった。
再び必要になったとき機能する状態で残すことも、保存の一部だった。
その夜、ルーカスはもう一度映像を見た。
速度は測らない。
人物は特定しない。
作業内容も断定しない。
それでも、画面の動きには覚えがある。
大学時代に見たものだろうか。
鮮明な記憶ではない。
残っていたのは、白い塩原と、そこを走る小さな改造イセッタだった。
ただし、そこで一つ注意しなければならないことがあった。
アンガーフェルトの資料で使われているISO-I-2は、アドルフたち研究チーム内部の管理名称である。
一方、ボンネビルでこの車がどの名前によって登録され、現地の人々からどの名前で呼ばれていたのかは、別に考えなければならなかった。
一九六二年の米国側エントリーで使われた名称は、イセッタターボスペシャルだった。
同じ一台に、二つの名前がある。
ISO-I-2。
イセッタターボスペシャル。
前者は研究チームが車両を管理するための名前。
後者はボンネビルで用いられたエントリー名だった。
そう考えれば、ルーカスが大学時代に似た映像を見ながら「ISO-I-2」という名称に覚えがないことは、それだけでは矛盾にならない。
アメリカ側の資料をISO-I-2だけで探せば、同じ車を見落とす可能性さえあった。
ルーカスは手帳へ三行を書いた。
内部名称 ISO-I-2
エントリー名 イセッタターボスペシャル
同じ車両を指す名称として区別する。
問題は、車に名前がなかったことではなかった。
ルーカス自身が、大学時代に見た車の名前を知らなかったことだった。
当時の資料に「イセッタターボスペシャル」と書かれていたのか。それとも単に改造イセッタとされていたのか。
今はベルリン郊外の自宅に残した大学時代の資料を確認できない。
アンガーフェルトにいる間は、ここにある資料と、自分の記憶を分けて考える必要があった。
ルーカスはもう一度、画面を停止した。
白い塩原の端に、小さな銀色の車が残っている。
この車には二つの名前がある。
だが、自分が昔見た画面の中では、まだそのどちらの名前とも結び付いていなかった。
ルーカスは次のページを開いた。
見出しだけは変えなかった。
名前のないイセッタ。
無名の車という意味ではない。
ルーカスの記憶の中で、まだ名前と結び付いていない一台という意味だった。