ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢   作:自動車好き/飛行機も好き

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名前のないイセッタ

 翌朝、ルーカスは前日のノートを最初から読み直した。

 ページの上には二つの名称が並んでいる。

 ISO-I-2。

 イセッタターボスペシャル。

 前者はアドルフたちが使っていた管理名称だった。

 後者は一九六二年のボンネビルで用いられた米国側エントリー名である。

 同じ車を指している。

 しかし、使われる場所は違っていた。

 アンガーフェルトの資料を読み続けていると、その違いを忘れそうになる。角部屋にある書斎の書類では、どれもISO-I-2と記されているからだった。

 だが現地の人間が、その名称を知っていたとは限らない。

 ルーカスが大学時代に見た記憶の中にも、ISO-I-2という言葉はなかった。

 だから問題は車が無名だったことではない。

 どの名前で記録され、どの名前で記憶されたのかだった。

 彼は手帳を開き、新しい見出しを書いた。

 名称の対応。

 ISO-I-2。

 イセッタターボスペシャル。

 改造イセッタ。

 小さな外国車。

 四つの呼び方を線で結ぶ。

 そのどれもが、同じ一台を指している可能性があった。

 ただし可能性である。

 証明ではない。

 ルーカスはそこで鉛筆を置いた。

 今の自分に確認できる資料は、アンガーフェルトにあるものだけだった。

 大学時代の資料箱はベルリン郊外の自宅にある。

 帰宅しない限り確認できない。

 だが、それを確認するためだけに調査全体を止める必要もなかった。

 今ここで調べられるものがある。

 それはアメリカ側の記憶だった。

 昼食の席で、ルーカスはエリーザベトに尋ねた。

「イセッタターボスペシャルという名前を、お祖母さんは覚えている?」

 エリーザベトは少し考えた。

「もちろん覚えているわ」

「内部ではISO-I-2だった」

「管理上はね」

「現地ではイセッタターボスペシャル」

「そう。アメリカで説明するときにISO-I-2と言っても意味がないでしょう」

 もっともな話だった。

 研究チーム内部の管理名称と、現地で登録される名称が同じである必要はない。

「ロバートは、どちらを知っていたと思う?」

「会ったことのある人なら、イセッタターボスペシャルの方でしょうね」

「ISO-I-2は知らない?」

「お祖父さんたち以外が知っている方がおかしいと思うわ」

 ルーカスはそれを書き留めた。

 ISO-I-2という名前を知らないことは、不自然ではない。

 むしろ自然だった。

 午後になると、彼は一九六二年の資料を整理し始めた。

 遠征準備。

 輸送計画。

 ドル管理。

 現地支出。

 計測記録。

 それらの中に現地側の人名を探していく。

 ロバート・ヘイズ。

 その名前は設定資料に存在する。だが、アンガーフェルトに残された書類では頻繁には現れなかった。

 日記の中に読めるらしい姓がいくつかある。

 しかし綴りは確定できない。

 アドルフが聞き取った音を書いただけかもしれないし、後から書き直した可能性もある。

 ルーカスはそこで手を止めた。

 探しているのは証拠だ。

 証拠らしく見えるものではない。

 数日後、マイケルから返信が届いた。

 長い文章ではなかった。

 ただ、そこにはルーカスが求めていた内容があった。

 父のロバートは健在であり、昔のボンネビルについて話すことを嫌がっていない。

 訪問するのであれば歓迎する。

 まずはそれだけだった。

 映像の同一性については書かれていない。

 イセッタターボスペシャルの名前も出てこない。

 しかし、それで十分だった。

 今必要なのは答えではない。

 質問できる相手だった。

 ルーカスはすぐに返信を書いた。

 訪問を希望すること。

 昔の記録について話を聞きたいこと。

 その二点だけに留めた。

 ISO-I-2という名称も、イセッタターボスペシャルという名称も書かなかった。

 ロバートの記憶を誘導したくなかったのである。

 送信を終えた後、ルーカスは再びNormal-8映像を見た。

 塩原。

 小さな銀色の車。

 画面を追い切れない撮影者。

 その光景には確かに覚えがあった。

 しかし、それがどこから来た記憶なのかは分からない。

 大学時代か。

 ユタ大学の資料室か。

 Iron Hammer Racingか。

 あるいは全く別の場所か。

 彼は映像を止めた。

 答えのない部分を見続けても、新しい情報は増えない。

 今は現地へ行く準備をするべきだった。

 夕方、エリーザベトは出発準備をするルーカスを見て言った。

「今度はBMW博物館みたいに空振りしないといいわね」

「その可能性はある」

「会ってみたら何も覚えていないかもしれない」

「あり得る」

「それでも行く?」

「だから行くんだ」

 ルーカスは答えた。

「覚えているかどうかを確認するために」

 エリーザベトは微かに笑った。

「お祖父さんみたいな答えね」

 夜遅く、ルーカスは最後に手帳を整理した。

 確認済み。

 未確認。

 推測。

 それぞれを分けて書き直す。

 そして最後のページに、短い一文を加えた。

 現地で何と呼ばれていたかと、後に何と記録されたかは同じではない。

 ISO-I-2。

 イセッタターボスペシャル。

 改造イセッタ。

 小さな外国車。

 同じ車に与えられた複数の名前が、少しずつ別々の方向へ広がっている。

 その中心にいた人間へ会えば、どこかが結び付くかもしれない。

 翌朝、ルーカスはアメリカ行きの準備を終えた。

 向かう先はユタ州。

 そしてヘイズ家だった。

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